「――――お前の人生は真っ暗闇だっ!!」
真っ黒なフードを被ったアクアが気持ち悪いストーカーを演じて叫ぶ。
「(―――嗚呼、嗚呼、私はきっと、こういう演技をやりたかったのだろう)」
この涙が、演技なのか、あるいは本物なのか、その区別は見ている人には関係ないだろう。私―――有馬かなとしても同じだ。
この舞台で泣けない役者はいない。たとえ、自分が、泣くことを得意技としていなかったとしても、この場面で泣けない役者は嘘だ。
だから、私はフードに隠れているだろうが、おそらく笑っているアクアに感謝しながらセリフを口にする。
「――――それでも、光はあるから」
※ ※ ※
有馬かなは、長年住んでいた事務所の寮の部屋を片付けていた。
年齢が中学生を卒業し、高校生になるため契約の任期満了に基づき、退去を求められたからだ。悪くいえば追い出された。
もっとも、かなはまだ良いほうかもしれない。彼女は子役時代に残した家が残っているのだから。
練習用の台本、端役で出た台本など、それぞれ付箋でいっぱいになった冊子を片付けながらかなは暗い気持ちで感慨深く思う。
小学生高学年ころから子役の事務所からは仕事がなくなった。それからは小さなころから所属したこともあり、いつくるかわからない仕事を待つ傍ら、役者稽古に励む日々。
暗闇の中を歩くような日々だった。いつか光があると信じて、そんなものは見えない中、ひたすらに稽古に邁進した日々。
―――誰か、私を見て。
心の中でそう叫んでも、誰も見てくれない日々を地獄といわず、何といえばいいのだろうか。
幼いころの高慢な態度を反省し、周囲を生かす演技を心がけ、練習する日々。それでも演技の仕事は全くなく、ネットでは育成に失敗した子役と呼ばれる始末。自分の名前でエゴサすれば、酷い結果しか出てこないのに、やめられないのは役者の本能だろうか。
ついには、長年お世話になった事務所の寮からも追い出される有様。この先どうすればいいのだろうか、このまま役者の世界にしがみつくべきだろうか? と自問してしまうほどだ。
そう考えていたのに、次の春から通うのは高校は陽東高校芸能科だった。本来は芸能事務所に所属する必要があるのだが、未だに『天才子役』有馬かなの名前はフリーとなった今でも有効だったようだ。
だが、ただ、それだけ、仕事もなければ、稽古にはフリーで参加させてもらうという立場。過去の栄光に縋り付いていると言われてもそれは中傷ではなく、ただの事実だろう。それが、かなにとってはただただ悲しい。
過去の栄光――――ああ、そう称するのが正しいだろう。だが、その時代があったことも事実なのだ。ならば、役者なら再びそれを望んで何が悪いというのだろうか。
のろのろと事務所の寮の部屋にある荷物―――主に端役として出演した台本を片付けながら、床に転がっていた雑誌が目に入った。
それは、星野アクアが表紙となったメンズ雑誌。落ちぶれた有馬かなと異なり、星野アクアは子役から、メンズモデル、かなが躓いた小学校高学年も一年ほどドラマから遠ざかった後―――中学生が高校生を一足飛びに演じることで、今では、子役を超えて若手俳優の中で実力派かつイケメンの有望株といわれる存在となっていた。
アクアの才能はかなとしても理解できる、理解できてしまう。端正な顔立ち、細いキラキラとした日本人離れした金髪、男性らしさを醸し出す体の鍛え方。すべてが役者として際立っている。これで、演技が下手であれば、売れなかっただろうが、どんな役どころにも合わせてくる器用さも持つ。
さらに来年にはこの世代では一際目立つ女優である不知火フリルとの共演で映画も決まっているらしい。
幼少、小学校低学年で共演したころとは雲泥の差とはこのことか………
「は、はは、ははははは………」
なにが、プロの現場だ、なにが、コネだ。その時、否定したすべて今の有馬かなに必要なものだったと今更ながら気がついた。あの時、気づいていたら今の状況は、変わっていたのだろうか? あるいは、何も変わらなかったのだろうか。それは、かなにもわからなかった。ただ、今の現実は、星野アクアは躍進し、有馬かなは所属していた事務所からすら追い出されようとしている現実だ。
泣きたくなる。いや、泣くのは演技の中だけでいい。今は月末には出ていかなければならない寮の部屋を片付けることが――――
「あっ………」
多くの台本の中から崩れ落ちてきて、目の前に落ちたのは、あの時、子役時代に初めてアクアと出会った台本『それが始まり』であった。
―――懐かしいな
あの現場では、アイにも出会って、この人は芸能界で頂点に君臨するんだろうな、と勝手に思っていた頃だ。まさか、義弟まで若手男性俳優の頂点に近い位置に立つとは思っていなかったが。
懐かしさに胸を焼かれながら、ぱらぱらと台本をめくっていると、その間に挟まれていた何かが目の前にひらりと床の上に落ちた。
「これは――――」
床に落ちた紙を拾うとそれは一枚の名刺。かなも幾らでも貰ったもののひとつだった。ただ、それは特別で『星野アクア』の名前で記された、今であれば争奪戦になりかねない名刺の一つであった。
声が聞きたいと思ったわけではない、話をしたいと思ったわけではない。ただ、先ほどのアクアと比較してしまったがゆえに気になり、その名刺に載っている名刺に記載された電話番号と同じ番号をスマホで打ってしまった。
数秒後の呼び出し音の後に電話に出たのは、若い女性の声だった。
『はい、苺プロ、ミヤコですが………どちら様でしょうか?』
「えっと……私、有馬かなと申します、星野アクアさんの電話番号ではなかったでしょうか?」
思っていた人物とは異なる人物が出たことで焦るかなだったが、なんとか自分の名前を告げて、相手の回答を待っていた。
いや、そもそも、今の苺プロダクションの規模を考えると、いきなり切られなかっただけでも御の字かもしれない。
『ああ、有馬かなさんね……、この電話番号を知っているってことは、子供のころアクアと共演した時に渡した名刺かしら?』
「そうですけど」
『今は、アクア用のマネージャーへ電話がつながるようになっていたから。この番号でアクアの名前を呼ぶのは珍しくて。それで、アクアに何か用かしら?』
そう言われて、かなは言葉に詰まった。偶然見つけた名刺に書かれていた星野アクアの名前を見て、反射的に電話をかけただけなのだ。そこに目的などはない。
仮にアクアが電話に出たとしたら、かなはなんと答えていたのだろうか。それさえもわからない。
「えっと――――あの、アクアに少し話があっただけです」
『そう? あの子も忙しいから折り返しがあるかどうかわからないけど、この電話番号は伝えてもいいのね?』
「あ、はい……お願いします」
特に話す内容も考えていなかったとはいえ、何も言わないわけにはいかないと思い、思わず伝えたいことがあると言ってしまった。
しかも、ミヤコはそれを疑うことなく、アクアに伝えると言っているのだから驚きだ。確か、ミヤコは子役のアクアにマネージャーとして付いてきていた関係もあって有馬かなのことを知っていることも影響しているのだろう。
それだけを告げて携帯を切る。いつもの待ち受け画面に反射する自分の顔はどんな顔をしているだろうか。
情けない顔をしているだろうか、残念そうな顔をしているだろうか、あるいは、安堵しているのか。そんなことを確かめる勇気のないかなは、やがてのろのろと立ち上がると、引っ越しの準備をしないと、と用意していた段ボールに荷物を詰め込み始めた。
一心不乱というにはやや遅いかもしれないが、何も考えないように荷物を段ボールに詰める作業を続けていると、突然スマホの着信音がなる。
ディスプレイに表示された電話番号には電話帳に登録されていないのか、名前ではなく番号だけが表示されていた。仕事柄知らない番号から電話があることは珍しくなく、かなはいつも通り通話ボタンをタップした。
「はい、有馬です」
『有馬か? アクアだ』
「………は?」
思わず呆然とした声が出てしまった。
『なんだ? ミヤコさんから、話があるって聞いたから折り返したのに』
「え!? いや、え!? あんた、アクア? 星野アクア?」
『だから、そう言ってる』
かなの頭は混乱していた。確かにミヤコに折り返しを依頼した。だが、その日のうちに折り返しがあろうとは思ってもいなかったからだ。
アクアが出演するドラマや雑誌を見れば、時間がないのはわかっている。ましてや時間が制限される中学生だ。なのに、こんなに早く電話があるとは思っていなかったのだ。
『それで、話ってなんだ?』
「――――っ!」
もともと自分でもなぜ電話したのかわかっていないのだ。それ以上に話なんてあるわけがない。あれはただの言い訳だった。だから、言葉が出てこない。
『………何もないなら切るぞ』
「ちょっと待って!」
自分でも何を言っているかわからなかった。何を話したいのだろうか、事務所を退所して、フリーになること? アクアの最近の活躍? 自分の情けなさ? もう、かなの頭の中は何を話していいかわからないほど混乱していた。
『はぁ………ならゆっくり話すか。明日、17時に苺プロの事務所な』
「は?」
プチっ、という音と共に切れたスマホには、星野アクアの電話番号と通話終了の文字が並んでいた。
「はぁ?」
星野アクアから電話がかかってきたと思ったら、なぜか、次は苺プロに呼ばれた。怒涛の急展開に有馬かなの脳はついていけそうになかった。
翌日、17時、SMSでわざわざリマインドしてきたアクアに驚きながらも、有馬かなは、苺プロダクションの事務所があるビルの前に立っていた。
十年前までは、ビルの一室だったが、B小町のアイドル部門、B小町の各メンバーは卒業後、各自が得意とする分野への芸能界へ散らばり、活躍していた。特に女優部門のアイは、かなが子供のころ想像した通り、売れるべくして売れていた。ドラマの世界では、どんな役柄でも演じられる主演女優として活躍していた。
所属する人員も多くなり、規模が拡大した苺プロダクションは自社ビルという形で本社を構えるようになり、かなの立っている前のビルすべてが苺プロダクションになっていた。
「(………ここにアクアがいるのよね?)」
SMSに書かれた住所が現在の場所であること、現在時刻が呼び出された時間の少し前であることを確認し、面接ではないとはいえプロダクションに行くのだから自分の服装が浮いていないことを確認したかなは、よしっと気合を入れて苺プロダクションのビルへと足を進めた。
入口の受付で、名前を告げるとすでにアクアが予約していたのか、すんなりと入館証をもらい、アクアが指定していたであろう会議室の場所を案内される。アクアを呼んでくるので待っているようにいわれて、素直に会議室に用意されていた椅子に座って待つことにした。
「悪い、待ったか?」
待つこと数分、ガチャリというドアを開ける音がして、誰かが入ってくる気配があった。その声はテレビ越しに何度も聞いたことがある声であることは間違いない。
「アク――――っ!?」
アと続けようとして、息をのんだ。
直接会うのは、かなの仕事が減る前の小学校低学年の頃が最後だっただろうか。その頃までは、かなよりも身長が低く、声も高い、天使のほほえみを持つといわれるような可愛い男の子という感じだった。だが、今、目の前にいるアクアは、身長は優にかなよりも高く、声も声変りをしたのか低い男性の声になっていた。練習中だったのかシャツと運動用のズボンという服装で容易に体つきが分かり、モデルに影響が出ない程度に鍛えていることがわかる。かなの記憶にあるアクアからあまりに男性らしくなっており、思わず息をのんでしまった。
いや、雑誌などでへぇ~とは思っていた。雑誌のキャッチコピーでもイケメンモデルの中に普通に入っていたので、理解はできていた。だが、直接目にすると破壊力ははるかに違った。
「久しぶりだな、有馬? どうした?」
「べ、別に何でもないわよ」
名前を呼ぶことを途中で止めた有馬を怪訝そうにしながら、有馬の対面の椅子へと座る。
「それで―――何かあったのか?」
「――――」
その言葉だけで浮ついた心が一気に氷点下まで凍った気がした。
正直に言えば、何を話すのか、その内容を一日かけても思いつかなかったのだ。正直に今の現状を話せばいいのか、だが、それをアクアに話してどうなるというのだろうか。
アクアとて一俳優だ。落ちぶれた子役のことを話されても困るであろう。愚痴をいうために電話した? 生憎、有馬かなと星野アクアはそんな関係性ではない。
「――――事務所をやめるんだろ?」
俯いて一向に何も話そうとしないかなに突然、爆弾を放り投げるアクア。やめる、と告げたのは彼の優しさだろうか。正確には辞めさせられるが正しいのだが。
「あ、あんた!? 何で知って――――」
「なんでも何も、有馬の事務所は子役事務所で年齢制限あるし、かといって移籍の話もないから当然だろう?」
アクアのいいように絶句する。自身の現状をアクアに知られていた。それがショックだった。惨めに落ちた自分の事を認識されたくなかった。
「………? 苺プロに入りたいって話じゃないのか? 昔のツテで相談に来たんだと思ったんだが」
「え?」
想定外の話に困惑するかな。そんなことは考えていなかった。かなとしては、演技を続けていれば、いつか事務所からスカウトがあると思っていたからだ。
だから、自分で売り込みに行くということは考えていなかった。
「なんだか、俺の勘違いみたいだが――――どうする?」
「どうするって………」
「苺プロに入るか? って話だ」
「はぁ!? ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 話が急すぎるわよ!」
何を話していいのかわからないが、とりあえずアポイントメントは取ってしまったので来てみたら、まさかの事務所への勧誘。あまりの事態にかなの頭は混乱状態だった。
「といわれても、こちらは電話とかではやりにくい話だと思っていたんだが」
「大体、あんたに判断できる権限はないでしょうが!?」
「いや、もうミヤコさんには許可はもらってる。あとは有馬の意志だけだ」
二度目の絶句。いつの間にか、副社長であるミヤコの許可は取っているらしい。昨日の電話から今日の会議室での出会いまで一日しかなかった。それなのに、もう許可まで取れている? 通常であれば、入所させるために演技力を確認したりするのではないだろうか?
「い、いや、許可って、私、昨日の電話しか話してないんだけど………」
「有馬の出演している作品は全部見てるからな。役者としての力量は俺のほうで保証しておいた」
「保証しておいたって、あんた――――私の出た作品を全部見てるの? なんで!? 私は――――」
落ちぶれた役者、その肩書が重しのように乗っていた。旬を過ぎたころから、最初はスタッフが、次は家族が、最後はマネージャーまで誰もがかなを見捨てた。見なくなった。演技を見せる消費者が集まるネットはもっとひどい。すでに終わった人扱いだ。誰も彼もが旬の天才子役だった有馬かなを見て、今の有馬かなを見ていなかった。
それを証明するように仕事もなくなり、ただ暗闇の中あがくように稽古を続けて、この一年は何度も何度も引退の文字がちらついていたというのに――――
「いい演技をするやつを追いかけるのに理由が必要か? ―――――俺は有馬かなを役者として評価してる」
何を当然のことを、という口調でアクアが言う。今を時めく役者の一人である星野アクアが有馬かなを評価してるだって。信じられない。だが、かなの目の前にいるアクアは、その言葉に何も疑いを持っていないように真顔で口にしていた。
「ほん、とうに? 本当に、私の演技はあんたに評価されるほどなの?」
「有馬の作品はずっと見て、監督の元で演出の勉強もしてるんだ。少しは信用してくれてもいいと思うぞ」
その言葉が、かなの中の何かを満たしてくれたような気がした。たぶん、ずっと誰かに言ってほしかった言葉。
自分の演技を誰かに見てほしかった。すごい、と言ってもらいたかった。その言葉が欲しくて前も後ろもわからない暗闇のなかもがいてきていた。それが今―――報われた気がした。
「おい、なぜ泣く?」
「え?」
自分でも気づいていなかった。だが、確かにほほを涙が伝う感触がする。気づけば涙腺が崩壊するのは一瞬だった。
意外なことの連続で気が動転したからかもしれない。泣くことは得意であっても、自然と流れた涙を止める術はない。しかも、流れる涙は止めようと思っても止まらない。
「おい、バカ、女優が袖で目をこするやつがいるか」
思わずといった感じでアクアが反対側から回って、かなの手にアクアが持っていたハンカチを手渡し、落ちつけるように背中をなでる。
かなは、袖で拭うのをやめてハンカチを当てるようにして涙が流れないようにしていた。
「色々あったんだろうが、有馬の頑張りは無駄じゃなかったと思う。悪いのはプロデュースだけだ。また共演しようぜ」
その言葉にまた涙が流れる。今日、この男に何度泣かされればいいのだろうか。かなはただ無言で頷くことしかできず、涙はしばらく止まりそうになかった。
今日あまの最終回の前に有馬かなの苺プロまでの道筋です。
長くなりすぎたので前後編です。明日には出したいと思います。
誤字脱字報告毎回ありがとうございます。大助かりです。
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