話の内容は「050 見ている」のときとなにも変わりません。
顔色が悪いよ。
これはシロが友達に言われた言葉だ。
わかっている。わかってる。寝不足で、肌が嫌に冷たい。どうしようもない状態なのは彼女が1番理解していた。
昨晩のことだ。
もう鳥の歌も聞こえない頃は、彼女にとっては十分遅い時間だ。既に寮の同室の子は、日中とは正反対の静かな吐息を漏らすのみだ。
「ふぁ……」
あくびが残していった涙の粒を袖で拭って、ベットにばたりと倒れた。
こんな時間まで起きていたのも、恋占いのゴタゴタで宿題が終わっていなかったからだ。
寝る前に、思い出したくはなかった。いいや、そもそもあまり意識をしたいことではない。
思い出す。
右腕の力が抜けて勝手に指を動かすあの感覚を。
力を込めても指先には届かず、意思に反してコインが移動しているのをただ眺めることしか出来ない。そんな折に思考に割り込んできた…………。
顔をパチンと叩いて首を振る。
頬の羽毛が意味をなさないくらい、強く叩いた。
思い出しかけた嫌なものを追い払う代わりに少し思考が冴えた。
しかしこの時間帯の眠気なら、ジワジワと脳を侵食してすぐに視界をぼんやりとさせるだろう。いつもならそうだ。今日もそうなのだ。
そうなるまえに眠る気ではあるが。
いつもは同居人と互いに言い合う「おやすみ」の挨拶。しかし今日ばかりはその相手がおらず、しかし何もいわないのは締まりが悪い。
「…………。……」
誰に向かうでもなく「おやすみ」とつぶやこうとして、口が詰まった。
まだ眠るのには早いような気がした。こんなにも眠たくて、夜も更けているというのに。
えも言われぬ気持ち悪さに上半身を起こして、部屋を見回す。汗で肌に服が貼りついて、少し気持ちが悪かった。
いつも通りの空間だった。総合学園の女子寮の一室で、貴人も使うから華美でない程度の装飾がなされている。
ふたつの勉強机には同居人とシロの私物がおかれていて、可愛らしいぬいぐるみが暗くて少しこわい。
もうこんな時間だから部屋の隅は暗くて、段々と夜目が聞いてきた瞳でも見通すことは出来なかった。
「……」
なにもない。
大方、あれのせいで少し心が過敏になっているだけだろう。
ただ少し不安になってしまっただけなのだ。
そう結論付けた。
滑らせた視線は再び上半身を倒す寸前、ふと何気なく彼女自身の机の上で止まった。
ポツンと覚えのない麻袋が置いてあった。なんでもないように、他のものに紛れて置かれていた。
小さくて、安っぽい袋だった。
「…………」
初めは同室の子のものだろう。そう思った。
だけどすぐにそうではないと考えた。
日頃お茶目な子だが、彼女は貴種で、最低限の見せる努力くらいは行う子だった。
こんなにも安くボロいものを持っているとはなかなか考えづらかったのだ。
では誰のだろう。
もちろん彼女に覚えがないのだから、彼女の持ち物ではない。
「…………とにかく見てみなきゃだよね。だれかのものかもしれないし」
このまま放っておいて寝てもいいはずだ。中身を確認せずに落し物として届けてもいいはずだ。
だけど確認せずにはいられなくて、しかしそれは嫌だった。
何が嫌なのかもわからずただ彼女は誰かに許しを乞うように言い訳の免罪符を用意するように、言葉を発したくなった。
しかし思っていたよりも大きな声が出て、思わず安らかな寝顔を晒す同居人を確認する。
元気いっぱいのその少女は、いつも通り眠りが深い。
身動ぎする様子もなかった。
ほっと息を着く。
少し緊張したのか鼓動が強く思えた。
だがそのおかげかいくらか冷静さを取り戻すことができた。
なんでもない。ただの麻袋だ。
シロは手を伸ばして触れる。
ざらとした。そこまでいい肌触りではない。
そっと持ち上げると、存外軽く、しかし重かった。
麻袋の重さではない。袋のそこに重さが集まっている。
何かが、入っている。
そのことに気づいたとき、身体中から汗が吹き出したのがわかった。
思わず固まって、袋を持つ手を緩める。
しかし手放そうとは思わなかった。
「……すこしだけ、すこし見て、すぐ寝る。あした先生にとどける」
両手がゆっくりと動いて、そっとその口を開いた。
暗くてよくわからなかった。
もうとっくに部屋のランプは消していて、ただでさえ月明かり頼りの部屋の中なのに袋の中身など覗けるはずがなかったのだ。
仕方がない。
彼女は机の上で、袋を少しかたむけた。
中身を取り出そうとしているのだ。
袋に手を入れて確認しようとはとても思えなかった。
ゆっくり、ゆっくりと傾いていく袋は確かに小さな何かが入っているようで、移動するような感覚が……。
「あ」
ころん、と転がった。
袋から飛び出したそれは、机を滑って転がる。
球体だった。
しかしそのままどこかへ転がり落ちていくことはなく、すぐに静止してこちらを見ていた。
「……ひ」
栗色の瞳孔が、シロの瞳をしっかりと捉えていた。
眼球だ。
麻布の中には、誰のともわからない。しかし見覚えのある瞳が入っていたのだ。
それはじっと無感情にシロを見つめていた。
これはこれの意思でこちらを見ているのだ。
転がり落ちたはずの眼球に凝視されて、ありもしない発想が脳裏をよぎる。
そんなはずがない。たまたま、たまたまこちらを見ているだけだ。
本当に?
袋を覗き込んだとき、あの吸い込まれそうな闇からもこちらを観察していたのではないだろうか。
あの栗色で、じっとりと彼女の瞳を、顔を、なめるように……。
……。
…………。
………………。
気づけば小鳥のさえずりが聞こえた。
枕に顔を沈めていたシロは、何が何だかわからず起き上がる。
部屋には朝日が差していた。
同居人はまだ眠っている。
部屋の隅々まで照らした陽光が、朝の訪れを教えてくれる。
「……んう?」
自分はいつの間に寝たのか、寝る前はどうしていたのか。
ぼやけた思考が、起き上がる彼女を手助けする。
悪夢を見たような気がする。そんなことはいいから、同居人を起こすべきだろうか。いいや、今日は休みだったはずだ。しかし食堂の時間が……。
手に慣れない感覚が感じられた。
そっと手を開いて、握られていたものを確かめた。
「…………ぁ」
麻布だった。
あの悪夢のような記憶にある、あの麻布だった。
身体は力が抜けたように固まって、瞳はその麻布ばかりを強調して映す。
つーと冷や汗が首を伝った。
幸いといえば、あの不自然な重さはないらしいことだ。
しかしこのボロく安っぽい麻布は確かに存在した。
手を震わせて麻布を握り込む、いくら潰しても、手の中で夢のように消えてなくなることはない。
だってそこにあるのだから。