葦原天理は巫覡である 作:氷桜
帰っていく彼の背中を見送って。
扉を閉めて、小さく息を漏らした。
「やっぱり、変わらないなぁ」
息と同時に漏れた内心。
私自身の胸元に手を当てて、鼓動を確かめる。
奇妙な程に揺れていないか。
普通でいられたのか。
唯の相談として、受け止めてくれたのか。
(余計な事、何も言ってないよね?)
多分大丈夫。
自分の事を思い返し。
大丈夫、だと強く言い聞かせる。
入り口のドアに背中を貼り付けたまま、そんな事を思い。
ゆっくりと扉から離れて、自分の部屋まで戻ろうとする。
(先輩に聞いとかなきゃ……明日直ぐ、かなぁ?)
優先順位をそう定めて。
自分の部屋へと戻りながら、つい先程までの事を思い出し。
釣られて、ずっと昔のことを引き出してしまう。
――――子供の頃。
私は、
お父さんお母さんに優しく育てて貰って。
色々と好きにさせて貰いながら、色々と教えて貰いながら育って。
初めて私一人で外に出た時。
同い年くらいの男の子に意地悪をされた。
髪に……何だったかな。
思い出したくないくらいに、何かをされたことだけは覚えている。
多分、今から考えればちょっとした気紛れだったのかも知れないし。
或いは……初めて見る子にちょっかいを掛ける、男の子特有の物だったのかも知れない。
それとも、好きって言えない代わりにする何かだったのか。
今ではその理由を聞くことも、近付くことも無くなってしまった誰か。
そんな事を未だに悩んでしまうくらいに、初めてのことが衝撃だった。
だから、暫くは外に出ること自体が■■■。
でも、お父さんお母さんには心配させたくもなくて。
恐る恐るに外に出て――――もうそんな事をされないように。
周りの目を見て、唯笑っているようにした。
誰も、もう私にそんな事をしないように。
誰も、私のことを変な目で見ないように。
誰も、同じように傷つかないように。
そうするのが正しく見えて。
周りに気を使って、そんな事を起こさせないようにすれば。
仮に何があっても、私が――――■■■、泣いてしまったとしても。
私だけがそんな目に合えば。
私が皆を護れれば。
そんな事を思って、生きていたはずなのに。
『……なんか隠してるよな、お前』
ずっと傍にいてくれたのか。
始まりの時にはいなかったことだけは確かで。
でも、いつからそうしていたのかは覚えてない。
いちばん大事な最初のことを忘却するくらいに、当たり前に隣にいた。
『ただ笑っている子』
『何をしても楽しそうにしてくれる子』
『誘えば断らない子』
そんな事を言われ始めていた、私の近くにたった一人だけ。
『……隠してる?』
『うん、そう。 本当のお前じゃないっていうか、何か……こう、変』
その目は、私自身を見ているんじゃなく。
もっと先の何か……見られたくない何かを見られているような気がしていて。
そんな事を思ってしまうほど、人の目じゃなかったと思う。
『……え? 何? もっとちゃんと見てろって? また変なこと言うなぁ、
時々、誰もいない……何もない空の方を見て独り言を呟くように。
まるで其処に誰かがいるように話す、その男の子は。
でも、隣にいるだけで――――私に何も要求はしなかった。
ああして欲しい、とか。
一緒に、とか。
手伝って欲しい、とか。
色々と頼まれることが増えていた私に、何も言わずに。
ただ頼もうとする子が来た時には、少しだけ前に出て。
受け入れようとする私の前に、彼が色々と話をしてくれたのは今も目に焼き付いてる。
『いーか、友奈』
『んー?』
『手伝うのは良いけど、まずは自分がしたいことも考えておけよ』
手を繋いでいてくれた。
遠くに行かないように、縛り付けていてくれた。
たった一人、目の前で泣いてもいいと思えた相手。
ことある事に、そんな事を言いながら。
何かがあれば、手伝いに向かってしまう私の後に付いてきて。
困っていれば自然と手伝ってくれていた男の子。
『落ち着ける時は落ち着いて考えろ』
『大事な時は動いていいけど、その前に周りにも声をかけろ』
『自分の体は大事にしろ。 綺麗な体が傷だらけになっちゃ勿体ないぞ』
『……言い過ぎ? これくらい言わなきゃ分かんないでしょ、おねえちゃん』
今でも目を瞑れば思い出してしまう言葉。
学校に通う前、私に染み付いてしまった言葉。
多分気付いていて、それでいて何も言わないでいてくれたお父さんお母さん。
そんな二人が少しだけ安心したような顔をしたのは、そんな言葉を気にかけるようになってから。
そんな彼のお父さんお母さんが、事故でいなくなって。
少しだけ遠くに行ってしまう、そんな日。
私は――――多分、笑って送り出せたと思う。
晴れていたのに、地面に水が落ちて。
それでも、『またね』って送り出せたと思う。
それから……何年が経ったっけ。
彼が戻って来るって聞いた時。
心の中に思い浮かべた言葉は、思い出せない。
遅い、とか。
やっと、とか。
待ってた、とか。
幾らでも浮かんで、幾らでも沈んで。
たった一言では、何も説明できない何かが浮かんだ気がする。
帰ってきて。
隣に、知らない女の子がいた。
咄嗟に笑って、逃げようとしてしまって。
――――ちゃんと、笑えていたかは覚えてない。
家に、知らない女の子がいて。
私の知らない出会いがあったことに、モヤモヤは消えなかった。
皆、凄い良い子で……私なんかとも仲良くしてくれて。
でも、何処か私を見る目は曖昧だったような気がするのは何でだろう。
そうして、中学校が始まる前。
お母さんが漏らした言葉。
それが、今の私の心を顕す切っ掛けになった。
『良かったわね、ずっと仲良しだった葦原くんが帰ってきて』
『あの頃は友奈もずっと張り付いて。
夕ご飯の時、ポツリと漏れた言葉。
少し前を思い出すような言葉。
でも、私の耳にはそれより後の言葉は聞こえていなかった。
――――すき?
すきって、なんだろう。
……ずっと一緒にいたい、と思うこの気持ち?
……帰ってきてくれて良かった、と思うこの気持ち?
……私を置いて行かないで、という――――この穢い気持ち?
何も分からなくて。
何も考えられなくて。
それでも、その言葉で思ってしまったこと。
前みたいに、二人きりじゃなかったとしても。
何処かで、前みたいに二人で共有する何かが欲しい。
そんな事を願ってしまって――――。
私は、そんな感情を『好き』と理解した。
押し花で作る栞。
花言葉を調べても、良く分からなかった……納得できなかった幾つかの意味。
それを、今なら……多分、彼になら向けられる。
きぃ、と軋む扉の音。
机の上に飾られた、幾つかの栞。
多分、そんな言葉は知らないと思う。
気にしない物は、気にしない性質だったから。
そのうちの一つを、手に取って。
ほんの少しだけ――――私は、笑っていた。
・心的外傷の後遺症で多少記憶が混乱しています。
・両親が知り合いなので最初に遊んだ相手同士なのに、それを忘れています。
・その変化をずっと見ていたからこそ、何も言わずにいました。
・何も言わずに、一番辛い時期に傍にい続けました。
・矯正して、そして去っていきました。
・あーあ。
その内やる掌編
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