01 子供
待ち望んでいた船が到着した。
コンクリートの港についた大きな木造船に橋がかけられて、少女がいの一番に降りてくる。
クリーム色の髪をふわふわ揺らして階段を駆け下りた彼女は、こちらを見てぱぁと顔に花を咲かせた。呼応してクジラのヒレにも似た大きな耳が跳ねるように広がり、背後の長い尾ビレが揺れる。
「ツキちゃん! ひさしぶりっ」
長年顔を合わせていない恋人を見つけたように歓喜を隠そうともせずに、私に走り寄ってくる。
私もこれには慣れっこだ。この年相応に小さく可愛らしい友人は、いつもいつも私を見るとこうなのだ。
「もう、久しぶりもなにも、二週間も経ってないよ?」
「二週間もたったんだよ」
会うたびに言葉が上手く賢くなる彼女に、私の顔も思わず緩んだ。
とはいえ、抱き着いてきた彼女よりすこし身長の低い私は、後頭部を撫でられる感覚に逆らうことはできない。
「ツキちゃん、ツキちゃんも」
「……? なにが?」
「ひさしぶりってごあいさつ、しよ?」
優しい声色で少し私から離れて瞳を覗き込んできた彼女のお願いに反する理由などない。むしろ、この子に注意されてしまったのが少し恥ずかしい。
「ごめんね……? シーア、二週間ぶりだね。元気してた……って聞くまでもないか」
「うん、このとおり! ……えへへ」
習ったのか何かの真似かスカートの端をつまんで一礼した彼女は、照れたように私の前でくるっと回った。
シーア=ピュセーテは私の友人だ。
年は互いに六つになる。
「おとうさま、ツキちゃんとあそんできていい?」
「ん、ああ。昼までにはウールススの屋敷に行くんだぞ。ツキちゃん、すまないがシーアを頼むよ」
船から降りてきたばかりの紳士が、シーアの声に答えた。
「安心してください、私が守りますので」
「危ない目に合う前に一緒に逃げてくれって意味なんだがな……」
彼女のお父様、ピュセーテ家の当主様とウチのお父様は仲が大変よろしい。
学園時代からの付き合いらしく、お父様のやんちゃな頃の自慢話はいつも彼と一緒だ。学園内のチーム戦の魔法勝負では組めば敵なしだったとか、民家よりデカい怪物のような
多分最後は嘘である。私は私のお父様が魔法より拳派なのを知っている。
私の片手を強引につかんだ彼女にひかれて、港沿いの商店街に飛び込んだ。
私、ツキ=ウールススには前世の記憶がある。なんてテンプレな始まりはいかがだろうか。しかしなってみればわかる。こうとしか形容ができないのだ。
まあ一度死んだ記憶はあるようなないような、あんまりしっかり覚えていないので前世とはいえないのかもしれない。だけど少なくとも二十五歳まで日本で生きていた一般人女性の一生が私の脳に焼き付いている。トラックにはねられた覚えもなし、通り魔に刺された覚えも持病があった覚えも電車にはねられた覚えも隕石に潰された覚えもないときた。
私という意識がどうしてここにいるのか、まったくの謎である。おかげで私という記憶の存在を自覚するのにも時間を要した。
さてそれはいい。異世界だ。ここは紛れもない異世界である。その証拠に海中には怪物が潜んでいるし、知った名前の生物がほぼいない。誕生日にメアカオナガなる未知の鳥類の丸焼きが出てきたときはビビった。二重の意味で。ひとつはなんそれ知らん生物知らん文化こわ……と引き気味に。もうひとつは記憶にメアカオナガの丸焼きなる料理の記憶が存在したのだ。あるはずないものを検索かけたらヒットした。だからビビった。
『ターニングターニン~みなもに眠る泡~』私が小学二年生のころにどハマりした携帯ゲーム機でできる乙女ゲーの名前だ。それの比較的上位の回復アイテムがメアカオナガの丸焼き……だったような気がする。まあ美味しかったので詳細は知らなくてヨシである。
たしかヤツが食卓に並んだのは去年……五歳の誕生日のことだった。そこでようやくここが乙女ゲーの世界だと気づいたのだ。数多の主人公たちのように、頭打ったり病気で生死の境をさまよえばもっと早くハッキリ気づけていたかもしれない。でも五歳は十分早い部類だよね? そうだよね?
さて、ワタクシことツキ=ウールススちゃん六歳にもゲーム本編できちんと役回りがある。しかも結構メインだ。早い話ライバルキャラ、主人公ちゃんに立ちはだかるライバルさんである。ただツキ=ウールススの役目は少し特殊なのだ。そもそもこの作品、恋のライバルがいない。ライバルキャラはいるのに。じゃあ私はなんの役目が与えられているのか。
何も複雑なことはない。ただただ本当に、ライバルキャラだ。恋愛以外の。学業、魔法、決闘、etc……を競い合う、言い方を変えればただのよき友である。
妖精によって世界の危機を救う役目を負うことになった主人公が力を付ける過程で必ずぶつかる敵、悲惨な結末に向かう幼馴染を助けるために力をつけるライバル。それが私。悲惨な結末に向かう幼馴染、いず、可愛い可愛いシーアちゃん。
強引に私の手を引いて、どこかへ向かう我が幼馴染は何も知らぬ顔をしている。
そりゃなにもしらないんだからね。商店街のおっちゃんが投げてよこしたリンゴをしゃくしゃくと齧りくらって、貴族サマとは思えない豪快さをみせてくれる彼女は将来悲惨な結末を迎える。なんだかんだで原作主人公がエンディングに向かうための踏み台にされるのだ。
たとえば海の怪物になり果てたり、神隠しにあったり、怪異に殺されたり、海の怪物に憑依されてラスボスになったり。私はそれを知っている。ゲームの中の私は、割と致命的な段階になるまで気づけないので、それまでは姉のような幼馴染を守るために強くなろうとしているだけだが。
だがもう一度。私はそれを知っている。幼いころの記憶だからあいまいなところはあるが、しかし彼女が海の怪物に魅入られていることを知っているのは大きなアドバンテージだ。
彼女とは数年来の付き合いだが、いい子で、優しくて、可愛らしい。そして学園入学後のゲーム中でもそうだ。
この子があんな目にあっていいはずがない。
知っている身として、前世のある大人として、同じ時を歩める友人として、私はこの子の姉となるのだ。誰にでも優しいお姉ちゃんの甘えられるよりどころになる。彼女の望みをかなえ、彼女を守る存在になる。私はきっとそのためにこの生を受けた。
そう思っている。
◆
潮の匂いが強い商店街を抜けて、人の少ない昼間の住宅街にやってきた。
シーアがウチの島に遊びに来たら、いつもこのベンチに腰掛ける。
商店街の人たちからいただいてしまった果物を食べるため、休憩するためなど目的は様々だ。
「いまリンゴなんて食べて、お昼食べれる?」
「もっちゃったから食べていいとおもう」
「それでいいのかなぁ」
彼女の腹の具合を心配していると、ノイズ混じりの曲が聞こえてきた。
「んーラジオ」
「そうだね」
ここに座るといつも同じ時間にラジオの音が聞こえてくる。
そのときによって流れる音楽は違うが、十中八九局は王都のものである。ウチの領に放送局はないし、他の島からのはもう少し質が悪い。
「今日は何だと思う?」
「しらない曲だよー」
「私も知らない」
「ツキちゃんがわかんないんじゃ私もわからないや」
この世界は大陸がない。私の覚えている限りは。
少なくともこの国は多数の島々で構成されているのだ。ただでさえ連絡手段が船しかないのに、海の怪物のおかげで安全な航路は少ないのだ。
よってこの世界、妙に無線通信が発達している。ちなみに動力は電気だ。各島々には王都からの緊急連絡用の無線機と電波の中継器が最低一台はおいてあるし、上流階級はラジオを有している。この世界の人間のどこにここまで技術を発達させる余力があったのかは全くの不明だ。
私の悩みも無視して、ラジオはどこぞの家の窓から陽気な音楽を垂れ流している。
「たのしそうな音楽だね」
「これ好き?」
「うん! いつか
「……そうだね。一緒に買いに行こうか」
「おみやげにね、みんなでみやこのおかし食べながら、レコード聞こうね」
「楽しみだね」
「うん……あっみて、ちょうちょだよ」
この年の子供に落ち着きを求める方がおかしいのかもしれない。
目を凝らすと少し離れた草むらにオレンジ色がひらひらと舞っている。
緩やかな風が流れる住宅街に吹かれるように、どこかへ飛ばされるようだった。
住宅街の外れともなると遠くにしか人の声は聞こえない。
さっきいた商店街は住宅街を挟んだ向こう側だから、ここから先はただわずかばかりの農園と、子供たちの遊び場、そして山のみだ。
灰色っぽいカモメが舞って、遠くどこかに消えていく。鳴き声も聞こえない。
私は落ち着いた空気にのまれまいと目を擦った。そして頬を叩く。
「よしっ……待って、シーア!」
「はやくー! つかまえられるかな」
「網どころか帽子もないんだよ、どうするの?」
「どうしよう、どうする」
蝶を追いながら住宅街のさらに外へ外へと移動するシーアに連れられて、私も草木の多いこどもたちの遊び場に踏み入った。少し遠くに果樹園が見える原っぱだ。
いつもはここで街の子供たちが遊んでいたりするのだが、おかしいな。今日は誰もいやしない。
ここにはない小柄な影たちを探しても、風で葉や草が揺れているだけだった。
「どっかいっちゃったね」
「見事に見失ったね…………うわっ」
森から一斉に鳥が飛び立った。まるでなにかから逃げるように、集まって一目散に海の方へ離れていく。
昼間だというのに不吉を予感させる黒い鳥たちは、真夏の空を遠く遠くへ駆けていく。
「…………」
少し体が冷えた。
黄昏の街に現れる、非日常的なワクワクに伴う畏怖に似た悪寒が背筋を舐めてくるようだ。
「シーア、べつのとこに」
「誰か! 誰か!!」
私の言葉に割って入り込んできたのは、誰かの悲鳴だった。
木々の隙間から聞こえてくる叫び声は、まだ高く幼さの残る声色だ。
私たちは驚いてそちらに振り返るとすぐに彼は顔を出した。いや、彼らだ。一人ではない、ここでよく遊んでいる少年少女たちだ。相当焦っていたのか、全身土草まみれだ。
まるで、何かから逃げていたかのように見えた。
シーアは、私があっというより先に彼らのもとへ駆け寄っていた。
「ど、どうしたの?」
「ティム、ティムが……ティムが!」
「おちついて! …………ね、おちつこ? ゆっくり……しんこきゅうして……ね……どうしたの?」
子供たちは錯乱したように私たちに押しかけてきて、要領を得ず私は何をすればいいのかわからない。
シーアは、ぱちんと強く手をたたいて一人の目を覗き込む。そしてゆっくりとその優しい声色で語りかけた。
私の耳にも滑り込んできた言葉は、焦った内心によく届いて、脳に響いてくる。
応じるままに大きく息を吸って吐き出した少年は、いくらか落ち着いた様子で汗を流しながら話し始めた。
「あのな、その、森でよ、木の実とってたらとつぜん山のほうからでっかい鳥がふってきてな」
「うん」
「だからみんなで逃げたんだ。だけどとちゅうでティムが転んじまって、だから────」
「────ギィァァアアアアアアアアアアアアア!!」
そのとき、森から特別大きな咆哮が響いた。
人の出せる声でも大きさでもなかった。鼓膜どころか肌をも震わせるその叫びは、きっと喧騒を押しのけて街にも届いただろう。
これ以上彼の話を聞かずともわかる。怪物だ。バケモノがこの山にいる。
思わず森に振り返って呼吸を止める。そうしないと見つかってしまうような気がしたから。
けれどそれっきりもとの静けさを取り戻していた。じわじわ浸蝕してくるような冷たさが体を襲う。不気味な静寂だった。
だが、1分も経たないうちに、シーアに肩を叩かれた。
「……みんなは街にもどってて、ツキちゃんは私とティムって子をさがしにいくよ!」
「ダメ、待って、危ないから大人に! ね、あの声でじきに街から人が……」
シーアはすでに溢れる青々しい木々へ踏み出していた。あの咆哮で肩を震わせたひとりだろうに、そこに飛び込めるのはなぜだろうか。
貴族の娘とか、彼女のお父さんに頼まれているとかそういうのを抜きにしても、むき出しの危険に飛び込むような真似はさせられない。ようやく冷えてくれた頭のどこかが、私にそう告げる。
しかし、焦って彼女の肩を掴んだ手は優しくどかされた。
「こわいならみんなと街の人をよんできて、おねがい! 私はておくれにならないうちにたすけに行くから」
「えっ……う」
普段の柔らかさがウソのように、真剣で力の宿った瞳が私を一瞬覗き込んだ。
…………ダメだ。それはダメだ。いけない、彼女を一人にするのだけは絶対にダメだ。
ついていくしかない、もしものことがあれば大人の私が前に出て、シーアを逃がすのだ。そうだ。それしかない。何せ彼女は、止まってくれないのだから。自分を捨てて最善を尽くそうとする意志はゲームで見た彼女となにも変わらない。
遠慮なく森に入り込んでいく彼女を追って、私も草木をかき分け進んだ。
駆け足気味に、けれど転ばぬように慎重に。
陽の明かりを広葉樹が覆い隠していて、少し暗くじめじめと涼しい。
「ティムー!」
そう叫んでも、返答は来ない。
道中転んだと聞いた。大きな鳥とやらに遭遇していない可能性も十分にある。だからきっと大丈夫、大丈夫だ。
思いきかせるように、最悪の想像を振り払う。
少し奥まで来たところで、物音が聞こえた。
シーアも気づいたようで、すでにそちらに駆け出していた。
「ティム、そっちにいるの?」
そして彼女は、草むらの向こうを覗き込んだところで立ち止まった。
「……シーア?」
呼びかけても返答はなく、私もその草むらの向こうを、そっと覗き込んで。
呼吸を止めた。
ティムらしき男の子はいた。けど動かない、血を流している。けれどしっかり処置をすれば問題のない程度だ。おそらく気絶しているのだろう。もしあの咆哮を間近で受けていたとしたら、それも納得だ。
しかし彼は、巨大な爪で地面に縫い付けられている。鱗の生えた大きな猛禽類の足、子供一人を容易に捕らえるその大きさに比例して、その鳥も見上げるほどだ。
先に行くほどに赤くなる茶色の羽毛で包まれたその鳥は、くちばしが長く、そして瞳がいくつもあった。青く生い茂る森の中、尊大に振る舞うようにゆるりと動く。日本鶏のような尾羽を伸ばして、黒色の霧を周囲にふりまくと、彼が一層支配者然として見えた。
「怪鳥……クロガミオバナ」
書斎の本で、あれの絵を見たことがあった。
こういうの書いてみたかった。けど眠くて何書いたか覚えてない。
初めての予約投稿なのでちゃんと投稿できてるか心配。