星野愛久愛海の生誕
―――ゆっくりと意識が浮上して行くのを彼は感じていた。
まるで寝起きのような感覚で目を開けると視界に移ったのは真っ白な天井だった。
「(………ここは、どこだ?)」
自室との覚えがない天井を見ながら、寝起きのような思考の中考えていたが、答えは見つからない。そもそも、自分がこのような天井の自室に住んでいたかも曖昧だった。
ならば確認せねば、とばかりに起き上がろうと手足を動かしてみようとするが反応が鈍い。いや、動かしてはいるのだが、起き上がれそうな感覚はない。手足がバタバタしているという感じだろうか。
なんとなく動かせる手を目の前にもってくれば、眼下に広がるのは大人の手ではなくどう見ても子供―――それも、赤子の紅葉手といわれる小さな手である。
「(………俺は、一体どうしたんだ?)」
不可解な現状について考えてみるが答えは出ない。では、何が起きたのか昨日の記憶を探ってみようと思うが、それもままならない。霧の中に入ったように思い出せない感覚に恐怖を覚えてくるほどである。
そんな彼に福音を与えるようにガラガラとドアをスライドするような音と誰かの足音が同時に聞こえてきた。
「よぉ、どうだ、調子は?」
「うん、絶好調だよ!」
「そりゃよかった。ところで、そろそろ、子供の名前決めたのか?」
「うん! もちろん!」
男の声とまだ若いであろうと推察できる女の声が聞こえた。彼にとっては聞き覚えのない声であるような、いや、どこかで聞き覚えがあるようなと困惑する声である。
そんな彼の心情を無視して彼らの会話は続いていく。
「ほぉ、お前が命名ね。それはそれで不安があるんだが、どんな名前だ?」
「うん、女の子の名前は星野
あんまりに、あんまりな名前に一瞬周囲の雰囲気が凍ったような気がする。100人に聞いたら150回は頷くほどに(1人につき複数回可)堂々としたキラキラネームであることは明白だ。
だが、おそらくこの部屋にいる人間の中でその沈黙の意味が異なる人間が一名だけいた。
それが、先ほど意識を覚醒した彼である。何しろ、先ほど女性の声で告げた名前に聞き覚えがあるのだから。
「(………え? なんだって)」
当然ではあるが、彼らの空気が凍るのは理解できる彼であったが、彼自身の思考が停止するのはそれ以外の理由だった。
「(おいおいおいおいおい!)」
その理由は彼自身の記憶にある。彼の記憶に間違いなければ、彼も好きだったあの漫画の主人公の名前であり、これから途轍もない苦労を強いられる主人公という立ち位置なのだから。
そして、それ以上に問題なのは、仮にこの部屋に先ほどの発言者以外の誰もいないとすれば、赤子と呼ばれる存在は二人であり、その一人が自分と考えれば、発声できない、体が動かせないなどの事象にも説明がつき、この現在の混乱しながらも情報収集している最中に説明がつくものであった。
断片的には聞こえる会話を基にするとキラキラネームと言い争う声もするが、それらを無視してでも彼には思考の海に入る必要があった。
「(………え? 星野
彼の中で混乱は続く。当然だ。彼の中の記憶によれば、その名前はあくまでフィクションである主人公の名前だからだ。なお、この場合、女の子の名前も告げられたが、彼の感覚的に男なのでどちらか、という葛藤は割愛とする。
彼の中の懸念としては本来、この体に入るべきである雨宮吾郎である。彼は本来、ストーカーであるリョースケに殺される医師であり、アイが殺されたのちに復讐に邁進する主人公である。
なり代わりというのは二次創作ではよく見られるものであるが、彼の中ではその感覚に追いつけない。
なぜ? なぜ? なぜ? という疑問ばかり浮かび上がる。その疑問に回答してくれるものは誰もいないが。
さて、一旦、なぜ、という疑問は棚の上に置いて思考したとして、仮に彼が星野
原作のまま理解するとすれば、崖の上から落ちて、星野
赤子の身というのにダラダラダラと冷や汗が流れる感覚がする。
自分がアクアになっていると仮定するのであれば、まったくもって意味の分からないことである。アクアの中にいるのが自分だとして雨宮吾郎としての魂はいったいどうしたのであろうか? この自身が誰かすらもおぼつかない何かに置き換えられたのだろうか?
謎が謎を呼び、彼の心が混乱している最中、血縁上の親であるアイとその保護者である社長の言い争い最中でそれを咎めるようにノックが鳴る。
そのノックにいったん彼らは会話をやめてアイはいつも通りの笑顔を浮かべて「は~い」と反応し、言い争っていた社長も何も言わずに訪問者を迎え入れる態度で出入口を見ていた。
「星野さん、どうですか? 問題ないですか?」
これもまた彼がどこかで聞いたような声をあげながらドアを同時に開けていく。
「あ、せんせ、ひどいんだよ。佐藤「斎藤だ!」社長が、私の考えた名前にケチつけて―――」
あれ? と彼は思う。扉を開けて現れた彼の姿は、彼が記憶する中では、今、この場に存在するはずのない姿でなぜ平然とこの場に現れることができるのか、その理由を説明することができない存在だった。
当たり前だ。彼が星野
困惑する彼をよそに事態は進んでいく。ノックに対して現れた彼に不満げな声を上げるアイ。それに覆いかぶせるように社長の声が部屋内に響く。
「あ、先生、ありがとうございます。こうしてアイも問題なくこの事態を乗り切ることができました」
「いえいえ、それはあくまでも星野さんが努力した結果であり、僕はその手助けをしただけです」
あはは、と後頭部をかきながら挨拶する男性は彼の記憶が正しければ、本来であれば彼が認識しているこの身体に憑依すべき人物―――雨宮吾郎であった。
「(………おいおいおい! ゴローせんせ、生きとるやん!?)」
彼が憑依したキャラクター本来の口調もあきらめて本音で叫ぶことしかできない彼であった。