天与呪縛はつらいよ   作:れいめい よる

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悲劇の幕開け(参)

 

 

悠仁と逸が地下室で秘密裏に再開してから一週間が経ったある日、僕は学長に呼び出されて放課後に学長室に赴いた。 

学生時代と変わらない、対面した瞬間老若男女問わず脱兎の如く逃げ出しそうな厳つすぎる顔つきで学長は机の上で手を組んでいる。 

 

「遅かったな。」

「で、何?話って。」

「お前宛てに任務がある。」 

 

ごそごそと書斎の引き出しから分厚い書類を取り出す学長に不平を垂れる。 

 

「はあ?毎日毎日煩いくらい任務状届いてんじゃん。なに改まって」

「逸のことを嗅ぎ回ってる呪詛師がいる、と言ってもか?」

「...........!」 

 

予想外な台詞に重苦しい空気が室内に漂いはじめる。 

 

「逸を呪詛師に堕とそうとしてる輩がいるってわけ?」 

 

首肯する学長。 

あり得ない。僕を含めた教職員と生徒達、それから一部の補助監督にしか逸の実情を伝えてないのだ。なのにも関わらず一ヶ月も経っていない段階で情報が漏洩した?それは即ち...  

 

「…内通者がいる。」 

 

辿り着いた一つの不穏な答えを零せば、声が重なった。

そうだ、たった二週間足らずの情報漏洩など裏切りを暗示しているようなものだ。無理もないことだ、この腐敗した界隈で裏切りや謀りの可能性は無限に存在する。補助監督や教職員、或いは想像したくもないが生徒だって。どうやら腐った蜜柑どもから逸を隠すことにのみ重点を置きすぎたようだ。 

 

「呪詛師側に情報収集に長けた術者がいる可能性もあるがその線は薄いだろう。今回は内部からの接触だ。」

「どうすんの。」 

 

分厚い書類を投げ渡されると、ぺらぺらと捲って内容を改める。 

 

「今夜、呪詛師の一団と高専側の内通者と思しき者達が集会を開く。そこで内通者の正体を明確化し、高専に帰還次第捕縛と尋問を行う。」 

 

集会は意外にも高専から然程距離の離れていない場所であった。書類の概要を頭に叩き込み机に投げ置くと、物を投げるななんて今更な注意をされる。

 

「成程、現場に設置した隠しカメラから内通者を探すってことね。けど別に高専に戻ってくるまで待たなくたってその場で呪詛師諸共捕まえればいいじゃん。」  

「内通者に総監部の息が掛かっている可能性もある。慎重に慎重を重ねるべきだ。逸を隠し通したいなら下手に動くな。」

「…分かった。」

「十分前にはここに来い、呉々も遅刻するなよ。」 

 

 

学長室を出ると授業終了のチャイムが鳴った。 

 

触れれば壊れる、繋ぎ合わせただけの硝子瓶のように今の逸は繊細だ。何が引き金で呪詛師に転じるかも分からない不安定に、悪戯な輩が悪意を持って指先を伸ばせばそれだけで崩れ落ちてしまうほどに。何がなんでも呪詛師が逸に接触することだけは避けなければならない。 

 

「大丈夫、僕は最強だから。」 

 

それは決意表明というよりかは、一種の己に対する鼓舞でもあった。

別校舎へと歩を進めれば、埃の漂う長くほの暗い廊下に、ぎしぎしと古ぼけた音だけが響き続けた。

 

 

*   

 

 

時刻は午後九時三十分。  

 

漆黒の夜闇が高く聳える山々を覆っていた。木々に遮られ月明かりも届かぬ深山幽谷、常闇の底で連鎖する生命という生命は奪い奪われ蠢いている。  

 

黒く彩られた山の麓、森の影に隠れ佇む小さな小屋があった。高専の領地から一里ほど離れたこの場所で、数十人にも及ぶ呪詛師の集会が開かれていた。

特定の人物以外には単なる高木と錯覚するように細工がなされている小屋の扉を開ければ、老朽化した外観に反して百畳ほどの大広間が広がっている。とうに密談を終えた男達は各々の酒を飲み交わし酒気を帯びた面相で談笑に浸っていた。広間の隅々に仕込まれた隠しカメラには露ほども気付かずに。

 

 

一方その頃、東京高専の学長室では最強と謳われる特級呪術師五条悟と、その恩師夜蛾正道が呪詛師の集団に紛れるとある人物を探し求めパソコンに映し出される映像を食い入るように凝視していた。 

 

「居なくない?」 

 

探せども探せども一向に明らめられる気配のない高専側の内通者に、堪え性のない五条が音をあげる。これ以上見てると僕の眼が悪くなっちゃう、そう云って椅子の背凭れに脱力する五条の頭に夜蛾は拳骨を落として喝を入れた。 

 

「いでっ、」

「お前がそんなんでどうする。逸の為に探すと息巻いたのは幻か?」 

 

痛い指摘に渋顔をつくった五条は嫌々ながらも画面に向き直った。

そして再び内通者らしき人物を探すこと数分。 

 

「いやもうこれ絶対居ないよね!まだ来てないんじゃないの!?」

「その可能性もあるな。」

「早く言えよ。」  

 

広間で放歌高吟する男衆のうちに内通者が存在しないことを悟った二人は盛大に超嘆息を吐き出した。

呪詛師達が一堂に会してから早四十五分が経過している。男達は散会する気配はないものの、度々扉の方をちらりと窺う様子から誰かを待っていることが推察できる。おそらくその何者かこそが五条達の目当ての内通者であろうと二人は当たりをつけていた。  

 

補助監督の伊地知が半刻ほど前に出したお茶もすっかり温もりを失ってしまった。冷房の効いた室内で冷え切った湯呑みに口をつけることで時間を潰す五条。夜蛾は依然として監視カメラの映像から片時も目を離さないでいた。 

 

 

卓上のランプとパソコンの仄明るい光だけが室内を照らす。

壁にかけられた時計の針がくるくると何度も回転するのを五条が眺めていた頃、男達が酒を飲み交わすだけの面白みのない画面に変化が訪れた。

 

「悟。」

「ん?」 

 

ついと名を呼ばれた五条は机に預けた長脚を下ろして画面を確かめてみる。目隠しの下で目を細めた。  

 

「コイツ…」  

 

画面の向こう、扉を開けて広間に入ってきたのは二人にとっては見覚えのある東京高専の補助監督。比較的歴史の長い呪術師家系出身だが、補助監督としての日は浅く五条派に媚び売ろうと常日頃から濡れ落ち葉の如く張り付き五条に忌避されていた男だ。その背後にも、フード付きの外套を羽織って顔は判明しない何者かが一人いる。痩躯だが服の裾から垣間見えた手の甲の、血管の浮き出からその人物も男だと判った。 

 

遅れて登場した二人に、騒々しかった会場は水を打ったように静まり返った。呪詛師達の視線を浴びながら補助監督は背後に控える人物を連れて上座に居丈高にあぐらをかく男に話しかける。男は酒が回っているのか頬を真っ赤に染めて陽気に応対している。残念ながら仕掛けたのは隠しカメラのみな為、彼等の会話を盗み聞くことはできない。  

 

補助監督と呪詛師の会話を少しでも探ろうと読唇術を試みる五条と夜蛾だが、配置したカメラの死角もあり思い通りにはいかない。

 

間をおかずして話を終えた二人が盃を掲げると、それに呼応して広間に宴の活気が取り戻された。再び盛況を呈する室内で、改まった姿勢を崩した呪詛師の男と補助監督は話し続ける。

不意に補助監督が翻り、背後の人物に声掛けた。それに反応してその人物はフードを外す。露わになった顔に、五条と夜蛾は言葉を失った。 

 

「なっ!」

「............。」  

 

さもありなん、補助監督の背後に立っていた人物は... 

 

「どうして逸がっ!」  

 

東京高専一年、梔子逸だった。 

 

補助監督に促され梔子は一歩前に出ると呪詛師の男と何やら言葉を交わし始める。映像からは梔子がどのような表情をしているかは判らなかった。

予想だにしない有様に二人が絶句している間にも大広間の時は流れてゆき、男は徐に懐から黒い丸玉を取り出した。御三家の当主と高専の学長たる二人にとっては見覚えのありすぎるものを。  

 

「黒宝玉…!」 

 

特級呪具黒宝玉。如何なる術式、呪具の性能も一時的に宝玉の中に記憶として保管し、再現することができる代物。一度に保管できる術式は三つ、各使用回数は一回に限る。保管している術式が少なければ少ないほど強力な効果を発揮する。明治初期、史上最悪の呪術師加茂憲倫が所持して以降消息不明となっていた。  

 

梔子が呪詛師の密会に参加していることも、黒宝玉が呪詛師の手に渡っていたことも、五条と夜蛾にとっては天地を揺るがすほどの衝撃だった。 

言葉を発することもできずに画面を食い入るように見つめていると、梔子が受け取った黒宝玉を制服のポケットに仕舞い、呪詛師と二三言言葉を交わしてから踵を返す。  

 

去り際に彼が補助監督にかけた唇の動きから梔子の消えた先が高専の図書館であることを推察した二人は急いで立ち上がり学長室を後にした。

 

 

*   

 

 

高専敷地内の東塔。

 

「逸!...逸!」 

 

ずっしりと多種多様な本が敷き詰められた本棚の規則的な配置の隙間の一つ一つをくまなく捜し回る。  

 

高専の図書館は学生から総監部まで幅広い利用者に役立てられている。それ故に各階に閲覧できる制限がかかっており、古く貴重な文献などが保管されている四階以上は御三家や総監部、高専の学長しか立ち入ることができない。特に五階にはその邪悪さ故に禁じられた呪術が記された書物が保管されていて、僕であっても許可証なしに入ることはできない。だが今は状況が状況だ。   

 

僕は一階から、学長は三階から上を、五階もあるだだっ広い図書館を手分けして逸を探す。共有スペースの机の下もお手洗いもどんな場所でも隅々を検分する。

 

呪詛師の集会に現れた逸は間違いなくあの補助監督に呼ばれてやってきた。一体どうやって接触を果たした..?  

生徒達にも逸から目を離さないよう再三頼んでいたし、精神に変調をきたしているような素振りは見せていなかった。何よりも特級呪具黒宝玉を二級術師である逸が知っているはずがない。  

カメラ越しでは逸があの集会に訪れた意図なんて判らない。けれども補助監督の下卑た笑みが過ればアイツが逸を唆した張本人であることは容易に推し量れた。まだ逸が堕ちたとは断言できないが、彼が黒宝玉を持ち去った事実は重い。

 

つい悲観的に思考が働いてしまい、振り払うように頭を振る。今は逸を探すのに集中しなければ。

三階まで駆け上ったところで上階からガラスが割れるような破裂音が耳に届いた。僕は歩を早める。誰かの話し声が近づくにつれ、それが逸と学長であることが分かったーー。

 

 

 

 

数分前、五階に到達した夜蛾は蛇を一匹引き連れた梔子と鉢合わせた。夜蛾と五条の来館を察知していた為か、窓を開けて塔を出ようとした梔子に夜蛾は呪骸をぶつけたのだ。

 

躱した梔子の代わりに呪骸の拳が砕いた窓が破裂音を響かせる。咄嗟に回避した梔子が逃走できぬよう夜蛾は急接近する。手を伸ばせば触れられる距離で対峙する二人の間を極限まで膨らませた風船のような緊迫感が漂う。 

先に沈黙を破ったのは梔子だった。  

 

「夜蛾学長。」 

 

一瞬罰が悪そうに視線を彷徨わせて、けれども表情は平常通りを装って己を呼ぶ梔子に夜蛾は眉根を寄せる。 

 

「ここで何をしていた。」 

「ちょっと調べものがあったんです。夜に忍びこんだのは謝ります。」 

 

悪びれもせずに平然と言ってのける梔子は笑顔の仮面を貼り付けている。それが夜蛾の胸襟を引き裂くような痛みを与えているとは思わずに。

  

ー傑の時も、こうして俺は何も気づけなかったのか。  

何でもないように微笑を浮かべる梔子が、かつての教え子の姿と重なり夜蛾を自責の念に駆る。その方で、顔を合わせた途端に険しい顔つきで口を噤んだ夜蛾に梔子は不思議に思って声を掛けようとする。そんな時だった、 

 

「逸っ!!」 

 

階段を駆け上がる足音とともに階全体に叫び声が響き渡った。

 

 

 

 

ーー急いで階段を駆け上がると、割れた窓際で逸と学長が対峙していた。 

 

「五条先生。」 

 

僕の登場に驚いたのか、逸は僅かに後退する。大股に近づけば、行手を阻むように翼を生やした蛇が僕たちを威嚇する。  

 

「逸…何考えてるの。」

「俺、分かったんです。初めから我慢する必要なんてなかったんだって。」 

 

愉快そうに声を弾ませる逸に底知れぬ胸騒ぎが起こる。どうか嘘だと云ってくれ、しかしそんな僕の願いは呆気なく逸本人に打ち砕かれた。

 

「この世から猿を消し去る術式があるみたいで、それを実践してみようかなって。けど効果が一時的だと困るので半永久的に持続させる方法がないかって手掛かりを調べに来たんです。」  

 

口にするのも悍ましい狂言をけろりと言い放つ逸に全身の血管が凍ってしまいそうだった。だというのに、逸は追い打ちをかける。

 

「はは、若し僕が五条先生だったならこんな遠回りなんてせずに済んだかもしれないな。」

 

ーもし私が君になれるのなら、この馬鹿げた理想も地に足がつくと思わないか?

...嗚呼、またアイツが現れた。逸の容姿を模って。何故、何処で間違えた?この世から非術師を消すなんて星を掴むような無謀が...。

 

「それが()の大義だっていうのか。」

 

心の悲鳴が零れ落ちた。俺の言葉に逸は口角を深めて、言い得て妙だなと小首を傾げる。若し彼の悲願が果たされれば、百鬼夜行の比じゃない夥しい数の犠牲者が出るだろう。そうなれば、俺達の葛藤も今までの死闘の数々も全てが水の泡と化す。灰原の死さえも、何もかもが。

 

「...させねェよ。」  

「ッ悟!」

 

並び立つ先生が何かを言っているが聞こえない。今、傑を止めなきゃならない。刺し違えてでも。

無限に引き寄せる力と、弾き飛ばす力を掛け合わせる。禍々しい禍々しい紫紺が指先に結集する。それに応えるように逸も特級呪霊を発現させる。これが最後の戦いだ...。 

一触即発の空気の中、俺は虚式を放とうとして...

 

「っやめろ!」

「ッ!!」 

 

紫を発動する前に鼓膜を揺さぶるほどに響いた激越な慟哭に、我に返る。双方、体内に巡らせた呪力が止まった。瞬きをすれば眼前にいるのは大蛇を召喚した逸で...。己が生徒を本気で殺そうとしたことが信じられなかった。 

 

「お願いだから…邪魔しないでよ…。」

「逸…。」 

 

くしゃりと握り潰した紙屑のように歪められた表情は、この世の終わりとでも言いたげな悲壮さに満ちている。遂に顔を覆って欷泣しだした逸に僕は一歩近づいた。蛇はもう僕の進行を妨げなかった。震える肩が、どうしようもなく弱々しく、救済を訴えている。 

 

「そんな顔をするくらいなら…」 

 

抱擁することで癒やそうとした心の傷は果たして何方のだったか。自分でも心付けなかった浅慮を見抜い他のか、逸は僕の伸ばした手を振り払って階段を駆け降りて行った。それを止める気力は残されていなかった。

 

 

静まり返った館内で、掌に触れた強い拒絶を呆然と見つめ続ける。 

 

「…学長。」 

 

隣で僕と同じように微動だにしない学長に視線だけを向けると、気難しい顔が僕を見据えた。

 

「逸のことは僕に任せて。」

「やめておけ。今のお前は危うい。」

「何言って、」

「…やり直せると、本気で思っているのか?」 

 

傑を救えなかった僕に。すぐるの区別も付かなくなった僕に。そんな意味が暗喩されている気がした。学長のそんな懸念には敢えて触れずに真剣な眼差しで見つめ返す。 

 

「学長だってさっきの逸の顔見たでしょ。」 

 

逸はまだ迷い足掻いていた。己の企みの正邪を魂では理解していた。優しすぎる逸はまだ踏ん切りをつけることができないでいるのだ。そんな一筋の希望に縋って僕はまだ大丈夫だと、胸中で何度も呟く。 

 

「お願い、先生。」

「………。」 

 

学長は暫しの間腕を組んで思案に暮れ、やがて首を縦に振った。

空に散らばる星々が僕の愚かな祈りを嘲笑うかのようにいつまでも煌めいていた。

 

 

 

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