ちなみにリエのヘイローは太陽系の渾天儀を模したものになります
「……ん……ここは……」
ナギサが目を覚ますと、そこは見知らぬ天井だった。おもむろに身体を起こすと、周りには幾つもの空のベッド。そして少しの間をおいて、身体にじんわりとした痛みが広がる。ナギサは顔を歪めながら昨夜のことを思い出した。
「……っ、そう、でした……」
事が終わったことを悟り、彼女を襲ったのは途方も無い罪悪感だった。結局のところ自らが為した事は何一つ無く、為した全ては空回り。その罪悪感は物理的に胸を締め付ける。
そして一際大きな痛みの波を堪えた後、ナギサは大きなため息を吐いた。時計を見ると、昼の3時を過ぎていた。ナギサはゆっくりとベッドから降りて、日の差し込む窓を開ける。少し申し訳なくなるほどの快晴だった。
「……あれ、は……」
何処かに行くことも憚られるような心持ちで、窓の近くの椅子に腰掛けて目を瞑る。思い出すのは、昨日のハナコの言葉。それを真に受けるのならば、裏切り者はアズサ、ハナコ、リエ、ヒフミの四人。けれど、自分がここで無事でいるということは、そうじゃない。
「……疑ってたのは……ずっと私だけだった……」
ああ、ずっと見失ってたなぁ、と彼女は自嘲した。多くのものを切り捨てたなぁ、と彼女は後悔した。
昔っからいっつもそう。自分では限りなく正しいことをしていると思っても、傍から見たら的外れで空回り。結局今回も彼女の言う通り、こうして後悔してしまっていて、つくづく凡人である自らが嫌になる。いっそのこと、目の前のベッドでもう一度、気を失うように眠ろうか。
ズルズルとナギサの心を黒い靄が埋め尽くしていく中、唐突に部屋のドアは開いた。
「あ、ようやく起きた」
「……!リエさん……!」
レジ袋を抱えたリエだった。彼女は荷物を空のベッドに置くと、ナギサの開けた窓に腰掛ける。相変わらず、彼女だけは何時でも何処でも何も変わらない。その姿だけで、ナギサは少し安心を覚える。
「ここ、どこか分かる?」
「……ここは……」
彼女の言葉に首を傾げ、ナギサは少し窓から身を乗り出して辺りを見回した。少し高さへの恐怖もありながらも目の前に広がるパノラマを一望する。学園内でも端に位置しているのか、目の前には緑が広がっていて、眼下には水の湛えられた綺麗なプール。見覚えのある光景だった。
「……合宿棟……ですか?」
「当たり」
彼女は洋梨を剥き、紅茶を淹れながら答えた。それを持つ左の指先にはいつものように鮮やかなネイルが施されている。その声に、全ての選択を誤ったナギサを咎めようという意思は微塵も感じられなかった。
「……水が張られてるの、久々に見ました……」
「あの子達が掃除したんだよ。この部屋も、あの子達が」
「……そう、なんですね」
穏やかに話す彼女の言葉を聞きながらも、何処か言いづらそうにするナギサ。リエは綺麗に切り分けた洋梨の欠片を彼女の紅茶に落としながら単刀直入に切り出した。
「裏切り者はミカだったよ」
「そう……だったんですね……」
リエが告げた真実に、ナギサはそう答えた。淹れたての紅茶に涙が落ちた。
「……ごめん……なさい……」
「……」
誰へ向けてのものだったのだろうか。無関係であった彼女達だろうか。わざわざこんな疑心暗鬼に巻き込んでしまった彼女だろうか。ずっと忠告してくれていた彼女だろうか。ずっと本心に蓋をしていた彼女だろうか。
考えたってナギサには分からなくて、「ごめんなさい」と謝罪の言葉をつぶやくのみ。怒り、悔やみ、悲しみ、溜まって淀んでいた感情を押し流して、それはティーカップを危うく溢れ出しそうになる。
「……ならさ、ひとまず会いに行こうよ」
「……え……?」
窓枠から降りてナギサの目元を拭い、彼女は言う。決して燦々と輝く太陽ではないが、木漏れ日のように優しく。
「ナギサが疑ってて、それを今後悔してるって言うなら、みんなに会って、それで顔を見て謝ろう。……大丈夫。みんな、ナギサが悪くないのも分かってる」
「……ですが……」
「ほら、善は急げだよ。今日ならまだ先生もいる。……ほら、一緒に行こ」
そう言って、ナギサの手をリエは取る。本当に、そんなことで良いのだろうかと躊躇ったが、彼女の目を見てしまってはもう逃げられなくて、ぎゅっとナギサはリエの手を握り返す。温かく、優しい、よく知った手のひらの温度。彼女の手に身体を引かれ、彼女はスッと立ち上がる。
「……なんで、付いて来てくださるんですか?」
「うーん……幼馴染だからかな?二人の頼みなら、私は天国にも地獄にも付いて行くって決めてるから」
「本当、お人好しなんですから……」
「あっはは、そんなんじゃないよ。私は」
遠い日のように二人は手を繋ぎ、言葉を交わしながら本館への道をゆっくりと、ゆっくりと歩いて行った。
「本当に、ごめんなさい。下江コハルさん。あなたの気持ちを考えること無く都合よく利用してしまって……」
「な、ナギサ様?!そんな、私は……」
最初に訪れたのは、下江コハルの下だった。晴れて正義実現委員会への復帰が認められた彼女に、ナギサは精一杯に深く頭を下げる。彼女は慌てたような顔をして答えた。
「その……確かに最初はなんでこんなことって思ったし、途中でトラブルもいっぱいあったし、もうダメかもとも思ったけど……結局みんな揃って合格できたし……その……友だち、も、出来たから……」
「……ですが……」
「だから、その……と、とりあえず頭上げてくださいっ!」
頭を下げ続けるナギサに、コハルは両手をブンブンと振りながら慌てて言う。それを見たリエは、トントンと細い指でナギサの肩を叩いた。
「……ナギサ、コハルちゃんは許してくれるってさ」
「……よろしいのですか……?」
おずおずと顔を上げた彼女とコハルの目が合う。心配そうにナギサを見る彼女の顔。ナギサはそれにまた涙が込み上げて、また頭を下げた。
「謝らなくていいですからっ!!」
コハルは叫んだ。
「……その……ナギサ様……?」
「……」
「あまりの申し訳無さに顔も見れないんだって」
次に訪れたのは、阿慈谷ヒフミの下。顔を見るなり、ナギサは少し過呼吸気味になりながら深く深く頭を下げた。
「……ごめん、なさい……ヒフミ……さん……」
「えっと……補習授業部のことですか……?……それなら、大丈夫です。確かに辛いこともありましたが……ナギサ様を恨むつもりなんて全くありませんから」
「……え……?」
そう言って、彼女はナギサを優しく抱き締めた。思わず膝から崩れ落ちたナギサの頬を透き通るような涙が一筋伝う。その体温はとても温かかった。
「本当にお疲れ様。ヒフミちゃん」
「いえ、お二人こそ本当にお疲れ様でした……」
本当、この子はいい顔で笑うなぁ、とリエは考えた。彼女が去った後に頭を上げたナギサは、「本当に、良いんでしょうか……」と申し訳無さそうに呟いたが、リエは「まだ疑うの?」とハンカチで彼女の顔を拭う。
「そう……ですよね」
ナギサは小さく笑ってみせた。
「……本当に、申し訳ありませんでした、白洲アズサさん」
「……」
次は白洲アズサの下へ。ナギサが謝罪すると、彼女は少し考えるように目を瞑った。
「……もしかしたら「全く恨みがない」と言ったら嘘になってしまうのかもしれない」
「なら……」
「……でも」
アズサは、少しずつ思い出を語り始めた。リエが伝えていたこと、伝えていなかったこと、補習授業部の当事者として感じたことの全てを。
「……補習授業部ではそれ以上に沢山のものを貰った。友だちも、先輩も、先生も、思い出も。……それも、ナギサが補習授業部を作ってくれたおかげだ。……感謝してる」
「……あなたは、それでよろしいのですか……?」
「ああ、恨みなんて虚しいだけ。それに結局みんな受かったから、終わり良ければ全て良し」
「……ありがとう、ございます……」
「じゃあ、私はシスターフッドに行かないとだから」とリエ達に手を振って歩き出すアズサ。去っていく彼女の背中を眺めながら、ナギサは少し俯いた。
「……どうしたの?」
「いえ、こんなに優しい方々を、私はあんなに疑って、退学まで追い込もうとしたんですね……」
「まあ、そうだね。それは否定しようがないかな。……でも、繰り返さなければそれでいいんじゃない?」
「そういう、ものなのでしょうか……」
そう言って口籠るナギサの手をリエが引いて、二人は再び歩き出した。
「浦和、ハナコさん……」
「……いえ、何が言いたいのかは分かっています。……ですが、私は簡単に水に流せるほどの人格者ではありません」
最後に訪れたのはハナコの下。ナギサが謝罪を述べる前に、彼女は口を開いた。それが普通なのだと、自分は本来は一切許されるはずのないことをしてしまったのだと自らに言い聞かせ、ナギサは言葉を溢す。
「……そう、ですよね……やはり……」
「……ですが、ナギサさんが私の下へ真っ先に来るとは思いません。ここに来たということはヒフミちゃん達は許したのでしょう。……なので、私も許します」
「……え?」
「ふふっ、ヒフミちゃん達が許してるのに私一人許さないというのもカッコ悪いじゃないですか。……ですが罰は受けていただきます。……一週間下着のみで登校する、というのでいかがでしょう♡」
「……え?」
突如として真面目さが消え失せたハナコの言葉に、ナギサは思わず聞き返す。けれど、そこからはとてもじゃないが全年齢向けではない言葉が彼女の口から飛び出し続けた。ナギサが混乱の渦に陥っている中、最後ハナコは一言告げた。
「……そういえば、先生には会われましたか?」
「いえ、まだ……」
「今、ティーパーティーの方へ訪れているそうです。……ナギサさんを探していると」
「……!」
ハナコが伝えると、ナギサは少し驚いたような顔をした。しかし、彼女は続けて「合わせる顔がない」といったような複雑な表情をする。リエはため息を吐くとその手を引き、ハナコが背を押した。
「まだそんなこと思ってるの?ナギサ」
「早く行った方が良いのでは?客人を待たせては『ティーパーティー』の名が廃るでしょう?」
「……そう、ですね。ありがとうございます、ハナコさん」
そう言って、二人は手を繋いでその場を去っていく。その背を見届けて、彼女達に聞こえないようにハナコは呟いた。
「……お疲れさまでした、ナギサさん、リエさん」
「……ナギサ!リエ!」
「……先……生……」
ティーパーティーの執務室で、先生は紅茶を飲んでいた。そして二人を見るなり彼女は二人を思いっきり抱きしめた。
「先生?!」
「……意外と力強いね?」
「言いたいことはいっぱいあるけど……ひとまず、二人共お疲れ様!」
廊下まで響く先生の声。それを聞いて堪えられなくなったナギサは彼女の胸に顔をうずめ、声を上げて泣いた。
よく考えたらティーパーティー二人が謝罪行脚してるのちょっと面白い