天与呪縛はつらいよ   作:れいめい よる

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猿、ゴリラ、チンパンジー(参)

 

 

七月二十日、東京都渋谷区。  

 

「何処だ、何処へ行った!?」 

 

一日を終えて帰路に就く、猿の容姿をした非術師達の人混みを掻き分けながら周囲を見渡す。

 

切羽詰まったように人並みに逆らって走り回る俺に、多くの非術師達が迷惑そうな視線を突き刺してくるが構ってる余裕はなかった。というのも、俺はとある猿を追いかけて夜の渋谷を首にニシキヘビを巻きつけて駆け巡っていたのだ。 

 

発端は数時間前にまで遡るーー。

 

 

 

いつも通り呪霊祓除の任務を終えた俺は補助監督の伊地知さんの元へ戻ろうとしたのだが、そこでとある事件に遭遇した。

 

舗装された山道を下っていると、照りつける炎陽から得た養分で腰元の位置まで伸びきった雑草の茂みがカサカサと揺れた。取り溢した呪霊かと身構えると現れたのは意外にも...。

 

「ヒガシローランドゴリラ!?」

 

全長百六十センチメートル程の二足歩行のゴリラだった。あまりに突然の出来事に困惑極まってその場で硬直していると、ヒガシローランドゴリラは俺を一瞥して後ろ二本足で器用に立ち上がったまま道路を駆け去った。 

...人間、だよな?未だに情報が完結せずに微動だにしないでいると、今度は新たな二足歩行のチンパンジーが走って来る。 

 

「すみませーん!この辺りでゴリラ見かけませんでしたか?」 

 

大声を張り上げてハンカチを片手に額の汗を拭うチンパンジーは紛うことなき人間だ。

 

「えっと、」

「驚くかもしれませんが、身長百六十センチメートルくらいの二足歩行してるゴリラ何ですけど....。」

「あ、見ました。」 

 

驚くというよりかは、アレが人間ではなく本物のゴリラだったことに愕然とした。

 

「嗚呼っ、良かった!どの方角に行きましたか?」 

 

縋るような視線を受けて無言でゴリラが去った方角を指差す。するとチンパンジーは「ありがとうございます。」と汗ばんだ手で俺の手を握って通り過ぎようとした...その襟元を掴むとぐえっと蝦蟇のような呻きをあげて咳き込んだので手を離す。

 

「あの、何があったか伺っても?」

「...あ、申し遅れました。私、××動物園の上野と申します。今朝うちで飼育していたヒガシローランドゴリラが逃亡してしまったのです。」

 

曰く、並外れて知能の高いゴリラとして定評があり園内では算数などの頭脳を使った芸を披露していたらしい。狡猾で一時期は逃亡癖が酷くて苦労したそうだが今ではそんな素振りを片時も見せなかったから油断していたと。

 

二足歩行で人間のように走っていたところを見ると相当狡猾なのは察せられた。

時刻は午後四時四十八分、今晩は五条先生と虎杖達一年で渋谷に夕飯を一緒にする予定がある。暫しの間思案して、上野さんに向き直る。

 

「俺にも手伝わせてください。」

「ええっ!?そんなのいいですよ!」

「そう言わずに。俺、こういうの慣れてるんで是非お願いします。」 

 

そう云うと上野さんは視線を彷徨わせて一考した後に深く頷いた。 

 

「よろしくお願いします。」

 

 

ーーそして現在に戻る。 

 

あの後上野さんと連絡先を交換して二手に分かれた俺は野を越え山越え渋谷に辿り着いた。伊地知さんには適当な理由をつけて先に帰ってもらった。

 

逃亡したヒガシローランドは本当に狡猾で、行く先々で俺を惑わせる罠は勿論、一般人に対して追い剥ぎまでしやがって今では非術師との区別が完全につかなくなってしまった。 

 

「くそ、」 

 

腕時計を確認すれば時刻は午後六時十五分、皆との約束の時間をとうに過ぎてしまっていた。携帯を取り出してみれば案の定何件もの着信履歴が残っている。マナーモードをオフにして一言連絡を入れる。 

 

「任務が長引いてるので気にしないで食べてください、っと。」 

 

送信済みの画面になったのを見届けてついでに伊地知さんに電話をかける。三コールに入る前に応答がきた。

 

「伊地知さん、五条先生に何か聞かれたらまだ任務遂行中だと伝えてください。」 

『逸君、今』

 

電話越しに引き止めるのを遮って一方的に通話を切る。さっさと携帯を仕舞うと辺りを見渡した。

()()()。三百六十度何処を振り返っても類人猿しかいなくて辟易する。 

 

 

実は俺がヒガシローランドに執着するのには正当な理由があった。 

それは今でも決して忘れることのない前世の怨讐。

 

しんしんと雪が降り積もる師走の日のこと、僅か四歳だった俺は積雪に興奮して母さんを連れ出して庭でかまくらを作って遊んでいた。そこに現れたのが一頭のゴリラ、ヒガシローランド。真冬であるにも関わらず丸々と太った大きい図体のソイツは、あろうことか何処からか手に入れた鉄バット片手に背後から忍びより、母さんの頭を殴ったのだ。当然、大の男が振るったような衝撃に母さんはかまくらにめり込んで六針を縫う怪我をした。

忘れもしない、あの時のアイツの蔑んだ顔。まだ幼かった俺が反撃もできずに泣き喚くのを嘲笑っていた。

 

今日、俺の前に飛び出してきたゴリラはアイツと瓜二つだったのだ。同一ではなくとも、人間を舐め腐ったあの眼...!輪廻転生を経て雪辱を果たす時が来たのだと確信した。 

 

「待ってて母さん、今敵を討つから。」 

 

揺るがぬ覚悟を噛み締めて、大きく一歩を踏み出した...のだが。

 

 

探し回ること小一時間。俺は街路脇で頭を抱えていた。

 

「どうして見つからない!?」 

 

過ぎ去る通行人が変質者でも見るような眼で一瞥してくるのを無視して、盛大に叫び嘆く。あれほど特徴的なゴリラ、ただでさえ人の多い渋谷の街を彷徨けば騒ぎになるはずなのに、如何せん非術師が多過ぎて目立つもクソもない。ましてや俺の目には猿が街中を占領してるようにしか見えないので余計に騒ぎすら嗅ぎつけられない状況だった。

 

街中の排水溝に俺の蛇を忍び込ませてるが一向に発見できる気配がしない。アンピテプラを召喚して上空から探すのもありだがこの人混みでは無駄だろう。地道に探すしか手段はない。

 

信号が青に変わり交差点を横断として、ポケットから振動が伝わった。画面を確認すれば発信主は五条先生だった。

 

「はい、梔子です。」

『逸、今どこにいるの?』

「メールで送りましたけど、任務で」

『伊地知は任務終わってるって言ってたけど。』

「................。」 

 

流石に相手が悪かったと、寧ろ伊地知さんに耳苦しい嘘を吐かせてしまったことに申し訳なさが募った。

 

『ねえ、逸。何か隠してることない?』

「......。」 

 

疑問というには確信めいた声音が耳朶に触れた。

隠してること?それって、非術師がチンパンジーやオラウータンに見えるって?そんな格好悪いこと言えるか。こんなどうしようもない俺にだってプライドがある。 

 

「そんなのないですよ。」

『嘘。何か悩みでもあるなら言ってよ、僕が力になるから。』

 

この時の俺は猿に囲まれて人酔いならぬ猿酔いしていた所為で正常な判断能力を失っていた。俺の心身を憂いたが故の親切な語りかけに、分不相応にも苛立ってしまった。 

 

先生は五条悟だから最強なんですか(言いたくないことがあるんだって、)それとも最強だから五条悟なんですか(最強を語るなら察してくださいよ)。」

 

思わず口を衝いて出た台詞に他ならぬ俺自身が仰天した。電話越しに先生が息を呑む気配がした。 

 

「すみま.....ッ!」 

 

直ちに謝って撤回しようとして、最後まで言葉が続かなかった。

 

 

故意に肩をぶつけてきた相手に反射的に謝罪しようとして面を上げた瞬間、心臓が激しく脈打った。 

呪霊を多数使役してまで捜索しても発見に至らなかったヒガシローランドゴリラ。そこらの悪漢も顔負けに眼を付けて、衝突した拍子にふらついた俺に口角をいっそう歪めて背中をみせる。最後に捉えた時と服装が異なるがコイツに違いない...! 

 

俺は通話中の画面を無理矢理閉じてゴリラの後を追った。

都合が良いことにソイツは俺のことを数時間前にすれ違った人間だと気付いていないようだった。ならば勘づかれずに捕獲するのみと、気配を殺して追跡する。 

 

五分程尾行を続けると、ゴリラは住宅街の路地裏に曲がった。  

俺は周囲を見渡して通行人がいないのを再度確認する。やるなら今しかない。 

形代を取り出しその名を呼ぶ。

 

「オオアナコンダ、手負蛇。」 

 

黒い呪力を纏わせて二匹は顕現された。

路地裏の入口に立ち塞がると、人間のふりをして煙草を吸っているヒガシローランドを視界に捉える。一周回って称賛すべき狡賢さだ。宿敵ながら感服ものだ。 

 

「手負蛇、毒射だ。オオアナコンダはアレが怯んだら拘束しろ。」

 

先手必勝、俺の指示に従い手負蛇が急接近してヒガシローランドの両目に毒を吹きかける。ただの痺れ毒なので大した害はない。 

 

「ーーーー!」 

 

唐突な攻撃に声も上げれずに両目を覆うヒガシローランドをオオアナコンダが一瞬で塒を巻くようにして締め付ける。強烈な圧迫感に耐えきれずヒガシローランドは瞬く間に気絶した。 

 

「存外呆気なかったな。」 

 

あまりの手応えのなさに今までの奔走が無駄骨だったように思えてがくりと肩を落とした。ともあれ、捕獲は成功したので丸呑みさせて動物園に秘密裏に返しておくか。 

 

「オオアナコンダ、丸呑み。」 

 

今回喚び出したオオアナコンダは全長九メートルもあるので一・六メートルのヒガシローランドゴリラなど簡単に飲み込んでしまえる。俺の命令に大きく口を開くオオアナコンダは今日も可愛かった。 

 

路地裏に差し込む街灯の薄暗い光を受けて二本の牙が鋭く光る。闇夜に遭遇すれば間違いなく一目散に逃げるだろうオオアナコンダの迫力に、これから丸呑みにされる哀れなゴリラを想って自然と頬が吊り上がった。

後少しでゴリラが飲み込まれようとしたところで、突然俺の右半身に衝撃が走った。 

 

 

ズドン!けたたましい破壊音が人気のない筈の路地裏に響いた。予告もなく体当たりされたと理解したのは、コンクリート壁に吹き飛ばされた拍子に破壊された瓦礫から砂埃が立ち込めてからだった。

胸元を抑えて身動きができないように体重を掛けてくる何かを体を捻って蹴り上げると、キャウンという鳴き声が聞こえて動作を停止させる。

 

ゆっくりと立ち上がって視界を凝らすと、なんと俺が蹴り上げたのは伏黒の玉犬だったことを知る。 

 

「は?」

「梔子!」 

 

肺腑を抉るような怒声に顧ると、路地の出口を塞ぐようにして印を組んだ伏黒と目隠しを外した五条先生が立っていた。

 

俺が式神の攻撃を受けたことに猛って手負蛇とオオアナコンダがヒガシローランドを放置して二人に牙を剥く。徐に、シャーシャーと威嚇する二匹に歩み寄った五条先生は指を突き出そうとした。

拙い...!彼が成そうとしていることを悟ると俺は急いで二匹を還した。同時にバジリスクを召喚する。 

 

「何するんですか!」

「それはこっちの台詞だ、一体何してる!?」 

 

先生に対して投げかけた問いは伏黒の叱責で返された。「何って、憎たらしい猿を…」そこまで言ってはたと止まる。嫌な予感がした。

何故二人はこんなに焦燥を露わにしている?確かにヒガシローランドの捕獲現場はマフィアの如き物騒さ極まっているが...それにしても二人の過剰なまでの反応は妙だ。 

そうして思考を巡らした末に一つの答えに辿り着いた俺は全身の肌が粟立つのを感じた。まさか俺が丸呑みさせようとしたのは非術師? 

 

生気を失ったみたいに顔面が蒼白になる。ドクドクと煩いほど心臓が鼓動を打つのが伝わった。 

 

「逸。」 

 

いつの間にか目の前に五条先生が。

直後、額に何かが触れて視界が暗転した。

 

 

 

*   

 

 

 

夢を視た。今となっては懐かしい前世の記憶を。 

 

まだ俺が年端もいかない子供だった頃の、猿から逃げ回っていた苦衷の日々。まるで当時の無力な自分が鮮明に再現されているのが感覚的に判ると、意地悪な夢だと思った。

 

寝ても覚めても運命共同体とでも主張したげに執拗に付き纏ってくる猿ども。

勘違いしないでほしいが、俺は猿は大っ嫌いだがか弱き猿の赤ん坊に報復したり、無害な猿を虐めたりなんて外道な真似はしたことがない。寧ろ思慮深くて人懐っこい猿は率先して面倒を見てやっていた。というか勝手に家に上がってくるし。そういった温厚な猿たちとは良好な関係を築けていたし、何なら性根腐り果てた奴らが現れたら一緒に逃げたりもしていた。 

 

ほら、こうして今も小さな赤ん坊のニホンザルを抱えて逃げ惑っている。

近隣の山から降りてきたマントヒヒのボスに襲われる俺達。木の枝や石を投げられて、身体中に擦り傷を作りながら一目散に麓へ駆け降りていく。それでも子供の足と持久力では走り続けるには限界があった。

 

石ころに躓いて坂道を転がり落ち、巨大な木にぶつかって蹲る俺。それでも決して腕の中のニホンザルは離しはしなかった。小猿も然り、服にしがみついて泣き喚いているから俺も泣きそうになった。せめてこの子だけは逃してやらないと。ギリと歯軋りして後ろから迫る気配を睨め付ける。

 

マントヒヒはもうすぐそこまで迫っていた。今まで以上の特大岩を両手で掲げて。俺は小猿をぎゅっと抱きしめて、心の中で自称ネッシーよりも強い爺ちゃんを呼んだ。 

 

 

たすけ...

「逸っ!」

 

 

世界を崩すように響いたその声に、意識が覚醒した。 

 

開けた視界に端正な顔立ちが映り込んだ。酷く魘されてた、そう言って身体を起こすのを手伝ってくれる五条先生。柔らかなベッドに腰掛けたことでこの場所が寮の自室であることを理解した。 

 

「あの、いつの間に高専に...」

「僕が連れて帰ってきたんだ。」 

 

断片的な記憶を先生が補うと、次第に最後の出来事が映像として脳内に蘇ってくる。

路地裏でヒガシローランドを追い詰めたことで伏黒に止められて…捕縛しようとしていたゴリラが非術師の人間だったことを知った。あわや動物園に人間を押し込んでしまったかもしれない失態に不甲斐なさやら戦慄やらで入り混じった感情がどっと溢れ出した。

 

じわりと滲みだす温もりを止められずに目元を擦っていると、ずっと黙りだった五条先生が心を落ち着けるように柔らかな口ぶりで話しかけてくる。 

 

「逸。」 

 

是迄になく真剣な声音だった。酷く神妙な顔つきと至近距離で対面すると、数時間前の電話越しの無礼が蘇ってくる。 

 

「電話でのこと、すみませんでした。…本当に思っていたわけじゃなくて…。」 

 

涙が止まらないせいで小刻みに振動する声で謝罪すると、息を呑むほど綺麗な碧い双眸が静寂のうちに見透かしてくる。月明かりに照らされているというのに、その碧は仄暗かった。 

 

「いや、逸の言ったことは正しいよ。…あの日もそうだった、僕はいつも、肝心な時に限って間に合わない。」

「先生?」 

 

語尾に近づくにつれて声量が小さくなったために聞き取れなかったが、声調からも深い哀惜を感じとってしまうと掛ける言葉が見つからなくなる。けれども今日の騒動の元凶たる俺が口を噤んでいるわけにはいかないと、気を引き締めて呼びかけると、俯いていた先生は一転して真摯な面持ちを晒した。

 

「逸、嫌なら言わなくてもいい。...けどもし苦しんでいるなら、どうか僕に相談して。僕は何があっても逸の味方だから。」 

 

力強く温かな眼差しは春の陽だまりのようで、凍てついた川の水面が溶けるように彼の言葉はすとんと胸に落ちた。

ー嗚呼。この人、本当に俺を想ってくれてるんだな。

それが分かると、堰き止めていた涙がまた溢れてきた。そうだ、別に意固地になって隠す必要なんてなかったんだ。素直な気持ちを吐き出すだけで楽になれるのに、どうして周りくどい真似をしてしまったのだろう。 

 

「先生…俺ッ」

「うん。」 

 

ゆっくりで良いよと背中を摩ってくれる五条先生に荒くなりかけていた呼吸が次第に落ち着いてくる。深呼吸を繰り返して、気持ちを整えた俺はぐいと涙を拭って先生に向き直り...そしてはっきりと言葉を紡いだ。

 

 

「先生、非術師が猿に見えて仕方ないんです。」

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