葦原天理は巫覡である 作:氷桜
黄金色の髪が垂れ落ちる。
顔に掛かりそうになり、けれどそれを跳ね除けられない。
そうしてしまえば――――多分今の彼女は
俺も同時に、そうしたいわけではない。
ただ、どちらが主導権を握るのか。
そんな小さな、意地のぶつかり合いに過ぎないから。
「ん~……」
後ろ手に伸ばした手が、天井に繋がれた紐へと触れるのが見える。
一度引けば、電灯の光は一瞬にして暗闇へと代わり。
蓄光された、薄い緑色の光だけが俺達を包む。
「……そのちゃん?」
「……これで……
その余計、とは何を指しているのか。
口にするのも恐ろしくて、問い掛け直すことは出来ず。
薄暗闇の中で互いが見える、そんな距離までまた一歩近付いてくる。
「…………」
はぁ、と甘い息が顔に降り注ぐ。
彼女はただ、距離を近付けてくるだけで。
それ以上は何もせず……いや、俺自身には何もせず。
ただ、してくれるのを待っているように思う。
「……ねえ、そのちゃん」
したい、と口にするのに。
自らこうして態度に示すのに。
それ以上は、
……そして。
そんな相手の事こそを、好んでしまった俺だから。
「うん?」
「何処まで本気?」
「全部本気だよ?」
幾度となく交わしあった問い掛け。
彼女の髪の先から触れていくように、下から上へと手を伸ばす。
幾度と触れた、変わらない髪質。
誰でもそうだ、と言われてしまえばそれまでだが。
他人の温もりに触れていると、ほんの少しだけ気分が落ち着く気がする。
幾度と交差した、互いの目線。
ただ、それが今は一つの言葉のみに集約して。
選べる選択肢は――――気付けば、たったの二つになっていた。
即ち。
受け入れるか、拒絶するか。
「……ん」
少しずつ遡った手が彼女の耳に触れた。
思わず、と言った拍子に漏れた声色。
普通の、部室とかで笑っているときとは違う。
もっと純粋な、女の声色。
「そういう声、やめてくれないかなぁ……」
「出ちゃうんだよ~?」
どきりとするから、ではなく。
勇者に仕える巫として……俺が対照となっている相手のように。
誘蛾灯に近付く虫のように、意識がそちらへと向けられる。
周囲の雰囲気。
妖しい行動。
拒否する気のない態度。
――――昼間の、婚姻。
其れ等を組み合わせると、今日は……所謂『初夜』とかに該当するんじゃないかと。
変な事にも思い至り、そして彼女がこうまでして何かを求める理由も改めて察する。
(……そっか。
彼女に渡した装飾品。
彼女に捧げた三々九度。
物品と、言葉と、儀式を捧げて。
けれど――――彼女にとって一番欲しいもの。
軽口を呟き。
同衾を重ね。
自らの身体を削り、互いを護ってきたけれど。
乙女に対して……して貰ってばかりで、何も差し出していないから。
「…………」
仄かに揺れる奥底に、暗闇が映るのだろう。
或いは、その瞳は俺にとっての鏡だからか。
見たくないものを映す。
目を逸らしているものを見据える。
そういった、破魔の鏡と呼ばれる伝承上の物体のような。
「出ちゃうなら仕方ない、かぁ」
「うんうん、仕方ない仕方ない」
「ってそんな訳無いでしょ……」
言葉だけは極めて軽い。
耳から添わせた手は、彼女の頬へと周り。
そして、彼女の側からも近寄らせてくる。
「え~?」
「え~じゃなくてね?」
もっと。
はやく。
言葉は何も言わなくて。
行動だけは強く伝えてくる。
「――――せめて、さ」
「うん?」
「……いや、いいや」
雰囲気を遺して、と口にしそうになったが。
そもそもの話、それを破壊したのは俺。
こうした軽口に持ち込んだのも俺。
だから――――戻すのも、俺でなければならない。
「ね、そのちゃん」
「はぁい」
「ずっと一緒、って言ったよね」
「言ったね~」
もう片方の手を、彼女に伸ばした。
それに対して、何も言わずに。
少しだけ横目で眺めて、くすりと笑った。
「あの言葉、まだ有効かな?」
「有効も有効。 ……死んじゃっても、ずっとだもん」
その言葉を確かに聞いて。
両手で彼女の顔を支える。
少しずつ、手前に引くように。
彼女の手の支えも、少しずつ力が抜けて。
顔と顔が接する、ほんの少し前。
これに似た状態なら、今までにも何度かあったけれど。
偶然や寝る前、或いは単純にそうしたくて。
それより先に進もうとする行動は、意識的に留めていたのに。
「そう言う事言わないの」
「……でも、考えるでしょ?」
その言葉には……そうだね、と頷いて返した。
何かがあれば、俺も……或いはそのちゃんも。
他の誰だって生命を落としていた戦いだった。
そんな事を幾つも幾つも重ねて、命を拾って。
いつかは失敗して、大事な何かを喪ってしまう。
それは――――俺達にとって、一番怖いこと。
決して口には出さない、言霊という存在を信じているからこそ言えない。
起こってしまえば、俺は多分自ら命を断つだろう結果。
「……だからさ、後ちょっと。
頑張れる、元気が欲しいって思うんだぁ」
「それがこれでいいの?」
「……ほんとだったら、もっとしたいこといっぱいあるよ?
わっしーもミノさんとも……ちーちゃん達だって」
でも。
「――――こうしたいのは。 てんくんだけなのです」
そうして、彼女は普段のままの笑みを浮かべた。
「…………」
それに対し。
俺は……何かを言う権利はないと分かっていたから。
本日付で、関係性が一つか二つ変わってしまったお嬢様へ。
彼女が求める行為を捧げようと。
唇と、唇と。
小さく入り込んできた舌と。
微かに漂った……香草のような味が残るような。
乙女に捧げる、接吻を交わした。
長く、永く。
気付けば――――時間を忘れるほどの長さで。
・や、やったっ!
・そのうち東郷さんもやります。