葦原天理は巫覡である 作:氷桜
かさり、と踏んだのは何だったのか。
枯れ木、枯れ草、或いは周囲の空気。
一度だけ来たあの時の青臭い空気は何処かに消えて。
周囲は、秋の終わりのような寒気に覆われていた。
(――――冥府、か)
言われてみれば……そして実感してみれば何となく理解できる。
何処かに引かれ、そのまま沈んでしまいそうな冷気と。
胸元にいた二柱の姿は何処かに消えている。
そして、自分も何処か薄いような気配に包まれている。
肉体ではなく、その内側……魂とか霊体とか言われる存在か。
二度も無理矢理に引き摺り出されれば、その感覚にも気付いてしまう。
また一つ無駄な経験を積んだ、と思いつつ。
「……おねえちゃん」
目の前。
俺から見て奥側へほんの少しずつ移動していく、黒髪の女性に声を掛けた。
背を向け、その顔は見えないけれど――――。
今更に、彼女と別人を見間違える筈もない。
「……本当に、来たのね」
声に気付き、けれど普段と違う声色。
足を止めない。
止められない……引かれているのか。
一歩二歩、大きく踏み込めば脚が沈み込むような錯覚を覚え。
けれど無視して強く蹴り込めば、きちんとした地面の感触が返る。
「来るよ……言いたいことだって沢山ある」
「……
誰かの真似をする態度ではなく。
普段よりも物静かな――――彼女当人と思われる態度と口調。
こないで、と一言聞こえた。
その言葉は……震えていたから。
近寄る、近付く。
けれどおねえちゃんが奥に進む速度は変わらない。
否定する事もなく、抗うこともなく。
姿勢として、言葉と行動の差異を顕す。
ぽたりぽたり、と。
落ち続ける右腕の血液が道筋のようになり。
その後を追いかけるように、手を伸ばす。
手に触れる。
手を掴む。
足を止めて。
けれど、彼女は此方を向かない。
「……ねえ、おねえちゃん」
「……何?」
手の感覚はぬるりと滑り落ちそうで。
けれど、微かに震えているように思えた。
痛い、と言いつつも。
彼女は、振り払おうとはしなかった。
「……理由とか、ある?」
少なくとも今まで……俺が記憶する限り。
おねえちゃんが、俺のことを見なかったことは一度もない。
目を見て、少しだけ懐かしそうにしたり。
動きを見て、こうしたほうが動きやすいと教えてくれたり。
そんな風に、常に同じような目線で向き合ってくれていたから。
向く角度次第では見切れていたりはあったけれど。
完全に、背中を向け続けていたことは一度たりともない。
だからこそ、異常には気付けた。
気付いて欲しい、と無言で続けていた。
「……どう思う?」
主体となる言葉を発しないで。
けれど、互いが互いの意思を聞く。
少しずつ腐り行く風景の中で。
先の黄色い花畑――――恐らくは菜の花、だろうか。
其処だけが奇妙な程に輝いて見えて、恐ろしく感じてしまう。
聞かないで、と聞こえた気がした。
だから、それ以上は口にしなかった。
向かせないで、と言った気がした。
だから――――その背に、告白する。
「……帰ろう?」
「……何処に?」
その場に立ち尽くしながら。
互いの意思を知っていながら。
決定的な一言を待ち続ける。
「何処が良いの?」
「……何処でも、良いかな。 私は――――帰る場所も無いから」
聞くつもりは? と。 小さく聞こえた。
腕からの出血量はどんどん増していくのが分かる。
けれど、手だけは決して離さない。
多分、少しでも滑らせてしまえば……それが永遠の別れに繋がると。
薄々に理解していたから。
「……そういえば、おねえちゃんについて何も聞いてなかったね」
「教えてもどうしようもなかったでしょ」
苦笑が聞こえる。
当たり前のことにも気付かないで、と声がする。
耳の裏、白く痕のように伸びた傷が目に焼き付いて。
今まではこんなものにも気付けていなかったな、と自嘲する。
「…………私はね。 勇者になる以外、何もなかったの」
こんな事言うの……多分初めてなのよ、と。
告げられたのは、彼女が今まで抱いてきた。
そして、眠りに就くまでの記憶。
家族との関係。
故郷での出来事。
故に彼女が抱いた、『
何を失っても。
そう、思っていたはずなのに。
友を喪いかけ――――そして、
代償として支払われた、彼女達の巫女の生命力の半分。
大社にも、そして民衆にも。
決して伝えることはないように、その場にいた人物たちだけで口を閉ざして。
けれど返ってきたのは、無言の罵倒と他人事のように囀る人々の声。
『■■と■■■のせいで被害が出た』
『■■なんだからもっとやれよ』
『
拠点で。
故郷で。
実家で。
実父に。
淡々と呟かれるその言葉一つ一つ。
おねえちゃんの精神を切り刻みながら漏らしている、と気付いていたから。
少しずつ、声色に水分が含まれているのにも気付かないフリをした。
「……そして、私は……友達と。 嫌いで、好きだった人に呪いを残したの」
「呪い?」
「そうよ。
…………関係性を、永久に変えられないと分かっていて。
忘れないでいて欲しい、って
でも、死ねずに。
今こうして、どっち付かずの存在として漂っている。
そんな風に、自分の事を呼び続けながら。
何かを言って欲しい、と。
そんな風に、叫んでいる気がした。
「私は――――弱くて、何も出来ない。 そんな、自分のことが嫌い」
そんな私に、貴方は何を。
そんな言葉に、俺は彼女へ。
「…………でも」
「…………うん」
否定の言葉。
肯定の言葉。
どんな言葉を求めているのかは分からなくても。
何をしたいか――――何を言わなければいけないのかは、分かる。
「
視界の奥。
花畑の先。
鏡面で見るような目をした、誰かが其処で立っている。
「俺は弱くて、何も出来なくて、全部無くして。
でも――――そんな時でも、唯見ていてくれた貴女だからこそ」
両親を喪って。
二柱と出会って。
銀と、須美ちゃんと、そのちゃんと出会って。
彼女達を喪いかけて。
親類を喪って。
そして今、見ていてくれた人も喪いかけている。
「ずっと、ずっと……一緒にいてほしいって思ってる」
他に知る人が誰もいなくとも。
俺だけは、決してもう忘れないから。
年下の/子供の/弟の/異性の/巫覡の。
年上の/大人の/姉の/異性の/勇者の。
300年という、通常であれば決して会う筈のない。
永く遠く離れた貴方/貴女だからこそ。
請い、伏して祈る。
「だから――――帰ろう」
もう一度だけ、手を引いた。
今度は――――その手の動きに、抗いはなかった。
・■■■は言いました。 「決して後ろを向かないで」
・■■■は言いました。 「分かった、その言葉に従おう」
・けれど、二人は永久に別れ。 寿命という言葉が生まれました。
・■■は言いました。 「帰ろう」
・■■は――――。
・その手の動きと、脚の動きが答えでした。