夜と黄泉の狭間に、栞と私を。   作:ぴぴけ

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黄泉の貴方が、還る場所は、

 「生き残りがいるかもしれませんので、これにて失礼。出来れば二度と、このようなことに首を突っ込まずに、今日のことは忘れて平和に生きてくださいね。」

 

 水月は最後、少しだけ柔らかい口調でそう告げ、ゆっくりと去って行った。ヨミの核を持っているとはいえ、いくら何でも頑健すぎやしないだろうか。

 

 「あー……終わった。」

 

 床に身を投げ出す。とにかく全身が痛い。これは明日は間違いなく筋肉痛だ。……切り裂いた建物の隙間から日が差し込んでいるのが見える。どうやら夜が明けたらしい。

 

 「ヨミ。……ヨミ?」

 

 ヨミが私の体から這い出る。いや、這い出るというよりは転げ落ちるというべきか? とにかくなんというか、明らかに様子がおかしい。

 

 「え……?」

 

 燃えている。じりじりと。――いや、それは重要じゃない。人の形を保てていない。体の擬態はとっくに解けて、かろうじて首と胴を模った触手の塊が、何とか取り繕っている顔と引っ付いているだけだ。

 

 「……すまぬな。」

 「なんで謝るのさ。」

 

 私と彼女の間には一本の、あまりにも弱弱しい糸が辛うじて垂れ下がっている。だからこそわかる。わかってしまう。彼女はもう死ぬ。死んでしまう。

 

 「なんで、なんで謝るんだよ。ねぇ。そんな顔しないでよ。」

 「ははっ……。核を失い、躰を食いちぎられ、よもや今こうやって話せているのが不思議な程だ。――ああ、だから気に病むな。最後に貴様と、あの邪竜をぶった斬ったのは、ああ、そうだ。とても楽しかった。」

 

 彼女は笑っていた。あまりにも優しい笑みだ。まるで、そう。満足したみたいな笑みだ。

 

 「――そうか、そういうことだったのか。ああ、わかった。ようやくわかったのだ。」

 

 燃え尽きていきながら、彼女は何度も、譫言のようにつぶやく。体は燃え尽きていく。灰が塵と混じって風に舞う。

 

 「納得した。そうだ。納得したのだ。虚飾を騙り、虚言を弄し、虚勢を張って、それでも死んでほしくないものを守るのは、そうだ。結局は己の満足の為だ。種の為でなく、ただ己の為の我儘だ。それが許されるのが人間なのだな。――ああ、すまないな。遥。我は貴様の為に何でもすると言いながら、結局は我自身の為に、貴様を悲しませている。」

 

 彼女が私の手を、枯れ木のような触手で握る。私はその弱弱しい手を両手で握り返す。その上から、涙の雫が頬を伝って何度も何度も零れ落ちる。

 

 「そんな、そんなこと言うならさ、そんな死にそうなことを、勝手なことを言わないで。死なないで。死なないでよ……。」

 

 縋る様に、何度も何度も言葉を繰り返す。ヨミはどんどん弱っていく。嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ! こんな結末は嫌だ。絶対に嫌だ。どうすればいい。どうすれば、どうすれば……。

 

 「熱っ……。」

 

 彼女と繋がっている糸から熱が伝わる。まだ体の中に残っている部分が発熱し、皮膚に焼くような痛みが走った。

 

 「遥。もういい、もういいのだ……。我は十分生かされた。人を食らい、人に裁かれ、あまつさえ己の親を殺し、我が種を危機に追いやったのだ。この結末がふさわしい。貴様に看取られて――。」

 「嫌だ。絶対に――絶対に嫌だ! だって私は――まだ貴方と物語を最後まで書いてない! あれを斬って貴方が死んで終わり? ふざけないで!」

 

 そうだ。そんな物語は嫌だ。――ああ、そうだ。私が物語を書き始めた理由。とても身勝手な理由。『黒騎士は空に啼く』は皆死んでしまう物語だ。主人公はそれを嘆きながらも旅を続ける。私はそれを読んで酷く悲しんだんだ。だから、そう。

 

 「私は――皆に死んでほしくなかったんだ。だから、そう。みんなを死なせない物語を書きたかった……。物語の中では悲しみも不幸もない、そんな幸福な結末を描くことができるんだ。貴方に相応しい終わりが何かは知らないし、貴方の都合なんて全部無視してやる。勝手に私は、貴方の幸福を描く!」

 「ははっ……。それは、随分と、勝手だな……。」

 

 ヨミが弱弱しく呟く。

 

 「だから、約束だ。貴方は貴方の今日を費やして、私にこの物語を紡ぐ明日をくれた。だから、新しい約束。私の、私の人生の物語を読みに来て。いつ出来上がるかわからないし、どんな出来になるかはわからない。けどもそれはきっと、都合のいいハッピーエンドだ。貴方が渇望して、それでも諦めたハッピーエンドだ。だから、約束、約束だよ……。絶対、絶対に読みに来て。」

 

 彼女の指はもはや癒着しきって一本の触手になって、どれがどの指かもわからない。だから私は、それをそのまま自分の小指に巻き付けた。

 

 「ふ、は。勝手に、約束、させるとはな。身勝手な……。」

 「ほら、エリも水月も、二人とも身勝手だったでしょ? だったら私もちょっとくらい我儘になってもいいかなって。」

 

 私は頑張って、できる限りの笑顔を浮かべた。どれほどくしゃくしゃの笑顔かはわからない。けども、ヨミは。そんな私の笑顔に答えるように、いつもの得意な笑みを浮かべた。

 

 「ならば、ああ、約束だ。我は少し、眠る。だが、貴様の物語を、貴様の、貴様自身の物語を読みに戻って来るぞ。――ふは、誤字脱字は許さんぞ! キチンと整合性を保て! 動機をしっかり述べろ! そして、最後に、こう書いておけ。」

 

 ヨミは燃え尽きながら、最後にこう述べた。

 

 「『そして彼女は、物語を読みに帰ってきた。』とな!」

 

 そう告げて、ヨミは完全に燃え尽きた。私の腕の傷の中に僅かな温度を残し、彼女の痕跡は灰となって風に消えた。

 

 「ヨミ……。」

 

 傷を撫でる。熱を持ったそれは、心地よいほど暖かく、これはきっと跡が残るな、なんて。そんなことを考えながら、私は空を仰いで、また少し、泣いた。

 

 

 ◆

 

 

 キーを叩く。文字列が白い背景を黒に染め上げていく。

 キーを叩く。……なんかこれ微妙だな。

 キーを叩く。EnterよりもBackSpaceの回数が増える。

 

 「ううっ……!」

 

 大きく伸びをする。カーテンの隙間から朝日の光が洩れる。夜明けだ。一晩中書いていたのか……。

 

 「あ……。」

 

 ぼんやりと眺めるスクリーンで誤字を見つけ、緩慢な動きでそれを修正する。誤字を見つけてくれる彼女はもういない。私は、腕に残った傷跡を眺めた。

 筋肉痛は消え、打ち身は治り、擦り傷も切り傷も全部跡形もなく消えたのに、最後に彼女と繋がっていたこの傷跡だけはいつまで経っても消えず、どうにもずっと熱っぽいような錯覚すら覚えてしまう。

 

 「お腹すいたな……。」

 

 ふらりと冷蔵庫を開ける。――何もない。彼女が消えて以来、買い出しにも行ってないな……。

 

 「コンビニ行くか。」

 

 着の身着のまま、財布とスマホだけ持って玄関を開ける。朝日は眩しいほど照り付けていた。

 明朝は人通りもなく、しんと静まり返っていた。それもそうか。こんな時間にふらふらと出歩く人間なんて、余程の物好きか社会不適合者か。私はどちらかというと後者よりか?

 

 「待て。」

 

 どこかで聞き覚えのある声が聞こえて、思わず立ち止まる。振り返ると――。

 

 「……誰? 子供? え?」

 

 子供がいた。いや、子供にしてはあまりにも堂々とし過ぎている。喪服のように真っ黒な服を着て、長い前髪で片目を隠している。金髪の中に赤いメッシュの入った髪色はどちらかというとビジュアルバンドに居そうな髪型ではあるが、うん、なんというか……すごく子供っぽくない。明らかに体格はヨミと同じくらいなのに。

 

 「あの、どこかで会ったことあった?」

 「初対面だ。話したことはあるがな。」

 

 徐々に記憶が鮮明になる。そうだ、この声、確かあの時の。

 

 「えっと……エリのマネージャーの……。」

 「桐谷夭。桐谷でいい。」

 

 こんな子供がマネージャーを!?

 

 「そして最初に訂正しておこう。僕は子供じゃあない。重里より年上だ。」

 「は? え、いや。冗談でしょ?」

 「今年で21だ。」

 「……マジですか?」

 「マジだ。君、文章を書いているならそのあたりの洞察力を身に着けたほうがいいぞ。」

 

 彼女の取り出したタブレットには私の新作がちらりと見えた。読んでるのか……。

 

 「あ、あはは。で、どうしたんですか?」

 「いや、どうという訳ではない。知り合いを尋ねた帰りにたまたま見かけて、重里が君を気にかけていたことを思い出した。……ああ、そういうことか。あの子は――。」

 「帰ってきます。ヨミはきっと、必ず帰ってきます。約束しましたから。」

 

 彼女の言葉にかぶせるように、私は言葉を返した。そうすると彼女は小さく微笑んだ。

 

 「そうか。君も重里と同類か? はっ。顔の良さでは重里の圧勝だが、我の強さでは引き分けだ。――それに重里の心配も外れたようだ。もはや君は死にたがりではない。」

 

 彼女は前髪で隠れた顔の半分を私に見せた。酷い火傷の跡だった。まるで化け物に憑りつかれて、寄生されたような、そんな木の根っこのような火傷の跡。私は思わず自分の腕に残った傷跡を見た。

 

 「まぁ僕も昔は色々あったがな。顔のいい女の横にいると大抵はどうにかなるものだ。」

 「それだけでどうにかなるんですか。」

 「どうにかなる。君が何に救われたかは知らないがな。だが、大丈夫そうな顔だ。重里と違って僕には君の心は分からないが――まぁ、生きているなら大丈夫だ。」

 

 彼女は少し微笑んでそう言った。

 

 「じゃあな。ああ、そうだ。重里から見学の件は聞いた。」

 

 そういうと彼女はにいとわざとらしく笑った。

 

 「今度()()()来るといい。じゃあな。また会おう。」

 

 そういうと彼女は私が来た方へと歩き出した。

 

 「ええ、また必ず。約束ですよ。」

 

 彼女は振り向かずに軽く手だけあげて、そのまま太陽と逆方向に歩いて行った。私は朝日のほうに歩く。暖かな日差しの中、傷跡を少し撫でる。

 

 「約束だよ……。」

 

 小さく呟く。傷跡は、日差しよりも少しだけ暖かく、あの夜の香りがした。(了)

 

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