六月始めのこと。ミカがパテルの用事で外に出ている中で彼女は招集された。
「……」
執務室には目の下にクマを作って紅茶を飲んでいるナギサの姿があった。辺り一面に名簿や資料、外出届なんかの書類、それも過剰なまでに赤ペンなどで線が引かれていて、余程入念に読み返したであろうものが散らばっている。その光景を見て、リエは大きくため息を吐いた。
「……ナギサ、昨日何時間寝た?」
「いえ、軽く睡眠は取りましたので」
それが彼女の強がりであろうことは、何となく理解できた。けれど、かれこれ十数年の付き合いであるリエは、ナギサが一度こうなったらしばらく手がつけられないのも十分理解していた。
「……そう。無理はしないで」
「私を一番理解しているのは私自身ですのでご心配無く」
そう言うと、ナギサはチェックの付いた名簿をリエに手渡した。前回の定例会の後、ナギサが死にものぐるいで調べ上げた『容疑者リスト』。その中からさらに抜き出されたのは三人、それと追加で一人の生徒のデータが添えられている。リエは少し目を瞑った後に口を開いた。
「……良いんだね?これで」
「例えどれだけ美味しそうな果実であろうと、腐っているのであれば処分しなければいけない……違いますか?リエさん」
「……」
「だいぶ疲れてるな」、真っ先に思い浮かんだ感想はそれだった。追い詰められた時、想定外の時……このような状況は彼女の癖、元来の思い込みの激しさがよく出る場面だ。
「異論がないようでしたら私はこれで。あとの書類だけおまかせしてもよろしいですか?」
「……了解」
部屋を出て行くナギサの背を見送った後、リエはため息を吐いた。そして改めて手元の名簿に目を落とす。
ナギサの可愛がっていた阿慈谷ヒフミ、ミカが転校させてきた白州アズサ、リエが目を掛けていた浦和ハナコ、或る意味では数合わせの下江コハル。全員落第なのは偶然とは言え、よくもまあこんな因果なメンバーが集ったものだな、と感動さえ彼女は覚えた。コハルはあくまでゲヘナ嫌いの正実のハスミに対する人質でしかなかったが、それ以外の三人は全員ナギサにとっては疑うべきスパイ。一方リエにとっては、裏切り者以前に四人とも落第寸前の後輩でしかない。
彼女はソファに倒れ込んで呟いた。
「……良いよ。そんなに地獄行きがお望みなら……私も付いて行くから」
場所はトリニティ敷地内の特別校舎。ティーパーティーによって集められた落第寸前の四人の下へ、先生は訪れた。
「あうぅ……どうしてこんなことに……」
「そうよ!私は正義実現委員会のエリートなの!これはなんかの間違いだから!」
「まあまあそう言わないで。みんなからはなにかある?ほら、申開き、みたいな」
彼女はそう言って、近くの椅子に腰掛ける。少しの間を置いて、この補習授業部の部長であるヒフミから話しだした。
「その……ですね。実はテストの日とペロロ様のライブが被ってしまって……。それでしょうがなくテストを受けられなくて……」
「そっかそっか。趣味に打ち込むのは良いことだけど……」
先生の真っ黒な瞳がヒフミの顔を見つめる。もう夏だというにも関わらず寒気すら覚えるほどの彼女の視線に、ヒフミは思わず肩をすぼめた。
「め、目が笑ってませんよね……?でもテストとペロロ様のライブが被るなんて私にはどうしようも……」
「……」
「ご、ごめんなさい……」
ヒフミに弁解の余地などなく、その視線は一層冷たくなった。
「……そ、それとですね、ナギサ様に先生のサポートを頼まれてしまいまして……」
「そっか、頼りにされてるんだね。よろしく、ヒフミ」
「い、いえ、そんなことは……」
ヒフミがどこか申し訳ないような照れくさそうな不思議な表情を浮かべる中で、次に口を開いたのはハナコだった。無論、前リエとあったときと同様の水着姿である。
「こんにちは、先生。浦和ハナコと申します」
「うん、よろしく」
にこやかに挨拶を交わした後、先生はファイルを開いて苦笑いした。穏やかに微笑んでいるハナコとは対称的だった。
「……ところで、真面目に受ければ十分過ぎる程点は取れるんじゃない?1年のときは学年トップだって聞いたけど……なんで補習授業部に?」
「ふふっ、何のことか私にはさっぱりです♡それとリエさんの頼みですので」
聞き覚えるのある単語の登場に、先生は少し目を丸くする。
「リエ……ってあのティーパーティーの?」
「はあ?!あんたみたいな変態がリエ先輩なんかと知り合いなはずないじゃん!」
コハルが先生とハナコの会話に割り込む。他の三人が無所属の2年生の中、彼女だけは正義実現委員会所属の1年生であり、任務は不審物などの没収。中でも成人向け雑誌などは絶対に見逃さないらしい。今回は飛び級狙いで3年生の試験に挑んだ結果惨敗だったようだが……。
「リエ先輩といえば正義実現委員会で大活躍してた、『歩く戦略兵器』ツルギ先輩と並ぶトリニティ最高戦力の『魔女狩り』!その上成績も学年トップクラスのエリート中のエリートじゃない!なんであんたみたいな露出魔が先輩と知り合いなのよ!」
「何故と言われても……裸の付き合いをしたからでしょうか?」
顔を赤らめて答えるハナコに、コハルは同じく顔を真っ赤にして過剰に反応する。
「裸?!そんなのエッチじゃない!死刑よ死刑!っていうかリエ先輩がそんなことする訳ないでしょ!」
「したけど?」
「そんな訳ないでしょ!冗談も大概に……って?!」
「あら」
コハルの顔を、しゃがんだリエが覗き込んでいた。正義実現委員会でも半ば伝説、憧れの先輩を目の前に再び顔を真っ赤にする。
「それで……さっきぶりだね、先生。しばらくの間私もちょくちょくだけど補習授業部に顔出すから。押し付けるだけっていうのもティーパーティーの名折れだしね」
「了解。サポートは多いに越したことはないから、よろしくね!」
そう言って笑う先生に、リエも微笑み返す。
「そういうこと。……それであなたは……白洲アズサちゃん、だっけ?面接以来か」
「面接……転校の時ですか?トリニティへの転校生は珍しいからかなり話題になりましたが……」
「そうそう。それで今回は純粋な成績不良と……正実相手の立てこもりだっけ。ずいぶん派手にやったらしいね?」
「……私からの訂正はない」
黙ってしまったアズサから、ヒフミの方へリエは目線を向ける。彼女と目が合ったヒフミが思わずビクッとなる。
「それと……ヒフミちゃん。ナギサから伝言」
「は、はい?!私にですか?!」
「「期待してる」だって。まあ、みんななら多分どうにかなるから頑張って」
「そ、そんな……私にはもったいないです……!」
「 やっぱり私には荷が重いような……」と少し弱気になるヒフミに「まあそんな気負わないでよ」とエールを送るリエ。
「じゃあ、私はこれで。必要なものとかあったら手配するから気軽に言ってよ」
「うん!頼りにしてる!」
そう言って、リエは軽い足取りで部屋から去っていった。彼女が部屋の扉を閉めた後、ヒフミはもう一度口を開いた。
「……リエ様の言ってた通りです。きっとみんなのチカラを合わせればどうにかなります!ですからみんなで揃って試験に受かって、補習授業部なんて抜けちゃいましょう!」
「こんな状態ではおちおちお散歩も出来ませんので♡」
「……課せられた課題は越えるだけ」
「みんなその意気だよ!」
「……私が補習授業部なんて認めないんだからーーー!!!」
コハルの小さな口から放たれた叫び声が、窓を抜けて青空に響いた。
かくして、補習授業部は幕を開けた。
「ヒフミ、この問題の解き方を教えてくれないか?」
「問4ですか?えっとこれは……そうそう!ここで判別式を使うと……ほら!」
「なるほど……」
「後はそれをグラフに当てはめると……」
「……こういうことか、理解した。もう間違えない」
夏休みも迫る中、揃って机に向かう彼女達。大きく開けた窓から吹き込む少し暑い風が各々の髪を揺らす。
「どうしました?コハルちゃん。手が止まってますよ?」
「ち、違う!別に分からないとかじゃないから!」
「そうですか。何かあったら聞いて下さいね」
「ハナコちゃん、ちょっとアズサちゃんに教えてあげられますか?私じゃ上手く教えられなくて……」
「……なるほど、古典からの引用ですね。これはここを……」
「みんながんばれー!」
机をくっつけて参考書とにらめっこする四人と、手に持ったタブレットを扇子のように振って応援する先生。キリの良いところまで進めたのか、ペットボトルのジュースを飲んでからヒフミは先生の下へ駆け寄った。
「一時はどうなることかと思いましたが、ハナコちゃんが大活躍してます!アズサちゃんもどんどん理解していってますし、コハルちゃんもエリートとのことなので……これはもしかしたら余裕で合格してしまうかもしれません……!」
「あっはっは!それに越したことはないね!」
屈託もない笑みを浮かべるワイシャツの袖を捲くった先生。そんな彼女に、ヒフミは一つ打ち明けた。
「……実は一つ心配事があって……。ナギサ様から「一次試験を突破できなかったのなら夏休み中に合宿を行ってほしい」と言われていまして……」
「合宿……どこで?」
「敷地内の合宿棟です。それにもし、もし三次試験まで落ちてしまったときには……い、いえ、暗い話はやめましょう!とりあえず試験はどうにかなりそうです!」
「少しお邪魔するよ」
ヒフミと話していた先生の肩を、補習授業部を訪れたリエがポンポンと軽く叩く。
もう片手には購買のレジ袋が握られていた。
「調子はどう?ヒフミちゃん」
「ど、どうもリエ様!みんな順調です!もしかしたらいきなり合格してしまうかも……」
「そっか、それはいいね。ところで差し入れ持ってきたんだけど……食べる?」
リエはガサゴソと袋に手を突っ込むと、何か白い鳥のようなキャラクターが書かれたアイスバーを取り出した。フルーツバー、チョコアイス、チョコミント、ソフトクリーム……色んな種類のアイスがレジ袋に詰め込まれている。
「これは……今日発売のペロロ様アイスまろやか卵味!購買にも売ってるんですか?!」
「そう、なんか要望が沢山あったからって」
「ああ……。いっぱいはがきを書いた甲斐がありました……」
なるべく傷がつかないように包装を剥がした後に、中のアイスを美味しそうに頬張るヒフミ。「他の子達もどう?」と呼びかけてアイスを渡していくリエに先生も近寄った。
「私も良いかな?」
「もちろん。……どれにする?」
「じゃあチョコミントで!」
「うわ……先生歯磨き粉とか食べるんだ……」
「おおっと買ってきてその反応はいかがなものかな?出ちゃうぞー?大人の鉄拳出ちゃうぞー?」
少し集中モードだった空気も和んで小休憩。リエは余ったスイカくんバーをかじりながら窓の縁に腰掛けて「……これからどうなるかな」と外を眺めていた。
そして補習授業部が第一次特別試験を乗り越えて翌日。
「みんな、とりあえずお疲れ様」
今回リエはナギサからの頼みで補習授業部を訪れていた。安堵したヒフミの顔に対し、リエは少し申し訳なく思った。
「んじゃ、先生から返してあげて」
「了解!名前と点数読めば良いんだよね?」
「そういうこと」
リエは結果の入った封筒を先生に手渡した。彼女は中身が傷つかないようにカリカリッと封を剥がし、中の採点済の答案を取り出した。
「まず……ヒフミ!72点!合格!」
「わぁっ!やりました!これでなんとか補習授業部は……!」
アイスにも描かれていたキャラクター、『ペロロ』の柄の筆箱を握りしめて満面の笑みを浮かべた。……このあと、その表情は一気に崩れることになるのだが。
「次……アズサ!32点!不合格!残念!」
「……むぅ……惜しかったな。僅かに届かなかったか」
「僅か?!僅かの意味知ってますかアズサちゃん?!」
少し悔しそうな顔を浮かべているが、どこかズレた反省をしているアズサに対し、ヒフミが鋭いツッコミを入れる。さっきまでの笑顔はいつの間にかどこかへ消えていた。
「次……コハル!11点!不合格!頑張れ!」
「嘘っ?!」
「11点?!待って下さい、今回も学年間違えてたりしませんよね?!というか正義実現委員会のエリートじゃなかったんですか?!先生も少し軽快に読み上げるのやめてください!」
「だ、だって今回……すごい難しかったし……」
「簡単でしたよ?!授業前の小テストとかそんなレベルですよ?!」
顔を赤らめて必死に言い訳するコハル。先生の手元にある答案の解答欄はほとんど空欄か、「エッチなのは駄目!死刑!」で埋まっていたのは本人の名誉のために黙っておこうと先生は思った。
「うう……ということは受かったのは私とハナコちゃんだけですか……うう……」
「ハナコ!2点!不合格!大喜利の出来は良いから先生は30点くらいあげたい!」
「同じテストですよね?!私が受けたのとほんとにおんなじですよね?!あんなにできる感じの雰囲気だったのに?!」
「あっはは!ハナコ?!自分以外合格してたらどうするつもりだったの?!あっはっは!お腹いったぁ……!」
もはやヤケクソで大喜利会場と化した解答欄を評価する先生と、彼女らしいと大笑いするリエ。その隣でヒフミは必死にハナコに問いかける。
「ふふっ、雰囲気だけではどうにもなりませんでしたね。まあ成績は別ということで」
「成績は別?!いやいやあんなに分かりやすい解説だったのに?!……そうだ!リエ様ハナコちゃんとお知り合いなんですよね?!昔からそうなんですか?!」
「あっはは!ごめんねヒフミちゃん!私黙秘……あっはっは!まだお腹いた……」
机に突っ伏して、天板をバンバン叩いて笑う彼女。その横で、ヒフミは青ざめた顔で今にも崩れ落ちそうになっていた。
「ああ、不合格っていうことは合宿に……」
「……っと、そうそう。それで私が……ふふっ、……すっかり忘れてた」
笑い転げていたリエがよいしょよいしょと身体を起こす。一旦ぐぐっと背伸びした後、スクールバッグから即席で作った資料を取り出すと先生含む五人に手渡した。タイトルは「補習授業部の合宿案内」とひどくシンプルだ。
「……ということで補習授業部は第一次特別試験不合格、というわけで
リエはいい人なので安心して下さい