天与呪縛はつらいよ   作:れいめい よる

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二人の相伝

 

 

禪院直哉は紛うことなき下衆である。家父長制と男尊女卑の典型的な世界観に生まれ落ち、真っ新な意識を混じり気のない差別意識で塗り潰された哀れな子供とも謂える。齢五歳にして差別思想で精神を鎧の如く覆った直哉はKKKが目玉を飛び出させ脱帽するほどの冷刻な価値観を持ち合わせていた。 

 

驕る禪院は万古不易、呪術師に非ずんば人に非ず。

無下限術式?赤血操術?知ったことか。呪術御三家が一角禪院家は時代が変遷しようとも隆盛を誇り盛名は天上は自明のこと、深潭にまで轟いており如何に剛建な術師も物の数ではない。 

度し難い高慢と偏見を患っている自覚が本人にあろうがなかろうが客観的視点に見た五歳の少年はその霊魂が母体に降りるよりも先に八百万の神に溝川に見捨てられ、出会した金剛力士に拾われたのではと実しやかに噂されるくらいの下衆である。

しかしよもや平家ですら拍手喝采を浴びせるであろう驕傲な価値観が悉く打ち砕かれる日が訪れようとは、誰も夢想だにしていなかった——。 

 

その日は定例集会が開かれていた。関西圏内の分家を含めた禪院の苗字を持つ家紋の上席に就く者達が本家に集い一族の結束を強化するという名目で、政治的工作を目論む陰湿な為来たりである。至極当然に元服の頃には時期当主としての己の位地が確立されていると確信している——まだ術式が発現していないにも関わらず——恐ろしき幼児はいつにも増して手入れの行き届いた廊下を居丈高に闊歩していた。 

その時だった、俄かに庭園の方が騒がしくなったのは。 

 

「なんや、だれかちこくしたんか。」 

 

大人の会議だからと父親の直毘人に追いやられていた釣殿内にすら吹き込んでくる薫風は温かく心地良い。しかし着物の裡に流れ込んできた穏やかな感触はさざめきに破られた。子供らしく好奇心を唆られた彼は中門廊から南庭へと身を移す。 

 

…竜とも蛇ともつかぬ巨大な怪物が降臨していた。首を折り曲げても視界に収まりきらぬほどの大蛇だ。 

次いで女中と躯倶留隊がそれから地上に降り立った誰かを引き留めようとしている。得物も持たずひたすらに叩頭する勢いで声掛けする有象無象には目もくれず、一直線に神殿へと突き進む様子から招かれざるやんごとなき客人だと察せられた。 

 

もう少し近くで見てみようと一歩を踏み出した直哉を止めたのは女中だった。 

 

「直哉様、いけません。正殿は立入禁止です。」

「なんやおまえ、おれにさしずしとんのか!」 

 

普段ならばこの叱咤で死人のような顔つきになる筈が女は土気色になりつつも引き下がらない。それどころか額を地面に擦り付け「彦様、どうか今日だけは勘弁下さいまし…」と乞い願う始末。

これを直哉は知っている。殿上で何かしらの変容があった際、とりもなおさず自身の身分では窺い知れぬ物事が起きた時に決まって悪童の悪戯を虎の威を狩る狐の如く咎める反応だ。 

 

しかし目先で見たこともない怪物と男が現れ、屋敷全体が周章するのを目の当たりにした腕白小僧が好奇心を抑制するなどできるはずもなかった。 

 

「直哉様っ!どうかお戻り下さい!直哉様!」

「いやなこった!」 

 

新たな苦悩が庭を駆け抜けていくのを見留めた者達が確保に駆け回るも、すばしこい子供はあっという間に庭をすり抜け正殿に突入してしまった。 

 

………。 

 

「まったく、なんでおれがしのびみたいなことせなあかんねん」 

 

少年は暗く埃がかった狭隘な空間で愚痴を溢していた。小賢しくも小柄な体躯を巧みに捻りながら屋根を匍匐前進で伝い降りたのは、先日の柄候補生の訓練で対手に飛ばされた術師が貫通して作った大穴の僅かな隙間。直ぐ真下、当主が此度の会合場所に指定した玄武の間という広間を盗見るには手頃な隠密場所である。 

 

彼の到着と同時に客人はやって来た。 

 

「帝様!?」

「帝様だ…」

「何故こちらに?」

「この御方がへみの君だと?」

「帝様がお見えになられるとは何事か。」 

 

透き通るような白髪の頭頂から髪先に下るにつれ濡羽色と混ざりゆく奇抜な長髪、歌舞伎の隈取を彷彿とさせる控えめな紅のアイライン、周囲が響動めく程の偉人とは思えぬ若年の目元。顔面の鼻下を覆う黒羅刹の口仮面と黄櫨染の狩衣。

その男は慥かに見れば見るほど筆舌に尽くし難い貴い雰囲気を纏っていた。 

因みに帝様とは主に御三家の間で通っているへみの君に対する美称である。 

 

さて、都合の良い穴の空いた入母屋屋根の棟木に掴まり目を皿のようにして成り行きを伺う直哉の一方で、禪院の主導者らは子供の覗き見にも勘付かぬ程度に動揺していた。 

 

「お前達に話がある。」 

 

謂わずとも判る足取りで姿を現したわりに謙虚な開口である。禪院家のみならず御三家には代々五歳五ヶ月に薨星宮に参じて、そこを象徴するへみの君に——天元の代理でもある——正式に挨拶申し上げ氏子となる儀礼がある。この面子の殆どが幼少期に一度彼に引見しているが、お宮参りを除いて半ば隠居している巨人が事前の報せもなく来訪するというのは不穏の一言に尽きる。殊更、事の重要度に関わらず一定の声色で話す彼は半分を覆面しているのもあり情感が窺い知れない。 

 

誰もが差し迫った面差しをする中で直毘人、甚壱、扇は毅然とした態度を貫いていたが、彼等の強かな顔もへみの君の次の言葉で崩れることになる。 

 

「伏黒甚爾についてだ。」

「彼奴は数ヶ月前に家紋から追放された身ですが…出来損ないの血縁が御身に不敬をしでかしたのならば謹んで引責致しましょう。」

「違う。そうではない。」

「では御用は如何に。」 

 

存分に間を置いて、一人一人を見渡すとへみの君は云い放った。 

 

「何人かは心当たりがあるだろう。過ぎた事を咎めはしない。然し今後は彼と妻子からは手を引くように。」

「なんですと!何故!」

「非術師を殺めることは万死に値する。」

「では出来損ないを放逐しておけと仰るのですか!」 

 

直後、男は失言に気付いた。宜なるかな、呪術師の中の呪術師と謳われるへみの君が保守的な界隈の中心に座しているにもかかわらず中道であるのは周知の事実なのだ。

差別を断固として許容しないと黒々とした双眼は警告していた。 

 

「その通りだ。彼が壊れては折角修正し直した設計図に支障が出る。」 

 

設計図というのはへみの君と天元が奈良時代以前に構成した日本の未来図であり、先祖伝承ではなんと高天原の神々から授かった国産みから終焉までの預言を元に作成したものだと謂われている。美濃の家系図よりも古いとされる巻物の実物は薨星宮にて天元が厳重に保管しており過去に幾度となく設計図を求めて来襲を受けたそうな。

その正体は謂わずもがな脳死回帰を繰り返した逸が天元と血涙を流しながら完成させた運命の日を迎える為の計画書である。 

 

無論、実情を知らぬ者達は愕いた。禪院家の失敗作と疎まれた存在が生き神の予定帳に一言でも記されているというのは俄には信じ難い。されど嘗て設計図に魔手を伸ばさんとした盗人は人間だろうが呪霊だろうが手痛い返り討ちに遭ってきたのだ。譲歩的な話と云いつつ命令口調のへみの君に逆らえる者などいまい。 

 

「帝様の御心のままに。」 

 

嵐は静まったと思われた。

ところがタダでは転ばぬ強者がここには居た。 

 

「しかしですぞ、帝様。遡及しては平安朝の時世より仕え奉ってきた拙老らの忠義に今一度帝様からの恩賜を賜りたく存じます。」 

 

ようやっと舞い戻ってきた平穏を軽率に打ち破った元凶を男達は揃って仰天と非難を突き刺した。家紋の者共の目線には痛痒を感じぬといった風な鷹揚な居住まいで直毘人は君主を仰いでいる。 

この当主、へみの君が勅令という単語を一度として発さなかったのを逆手に取り相応の報酬を授かろうとしているのである。早くも老いさらばえたかと震え慄かずにはいられない。 

 

場がはっきりと滞った。広間をのっそりと巡回する空気が急激に冷却されゆくのを誰もが肌で感じていた。

加茂家と五条家との均衡を崩しかねない恩寵の独占を望むばかりか己の厚意を無碍にした当主をへみの君は睥睨している。即刻斬首されてもおかしくはない不敬である。寧ろ彼がこの場で直毘人を処罰せぬのならば後にどんなしっぺ返しを食らうか、考え巡らせただけで年甲斐もなく粗相をしてしまいそうだった。 

尤も、直毘人はこの程度の厚顔では短気を起こさぬへみの君の温和な性格を見越しての発言であった。 

 

…ところでもう一人、幹部連中に加えてへみの君の変容に震撼した者がいた。一部始終を物見高さで不自然な屋根の小空間から俯瞰していた子供…そう、直哉である。 

 

ただそこに佇んでいるだけで己を萎縮させてしまう存在を直哉は甚爾以外に知らなかったのだ。

幼いながらに穿った物事の見方をする彼が物見珍しさに揶揄いに行き、言葉も目線も交わさずして敗北したあの日が鮮明に蘇る。

 

同じ切れ味でも甚爾が明確に引く自他境界は間合いに入らずとも猛暑に吹く生温い風さながらの威圧感に鳥肌立つものであり、反対にへみの君のは不可視且つ飛石のない水無川のようなもの。彼は何時でも何処でも己の庇護を願う者には分け隔てなく、それこそイエス・キリストの如く両手を広げ受容れるがその身内に秘められた中核に触れんとした途端、それが好奇心によるものであってもパリサイ派の如く斥けてしまう。真に彼の胸懐を開かせられる者などこの世に天元をおいて他にいまい。

 

直哉は興奮と恐怖の目紛しい到来に眩暈がした。いつか唯の体術の訓練に付き合ってくれた父が云っていた上には上がいるという言葉の意味を初めて理解した。直毘人と甚爾、更に天上には呪術界の槍が月光そのものと見紛うほどの光芒を発して蒼穹から宙を貫いているのだ…! 

ならその上には誰が、いや何が?

 

直哉は益々前のめりになって広間の面々を見守っていた。 

つと、足首に何かが触れた。一瞬だったがさらりとしていて弾力がある何かに。明らかに木材ではない感触に直哉は面を上げて振り返ってみる。 

…暗闇の中で黒光りする二つの眼とかち合った。 

 

「ツチ!」

「ぎぃゃああア!」 

 

——迸った絶叫に一同は一斉に天井を見上げた。そして目撃する。あわや落ちそうな躰をツチノコに足首を掴まれて宙吊りになる少年を。 

 

「直哉!」 

 

父親の怒声が響き渡った。当然だ。己が名誉を毀損するか否かの賭けを他でもない愚息が妨害したのだ。 

途端、直哉の眼が潤み出す。 

 

「だ、だってぇ!おれちゃうもん!」 

 

何が違うのか、本人も判っていなさそうな日頃の悪戯の弁明と混同した訴えである。 

最初から覗き見を承知していたへみの君が腕を伸ばせば落下した直哉はツチノコと仲良く収まった。 

 

「禪院直哉だな。」

「面目ない。俺の倅です。来月末に宮に参じる予定でした…」 

 

妙な沈黙が回り始める。言語化し難い居住まいの悪さが広い室内を三周する間、へみの君は直哉を凝視していた。 

 

不意に彼の漆黒の瞳孔が赫々たる深紅に光る。思わずヒッと喉を鳴らす直哉に近くに座す甚壱が「怖れるな」と咎めた。一瞥でさえ天地万物の遍くを見透してしまいそうな瞳が魂そのものを検めている。そんな感覚だった。 

 

「まだ術式が発現していない。」

「七つまでは神の子であります故、不首尾ではありません。」 

 

他責思考甚だしい男が直毘人の子供を擁護するものだから周囲は唖然とした。直哉は借りてきた猫のように硬直していた。

しかしそのうちへみの君が「相伝か。思ったよりも因果の廻りが早い。」と囁くと、相伝の二文字に顕著に反応した面々が騒つき始めた。何よりも魂消たのは直哉本人である。へみの君の独言に見るからに己を見る目が好奇に変わったことを敏感に感じ取った彼は双眼を輝かせた。 

 

「みかどさま。お、おれ、そうでんなんですかっ!」 

 

尚も己を抱き続ける好奇な男を見詰め返す。須臾の間また黙って、へみの君は問うた。 

 

「当主になりたいか?」

「はい!おれがなります!」 

 

直毘人の子供として相応しい溌剌とした返事だった。 

 

へみの君は瞼を閉じる。次に開いた時には赤は黒へと戻っていた。 

直哉の視界ががらっと変わる。何時の間にか彼はへみの君に抱えられて広間を出ていた。 

 

「帝様!倅を如何なさるおつもりですか!」 

 

矢庭に彼は立ち止まった。尻目だけを寄越して、南庭に待たせていたウロボロスに騎乗する。 

 

「お前達の願いを叶えよう。この子は私が責任を持って真っ当な時期当主となれるよう教育を施してやる。」 

 

云い終える前に翼が大様に動いた。ウロボロスが馳せ登る。直哉はあっという間に豆粒ほどの小ささとなった実家を見下ろして訳もわからず手を振った。

 

………。 

 

思えば直哉は赤子という生き物を実際に見たことがなかった。誰の娘息子だろうと乳母が直哉に近寄らせなかったのだ。それもこれも彼の腕白さが招いた無縁なのだが、当人は知る由もない。しかし今日、怒涛の展開の末に行き着いたのが禪院家の落伍者甚爾の新居で、しかも彼の初生児と接する機会に恵まれるとは思いもしなかった。 

 

「伏黒津美紀。伏黒恵、何れ相伝を発現する子の姉だ。妹として接してやりなさい。」

「けどパパは」

「案ずるな。恵は禪院を継がないし津美紀は術式を発現しない。これから平日は此処に寝泊まりして人としての何たるかを妻子から、術師としての技量を甚爾から学べ。」

「何勝手なこと言ってんだ。ンなこと認めるわけねェだろ。つーか遠回しに俺をひとでなしつったな?」 

 

さあ、と背を押されて直哉はベビーベッドを覗き込む。羽毛のように柔らかな布団に包まれて津美紀はすやすやと熟睡していた。

 

「養育費は払う。禪院がな。」

「金は大事だが問題はそこじゃねェよ。」 

 

頬を触れてみると自分よりも遥かに小さなからだが身動いだ。慌てて指を離す。綿菓子を揉むように軽やかな手触りはまだ指先に残っていた。 

温かい、直哉は思った。飲みたての母乳の温度がそのまま体温になって、己にまで風呂上がりの温もりが伝染したようだ。非術師よりもか弱い存在がいることが信じられなかった。つい五年前は己も実家の大人達に硝子細工さながらに抱かれていたことを忘却して。 

 

「弱ったな。彼等がお前達に余計な干渉をせぬよう態々足を運んで取り計らってやったのに、今更戻って前言撤回するのは体裁が悪い。」

「あ?なんだって急にそんなこと…」 

 

突とドアノブが捻られる音がした。朝陽が帰ってきたのだ。 

 

「只今ー…ってあれ?へみさんじゃない。」 

 

へみの君を渾名で呼び捨てた女に直哉はぎょっとして顧みた。非術師だと一目瞭然で分かる女だ。 

 

「おい!おまえふけいだぞ!」

「無礼なのはお前だ糞餓鬼。誰に向かって吼えてやがる。」

「いだだだ!」

「甚爾!子供虐めないの!」 

 

容赦無く振り下ろされた拳に悶絶する直哉に朝陽は慌てて駆け付ける。

ちょっと見せてごらん、そう云って頭頂部に触れる柔らかな重みを強情に払おうとして、すかさず注がれる鋭い眼差しに一層青褪めた。それを勘違いした朝陽が益々眦を裂く。 

 

「もうっ、甚爾は剛腕なんだから気をつけないと!」

「何で俺が責められてんだよ。」 

 

見慣れた夫婦の漫才じみたやり取りも初めての直哉には卒倒ものの光景だった。 

 

只々呆気に取られるしかない直哉の手を寝返りを打った津美紀が握り込んだ。決して強くない握力がどうしてだかとてつもなく心強かった。しかし首の座ってない新生児がうつ伏せになると多少の扱いを心得ている彼は急いで仰向けにさせる。その瑣末な対応が思いがけず我が子を愛する朝陽を愛する甚爾に尠からず響いたようだ。 

へみの君は承諾と受け取ると踵を返した。

 

「では頼んだ。」

「えっ、なんの話?ていうかこの子誰?…ちょっとー!駄目だ本当に人の話聞かないわね。」 

 

口数の少ないへみの君は終ぞ説明を施すことなく去ってしまった。

全てを丸投げされた甚爾が酷く気怠げな面相で妻に問い詰められるのを眼前に未来の禪院家当主は独り…いや、兄妹二人は取り残されていた。

 

何がなしに己の口許が弛んでいることには気付かずに。なんだか面白そうだと、彼は胸をときめかせた。

 

 

 




こんばんは、黎明夜です。
以上で#柒話は一段落となります。次回で最終章となりますが、また間が空くかもしれません。気長にお待ち頂けると幸いです。
いつもご拝読いただきありがとうございます。
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