天与呪縛はつらいよ   作:れいめい よる

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月に叢雲、蛇に猿(参)

 

 

「はっ!」 

 

己の快楽の為に吉野を利用した真人と何が違うというのか。 

 

「やってらんねー」 

 

もうどうでも良くなってきた。オラウータンの上半身の拘束を解き、掴んでいたマムシを教師に差し出した。 

 

「自分でやれよ。首に。」

「えっ?」

「なに。身代わりになるって言ったじゃん。それともその場凌ぎの嘘だったわけ?」

「や、やる!やります!」 

 

毒性のないマムシだ。蜂に刺された程度の表面的な痛みだろう。根性試しには丁度良い。 

これで本当に実行したらばコイツには更生の余地があるのだろう。そしてそれはあの傍観していたバブーンにだって。唾をもう一呑みするほどの勇気でボス猿を止めようとしていたのかもしれない。全くタイミングが悪かった事故なのだと、自分を納得させられるかも。 

 

シャーシャーと威嚇するマムシを野生の手が鷲掴んだ。もうすぐで鋭い歯が皮膚にめり込む……あと少しだった。 

 

塵埃が爆散した。

寸秒前に俺が立っていた場所が重力に飲み込まれたように跡形も無くなっていた。作浪さんとの特訓がなければ今頃はあの質量の餌食になっていたかもしれないと袴の下で肌が粟立つのを感じた。外に召喚したヨルムンガンドの顔が体育館の壁を突き破って牙を剥き出しにすると、彼女はオラウータンとその他猿どもを背後にパチモンの蛇を身辺に浮遊させていた。 

 

「やあやあ初めまして、梔子逸君。どんな女が好みだい?」

「九十九…由基!」 

 

彼女は笑った。ホワイトニングされた真っ白な歯は好戦的に煌めいていた。 

 

「君、これはおいたがすぎないかい?夏油だの梔子だのって個人の問題よりすぐるが呪われてるのかもね。はっは!」

「笑えませんよ。」

「いやあ、ハッハハ!…で、女の好みは?」 

 

初対面だっての特級呪術師はしつこかった。彼女が高専を嫌う理由は尤もだが、因縁云々を抜きにしても高専側が彼女を忌避するのも頷ける。女の好みがなんだというんだ。 

 

「白皙で中性的な精悍顔で、照りつける太陽光に艶やかな髪を持ち上げて気怠そうにしてる年上…」

「おっと、ずば抜けて趣味が悪い」

「律儀に答えたのになんだよそれ!」 

 

インランドタイパンの毒でも吹き飛ばしてやろうかと目を逆立てたところで凰輪を引かせた特級術師に俺は毒気を削がれた。 

 

「ところでさあ、逸君。お父さんっている?ご両親が絶縁した実家とか。」

「はあ?いませんけど。」 

 

不可解な質問だ。 

俺の親父は物心ついた時には交通事故で死んでいた。共働きの両親が偶然同じ時間帯に仕事を終えた日、二人揃って保育園に預けた俺を引き取りに来る道中のことだったらしい。脇見運転をしていたトラックと衝突して運転手の親父は車から投げ出された。母さんは今でも酒を飲んだら親父の骨壷を胸に抱いて二人の出会い話を語る。だから高専に見出されたとき、俺は母さんを家に独り残して行くのが気が気でならなかった。 

 

親戚との関わりは今世ではない。俺は一般家庭出身だけど、夏油傑のように完全に非術師の家庭の出ではない。父方の祖父母は京都校出身の呪術師だったのだ。二人は学生時代に任務で死に瀕したことがあるらしく、その時に自分達の子供には——二人は中学一年の時点で政略縁組が決まっていた——呪術界とは無縁の人生を送らせると誓ったそうだ。そんな願いを神様は聞き届けてくれたのか、親父には術式はおろか呪いも視えなかった。代わりに俺が発現した。 

 

九地勿倭投術は稀有な術式と謂われているが一族の相伝でもなんでもなく、血縁関係なしに術師の質がある者に無作為に発現する術式だ。俺に伏黒のような複雑な実家事情なんざない。 

なら何故目の前の術師は脈絡もなく奇妙な問いを投げ掛けたのだろうか。まあ呪術界でもSクラスの変人だからどうせ碌でもない感興で尋ねたに違いない。 

 

俺の素気無い返答に九十九さんは柳眉を顰めた。年下の態度に機嫌を損ねたというよりも熟考しているようだった。 

 

「五条君から話を聞いてね。村落での出来事はさぞ君の自尊心を傷付けたことだろう。」

「自尊心?そんな言葉で俺の不幸を纏めるな。問題はあの村人どもじゃない。俺と猿との根深い確執にあるんです。たかが報告書を読んだだけの第三者に何が分かるんですか。」

「分からないよ何も。夏油君の悩みだってあの五条君ですら寄り添えなかったのだから、極端な思想に他人の共感を求めない方が良い。そういう輩に限って共感力がないんだ。」 

 

否定はしない。共感というのは優しさと同じで他人様に求めたり押し付けたりするものじゃない。それが行き過ぎれば邪な自己開示を引き起こし勝手に相手を同一視して、いざ道筋が異なれば無意味な失望を抱きとんでもない行動に走る。俺が天与呪縛についてを五条先生に打ち明ける過程を顧みてもそうだったように、深い部分を晒すことは時に痛みを伴うのだから無理に闇を開示する必要なんてない。 

 

「なら何をしに来たんですか。」

「確認をする為だよ。五条君の言葉でも、へみの君の思し召しによるものでもなく私の眼で本髄を見極める為に。」 

 

分厚い天井に遮られた屋内なのに、どうしてだか九十九さんの背後から聖なる光芒が差しているような気がした。 

 

「私は原因療法を模索している。」

「原因療法?」

「高専のようにひたすら呪霊を狩り続ける無限の労働を享受するんじゃなくて、呪霊の生まれない世界をつくって加害者も被害者もなくそうって話。以前夏油君にも話したんだけどね…」   

 

彼女は己が一因となった最悪の呪詛師との会話を再現した。呪霊が存在する理由、高専の信条、中立的な特級術師としての志…呪力からの脱却についてを諸述したうえでのもう一人のすぐるの感想を。彼女はあくまで思想実験として彼の発想を肯定したことを強調して。

言葉の節々から間接的に関与した非術師の大量殺人に対する良心の呵責というものを微かに感じられたのが原作との相違点だろう。 

 

「さて、君はどんな意見をくれるかな。」 

 

恐らく正解なんてない。理性と情熱は共存し得るか、持続可能な社会を形成するのに必要なものは何か、そんな曖昧模糊で時の変遷とともに価値観の移ろう人間には永遠に導き出されない疑問だ。

呪術師と呪詛師、夏油と九十九さんと五条先生、各々が各々の信念を掲げて袂を別った。それでも不思議なことに別々の太陽を仰ぐ彼等の根底にあるのは平穏への渇望だ。そして惜しくも真っ先に破綻したのは理想主義者だった。 

 

ふと閃いた。あの巨人駆逐主義者にも引けを取らない夏油に倣って島民滅亡計画を立てた戦士長並みの、戦慄ものの意志表明をしたなら、些かばかり物分かりが改善された彼女はどんな面相をするのだろうか。紛れもない狂人の狂言になんと返すのだろうか。 

 

「安楽死はどうでしょうか。」

「…続けて」

「全ての悲劇が非術師の所為で起こるのなら、断腸の思いで根元を根絶すればいい。尊くて醜いを惨殺するのは忍びない。なら、彼等が安寧を過ごしているうちに生殖能力を奪い、現存する非術師を最後に滅亡に導いてやる。そもそも生まれてきたこと自体が間違いなのだから。」 

 

我ながら反吐の出る狂言だと自嘲してしまった。架空世界と俺の生きる現実世界とでは土台から乖離しているし、育まれる価値観も異質だ。彼方の世界ではまだ倫理を省けば説得力のある雄心として一定数の人間は納得しただろう。倫理を除けばの話だ。 

だけど俺はそうじゃない。俺にはろくでなしだと指弾すべき父親もいないし胸を弾ませて帰る家も肩を並べて笑い合える友人もいる。村落での一件みたいに互いに住む世界そのものが捩れてまともに手を取り合えない人間だっているけど、そんな奴らと関わるか距離を置くかの選択肢は俺にある。俺には俺の人生を設計する自由がある。そも、恒常的に民族存続の危機に陥っているわけでもないので別次元の世界と引き合わせるだけでも失礼ってもんだ。 

 

それに如何なる妥当な経緯があったとして命の尊さと重さは非術師と術師の数の多寡で定められるものではない。

要するに、己の発言に自己採点しているうちに後悔が募りはじめた。即座に精神病棟監禁ものの失言である。 

 

「それで、君はそれをどう実現するわけだい。」

「そんな顔をしないで下さい。ただの机上の空論じゃないですか。貴方が十一年前に夏油傑を後押ししたのと同じ非常口みたいなものだ。」

「質問に答えてないよ。」 

 

見詰めるだけで万物を干上がらせてしまいそうな淡黄が俺を照射した。控えさせたはずの凰輪がいつの間にか彼女の周囲を漂っている。出会い頭とは確実に異なる不調和が蔓延りはじめていた。 

 

意外だった。俺が口にした推論は過程こそ違えど鏖殺に終着点を希求しており、程度の差こそあれ十数年前の九十九さんが否定しなかった仮説だというのに、何が彼女の神経を逆撫でしたのだろうか。

……ああ、そうか。 

 

「すみませんでした。元星漿体の貴方を不快にさせるつもりはなかった。」 

 

天元と同化し是迄に犠牲になった星漿体達の意思を感知できる彼女にはあまりに生々しく残酷で、運命に抗えない弱者の立場に付け込んで尊厳を踏み躙る言葉だったのだ。

感興にしては最低な科白だったと反省して、頭を垂れて謝意を示そうとして…巨大な打撃音が遠方で響めいた。 

そういえば、あの時真人は何て云ってた?面白い気配、面白い…まさか。 

 

「失礼します」 

 

ある予測に辿り着いた俺は九十九さんの返答も待たずに体育館を飛び出した。 

 

 

 

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