「ア~クたん! おは、よう!」
「ぐっ………、それは甘んじて受けよう。おはよう」
二回目の収録時、朝一でアクアに手を振り満面の笑みを浮かべながら駆け寄ってきたのはメムだった。
ただし、その顔には何かを企んでいることがありありとわかる表情だった。大体何をするか予想がついたが、アクアは罪悪感からその拳を甘んじて受けた。
収録は基本的には『今からガチ恋始めます』の配信週の土日に行われる。さらに、メムは配信日の夜に配信枠をとっている。そこから導き出される答えは一つだけだ。
「ど~するのさ!? 私のチャンネル! 無茶苦茶なんだけど!!」
「いや………すまん」
アクアとしても予想外だったのだ。フリルチャレンジは最初にメムに近づくための手段だった。エンターテイナーのメムであれば、一時のイベントと捉えて、今後、アクアに絡む際の話題にしてもらえる程度の仕掛けだったのだ。
だが、まさか、それが生配信に不知火フリルが正規のアカウントで登場し、赤スパチャを投げるなど誰が想像できるだろうか。しかも、「MEMちょの乙女面いただきました。最高です」などと書かれるとは。
しかも、当然のように切り抜きが大量発生し、「フリル様が見てる」というタグもトレンド入りをし、それがチャンネルへの流入を加速させるというある意味好循環なのだが、徐々に増やしたのではなく、一気に登録が増えるというのは雑多な登録者を増やすということになる。
そのため、現在のメムのチャンネルは興味本位で来ただけの登録者と以前からの登録者で玉石混交となり混乱しているのだった。
「だが、登録者数は増えただろう?」
「登録者はね! ただ、今、生配信しても『今ガチ』と不知火フリルの事しか話題にならないから別の枠ではあんまりできない感じだよ。『今ガチ』の配信日以外は動画でしばらくは凌ぐしかないかな」
普通の配信枠で生配信したとしても枠外の事を聞かれてしまう状態は、混乱しているという一言では言い表せないほど無茶苦茶な状況だった。
今のメムにできることは、しばらく生配信は『今ガチ』の枠だけにして、ほかは普通の動画投稿でお茶を濁すということだった。
「だから、今まで以上にアクたんに絡みにいくから覚悟してよね」
「ああ、ならちょうどよかった」
「へ? 何が?」
生配信のネタにするために今まで以上に絡み行くと指をさして宣言するメムだったが、それをいなす様に受けるアクア。もっと面倒くさそうな顔をしてくれるとでも思っていたのだろうか、メムは意表を突かれたような表情をした。
「フリルチャレンジ。実は、あんまりすんなりいきすぎて面白くないって言われてな。続編が出た」
「は? へ? ま、まだ続けるの? あれ?」
「怖いのか?」
揶揄うような顔。アクアの言葉にはあの時の醜態のような表情をさらすのが怖いのか? という意味だが。もちろん、メムからしてみれば、あのような表情を配信されるのは怖い。だが、ファンが増えるのも確か、撮れ高が高いのも確か。ならば、自ら泥沼に片足を突っ込んでいることがわかっていても進むのがユーチューバー。
「そんなわけないじゃん、逆にアクたんを年上の魅力で照れ顔にしてやる!」
「年上……ね」
メムの言葉にアクアは思わず上から下まで眺めてしまう。確かに体形―――骨格自体がもともと実年齢よりも幼いのだろう。高校生といわれても問題ない体形だ。だが、アクアは知っている。彼女の本当の年齢を。おそらくメムは公式設定の18歳とアクアの16歳で高校三年生と一年生の差といいたいのだろうが、アクアからしてみれば、成人してんだよなぁ、と思わずにはいられない。それで年上の魅力といわれても―――。
「おい、今どこ見て笑った」
「別に、どこも見てねぇよ」
答えないほうが彼女のためだろう、と思い、アクアはつい、とメムから目をそらした。それだけでメムからしてみれば答えになっているのだが。
「ああ! もう! 絶対、後悔させてやる!」
「まあ、頑張ってくれ」
怒髪天を衝く形相でメムがアクアに宣戦布告すると、冷静に受けて立つようにアクアが答える。まるでバラエティー番組のような関係が二人の間に成り立ったのだった。
なお、当然のことながら彼らは定点カメラの位置を意識して会話しており、第二回配信のオープニングはこのシーンから始まるのだった。
※ ※ ※
「私………もう『今ガチ』やめたい」
ゆきが発した言葉に全員に衝撃が走る。もっとも、アクアとしてはいつかやると知っていたため、あまり驚きはなかったが、知っていることを知られるのがまずかったので、驚いた演技はしておいた。
その後の展開は原作と同じだ。ただ、アクアは「ほ、本当に辞めちゃうの?」などと聞こうとしていたあかねの肩をつかんでカメラの外に出した。
ここで女側が発する言葉はそれではないからだ。正解は、メムが口にするように、自分の状況も踏まえて辞めたいと思ったことはある、という共感性の高い言葉。そして、男側の発する言葉は―――
「俺がいつでも話を聞くから。ゆきが辞めるなら俺もやめるからな!」
「ノブくん……」
「そんなこと言わないで続けようぜ!」
ここ数回の撮影でノブくん呼びになっていたゆきとノブユキの関係性としては妥当だろう。その答えとして、ゆきは―――
「私は――――少し考えさせて」
と答えたところで、今日の撮影は終了した。
なんとなく空気が重い。誰もが先のゆきの発言が気になっているのだが、掘り返そうとしない。すでに撮影としては解散になっており、スタッフたちは片づけを開始していた。リアリティーショーをやってきたスタッフなのだ。こういう事態には慣れているのだろう。
「さて、今日はなんか残って何かする空気じゃないから帰るか」
「アっくん!」
いつも通りの感じでアクアが答えたのをノブユキがなんでいつも通りなんだよ! というような感情を乗せて制止の声を上げる。そんなノブユキの声を聞いてゆきはやや気まずそうだった。その気まずさは、最後の最後にそんな話題を出してしまったことか、あるいは、ノブユキが発言を本気にしてしまったことへの罪悪感か……
「ノブ―――ゆきは考えるといった。なら、俺たちはゆきが何か言うまで待つだけだ。ノブはいつでも話を聞くんだろう?」
「当たり前だ」
そういう裏表のないお前がすげぇよ、とアクアは本気で思う。顔を今度はノブユキから、メムが隣で、大丈夫? と心配しているゆきへと移す。気まずそうな表情はそのままだが、先ほどの発言の間の演技は、役者の目線から見てもファッションモデルをやめて脇役からやっても十分じゃないか、と思わせるほどだった。
「次の撮影の時には答えがもらえるんだろう?」
「………うん」
浮かない表情でゆきが答える。
そう答えるが、回答は決まっている。『続ける』の一択だ。それをアクアは知っている。全員、途中で離脱などできないことは知っていると思うのだが、ゆきの演技が思った以上に迫真すぎて契約関連の縛りまで誰も気づいていないようだった。
おそらく、もう少し冷静になれば、みんな気づくだろう。いや、メムは気づいているようだが、空気を読んでいるだけか。ノブユキはおそらく本当に気づいていないだろう、と思った。だからこその先ほどの裏表のないセリフだ。
「(こういうのが見られるならリアリティーショーも悪くない。)」
演じていない本音の言葉。これに近づけば、演技は本物になる。あの言葉を聞けただけでも今日の撮影は十分な成果があったな、とアクアは思った。
「だから、今日はもう解散だ。また来週」
この茶番劇の重々しい空気にはいたくなかったアクアは、そそくさと教室から出ていこうとしていた。だが、一つ、もうそろそろ動かないと時間が無くなってきたような気がしたアクアは、先ほど肩を引いて、発言させなかったあかねの傍を通る際に誰にも聞こえないような声で囁いた。
「―――話がある。時間はあるか?」
「えっ………あ、うん」
アクアが皆に聞こえないように言ったことに気づいたのか、あかねも小声で回答する。
「じゃ、場所は連絡する」
それだけ伝えて、アクアは教室を後にした。
そのアクアの後ろ姿をゆきの周囲に集まり、説得しようとしているノブユキ、ケンゴを他所に、あかねにのみ何かを伝えていたことに気づいたメムが、ははぁん、と何かを理解したような表情をして見送っていた。
「それで、話って何かな?」
撮影現場から少し離れた場所で、私服に着替えたアクアとあかねが個室のある喫茶店の一室で向かい合って座っていた。なお、あかねはこのような場所に来るのが初めてで、撮影現場を出てから合流したアクアに案内されるままに付いていって、店の個室に入った時は初めての経験でドキドキしたものである。
アクアとあかねが頼んだ飲み物が届いた後に口火を切ったのはあかね。
シチュエーションだけ見れば、告白する前の男女のように見えるが、そこにアクアが発する少し重い空気を足せば、別れ話にも見えるから不思議である。
「あかねは、今ガチ、どうするつもりだ?」
「どうするつもりって………続けるよ。お仕事だし」
「そうじゃなくて―――気づいているか? あかねがこの数回で配信に出た時間がほとんどないことに」
『今ガチ』は最初の配信から数回の配信が行われたが、そのほとんどは熊野ノブユキ、森本ケンゴ、鷲見ゆきを中心に構成されていた。あとはアクアとMEMちょのやり取りとそれに巻き込まれる黒川あかね、という感じだろうか。アクアとメムは、時々ゆきやノブユキ、ケンゴにも絡むため、そこそこ配信に映っている時間もあるが、『恋愛リアリティーショー』という括りで見た場合、構成の中心は鷲見ゆきを中心とした恋愛模様になりそうだ、というのが大方の見方である。
そして、アクアの指摘はあかねも気づいているのだろう。顔をうつむき気味にして気まずそうな表情をしていた。
「う、うん、だからディレクターさんに色々、助言をもらってるんだけど……うまくいかなくて」
ははは、と乾いた笑みを浮かべるが、彼女はなぜ自分がうまくいっていないのかわかっていないのだろう。
いろいろとフォローしてきたつもりではあるが、やはり素の黒川あかねのまま参加している以上、なかなか思ったようなリアクションが引き出せず、アクアとしてもそろそろこの恋愛リアリティーショーの構成が固まる頃と判断して、あかねの意識を改革するために呼んだのだ。
だが、その前に少し確認したいことがあった。
「話は少し変わるが、あかねは、このリアリティーショーに参加する前に事務所から何か話はあったか?」
「え? いつも通りだけど? この仕事があるから、撮影に出てくれ、ってスケジュール渡されて………」
「………役どころの説明や、リアリティーショーに対する説明は?」
「ううん、いつも通りやればいいから、としか………」
確かにあかねがメインとしている演劇であれば、その説明でも問題ないだろう。だが、今回は恋愛リアリティーショーだ。役を演じるのとは違う。ある意味、素の自分をみせる番組だ。それに対して、いつも通りやればいい、と送り出すとは。だから、あかねはディレクターに助言を求めて、その通りにしようとしたのだろう、とアクアは考えた。
演劇の舞台で演技の指示をするのは演出家だ。役者はそこからのみ指示を受け、ほかからは指示を受けない。なぜなら、誰か別の人に聞いて演じ方が異なれば、周りとの演技に差が生じるからだ。だから、演出家からしか指示は受けない。今回はいつも通りを、貫き通し過ぎていた。
それはあかねが悪いというわけではない。このクソ真面目な少女の性格を理解せず、何の説明もなくこの番組に送り出したマネージャーや事務所が悪い。なのに、東奔西走しているのはアクアだ。彼らが少なくとも普通の事務所のようにあかねを指導していれば、アクアもここまで苦労することはなかった。
そう考えるとあかねが所属する事務所に対して怒りがわいてきた。
鏑木Pに貸しの一つまで使って参加したのに、もしかしたら、この貸しでもっと大きな舞台に立てたかもしれないのに、すべての元凶は大人だったとは。
「――――ふざけるなっ!」
あまりにも情けなすぎて、理不尽すぎて思わず怒鳴ってしまう。アクアの怒声に驚いたのか、あかねはビクンと肩を震わせて、自分が何か怒らせるようなことを言ったのか、と不安げな様子で恐る恐るアクアに声をかける。
「あ、アクアくん?」
「あ、すまない、別にあかねに怒りたかったわけじゃないんだ」
すぅ、はぁ、と大きく深呼吸をして感情を整える。感情をコントロールするのは得意分野の一つだ。いったん、あかねの事務所への怒りは抑えて、アクアは真面目な顔をして、あかねに向き直った。
「あかねが参加しているこのリアリティーショーといわれる類の番組は世界各国で放送されているが……自殺者が出るほどある種、危険な番組だって自覚あるか?」
「え?」
初耳だったのだろう。事務所が選んできた仕事だから専念した。今までもそれで問題なかった。だから、特に調べることもなかった。
あかねが怠惰だ、と言えなくもないが、そのあたりをあかねが行わなくていいようにするのが事務所、マネージメントの一部だ。だから、怠慢というべきはやはり事務所だろう。
アクアの口から出てきた自殺者という言葉に顔を青くする。
「もっとも、主な原因はSNSなどによる誹謗中傷による心の傷が原因だ。あかねだって、エゴサぐらいするだろう? 今ガチの番組でもいいが」
「う、うん」
アクアもエゴサはする。自分の評判、いい、悪いも含めて匿名で雑多なものが多いが、それでも自分の立ち居振る舞いについて参考にするためにも見ている。もっとも、酷い誹謗中傷に関してはスクショを取って、苺プロの法務部へ直行させている。
なお、ルビーは幼少のころからアイについてアンチにレスバしていたが、少し前から、アクアと同様に法務部へ法の裁きを受けさせる方針に変えたようだ。普通の人であれば裁判という重みに耐えきれず、和解金を払うのだが、それがアイの収入の一部になるのが嬉しいらしい。
「私は全然話題になってないけどね……」
ははは、と乾いた笑いを浮かべるが、それが問題だろうに、とアクアは思う。
SNS上の評判は、やはりノブユキとゆき、ゆきとケンゴの恋愛関係が注目されている。どちらとくっつきそうか? というものだ。なお、積極的な方が名前が先に来ている。
あとはMEMちょとアクアの掛け合いがメインだ。失敗する、しないに関わらず、MEMちょの乙女面を拝もうとするアクアの演技とMEMちょの反応に対してやはり評判が高い。あかねはほぼ名前が出てくることはなかった。
「じゃあ、事務所からもっと話題になるように目立てといわれたらあかねはどうする?」
「どうするって………ディレクターさんに聞くしか―――」
「悪手だな。俺が演出家なら、ノブかケンゴのどちらかにあかねがアタックするように言う」
「え? でも、それで話題になるなら、頑張るしか……」
「それは恋人関係になろうとしている二人に割って入る悪女的な役割だぞ? 悪女―――なんて抽象的な役をあかねは演じられるのか?」
「それは――――」
アクアは断言できる。できない、と。あかねが得意とするのは、演劇の中の役に対する深い考察と洞察力、それを解釈し演じること。ときに役同士の関係性にまで注目し、人格形成がどうか、まで考えるあかねが『悪女』という抽象的な看板のみで演じることはできない。
もっとも、そこに『最初のイベントでいいな、と思っていたノブユキが、あっさりとゆきに靡いてあかねに見向きもせず、そのまま恋人関係になろうとしていることが気に食わず、突っかかってしまうあかね』などと色々と設定をつければ、そこからさらにそのあかねであればどうするか? と考察を続け、演じることができるだろう。さらにイベントごとのストーリーまであれば完璧だ。
「だったら、あかねはあかねのまま悪女をやることになる。ただ、悪女っていうのは、当然お邪魔ものだから、SNSなんかの話題に上がったとしても悪口だ。『邪魔するな』『消えろ』『ノブゆきが見たい』そんな感じじゃないか?エゴサして、その悪口に耐えながら、それでも悪女やって、ストレスが溜まったところで、ゆきの頬でも張ってみろ、あっという間に稀代の悪女に早変わりだ」
まるで見てきたように語るアクアに恐怖心を感じたのか、あかねの顔は真っ青になっている。それが自分でもありうる未来だと思っているからだろう。そもそも、彼女には鋭い洞察力がある。アクアが説明する黒川あかねが、自分が知っている以上に黒川あかねだと確信できるからだろう。
もっとも、アクアの語る黒川あかねは、原作の黒川あかねであるのだが。
「そ、そんな風になるかな? もしかしたら、どうしたんだろう? って少し話題になるだけかもしれないよ」
一縷の望み、あるいは希望にすがるようにあかねは言う。確かにアクアの語る未来はありうる未来だ。だが、SNSの反応まではそうだと断言できない。断言したくない。SNS上の『今ガチ』の話題がすべてあかねの罵詈雑言で埋め尽くされる未来など想像したくないに決まっている。
「日本人の好きなストーリーを知ってるだろう? 『判官贔屓』と『勧善懲悪』だ。人は悪とみなせば攻撃していい対象とみなす。ましてや芸能人だ。一般消費者から見れば特別な人間だ。それが悪に落ちた。喜んで棒で叩くさ。その証拠に、リアリティーショーには自殺者が出てる」
あかねは役を理解するためにプロファイルの勉強などもしている。だから、集団心理なども知っているだろう。だからか、もはやその未来が想像でき過ぎて、あかねは自らの肩を抱きしめるほどに震えていた。
「―――俺はあかねを助けたい」
「え?」
震えている中、アクアの言葉が聞こえたのか、あかねは今まで震えながら真っ青だった顔を上げてアクアを見ていた。
「本当は、ここまで話をせずに番組を進められたらよかったんだが、俺のフォローが足りずにすまない」
「う、ううん、アクアくんはずっと私をフォローしようとしてくれたんだよね」
いわれてみれば、アクアはなるべく近くにいてくれた。MEMちょとの絡みでもカメラマンとしてだが、画面に映るようにしてくれていた。それらをものにできなかったのはあかねが黒川あかねであるが故だ。何を演じていいかわからない。黒川あかねの行動指針がわからない。だから、何もできずに今まで過ごしてしまった。
「もうすでに、番組内ではある程度役割が決まりかけている。おそらくこの番組の中心はゆきになるだろう」
「そう、だね」
その言葉にあかねは理解を示す様に頷く。
SNSなどを見ても注目されているのはゆきが誰と恋仲になるかである。アクアには配信に出演する制限があるため、これからも主軸は変わらないだろう。
「俺はMEMちょとバカやったり、ノブユキやケンゴと絡む予定だ」
アクアの目的としては学校生活を疑似体験するという名目がある。ならば、男だけの遊びや会話もその範疇に含まれるだろう。だから、今後も彼らには積極的に関わる予定だ。MEMちょはフリルチャレンジというキラーコンテンツの影響だ。
「その中で黒川あかねはどんな役を演じる?」
「えっと―――アクアくんはどんな役がいいと思う?」
演じる役を役者が定義する。普通ではありえない。だから、あかねはその選択をアクアに委ねようとした。だが、アクアはその要望に首を横に振る。
「俺が決めた役じゃ、あかねは俺に設定を聞くだろう? それは無理だ。―――それに、女性を演じる役は女性が定義すべきだ」
仮にアクアが決めたとすれば、その詳細な設定をあかねはアクアに聞くだろう。アクアとてそこに細かい設定など考えられない。だから、決めることができない。さらに男女の感性の差というのがある。女性特有の情緒についてはさすがのアクアも答えられない。
「だから、あかねはあかねが演じたい黒川あかねを演じるんだ」
「でも―――私は………」
あかねとてただの役者だ。だから、自分が演じたい黒川あかねなど想像できなかった。
「大丈夫、あかねには強い味方がいるだろう。一流の役者しかいない劇団ララライ。あかねの本拠地が」
「あっ――――」
演じるということにかけては一流しかいない劇団ララライ。アクアが抜けた後もずっと共に演じてきた劇団。今ではあかねが若きエースと呼ばれているが、所属している劇団員の中にはアクアが共演した以前から所属する団員も多い。
「あかねが相談すれば、きっと力になってくれる」
アクアが共演したころも劇団ララライは演じるということに対して真剣だった。ならば、黒川あかねが『今ガチ』の黒川あかねを演じることに対する相談にも応えてくれるという確信があった。
「それで、大丈夫かな?」
仮に劇団ララライのメンバーに相談して、黒川あかねが決まったとして、それで『今ガチ』で活躍できるか、それがあかねには不安なのだろう。先ほどのアクアが想像した未来もあり得る―――いや、可能性としては高い未来としてみた場合、本当にあかねが黒川あかねを演じるだけで何とかなるのか不安なのだろう。
だから、アクアはその不安を払拭するように断言する。
「大丈夫、誰かを演じる黒川あかねは絶対誰よりも輝く女優だと知っている。頼りないかもしれないが、共演した後もずっと見てきた俺が保証する」
アクアは演技の勉強のために、没入型のあかねの演技を見てきた。どんなアドリブにもその人物に対する洞察力と演技力で対応し、演劇という一発のみの場面で必ず輝く女優―――それが黒川あかねと知っているから。
「――――うん、アクアくんがそういうなら………頑張ってみるね」
今まで青い顔をして緊張していた顔が緩んで微笑むあかね。それを見て、アクアは、とりあえず安心した。少なくとも来週からただの話題にならないメンバーにはならないだろう、とどこか確信めいた自信があった。
「それはそうと―――あかね、この番組が終わったら事務所を苺プロに移籍しないか?」
「移籍?」
「ああ、今回の件は少なくとも未成年者に対する安全配慮義務に違反している。いくら何でも、説明もなしにこんな番組に出演させるなんて……」
「でも………」
あかねが渋るのはアクアも理解している。芸能界では御恩と奉公というような考えがある。ならば、子役時代から所属している事務所に対して恩があるのは分かっている。だが、それにしても、今回の件は、何の説明もなしに出演させていい現場ではないことも理解している。
「俺はあかねが心配なんだ」
「っ!?」
まっすぐと偽りのない表情でアクアはあかねに対して告げる。多少の下心がないわけではない。あかねが映像系に出ても活躍することはすでに確約されているといっていいからだ。そんな女優をスカウトできるチャンス。しかも、瑕疵は相手事務所にある。そんな状況で逃す手はない。もちろん、この先も専横な事務所の都合であかねが劣悪な仕事を振られないか不安というのも事実である。
「『今ガチ』であかねが活躍すれば、きっといろんな番組からオファーが来るだろう。その中で今回みたいに危険な番組に何も教えられず参加させられる可能性だってあるんだ」
「それは――――」
今回の件が脳裏によぎったのだろう。いつもどおりでいいから、といわれて、今回のように臨機応変に対処するような現場に参加するようになったら、同じような危険性がないとは言えない。
「今は考えるだけでいい。お母さんとも話して、決めてくれ」
そう言って、アクアは苺プロのミヤコの名刺を差し出す。
その名刺をまじまじと見つめ、あかねは、うん、と頷くのだった。
※ ※ ※
―――ふざけるなっ!
―――俺はあかねを助けたい。
―――大丈夫、誰かを演じる黒川あかねは絶対誰よりも輝く女優だと知っている。
―――俺はあかねが心配なんだ。
あかねはお風呂から出たあと、ベッドで横になりながら今日の喫茶店でのアクアの言葉を反芻していた。
「(………アクアくん、本気で怒ってたな。心配もしてくれたし……あと、誰よりも輝く女優だって。うれしいな)」
処理できない感情を発散するように枕をぎゅーと抱きしめ、歓喜する心を抑えるあかね。
黒川あかねと星野アクアの出会いは、あかねが中学二年生の時、劇団ララライの公演であかねの共演者である一名が不足しているときに臨時で入った役者である。テレビで見た星野アクアが共演と知って驚いたものである。
だが、彼はあかねの演劇論に対して嫌な顔一つすることなく、同じ立場で議論してくれ、また、当時、オシャレなどに無頓着だったあかねに色々と教えてくれた恩人である。なお、帰宅後に母親に会った際に「どちら様でしょうか?」といわれたのは今でも笑い話である。
「(アクアくんのおかげで、黒川あかねの役もできたし………)」
帰宅後、あかねは劇団ララライのお世話になっているお姉さま方に連絡した。助けてほしい、と。その一言で夜に音声チャットによる会議が行われ、現状の『今ガチ』について説明し、今後の黒川あかねのキャラクターについて活発な議論が行われた。
なお、あかねの説明を聞いて憤慨するお姉さま方もいたが、アクアの話をするとなぜかその怒りもとけたようで、アクアの事務所移籍の提案に乗るように言われてしまった。
「(はやく来週にならないかな………)」
あかねとしても週末は憂鬱だった。いつまでも配信に載らない自分。SNSで話題にもならない自分。なにが悪いのかわからず、ディレクターの指示に従おうにも抽象的過ぎて行動に移せない自分。
―――すべてが嫌だった。
だが、今日のアクアの説明ですべて納得できた。あの場には、『今ガチ』の黒川あかねが必要だったのだ、と。それが、アクアと劇団ララライの仲間によって演じる役が決まった。今までよりも随分と心が軽くなり、来週を待ち望む自分がいた。
「(アクアくんの望みをかなえる黒川あかねを演じたら喜んでくれるかな?)」
そんなことを思いながら、あかねはいつもとは異なり、安堵したまま眠りにつくのだった。
鏑木P「え? 事務所移籍? (俺の)あかねを預けておくには心配しかないから、苺プロに移籍する? 理由もある? 君、やりたい放題だね? しかも、表向きは反対できないのが質が悪い……」
あかねさんの修正版です。なんとかアイのトレースを回避できるように頑張りました。
しかし、原作でも謎なのですが、ゆきのやめる宣言のあと、記事になってから、契約関連でネタ晴らしってどういう時系列なんでしょうね?
今回は、とりあえず、あの空気の中でアクアが打ち切って帰宅させてますが・・・ネタばれは次週で! って感じです。
今回も新情報はないので、キャラ説明は割愛です。
誤字脱字報告毎回ありがとうございます。大助かりです。
もしよろしければ、感想、評価よろしくお願いします。励みになりますので、感想を一言でも頂ければ幸いです。