葦原天理は巫覡である 作:氷桜
薄れ行く、『私達』を保っている細い糸。
振動が伝わり、後頭部を覆うように走るのは眩暈にも似た干渉。
流されそうに為り、けれどそうしてしまえば
正しい意味で何が起こっているのか、今の私には理解できることではなく。
それでも根幹の何処かが必死で保ち続ける誰かの声。
(――――誰?)
そんな問い掛けを放った筈で。
そんな疑問を口にした筈で。
けれど、言葉にも成らない何かが漏れただけというのは分かった。
(……どうしてしまったのでしょう、か)
ゆらり、ゆらりと。
海に漂う漂流物のように漂うだけの意識。
それでも、その声に手を伸ばしても。
決して届かず、その前に崩れ落ちる。
そんな事を、何も捉えられていない瞳で追い掛けること幾百回か。
自分がどうしてこうなっているのか、それさえも喪失してしまいそうな暗闇の中。
『――――――――』
誰かの声がして。
いつか……誰かにしてあげたような事をされている気がしながら。
微かに濡れた。
暖かいものが触れた気がしたのは、そんな時。
(――――何?)
それが何なのか、誰なのか。
把握するより前に、急に目の前の景色がはっきりとしだす。
そんな、混乱の中の私の身体に起こった変化は……二つ。
一つは、身体の先……指の先にまで走る、痺れのような痛み。
内側から侵食してくる、内外に滲み出ようとする何かの現象。
一つは、頭部。
朦朧とする意識を繋ぎ止め、後頭部の何処かを優しく包み込むような安らぎ。
薄れていくはずだった何かが逆流するように。
ずっと、昔のことを思い出していく。
幼い頃。
■■ちゃんが道場で居合の練習をしていた事。
それを眺めて、時間が過ぎるのが好きだったこと。
彼女と過ごし、彼女の世話をして。
そうして生きていくのだろうと何となく思っていた頃。
小学校の頃。
空からやってきた怪物が、全てを飲み込み。
聞こえた声に従って、■■ちゃんを『■■』に選んだ事。
そうしなければ、私達は多分皆と同じになっていた……と思いながら。
それでも――――そうしてしまったことを悔い続けていた頃。
中学校の頃。
私達と似た友達と共に暮らした日々の事。
約束は――――結局守れずに。
私は■■ちゃんが傷付くのを見送るだけで。
応援して、手伝って……支えて、それでも。
何処か空虚を抱えていた頃。
順々に戻ってくる『私』。
それと同時に思い出してしまう。
思ってしまう一つのこと。
私は、『私自身がしたいこと』を何も持たない。
■■ちゃんの為。
同じ巫女の皆の為。
他の誰かの為だったら何でも出来るし、何でもしてきた。
少しでも誰かが泣いていれば、そうさせないようにして。
少しでも誰かが笑っていれば、傍にいるだけで満足して。
――――そんな私を、大人の人は『気味が悪い』と呼んだ。
何かがしたい、何かが欲しい。
そう思うのが当たり前なのに、欠片もそれを持たない。
まるで
それは……もしかすれば、そうなのかも知れない。
表面上、笑みを浮かべ。
内面では、ぽっかりと空いた空白を埋めるモノを求めようとして。
でも、そんな何かは終ぞ見つかることはなかった。
喪った――――二度と会えるかも分からない。
自らが選んだ■■の延命の為に差し出された友達の生命力。
眠ったまま、そのまま歴史の果てに呑まれる様を見送った友達。
喪った友人達、巫女達、『私』。
小さな箱庭を護るために、天の神へとその身を捧げた私の友達。
使い潰されるよりも先に、その身を呑まれ……そして、それを封じるために私は贄となり。
その頃にはある程度掌握していた……大赦を預ける為に。
そうさせるように操った、と大社の大人は口にして。
それを否定せず……否定できないまま。
痛みと、後悔と、悲しみで胸の内を埋め尽くしながら抗ったけれど。
結局……内側の空白は埋まることはなかった。
何が間違っていたのだろう。
求めるものが違っていたのだろうか。
方法が間違っていたのだろうか。
自分に幾ら問い掛けても、その答えは出てこずに。
悩み続けながら。
■葉ちゃんの望まないことをさせない為に、『私』を捧げ封じる日々。
――――いつからだろう。
祈りながらに、『私』よりも生真面目そうな少女の背中を見ていたのは。
――――どうしてだろう。
そんな彼女の一つ一つに、口を出してしまったのは。
――――分からないままに。
『私』よりも弱い巫女の力を持つ、■■の少女に。
羨望と……隣に立つ仲間達と。
それを見守る男の子を見ていた。
視ることしか出来ず、それ以外で支えたとしても本当に力になるか分からず。
戸惑い、迷い続けているように見えた……そんな少年。
周囲に漂う神樹様の力のような流れからすると、少なくとも普通ではないとも思えた。
それこそ、男の子の巫なんて存在。
ほんの少しだけ、気になったというのは嘘ではない。
後輩の巫女に力の使い方を教えながら。
■葉ちゃんを助ける術を探しながら。
――――もし、助けられれば。
『私』がしたいことはなくなってしまうのではないか、なんて。
虚無の中に、不思議な感情が浮かび上がった気もしながら。
普通ではない事柄は、どんどん続いていった。
自分を捧げることで、皆を助けて。
封印された皆を助けて、生活さえも支えて。
そうするのが当たり前だと、『私』と同じように考えているであろう彼。
ずるい、と思った。
自分でも良く分からない感情を抱えて。
ずっと昔の、大人達にも。
同い年の誰にも思ったことがない、虚無を上書きするような感情を初めて覚えた。
だから、教えていた子の身体を借りて。
最期に、彼に
――――私には、やはり何も出来なかった。
『私』には、何も出来なかった。
『私』だって、何かをしたかったのに。
皆の為に、何でもしたかったのに。
そんなちっぽけな願いさえ、私には何も叶えられなかった。
『ひなたお姉様――――これから、ですよ』
でも。
ぽつり、と誰かに声を掛けられた気がして。
そんな感覚と同時に、揺れていた瞳は正しく実像を映し出し。
(――――ぇ)
触れていた顔と顔。
自分の身体が酷く冷え込んでいるように震え。
けれども、顔だけは微かに赤みを帯びたままで熱を発している。
目の前の、糸が伸びた少年も。
震えと、痛みと――――後は決意とを。
あの日、私と■芸さんと……永久の別れの挨拶を交わした友達の。
その時の表情に帯びていた、似たような表情が残っていた。
「…………ぁ」
小さく跳ねた心が、あの時の後悔を映し出す。
烏丸先■と、■芸さんと。
協力者として変わってしまった関係性の、変わる前を求める心。
半分は、それを映し出し。
それを飲み込んで、全てを背負って。
私がしたかったことをしようと――――
何かが不意に、腑に落ちて。
同時に……気付けば目線で追いながら。
唇に指を当て、離し。
微かな熱を、感じ取っていたような気がする。
「……休んでいて」
喉が乾き切った時のような、掠れた声色。
そんな色を、耳元で覚えながら。
「…………私も」
気付けば。
言えずにいたことを。
あの時には、決して許されなかったことを口にしていた。
何故、と心で聞かれた気がした。
……返す言葉は、たった一つ。
胸の内の答えは、たった二つ。
「……若葉ちゃんは、私の勇者ですから」
『……私には出来なかった事をする貴方を、支えさせて下さい』
――――そんな想いを、風の言の葉に消しながら。
足を崩しそうになる彼へ、肩を貸して思いを馳せた。
※久々の変更点
・奉火祭の際にその身を捧げた巫女の変更。
・最も年下だった、嘗ては『巽』という名を持った少女は『上里』としてその生涯を閉じた。
・『上里』は年の離れた弟を産み、後年二つの血は混ざり合って一つとなった。
・故に、血縁関係上だけで言えば『祖先』に値するが。
・実際には既に痕も残らない程に離れた他人に過ぎない。
・だからこそ、それを遮る障壁は存在しないことを彼女は識っている。