天与呪縛はつらいよ   作:れいめい よる

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月に叢雲、蛇に猿(肆)

 

 

「ナナミン!」

「虎杖君、彼を安全圏へ!」 

 

見晴らしの良い運動場に凄まじい黄塵を巻き起こして真人は虎杖達にちょっかいを出していた。領域展開で呪力を消耗したらしい。威勢のわりに弱っている。

だがこの場で最も頼りになるべき七海さんも奴の自閉円頓裹に食われかけた反動で疲弊しているように見えた。吉野がいる為に虎杖も下手に動けずに膠着状態が続いてる。その為か多対一で引くべき真人は旺盛な闘争心を治めきれずに引き際を見失っていた。 

 

一も二もなく俺は駆け出した。 

 

「だーかーらぁ、俺の邪魔すんなつってんだろうが!真人この野郎!」 

 

渾身の打撃が打ち込まれた。作浪さん伝授のコークスクリュー・ブローだ。上手く呪力を乗せられれば黒閃にも匹敵する威力を放つ。拳の調子も感触も良好だ。 

 

耳を聾する爆音とともに真人は彗星の如く吹っ飛んで行った。

校舎の壁面が空襲でも受けたみたいに崩れ落ちる。地響きが大気までもを震撼して伝わってきた。 

 

体育祭で撃ち鳴らされるスターターピストルよりも大きな音が収まった頃、瓦礫の山と化した運動場の一角に真人はいなかった。へしゃげて捨て置かれたグレーチングから彼が下水道に逃げ込んだのが判った。この世の不謹慎を煮詰めたような陋劣な性格、まさしく人面獣心を反映した顔の潰れた深海魚みたいな術式に領域展開、おまけに逃げ足も素早いときた。凄いなこんなにも誇れるところがない呪霊なんて一周回って好感度湧くよ。 

 

ともあれ、邪魔者が消えてくれて良かった。これで吉野達との会話に専念できる。 

爽やかな心地で襟元を正して振り返って、俺は硬直した。 

 

「動くな。」

「七海さん?」

「ナナミン!」

「君達は下がりなさい。」 

 

如何いうわけか吉野と虎杖を庇うようにして七海さんが鉈を構えて俺と対峙している。陽光に透かされたサングラスの下でこちらを射抜く双眸に携えられるそれは敵意以外の何ものでもない。口元は厳しく引き締められたままで…。 

 

何度も共に呪霊討伐に赴いたからこそ判る。七海さんは本気で俺を敵対視している。何故?分からない。そんなもの考えたって分かるわけないじゃないか。それでも俺一直線に仕向けられた明確な敵意に腑抜けていられるほど俺の経験値は浅くない。心は望んでいなくとも俺の身体は反射的に臨戦態勢を取っていた。何か誤解がある、氷解を求めて開こうとした口は即刻混迷に取って代わられた。 

 

「特級呪詛師梔子逸。君を捕縛します。」

「ぇ、とっきゅう…?」

「ええそうです、へみの君が君を特級相当の呪詛師として認定しました。よって、一級術師の私には君を高専に連行する義務がある。」 

「へみの君が、なんだって?」

 

随分な間があった。

一方的に火花が散る寸前の状況下、呼吸の合わない沈黙のなかで何十周したかしれない思考は脳漿を反発し続ける。どれだけ脳髄を絞っても七海さんの言葉を理解することができなかった。意味が分からないのに彼が真実を語っているということだけが肌を突き刺す剣呑さで伝わってくる。何かの悪い冗談だ。そう一蹴したいのに重みが増すばかりの雰囲気がそうさせてくれない。 

 

それでも意思疎通を図ろうと、認識を照らし合わせようと踏み出して…身の毛がよだつ感覚に右脚を引っ込め退いた。 

台風さながらの狂飆が巻き起こる。吹き飛ばされそうになった身体を契約者の危機に現れた八岐大蛇が受け止めてくれた。

 

「や、酷いじゃないか私を置き去りにするなんて。」

「まさかヨルムンガンドを?」 

 

胸中で発したはずの疑問が思わず転び出ると、九十九さんは得たり顔で頷いた。念の為にと攻撃ではなく監視目的で残しただけの俺の蛇をよくも… 

 

「大蛇オロチ!凰輪を喰い殺せ!」

「そうこなくっちゃ」 

 

ジャイアント・セコイアの如き八つの頭と尾が潜り込んだ地面を秒速で抉り現れる。

ゴォン、ズドン!と鼓膜を揺さぶる衝撃音が炸裂して、一頭、また一頭と徐々に大蛇が欠けていく。 

 

「流石に特級呪術師の称号は伊達じゃないってか…ホヤウカムイ!」 

 

現存する蛇では相手にならないと新たな伝説の蛇を喚び寄せれば洒落にならない呪力が持っていかれるのを感じた。上空に現れたホヤウカムイが突槍よりも太く長い無数の棘を含んだ泥濘を吐き出す。順平達の安全を慮って威力はいまいちだ。あくまで九十九さん個人に到達するには至らないという意味で。 

 

「やるじゃない!」

「そっちこそ大人気ないと思わないんですか!」

「いいや、まったく!」 

 

主人を守る為に傘になった凰輪は像百頭分の重みに押し潰された。しかしまだ健在だ。 

もう一発喰らわせなきゃ気が済まない。尻尾を無くした凰輪が胴体を丸めて弾丸の如く迫ってくる。

速い! 

回避は間に合わないと瞬時に下した俺は咄嗟に呪力で保護した両腕で防御に入ろうとした。 

 

——刹那、音を割って突き進む九十九さんの式神が真っ二つに叩き斬られた。 

からんと足元に転がる十本の簪に俺ははっとして空を見上げる。 

 

「ウズメ!」 

 

帳を背負う白天狗般若、突風に揺らめく黒髪に目を奪われた。 

 

呆気に取られているうちに面を被った彼は音もなく着地した。いつもの女中服ではなく白と紺の直垂と小袴が彼の性に見合っているだなんて、場違いな感想を抱いた。 

 

俺が話しかける前にウズメは懐から新たな簪を取り出す。本物の白ススキで出来た花簪だ。

彼がふぅと息を吹きかけると、散り散りになった茅は降下の際に密かに六芒星形に地面に突き刺していた簪へと漂い、雷の如く電閃した。必中スタンガンのような電撃攻撃だ。もろに喰らっても二本足で立っていられるのは九十九さんと七海さんしかいない。 

 

ウズメが俺の前で跪いた。 

 

「御当主様、お迎えに参上致しました。」

「まだ俺は終わってな」

「お子達のようなことを仰言らないで下さいまし。」 

 

俺よりもよっぽど威厳を孕んだ声音に舌打ちが溢れる。確かにこの場で戦い続けたところで呪力を無駄に消耗するのはこちらの方だ。おまけに七海さんの不得要領な発言も縁起の悪さを助長している。 

麻痺があとどれだけ継続するか分からない以上一秒でも長く此処に留まるのは得策ではない。これ以上逡巡している猶予などなかった。 

 

「…吉野、お前の母さんは家に帰しといてやるよ。」

「えっ?梔子君?」

「待てよ梔子!」 

 

少しばかり異質の困惑を目色に滲ませる虎杖と吉野を尻目に、騰蛇に跨った俺とウズメはその場を後にした。

 

 

砂塵の威勢は依然としてグラウンドを占領していた。呪力の幕を通り抜けた影が徐々に豆粒状になりながら遠ざかり、やがて完全に視界から見えなくなると帳は示し合わせたように消え始める。

仮初の闇が棚引くように引き揚げていく様を一同は延々と見上げていた。夜に代わって天の蒼海が拓け、一点の曇もない明鏡止水もかくやの頭上に日輪が完全に熱を取り戻す。停滞していた時も流れ始めた。 

 

ありったけの蝉噪と文明の音が滂沱の唸りとなり呪術師達の耳朶に流れ混んでくる。そこで漸く簪は倒れた。 

 

「あれは一級呪詛師の白天狗でしたね。」 

 

七海が誰にともなく呟いた。今し方の戦闘の興奮が後を引いているといった調子で。 

 

「ウズメと呼んでいたね。渋川家の当主になったというのは本当だったようだね。」 

 

渋川家、遡及して室町時代、彼の足利家の同族として征夷大将軍の継承権を有し上位家格として権威を掌握していた御三家が一角。禪院家の相伝、十種影法術に八握剣異戒神将魔虚羅が存在しなければ渋川家が地位を簒奪していたと謂れている。

累代の末、昭和後期に前々代の当主恭介(きょうすけ)が御三家の呪術師達を惨殺し逃げ果せたことで呪詛師として回瀾を既倒に反した。爾後、目立って呪術師や非術師を殺害することもなく鳴りを潜めたことにより渋川家に対して総監部が打った布石は少数の術師の潜入捜査のみに留まっている。

これは蜚語だが、渋川家は古来よりへみの君を崇拝しており彼の御仁の側用人として永らく奉公してきた為に即時処分を免れ、結果呪詛師御三家として興国する余地を与えてしまったという話がある。しかし渋川家きっての穏健派とされる渋川五十浪(いそろう)が当主の座に就任してからは有名無実と成り果ててしまった…と思われていた。 

 

ウズメは戦国時代より渋川家と眷属家系である。彼等は名前を与えられず、自由意志も許されず己に名を與えた当主にのみ忠誠を誓う殺人兵器のような()である。式神使いとも謂れ彼、若しくは彼女の飛ばす蒲公英の種は一時間で列島全域に行き渡る高度な通信手段とされている。 

 

故に、先代が殺害されたのにもかかわらず現当主たる逸に頭を垂れている様を目の当たりにした面々が抱いた衝撃の程度はいずくんぞ知らん。加減を放り捨てれば地球を消滅させられる特級術師を相手に善戦できる慥かな実力、抵抗力のない非術師を相手に剥き出しにした敵愾心。逸は名実一体特級呪詛師となったのだ。 

 

「くそッ」 

 

勢いよく地面に叩きつけられ、跳ね返った柄を握り直した七海の似つかわしくない怒気に虎杖は息を呑んだ。

無理からぬことである。学生時代、然あらぬ笑顔で廊下ですれ違った先輩が後日実親を殺害し呪詛師となった折に押し寄せる大波の如く去来した混乱、憤慨、憂鬱、哀傷が十一年後に倍増してまた巡ってくるとは思いも寄るまい。少なくともこの場にいる誰よりも附合の長い己が上層部から、又五条から直接次第を聞いても尚、自身の眼で確かめるまで悠長にも現実を受け入れようとしなかったことが悔やまれた。

 

まるで己の罪刑を理解していないといった面相で踏み出そうとした逸に九十九が妨害を仕掛けていなかったら今頃自身らはどうなっていたのだろうか。以前の高一らしい溌剌とした面影はどこにもなく、こちらの呼び掛けには一切の小隙を許さぬ厳正な袴姿と睡眠を妨害された赤子のような拗けた不満顔がチグハグな印象を与えた。 

 

七海はもう一度悪態吐こうとして、長嘆息を漏らすだけに留まった。自身が敬遠しつつも信を置く最強呪術師は何をしていたのだ。一ヶ月半前、山口で呪霊討伐の任務に出向いた際に逸を随伴させた己は一体何処を見ていたのだ。行き場のない憤慨に血管が浮き上がった。 

 

初めて見る合理的で良心的な人間の日影に揺るぐ焔に虎杖の肩は跳ね上がった。呪いを扱う者に相応しい獰猛な背中に慄きつつも、感情を露わにする男のお陰で己の痛憤が見る見るうちに減衰するのに胸を撫で下ろしていた。 

 

「あの、虎杖君。梔子君っていったい」

「あっ。えっと…その」 

 

虎杖は言い淀んだ。説明するには複雑な経緯を上手く纏め上げるには頭脳も気力も足りなかった。一方で、逸の名を口にした途端に澱みを増した空気に、吉野は胸騒ぎを禁じ得ないでいた。 

 

「一先ず高専に帰りましょう。」 

 

子供達の会話に我を取り戻した七海が見返った。 

 

「けど母さんが」

「私が君の家に確かめに行きます。虎杖君、彼を任せましたよ。」

「…っす。」 

 

…虎杖に半ば引き摺られるようにして去り行く吉野を見送って七海は一息吐いた。先程の命の礼をと顔を巡らし、偶さか視界に入った女の面貌に言葉を失った。 

 

無であった。九十九は虚無を湛えていた。普段の不快な愛着や闊達な気質、況してや焦燥や剣難の色もなく凡てを何処かへと抜け落としてきたかの無表情をしていた。

微笑んでいないだけで此程までに雰囲気が変貌するものなのかと思わず氣を呑まれそうになった一級術師は心持ちを保つ為に咳払いをする。幸いにもそれが声掛けとなり、彼に向かい合った九十九は瞬間の真顔などなかったかのように莞爾として笑んでいた。 

 

「私は今から吉野順平の自宅に行きますが」

「よろしく。私はちょっと此処を片付けてから高専に顔を出すよ。」 

 

此処とグラウンドを指差した九十九に従い七海は運動場を見渡してみる。確かに、補助監督に任せるには後始末の負担は大きかった。 

慇懃に一揖して「では頼みます」踵を返した七海がいなくなってから九十九は近場の瓦礫の山に腰を下ろした。

胴体の後ろ半分を無くした凰輪が固い動作で近付いてくる。それをひと撫でしてやって、彼女は胸を天に聳やかした。 

 

——すみませんでした。元星漿体の貴方を不快にさせるつもりはなかった。 

 

正直、事態を甘く見ていた。やんごとなき御仁に拝謁する前に当該人と対面できたのは正解だったと己の判断を讃えたくなった。 

非術師を殺すと嘆いた夏油、片や非術師を安楽死させると機械的に告げた逸。二人が言語化した呪詛は比較しようもなく熱病を患ったような妄語だが、殊逸に至っては別次元の領域に達していた。非術師から生殖能力を奪うなどという発想は気違いで納められぬ到底容認できぬものだった。

 

あの場で能う限りの最大質量を付与した攻撃を放たなかったのは甲羅を経た彼女の理性の賜物であり、対峙する青年のまったく潔白な物言いが却ってゆとりを彼女に与えた。でなければ十一年前に同様の発言をされていれば夏油は百鬼夜行の機会もなく高専の敷地内で亡き者となっていただろう。そして同じ終着点の思考実験を嘗て戯言だと斥けなかったのも己であるという日々の夢見の悪さが即刻の制裁を憚らせたのだ。 

 

同時に、九十九はかくも唾棄すべき発想を逸が企てたとは思えなかった。自ら出向き頭を下げてまで自身を日本に呼び戻した五条の推察通り本件には何らかの、一通りでは説明し得ない裏面を逸の双眸を介して眼差したのだ。五条は云っていた。彼が差し伸べた手を握り返した直後に離反したのには事情があるに相違ないと。 

 

そうはいっても、反旗を翻した若者が更生できるか否かは彼女の予測の範疇外にある。如何せん我が強く社交性に欠けた特級術師に初対面の相手の心情を精確に看破するなど土台無理な話である。それでも九十九には確信があった。 

梔子…否、渋川逸は近々人を殺すだろう。夏油を凌ぐ兇悪な方法で。現状未遂な分、殺人への反動が増大して降りかかって来るに違いない。里桜高校の教師に自害を迫り涙汗を流す様子を鑑賞していたように、衝動を抑えきれなくなって。 

 

「面倒臭いことになった。懇願されても金積まれても帰ってこなかったら良かった。いやあ、私ってば貧乏籤引いちゃった?」 

 

凰輪が唸った。賛同か否定か分からなかった。

居ても立ってもいられぬといった様子で立上った九十九は携帯を取り出した。逸を特級呪詛師に認定し、処刑を延期した秘密主義者に、彼女が天元と上層部を除いて唯一恭敬する現人神と称えられる存在からその本意を伺う為に。 

 

結局、窓硝子の破片の一つも片付けられなかった。

 

 

 

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