「すごい偶然でしたね」
「ええ、本当に…」
家を見上げるルスターは感心したように笑う。
ゲンマは別の世界から転生してきた存在だが、因果律にまで干渉はできないし、あの神様も干渉はしないと言っていた。なので、こうして棚から牡丹餅と言える偶然に、ゲンマとしても未だ驚きが冷めないでいる。
「リエスさんから、『自分たちの家をギルドに譲るので話をしたい』と言われた時は、心底驚きましたが…お元気そうで何よりでした」
「そう言えば、ルスターさんはお二方をご存じだったんですか?」
「ええ。数十年前に、取引する商品の運搬の護衛を、とウチに依頼してきたことが何度かありまして。規模が大きくなってからは依頼せずに私設の警備に任せるようになりましたが」
老夫婦を知っている口ぶりのルスターに、アルナが尋ねる。まだ事業が小さかった頃は、貴重な商品を運ぶ際ギルド管理本部に低難易度のクエストとして、護衛を依頼をしていたようだ。となると、取引していたものはかなり高価なもので裕福だったのかもしれないし、隠居先を新たに建てるほどの余裕があるのも頷ける。
「はい、これで手続きは終了です」
「すみません、わざわざこちらまで来ていただいて…」
「いえ。私としてもどういう場所か少し見てみたくなったので」
その場でルスターが書類の内容を通読し、ルスターは視線を上げる。それから彼女は、ゲンマが署名をした書類の上に1枚真っ新な紙を重ねると、右手を握りしめて口の中でぶつぶつと呪文のようなものを呟き始める。すると、重ねられた紙が光りだし、ルスターが握った右手を解くと光も収まった。そして、真っ新だったその紙には文字が浮かび上がっていた。それは、下に敷いてあった紙に書かれていた内容がそのまま写されている。
「こちら、控えですので保管してくださいね」
「ありがとうございます」
この書類は、ギルド管理本部にこの家をギルドハウスとして登録する書類だ。元々ギルドハウスに空きができたら用意する、という話をルスターとしていたので、偶然ながら家を持つことができたことは伝えないわけにはいかなかった。
控えの書類を受け取って、改めて読み返す。考えられない話でもないが、渡す前と後で内容が違っている可能性もあった。前の世界だったらそんなことはあり得ないが、魔術などゲンマの常識で計り知れない力が存在するこの世界では、その可能性だって考えられる。だが、内容に違いはなかったので一安心だ。それにしても、大事な書類は控えを作って当人に渡す、というやり方はこの世界も同じらしい。控えを作る方法が違うとはいえ、こういった共通点を見つけると非常に面白い。
「ウィーネさんとクラカさんは?」
「2人には他の手続きに行ってもらってます。俺はそういうのにちょっと疎くて…」
他の手続き――水道設備の継続や地権の移行など――はウィーネたちに任せてある。この手の手続きに長い時間がかかることは想像できるのに加えて、この世界での行政がどういうものか分からなかったので、手分けして行うことになった。これも、この世界の基準では一番年長のウィーネがいたからこそできることだ。幸いなことに、同居人であれば手続きはできるということだったので、しっかりとその恩恵にあずからせてもらう。
「それでは、生活必需品などは後程お届けしますね」
「とても助かります…」
「いいえ。他のギルドハウスにも同じことをしておりますから、礼には及びません」
アルナが頭を下げるが、ルスターも笑って受け流す。ギルドハウスには家具と設備が一通り用意されており、布団や衣類などをはじめとした生活必需品を最初だけ支給してくれる。後は、クエストで獲得する賞金で各々生計を立てていくのだ。
ただこの家は、譲ってもらったものであり、ギルド管理本部から支給されるギルドハウスとはまた違うので待遇にも違いがある。いい点は、ギルドハウスに住むギルドに課せられる「月4回以上、難易度5以上のクエストを受ける」、というノルマがないこと。悪い点は、ギルドハウスに損傷や劣化が起きた際にギルド管理本部が修理費を建て替える、という特典が得られないことだ。
「俺たちとしても、こうして家を持てたからと言ってクエストに出なくなる、ということにはならないようにします」
その待遇についてルスターから説明を受けた際に、ゲンマはそう答えた。この家が、ゲンマたちの行動によって得ることができたものとはいえ、自分たちはギルド管理本部に登録されているれっきとした冒険者だ。生活費の工面という点を除いても、クエストを受けないのは自分たちの役割を果たしていないと思うから、継続的にクエストは受けていきたい。
「それでは、私はこれで。皆さんの今後の発展を、応援しております」
「ありがとうございます」
用紙の原紙を携えて、ルスターが踵を返す。ゲンマとアルナで見送るが、ルスターが敷地から脚を踏み出す直前に、振り返る。その目は、ゲンマに向けられていた。
「ゲンマさんがこちらにいらしてから、初めてのことばかりで驚きの連続です」
「…自分でも、色々なことが起きて驚いてます」
皮肉るような、微笑み交じりのルスターの言葉にゲンマも苦笑する。自分がこの世界においてイレギュラーな存在であるのは理解しているが、それが原因で周りにも驚きを振りまいていた。自然エネルギーの属性を持たない初めての存在であることも、こうして縁あって家を譲渡してもらったことも、長い間生きているルスターにとっては新鮮なことらしい。そして、ゲンマ自身もそれらのことに驚いているし、隣にいるアルナだって同じだろう。
そして、それを最後に去っていったルスターと入れ替わるように、ウィーネとクラカが返ってきた。
「ただいまー」
「た、ただいまですぅ…」
「おかえりなさい」
「おかえり」
2人が帰ってきたのを、ゲンマとアルナで出迎える。こうして「ただいま」と「おかえり」を言い合うことは、随分と久しぶりな気がした。前の世界では1人暮らしが長かったし、この世界に来てからも宿で寝泊まりしていたから、そんな言葉を言う機会もなかったのだ。
「手続きの方はどうだった?」
「ウィーネさんのおかげで、何とか終わりましたぁ…」
「そうか…。ごめん、面倒なことを任せて」
「いいってことよ。ま、申し訳なく思ってるんなら酒の一杯でもついでもらおうかしらね」
ゲンマが聞くが、ウィーネたちの方も支障なくあれこれの手続きを終えられたらしい。負担をかけている自覚はあったので、まとまった金が入ったら今度良い酒でも買ってあげようと思う。
「さて、これからどうする?」
「あとでギルド管理本部から支給品が届くみたいですし…」
「で、でしたら今日はお休みの方がよろしいでしょうかぁ…」
アルナたちの言葉に、ゲンマも同意する。ルスターの言い方からして、生活必需品は今日中に届けられるだろうから、ここを空けるわけにもいかない。ゲンマは、宅配便が来ると分かっていたら来るまで家から出ない派だ。
なので、クラカの言う通り今日は休みにした方が良いだろう。
「家の中とか掃除しなきゃだしね」
「ああ。リエスさんの話だと、大きな家具はそのままにしてあるっぽいけど…」
ウィーネに促されて、改めて自分たちがこれから住む家を確認することにする。
昨日、ゲンマたちはリエスから家の譲渡について話を聞いた後、ギルド管理本部でリエスを交えてルスターと話をした。諸々の手続きが今日になってしまったのは、リエスがこのセントラルタウンと例の隠居先を行き来する際にゲンマたちが付き添いをし、さらにリエスが依頼した解体業者に作業の中断の依頼をして時間がなくなったためである。
この世界で通信手段は手紙と
業者から鍵を受け取るのも今日になってしまっため、昨日の夜はまたしても宿で暮らすことになり、いよいよ手持ちの金に底が見えてきている。今日1日はクエストに出られないとして、明日以降はまたクエストに明け暮れることになりそうだ。
「よし、開けるぞ」
「「「……」」」
リエスから受け取った鍵――ファンタジーでよく見る長い軸と派手な装飾の持ち手――を鍵穴に差して、扉を開ける。内見などの手順をすっ飛ばして住むことになったため、家の中がどうなっているのかも把握できていない。アルナたちは興味津々のようだし、ゲンマも同じだ。
さて、母屋の規模は、ゲンマが元居た世界の基準で言えば大きい方に入るが、「屋敷」や「洋館」と評すべきほどでもない。「立派な家」という表現が一番いいかもしれない。
扉を開けると、内装は木を用いた温かみのあるデザインだった。まず目の前にあるのは広いリビング。向かって左手の壁際にはキッチンがあり、ガラス窓は両開きだ。天井からは質素なデザインのシャンデリアが吊るされ、夜になったらそこにろうそくなりキャンドルなりで灯を点すのだろう。リビングの奥には階段があり、向かって右手奥には客間と風呂、トイレ。
そして階段を上がって2階には個室が6つもある。どの部屋も広さはほぼ同じで、人ひとりが生活をするには十分な広さだ。ちなみに、この世界では「靴を脱ぐ」という文化が存在しないため、家の中でも土足である。宿暮らしだった時も、靴を脱いで部屋で過ごしていたところをアルナにはかなり妙な目で見られたものだ。
「…優良物件じゃない」
「本当ですね…」
「正直、今までのギルドハウスよりずっといいかも」
ざっと家を回ったウィーネの評価に、アルナは激しく同意し、ゲンマも内心で大きく頷く。まさか、生きていて(あくまで転生した身だが)こんな申し分ない家に住めるとは思わなかった。
「こ、こんなお家に住んで大丈夫なんでしょうかぁ…も、もしかしたら何か後で大きなしっぺ返しが来るかも…!?」
「…それは、十分に考えられるな…」
「あひぇぇぇぇぇぇ…!」
そしてこれほどの偶然による幸福を、大きな苦難の前触れと考えるクラカ。楽観的になれないゲンマも、ほぼ同じような考えになってしまう。「面倒なのが増えた…」とウィーネが背後で言っているのも聞こえない。
「へ、部屋は皆さんどうしましょうか?」
空気を変えるつもりだったのか、ぽんと手を叩きながらアルナが提案する。
2階に上がると廊下が左右に分かれ、両方向に3部屋ずつ、合計6部屋の個室と、物置が1つある。1人1部屋としてもまだ余裕があるので、誰がどこの部屋にするか、ということになったのだが。
「俺は別にどこでも…」
「あたしも特にこだわりはないかな」
「私も同じく…」
「わ、私なんかに部屋を用意してくださるんですかぁ…?」
4人とも感性が同じようなものだったので、部屋割りは何の衝突もなく決まった。階段を上がって奥の部屋から順に埋まる辺り、根っこのところも似ている。
◆ ◇
部屋割りが終わった後は掃除だ。リエスたちが家を引き払ってからそこまで日数が経ってはいないものの、埃などはどうしても目立ってしまうため、4人で協力して家中を掃除する。幸いにも、リエスたちは掃除をこまめに行っていたらしく、掃除に関しては特に苦労なく終えることができた。
その後は、連日のクエストもあったため荷物が届くまでは休みということになる。
各々が割り当てられた部屋でゆっくりしたり、家の中を色々見て回ったりなどする中。
「ふぅ…」
自分の、と設定した部屋にゲンマは入る。ベッドや戸棚といった大きな家具はあるが、まだ布団などの生活用具は届いていないので些か殺風景だ。それでも、こうして心配なく拠点を持てるということは、それだけで安心感がある。
布団の無いベッドに腰かけて一息つき、やがて気付く。
「女性とひとつ屋根の下ってのは、中々キツイな…」
その言葉は、決して喜びや高ぶりから来る言葉ではない。あるのは緊張と不安だけだ。
自分がまだ、世の中の世知辛さを知らない学生の身分だったら、同じ状況になったところで気持ちは違っただろう。新生活が始まることへの期待と興奮、そして周りが女性という環境に心躍っていた。
しかしながら、社会の荒波に揉まれて精神的に成長し、責任だとか世間の目だとかを認識し、疲弊したことでそれらプラスの面の感情を抱けなくなってしまった。むしろこの状況は、自分が何か彼女たちの癪に触ってしまい、責め立てられやしないか、という不安の方が大きい。前の世界では、社会全体がセクハラだなんだという問題に神経質だったから、ゲンマも余計にその点には気を遣っていたし、これからも気を遣わなければならないと思っている。
この世界で、「セクハラ」とかの言葉は未だ聞いたことがない。だが、恐らく羞恥心や貞操観念については同じと見ていいだろう。ならば、このような状況になったからには、今まで以上に注意しなければならない。ノックもなしに女性の部屋に入るなどもってのほかだ。
「あとは家事もか…」
そして別の問題。宿暮らしでなくなることで、家事というものも発生する。クエストに出ている時以外では、基本的にここで過ごすことが多くなるだろう。だとすれば、食事も外食頼りではなく自分たちで用意した方が安上がりかもしれないし、洗濯や掃除だって欠かすわけにはいくまい。前の世界、ゲンマは1人暮らしをしていたため、炊事・洗濯・掃除といった一通りの家事については及第点レベルの技術があるため、でくの坊に成り下がることはないと思いたいが、安心はできない。
だが、ここでまたひとつ不安になるのが、血のつながっていない女性との洗濯だ。前の世界の職場で中年の上司から聞いた話では、家で洗濯物を一緒にしないで欲しいと娘に言われたそうだ。家族でさえそう言われることがあるのだから、今の自分が同じようなことを言われる可能性も十分あり得る。実際そんなことを言われたら、1週間は立ち直れない自信もある。
「ゲンマさん?」
その時、アルナがドアをノックしてきた。すぐにゲンマはドアを開ける。
「どうかした?」
「荷物が届いたんですけど…大丈夫ですか? 何だか顔色が悪いですけど…」
「あー、大丈夫。気にしないで」
自分が他人より不安や恐怖を抱え込みやすく、考えすぎてしまって心身に反映されるというのは、それこそ死ぬほど経験している。今もまた、新生活が始まることへの不安に押し潰されて、アルナにも分かるほど浮き出てしまっていた。
「もし体調が悪いようでしたら、私たちで荷物の運び込みはやりますけど…」
「いや、本当に大丈夫だ」
善意に満ちたアルナの言葉を、ゲンマは穏やかに否定する。彼女の気遣いは嬉しいが、自分が勝手に懊悩としている中で女性陣だけに任せてしまうわけにはいかない。それこそゲンマの罪悪感が割増しになる。
階段を下りて玄関へ向かうと、外には荷物を満載した荷車と、その傍らにエルフがいた。茶色いボブヘアーで青い瞳の女性には見覚えがある。
「どうも、えっと…カモールさんでしたっけ」
「あ、はい。ギルド管理本部から、支給品をお届けに参りました」
「ありがとうございます」
クエストが全くなくて困り果てたところで、偶然にも新しいクエストを持ってきてくれたエルフ。そのクエストに出た結果、リエスたちと偶然出会いこうして拠点を得ることができたわけだ。そんな彼女が荷物を持ってきたとは、奇遇と言える。
「わざわざ持ってきていただいて申し訳ないです…」
「いえいえ、お気になさらないでください」
「何、ゲンマって色々自分でやりたいタイプ?」
「いや、というか…何か自分たちのために相手に苦労を掛けるのが申し訳ないというか…」
ウィーネに言われ、ぼそぼそと尻すぼみになってしまう。
自分でもできそうなことを相手が善意なり義務なりでしてくれるということが、ゲンマはどうしても気になってしまう性質だ。今回も、支給品とはいえ自分たちがこれからの生活で使うものだから、自分たちが取りに行った方がいいのではないか、と思ってしまう。実際、自分たちが取りに行くと最初にルスターに伝えたのだが、丁重に断られてしまったのだ。
「それより、中へ運び込もう」
「あっ、で、でしたら私もぉ…」
いつまでもカモールを足止めするわけにはいかないので、早いところ荷物を運び入れることにする。最初に待っていたクラカも同じように、荷物を家の中へと運んで行く。カモールも手伝いを申し出てきたが、流石にそこまでしてもらうわけにもいかなかったので、家の中で待ってもらうことにした。
「えっほ、えっほ…」
その中で、一番目を見張る働きぶりを見せているのはアルナだ。いくつもの箱を一度に両手に抱え、重ねて家に運んでいる。扉に引っ掛からないようにしながらも、全然苦しそうな様子もなく、ほいほい荷物を運んでいく。
「…もう全部あの子1人でいいんじゃないかしら」
「それは言えてる」
その様子を見ながらも荷物を運ぶゲンマに、ウィーネが耳打ちする。荷車を牽いていた時もだったが、彼女は存外力持ちだった。
しかしながら、当然アルナに全部任せるというつもりもなく、手分けして荷物を運んだ結果、あっという間に荷車は空になった。
「それでは、私はこれで失礼しますね」
「ありがとうございます。こちらこそ、助かりました」
カモールが一礼し、空の荷車を牽いてギルド管理本部へと戻っていく。
それを見送ってから、ゲンマたちはそれぞれ荷ほどきを始めた。支給されたものは寝具、ちり紙や石鹸、自炊を想定しているのか食器や調味料と思しき小瓶(具体的な中身は分からない)、洗剤等の生活消耗品と、ゲンマが元居た世界でもよく目にするものが多い。ただしパッケージは独特で、動物の革製のボトルといった野性味溢れるものもある。
「ひゃあっ!?」
すると、女性でも抱えられそうな箱を開けたクラカが悲鳴を上げた。箱の中に虫でも入っていたのだろうかと思い、ゲンマがそちらへ向かう。アルナとウィーネも異変を感じたのかすぐさま駆け寄るが、箱の中身を見て2人とも「あっ…」と、なぜか恥ずかしそうに声を洩らした。ゲンマもその箱の中身を確認しようとしたが、それよりも前にクラカが蓋を閉めてゲンマへと差し出す。
「その、こ、これはゲンマさんのものでした…」
「俺?」
一先ず箱を受け取って、ゲンマのと言われたので自分の部屋へと持って行く。ただ、この世界の出身ではないゲンマのものとは一体どういう意味なのか、と思いつつ部屋で箱を開けると。
「…なるほど」
標準的な男物の衣類が入っていた。一通り中身を確認してみるが、サイズはいずれも同じで、ゲンマの今の体形に合うように思える。なぜ自分の身体のサイズに合ったものが入っているのかはいささか疑問だが、恐らくルスターが目測で判断したのだろう。
それにしても、中身が自分宛の衣類でそれを女性陣に見られたということを改めて認識すると、妙な気恥しさが湧いて出てくる。実際そのような場面に遭遇したことはないが、着替えを男に見られる女性の恥ずかしさが少しだけ理解できる気がした。鉄板と言えるシチュエーションに思えるが、現実で自分が経験したのは逆のパターンである。
「となると…」
蓋を閉じて、さっきまで自分たちが運んでいた別の箱を思い浮かべる。幸いにも自分が無造作に選んで開けた箱には生活雑貨が入っていたが、運が悪かったら女性ものの…アルナたち用の衣類が入っていたかもしれない。
危なかった、とゲンマは安堵のため息を吐いた。
◇ ◆
「おっ、面白いのみっけ」
荷ほどきを続けていると、ウィーネが声を上げた。彼女にしては珍しく無邪気な声に、ゲンマも食器を戸棚に仕舞う手を止めてそちらを見る。
「何かあったのか?」
「これこれ」
ウィーネが取り出したのは、升目状に線が引かれた厚めの板と、木の箱だ。ゲンマにはぱっと見、板の方は将棋盤に見えたが絶対違うものだろう。ゲンマだけでなく、テーブルの掃除をしていたアルナと、キッチン周りを整理していたクラカも作業する手を止めて、ウィーネの下に集まる。
「何ですか? これ」
「あら、知らないの?」
「ええっとぉ、アレですよねぇ…? 『アルティクス』でしたっけ…?」
「そう、それ。ゲンマとアルナは知らないんだ?」
「ああ…」
「はい…」
この世界出身ではない上に「マテリアワールド」の中でも見たことがなかったゲンマだけでなく、アルナまで知らないというのは少々意外だ。
ウィーネとクラカの言うこの「アルティクス」なるものは、状況に応じた戦術がプレイヤーに要求される、町でポピュラーな戦術ボードゲームだという。併せて入っていた木の箱には全部で7種類の駒が赤と青の2陣営分入っており、これを使って戦う。アルナが知らなかったのは、年から離れた場所にある集落に住んでいたからかもしれない、とウィーネは言う。
ぱっと見てゲンマは、チェスや将棋に似ていると思った。ルールも大雑把に聞いてみると、駒の動かし方は若干変則的だが、相手の大将である
「ね、試しにやってみない? ほら、親睦を深める的なアレよ」
「えーっと…」
ウィーネが見上げて提案し、ゲンマは一旦周りを見る。
支給品の荷ほどきと整理はほぼほぼ終わりを迎えており、トイレや風呂、調理場など生活の場の清掃も粗方終わっていた。時間じゃもうすぐ夕方に差し掛かろうとしており、今からクエストを受けても当日中には終わらない。親睦を深めるのも兼ねて、暇つぶしには良いだろう。
「…分かった。俺もちょっと興味があるし」
「じゃあそっちに座って。負けた方は勝った方の言う事なんでも1個聞いてね」
「…は?」
テーブルにボードを置き、手際よく駒を並べながらウィーネがとんでもないことを言ってのけた。思わず視線をウィーネに向けるが、「もう遅い」と言いたげな不敵な笑みを浮かべている。
「まぁ、初心者だしクラカとアルナが協力してもいいからさ」
駒を並べ終えたウィーネが、ゲンマの前に座る。
サポートをつけても構わないという提案。見栄っ張りやプライドが高かったり、ハンデが嫌いとか甘く見られるのが嫌とか、ゲンマがそういう性格だったら蹴飛ばしていただろう。しかしながら、前の人生でゲンマはプライドだけで生きてはいけないし、TPOを選ばない強がりは身を亡ぼすともその身をもって思い知っている。
「アルナ、クラカ。頼む」
「分かりました」
「わ、私なんかでよろしければぁ…」
素直に2人にサポートをお願いした。
一方のウィーネ。恐らくそれなりに場数を踏んでいるからか、自信に満ちた表情を浮かべている。手加減してくれるかも、という淡い期待は抱かずに、せめていいところまで行けたらなとゲンマは思った。
「ちなみに、ウィーネが勝ったら何を望む?」
「それは先に言っちゃ面白くないからねぇ。あなたももし勝ったら何を私にさせるか考えておくといいわ」
言われて、ごくわずかな可能性とはいえ自分が勝った時のことを考える。
その自分の願いは、思いのほかすぐに頭に浮かんだ。
ウィーネとしては、実際に話した通り親睦を深めるのと、掃除や荷ほどきで疲れていたので気分転換がしたいという理由で、ゲンマを「アルティクス」に誘ったのだ。決して、初心者のゲンマを負かして悦に浸りつつ命令を聞いてもらうため、とかではない。純粋に、仲間との時間を楽しみたいのだ。
これまでに所属していたギルドでは、仲間と過ごす息抜きの時間がないわけではなかった。けれど、どこも皆様々な理由で抜けており、しかもそのほとんどが自分ではどうにもならない理由だっため、楽しかった時間を思い出すのが難しい。
「
「ええと…」
「この状況では、同じ兵士しか動かせませんねぇ…」
「真正面の兵士を動かすのは、後のことを考えるとやめておいた方がいいかと…」
クラカのサポートを受けつつ、アルナと協力し、覚束ないながらも「アルティクス」をプレイするゲンマを見る。
昔は、逆の立場だったっけ。
彼女がまだ幼い頃に過ごしていた南方のサザニアでも、「アルティクス」は一般に知られていた。ウィーネ自身、最初からルールを完璧に理解できたわけではなく、それこそ今のゲンマたちのように、両親に教えてもらいながら遊んでいたものだ。その頃はまだ、自分が冒険者になるとは考えてもいなかった。
けれど、家族で出かけていたところを魔物に襲われ、そこを冒険者たちに救われたことで、ウィーネも成長したら冒険に出たいと両親に伝えた。人に助けられた恩を返したい、そして自分を救ってくれた冒険者のようになりたい、と。
両親は、全面的に背中を押してくれはしなかったものの、冒険者になるのを許してくれた。それからセントラルタウンまで来て冒険者になり、複数のギルドに所属してからもこの「アルティクス」は他のメンバーと度々遊んだものだ。いざこざを経てギルドを抜け、今こうしてゲンマたちと一緒にいるわけだが、それはそれとしてゲームのルールはちゃんと覚えているし腕も鈍っていない。
「あ、ええっとぉ…ここで
「でも、そうすると攻撃範囲が広い銃士を失うかもしれませんし…
「なるほど…」
クラカやアルナのアドバイスを受けつつ、ゲンマは駒を進める。
縦10マス、横9マスのこの盤面は狭いようで広い。駒ごとに動ける範囲は異なるし、銃士や調教師、
無論、ウィーネも初心者のゲンマ相手に本気で挑むのは公平ではないとは思っているので、適度に加減はしていた。
けれども。
「銃士を4の7へ。兵士を取る」
「…魔術師を4の4へ」
「兵士を4の4へ。魔術師も貰う」
ゲームを進めているうちに、ゲンマもコツを掴んできたのか攻めるようになってきた。意外にも呑み込みが早く、手加減をしていたとはいえウィーネの駒をホイホイ取って行く。既にクラカやアルナの助言はなく、2人は「おー」と感心するようにウィーネとの戦いを見ていた。
そして気付けば、自分がゲンマの国王へと迫っていた駒は全て無くなり、気付けば自分が攻め込まれている。手加減は止めようと思った時には、手遅れだった。
「弓兵を2の5へ」
「…降参よ」
「「おおー」」
とうとう、降参せざるを得なかった。国王のすぐ近くに駒を進められ、さらにそこから離れた場所には升目を越えて攻撃できる駒。国王や他の駒をどう動かしても、次のゲンマの番が来れば国王が取られてしまうので、もうどうしようもない。
「吞み込みが早いわね…。本当に初めて?」
「ああ」
右手を差し出すと、ゲンマも同じく右手で握ってくる。そしてその手を解いたところで、ウィーネは背もたれに寄り掛かり、天を仰いだ。
「…約束よ。何でも1つ言うこと聞いてあげる」
「それじゃあ、そうだな…」
約束は約束だ。最初に手加減をしていたとはいえ、負けてしまったのも事実。なので、最初に言った通りウィーネはゲンマの言うことを1つ聞くことにした。とはいえ、彼の繊細な性格からしてそういうことは希望しないと思ったのだが、意外にも彼は最初からその願い事を決めていたかのような素振りだ。いったい、何を願ってくるのだろうか。
「じゃあさ、これから俺のこと鍛えてくれないか?」
「鍛える?」
そうしてゲンマが告げてきたのは、鍛錬のお願いだった。男が女に求める願い事としては健全といえば健全だが、逆にどういう理屈でそれを願ったのかは分からない。
「俺は、あの武器を持っていれば身体の動きがよくなるけど、俺自身の体力はそんなにないし、筋肉だって全然だし」
言いながらゲンマが腕に力を籠める。ウィーネが見る限り、最低限の筋肉はついているが、筋骨隆々と言うには程遠い。元々最初に出会った時から少々細身だと思っていたが。
「でも、俺は身体を鍛えるのにどういうやり方がいいとか、全然分からなくて」
「あたしはそれを知っているって?」
「ウィーネは『格闘家』で、クエストで敵と戦う時の身のこなしとか、普段から見えてるお腹や脚や腕も鍛えられてるって、素人目でも分かる。だから、教えてもらえないか…と思って」
よく見ている、とウィーネは思う。確かに、ウィーネは子供のころから身体を動かすのが好きだったし、「格闘家」の適性があると知ってからも鍛錬は続けていた。なので、そこいらの一般人と比べれば、鍛え方はそれなりに知っている方だろう。ゲンマの見立てに間違いはない。
「それぐらいならいいけど…そんなんでいいの?」
「元々時間があれば教えてもらいたいな、って思ってたし。それを言う機会が今回だったってことだよ」
ゲームの力加減を誤ったとはいえ、勝利した報酬の「何でも命令できる」権利を行使するには少々物足りない、というのがウィーネの感想だ。と言っても、仮にウィーネ自身が勝ってもそんなに突飛な要求をするつもりはなかったので、それならお互い様と言えるだろう。
「あ、ゲンマさんが教わるんでしたら、私も教えて欲しいなって」
「で、でしたら私もぉ…私みたいな銃を撃つしか能のない女でも、少しでもお役に立てますし…」
「いや、銃を撃てるのは十分すごいことなのよ…でも、分かったわ」
すると、アルナとクラカも、ウィーネの指導を要求してきた。勝ったのはゲンマだが、クラカとアルナの力添えなしにはゲンマもあそこまで戦うことはできなかっただろうし、そう考えれば2人も勝者だ。それに、強くなれば傷つくことも少なくなるだろうし、生存する確率が増える。仲間を死なせないために、教えない理由はなかった。
ウィーネの言葉に、アルナとクラカも笑って頷く。そこで、ゲンマが尋ねてきた。
「ちなみに、ウィーネが勝ったらどうするつもりだったんだ?」
「まぁ私は、酒でも奢ってもらおうかなって」
「何だ…それこそ、いつでもいいのに」
肩を竦めて、がっかりしたふりをしながら答えると、ゲンマは平然とそう返す。
それを聞いて、ウィーネはにやりと笑った。
「いいのかしら? 知ってるでしょ、あたしが結構飲むって」
「知ってるともさ。でも、ウィーネが仲間になってから色々助けてもらってるし、励ましてくれているのは確かなんだから。それぐらいの恩返しはさせてくれよ」
それでも、からかう様に笑っても、ゲンマはその微笑を崩さなかった。本当に、ウィーネに対して感謝の念を抱いているように。
そんなゲンマの顔を見て、思考が停止する。
だが、それも一瞬で解け、「そっか」とだけ言うことができた。
「…じゃ、早速今晩奢ってもらおうかしらね~?」
「あまり金がないから、高い酒は止めてくれよ」
「節約しなきゃ、ですね。自炊もしないと…」
「分かってるって~」
「お、お金が無くなったら私たち飢え死んじゃいますよぉ…?」
時刻は夕方になり、陽も落ちかけている。食材はないし、引っ越しの作業で疲れているので、今日もまた外食になりそうだ。
しかし、明日からはクエストに出て金を稼ぎ、節約のためにも自炊を始めるべきだろう。これまでのギルドでも自炊はあったが、自分以外の作る料理ときたら評価に悩む出来ばかりだった。自分は両親の手伝いで料理を作る機会が多かったから、自ら作る料理は評価も高かったが。
「このあたりで食材を買うとなると、どのあたりになるんだ?」
「ギルド管理本部の近くに、お店がいくつかあるわね。後は、町から少し離れた場所に市場があるけど、今日はもう閉まってるだろうし…」
「帰りに、場所だけ見てみましょうか?」
「それならいいわよ」
セントラルタウンが冒険者、ギルドを擁立するだけあって、物流も売られているものの充実ぶりも、周りの国の首都と大差ない。食料品だってちゃんと買うことはできるし、それはウィーネ自身今までの経験で分かっていた。
さらに言えば、どこで買うのがよりお得かというのもウィーネの頭に入っている。これから先は節約しなければならないだろうから、自分の知識は活用できる限りは活用したい。
「…野暮なことを聞くけど、皆って料理は?」
「できるわよ、あたしは」
「私もです」
「わ、私もちょっとは…」
何か思うところがあったのか、ゲンマが尋ねてくる。ウィーネは自身の腕を前のギルドで理解していたので普通に頷いたし、アルナとクラカも心得はあるようだ。面々の答えを聞いて、ゲンマは頷く。きっと、自分自身の料理の腕にあまり自信がないのかもしれない。
そんな彼は、今のギルドの仲間は、自分が作った料理を褒めてくれるだろうか。
ゲンマたちを見ながら、柄にもなくそんなことを考えてしまう。
普段武闘派のキャラとかがギルドハウスでくつろいでる姿見ると、めちゃ和む
戦士の休息とか大好きなもので