ようこそ青春至上主義の教室へ   作:イノセ

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赤井萌の独白

この世は、平等であるか否か。昔、そんな問いかけを誰かにされた気がする。そんな問いに、多くの者は“不平等である”と答えるだろう。実際私もそちらよりだ。ならば、世の中から評され多くの注目を浴びている、“天才”は生まれながらにして天才なのか?

 

 言葉の定義からいけば、それはYESと答えられる。天才。それは広義的に言えば、天から授かった才能に恵まれた人のことを指す。自分が凡人だと自覚し、それを覆すために努力を重ねている者は天才ではない。

 

 ただそれは、先程も言った通り言葉の定義上だ。先人が位置づけた意味にのっとるなら、後者は“秀才”と呼ばれる。だが、どんな天才も努力を怠れば地に落ちる。努力することもまた、天才だから出来ることなのだ。故に秀才は、天才。これが私の持論である。

 ましてや他人になど、自分の才能が生まれ持ったものなのか、創りあげられたものなのかなど判別はつかない。かくして、“偽物の天才”は創られていく。

 

 

 ___それでは、誰でも天才になれるのか?

 

 この答えは、少し難しい。私の周りには、自分の能力以上のものを詰め込まれ、キャパオーバーを起こし、自らを壊していく者……自らの意思でプログラムに反抗し、これまた自らの未来を断つ者。つまり、天才になりきれなかった者を数多く見てきた。それに対して情はわかない。所詮は他人。私にとって関係ない、救っても利益がない人達だ。ただそんな人達と同じように、私もあそこから逃げた。最も、あの男が望むような天才になるつもりなんて毛頭なかったからだが。自らの人生は、自らの道で歩んでみたい。そういう風に好奇心が動いてしまったから、仕方ない。

 

 

 

 だが私は、成功例と称された人間を見ている。

 綾小路清隆。天才になるべくして生まれ、徹底した教育と自らの知的好奇心、探究心によって、常人ではたどり着かない域に達した、同年代の男の子。

 “天才は、なるべくして生まれる”。それは間違っていないと、私は考える。この言葉は、創られた天才にも、天から恵まれた元凡人にも当てはまると言える。創られた天才。それを彼が、綾小路清隆が成功例だとするのなら。

 天才になるということは、誰でも平等に機会が与えられているものだと、私は思う。生まれた環境であれ、自らの能力不足であれ。その機会を放棄するのは、あくまで自分なのだから。

 

 

 

 

 ……そういう意味では、先の問いの答えとは逆に、この世は平等なのかもしれない。そして私は間違いなく、天才とは程遠い。

夏休み、誰とデートする?(一話投稿予定)

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