「なぁ、フリル。どうしてこの写真を出そうと思った?」
「最近、バズがなくて、仕方なく」
教室の床に正座をして、開き直ったように述べるのは、国民的美少女と呼ばれる不知火フリルだった。一方、フリルに自分のスマホを突きつけているのは星野アクア。もはや半ばこのクラスの名物と化しているような気がする。周りの生徒たちも遠巻きにしか見て来ない。
「いや、バズるというか、俺しかダメージ受けてないじゃないか」
アクアの見せたスマホに映っているのは簡単に見れば、アイドルの集合写真だ。ただし、その中に異物のように一人だけ男が写っていた。それが、星野アクアだ。周りは全員が女。国民的美少女―――不知火フリルから始まり、新生B小町―――星野ルビー、有馬かな、MEM、『今ガチ』―――黒川あかね、グラドル―――寿みなみ、『伝説のアイドル』『主演しかできない女優』―――アイ、そして、星野アクアが映った写真だ。なお、アイの目は半分死んだような目をしていた。
「結果が、トレンドに載ったのが『アクアハーレム』だ。どう責任取るんだ?」
「中央に陣取っておいて何言ってるのかな?」
「お前が押した結果だよな?」
本当はこんなメンバーで写真を撮るのは嫌だったのだ。むしろ、アクアは写らないように隅にいたのだが、今日の立役者がなにやってるの? とフリルに押し出され、その瞬間に写真を撮られてしまった。もっとも、それを共有するだけならよかったのだが、なぜかフリルが『今日はみんなで晩御飯』とかSNSにアップするものだから大変なことになってしまった。もっとも、同じ事務所だったり、同級生だったり、義理の姉だったりするため、笑い話になっているのがせめてもの救いか。
「それに、それよりも上位にアイさんが来てるんだからいいよね」
「……『現役アイドルと並んで違和感のないアイ(32)』か」
確かに新生B小町の横にアイドルらしく横ピースをしているのに、まったく違和感がないのは自分の
「そろそろ、許してくれないかな? 足がしびれて……」
「はぁ~、事務所のチェックを通った後だから、これ以上は言わないが……もう少し考えてくれると嬉しい」
この写真がバズった後は、やはりというか芸能科の男子からアクアへの視線が痛いのだ。写真を見ただけでも芸能界の同年代の綺麗どころのほとんど関係があるのだから嫉妬も仕方ないと思う。もっとも、アクアも仕事で不在な事も多く、結果的に妹であるルビーや妹の友達であるみなみ、そしてフリルと絡むことが多いから狙っているわけではないことを理解してほしい。
「分かったよ。だから、もういいかな?」
「ああ、そういえばそうだったな」
SNS上に流れてきた写真に憤ってしまい、思わず、登校してきたフリルに対して、即座に正座と告げたのが始まりだった。そこから、バズった写真について問い詰めて、しばらく時間が経っていた。
「はぁ、もういいぞ」
「それは助かる―――あっ」
おそらく、正座でしばらく時間が経っていたことが原因だろう。立ち上がったのはいいのだが、しびれた足ではちゃんと立つことができず、正面に立っていたアクアに倒れこむように、転んだ。さすがに、それを避けるほどアクアも薄情ではない。
「っと、大丈夫か?」
「ああ、もちろん」
そして、にやりと笑ったフリルにアクアは嫌な予感がして、半ば抱き着くような格好になっていたフリルを突き放そうとしたが、遅かった。カシャカシャカシャと聞き慣れたシャッター音が何度も鳴り響く。
「フリルちゃん、これでよかったかな?」
「うん、よく撮れてる」
「ルビー!?」
どうやら裏切り者は身内だったようだ。先程のシャッター音で撮れていたであろう写真を見ながら、おそらくクラウド上でやり取りした写真をすっすっとスワイプして、いくつか操作した後、いつものようにSNSに投稿予約していた。
「おい、さっきの考えるって言ったのはなんだ?」
「考えた結果、『アクあか』には負けられないということになってね。『アクフリ』のために仕方ないんだ」
「お前は、何と勝負してるんだ?」
『アクあか』と『アクフリ』。その二つの単語については知っている。要するに『今ガチ』でのアクアとあかねのカップリングを指すタグとその最中で、同じようにアクアとフリルのカップリングを指すタグである。そして、『アクあか』に負けられないとは、おそらく先日の先輩たちと飲んだ時の写真を投稿した時の話だろう。
今まで、アクアとしてもツーショットなどは大量に出回っている。ただ、抱き着いた―――いわゆるハグという類の写真はなかった。おそらく、あかねが投稿した分が初めてだろう。ただ、恋人同士というには、やや羞恥心や惚気が足りない気がするが、それでもハグはハグだ。それで盛り上がる界隈もあった。
「黒川あかね。―――この食事会であったけど、強敵だね。でも、私は負けない。関係が先に行かれると番宣に効果がなくなるから」
「……おい、おまえは本当に一体何と戦ってるんだ?」
なにやら強く決意したフリルと内容がよく分かっていないアクアだった。
※ ※ ※
「あなたが、アシを育てるために偶に休みを入れて育てるって聞いたときは、成長したって嬉しかったわ」
ガリガリガリと、ペンとインクの音がする。すでにデジタルに移行している頼子からしてみれば、久しぶりの感触だ。だが、それを懐かしがっている場合ではない。
「でもね……なんで、毎回、アシの代わりに私がやってるのよ!?」
「仕方ないじゃないですか! あのアシスタント全然使えないんですから!」
「だから、育ててるんじゃないの!?」
ぎゃあぎゃあ言いながら、頼子とアビ子はそれでも手を止めずに漫画を描き続ける。この辺りはさすがと言えるだろう。
「先生には、あのアシの育成も手伝ってもらって感謝してますけど、それでも間に合わないんだから仕方ないじゃないですか!?」
「あんたは選り好みとこだわり強すぎ! 最初、見てたけど、普通の会社だったらパワハラで一発アウトだからね!」
「普通の会社なんて、知りませんよ! 青春時代から漫画一筋だったんですから!」
しかも、質の悪いことにアビ子は漫画家としてのスキルを感覚的に取り扱える派であり、教えるということに致命的に向いていなかった。あと、自ら言うように陰キャとして言語によるコミュニケーション能力にもやや課題がある。漫画を通すとこんなにも分かりやすいのに、と頼子は思った。
アビ子が感覚的に伝える、アシスタントが理解できない、アビ子が怒る、アシスタントが萎縮する、という悪循環でアビ子の現場は、ブラック企業そのものといっていいほどの惨状となっていた。そして、我慢の限界を超えたアビ子がアシスタントを首にする、という状態だ。アビ子は担当が悪いと言っているが、優秀なアシスタントが選ぶ現場ではないだろう。
アクアたちとの交流で他者との協力が必要との自覚が生まれ、アシスタントの育成がアビ子ではできないので、昔の師匠である頼子に頭を下げるタイミングがもう少し遅ければ、アビ子はこの週刊連載という頭がおかしい状況を一人でこなしていたかもしれない。もっとも、そんなことが続けられるのは、そんなに長い期間ではなく、先に体のほうが悲鳴を上げるだろうが。
しかし、他人との協力が必要だと気づいて、すぐにアシスタントが育つわけもなく、こうして毎週、頼子とアビ子で修羅場をくぐっているのだ。なお、頼子のアシスタントはデジタルでしか描けないため、この場にはいない。アシスタントの育成には協力してもらっているが。
「それに、今書いてる原稿何よ!? いつから、『東京ブレイド』はラブコメに移行したの!?」
「えっと……いや、幕間なので、少し休憩を……」
要するに「〇〇編」という一つの区切りが終わった段階で、本編とは関係ない部分で遊びを入れるというやつだ。つまらないという読者もいるが、その幕間が面白いという読者もいる。緊迫したシーンだけが面白いとは限らないので、そういう手法もあるにはあるが、頼子が驚いているのは、東京ブレイドという少年誌のバトル漫画がここ数話、ラブコメのようなやり取りを行っているからだ。
いや、もともと、アビ子は頼子のアシスタントであり、少女漫画を中心としてエンタメを叩き込んだのは頼子だ。つまり、バトル漫画で漫画家として大成しているアビ子のほうが凄いのである。つまり、そもそもの素養としてラブコメが描けない訳ではない。だから、頼子としてもアビ子がラブコメを描いていること自体はいいのだが―――
「しかも、この展開! アクアさんたちのことじゃない!?」
「だ、大丈夫です。編集にも分からなかったので」
「……私が分かるってことは、分かる人には分かるんじゃないの?」
頼子の言葉に何も答えないアビ子。それが答えだった。
久しぶりに渋谷クラスタに戻った『刀鬼』と『鞘姫』の交流と新宿クラスタから刀鬼の監視の役割を持って付いて来た『つるぎ』のラブコメ要素がついたやり取りで、どうみても舞台の台本を修正している最中にしょっちゅう起きていたかなとあかねのやり取りを漫画に落とし込んだだけとも言える。
「せ、先生だって、別の連載会議で描いた漫画。まずは短編でって話で、アンケート評価良かったんですよね!? あれ、『今ガチ』のアクアさんと黒川さんとMEMちょのかけ合わせですよね!?」
「ぐっ………」
ノリと勢いに任せて描いた漫画だったが、あまりにも元ネタがやばいので出そうか、出すまいか迷ったのだが、誰にも読まれない漫画もかわいそうだし、そもそもネタだから、とりあえず編集に出してみるか、と軽い気持ちで出したら、あれよあれよ、という間に連載会議に諮られ、まずは短編で、となり、アンケート結果もよかったので、連載に―――となりかけているのが実情だった。
「―――この件についてはお互い触れないようにしましょう」
「それがいいです。でも、白を切ることは忘れないように」
うん、とお互いに頷いて、原稿に集中する。言い合いながら書いていたが、どうやら逆に集中して進捗は、順調―――そもそものスケジュールを守れていないのに何が順調か分からないが―――で、少し心の余裕ができていた。
「はぁ~、でも、アクアさんたち、また話しに来てくれませんかね?」
「え? あなた、脚本完成してから全く連絡してないの?」
へ? という風にお互いに顔を見合わせていた。東京ブレイドの舞台の脚本が完成するまでは、改稿が送られてくるたびに集まってワイワイと話をしたものだ。だが、それも最終的な微調整を脚本家のGOAと行い、脚本の完成を見た。頼子は、それからメッセージアプリなどではあるが、それなりに会話している。特に月刊誌で、連載作品が載ると感想をくれるのは非常にありがたかった。
「陰キャの私にそんなことできるわけないじゃないですか。東京ブレイドの週刊の感想に『ありがとうございます』って返すのが精一杯ですよ」
あと、話を聞くと休載が載った時は、ゆっくり休んでくださいね、などのメッセージも来たらしいが、これにも『ありがとうございます』としか返さなかったらしい。それでは、話が膨らまないし、相手も週刊漫画家相手に忙しかろう、と遠慮するのも無理もない話だった。
「それじゃ、舞台稽古の見学には行ったの?」
「いえ、行ってませんよ。行くなら先生に相談してますよ。私、一人で行けるわけないじゃないですか」
全然自慢にならないことを自信満々に言う。確かに、アクア、あかね、かなの三人の時でさえ無理だったのだ。それ以上の人がいる中を一人で行け、というのは無理があるだろう。
「はぁ~、あなた、それだと舞台には全く興味ありませんってなるわよ。少なくとも一回は行きなさい」
「そうなんですか?」
「そうよ、だから、最低限の礼儀として最初の撮影に行ったけど……まさかアクアさんがいて思っていた以上の現場になってびっくりしたわね」
「ああ、だから、何度も通ったんですね」
ぐぅ、と痛いところを突かれた頼子。『今日は甘口で』の重版、ネットコミックの売り上げ上位になった打ち上げでさんざん頼子が自慢したことだ。撮影現場に『星野アクア』がいて、サインまでもらってきた、と。結局、あの後はアシスタント全員分含めて貰っていたが。なお、アビ子も脚本制作の途中で貰っている。
「とりあえず、終わったら担当さんに連絡しなさい。私もついていってあげるから」
「分かりました。よろしくお願いしますね」
比較的スケジュールに余裕のある日の稽古に行くことにした二人は、それから締め切りの夜明けまでカリカリカリと漫画を描き続けるのだった。
※ ※ ※
始まりはたった一冊の本だった。かなが取り出したたった一冊の『演劇の時代』と書かれた本から始まった。そこに載っていたのは黒川あかねの最初の演劇の時のインタビュー。そして、そこには黒川あかねが演劇を始めるきっかけになった人物の名前が書かれていた。つまり『有馬かな』の名前が。
アクアからしてみれば、あかねがかなに傾倒しているのは今さらだが、本人に直接知られるのとではまた話が違うらしい。しかも、あかねの子役時代の話となれば、相当昔のバックナンバーであるはずだが、それがかなの手に収まっていた。誰かが教えなければ手に入れることはできないものだが。あかねが、ララライのメンバーに問えば、手を挙げたのは姫川だった。さすがに、ララライの中でも大御所の姫川に直接文句も言えず、頭を抱えるあかね。
その間、かなはひたすらに調子に乗ってあかねを煽っていた。まるで、水に落ちた犬を棒で叩くように。だが、あかねにも複雑な感情はある。かなをみて児童劇団に入ったのは事実だ。そこから実物に会ってみれば、想像した人物と異なることはままあることである。そして、有馬かなは、いかなる理由があろうとも、その落差がとびっきりだった。
「マルチタレント気取りでアイドルとかやって……子役時代の曲歌ったりして……」
「ふふふっ、ごめんねぇ~、アイドルでも3000人規模の箱を完売させちゃうほどのアイドルで~」
最初は固辞したくせに、とは、アクアも言わない。なにより、ルビーの人気もあるだろうが、それぞれ、かなやメムにもファンがいて、最近のライブではついに3500人規模の箱も完売させられるほどには影響力を持っていた。むしろ、役者兼アイドルを名乗ってもおかしくないほどに有馬かなは有名になっていた。なお、子役時代に歌った曲は『Full moon』に続いて『さわやかサテライト』もアレンジVer.が歌われており、新規にリリースされてオリコンにも無事に載るほどの人気を博していた。
「なによ! 『ピーマン体操』が代表作のくせに!!」
「ぐふっ」
あかねの一言は、かなに大ダメージを与えていた。唯一、苺プロが版権をとれなかった『ピーマン体操』。世間では、それがリバイバルされてないことに疑問に思いながら、『有馬かな』といえば、これ、という感じで、有馬かなが有名になるにつれて、同時に思い出され、動画サイトの再生数、サブスクの再生数、カラオケの歌われた回数も上がっていく。それは、かなに振り込まれる印税という形で明確に見え、未だに黒歴史の『ピーマン体操』=有馬かなの呪縛を思い出させるかなの弱点となっていた。
「そっちだって、代表作は『恋愛リアリティーショー』でしょうが! マルチタレントはどっちよ!?」
おそらく、かなにとっては、決死の反撃だったのだろう。だが、あかねは、「それがなにか?」という余裕の笑みでかなの言葉を受け止めていた。
「はぁ、かなちゃん、『今ガチ』はアクアくんと仲良くなれたし、いろいろ勉強になった番組だからね。そんな風に言われても嬉しいだけかな、ね? アクアくん」
「ん? ああ、そうだな」
ね? と同意を求めるようにアクアに視線を向ければ、アクアとしても頷くしかない。アクアとしては、黒川あかねを炎上させずに、無難に終わればいいだけの番組だったのだが、あかねに同意を求めるように視線を向けられれば、頷くしかなかった。
「黒川あかねぇ!」
だが、それを気に食わないのはかなだ。反撃のつもりが、そのまま返されたような感覚。最初に攻めていたのはかななのに、いつの間にか攻守は逆転していた。
「きゃっ! アクアくん、こわ~い」
「お、おい」
「おいコラ! かまととぶって抱き着いてんじゃないわよ!」
明らかな演技と分かる態度で、アクアに抱き着くあかね。それは、この間のハグ写真とは逆にアクアの胸に飛び込んでいるようなあかねの態度だった。
「大体、あーくんに抱き着いた写真を公開するなんてやり方が姑息なのよ!」
「あれは『今ガチ』の義理の恋愛教室だからいいの!」
「「うぐぐぐ」」
にらみ合う両者。もはや最初の議論が何だったのか、覚えているものはいない。ただ、呆れるようにアクアとかなとあかねを見ていた。メルトだけは、悲しそうにかなを見ていたが。もっとも、渦中のアクアはあかねとかながなぜにらみ合っているのかよくわかっておらず、抱き着いてきたあかねを支えるだけだ。
「大体、かなちゃんは、バラエティー番組をバカにしているけど、今度、この面子で出るんだからね」
「え? なにそれ? 知らないわよ」
突然の情報にキョトンとするかな。それを受けてアクアに視線を移されるが、アクアとしてもその情報は初耳である。そして、二人の表情を見て、やってしまった、というあかね。おそらく、劇団と事務所間で情報が伝えられる速度が違ったがゆえにすれ違い。あかねはアクアとかなと同じ事務所であるが、劇団経由で先に聞いたのだろう。
マネージャーより先に情報を聞かされたアクアとかな、伝えてしまったあかねでどう身動きしていいか分からず、固まっている中、コンコンと入口がノックされた。
「あの~、すみません、ここに出演者の方が集まっていると伺ったのですが」
そう言って、待合室の入り口のドアを開けて入ってきたのは、吉祥寺頼子と東京ブレイドの原作者の鮫島アビ子だった。その二人は、固まっているアクア、あかね、かなを見渡してぽつりと言葉をこぼした。
「もしかして、修羅場ですか?」
「「「違います!!」」」
それから、頼子とアビ子に説明するのに労力を使った。なお、一部アビ子はスマホのメモアプリを起動し、話を聞きながらすごい勢いでスワイプしていたことに頼子は気づいたが、説明に必死になっていたアクアたちは気づかず、後日、東京ブレイドの展開に利用されていたのだが、気づくことはなかった。
なお、後日、舞台東京ブレイドチームとして、ひな壇クイズ番組に、舞台のメンバーで出演し、アクア、あかね、かなでファインプレー、メルト、みたのりおが普通、リーダー姫川が致命的にダメで、面白おかしく進み、何とか番組が成立する程度には番組を回せたのだった。
※ ※ ※
「う~ん、ここはどうしようかな?」
苺プロのアイドル部門に用意された一室で、メムは編集してもらっていた動画を前に一人唸っていた。苺プロに所属してからは、一から動画を作成することはなくなったとはいえ、最終的な微調整は必要だ。この微調整で動画のテンポが変わり、ひいては再生数にも影響するのだから、バズのプロを名乗るメムとしても気が抜けないところであった。
「なんだ、メム、まだいたのか?」
「ん~、アクたん?」
それはいつかの焼き直し。その時の記憶を思い出してしまい、思わず動揺するが、せめて年上として表に出さないようにして、現れたアクアの名前を呼んだ。どうせ、明かりがついていて、誰か寝入っていないか、とかそういうことを心配してきただけなのだ。ここにメムが残ることは珍しくなく、かと言ってちょっと前のように徹夜するようなこともなくなったので、アクアも、遅くなるなよ、という定型文をおいて帰るかと思えば、今日はなぜかメムのPCの背後に設置されているソファーに座ったようだった。
「(アクたん、どうしたんだろう?)」
残っているのが、ルビーやかなならともかく、メムとなればいつものことで心配などせず、すぐに帰宅していたはずなのだが、と疑問に思っているとアクアがゆっくりと口を開いた。
「なぁ、メム」
「ん? なぁに?」
「キスってしたことあるか?」
「ぶぼはぁ!?」
ゆっくりと話しかけられ、くだらない話だろう、と適当に返事していたら、160Kmの剛速球を投げつけられ、準備もできていないものだから、それが腹に直撃したような衝撃をメムは受けていた。もしも、何か飲み物を飲んでいたら、目の前のモニターとキーボードは天に召されていただろう。
「けほっ、けほっ、な、なにさ、急に。アクたん」
「あ、すまん、そんなに慌てるとは思わなかった。いや、実は―――」
そう前置きして、語られたのは、そう難しいことではなかった。もしかしたら、近いうちにキスシーンがあって、それを演じるかもしれないこと。でも、恋愛経験もなく、キスがどういうものか分からず悩んでいること。そして、同じ役者の姫川に聞いたところ、「男が男に聞くな、馬鹿野郎」という言葉を頂戴したことと、最後のアドバイスとして「同じ役者に聞くな。演技のコツは、演じない一般人に聞け」という言葉を貰ったことから、役者ではなく、身内でもない年長者のメムに聞いた、と白状した。
「なるほどねぇ~」
うんうん、と回る椅子を後ろに回してアクアと対面しながら、腕を組んで頷くメム。だが、内心は、どうしてこうなった!? と焦っていた。
「あのね、アクたん。こう見えても私は、アイドルになるためにそう言った行為は、禁じてきたわけだよ」
「そ、そうなのか?」
意外なものを見るような目でアクアがメムを見ており、失礼な奴だ、と思っていた。
もっとも、親が復帰して、弟たちを大学に入学させた後のユーチューバ活動ではコラボのためにそこそこ危険な橋を渡っているため、唇の危機がなかったといえば、嘘になるが、それを乗り越えてここに無垢な状態でいるのだから結果だけが真実だ。
「でも、まあ、私を頼ったのはよかったかもね。昼も夜もバイトしていた私。特に夜は、ガールズバーが実入りがよくてねぇ。まあ、そんな場所だから当然、アクたんが求めることなんて、日常茶飯事なわけさ」
「そうなのか?」
不思議そうに言うアクア。よほど無垢とみえる。いや、もっとえぐい話も当時の同僚からは聞いていたが、この無垢なアクアを前にして、そこまでの事は口にできない。よく女の下ネタはえぐいというが、それは事実だ。女のメムでさえ引いてしまうような事実が酒の勢いもあり、赤裸々に語られた閉店後のガールズバーの情報は、新生B小町のメンバーにも話せない。
「そっ。で、キス、だったかな?」
そう言いながら、メムは立ち上がって、アクアが座っているソファーの隣に座った。その時、ソファーに置かれていた右手に手を重ねることを忘れない。その感触に驚いたようなアクアだったが、当たっただけと思ったのか、声は出さなかった。それに気づかないようにして、メムは言葉を続けた。
「大体は、やってみればこんなもんか、とか、好きな人とやるとテンション上がるとかだったかな? でも、まあ、後の方の感想にはイケメンユーチューバーとのオフ会での飲み会でのお遊びでのキスでもそう言ってたのも含まれるかな? あ、もちろん、私はやっていないけど」
途中で、ぎょっ、とした顔をアクアがしたので、メムはおそらくアクアが想像したことを否定する。信じてもらえるかは分からないが、本当に違うのだから信じてほしいところである。ただ、まあ、正面からみたメムとしては、何がいいのやら? と思っていた。しかし、こうして、手の届く位置に惚れているかもしれないイケメン俳優がいるとなれば、彼女たちの気持ちが若干分かった。そこにあるのは両想いとかそういった感情ではなく、自分の想いだけだ。
「でね、結局、アクたんが求めるものは、あかねちゃんが『今ガチ』の最終回で言っていた通りのことだよ」
「……つまり?」
分からない、という表情をしたので、やれやれ、と思いながら、メムは告げる。
「キスはやってみないと分からない、ってことだよ。どうする? アクたんは、私をアイドルにしてくれた男だからね。特別に唇を許してもいいんだけど……?」
アクアが怖気づくようにメムから離れようとするが、片手を押さえているため、大きくは離れられない。だが、一方で視線は、メムの唇に集中しているのが分かる。ここで、トドメとばかりに目をつむってみる。ここは賭けだった、もっとも、部屋には自分たち以外には誰もおらず、アクアが吹聴するとも思っていないため、実際にはメムへのダメージはゼロとなるが。
数秒待つが、唇の感触はない。困惑しているのだろうか、すぐさま否定されない分、自分がまだアクアのキスの対象に入っていることに満足できた。やがて、何秒待ったかは分からない。それがアクアの逡巡した時間なのだろう。押さえていた右手を振り払われて、思わず目を開けると座っていたはずのソファーからアクアが立ち上がり、顔を真っ赤にしていた。
「わ、悪い。さすがにそこまでは無理だ。じゃ、遅くならないうちに帰れよ」
早口でそれだけ言うと、出口へ一直線に向かい、最短距離で出て行った。嫌われたか? と思ったが、最後に目にした表情で照れていただけだとよくわかる。
「まったく、アクたんは可愛いなぁ。本気になっちゃうよ」
それが年上ゆえの強がりだとは分かっていた。おそらく、鏡を見なくとも今の自分の頬が紅潮していることは分かるほど熱くなっているからだ。
なお、その日、残っていた動画の編集は朝方まで続けられたのだが、夜の興奮は徹夜に必須のエナジードリンクを必要とせず、胸の高鳴りだけで十分だった。
遅くなりすみません。
本番前の最後の閑話みたいなものでした。次回からは舞台本編です。
別の作品を上げましたので読んでいただけると嬉しいです。本作とはかなり方向性が違うのですが・・・・
アカウント名から作品が見られますので、興味のある方は読んでいただけると嬉しいです。
誤字脱字報告毎回ありがとうございます。大助かりです。
もしよろしければ、感想、評価(感想欄より下から可能)をよろしくお願いします。励みになりますので、感想を一言でも頂ければ幸いです。