■
ここのところ、奇妙な夢を見る。
その夢は決まって、雨の降るレース場から始まった。
私はいつも、勝負服を着て発バ機の前に立っている。
奇妙なことに、その発バ機のゲートは、二つしかなくて。
そして、もう一つのゲートに入っているのは、いつも。
顔が黒い靄で覆われている、誰かだ。
「よォ」
ゲートが閉じると、くぐもった声が隣から聞こえてくる。
「……また、アナタ?」
「うんざりか?」
「ひと月も同じようなコトが続いたら、さすがに」
眠れない、とか、うなされる、みたいなことはないから、まだ許せるけど。
「あなたの目的は、何?」
「オレに勝ったら教えてやるよ」
「……そう」
そうやって構える彼女を見て、私も姿勢を整える。
ゲートが開くのは決まって、私がそうしてから三秒後だった。
「ほら」
「……っ!」
でも、不思議な――あるいは腹の立つことに、私はいつも出遅れてしまう。
何か泥のように粘ついた、奇妙なものに脚を取られてしまって。
それが何なのか、後ろを振り返って確認しようとしたことは、ない。
そうしてしまうと私はまた、彼女に負けてしまうだろうから。
「遅ェぞ」
「うるさい……!」
もう五、六バ身は離れているはずなのに、彼女の囁きが耳元から聞こえてくる。踏みしめる大地の感触も、肌を叩く雨粒の鬱陶しさも、乾上がるような肺の痛みも、全てがまるで現実のように感じるのに。
彼女の声だけが妙に夢のように、ぼんやりと私の頭の中で響き続けている。
そして――
「また、オレの勝ち」
感覚でおよそ二四〇〇メートルほどの距離を走ってから、だろうか。
黒い靄のかかる顔を私に見せながら、彼女はいつもそうやって笑ってくる。
「おいおい、頼むぜ? オレはオマエみたいな腰抜けを育てた覚えは無ェ」
「……私も、アナタに育ててもらった覚えなんて、ない」
「そうか?」
いつも間にか目の前に立っていた彼女は、私の顎をくい、と上げて。
「こんなにも、似てるのになァ」
黒い靄の向こうにある金色の瞳を細めながら、そう告げた。
「っ、やめて……!」
「おい」
手を振り払って、彼女と距離を取る。
……いつも、こうだった。
私は、彼女に勝てない。何度も何度も出遅れて、大差をつけたまま負けてしまう。
それが想像以上に悔しくて、それ以上にこの悔しさをどう受け止めればいいのか、分からなくて。燻ぶった感情が、胸の奥にこびりついたまま剥がれない。
正直に言えば、私はあまり勝ちには拘ってこなかった。
私はただ、お友達の――彼女の顔を見ることが出来れば、それでよかったから。
でも、菊花賞に有馬、春の天皇賞を制しても、彼女はその顔を見せてくれなくて。
それどころか彼女は、こうやって顔を見せないまま、私と走るようになった。
「何だよ、その顔は」
「…………」
認めてくれたんじゃ、なかったの?
それとも私に、ああやってズルをして勝ちたかった、だけ?
アナタのために走り続けたのに。その結果が、こんなものなんて。
……そんなのは、絶対に許さない。
「あァ、その目だ……! その目だよ! 最高だ! やはりオレはこうでないと!」
浮かべるその笑みも、ひどく憎たらしく見えて。
「……答えて。アナタはいったい、何なの?」
その問いかけは、ここ数日の夢どころか、彼女と出会ってから初めてのもので。
彼女は一度、私のことをじっと見つめてから、静かに答えた。
「オマエには失望したよ」
「……どういうこと?」
「今のオマエは、オレの影を追い続けるだけの……ただの、亡霊でしかない」
並べられる言葉の意味なんて、分かるはずもなくて。
次の瞬間、周囲の風景が絵具をかき混ぜるみたく、ぐちゃぐちゃに溶け始めた。
夢が終わる。髪を伝っていく雨粒が、瞳の前で泡のように膨らんで、消える。
そして彼女は、崩れていく地面を歩きながら、こちらに近寄ってきて。
「教えてやる」
「……なにを?」
「今のオマエに必要なことを」
内臓がふわりと浮かぶような、強烈な浮遊感。
底の見えない曇天に、彼女に抱き寄せられながら落ちていく。
私の髪と彼女の髪が絡み合って、それは夜の帳となって周囲を包んでいって。
そして、星空が煌めく世界の中で、彼女がふと天上へと指をさした。
「面倒だから、今度はアイツも連れてきな」
言葉に促されるよう、顔を上げたその先に見えたのは。
「……シャカール、さん?」
逆さまになって私たちのことを見つめる、エアシャカールさんだった。
■