「うわ、うわうわうわわぁ!?」
「口を開くな! 舌を噛むぞ!」
ヨミは私を抱えたまま、ターザンのように森の中を駆ける。体から出した触手を木に撃ち込み、振り子のように勢いをつけて木々の間を飛び回る。
「待て。」
その後ろ。木々をまるで積み木のように掻き分けて、這いずりよる巨大な触手――43号改め、水月鏡花。まるで重機に追いかけられているようだ。
「なんであんなこと出来るの!?」
「……あの女は我の核を持ち逃げしている。おそらく、叩き潰すだけなら本来の我と同等以上の能力を発揮できるはずだ。今の我ではせいぜい2秒押しとどめられれば十分といったところだろうな。」
ヨミは左右に揺れながら、彼女の攻撃を躱していく。しかしこれも時間の問題だろう。木々が全てなぎ倒されれば、私たちに逃げ場はない。
「遥、聞け。恐らくこのままでは我も貴様も殺される。奴の速度も膂力も全て我以上だ。そして何より奴は既に貴様を標的にしている。こうなった以上、どうにかして奴を引き剝がす必要がある。」
「引き剥がすってどうやって!?」
「……やりたくはないが、奴と同じ手を採用させてもらおう。我が貴様の中に入って体を制御する。」
ずるり。彼女の腕が解け、腕の傷口に這い寄る。そのうすら冷たい感触に、思わず声を漏らす。
「ひっ……。」
「これしか我らが生き残る道はないのだ。貴様との約束を守るためにも少々手荒だが――。」
ずるり、ずるりと彼女が私の中に入ってくる。――異物感に吐き気が込み上げる。呑気症のごとく吐くものは何もなく、ただただ苦痛だけが脳から発せられる。声を出そうとしても、指一本。いや、視線すら動かせない。
「……うむ。軽いな。」
木々を蹴り、時に触手を伸ばし、先ほどよりも圧倒的にダイナミックに視点が目まぐるしく動く。まるで遊園地のアトラクションのようだが――駄目だこれ酔う! 世のヒーローの三半規管強すぎる! こんなの無理――。
「遥!? 何を考えている貴様!?」
私の声でヨミが怒号を上げる。木を掴み損ねたのか、放物線を描きながら私たちは落下する。幸いにも腐葉土の上に落ちたので衝撃はさほどないが、それよりも、まずいのは――。
「捉えた。」
ヨミが私の中にいるせいだろうか。その触手は先ほどまではっきりと、明確に、そして、恐怖の象徴のように見えた。――あれはただの触手ではない。生き物だ。目がある。口がある。そしてその両方が、私を食わんと――。
「ちぃ!」
一気に視界が動く。地面に体を擦り付けながら、私たちは最寄りの木の幹に向かって一気に引き寄せられる。その直後、私たちがいた場所が、巨大な触手に叩きつけられて平らに均される。
「遥! 呆けるな! あいつを蹴飛ばす!」
え、何を――私が考える間もなく、両腕から飛ばされた糸が水月の背後の木を捕らえる。そこに吸い寄せられるようにヨミはドロップキックを放った。水月が僅かに後退する。
「息を合わせろ。我は望みどおりに動く存在だ。故にあいつから逃げるだとか、退けるとか、そういう確信が貴様にない限り我らは負けるぞ。」
そういう大事なことは先に言ってほしかったなぁ! そう悪態をつくわけにもいかず、とにかく打開策を考える。戦う……は厳しそう。明らかにパワーで負けている。となれば逃げるしかない。幸い、相手の攻撃は大振りだ。どうにかして隙を作れば逃げだす切っ掛けくらいは作れそうだ。更に言うなら、彼女は無関係の私を巻き込もうとしていなかった。つまり、だ。一般人の多い街中まで逃げればどうにか撒ける可能性はある。
「問題は隙の作り方だ。良い手はあるか?」
良い手というか――うん。ヨミは私の作戦通りに足から何本か触手を出す。そしてそれを束ね、足元の土を一気に巻き上げた。枯れ木と土に混ざって、一瞬視線が切れる。そして糸を伸ばして一気に加速する。
「姑息ですね。」
「我もそう思うぞ。」
「――っ!?」
そう。彼女の方へ一気に加速する。そのまま顔面に砂を叩きつけるように殴る。目潰しだ。この隙を逃さぬようにそのままの速度で山を駆ける。こっちの方角には池がある。ヨミの糸で着地すれば一気に飛び降りられる。ヨミも私の意図を読み取って、一気に空中に飛び出した。
「ん?」
池のほとりが明るい。あのあたりに明かりなんてなかったはず――。
「――。」
「え? あ、出てきた。」
ずるりと一瞬で彼女は私の体から這い出る。もう安全、ということだろうか。ヨミは忙しなく周囲を認識する。山の麓。中腹、そして山頂。そしてそのまま、山の方に向き直る。
「……ヨミ?」
私の腰には、命綱のように糸が括りつけられていた。そして彼女は、何かを決意したように山の方へ向き直す。
「すまんな遥。どうやら我は、まだやらねばならぬことがあるようだ。」
そういうと彼女は、私の背中に手を伸ばす。何かが千切れる音とともに、彼女が手に持った何かが目に入る。
「蛇?」
その正体を検める間もなく、彼女はそれを山に思いっきり投げ飛ばし、そして、先ほど飛び出した場所に糸を伸ばす。そして私は、ゆっくりと重力に引かれて落ちていく。
「着地の安全は保障する。後は彼女に助けてもらえ。」
「え、ちょ、どういうことよ!?」
「約束だ。必ず貴様の元へ戻る。安全なところに居ろ。」
手を伸ばせども、彼女の背中には届かない。ヨミとの距離が離れ、巻き付いた糸が解ける。そして私は、水面に叩きつけられ気を失った。
◆
「――丈夫!? 大丈夫!?」
「うっ……。」
眩しい。騒がしい。煩い。今何時だと思ってるんだ……。いや待て、今とかじゃない。そうだ、私は――。
「ヨミ!?」
「ああ、やっと起きた! ごめんちょっと今手が離せないから自分で起きてもらえるかな?」
聞き覚えのある声だった。場所はどうやら山の中。かつて私が最後の場所に選ぼうと思った川のほとり。眩しいほどの照明に囲まれ、ただ一人、棒のようなものを振り回して戦う女性がひとり。――エリ!?
「エリ……!? あぶな――」
「てい。」
彼女は囲まれていた。あの小さな蛇のような化物は照らされているだけでも十数体。視認できない位置には何倍もいるだろう。……というかこんなところまで照明を持ち込んだのか?
『……聴こえているか。』
「えっ。」
僅かに風を切る音。そちらを見ると、小型のドローンが目に入った。そうか。エリのステージの演出にはドローンが使われてたっけ。それでこの辺りを照らしてるってことか。じゃあ、この話しかけてきているのはドローンの操作をしている人?
『聴こえているな。ああ、僕の正体については気にするな。重里のプロデューサーだ。彼女は手が離せない。だから僕から説明する。君は先ほど、この上の道から落ちてきた。幸いにして勢いはなく、水に落ちて気を失った程度で済んだようだがな。そこを重里が引き上げたってわけだ。理解できたか? これは経緯だから出来なくても続けるぞ。』
「夭! それじゃ話早すぎてついて来れないと思うけど!」
『重里。事は急を要する。説明に割く時間が惜しい。……続けるぞ。恐らく元凶はこの山の上の廃墟に陣を構えている。電波状況が悪くて近距離での偵察は困難だが、どうやら二人、そこに向かったやつがいる。銀色の長い髪と短い髪の双子――のような奴だ。』
「ヨミと水月……!」
『ああ、君の言っているその二人で間違いないだろう。先程二人して凄まじい速度で上に向かっていった。その後数度、微弱ではあるが地震を感知している。震源はかつてこの山に存在した宗教施設の廃墟だ。はっ。自殺の名所だのなんだの言ってるが、頭のいかれた信者どもの集団失踪がそもそもの噂の起点だ。――話が逸れたな。とにかくそこに何かある。周辺を張っているが今のところ動きはない。』
「夭! 話が長い! 要はそこにヨミとその水月って子がいるの! で、このちっこいのはそっちの方から来てる!」
エリは棒一本であちこちから迫りくる蛇を薙ぎ払う。良く見ると棒はマイクスタンドだ。まともな武器とは言い難いが……。蛇は地面に叩きつけられると溶けるように燃え尽きて消えてしまう。あの消え方は見たことがある。そうだ、ヨミと出会った時の――。
「ハルカ! 選びなさい! 今なら私がこいつらを惹きつけておける! 行くなら今!」
行くなら今。エリはそう言っている。……明らかに行くべきではない。危険だ。そう頭の中で生存本能が告げている。そう、だから。だから何だ。そもそも私はあの夜、この山に死ぬために来たのだ。今更、どうして、どうして生きるために逃げる必要があるだろうか。
「ああけど死にに行くのは無しね! そんな理由だったらもう一回そこに沈めて止めるから!」
「えっ。」
『当たり前だろ。重里はそういう人間だ。思い留まらせた自殺志願者でちょっとしたユニットが組めるぞ。』
そういえばエリは心が読めるんだった。いやそうじゃない。多分これは大事な話だ。あの蛇がヨミと同じ存在なら、死にに行くために彼女のもとに向かえば本当に殺されてしまう。だからヨミも私も生きて帰ってくるという自覚が必要なのだ。だから投げやりな気持ちではだめだ。
「――約束。約束があるんです。私は彼女に大事なものをあげて、彼女は私に本当に必要なものをくれる、その約束が。そのために私は行きます。だから――。」
「OK! いい声!」
エリは足元にまとわりついた蛇を蹴っ飛ばして返事をする。私は立ち上がって上を見る。……随分落ちてきたものだ。無事なのは最後までヨミが私を減速させたからだろう。
『重里。僕は暫く彼女のナビに手を回す。そちらへのサポートは少々単調になる。問題ないな?』
「それって……大丈夫なんですか?」
「まぁ任せてって。キミも知ってるでしょ? ワタシがどんな存在かって。」
『疑ってるのか? 全く度し難いな。良いか。もう一度だけ説明してやる。』
ドローンから立体音響のイントロが流れ始め、スポットライトが一際煌く彼女を照らす。
「ワタシは」『エリは』
『最強無敵で』「世界で一番」
「キミに寄り添う」『可憐無比な』
『「――アイドルだ!」』
二人の声が重なる。それとともに、小型の化け物が音と光に惹かれて、エリのもとに殺到する。彼女はそれをマイクスタンドでまとめて振り払い、片っ端から刺し、潰し、蹴り飛ばし、殲滅していく。
「さあ行って!」
私は彼女に背を向け、山を駆け始める。煌びやかなライトと耳に残る音楽が、それでもなお周囲に反響する。
『こっちだ。』
闇に溶けるようなドローンが私を先導する。どれもこれもギリギリ通れるような裏道のような最短ルート。時折転んで泥まみれになりながらも、私はどうにか食らいつく。
「あっちは大丈夫でしょうか……。」
『他人の心配をしている場合か? 風音重里という女は負けない。重里は僕の知る限り最強のアイドルで、滅茶苦茶顔がいいからな!』
あまりにも真面目なトーンで支離滅裂なことを言うので走りながら思わず吹き出してしまいそうになる。この人なりの励ましか何かだろうか。
「顔は関係ないですよね!?」
『はっ。君、重里の顔の良さを舐めてるな? 今度みっちり叩き込んでやる。無事に帰って配信全部見返しておけ。――さぁ、ペースを上げるぞ!』
◆
走る。
ナビゲーションのドローンは電波不良で墜落した。
走る。
空は異様な赤紫色に染まり、廃屋の中からはけたたましい戦闘音が聞こえる。
走る。
玄関は血みどろ。廊下はズタボロ。貪られたような死体が積み重なっている。
走る。
そして私は、一直線に一番奥の部屋まで辿り着いた。
「えっ!?」
食われていた。正体は靄に隠れて良く見えないが――ヨミが喰われている。ただその事実のみで、あの靄が元凶であると断ずるのに十分であった。
「ヨミ!」
手を伸ばす。彼女は僅かに顔をこちらに向け、力なくこちらに触手を向けた。私はそれを腕に巻き付け、少しずつ引き寄せていく。まさしく綱引きのようだが、力の差は歴然だ。一瞬のうちに私は引き寄せる側から引き寄せられる側へ。まるで重機のような膂力で空中にはね上げられる。
「っ危ない!」
咄嗟に聞こえたのは水月の声であった。彼女は私の真上に異形の腕を振り上げる。瞬間、衝撃。全身が内蔵ごと浮きあがり、ヨミごと空中に放り出される。
「――あ。」
私たちをつないでいた糸が、弱弱しく、いとも容易く切れる。空中に投げ出されたヨミの体は、いつもよりとても小さく見えて。
「ぐあっ!」
眩暈がする。全身が痛む。どうやら床に落下したらしい。ヨミは――近くにはいない。どこに――。
「来て!」
引き摺られるように物陰に放り込まれる。……ヨミではない。声は似ているが別人だ。水月だ。
「あ、ありがと……。」
「謝るのはこちらです。あなたも彼女も無実でした。……謝罪します。」
彼女は頭を下げた。改めてみるとあまりにも小さい子供だった。まだ10にも満たないだろう。そして彼女は、あまりにも人間だった。戦いでついたであろう傷跡からは生々しく血が滲み、荒々しく息は乱れている。
「気にしてないよ。それより何が――。」
「端的に説明します。私たちは互いに別の脅威があると判断し、此処が元凶の根城だと突き止めました。そしてあれと戦闘になり――
淡々と、あまりに淡々と、彼女はそう述べた。
「敗北って――。」
「ヨミ、といいましたか。彼女の言葉を信じるならば、あれはどうやら彼女の親。要は私たちのこの力の発生源らしいのです。故に勝てない、と。」
彼女は這いまわる蛇をナイフで数度突き刺し絶命させる。明らかにエリが蹴散らしていた時よりも効いていないように見える。
「私があれと打ち合えるのはせいぜい後2分といったところでしょう。それでは足りません。私たちは撤退を選び、彼女はそのために時間を稼ぐと。」
「ま、待ってよ。え、何を言ってるの……!? ヨミは――。」
「はい。時間を稼ぐためにあれと対峙し、食われました。彼女は最後に、あなたのことを頼む、と――待て。待ちなさい。待って!」
駆け出していた。何故? ……わからないけど、そう。そうだ。そうするべきだと思ったから。そうしないと、私は生きていけないと悟ったから。
「あれは貴女と関係ないです。貴女は、今日のこの惨劇を忘れて、貴女の、貴女の為の人生を生きるべきです……!」
水月の声が響く。確かに、そうかもしれない。私はただの一般人で、特別な力があるわけではない。彼女のような力もないし、エリのような勇気もない。ただ、突き動かされる衝動でここに来てしまった一般人。今も、あの化物に薙ぎ払われて床に転がされているだけの、ただの一般人だ。
「――それでもさ。」
私は立ち上がる。走ってきて、投げ出されて、叩きつけられて、あちこち痣だらけで全身軋んでいる。それでも立ち上がった。立ち上がらなければならない。これは、これだけは私の言葉で紡ぐんだ。
「現実は理不尽で、法則は理解不能で、心情なんて読み解けはしない。」
よく見えない。目がかすんでいるし、そもそもあれは人間が視覚出来るものではないのかもしれない。なんというか、そう、恐怖とか、化け物とか、そういうイメージの集合体。ヨミが言うところの畏れを食い散らかした果てに辿り着く存在って訳か。
「展開は突飛で、伏線なんてどこにもなくて、読者の皆は大混乱で大不評。」
一歩。また一歩。倒れて突っ伏しているヨミのもとに向かう。
「けど、それでもさ。私は。」
あと五歩。風を切る音が聞こえて、その直後に激しい衝突音。水月が私を庇ったらしい。
「私はさ。」
あと三歩。彼女が吹き飛ぶ。逃げて、そう聞こえた。
「ヨミ――。」
あと一歩。それでも私は手を伸ばす。
「
手を取る。
「約束、したでしょ。ねぇ、起きてよ。」
ヨミの下半身は完全に吹き飛んでいて、圧し折れて朽ちた大木のような断面が、ただ広がっていた。
「ヨミ――。」
「――っ歯を食いしばれ舌を噛むぞ!」
「はへ?」
突然、突っ伏していたヨミが片腕で振り向く。その直後、私たちは凄まじい勢いで跳ね飛んだ。
「な――。」
ヨミが私を抱えて、片方の腕で壁に体を伸ばし、そのまま引き寄せたのだ。直後、私たちが先程いた場所が、完膚なきまでに叩き砕かれた。私たちは跳ね飛んだ勢いそのまま地面に墜落し、ゴロゴロと床を転がる。ちょうど物陰のあたりに落ちたらしく、化物の視線から外れた。
「遥! 貴様、もう少し時と場合を考えろ! 我が居なかったら死んでいたぞ!」
「貴方が居たから生きてるじゃん。」
「――当然だ。そうだ。当然だ。阿呆め。我が貴様の明日を保証し、貴様が我の今日を保証する。それが
ヨミは得意な笑みを浮かべる。だが吹き飛んだ下半身は未だに再生しない。再生までにどれほどかかるかわからないが、おそらく数秒、いや数分単位の話ではないだろう。足がない彼女は間違いなく移動において大きな不利になる。先程は伸ばした体をロープのようにして吹き飛んだだけ、あの化物の不意を突けただけだ。何度も繰り返していてはすぐに見切られてはたき落とされるだろう。
「だが、これ以上は保証できぬ。我が時間を稼ぐ。遥。貴様は逃げろ。」
「……それは駄目だ。」
「我に約束を破らせる気か?」
「違う。貴女が居なくなって、あいつが残ってしまったら、それこそ本当にみんな死んでしまう。」
物陰から様子を窺う。遠くに気絶したであろう水月が居た。そばの壁には大きな罅が入っており、衝撃の大きさを物語っている。そしてその隣にはやはり大きな靄のような、化物の姿。
「ヨミ。」
「どうした。」
「あなたにはあれが見えてるんだよね?」
『我々と人間の知覚機序は異なる』――かつて彼女の語った言葉だ。これが原因で、私は彼女の本当の姿を見ることができないらしい。ならば逆説的に、私が見えないあの化物の姿を、ヨミは知覚できているのではないか?
「まぁ、見えているな。」
「どんな姿なの? ああ、いや、私にはわかってる。だけど、そう、これは確認だ。これは単なる確認だ。そうでしょう? 私たちだけがわかっていても意味がない。たとえこれが、私たちだけが知りえる物語だとしても、改めて奴の姿を明示する必要があるよね。」
ヨミは少し考えこむ。私はさらに言葉を紡ぐ。
「ヨミ。君は奴の仔なんでしょう? だったら――」
ここでどうやら、彼女も理解が及んだらしい。呆れるような、驚嘆するような笑顔で、彼女は笑い出した。
「そうか、そういうことか貴様! おい! 正気か!? ああ正気よな。そうだとも。ならば答えてやろう。いくらでも応えてやろう。あの化物の本性を。巨木のごとき四肢。のたうつ黒き角。絶えず涎を垂らす貪欲な巨大な口――そう、そうだな。あえて貴様らの言葉に翻訳するなら――。」
「「
私たちの声が重なる。私たちは顔を見合わせて笑う。彼女は私の腕に手を伸ばし、少しずつ体を解いていく。
「今度は貴様に任せるぞ。我らの持て得るすべてを使って、あの邪竜を打ち倒せ。」
不快感はない。私には――私たちには確信がある。あれが親でも、そう。邪竜であるならば。私たちに倒せぬ道理はない。少なくともそのことについてだけは、私たちは何度も何度も考えてきたのだから。
視界が重なる。あり得ざる幻覚と、私の見ている視点が重なり、補正され、廃屋の中で、確かに這いずる巨像を認める。
ああ、やはり、そうだ。あれは私が空想した邪竜の姿そのものだ。私は、ゆっくりと、確かに歩みを進める。
あれを斃すには武器がいる。ヨミのような糸ではなく、水月のような顎でもない。武器だ。私は、体の中にいるヨミをゆっくりと呼び覚まし、糸を紡ぐ。分厚く、硬く、大きく、ただ握るだけでは、床に擦れてしまうほど巨大な、巨大な――。
『剣か。』
頭の中でヨミの声が響く。ガリガリと、床を削りながら、私は邪竜の元へと歩む。
「そう。剣だよ。私たちの剣だ。私たちが、あの化物を、この世界から追い祓うための剣だ。」
邪竜がその腕を大きく振るい、叩きつける。そして私たちをいともたやすく潰す。いやいやいや。こんな展開私たちの物語にはない。だからこれは打ち消しだ。
『そうだな。武器を手に入れた直後に斃される主人公などいていい筈がない。』
頭の中でヨミの声が響く。――そうだ、やはりここは私たちの創作に倣って、この武器を御披露目すべきだ。何度も何度も叩きつけられる攻撃を切り捨て、私は考えていた口上を朗々と披露する。
「是は現世と他界を分かつ遥かな道、この世に非ざる異形を、あの世に送るためのただ一本の剣。故にそうだ、私は、私たちは、この銘を授けよう――
『――いい銘だ!』
邂逅を想起させるようなヨミの声。それを打ち消さんとばかりに苛立った邪竜の声が空気を響かせる。
「行くよ。」
『ああ。』
化け物が私たちを踏み潰そうと足を上げる。
「黄泉比良坂。」
――剣先から触手が伸びる。化物の足に絡みついた触手は、そのまま脚から何かを吸い取り、枯れ木のようにボロボロにしてしまった。急激な変化に耐えきれず。化物はバランスを崩して倒れ込む。
「名は体を表すってね。黄泉比良坂は黄泉に続く道。厭離穢土なんていうけれども、そもそも穢れは黄泉のもの。即ちこの剣先は死の国に繋がって――ああ、あなた、喋れないの。化物だから仕方ないか。なんだっけ? 化物の条件。」
『言葉を話すな。正体を明かすな。そして不死身でなければ意味がない。だ。』
なるほど。……正体がわかったのだからもう話してもいいのでは? なんて考えながら、私はあれの生んだ蛇を撫で切りにする。先程の水月の切れ味の悪さとは打って変わって、まるで熱したナイフをバターに入れるように軽々と切り裂けた。
不満そうな咆哮が響く。鼓膜が破れる。ヨミが私の中にいるのだ。そう簡単に傷つくはずがない。
一太刀振るう。化物のもう一本の足が萎える。しかしすぐさま再生しない。死の概念をそのままぶつけられているのだ。ただの化け物未満がそのような権限を持つはずがない。
さらに一太刀。化物の首を射程に捉える。奴が口先から炎を吐くはずがない。この期に及んで己の力を過信したのが過ちだ。もはや抵抗は無意味。後は切り伏せるだけ――。
振りかぶる。全身を一度に両断できるように、巨大に、強大に――!
『――遥!』
竜の背から大量の触手が棘のように発射される。まずい。今この中途半端な状態では振り抜けない。私たちだけではどうしようもない!
私たちはなすすべもなく貫かれ
私たちはなすすべもなく貫かれた。
「執行はお任せします。――奴の首を断て!」
――水月がいる。彼女が振り上げた触手が、竜のそれを弾く。間違いなく好機! まさしくラストシーンに相応しい情景だ!
「ヨミ!」
剣はより巨大に。両腕から剣を支えるための触手が肌を貫いて生え、まさしく私たちは異形の剣と化す。
『遥!』
踏み込む。床がひび割れ全身が軋む。私たちの絶叫が響く。化物が何かを乞うように咆哮する。憐憫を覚えて僅かに剣筋が鈍る。――鈍る要素なんてないだろう? 後はこれを振り下ろして、あれを切り裂いて、最強無敵のハッピーエンドだ!
『
「とっとと
黄泉比良坂を振り下ろす。建物の外壁ごと、邪竜は切り裂かれた。
邪竜はそれでもなお立っていた。
――私たちの勝利だ。