アルナの地図を見せてもらって分かったが、ゲンマが目覚めた場所は、この世界において重要な位置づけにある中心の町から少し離れた森の中だったらしい。
「マテリアワールド」だと主人公(=プレイヤー)が最初に覚醒するのは、その町の草原という設定だったはずだ。1人の青年が魔族に襲われ、自分を救ってくれた騎士に憧れて冒険の旅に出る、という流れだった。その点が違うのは、ゲンマは主人公ではないということだろうか。
「私の住んでた集落って、年がら年中雪ばかりで…雪のないこの森、新鮮です」
「そうなのか…それだと、中々苦労も多かったんじゃ?」
「まぁ、10歳を過ぎた辺りで慣れてきました」
その町を目指し、ゲンマは今アルナと共に森の中を歩いている。幸い地図はゲンマも読めたので、でくの坊という体たらくにはなっていない。
そして道中、これから先冒険を共にするということで、親交を深めるためにアルナとは雑談を交わしていた。ゲームの設定画面で、アルナの生い立ちや性格などは把握していたが、実際こうして言葉を交わすことで分かることもある。何より、ゲームにしか登場しない人物と直に会話ができるというだけでも値千金だ。
また、新たに分かったこともある。この世界における天候は、元居た世界とほぼ同じで、四季も存在するということだ。人体の構造が同じ、という事前説明だけでは不安だったが、天候も同じとなればありがたい。鉄の雨(直喩)が降るとか、風には刃が混じっているとかだったら、おちおち外も歩けないからだ。
「私、冒険に出たら色々な場所を見て回りたいなって思ってまして」
「そうだなぁ…確かに俺も、色々見たいかも」
「ええ。ですので、是非ゲンマさんと行けたらいいなって」
アルナが心優しいのは知っていたが、ゲンマの過去――というより転生前――がつらいものと知ってか、あまりゲンマの過去について深く聞こうとしないのはありがたかった。ゲンマにとっては、かつての人生など思い出す度に内臓が軋むレベルで思い出すのが苦痛なので、極力そうしないよう計らってくれるのはとてもありがたい。ゲームをプレイしていた時点でその性格は分かっていても、なんていい子なんだろうと思わずにはいられなかった。
「あ、ここからなら町が見えますね」
やがて、開けた高台に出た。見晴らし台として整備されているわけではなく、剥き出しの岩の上から広い景色を見渡せる自然の産物だ。
アルナに並ぶように、ゲンマもそこに立つと。
「…おぉ」
これが夢でないことを、心から願った。
飛び込んできた景色は、まさに「絶景」だ。眼下には草原に囲まれた街があり、規模は広すぎず大きすぎない程度。町から離れた場所には、今いる場所よりもさらに高い山がいくつも連なり、その頂は雪が積もっているのか薄っすらと白い。町の左手側には海が広がり、水平線に向かって太陽が静かに沈もうとしていた。この時間帯だからか、その目に映るものがどれも夕陽に照らされ淡い茜色に染まり、妙な寂寥感を抱かせる。
そして何よりも、こうして周りが自然に満ち、開けた場所で感じる風はとても穏やかだった。吸っている空気さえ澄んでいて、これほどまでに身体を満たす爽やかさなど感じたことはない。
「……」
傍に立つアルナが、慈しむような笑みを自分に向けているのが分かる。自分が今、見ているものや感じるものを堪能していることに気づいているらしい。けれど今だけは、申し訳ないがこの感覚を大切にしたい。これは初めてここに来たからこそ抱けるから。
こんな心地よい瞬間に立ち会えただけで、転生した甲斐があるというものだ。
◆ ◇ ◇
金の切れ目が縁の切れ目、という言葉がある。この世界にそんな言葉があるかは知らないが、何をするにしても金が大事で、金が尽きれば進退窮まるというのはよくある話だ。
なんでそんな言葉を今思い出したのかというと、自分の所持金について一抹の不安を覚えたからだ。
「財布…」
ポケットの中身を確認するゲンマ。今まで気づかなかったが、紐で口を縛るタイプの小さな衣袋が入っていた。振ってみるとジャラジャラと小銭の音が聞こえてきたので、中を見れば入っていたのは硬貨。黄金色のそれは、実際に「マテリアワールド」のゲームでも見た共通の金で、単位は「ベルガ」。それが10枚。1枚につき1ベルガと考えれば、手持ちは10ベルガだ。
これを持たせたのはあの「神様」だろうが、気になるところもある。
この世界で1ベルガはどれほどの価値があるのか、だ。
「色々お店がありますねぇ」
「そうだな…」
日没間際に中心の町…セントラルタウンへ到着し、ゲンマはアルナと一緒に色々見て回っている。隣を歩くアルナは、こういった町を訪れること自体稀なのか、とても楽しそうだ。確かに、果物や野菜(どれも見たことがないものばかりだ)を売る商店や、洋服や服飾品の店、食事処に賭場、裏路地には何だかいかがわしい雰囲気の店など、とにかく色々な店がある。陽が沈んでもなお賑わうこの町は、中と呼ぶに相応しいだろう。
ただ、何をするにしても金が要るのはこの世界でも同じだろう。さらに言えば、金は多いに越したことはないのも同じはずだ。
だからこそ、この手持ちの10ベルガは貴重だ。この世界で生きていくうえでの頭金と言っていい。というか、ゲームの方は最初に100ベルガが貰えたはずだが、なぜか10分の1しかない。これも、ゲンマがゲームにおける主人公ではないということだろうか。
「まずはギルド管理本部で、冒険者として登録する必要があるんですけど…もう閉まっちゃってますね」
街の中心にある噴水のすぐそばに、ひときわ大きな建物がある。レンガ造りの3階建ての建物で、屋根の上には大きな鐘が設けられていた。あれが、ゲームにもあったギルド管理本部だ。登場人物もそうだが、ゲームの中でしか見たことがないものを自分の目で実際に見られるというのは、気分が高揚する。
しかし、そのギルド管理本部の門扉は閉じられてしまっており、人を受け入れる気がないのは明らかだ。既に業務を終えているらしいが、日没と同時に業務終了とは何とも理想的な勤務形態をしている。前世で勤めていた会社など、日付が変わる直前まで働かされていたし、何なら徹夜も経験した身だ。羨ましいことこの上ない。
「仕方ありませんし、今日は身体を休めて明日から行動を始めましょう」
「そうするしかないか…このままうろついても死ぬオチしか見えないし」
アルナの意見に賛成する。この世界の概念を知っていても、細かいところまでは知らない。夜中にうろついてまたさっきみたいにガラの悪い連中に出くわすとも知れないし、反対する理由もなかった。
そして第一の目標が明日へと回れば、今日は休むだけになる。
「それじゃ、まずはどこかでご飯にしましょうか」
そこで問題になるのが、やはり金だ。
しかし、金のことばかり気にしていては逆にアルナの気に障ってしまうかもしれないので、悩むのは自分の中でだけにしておく。
「お食事処は色々あるみたいですけど、どうしましょう?」
「できれば静かそうな場所が…」
先ほどよりも少し目を輝かせて周りを見回すアルナだが、ゲンマは不安しかない。何せ、手持ちのベルガでどれだけの料理が食べられるか分からないのだ。いや、そもそも宿のことも考えないとならないので、使える額は半分にも満たないと考えた方がいい。
それでも、静かな場所で今は食事にありつきたかった。賑やかな食堂も嫌いではないが、今は若干疲れているので静かにゆっくり食べたい。
「あ、あそこにしましょうか」
そう言ってアルナが指差したのは、大衆向けとは違うこじんまりとした料理店。見える限り、店内は静かだ。そこ以外に他に同じような雰囲気の店もなさそうだったので、アルナと共にそこに足を踏み入れる。中は温かい色の配色で、置かれたオブジェクトや内装から柔らかさを感じる。テーブル席が8つあり、内7つは既に埋まっている。家族連れと思しきグループ、連れ立っている仲間と思しき男女、1人で食べている客、色々だ。
空いてる席にと言われたので、ゲンマとアルナは一番奥の左手のテーブル席に着く。
「ぶはー」
その直後、やけにオヤジくさい溜息が近くから聞こえてきた。アルナにも聞こえたようで、揃ってそちらを向く。隣のテーブル席だ。
座っていたのは、20代ぐらいの女性。濃い紫の髪を後ろで縛っていて、服はところどころに金属の装飾があるものの、動きやすさを重視してか大胆に腕と腹部、足を露出した薄めの生地だ。
明らかに、冒険者かその類だとゲンマは直感で思った。だが、このキャラクターは「マテリアワールド」をプレイしていた時に見たことがない。彼女もまた、限定キャラクターか何かだろうかと思ったが、自分が見る人全員がゲームに登場するキャラクターの可能性もあまりないか、と思った。
「あ゛ぁ~…染みるわぁ…」
そんな彼女の座るテーブルには、酒瓶が何本も並んでいて、そのほとんどが空になっている。顔は真っ赤に染まっていて、赤い瞳は朧げに揺らいでいる。紛うことなく飲んだくれだ。
ゲンマはアルナと目を合わせると、「関わったら絶対面倒なことになる」と認識を一致させてメニューに視線を落とすことにした。
「色々ありますねぇ」
アルナが言う通り、メニューは色々豊富だ。神様がこの世界の文字を読めるようにしてくれたおかげで、何が書いてあるのかはゲンマにも分かるが、元居た世界に存在しない文字が初見で読めるというのがとても不思議だ。考古学者のように、失われた言語を研究する人たちも似たような気持ちなのだろうか。
それはさておき、メニューを見ると『川鳥の蒸し焼き』とか『地魚焼盛り合わせ』などイメージできるものも割とある。転生するにあたって地味に気になっていたのは食文化だ。大抵の生き物は何かを食べなければ生きていけず、窮すれば口にできるものはなんでも口にしなければならない。ただし、異世界だと食文化も大分違うと思っていたので不安だったのだが、こうして口にできる料理があると分かっただけ幸いだ。
「ゲンマさんはどうされますか? 私はこの『デザートウルフの溶岩焼』にしてみようかと思うんですが」
「俺は…ちょっと軽めにしたいなって」
何か聞き慣れない生き物の料理が出てきたのはさておき、ゲンマはそこまでがっつり食べたい気分ではない。というのも、昼のいざこざで吐いてしまったせいで、胃の中はほぼ空だ。ここで無理に、脂っこいものや何やらを詰めれば、余計な腹痛を招きかねない。
「えぇ~? あんたら若いんだしもっと食べたらいーんじゃなーい?」
びくっ、と肩が震えたのはアルナも同じだった。
横を見れば、例の飲んだくれが明らかにこちらを見ている。さっきの声の主も彼女だ。やはり瞳には酒飲み特有の揺らぎがあるが、既にその女性は立ち上がってこちらのテーブルにふらふらと近づいてきていた。
「なぁーに、おたくら新人? 見ない顔だけどねぇ」
「あ、私たち、今日ここにきて…」
アルナが親切心からか、この酔っ払いの質問に答えたが、その瞬間にゲンマは「ヤバい」と悟った。
「おほっ、ほやほやかぁ! いいねぇ、若いっていいねぇ!」
どすん、とゲンマの隣に座る酔っ払い。さっき視線が若干合っただけで、さっきの質問を無視していれば見間違いで済んだかもしれない。だが、アルナが答えてしまったせいでこっちにもコミュニケーションを取る意思があると取られてしまった。
「にしても男女2人って、さぁ~。あんたらデキてんの?」
「デキてません」
毅然として否定する。自分なんかとデキてるなんて、アルナからしても嫌だろうに。当人は水を飲んで聞こえないフリをしているが。
酔っ払いが面倒なのは前の世界で嫌というほど理解している。父親は酒を飲めばゲラゲラ笑うし、職場の飲み会なんて愚痴と下ネタまみれの地獄そのものだった。今違うことと言えば、絡まれてるのがそれなりに美人の女性という点ぐらいで。どうせ接点を持つのなら酒が絡んでいない方がマシだ。
「カーッ、男女2人で乳繰り合って冒険に出ますってかァ!? こんちきしょーめ!」
「乳繰り合いません」
「あぁ~ッス、あたしもカレシ欲しい~…」
こっちの話を聞かない上に寄り掛かって勝手に弱音を吐き出しつつも酒をラッパ飲みする女性。酒飲みは本当に怖い。というかこの世界にも「彼氏」という関係性があるのか。
「ほーら、お客さん困ってるでしょうが!」
「ああん、けちィ~」
すると店の奥から、恰幅の良い女性が出てきて女性を引きはがしてくれた。女性を元の位置に座らせると、ゲンマたちに向かって申し訳なさそうに笑う。
「悪いねぇ。この子、今朝ギルドを追い出されたみたいでそれからずっとこの調子なのよ」
「朝から…」
「飲んでるんですか…もう夜ですけど…」
「ま、酒の代金はきっちり貰うけどね」
長時間飲酒に、アルナも驚きを隠せないらしい。それでも前後不覚にならないのは、肝臓が丈夫なのかそれとも飲む量を調整しているのか。
気を取り直して、ゲンマとアルナは料理を注文をした。アルナはさっき言っていた溶岩焼、ゲンマは「地底米の粥」だ。この世界にも米があるのはありがたいし、粥は弱った胃に丁度いい。何より、値段が2ベルガと出費をかなり抑えられる。
「おまちどうさん」
だが、やって来た料理はそれなりに多かった。ちらっと見る限り、デザートウルフとやらの溶岩焼は大きな石の器に赤いスープが満たされ、中には根菜とデザートウルフの肉であろう塊が浮いている。見た目は確かに溶岩のようだった。そして、ゲンマの粥も値段的にそこまでの量ではないと思ったが、アルナの溶岩焼の器より一回り小さいほどの器に盛られていて、そこそこ多い。しかもスープまで付いているので、とてもありがたかった。
「それでは、いただきましょう」
アルナは言うが早いか、早速溶岩焼を食べ始める。はぐはぐ、と表現するに相応しい食べっぷりは、観ていて実に癒される。何というか、少女というよりも犬や猫が食事をしているのを眺めているような気分だ。
対して、ゲンマも粥を食べてみる。昼に吐いてから何も口にしていなかったので、空腹を胃が訴えているが、ゆっくりと口に含む。
「…旨い」
尖った味がするでもない、口全体に広がる仄かな甘みと程よい温かさ。懐かしささえ感じてしまいそうなほどに優しい味で、胃を労わってくれるようだ。続いてスープ。初めて見る野菜(?)が入っており、器の底まで見えるので、味付けは薄いと思ったがそんなことはない。元の世界の料理に例えるのも何だが、コンソメスープみたいな味だ。中の野菜も味が染みこんでいて、とても美味しい。
「ゲンマさん、このお肉すごく美味しいですよ! 一口どうですか?」
「ええと、そうだな…」
スプーンに肉を乗せて差し出してくるアルナ。粥とスープを腹に入れたし、肉もちゃんと煮込まれているようなので恐らくは食べても問題ないだろう。
「じゃあ取り皿に―――」
「えい」
テーブルの脇に合った取り皿を差し出したら、それよりも早く口の中に肉を突っ込まれた。「あーん」にしては多少強引だが、それでも肉の旨さは十分に伝わってくる。赤いスープからは想像できないほどに爽やかな味で、肉の食感も経験したことがないものだ。
「うん、美味しい」
「ですよね!」
「でも、随分といきなりだな…」
「ええと…私の村ではよくやっていたことですけどもね…」
急な行動には驚いたが、アルナは小首を傾げる。文化の違いという奴だろう。ただ、悪い気はしなかったのでそれ以上の追及は止めておく。
「俺の粥も食べる?」
「いいんですか? じゃあぜひ!」
ニコッと笑うアルナ。それを見て、ゲンマもまた心が温かくなって粥を一口食べる。
何だか、こうして心が休まるような食事も久々な気がした。仕事場で食べる昼ご飯は言わずもがな、自宅での食事は独りぼっち。実家に呼ばれて食べる食事もプレッシャーで味に集中できなかった。だからこうして、温かいご飯を誰かと笑い合いながら食べるという、ささやかなことがとても貴重に感じて、とても楽しい。
「かーっ! 見せつけてくれやがってよォーッ!!」
隣に飲んだくれがいるという点を除けばだが。
◇ ◆ ◇
後で分かったことだが、アルナも所持金はあまり多くはなく、何ならゲンマと同じぐらいのベルガしか持っていなかった。そして、アルナが食べたあの料理は、ゲンマの粥の3倍の値段があったのだ。
「まさかこんなことになるとは…」
「すみません。つい、浮かれてしまって…」
宿のベッドに腰かけて嘆くと、アルナが弁明するように手をあたふたと振る。
宿泊代はどこも同じぐらいで、今日の宿としたのは1泊7ベルガだった。ゲンマはギリギリ手持ちが足りたものの、残念なことにアルナは夕食に使ってしまったため足りなかった。なので、2人で折半して(端数はゲンマ持ち)1つの部屋を取ることになった。
「いや、うん。わかるよ、楽しくてついつい値段も忘れて美味しいものを食べるのは」
「慰めてるんですか、それともからかってるんですか…?」
「慰めてるんだよ。本当に気持ちが分かるから」
知らない土地で食べるものは美味しいし、ついつい財布の紐が緩むのは分かる。それで今日の宿代まで注ぎ込んでしまうのは本末転倒と言えなくもないが、言わないでおいた。
「えっと、じゃあお風呂は…」
「あぁ、アルナが先でいいよ。疲れてるだろうし」
「私は後で大丈夫ですけど…」
近くに公衆浴場はあったが、そこを使うベルガも節約したかったため、部屋にある小さな風呂を使うことにする。だが、2人一緒に入るなどどう考えても事案なので、必然的に順番が生じた。何かの順番を決める時、ゲンマは自分を後回しにするきらいがあったが、アルナも同じらしい。それから同じやり取りを何度か交わした末、先に入るのはアルナという形に収まった。
せめて準備だけは自分で、というアルナの意見を尊重して彼女が風呂の準備をしている間、ゲンマは部屋の設備などを一通り確かめる。ベッドが2つにローテーブルとビューローが1つずつ。そしてトイレと小さな風呂。恐らく、これが宿の基本的な設備なのだろう。これについては、元居た世界と変わらない。
この世界にガスと電気は存在しないらしい。部屋の灯りは、天井に吊るされたロウソクが入ったランプだけだ。ただし、トイレを見るに水道はある程度整備されているらしい。流石に、現代日本のように蛇口から出る水は飲めなさそうだし、確かめる勇気もない。
そして、分かり切っていたが、スマートフォンやテレビ、パソコンといった電子機器の類も一切存在しない。元居た世界ではスマートフォンが無ければ何もできない、という極論もあながち間違いではないほどの必需品だったが、この世界にそんなものはない。それでも、見たい情報もそうでない情報も常に溢れ目に入ってくることでの気疲れもない、というのはゲンマにとってありがたかった。
何より。
「月がデカい…」
窓の外から見える夜空には、月のような星が浮かんでいた。だが、それも元の世界の十数倍ほどの大きさで、光の強さは前の世界の月とは大違い。おかげで、昼ほどではないにしろ、夜になっても街の様子が多少分かる。それでいて、月とは反対側の方を見れば星が見え、自分が見知った星空――オリオン座などのポピュラーなものだが――は1つもない。元の世界の夜景と言えばビル街や住宅地の明かりを見下ろすタイプのものだったが、こういう夜の静かな雰囲気もゲンマは好きだ。
「きゃあっ!?」
その夜の静かな雰囲気を破る、アルナの悲鳴と何かが倒れぶつかる音。何かあったかと思い、すぐさま風呂場へと向かう。ただし、扉の向こうに裸のアルナがいる可能性を考慮して、ドアを叩くだけにしておく。
「アルナ、大丈夫?」
尋ねてみるが、返事がない。もう一度扉を叩いて名を呼んでみるが、やはり反応はない。
ドアに耳をくっつけて、中の音を注意深く聞いてみる。
ばたばたと、手足を動かしているような音がした。
「アルナ、入るよ~…」
申し訳ないと思いつつ、ドアを開ける。
湯を張った風呂桶に上半身から突っ込み、どこぞの何神家のような感じで両足を上に向けてバタバタしているアルナがいた。
「大丈夫…?」
「大、丈夫です…げほっ」
引っ張り上げると、アルナは咳込みながらお礼を言ってくる。服はまだ着ていたが、どうやら着替えている最中に足が滑って、風呂桶に向かって背面跳びをしてしまったらしい。後頭部を確認して出血やこぶがないのを確認すると、気を付けるように念を押して風呂場を出る。とりあえず、大事に至らなくてほっとした。
そして、それからおよそ40分ほど後で、アルナが風呂場から出てきた。髪から湯気が立ち、「さっぱりしましたぁ」と朗らかに告げる彼女は、帽子を脱いで先ほどと同じ修道服のような丈の長い服を着ている。装飾は外してあった。
「ゲンマさん、お待たせしてすみません。どうぞ入ってください」
「ああ、ありがとう」
言いながらアルナがベッドに腰かけ、ゲンマも風呂で疲れを癒そうと思い立ち上がる。すると今度は、背後から「バキッ」という音が聞こえた。
「え?」
振り返ってみれば、アルナが腰かけたベッドが、丁度アルナが腰かけた位置からへし折れていた。先ほどまでそんな状態じゃなかったのに。急すぎる出来事に、開いた口が塞がらないでいると。
「わ、私は太ってません!」
「そういう問題じゃなくてだな…」
涙ながらの訴えに、ゲンマは首を横に振った。
ゲンマが風呂から出た後で宿屋の主人に話をしたところ、あの部屋のベッドが腐りかけているのを忘れていたとのことだ。ただ、他に部屋も空いていないので、一晩はあの部屋で過ごすしかなくなった。
「私って、こうトラブルに巻き込まれやすいんですよね…」
「でも無事で何よりだ」
「ですけど、ゲンマさんにはそんなとこで寝させてしまって…」
「いいって。床で寝るのは慣れてるし」
灯りを消し、ベッドの上で横になるアルナは申し訳なさそうに言う。2つあるベッドの内1つはダメになってしまったので、ゲンマは床に布団を敷いて寝ることになった。アルナが床で寝ることを申し出たが、ベッドが壊れたのはアルナのせいではないし、それにゲンマも女性を1人床で寝させることに罪悪感を抱くので、長い交渉の果てにこの結果に落ち着いた。それに、元の世界でゲンマはベッドではなく床に布団を敷いて寝ていたので、実際床で寝るのも苦ではない。マットレスが無いのが残念だが、贅沢は言うまい。
「だから、さっきお風呂場で転んだのも、食事処で酔っ払いの方に絡まれたのも、あの森で男の人に絡まれたのも私のせいというか…」
「そんなに思い詰めなくてもいいよ。何事もないのが一番だから」
結局ゲンマもアルナも怪我はしていないので、ゲンマとしてはそれで十分だ。酔っ払いに絡まれたのも、今にしてみれば新鮮な思い出だった。
ただ、疑問に思うことはある。アルナの心優しい性格はゲームで既に知っていたが、トラブルに巻き込まれやすい体質、というのは初めて聞く。裏設定だったのかもしれないが、これについてあまり深く考えるのも何だったので、適当なところで考えるのもやめておく。
「それに、アルナがいてくれるおかげで俺も今助かっているし」
「え?」
「多分、あそこでアルナに会わなかったら、一緒に冒険に出ようって言ってもらえなかったら、俺は今頃まだあの森にいただろうし」
目覚めた時点で、ゲンマは地図すら持っていなかった。あるのは、今も壁に立てかけてある黒い棒1本と10ベルガだけだったので、起きたところで何をすればいいか分からなかっただろう。それを、偶然とはいえアルナに出会ったおかげで今こうしてここまで来られた。トラブルのひとつやふたつ、大したことはない。
「むしろ俺との出会いがアルナにとっての負担にならないかが心配で…」
「そんな、それは言ったじゃないですか。あなたのことは信頼できるって…」
「ああ、そうだよな。ごめん…」
自分の嫌なところは、どうあっても自信を持てないことだ。
心の病に罹っている、と前の世界で診断を受ける前からそうだった。自分自身を手放しに評価することができず、自分が誰かと接するとそれは誰かにとっての不利益になるのではないか、と考えてしまうことが多々あった。たとえ当人から「そんなことはない」と否定されても、心のどこかで自分のことを煙たがっているのではないか、と疑ってしまう。
何故そんな性格になってしまったのか、と言われると少々悩む。恐らく、人から評価されることがあまりなかったからかもしれない。
だから、アルナがトラブルに巻き込まれやすい性質と聞いて、自分と出会ってしまったのもトラブルに当てはまるのではないか。そんな考えが頭を過ってしまったのだ。
「…ゲンマさんもお疲れみたいですし、もう寝ましょう」
「…ああ。おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
一呼吸置いて、柔らかい声でアルナがそう言ってくれる。どうやら、自分が疲労で気弱なことを言ってしまったと思っているらしい。そう思ってくれているなら、それでよかった。
目を閉じてから眠りに落ちるまでは、案外早かった。
◇ ◇ ◆
翌日になって、ゲンマとアルナはギルド管理本部を訪れた。
「マテリアワールド」上で説明は若干省かれていたものの、この世界では
今もまた、ギルド管理本部には多くの冒険者たちが訪れていて、公開されているクエストを吟味したり、新たに冒険者として登録をしたり、ギルドに勧誘してもらえるよう自分の情報を掲示板に出したりと、多くの人たちが活動をしていた。
「ではこちらに、お名前と年齢と出生地を書いていただき、こちらの四角い枠に手を当ててから再度お越しください」
「わかりました、ありがとうございます」
受付にいた女性に教えてもらい、2人分の登録用紙――パピルスのような感触だ――を受け取ってアルナと一緒に場所を一旦移す。
どこか腰を下ろせる場所を、と思って移動した先にあったのは隣接するホールだ。いくつもの長テーブルと椅子、壁際には軽食を提供するコーナーも用意されている。ここはどうやら、ギルドに登録するための手続きをする場所であり、冒険者たちの憩いの場でもあるらしい。
「あの人は…」
「? お知り合いの方がいらっしゃったんですか?」
「…いや、人違いかも」
そのホールの中には、自分が知っている人もいた。なぜ自分が知っているかというと、それはゲームでも実際に動かしていたキャラクターがいたからだ。性能が優れたSSRキャラとか、見た目が評価されていた萌え系のキャラとか、生い立ちが非常に悲しくて引き込まれるキャラとか、そう言うのがちらほらといる。中には自分が持っているキャラクターもいて、実際に声をかけてみたくなったがやめておいた。いきなり声をかけたところで何を話していいかも分からないし、変な奴と思われたらショックだ。
なので、遠巻きに見て感傷に浸るだけにしておく。
「あっ、いた! おおい!!」
すると、誰かが人を呼ぶ声がした。まさか自分たちではあるまい、と思いながらも視線を巡らすと、こちらに向かって小走りに近づいてくる人がいた。濃い紫の髪や赤い瞳、動きやすそうな服の女性。
あっ、とゲンマとアルナが口を開いたのはほとんど同時だと思う。
「ね、あなたたちこれから冒険者に登録するの?」
その女性は近寄るや否や、ゲンマたちが持っている白紙の登録用紙を指差す。頷いたのはアルナだ。
「ええ、そうですけど…」
「お願い、私も仲間に入れて!」
「え、ええ?」
突然すぎる申し出に、アルナが困惑する。
「ホントお願い! マジこの通り!」
「えーっと…」
女性は腰を90度曲げて、これでもかというほどの誠意を込めて懇願してくる。周りにいた人たちが奇異の視線を向けてきて、ゲンマとしてはいたたまれない気持ちが強まってきた。
それはそれとして、話が全く見えないので素性を明らかにしておこうと思う。
「あの、昨日街の食事処で会った方ですよね…?」
「そう! そうよ! だからその誼でどうか! 何卒!!」
控えめに話しかけると、その女性はゲンマの両手を握ってブンブン振って頭を下げる。
この女性は、昨日食事処で飲んだくれていて、ゲンマたちに絡んできた女性だ。髪型と服装は一致する。ただ、なぜいきなりそんな話をしてきたのかさっぱり分からない。
「どうしたんですか? えっと…」
「あたしはウィーネ。まさに今、命の危機に瀕しているわ」
「命の…危機…?」
ウィーネと名乗った女性を落ち着かせて、一先ず手近な席に着かせる。神妙な面持ちの彼女を見て、ゲンマとアルナもごくりと喉を鳴らす。いったい、このウィーネはどんな事情を抱えているのか。
「金がないの」
「「はい?」」
だが、慎重に捻りだされた言葉は、身構えていた割には拍子抜けなものだった。
「聞いたでしょ。昨日私、ギルドを抜けたって」
「ええ、まぁ…女将さんから」
「私もさ、その時は悔しくてみじめで、『ちくしょーめ!』って気分で飲んでたのよ。イヤなこと全部酒で忘れてやるって、飲んで飲んで…朝まで飲んだわ」
ということは、例の女将さんは夜通しウィーネの相手をしていたということになる。同情せざるを得ない。
「で、お会計したら眼の玉飛び出そうになったわ。私の有り金はたいて払った…あまりの衝撃で酔いも冷めたわ…」
悲劇のように物語っているが、やけ酒の末に全財産を使い果たしたということだ。それでもちゃんとお金を払うあたり良心はあるようだが、ヤケ酒とで差し引きプラスぐらいか。
「それからここで途方に暮れていたまさにその時よ。昨日この街に来たばかりのあなたたちを見つけた、奇跡」
「それで…」
「私たちとギルドを組みたい、と」
「そう! そういうことよ!」
ゲンマが言い淀んでいた結論を、アルナが口にする。するとウィーネは目をキラキラさせた。
今後行動を共にすることに決めていたゲンマとアルナは、取り敢えず2人だけでギルドを組むつもりでいた。それは、昨日知り合った――と言っていいかは微妙だが――ウィーネにとってはまさに絶好のチャンスだったというわけだ。
そこまでギルドを組むことに拘る理由。それはやはり冒険者1人で活動するより、ギルドを組んだ方が受けられるクエストの数が増えるからだろう。手っ取り早く言えば、稼ぎがよくなる。金欠だからこそ、ギルドを組んで生活費を工面したいのだ。
「ちなみに、もし差し支えなければでいいんですが…何でギルドを追放されたんですか?」
面接みたいなことを聞くが、状況としては大差ない。ゲンマもウィーネを仲間に迎え入れるのはやぶさかではないが、昨日のことがあるし、何より急な話だ。聞けるところだけでも聞いておきたい。もしかつて、仲間を裏切って追い出されたとか、仲間の取り分をちょろまかした等となれば、彼女には悪いが他を当たってもらうしかない。
「…酒」
「え?」
「ちょっと、お酒周りで色々あって…」
「「……」」
判断が微妙なところだ。
昨日のことから酒癖が悪いのは確かだが、その「色々」というのが判断を躊躇わせる。酒にまつわるトラブルを
「ちなみに、ギルドを追い出された回数は?」
「…3回よ」
相当なものだ。
とはいえ、3回全部が酒関連という可能性も低いだろうし、そうと考えたくない。どうしたものだろうか。
「ええと、ゲンマさん」
「?」
「きっと思うに、今までのウィーネさんのギルドの皆さんって、お酒は男の人は沢山飲んでも女の人はそんなにって、思われたんじゃないでしょうか…」
「あぁ、そういう…?」
酒についてのイメージは、どの世界もあまり変わらないらしい。女性であんな大酒飲みは、男からすれば引くレベルなのかもしれない。ゲンマ自身、最初にウィーネのテーブルの酒瓶を見た時は度肝を抜かれた。
ただ、ゲンマは「女性だから酒は嗜んで~」とは思わない。ウィーネが酒好きなのは分かったし、好きなものは恥じることなく好きでいればいいと思っている。節度は持ってほしいと思うが。
「このまま見過ごすのも可哀想ですし、私は迎えてあげたいなぁと…。経験者の方がいらっしゃれば、何かとありがたいですし」
「それは確かに…」
アルナの言葉に、ウィーネの瞳が輝いたように見える。
大まかなギルドの仕組みはわかっても、細かいところまではゲンマも分からない。しかし、ウィーネは事情こそあれ、過去にギルドに属していた経験があるから、知識を持っている人というのも貴重だ。それに、優しいアルナはこのままウィーネのことを放っておかないだろうし、ゲンマとしても色々聞いたうえで「残念ながら今回は…」などと言い放つのは申し訳ない。
事情と、これから先のことと、自分たちの性格を考えて、ゲンマは頷く。
「…分かりました」
「それはつまり…」
「はい。俺たちも今日冒険者として登録するのですが、是非力を貸してください」
「やたーっ!」
言い終えるのと、ウィーネが拳を天井に突き上げるのは同時だった。
「これからよろしくね! えっと…」
「ゲンマです」
「アルナです」
「それじゃゲンマにアルナ、よろしく!」
景気よく、笑顔で右手を差し出すウィーネ。ゲンマとアルナはその意を汲んで、順番に握手を交わした。
「それじゃ、早速ギルドを作らないとね」
「あ、その前に冒険者に登録を…」
ゲンマとアルナの手元には、先ほど登録するにあたって渡された用紙がある。
ようやく書き始める段階に入ったのだが、アルナがそれらをスラスラ書く一方、ゲンマは出身国で迷った。年齢は享年の28として、どこ出身と書けばいいのかは分からない。馬鹿正直に「日本」と書けば絶対にひと悶着起きる。そこで、自分の記憶を頑張って掘り起こし、「マテリアワールド」のゲームに設定があった国の名前を思い出して、それを書くことにした。
「28? 顔の割にそこそこ上なのね」
「よく言われます」
覗き込んだウィーネがこちらを見る。昨日不良から絡まれた際には「ガキ」と言われたので、自分は恐らく20歳ぐらいの見た目なのだろう。
仕事では28歳と言っても「そうは見えないなぁ」と揶揄い交じりに言われたものだ。と言っても、遠回しに顔が幼いと言われるのはあまり気分がいいものではないが。
「へぇ、アトリア出身なの」
「あぁ、まあ…」
出身国も、興味ありげに聞いてきた。それを聞いたアルナも「そうなんですか」と反応を示す。
「あそこの国は閉鎖的と聞いて、情勢とかもよく分かりませんからね」
「今度教えてよ」
「時間があればな」
自分の記憶力を褒めてやりたい。その国を選んだのは、設定でも閉鎖的かつ内向的とされていたからだ。そのおかげで、周りは国の情勢をあまり知らないため、あれこれ聞かれてもボロが出にくい。ちなみにアルナの出身は、設定にあった通り北方にあるノスタルの山間部の集落。そして、ゲームでいなかったはずのウィーネは南方のサザニア国出身だ。
「えーっと、この後は…」
「そこの四角い枠に掌を置くと、用紙が自動であなたたちの能力を読み取る。そして、そこの欄に反映されるわ」
「そうなんですか…すごい…」
年長者のウィーネのおかげで、分からないところもない。
言われた通り、四角い枠に掌を置く。思えば、自分がこの世界においてどのような能力を持っているのかは分からなかった。神様が持たせたあの黒い棒だけで、他には何もない。自分の持っている自然エネルギーの属性すら不明だ。それが今、ここで判明する。そう思うと、ようやくスタート地点に立てるような気がしてワクワクしてきた。
掌を置いて少しすると、枠の近くにある空欄に円グラフや棒グラフが出現し、さらに項目がいくつも追加されていく。「そろそろ大丈夫よ」とウィーネが言ったところで、手を離した。
「…ん?」
自分が掌を置いていた枠には手形ができていた。
この世界での冒険者、というより戦う力を持つものは「物理系」か「魔術系」に二分される。円グラフの比率でそれが分かるのだが、ゲンマは丁度半々だった。
続いて、持っている能力。ゲームで言うスキルだが、それは棒グラフの部分を使って判断できるらしい。当然ながらゲンマはクエストに出ていないために経験値を得ておらず、何のスキルも持っていなかった。
そして、自然エネルギーの属性。
「これ、なんでしょう?」
「んんー?」
用紙の右上にある丸い枠にその属性のマークが表示される。だが、そこに現れたマークは、外側の円と内側の円の間に格子状の線が入った二重丸だ。それはゲンマもゲームで見たことがなく、アルナとウィーネも同じらしい。
「アルナは、どんなマークが?」
「私は『風』だって村で知っていたので、こんな感じです」
アルナが見せた用紙の丸枠には、デフォルメされた竜巻のようなマークが書いてある。
「あたしのこれは『土』だよ」
ウィーネが持っていた用紙の丸枠には、ヒビが入った六角形のマーク。2人のエネルギーのマークは、ゲンマがゲームで見たものと同じだ。だとすれば、あと2つの属性「火」と「水」も同じだろう。となれば、ゲンマのこれはどの属性なのか。
「それに、どの分類の冒険者になるのかも『
「何かやり方を間違ったのか…?」
「間違えるって、間違えるようなものなんてないけどね…」
名前を書く欄の下には、「
「まぁ、分からないことは受付に聞いてみましょうよ」
ウィーネの言う通り、素人の自分たちがいくら悩んだところでどうにもならない。ここは専門の人に聞いてみるべきだ。というわけで、先ほど受付でこの用紙をくれた人に提出も兼ねて聞きに行くことにする。
「すみません、一応登録用の用紙は完成したんですが…」
「ありがとうございます。確認しますので、少々お待ちくださいね」
受付の女性は朗らかに受け取った。
先ほどは用紙にばかり気を取られていて気にならなかったが、その女性はゆったりとした暖色系の丈の長い服を着ているが、耳が横に長い。エルフ族の女性だろうけれど、まさか実際にこの目で見ることになるとは思わなかった。というか、このギルド管理本部は見渡すだけで人間の他にもエルフやドワーフ、獣人など多種族の冒険者が入り混じっている。これも、異世界に来てみなければ分からないことだ。
「…すみません。ちょっとお待ちください」
「え? はい…」
すると、受付のエルフは席を立ち、後ろで控えていた別の職員と話し始めた。恐らくはゲンマの登録用紙が明らかに変だからだろう。
「すみませんが、ちょっとこちらへ…」
やがて戻ってきたエルフの女性は、ゲンマたちを別室へ案内した。受付の脇にある部屋で、応接用のソファが1対とローテーブルが設えてある。いかにもな部屋だ。
「何かあったんですか?」
席に座るよう促されたゲンマは、エルフの女性に問いかける。名札から、名前は「ルスター」というらしい。こうして話の場を設けられた理由は分かり切っているものの、こういう一言は大事だ。
「ええと、先ほどゲンマ様の登録用紙を確認したのですが…」
言いながら、ゲンマの登録用紙を取り出すルスター。やはり、それが気になるよねとゲンマは思ったし、自分の両隣に座るアルナとウィーネも同じだろう。
「こちらの欄…冒険者の方が持っている自然エネルギーの属性を示す部分なんですが、ゲンマ様のこれはどの属性にも当てはまらなくて…」
もう1枚別の用紙を見せるルスター。そこには、各属性のマークが見本として書かれていた。「風」と「土」はさっき見せてもらったアルナとウィーネの用紙と同じで、「火」はデフォルメされた篝火、「水」は雫を模している。やはり、ゲンマのそれとは似ても似つかない。
「これは恐らくなんですが…」
姿勢を正してこちらを見据えるルスター。
ゲンマも自然と身を引き締めて、正面から視線がかち合う。
「アナタは恐らく、唯一、4つのどの属性にも当てはまらない『無分類』の属性を持っているのかもしれません」