時刻は夜の七時半を少し過ぎた頃。
簡単な夕食を済ませて時間を持て余していたのでリビングでダラダラとテレビを見ていた。
今日は……というか今日から桃は再びばんだ荘の方で寝泊まりする生活に戻ることになっていたので、今は一人だ。
以前のようにほぼ家族同然だから通い詰めていたとか、二人が居なくなったから維持管理の為に定期的に掃除やなんかに訪れていたとかとは違い、今は正式に自分の住む家になったという事になる。
けれど、こうも広い家の中で一人で居るとやることも無いし少しだけ……。
「寂しいなぁ……」
自分が入院している間、ミカンちゃんがやって来るまで桃もこの家で一人で暮らしていたらしい。
今更思っても仕方のないことだけど、この桜さんと桃の二人のものだったはずの家で寂しい思いをさせていたんじゃないかと思うと、申し訳ない気持ちになる。兄として──
などと考えていると、突然インターホンが鳴る。
こんな時間に誰だろう。前にも何か、こんなことがあったような気がするな。なんて考えながら玄関へ向かい扉を開ける。
そこに居たのは……。
──——
やってきたのは、桃とシャミ子ちゃんの二人だった。
こっちの家の追い炊きができる大きいお風呂を使いたいとのことらしい。
夕食前に浴槽の掃除をしてお湯を張っていたのでちょうどいいタイミングだ。
そして今は桃が一人で先に入っていて、リビングでシャミ子ちゃんと二人きり。
シャミ子ちゃん、シャドウミストレス優子、本名吉田優子。
桜さん曰く大まぞくであるヨシュアさんの娘で、今は桃と一緒にこの町を守っているまぞくの女の子。
方やついこの間まで入院していた弱小まぞく、方や大まぞくの娘で現闇の女帝。そして二人とも桃を大切に思っている。
そんな二人がこうして揃ったのだから、やることは一つしかない。
「それでそれで! 子供の時の桃はどうだったんですか!」
「あの頃の桃はもうそれはそれは天使のような可愛さで、いや今も天使なのは変わりないんだけど」
そう、桃トークだ。
自分はシャミ子ちゃんが出会う前の桃のことを、シャミ子ちゃんからは自分が入院している間の桃のことを。
両者ともに桃のことが大好きだからか、それとも二人とも魔のものだから通ずるものがあるのか、会話はとても弾む。
シャミ子ちゃんと桃が歩んだ大変な道のりのことを聞くと少しだけ、そこに自分が居なかったことが、力になれなかったことが歯がゆくなったりするけれど。それはどうしようもない事だから気にしないことにする。
「じゃあ、すずさんが今まで見た中で一番かわいかった桃ってなんですか?」
話が盛り上がってきたところで、シャミ子ちゃんがそうぶっこんでくる。
まさかお風呂の順番待ちしている間のちょっとしたトークで一番を聞かれるとは思ってなかったけど、聞かれたからには応えなければいけない。
「あれは桃が初めてお兄……」
「すず、ストップ」
思い出の中で一番のエピソードを語り始めようとした時、突然何者か……というか桃に口を塞がれてしまう。
いつの間に戻ってきて……というか結構苦しい、力強い。立派に成長したのはお兄ちゃん的に嬉しいけど息が苦しい。
「忘れてって頼んだことを全部言いそうになったのはこの口かな」
「むー! むー!」
「桃ー! すずさん顔真っ赤になっちゃってる! 離してあげて!」
などとひと悶着ありながらも、お風呂の順番があるのでシャミ子ちゃんが抜けて桃トークはお開きになってしまった。
シャミ子ちゃん最後まで抵抗してたけど結局桃に連行されて、素直にお風呂に入ったらしい。桃だけが戻って来た。
「全く、シャミ子もすずも私の居ないところで何を勝手に盛り上がってるのかな」
「ごめん……俺が入院してる間の桃のこと、お見舞いに来てる時の事しか知らないからもっと知りたくて。それでお互いの知ってる桃の事話そうみたいになっちゃって」
隣に座った桃がじっとしとした目をこちらに向けてそう言う。
まさか物理的に止めてくるとは思ってなかった、これからは話題に気を付けよう……。
「だからってあの話までするのは禁止、シャミ子はよこしままぞくなんだからあんまり興奮させちゃダメだよ」
「うん、わかった」
切実そうにそう言う桃に対して、同意の言葉を返す。
でもよこしまってなんだろう、見た目で全然よこしまの服なんかも着てなかったけど。たてしままぞくも居るのかな。
「なんかニュアンスが伝わってないような気がするけど、わかったならいいよ」
そう言った後に、溜息を一つ。そして桃がこちらに少しだけもたれかかって、体重をかけてくる。
「すずは……すずには、今までの事よりもこれからを見て欲しいんだよ。私は」
「これから……?」
「あれがやりたいとか、これが欲しいとか。将来どうなりたいとか。今はまだ落ち着いてなくて考えられないかもしれないけど、いつかはそういう事にも目を向けて欲しいかな」
「……うん、善処してみるよ」
そう、返事はした。
けれどもやっぱり、今が幸せ過ぎて未来のことなんて考えられない自分が居た。
あえて、もし未来に何かを願うことがあるとするのならば。
今この日常が、この手の中に残った幸せから引かれることもなく足されることもなくずっとずっと、続きますように。と──