天与呪縛はつらいよ   作:れいめい よる

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シニモノガタリ

 

 

夢の中で俺は走っていた。薄雲が棚引く逢魔時の山中を気を抜けば崩れ落ちそうな脚に鞭を打って。

何度転けたか分からない、この状況だってこれ迄に何度目の経験かすら覚えてない。夢だと思う一方で、あまりに鮮明な感覚が何か意識の堺を漂っているような心地にさせていた。 

 

俺は駆け抜ける。剥き出しになった奇岩群の険しい造形を右から左、山頂から麓へと。林地を通り抜け滝道を滑り降り、枝やら葉の棘やらで肌が傷だらけになっても止まるわけにはいかなかった。止まれば最後、集団リンチに遭って凄惨な死を迎えることが分かっていたから。 

…この山林を統治する猿の王をうっかり殺してしまって五体満足に帰れるわけがないのだから。 

 

——なんてことはない休日旅行の散策だった。

親同士の仲が良いために実現した和歌山県伊都郡へのグループ旅行、登山好きの友人に誘われて二人だけで伊都郡にある何とか山に登る予定だった俺達だが、翌朝になってソイツが体調を崩してしまった。個人的には山登りなんてものに興味はなかったが、母さんに作ってもらった弁当を無駄にするわけにはと心配してくれる母さんとママ友を軽くあしらって登山に挑んだ。 

 

地形は山岳に近しく、けれども風越山を彷彿とさせる大自然は鳥も棲息しないと謂われるほどの深山で俺は早々に一人で挑んだことを後悔した。…宿泊していた旅館の裏側の登山口から順当に道案内に従った筈がいつの間にか道に迷ってしまったのだ。散策用の簡易地図は登山道そのものを見失ったので役立たず、方位磁石も持たずに来た所為で進行方向も判らない。完全に詰んでいた。

年甲斐もなく泣きべそを掻きながらも山で迷えば降らず登れという教訓を頭の片隅から引っ張り出して取り敢えず登ることに。するとそのうちやけに老朽化した鳥居が点々と山頂に向かって連なっているのを発見、藁にも縋る思いで導かれるように辿って行くと山頂に辿り着いた。

 

そこには途方もなく大昔に造営されたと思しき社殿があった。しかも明らかにこの辺り、延いては日本列島にはそぐわない種類の猿達の棲家と化して。

登山口ですれ違った老夫婦の会話を思い出した。ここら辺は二、三十年前に傍近を立ち寄った外国のサーカス団からたハヌマンラングールが逃亡して一帯を占拠し、剰え繁殖した所為で年々猿山と化しつつある曰くつきの秘境だと。

成程、粗暴な野生が一帯を縄張りにしているので行政も下手に手出しができず、名無しの社殿もいつしか猿達の憩いの場となっていたのだろう。生来猿と縁深い俺にとってはそんなこともあるか程度の認識であった。ほら、霊感ある人が心霊スポットで大量の幽霊を見るみたいなやつ。 

 

猿は種類に限らずよく思ってないが敵意がなければ共存——一々拒絶反応を起こしていれば行く先々で居場所を失うので——というスタンスの俺は、サーカス団員を祖父母に持つ猿どもを素通りしてさっさと登山を終えようとした…筈だった。しかしお寺の家系出身の母が常日頃から近所の祠や神社仏閣を進んで掃除している姿を見て育った身として、この人間に生み出され人間に破棄された社を素通りすることはできなかった。

俺は荷物を下ろすと廃神社の掃除を始めた。

 

………。

 

粗方の苔と雑草を除去して手持ちのタオルで鳥居や本殿を簡単に拭った頃には稜線に沈みゆく斜陽が美しく境内を照らしていた。猿達は突如としてせっせと大掃除を始めた俺を最初は白けた眼で満ていたもののやがて興味を失い今では各々の感興に専念するか昼寝している。

弁当箱と一緒に母が握ってくれたおにぎりを御賽銭の上に置きあるだけの小銭を入れて手を合わせれば、去年体育祭の二人三脚で優勝した時みたいに爽快な気持ちになった。俺は別に敬虔な神道家でも檀信徒でもない。けれども愛が人間の目には見えないように、神様だって見えなくても存在すると漠然と信じている典型的な日本人だからこうして寂れた山中のお社でも最大限の敬意を示せたことは自画自賛に値する行いだった。

 

不意と、賽銭箱の隙間に挟まってる紙屑を引き抜いた。少なくとも百年以上前のものと思われる質感の和紙だ。老眼さながらに目を凝らさなければ読めない程の行書の難読漢字で「唵蘇羅薩縛帝曳娑婆訶」と記されている。幸いにも片仮名で読み仮名が書かれていたので俺は早口言葉でも紡ぐみたいな辿々しい口調でそれを音読した。

 

…云い終えるが早いか、奇妙な鳴き声が耳朶に接した。何というか、周辺に屯する毛むくじゃらの霊長目の哺乳類にしては可愛らしくも悲愴さを孕んだ悲鳴が。

愕き見返る。そして決して看過できない光景を目撃してしまった。

 

ハヌマンラングールたちが鳥居の内側で、ずんぐりむっくりとした横槌のような図体の蛇…古より伝えられし伝説のツチノコを鳥居の内側で寄って集って虐げていた。 

 

UMAを目撃しただとか、相も変わらず質の悪い連中に遭遇しただとかはこの際微々たる問題だった。そんなことよりも昔から当事者である俺の眼前で数にものを云わせて暴力を振るう奴等が絶対に許せなかった。時折居合わせてしまう、いつになっても見慣れぬ光景を前に俺は躊躇なく悪太郎どもに制裁の投石をした。 

 

…これがまた不運なことに当たりどころが悪かった一匹…ボス猿は平衡感覚を失い踏鞴を踏んでガレ場を転がり落ちてしまったのだ。斜面を点々と穿つ杉木に衝突するかたちで停止したボス猿は急ぎ駆け寄った時には息をしてなかった。 

途端に響動めきだすハヌマンラングールの群れ。三秒も考えずに俺は血塗れとなり動けなくなってるツチノコを抱えて駆け降り始めた。 

 

——自分達の王様を投石死させた殺人犯に仇討ちすべく奴等は地の果てまでも追いかけてきた。 

俺はもう死んだ気になって駆け続けた。腕の中でまだ脈動してくれる小さな生き物を、己自身を救う為に全身全霊で。そのうち靴も脱げて裸足で整備されてない岩稜ルートにまで回って追手を躱そうとした。

 

…駄目だった。奴等にとっての庭は俺にとっての異土で、どうしたって柔軟で素速い野生動物に敵うわけがなかった。それに躰の限界が先に来た。 

中腹を過ぎたあたりで追いついた一匹に足を取られた俺は体勢を立て直すことができずに、おむすびころりんの如く岩場を転げだした。 

 

鋭利な刃物で滅多刺しにされたと錯覚する激痛だった。裂けた彼方此方がカッと熱くなって、全身がばらばらになったみたいに辛かった。 

 

ボス猿とは違って杉木ではなく大岩にぶつかり止まって朧げな視界を凝らした斜面上には夥しい血痕が出来上がっていた。骨も皮膚を突き出している。だが俺が確実に死んだか確かめる為に限度を知らぬ歩調で降ってくる猿達は嬉々としている。

争いようのない絶望を捉えた俺は、せめて罪のないツチノコだけは助かるようにと遠くの茂みに投げ遣った。 

 

瞬きの度に映像が過ぎてゆく。猿を殺してしまったこと、ツチノコの無事を最後まで確認できなかったこと、母さんの弁当が食べれなかったこと。友人に会えなかったこと、恋人の一人も作らなかったこと、父さんの顔を見たかったこと…無数の悔いが走馬灯となり瞼裏を去来した。

 

それから少しして、ふっと躰が軽くなる感覚がした。 

 

…これが長いこと忘れていた前世での最期の記憶だ。十月三十一日、高一だった俺の今は昔の死物話。

 

 

 

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