天与呪縛はつらいよ   作:れいめい よる

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帰宅(前)

 

 

空調と換気扇の音で目を覚ました。

最初に視界に飛び込んできたのは一台のコンピューター、三十二インチ/二十七インチのワイド画面モニターが暗がりで迷惑なまでに白い光を放っている。ほんの少し身動げば、カチリと指が鳴った。いや、指じゃなくて俺が触れていたマウスのボタンが。

息を吹き返したかのように動き出した四角い機械の画面には『呪術と天与呪縛』だなんて、こんな俗世塗れた個室に付属するコンピューターには浮かびもしないであろう文字を検索枠に紡いで。

一瞬の間があって、『呪術と天与呪縛に一致する情報は見つかりませんでした。』なんて結果が現れれば、ほらみろと言いたくなった。…ほらみろって検索したのは他でもない俺自身だろうに。 

 

再びゴーだの、フォーだの異音が耳朶に触れた。発生源の方角は俺の後方、扉の隔たりの向こう。大方部屋のすぐ外のドリンクバーの天井に設置されてる換気扇が過労に悲鳴をあげているに違いない。ファンを外してブラシで擦るなり新しい機種に変えるなりすれば良いのに、そう思ってしまうのは自分勝手だろうか。

ここが珈琲カップとソーサーとが打つかり合って良質な音色を奏でる真正の喫茶店ならば、俺が言わなくとも常連客の一人くらいが、換気扇が喧しいですね、って溢してオーナーが、そろそろ替え時だと思ってたんですよ、というような馴染みのある会話を和気藹々と交わしていたのだろう。けれどもここはヤカンがお湯の沸騰をけたたましい笛の音で鳴らすこともなければ、本当に美味しい珈琲も――そもそも学生の俺には珈琲の苦味なんてものは真平御免だ――ましてやカウンターの隣で偶然同席した他の常連客と莞爾として微笑みながら内輪話に没頭するような場所でもない。

 

狭いデスクの上に置かれたありきたりなWindowsのアプリをインストールした自称最新グラフィクボードハイスペックパソコン、百八十度まで調整可能なリクライニングチェア、気持ち程度の二台のハンガーにコンセントを備えた寮の一人部屋にも劣る個室。此処は喫茶店でも電子と限りないプライベートが詰まったネットカフェのレギュラールームだ。そして果たして掃除が行き届いているかは甚だ不明な鍵付き完全個室に数日も入り浸る俺はさしずめネットカフェ難民である。 

 

「はぁ、」 

 

起きて早々溜息とは、殆良い加減な奴だと我ながら呆れてしまう。二度目の人生にして家出を経験することになるとは。前世の親が事の次第を知れば…いや、今世の二人もきっと俺を親不孝者だと呵責するに違いない。そんな想像ばかりに思考を巡らせるから余計に悶々とするというのに、呪術世界という負のスパイラルにいつしか俺すらも嵌りこんでしまったようだ。 

そうやって、色々と不平不満を連ねてみたけれども俺を除く多くの一般人にとって俺が直面している現実は極めて瑣末なものだろう。それもそのはず、前述したように俺は所謂プチ家出で屈託を抱えるそんじょそこらの学生と変わりないのである。

 

 

およそ一週間前、五条先生と一触即発の事態にまで至って間一髪四肢を欠損することなく図書館から逃げ出した俺は呪術高専を離れた。飛び出して直ぐに、全ての元凶が図書館に侵入した俺だったことを思い出して我に返ったのだが、あの喧嘩の直後に素直に謝罪できる優等生が呪術高専に存在し得るだろうか?答えは否である。そして俺も立派な高専生、破天荒な同級生や先輩方に囲まれて育った為に自己都合が優って踵を返すことはしなかった。それにしても五条先生にだって非はあると思う。いくら名前が同じだからって俺のことを夏油傑と重ねるのは、担任を純粋に慕ってきた生徒に対して些か失礼ではないだろうか。そういうわけで、次に会ったら先ずは俺が己の非礼を五条先生と学長に詫びて、それから五条先生からも謝意を受け取る所存だが…如何せん理想と現実は噛み合わないものである。 

 

一先ず一晩をネットカフェで過ごして翌朝学校に戻ろうとして、完全に目が据わった五条先生の面相が脳裏を過ぎるとどうにも尻込みして横断歩道を渡る一歩すら踏み出せなくなってしまった。代わりに行き場のない鬱屈を発散する為に俺は近場の山に篭って野性の猿を駆逐する毎日を送っていた。猿といっても無論非術師ではなく、前世でも俺の家族を散々煩わせてきた厄介な種類に限定している。それらの個体には恨みはないが、どちらにせよ人間の俺を見るや否や追い剥ぎの如き形相で舌なめずりをする奴らはもう顔面からして地雷だった。放っておけば人里に降りて悪さをするのは明々白々だったので、ある意味立派な地域貢献ともいえる。隣県の山奥に篭って修行…ではなく害獣退治に勤しんでいる束の間は身に降りかかっている、或いは自ら誘き寄せた数々の問題など忘れて爛々と猿退治に専念できるわけだ。

そんなわけで彼此一週間、昨日も深夜まで田舎での猿と偶然遭遇する呪霊諸々の祓除をしていた俺は今日もネットカフェで泥のように朝まで眠りこける家出青年へと転職していた。是非とも読みたくないラノベ展開である。 

 

心身の困憊感に背凭れに背中を預けると、質の悪いリクライニングチェアが軋んだ。それと同時にシュー、と鱗を擦り合わせる微かな音がした。目線をずらせば物置の隅から極限まで縮小されて小さな顔を伸ばすヨルムンガンドが。

手を伸ばせばどす黒い毒液を撒き散らしながら腕に巻きついてきた。落下した飛沫がじゅわと蒸発して小さなクレーターを作った。天与呪縛を代償に凄まじい力を獲得したことに喜べば良いのか、嘆けば良いのか…。 

 

「どっちもか。」 

 

器用にも腕から肩へと這い上がってきたヨルムンガンドは俺の頬に硬い鱗を擦り寄せている。とても可愛いのだが、 

 

「くっさ」 

 

口を突いて出た感想にソイツは不思議そうに頭を傾げた。それは爬虫類の生体の匂いではない、臓物や血が放置されて腐敗した強烈な異臭だ。心当たりはありすぎた。昨晩、農家さんの間で評判が評判を呼んでか早くも東京と県境の山梨に本物の害獣駆除を依頼されて個人業みたいに出向いた先で、意想外にも大量の猿どもの奇襲にあったのだ。どうやら猿界にも情報網らしきものがあって、それで俺が最近同胞を駆除する悪魔として知られていたようだ。

 

優先度の高い猪や鹿の駆除中に取り逃した日本猿が付近のコミュニティに狼煙の如く手製の角笛を鳴らして回ったのだ。ここまでいくと奴らの巧妙な、人間じみた手腕に俺としても脱帽せざるを得ない。ともかく、一通り依頼を遂行した俺は個人的な使命感を全うせんと逃亡した悪戯猿を追っていたのだが渓谷まで至ったところで予期せぬ奇襲に遭った。

言わずもがな、猿達の巧みな待ち伏せである。あまりの夥しさ、一個大隊かと見紛うほどの勢力に俺は欣喜した。二度目の生を得て漸く天敵と正々堂々肉弾相討つ戦いに挑む機会が、その為の大いなる力も与えられたのだ。真夜中の山で密かに聖戦の幕が切って落とされた。

 

俺は敵勢に対抗するべく相応の数の蛇を召喚した。中には言い伝え通りの体格となった八岐大蛇や化蛇、そしてヨルムンガンド――これは流石に大きすぎるので制限した――も召喚して大合戦を繰り広げた。己の膨大な呪力量が幸いした。特に伝説の蛇たちが俺の戦意と共鳴してか必殺技炸裂。勢い余って山を二座程潰して地形を変えてしまったような気もするが月明かりも街頭もない闇中だったので正確な被害は把握できてない。まあ、口酸っぱく人間には攻撃しないよう釘を刺しておいたので現場に残っているのは原型のない猿の死骸だけだろう。斯して仁義なき戦いで圧勝したホモ・サピエンスと蛇陣営だったが、如何せん使役した蛇諸共猿の返り血を浴びすぎた。…あれは双方の合意の上での戦いでありまかり間違っても一方的な殺戮でなかったことだけは名誉の為にも述べておく。 

 

そんなわけで、俺もヨルムンガンドも猿の返り血を浴びたままネットカフェに帰ってきてシャワーも浴びずに寝たものなので、猛烈な死臭に煩わされていた。

 

時計を見遣れば針は早朝の四時を指している。全身にのしかかる倦怠感に気付かぬふりをして、ヨルムンガンドの権限を解くと立ち上がった。 

 

「シャワー、浴びよ。」 

 

ところで、俺の残穢はどういう仕組みになってるのだろうか。というのも、家出青年になって世間一般では誘拐沙汰になってもおかしくない日数が過ぎたが誰一人として俺を連れ戻しに現れないのだ。俺は一日中少なくとも蛇一匹を召喚しているのでただでさえ見つけやすい筈。なのに誰かが追跡してくる気配すら感じられない。…俺が其れ程までに人望がない人物だと思われていたなんて、そんな物悲しい仮説が脳裏を過ぎるたびにかぶりを振ることでしか払拭できない自分が余計に惨めだ。若しかすると虎杖やら腐った蜜柑やらで俺のような非行生徒に拘う余裕がないのかもしれない。そうだ、そっちの方がずっと善い。  

 

 

シャワーを浴び終えて、替えの服がないことに気付いた。タオル一枚でコンビニに出向いて公然猥褻罪でお縄につくわけにもいかず、仕方なしにドライヤーで速乾させた血塗れの制服をもう一度身に纏う。頭から通す時の、腐敗したくさやが数十倍の威力を発揮するような激臭に嗅覚を潰されると、水を浴びた気さえしなくなった。

 

個室に戻って身支度を整えるとネットカフェを去った。当てなんてない。唯外の空気が吸いたくなった。 

 

 

まだ七月の下旬。線香花火、夏祭り、風鈴、西瓜割…そんな単語が頭に浮かぶようなかんかん照りの真夏だ。空に打ち上げられたまま高く停止した三尺玉みたいな太陽が今日も地上を熱していた。 

 

「ありがとうございましたぁー。」 

 

店員の大根役者めいた、伸び切ったそうめんみたいな語尾を聞き流しながらコンビニを出る。手元には新品のアウターシャツと一本のペットボトル、それからおにぎりが一個。駐車場のガードレールに腰掛けて味気ない塩おにぎりを齧ってみる。 

 

「何の変哲もない、普通のおにぎりだ。」 

 

少し柄の悪そうな猿顔の三人組が、独り言を溢した俺を奇人でも見るかのようにして店に入っていった。 

ふと、母さんの顔が浮かんだ。世界が愛で満ち溢れんばかりの母性で俺を育んでくれた、いつだって母親の存在が俺にとっての救いだった。今世でこそ害獣に煩わされることはなかったものの高専に入ってからの任務で憔悴してしまった日なんかは、何も言わずに抱きしめてくれた。言葉なんてなくても、母さんに呪霊が視えずとも俺達は世界で一番幸せな親子だという誇りがあった。 

 

「そういや、母さん風邪っていってたな。」 

 

定期的に連絡を取り合っているのだが丁度俺が高専から飛び出した日に体調が悪いという旨の連絡があった。見舞いは良いと言われたけれどもどうにも気にかかる。半年も顔を見せに帰ってないし、そろそろ帰ろうか。思い立つやいなや、俺は水を喉に流し込んだ。 

 

…………。 

 

コンビニに後戻りして風邪薬を購入して、久方ぶりに帰省した。俺の家は沿線沿いの一軒家。俺は一度も顔を合わせたことのない父さんが亡くなる前に遺した物件らしい。つくづく父親には縁がないものだ。四十坪程の一般的な広さで母さんとの二人暮らしには然程支障はなかった。 

 

「母さん、ただいま。帰ったよ。」 

 

久しぶりの家は何とも生活感に充ちていた。俺はレヴィアタン、ホヤウカムイ、ザルティスを召喚すると片付けと母さんの捜索を任せた。

 

床に散らかった薬箱を拾い上げる。中身は空になっていた。普段は埃一つ残さず掃除する母さんは、風邪を引くと決まって塵屋敷を作り上げるので代わりにせっせと片付けをしていた幼少期を思い出して自然と口角があがった。

 

台所に立てば、シンクに現れていない皿たちが半端に薄汚れた水に浸かって浴あみしている。当たり前だけれど、半年経っても変わらない母さんらしさにますます頬が綻ぶばかりだ。

と、二階からレヴィアタンが帰ってくる。矢張り母さんは自室に閉じこもって養生しているらしい。階段を上がれば、家に誰もいないのを良いことに開けっぱなしの扉の向こうでベッドの上で布団に包まる母さんがいた。 

 

「母さん、俺だよ。逸だよ。」 

 

肩を揺さぶっても母さんは反応を示さない。深く眠っている。額に手を当ててみる。熱はない。夏風邪かな。 

ザルティスが俺が買ってきた風邪薬を持ってきてくれた。 

 

「ありがとう、けどもう良いや。睡眠薬飲んだみたい。」

 

目線を落とせば、空になったPTPシートが転がっている。塵となった風邪薬の空箱が次々とポケットの中に塵箱代わりに仕舞われた。俺は化粧台の椅子をベッドの横に持ってくると腰掛けた。 

 

「ふぁ、ぁ」 

 

散々眠ったのに、目の前で人が昏睡してるのを見ていると眠気に誘われた。室内には時計の針がチクタクと回る音だけが響いている。 

 

「……どう、しようか」 

 

由なく言葉が零れた。何がだなんて考えるまでもない。俺の今後についてだ。山で散々鬱憤は晴らしたし、久しぶりに帰省もできた。授業も任務もさぼって好き放題する俺は稀にみる不良だろう。このまま継続すればきっと学校は俺に愛想を尽かして放任するに違いない。学費を払ってくれてる母さんにも面目無い。何より最早反抗期の天邪鬼を極めて、くだらない意地で友人や先生方の想いを踏み躙るのだけは許せなかった。 

 

「潮時か」

 

——いい加減家出なんてやめて、学校に戻って頭を下げなさい! 

顔も知らない何処かの大人が、立て籠もりの犯人に告げるように俺の頭に説教を垂れた。ぐうの音も出ない正論だ。

よし、と俺は膝をリズミカルに叩いて腰を上げる。覚悟は決まった。いつの間にか片付けを終えてやってきたホヤウカムイに母さんが安らかに夢を視られるようにと加護をお願いする。

余談だが、俺は呪霊の蛇を使役しているわけではなくてあくまで実在或いは伝説上の蛇たちと契約することで呪力を介して力を貸してもらっているだけだ。だから基本彼等が扱うのは俺の負の力を利用した呪力だけだが、特に伝説の生き物なんかは彼等が望めば本来の力を使えることができる。こうして今も、ホヤウカムイの伝説に則った神性で母さんに安眠の加護が与えられている。 

 

最後に母さんの肩まで布団をかけてやり身を翻そうとして、

 

「キィ嫻?」

 

突としてごわごわと足元から全身に駆け巡った寒気に俺は横に立ち退いた。

蛇達が牙を剥く。何かが俺のいた場所を横切った。ザルティスが瞬間的に消滅した。

 

 

 

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