天与呪縛はつらいよ   作:れいめい よる

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悲劇の幕開け(壱)

 

 

夜の渋谷は今日も揚々と息づいている。隙間なく立ち並ぶビルのガルバリウム鋼板製外壁の、深黒色がありとあらゆる光を反射して街一帯を照らし太陽を散りばめたかのように煌めいている。夜空を投影したような光彩な街並みをじっと目を凝らしてみると、蟻のように蠢めく人々が視界に入り込んできた。 

 

何の変哲もないこの景色を身も心も空っぽにして何時間も眺めることができたら良かったのにと、代わりに筆舌に尽くしがたい感傷に浸ってしまう。久々に目隠しを外しているからか、視界を遮らんとする眩しすぎる光に度々瞬きをしながら全体を見渡す。 

ふと、六眼に見慣れた術式の持ち主が映る。カメラのズーム機能のように凝視すれば、己の指示通り玉犬に周辺を探らせている伏黒が鮮明に見えた。それを一瞥して、変わらずの街並みに瞳を凝らしながら目的の人物を探す。

 

 

梔子逸。呪術高専東京校一年、二級呪術師。一般家庭出身であること、操術系術式であること、名前が漢字違いのすぐるであることから初対面の時は表にこそ出さなかったものの大いに動揺したのを覚えている。それからも彼を前にする度に知らず知らずかつての親友を思い起こしてしまう場面が多々あった。

 

性格も生まれ変わりなんじゃないかと疑うくらいには傑と瓜二つだった。正義感が人一倍強くて弱者を守る為に己が存在すると堅く信じている。唯一学生時代の僕や傑と異なるのは、常に一歩引いたところで客観的に物事を見極める成熟した聡明さを備えているところ。術式自体は大層強力というではないが、潜在能力と高い頭脳で補えば何れ一級にまで上り詰められると確信していた。 

それが僕、五条悟の逸に対する第一印象だった。  

 

 

最初に異変に気付いた七月上旬のこと。 

 

東北に湧き出た一級呪霊数体の祓除を終えて高専に戻ると、同じく任務帰りの逸と鉢合わせた。そこでついこの間逸に割り当てられた任務が水準よりも遥かに上だったこと、それから任務の頻度が急激に増えたとの報告を受けたのを思い出した。だから逸に長期休暇を与えてやってほしいと。唐突な提案に理由を尋ねてみても伊地知は挙動不審に視線を泳がせるだけで答えようとしない。なのでその時は軽く受け流した。

だけど二日程前、野薔薇達から最近逸の付き合いが悪いという愚痴を聞いて、丁度良かれと彼と話すことにしたのだ。

 

教室から出てきた逸にいつも通りに話しかければ、逸は温厚な笑顔で返してくれる。特に問題はなさそうだと、だが念の為に伊地知が異様に心配していた件ついてを訊いてみる。 

 

「急に任務詰め込み出したよね。どうしたの?」

「ほら、俺もっと強くなりたくて。」 

 

そこで初めて違和感を抱いた。とりわけ様子が変だというわけでもなく単なる勘に過ぎない。けれども歯に骨が挟まったみたいに僕の中で何かが引っ掛かった。 そんな思いを払拭したくて何かあればいつでも頼るようにと保険を残した、つもりだった。

その日の午後、逸の任務を確認して伊地知の言う通り彼の実力に見合わない任務を割り当てられていることが発覚した。腐った蜜柑どもの嫌がらせだと確信して即座に他の任務とすり替えておいた。しかしこの日逸に対して感じた違和感は拭い去られることはなく、寧ろ日を追うごとに増していく一方だった。

 

 

時は流れ温泉旅行。態々この日を旅行に選んだのは明後日以降になると時期の影響もあって皆の任務が増すからで、悠仁と野薔薇を二年の皆と早めに顔合わせさせたかったからだ。 

 

「えーとなになに、鉄分豊富な塩化物泉…うーん、」

「とにかく肌に良いってことだ。」

「へえー、流石伏黒!」

「.........。」

「え、何恵照れてんの?」

「...あんたは黙っててください。」

「あれ、なんか扱い違くない?」

「はは、悟嫌われてやんの。」

「いくらすじこ。」 

 

男子皆で露天風呂で寛いでいる時のことだった。治療用途に適した湯を肌にかけ流しながら皆と他愛ない話に花を咲かせていると、少し離れた位置で逸がこちらを眺めていることに気付く。上の空のようだったから少し驚かせてやろうと近づいて、怖気が走った。

まるで自分だけ世界から隔絶されたような哀愁に満ちた表情。学生時代の別れ際、顔を合わせるたびに今の逸と同じように悲壮を滲ませた片割れが重なった。

 

そこではたと心づく。

六眼が読み取った逸の術式に新たな情報が追加されている。僕の記憶が正しければ彼の術式は実在する蛇を使役する能力のはずで。それがどういうからくりか今では伝説、神話における蛇さえも使役できるとは一体...。

 

見逃していただけか?いや、僕に限ってそれはない。なら逸が何らかの方法で術式の幅を広げた?確実性がない。けれど今の逸の能力ならば、確かに任務が増えたのもランクが飛躍したのも納得がいく。逸本人は術式の変化を自覚しているのだろうか。  

疑問のままに問おうとして、見遣った逸に固唾を飲んだ。  

 

この憩いの場に相応しくない覚悟に満ち満ちた面持ち、その二つの翡翠の奥に散りゆく桜のような儚さが秘められているのを見抜いてしまうと、今し方脳内を占領していた数々の疑問は衝撃に消し飛ばされてしまった。何故か逸が人魚姫の伝説みたく気泡になって消えてしまう気がして、俺はその存在を確かめるように声掛ける。 

 

「…()、」 

 

我に返って僕を見る逸。まるで企みがばれた子供のように居心地の悪そうな顔つきに変化したの見逃さなかった。  

 

「俺、のぼせてきたからそろそろ出るわ。」

「え、もう!?」

「お前らが丈夫すぎるんだよ。牛乳でも飲んでくる。」  

 

そう云って去り行く逸の姿が見えなくなるまで、僕は彼の背中を見つめ続けた。

 

 

それから一通り入浴を堪能した数十分後の夕飯の席でのこと。 

僕達が個室に着いた時には、先に温泉を後にした逸の後を追うように出た棘の二人は既に浴衣姿で着席していた。更に後から遅れて到着した真希と野薔薇も加わって皆で和気藹々と食卓を囲んでいたのだが…今度は棘の様子がおかしい。  

 

「…んで、あの時も真希が游雲で呪霊の首を薙ぎ祓ったんだよ。だよな棘。」

「................。」

「棘?」

「...!しゃけしゃけ。」

「どうした棘、珍しく上の空じゃん。」

「おかか、こんぶ。」

「そうか?あ、そういや虎杖って」 

 

さして気にするでもなく話を続ける真希達を横目に見守りながら棘を注意深く観察する。その瞳に危惧や警戒の濃い色が宿っているのが窺えた。そして彼の視線の先には笑顔で皆の会話に相槌を打つ逸が。

度々皆の方に顔を向けるものの、また直ぐに逸に視線を移す棘。どれだけ思考を巡らせようとも棘と逸の奇妙な言動に対する疑問は募るばかりで...。 

結局、滞りなく旅行が済んでも胸の底に溜まった蟠りが晴れることはなかった。 

 

 

そして事件は起きた。 

 

今日は久々に一年生全員で渋谷に遊び行き、夕食に焼肉に行く予定だった。悠仁は公的に死亡したことになってるので来られなかったけれど、姉妹校交流会の後にでも復活したらもう一度皆で遊びに行くのも良いかもしれない。  

放課後、各々が任務を遂行してからに渋谷で待ち合わせると逸一人がいない。誰が電話をかけても応答する気配すらなく、そうこうしている間に野薔薇の買い物も済んでしまった。 

 

「どうせ任務が長引いてるんでしょ。なら先に食べるわよ。」 

 

苛立ちを隠さずに野薔薇が言う。流石の恵も焦ったそうにしていた。

 

「俺も釘崎に賛成です。」

「まあ、それでも良いかな。逸にはメッセージを残しとくよ。」  

 

そうして僕達は予約していた焼肉屋に向かった。けれどもついぞ逸が来ることはなかった。  

食事を終えて店を出ると今日の逸の送迎担当の伊地知に電話をかけてみる。すると伊地知は電話越しに奥歯に物が挟まったような物言いで逸は任務中だと答える。直感的に隠し事を確信すると問い糺した。 

 

「伊地知。」 

 

いつもより数段階低い声で咎めるように威圧すると、伊地知は観念したように全てを打ち明け始めた。 

 

『…任務は夕刻に終わっています。先程梔子君から連絡があり、五条さんには隠すようにと頼まれました。』

「なんでそんなこと。」

『分かりません。理由を聞く前に通話を切られてしまったので。』

「…分かった。」 

 

任務が終わっているのに態々伊地知に口止めする理由が釈然としない。通話を切って眉根を顰めて考え込めば、野薔薇と恵も異変に勘付いたようだった。「何かあったの。」と聞かれて素直に話せば二人も悩む素振りをする。

判らぬことにいつまでも思い悩んでいても仕方ないので、本人に直接聞くことにする。一か八かだったがいざ電話をかけてみると、意外にも回線は繋がった。野薔薇達の視線を感じてスピーカーに変える。

 

『はい、梔子です。』

「逸、今どこにいるの?」 

『メールで送りましたけど、任務で』

「伊地知は任務終わってるって言ってたけど。」

 

返事はない。伊地知が上手く誤魔化したと思っていたのか、嘯く逸は打って変わって黙りになった。長い間気の所為にしていたけれど、矢張りここ数週間の逸は明らかに不安定だ。  

 

「ねえ、逸。何か隠してることない?」  

 

懸念を言葉として発すると、電話の向こうで沈黙が落ちる。 

 

『そんなのないですよ。』

「嘘。何か悩みでもあるなら言ってよ、僕が力になるから。」 

 

心優しい逸のことだ。きっと何か困り事があるのに僕らに迷惑をかけまいと塞ぎ込んでいるに違いない。逸くらいの多感な年齢なら珍しくもないし、今からでも僕が助け舟となってあげられる。だがそんな僕の切実な願いが如何に浅はかだったかを、逸の言葉によって思い知らされた。  

 

『先生は五条悟だから最強なんですか、それとも最強だから五条悟なんですか。』 

ー君は五条悟だから最強なのか?最強だから五条悟なのか?

 

フラッシュバックが起こった。呪術と力、理由と責任、無力で無意味に直面させられた俺と彼の近づけども永遠に届かない隔たりを。あの虚無感を。予想だにしなかった台詞に、頭の中が真っ白になった。五感が、感情が遠ざかっていく。

ツーツーと音が鳴り続ける。一方的に通話が切られても僕は動くことができないでいた。

そんな僕を心配して恵が呼びかけてくれたことで現実に引き戻される。

 

「梔子のやつ、一体何考えてる…。」

「××ビルのアナウンスが聞こえたわね。あいつ、もしかして渋谷にいるんじゃない?」 

 

スピーカー越しに一緒に話を聞いていた二人が顰めっ面で相談するのを聞きながら思考を巡らせる。 

 

逸の言葉は僕に虞を抱かせるには十分だった。長い歳月が経った今でも忘れた日はない、離反した親友が街中で放ったあの台詞。同じだった。あの時と、全く同じ。  

心臓が早鐘を打つ。今までで一番の嫌な予感がした。手を伸ばしても取り返しのつかない方向に物事が突っ走っている気が。  

 

「恵、野薔薇。手分けして…」 

 

ー探そう。

そう云おうとして再び電話がかかってきた。今度は伊地知からだった。 

 

「何、今ちょっと忙」

『五条さん、逸君のことで大事なお話が。』

 

珍しく僕の言葉を遮った伊地知。やけに硬い声色に無言で続きを促す。 

 

『実は二十日前の任務で逸君が……』  

 

そうして語られたのは逸の誕生日に向かった任務先での驚愕の出来事。   

 

任務先からの帰還が遅く心配になって現場に足を運べば、逸が住民に蛇を嗾けようとしていたと。咄嗟に殴って止めると、我を忘れていたと素直に謝罪した逸。車の中で問い詰めても沈んだ顔つきで応答する気配がなく、僕には言わないようにと只々必死の形相で懇願していたと。 

 

『何か思い詰めているようでしたので踏み込まない方が良いと思い、せめて長期休養をと五条さんにご相談したのが数週間前のことです。』

「分かった。次からそういうのはもっと早く言って。」 

 

携帯を直して恵と野薔薇に向き合う、二人は心得ているとばかりに首を縦に振った。  

 

「逸を探すよ。三手に分かれて見つけ次第すぐに連絡して。」

「分かりました。」

「分かってるわ。」   

 

 

そして今に至る。  

恵は玉犬を使い、野薔薇は地道に捜索して、僕は空から逸を探すことにした。 

 

「何処だ、何処にいるの...逸っ。」  

 

休日の混雑した人混みの中を探すのは骨の折れる作業で、中々見つけられないでいると不意にポケットから振動が伝わる。着信相手は恵だ。 

 

「恵!」

『五条先生、玉犬が匂いに反応しました。××にいるのですぐに来てください。』 

 

恵が言い終えるよりも早く指定された住所に蒼で飛ぶ。住宅街と大通りの境に恵が玉犬を控えて待っていた。 

 

「こっちです!」

 

僕の姿を捉えた恵が携帯をしまい玉犬の後を追い駆けるのを付いて行く。閑散とした住宅街の角を四回程曲がると、細長い袋小路へと辿り着いた。道の手前で待機して、僕達の到着を待つ玉犬。その揺れ動く尻尾の指し示す方向に視線を滑らせるとそこには…

 

全長十メートルはありそうな巨大な蛇が髪を派手色に染めた見るからに品性のない男を締め付けて今にも呑み込もうとしている。その様を歪な酷薄さを口端に乗せて眺める逸。  

それを視界に捉えた刹那、僕より先に路地裏に辿り着いた恵が血相を変えて玉犬に体当たりをさせた。  

 

ドオンッと激しい音を立てて逸が家の塀に吹き飛ぶ。主人が攻撃されたことに反応した巨大な蛇ともう一匹の...小柄だが毒々しい紫の液体を牙から滴らせている蛇が僕達の方に体を畝らせて凄まじい速度で迫ってくる。  

 

「…邪魔。」  

 

鬱陶しさに木っ端微塵に吹き飛ばそうとすると、それに気付いた逸が蛇を還らせた。そして続け様に先程よりも粗大で強靭な鱗を纏った蛇を召喚する。 

 

何故か瞼を閉ざしたままシャアシャアと牙を剥く姿に心当たりが浮かぶ。昔、硝子が授業中に何気なく読んでいた『伝説の生き物図鑑』という本。あれに載っていた種類と瓜二つだ。解説によると目を合わせるだけで石に変えられてしまうという伝説の生き物、バジリスク。   

だが瞼を開ける気配がないことから唯の威嚇であるのは理解できるが、いつでも反撃できるように構える。 

 

「何するんですか!」

「それはこっちの台詞だ、一体何してる!?」 

 

混乱と怒りを掻き混ぜたような声で恵が怒鳴った。

 

「何って、憎たらしい猿を…」 

「ッ!」

 

己の発しかけた言葉に息を呑む逸だったが、もはや否定できる余地などなかった。嗚呼、まただ。

ー意味はある。意義もね。大義ですらある。

駄目だ、ここで彼を手放してしまえば同じ惨劇が繰り返される。最強は最強なだけで無価値だと証明してしまうことになる。これ以上逸が離れてしまうのだけは阻止しなければならない。

 

「逸。」  

 

額に手を当てると簡単に意識を失い、崩れ落ちる逸を抱え上げる。呪力のコントロールを失ったことでこちらを威嚇していたバジリスクは光の粒子となり消えていった。  

 

目眩がしそうなほどに痛いほどの沈黙が僕達を押し包んでいた。恵も僕も、言葉を発せないでいると丁度良くこの重苦しさを払う声が響く。

 

「ちょっと、何があったの!?」  

 

見返ると、恵の連絡を受けて駆け付けた野薔薇が街路の中心に佇んでいた。瞠目して呆然とした様子で崩壊した路地裏の有様を前のあたりにした野薔薇は、地に伏している男に近づいた。そしてその首元から全身に波紋のように広がる不吉な呪力で描かれた模様と逸とを交互に見て、ますます小豆色を大きくさせた。 

 

「まさかこれ…」

「ああ。」

 

愕然と独り言のように尋ねた野薔薇に、また愕然とした面持ちで反応を示す恵。

改めて六眼で男を視てみる。呪力も殆ど持たず、当然術式すらない非術師だ。逸が非術師を攻撃したのだ。 

 

「…取り敢えず逸の蛇に噛まれて毒が回ってるみたいだから、彼を硝子に診せる必要がある。」

「俺がやります。」

「なら私は此処を片付けてから行く。」

「ありがとう二人とも。」 

 

率先して協力してくれる二人に感謝を告げると、僕は早々に逸を抱えて高専へと戻った。 

 

 

 

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