葦原天理は巫覡である 作:氷桜
本来は視覚に映るはずもない結界。
にも関わらず、今は幾つかの感覚上で確かにそれを捉えている。
視覚、硬質な硝子が割れるように崩れ落ちる光景。
聴覚、がらがら、と地面に叩きつけられるような騒がしい音。
触覚、その向こう側から吹き付ける風と肌に感じる違和感の増大。
嗅覚――――身の危険を感じ取って、咄嗟に彼女毎倒れ伏し。
『――――――――!』
声に成らない声が響き渡り。
全く同時に、目の前の美森ちゃんが膝を折って崩れ落ちる。
「美森ちゃん!?」
「ミノさん、わっしーをお願い!」
砂煙がもうもうと上がる中。
全員が神具を手に、その中へ飛び込むその一瞬先。
「え…………は!?」
「携帯端末を使わずに!?」
……実際、この光景は見た覚えがある。
但し、その場所は夢の中や神樹サマの中でのたかしーの変身。
つまり直接的に神々に接する場所でのみ起こった事象の筈。
故にこそ、今起こった事柄は異常の一言で済む話でもなく。
ほんの一瞬……砂金よりも大事な時間を呆けて浪費することに繋がりそうになり。
『
『今の天理は自ら力を発せないだけで写し身として成立しています!
守護を与えるならお前から触れていきなさい!』
『私もやれるだけやるけど……相手が若葉ちゃんだから何処まで効くかは分かんないなぁ。
それでも危なかったら声出すからね!』
耳鳴りがするほどの音量で、声が耳の内側から響いた。
うるせえ、と思うのが半分。
助かった、と思うのが半分。
文句と感謝とが混ざりつつも、混乱が解け。
だからこそに脳を即座に回転させつつ、砂埃の向こう側から精神力を振り絞りつつ顔を背ける。
色々と言うのは後回しにしろ、というお達しでもあるし。
自分自身でも今は……と思う部分が殆どだったからこそ。
「せんちゃん! タマ先輩に杏さんも!
三人の元へと駆け出し。
同時に三人も此方へ走り出す。
銀は車椅子を器用に美森ちゃんの盾のように扱い、全体像を捉えられるように方向を変える。
ほんの数秒で起こった変化。
俺が動けたのは、結局三柱の声があったから。
けれども勇者達は自分の意志で動き出していたことに、改めて尊敬の念を浮かべ。
右手を前方に伸ばしたことで伝わったのか。
彼女達もめいめいに武器を持たない手を伸ばし、ぱちん、と。
軽く、それでいて高い音を立てて
(…………っ!?)
内側の、何か大事なモノが爪で削られるように消え。
減った、粉のような何かが右手を伝って彼女達に届くような錯覚。
実際にそんな物を確認できたはずもない。
一番俺に理解しやすい感覚で言うならば、そんな形になると言うだけ。
だが、彼女達に起きた変化は何処か劇的に。
「…………あれ?」
「身体が……軽い、わね?」
「何でもいい、タマに任せタマえよ!」
光の粒のようなモノを纏ったような、次の瞬間。
まるで三人の勇者服のような、何処か新しさを目立たせた服装へと切り替わり。
駆け出した時の速度とは段違いに、一歩で大きく踏み込んで少しずつ晴れる煙の中へ消えていく。
それは、煙の内側が俺の張った結界として成り立っているというのも勿論そうだが。
今ならまだ抑えられるかも知れない、という微かな願いが籠もっているようにも思える。
「天理!」
「銀、美森ちゃんは?」
「酷く消耗してるっぽい……かな。 少なくともどっちも動けないのは間違い無さそう」
見下ろす目線。
既に慣れてしまった、とでも言いたげな諦めの表情。
言葉を投げようとしても……今は何を言っても慰めにすら成らない、と頭を微かに振る。
「すまん、任せる。 俺も突っ込むしか無いから」
当初の予定。
先程話していた予定と何処か食い違い、指先辺りを傷つけることも難しくなってしまったが。
恐らくは鎖で縛られ、そして直ぐに解き放たれる寸前と言った暴走状態の勇者を止める為。
先ずは巫女を経由して弱体化させる作戦自体は継続している。
「分かってるよ――――でも」
「ん?」
動き出そうとして、振り向いた背中へ。
「……死ぬなよ?」
「お前に言われたくねーよ」
極当たり前の……それでいて、言われることも珍しい言葉を投げられた。
お前だって去年そんな感じだった、と言えば多分水掛け論になるだろうから。
「お前が死ぬ前には死なないように努力するから、お前こそ死ぬなよ」
「分かってるよ」
互いに互いのことを縛り付け。
それでも無理するときはするんだろうなぁ、と半ば諦めながらに走っていく。
砂煙は明らかに異質に、何か空間で遮られるように此方へは漂ってこず。
その地点から俺の張った結界が作用していると判断し、一度息を大きく吸って内側へ身を投げる。
(…………いや、熱っ!?)
そんな内側と外側の差異。
明らかに何かが熱され続けているような中。
幾つかの金属音と、それを弾くような物音。
そして頭上……に見えるのは、もしかしてタマ先輩が言っていた『切り札』によるものか。
視界の端に入れながら、出来得る限り大回りをしつつ。
恐らくは多少離れたところに座しているであろう『巫女』を探して這い回る。
(全員、作戦は大雑把に伝えてるし距離は取ってくれてると思うが)
『取り押さえるために内側の巫女と俺が接する必要がある』。
何をする、というのは意図して伝えず。
何をしなければならないか、だけを短時間で伝えたこと。
何となく理解されているように、冷たい目線を向けられたけれど。
それでも今は黙ってくれていたのだから……良い女の子ばかりなのだと持ち上げておく。
そんなことを思い返しながら探し、探し、探し――――。
「……いた」
物音、熱、轟音。
肌を切り裂くような、削るような痛みが増してくる空間のやや中央寄りの地点。
目で追えない速度で戦う幾人かの勇者を背景に、地面に伏す巫女姿の少女。
「…………ぅ」
近付き、その手首を片手で取れば。
微弱ではあるが継続する血液の流入。
ただ、その巫女服は所々が裂けつつも深紅に染まり。
内側から滲み出したのだろう血液が、嘗ての光景を思い出させて一瞬吐き気へと繋がりかける。
(――――落ち着け)
俺自身は、肌の何処も傷ついてはいない。
正確には体内……魂の傷はあるものの、肉体的には目立つ怪我はない。
故に、血液を介した体液の交換は出来ず。
虚ろなように、呼吸も浅く繰り返す少女の意識は何処か曖昧だ。
先程まで、別の肉体に宿っていた――――その影響は間違いなくある。
それを癒やすためにしなければならないこと。
……それを考えれば、結局。
(……
膝の上で抱き抱える……という表現が近いのか。
或いはもう一歩踏み込んで、膝枕にも近い形と表現すべきか。
何にしろ、意識を朦朧とさせた少女を見下ろしているのは間違いなく。
言葉にならない声を発する――――彼女へ告げる言葉は一つ。
「…………
何かを発したのは分かった。
だが、今の俺にできるのはそれくらい。
相手がどんなことを願おうとも。
――――それを差し出すくらいしか、手立てが無いと分かっているから。
鮮血でなく。
真紅でなく。
……少しばかり透明さを交えた、普遍的な体液を。
彼女達に取って、一時的な猛毒を。
俺にとって、一時的な猛毒を。
互いに、唇を介して――――注ぎ、吸い合った。
・此奴本当に気をつけないと将来刃傷沙汰になって死にそう。