天与呪縛はつらいよ   作:れいめい よる

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さよならの笑顔を

 

 

記録 

二〇一八年十月三十一日午後七時。東急百貨店、東急東横店を中心に半径約四百メートルに渡って帳が降ろされる。都庁による突然の防災訓練、連日にかけての超大型台風の外出自粛勧告があったにもかかわらずハロウィン当日の人出は改善されず、仮装した多くの一般人が帳の内側に閉じ込められた。 

 

その後、非術師らの「五条悟を連れて来い」という訴えにより高専にて事前待機をしていた五条が午後八時十五分頃に渋谷現着。

直後、百鬼夜行の規模を上回る三千体の呪霊が渋谷に放たれ、全国から結集したと思しき数多の呪詛師が出現。総監部は午後八時三十分をもって全面戦争を云い渡した。 

 

尚、帳は内側から「一般人を閉じ込める帳」「五条悟を閉じ込める帳」「術師侵入不可の帳」「一般人を閉じ込める帳」の計四つとされ、術師らは配属された各班の引率者に従い大まかに待機、非術師避難誘導、呪霊祓除、対呪詛師、帳解除組に分けられ作戦を開始した。 

 

五条悟の封印まであと… 

 

 

——裏工作の成果は芳しくなかった。非術師の安全の為にと天候現象に纏わる伝説の虹蛇を用いて後日の市電や街の自治に深刻な影響を及ぼさない程度に大雨を降らせて足場を浸水させたというのに、活気盛んな若者達は気象警報なんてガン無視で渋谷に集結した。呪術師側が都庁を介して発令した防災訓練に伴う自宅待機令も意味を成さず、一般人は防衛の努力を是が非でもハロウィンで弾る為の工夫に使った。

もう死んでも自己責任で良いだろと後先考えずに蛇をぶっ放したいところである。 

 

加えて偽夏油が総監部を抱き込んでいるからか高専側の動きは遅く、俺の号令一つで呪詛師達は先を制した。呪詛師御三家が数百年に一度の協働をしてるわけだから威勢は慥かなもので死者の天秤は呪術師側に傾いている。厄介な呪詛師や帳について事前情報を密かに流してやったというのにこれだから、組織の機能不全が著しく目立つものだ。同胞が次から次へと殉教するのを静観しているだけで胸が張り裂けそうだけど、今日あの男を完全に仕留める為に大行は細謹を顧みずと眼を瞑るほかない。 

 

しかしながら現在の俺にとっては非術師や高専の被害云々よりも格段の懸念があった。 

 

羂索がいないのだ。

開戦直前に用事を済ませてくると云ったっきり帰ってこない。蛇達に渋谷中を捜索させてるが目ぼしい目撃情報もなく、五条先生と真人達の戦闘は熾烈を極めるばかり。彼程傍にいるように命じたのにツッチーは放浪しに出掛けちまったし、これで羂索を仕留められなかったら踏んだり蹴ったりの始末になる。千里眼を持ってるウロボロスは戻ってくるかは判らないが作戦を続行しろの一点張り。一応彼の指示が誤っていたことはないのでそのつもりでいるが不安は募るばかりだ。何か俺の関知しないところでもう一つの闇が蠕動しているんじゃないかと思えてならない。 

 

どうか気の所為であって欲しいと願いながらトンネルの奥からホームの様子を伺う。

花御達の虐殺から火蓋が切られた闘いは遂に五条先生に領域展開を強いる段階に至っていた。俺が起こした台風に伴う電車の運転見合わせを懸念してたけど、真人は上手く動かせたようだ。電車に詰め込んだ改造人間と真人も参戦して、呪力と殺意が激しくぶつかり合った。この先は原作を知っているなら誰でも分かる展開である。 

 

非術師を人質に取られた先生が領域展開をできずに消耗戦に持ち込もうとした特級呪霊達は駆け引きに負けて、無量空処を食うこととなった。先生の体力と呪力を消費させる為に油断禁物で出来るだけ長く持ち堪えろといったが、所詮は孤軍だと高を括ってしまったのだろう。それでも彼に領域を展開させたのだからお釣りが出る。漏瑚達の回復を懸念して改造人間のみの鏖殺を二百九十九秒で成し遂げた背中は正しく狂人と称するに相応しい。 

 

そうして俺の出番がやってきた。 

 

——獄門疆、開門。 

 

「五条先生。」 

 

先生は立ち止まった。立ち止まって俺と正対した。足元に転がった小さな特級呪物には気付かずに。 

 

黒宝玉に蓄えられた術式の一つ、透過術式。文字通り物や人の呪力や気配を対象に別のものに誤魔化したり、認知させない急襲に長けた術式だ。呪具の解読が得意な蛇によるとこの術式が保存されたのはついこの間、四月のことだという。因みにそれ以前には安土桃山時代、更に遡ると平安時代の術式が保管されており、なんと大凡八百年間貯蔵に空白があったということになる。作浪さん曰く、これを最後に所有していたのは加茂憲倫でへみの君が強奪するかたちで黒宝玉を手に入れて作浪さんに託したのだそう。となると日下部先生が以前教えてくれたへみの君の最後の活動は明治時代の窃盗ということになるけど益々彼の人間性が疑われることになる…。 

 

それは兎も角として、宇宙猫状態の特級呪霊達を他所に突っ立ったまま意識を失う非術師達の只中で対峙する俺達は、いつ割れるやもしれぬ薄氷の上に佇んでいるような緊迫を向け合っていた。 

 

「逸。」

「宣戦布告、真に受けてくれたんですね。思ったよりも来るのが早くて驚きました。」

「…もう悪い冗談だなんて目を背けるわけにはいかないから。」

「ここで終わるのが貴方だとは思わないんですか。」

「ないね。僕は最強だから。道を踏み外した教え子に引導を渡すのは教師である僕の役目だ。もう逃げたりはしない。」 

 

言葉の刃で腸が千切れた。相手の善意を散々踏みつけてきたのは俺の方なのに、こうして真っ向から敵対されただけで自害したくなるくらいに苦しかった。

それでもやらなければならない。今夜、凡てに決着を付けなければ俺だけでなく大切な人達は皆、筆舌に尽くし難い責苦を味わうことになる。仲間の未来を夢想することすらできずに殉教してしまう人だって。 

 

更なる悲劇を防ぐ為に俺は一身に皆の不幸を引き受けたい。もはやそうすることでしか俺の罪を償うことはできない。 

だから、たとえ恩師に末代まで呪われようとも呪詛師を演じ切る。獄門疆の範疇に先生を留まらせる為のあの男が用意した最悪の台本に従う。 

 

「じゃあ俺を殺す前に少し話を聞いてもらえませんか。……夏油傑が精神を病んだ一因、先生は知ってますか?」 

 

溜息の出るほど美しい柳眉がはっきりと動いた。掴みは抜群だ。 

 

「呪霊操術、等級を問わず呪霊を取り込むことで使役できる術式。手数の多さが強みで五条先生や九十九さんと並んで特級相当の実力者になれる稀有な術式だ。ただ一つ、欠点を除いては。」

「欠点?」

「「球体状になった呪霊は最悪の味だった。吐瀉物を処理した雑巾のような不味さで毎度毎度吐きたくなった。それでも置いてかれないようにと飲み込んで悶絶して、また躊躇っては飲み込んで…私がもたもたしてる間に悟は最強になってしまった。」」

「なに、いって…なんだよ、それ」

「先生はいつもそうだ。生まれながらに恵まれた貴方には他人様の苦労が判らない。真に理解してあげようともしない。だって、その感覚が分からないんだから。そうやって知らず識らず追い詰めて大切な誰かを失っても最後まで己の罪が思い当たらない。…だからあの男も俺もあんたを見限ったんだ。」 

 

…風を巻き起こすほどの気配が迫った。呪力も殺意も悪意も孕んでない、本人ですら形容できないだろう有害物質を濃縮した紫煙のような激情。真実への動揺、己への失望ともいう。けれどもそれらは全て俺に到達する前に雲散した。 

  

「ほら、ずっと最強の席で胡座掻いてた所為で注意が不行き届きじゃん。」

「クソっ!」

「思ったよりも早かったな。」

「逸!巫山戯るな!」 

 

感情のままに俺に掴み掛かろうとした腕は得体の知れない触手によって阻まれた。先生の脳内で一分が経過したのだ。偽夏油と違って俺は先生と二人で共有し合ってきた時間と絆を一分間の対話の猶予に賭けた。そして勝った。 

 

黒宝玉を解除して自身を捕える物の正体を暴けば、五条先生は己が詰んだことを理解したのだろう。先の会話と現状とで胸中に渦巻くありとあらゆる負のエネルギーを呪力に転換することもできずに憤怒の面相に代えていた。 

ウズメの険しい白天狗の仮面ですら笑顔に見えるほどの焦燥と憤りが迸る目付きに、もうこれで本当に仲直りできないななんて今更な観念を抱いた。 

 

「ところでなんで夏油傑本人しか知り得ない情報を知っているか、知りたくないですか?どうして恰も本人からの伝言みたいに云ったのか。」

「いい加減にしろ、冗談が過ぎる。」

「答えは簡単だ。夏油傑は生きてる。」 

 

ひゅ、喉が引き攣ったのが伝わった。俺は微笑んだ。 

 

「正確には彼の死体を奪った男がいるってだけの話なんですが。これが凄くてね、ソイツ、自分の脳味噌を相手のと入れ替えるだけで術式も記憶も自分のものに出来ちゃうんですよ。だからさっき言った言葉は生前の夏油傑の本物の気持ちってこと。」

「…めろ…もういい」

「先生さあ、あの人の死体の処理、家入先生に任せっきりだったでしょ。その爪の甘さが親友の肉体を死んでも尚痛めつけ」

「黙れつってんだろ!」 

 

聞いたこともない怒声が強制的に口を閉ざさせた。耐え難い憤慨が抗えない命令口調となり俺を緘黙させる。もう俺にこの荒御魂を沈める術はなくなった。

朝焼けの如く赤い碧に落胆が滲んでいるのを見て取れば、目を逸らそうとして飲み込んだ唾が千本の針のように痛かった。そうでありながら今にも泣きそうな顔をしている先生は奇麗だった。 

 

「お前…お前、もう二度と俺を先生だなんて呼ぶな。名前も呼ぶな。吐き気がする。」 

 

御免なさい。

太陽を曇らせてしまったこと。貴方にとっての月を言の葉で穢してしまったこと。俺の存在の全てに。 

 

謝ることすら許されない。何かの奇跡で彼等が許したとして、俺の魂は永劫救われちゃならない。恨んで良いよ。惨たらしく殺してくれたって良い。その方がずっと気楽だ。 

 

もうこれ以上の侮辱はいらない。 

五条先生はありったけの憎悪を携えて俺を睥睨している。だから俺はありったけの呪い(願い)を込めて、笑いかけた。 

 

「さようなら。貴方が目を醒ます頃にはきっと全てが終わってる。けど、もう二度と会うことはないだろう。」 

 

——獄門疆、閉門。 

高専最大の戦力は封印された。 

 

…片手大の呪物に収まった恩師を見ても愕くほど、心は明鏡止水さながらに凪いでいた。呪術師が地獄に悲嘆し、呪詛師と呪霊は楽園に狂喜乱舞するであろう現実で、俺だけは晩秋の月鏡から世界を鳥瞰しているかのような絶対的な精神の安寧を保っていた。

 

この人に会う直前まで模索し迷走していたこれからの道のりが遂に帰結を見出したのだ。どうやってかは判らない。だけどその時は必ず来るだろう。今、己の純粋性をとっくに裏切った俺自身の瞼裏に鮮明に浮かんでいる終幕に近しい有様が、きっと訪れる。 

 

メカ丸が遺した監視端末が密かに着物の袂に入り込んだのには気付かないふりをした。実のところ、この場で偽夏油という黒幕を明言したのは何も彼を滅多矢鱈煽る為だけではなく、メカ丸を通じて呪術師側に内実を教える為でもあった。夏油以来の最悪の裏切りをしてみせた俺の言葉であれば彼等は常識では測れない陰謀の臭いを必ずや嗅ぎつけるだろうと信じて。総監部が真っ黒なら夜蛾学長に賭けるしかない。 

 

さて、偽夏油をいざ迎え撃たんと意気込んだところで問題が生じた。 

 

「え?彼奴が?」

「ああ。だから早く寄越せ。」 

 

地面にめり込んだ呪物が情報処理を終えて回収できるようになった頃、意識を取り戻した漏瑚達が獄門疆を渡せと募ってきたのだ。正確には漏瑚のみが。訳を訊けば、なんでも今朝方に偽夏油が若しも彼が戻ってこないようなことがあれば処理を漏瑚に任せると告げたという。

ウロボロスと殆ど同じ発言に俺は喫驚して傍らにいる彼を見る。等身大のウロボロスは退屈が堪えきれないとばかりに欠伸をしていた。どうやら俺の疑問に答える気はないらしい。 

 

俺は考える。

偽夏油を誘き寄せるには獄門疆は不可欠だ。その為に五条先生を封印したのだから。彼奴のみならず呪霊と呪詛師の気の緩みにつけ込む最大の機会なのだ。

五条悟を封印したと思いきや、渋川家にとって最も有力な同盟勢力の首魁を失う。瞬く間に統率を失う特級呪霊達。気勢を削がれた矢先に封印されたはずの最強が舞い戻ってきて呪詛師陣営も陣形を崩してゆく…それが最良のシナリオだった。けれども最強の呪術師の封印と同等に必須であった偽夏油の所在が掴めない。 

 

もしや気取られたか?いいや、それはない。これは神霊とも謂うべきウロボロスの提案だし、兄さん達が裏切るとは思えない。五人で密会をする際には尾行には十二分に注意したのだからこちらの作戦が漏洩している筈がない。 

ならなんだ、野生的勘が働いたとでも良いのか?だとしても渋谷事変を決行すると断じたのはあの男で、この期に及んで永年の悲願を果たすどころか命惜しさに遁走するだなんて有り得ない。しかも奴と俺が正面衝突すれば七分三分の確率で負けるかもしれないと謂うのだから。 

 

…良いだろう。そっちが手の内をまだ明かさないというのならこっちの方から出向いてやる。何を企んでるのか知らないが思い通りにはさせない。 

 

「分かった。やるよ。その代わり失くすなよ。」

「儂を誰だと思っておる。」 

 

クソ呪霊、そう云おうとして引っ込めた。人間になることを切望している呪いに余計な挑発をして無駄な体力を消費したくない。 

 

「お前らはこれからどうすんの。」

「今さっき話したじゃん、話聞いてなかったわけ?」

「うん。特にお前の話はな。」

「オーケー、ここで決着つけようじゃん。」

「泣きべそ掻くなよ赤ん坊」

「やめんか貴様ら!」 

 

漏瑚の喝が俺と真人の額目掛けて飛んできた。薄らと呪力で保護していなければ弾丸程度の穴は空いていただろう。不本意にも揃って拗ねるようにそっぽを向くと、詮無い餓鬼の喧嘩とでもいいたげな溜息が耳朶に入り込んだ。真人に代わって漏瑚が改めて施した説明は原作と変わらなかった。

 

宿儺の器である虎杖を殺したい真人と脹相は見付け次第殺し、宿儺を味方にして呪いの時代を誘致させたい漏瑚は発見次第指を差し出す。他方で高専の面々は獄門疆を取り戻し、呪詛師達は呪術師達の雁首を片っ端から狩り続ける。そして俺は偽夏油を。互いの生力が尽き果てるまで血と血で争う、リアルキャプチャーザフラッグだ。 

 

斯くして俺達は各々の方角へと散会した。万が一にも漏瑚が宿儺と対峙しても被害を能う限り抑えられるように内内で虹蛇に嵐を激化させるように命じて、行きしなに負傷した非術師を治療しながら上階へと向かった。 

 

………。 

 

道中、偽夏油を探しに行くと自主的に挙手してくれたウロボロスと別れてインランドタイパンを連れて地上に上がると、外は雨で夜道が光っているどころではなかった。

集中的に降り注ぎ激化した豪雨は渋谷のみを浸水させ、ハザードマップ作成者も涙目になるくらいの惨状が広がっていた。

 

猛り狂った暴風雨が地面を叩きつけ、有機物も無機物もありとあらゆるモノが彼方此方に飛来している。あと半日も降り続ければ間違いなくノアの方舟状態になるだろう。曇天の隙間から見える虹色に苦笑を送らずにはいられない。視界不良どころじゃない大嵐の中で戦う二大勢力が不憫でならなかった。俺の所為だけど。 

 

とはいえ、膝小僧を隠しつつある降水量に呪力を持つ人間はまだしも非力な一般人には過酷すぎる有様だ。今宵の戦争を高専側の勝利に収める為に加減するわけにはいかないが救う義務はある。 

俺は水害時に最も頼りになる蛇を喚び出した。 

 

「リヴァイアサン。非術師、それから危険な目に遭ってる術師を助けてやってくれ。あくまで非術師優先だ。」

「宜しい。」 

 

本来の五キロメートルから高層ビル三棟分程の体長にリヴァイアサンは体の半分も使っていない巨躯をくねらせてざんざん降りの中に消えていった。念の為、術師救済用の通常の蛇達を至る所に派遣している。あとは運試しと謂える。

 

次いで蒲公英の綿毛を濡らさないように慎重に拳に握ると吉野に連絡をつけた。彼は今現在日下部班の日下部先生とパンダ先輩と共に三人の呪詛師と交戦中のようだ。戦闘音が聞こえてきた。 

 

『今のところ身近に味方の死者は見当たらない!』

「そうか!なら一先ずそのまま先生にくっついとけ!」

『了解!あ、それから九十九さんが動くって!』

「了解だ!」 

 

ともすれば掻き消されそうな声を懸命に張り上げて通信を切った。当日に急遽人選の変更で前線に派遣されることになったと聞いた時は懸念していたが日下部先生とパンダ先輩がいるなら心配いらないだろう。そう信じてる。 

五条先生は封印したものの虎杖が術師に言いふらしたので直に漏瑚を狙って術師が団結し始めるだろう。一大事が起きるまでは九十九さんが診療所で貴重な治療師の家入先生を守護する方針だったが、遂に腰を上げたようだ。今は呪詛師優勢だが直に形成逆転するに違いない。足止めを食らう前に奴を見つけ出す必要がある。 

 

「早く偽夏油を殺して漏瑚の手から五条先生を取り戻さないと…」 

 

この際伝説級をもう一匹召喚するのも已むなしと呪力を手繰り寄せようとして、袂から小さな影が飛び出てきた。ドラえもんより可愛げのないロボット顔の枯茶色の薄型円盤、メカ丸…の小型通信機だ。 

 

『渋川逸、今の発言を説明しロ。』

「聞いてやがったのかよ。」

『…矢張り俺が監視していたのを知っていたな?知っていてオマエは敢えて呪詛師側の作戦を聞かせタ。違うカ?』 

 

うっかりこいつの存在を忘れていた。真の思惑を明かすにしても時期尚早だってのに。

 

誤魔化すべきか、口封じすべきか、真実を打ち明けるべきか。考えるまでもなく第三択だろう。下手な誤魔化しは効かないし、拮抗する戦いに情報は必要不可欠だ。詳細は省いて今晩の俺の目的を告白して、その上で当面の間高専側には秘密にしてもらって吉野みたいに戦局を定期的に報告してくれれば都合が良い。悪天候下で彼だけに任せるのは心苦しいと思っていたところなんだ。 

 

早速頼もうと開いた口は碌な発声すらできずに、情けない吐血に取って代わった。 

 

「あ、れ」

『渋川!』 

 

口から溢れ出した夥しい鮮血が雨滴に溶けてゆく。背中と下腹部が熱い。痛いなんてもんじゃない。 

何が起きたかを理解しようとして見返る前に衝撃が生々しい傷口にめり込んだ。 

 

俺は吹っ飛んだ。壁に衝突するばかりか建物を突き破った身体は向こう一軒隣の中華料理屋の台所がひしゃげてまで受け止めてくれた。 

 

根性で起き上がって腹を抑える。深々と突き刺さっていた短刀が今の蹴りで柄まで入り込んでいた。腎臓に貫通している。そればかりか鋒が骨に触って動きを阻害しているので抜くしかなかった。 

 

「ぐ…ぅッぁ!」 

 

視界がチカチカと焼けるようだ。気絶しなかった自分が不思議でならない。視界に色が戻ってくるのには時間が掛かった。 

 

抜いた途端にどくどくと溢れてはならない命の源が溢れ出している。忙しない舌の動きで憂いを示すインランドタイパンを撫でてやる余裕もない。急ぎテーブルに置いてあるナプキンで傷口を抑えようとして、急襲者はそんな暇すら与えてくれなかった。 

 

急接近する気配に直感で横転すれば金色の棍棒が俺のいた場所に突き刺さっていた。フローリングに亀裂を生み出したそれを確りと握ったまま殺意を手放そうとしないそいつにインランドタイパンをけしかける。通常の個体よりも鋭利な牙を研磨したての刀さながらに剥き出しにして襲い掛かった毒蛇をそいつは猿みたいな動きで難なく躱した。 

 

その小隙を狙って抜いたばかりの短刀を振りかぶる。が、それすらもジャングルジムに熱中する子供みたいな身軽さで避けられた。互いに対向の壁に退いて正対する。そうして青筋を浮かべながら目の当たりにした相手の姿、その正体に俺は息を呑んだ。 

 

見慣れた唇、目鼻立ち、髪色に幾度となく行った手合わせを超える物騒な面差し。顔貌は勿論のこと、特筆すべきは彼の格好。戦闘用の唐装、嗅ぎ飽きた獣臭、額当てというよりも緊箍児、金色の棍棒というよりかは如意金箍棒…そう、男は一目瞭然で孫悟空の身なりをしていた。しかもその正体は… 

 

「作浪さん?」

「よくも…育ててやった恩も忘れやがって、おのれェ!」 

 

転瞬、三ヶ月に渡る手合わせが功を成して眼球をフォークの要領で突き刺そうとした如意金箍棒を間一髪で回避した。 

 

「ッ何するんですか突然!」

「へみの君を殺しやがったな!」

「は?へみの君が!?ちょっと、意味わかんね」

「死ねェエエ!」 

 

云い終えるよりも先に全体重を乗せた飛び蹴りが打ちかまされた。

咄嗟に防いだ両腕から嫌な音が鳴ったと思いきや、俺はまたもや壁を襖紙のようにぶち破った。外に放り出された身体が次の建物に突入する前に召喚したオオアナコンダが緩衝材になってくれた。 

 

眩暈がする。早くも血を流しすぎたのだ。生憎蛇精を地下鉄に置いてきてしまったので傷を治せない。仕方なしにインランドタイパンに腹巻き代わりになって貰った。ついでにメカ丸も駆けつけてきた。 

 

『渋川!無事カ!』

「悪いが質問は後。ちょっくら目の前に集中してくれ。」 

 

破天荒な妖怪そのものの風貌で作浪さんは雨の中に姿を現した。 

 

「洗いざらい聞いたで。お前、俺を騙しとったんやってな。俺も目ェ腐ったか、呪術師に大事な家を明け渡すとは」

「誰に聞いた」 

 

否定しなかった俺を棍棒が指弾した。 

 

「夏油や夏油。あのお方を殺したのもあいつは見ててんで。」

「なんだって?」

「しらばッくれるな往生際の悪い奴め!さっき全呪詛師にお前が俺を監禁して家名を乗っ取った逆賊やと通達したったわ。観念せい!こん裏切り者めが!」 

 

作浪さんがどうして此程激昂しているのか、大体は検討づいた。経緯も真相も不明だがへみの君を俺が殺害したと信じて疑っていないのだろう。一家が代々懇意にしていた恩人を。欠点になり得るほど義理人情に厚い男が一度点火した闘志はそう簡単に消せやしない。況してや俺が彼の好意を裏切ったとあれば怒りのボルテージは上限突破してるに相違ない。 

 

だがそんなことはどうだって良い。問題なのは仮にも呪詛師御三家の元頭目が事実確認もせずにまんまと他人の口車に乗せられて俺に刃を向けていることだ。それだけで殺意を交わし合うに足る理由となった。 

 

「よく分かんねェけどさぁ、俺が裏切り者?寝言は寝て言えよチンパンジー。喧嘩上等、俺は一度だって呪詛師に堕ちた覚えはねェぞ。」

「なんやと?」

「どうせあの男の次はお前を高専に突き出そうと思ってたんだ。今ここで殺してやるよ。」

「戯言を。さんざ命乞いさせて惨たらしく殺してくれるわッ、青二歳!」 

 

相手の術式がどのようなものかは判らないが是迄に食らった攻撃を鑑みるに一筋縄ではいかないだろう。しかし大体の予想はつく。 

そうすると自然と口角が吊り上がった。丁度良い、猿を殺す大義名分ができたんだ。 頭の片隅で冷静な俺が悪癖が出たと溜息を吐いている気がした。

何はともあれ、師弟の呪い合いは幕を開けた。

 

 

 

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