「予報では霧の心配は無しだったのですが、山の機嫌は分かりませんね…。」
「おっかしいなぁ…。圏外になったタイミングからマニュアルで座標登録しながら移動してるのに全然思った所に出ない…。」
凛音一行が来ているのは霧に包まれた山。本来は神社のある山の参道を歩きつつ、景色を楽しみに来たのだが、突如として発生した霧がみるみる深くなり、今は数メートル先を見るのがやっとである。ここまで来ると白い闇と言っても変わりない。もちろん霧が濃くなり始めた時点で道を引き返したのだが、どれだけ歩いても元いた場所に辿り着かず、あろうことか見覚えの無い道に来てしまった。
「このままでは遭難してしまいます…。私かスルトが全速力で駆け下りて助けを探しに行くのはどうでしょう?」
「うーん、それで変な方向に行ったら取り返しつかないから駄目。いっそ山頂で周囲確認を…。」
「あららお困り?もしかして道に迷っちゃった?」
頭を悩ましている中、知らぬ声が響く。現れたのは青と紫の髪をした女性。顔立ちは凛音とそこまで離れているようには見えないので2,30代だろうか?ニットセーターにショートパンツという服装は深い山の景色の中では浮いて見える。
「実は霧で道が分からなくなってしまいまして。電波も届かないため、機器にも頼れず。」
「確かにここまでの霧は私も滅多に見ないわねー。そうだ、よかったら私の家まで案内したげる。みんな歩き回って疲れた顔してるし。」
「近いのですか…?でも、急にお邪魔してはご迷惑では…。」
「良いの良いの。山中だから、こんな事でも無いと人が来ないのよねー。」
「ではお言葉に甘えて…。私は凛音と言います。こちらは華麟、クロヒメ、ヨトゥン、スルトです。」
「あたしは伊吹。みんなよろしくね〜。 ところで〜。」
伊吹の行き先はヨトゥンとスルトの眼の前。下から上までじーっと見てから、瞳を覗き込む。観察と言うより、獲物を値踏みするかのような視線は妙な生暖かさを与える。
「もしかして2人はエレクトリアなの?最近はこんなにも大きな娘がいるのね〜?」
「あ、え?はい…良くわかりましたね?それと私達は特注なので、一般向けでは無いのです。」
「バレたこと、無い…。体大きい、から?」
「身体は関係なくて───雰囲気かな?それと呼吸もしてないでしょ?」
「なるほど、伊吹さんは人を見るのが得意なのですね。」
「あたし大体の人は一目見れば分かっちゃうから。にしても特注か〜。うちにも欲しいなぁ〜。こんなに可愛い子はどれだけ居ても良いもの。」
そうして雑談をしながら先導されること10分ほど。深い山中にあるとは思えない和風建築の御屋敷が現れた。正門の先にある中庭は広く、植木や池も綺麗に手入れをされている。もし晴れていたなら縁側で日向ぼっこでもしながら眺めたい物だ。
「( ゚д゚)……。」
「こんなにも立派なお屋敷が…。」
「私も色んなところに行きますが、この広さはあまり見かけませんね。」
「でしょ、凄いでしょ〜?雨ちゃんただいま〜。」
伊吹の呼びかけで廊下の奥から大正ロマンを思わせる和風のメイド服に身を包んだ青髪の少女がやって来た。近づいた所でペコリとお辞儀をする所作は誰が見ても丁寧な印象を与えてくれる。
「おかえりなさいませ、伊吹様。そちらの皆様は…。」
「霧で迷子になってたから連れてきちゃった。」
「なるほど…。私は使用人のロンユウ。龍に雨と書きます。さぞお疲れでしょう。広間まで案内いたします。」
「大丈夫、私がやっとくから。雨ちゃんはお茶と美味しいご飯の準備をしてくれる?」
「承知しました。久しぶりのお客様です。精一杯、腕を振るいたいと思います。」
再びお辞儀をして、引き返していく姿はまるで人形かと思うほどに精確な動きでありながら、秘めやかな気品も感じさせる。
「ロンユウさんの所作、私も見習いたいです。」
「お、巨大エレクトリアメイドでニーカの所に案内しとく?」
「需要あるでしょうか…。ところで、このお屋敷の屋根はかなり高いですね?私たちが背筋を伸ばしても余裕があります。横幅も…」
「私は後から来たんだけれど、もともと住んでた人の体が大きいから、その分だけ大きめにしたそうよ。私も大きいからとっても楽ちん♪ さてさて、ここが居間よ。やっほー、バーンちゃんいるー?」
「いるぞー伊吹姉!んんー?なんかぞろぞろ連れてきたな?八尺様でも捕まえたか?」
炬燵に頬杖を付いていたバーンと呼ばれた赤髪褐色肌の女性は素早く飛び出ると、あっという間に距離を詰めた。2メートル超えの身長と太く大きな筋肉によってかなりの大柄に見える。
「霧の迷子を拾ってきちゃった♪」
「山住の女が拾って来たら、そりゃもう山姥じゃねぇか…?」
「失礼ね、そんなにお婆ちゃんじゃないわよ。」
「あいよー。明日には晴れるだろうし、それまでよろしく頼むぜ。ほら、座布団出してやるから座れ座れ。」
活気の塊のようなバーンに誘われ机を囲む。部屋は中々に広いが巨体の娘たちが机を囲むと密度は流石に高い。ヨトゥンとスルトに興味津々な様で隣にベッタリくっついて座るので尚更だ。ヨトゥン達の過去についても別段隠すようなことでもないので、出会いからこれまでのことを話していたのだが…。
「お前等凄えな…。産まれた意味を乗り越えて、こんなに立派に…!良いご主人と姉にあえてよがっだなぁ…!」
涙でずぶ濡れである。炎の如き活気の塊と言ったが、感情の振れ幅…いや出力が0〜100しか無いのかもしれない。話している最中のリアクションも大きいので、見ていてとても愉快痛快であった。
「バーンちゃんったら涙脆いんだから。まるで親戚のおばさんみたいよ?」
「だってよぉ…。あ、やべ…ティッシュ箱が空だ…。」
「私のポケットティッシュでよければ…。」
「ありがとな凛音。もうお前の株が上がりっぱなしだぞ…。ぎゅっと抱きしめていいか?いやむり、抱くわ。」
厳つさ、威圧感、その他諸々の全てを涙に押し流してグシャグシャなバーン。泥酔してるのかと錯覚するほどの萎れ具合だ
「苦労もあったろうがもう大丈夫だ。俺が全力でお前等の幸せ祈ってやる!」
「よ!神様仏様バーンさま♪」
「伊吹、バーン。賑やかだが何か……。」
賑やかな声に誘われたのか、廊下から住人がまた一人現れ、視線が集まり釘付けになる。視線が集まるのはおかしいことではないのだが目を離せない理由はその姿にある。バーンをさらに越える3m近い巨体の女性。白銀の長髪が脹脛辺りまで伸び、頭部には武骨な角が何本も生えている。緩めに纏う着物の隙間から見える身体には柔らかな人肌と硬い鱗がある。太い手足にはより堅牢な甲殻と鋭い爪。腰からも怪獣のような太く長い尻尾が揺れて、背中の翼は伸ばせば身長より大きいかもしれない。一見コスプレのように見えるが、そのように納得させない存在感をこの女性は持っていた。
「お…ぉ…。まて…少し待ておくれ…。」
この空気を前に暫定龍人は数歩下がって襖を閉める。咳払いと数秒の沈黙を挟んでから再び開かれると、身体を隠すように着物を整え、鱗や角も無くなり、身長も凛音と同じ程度のいたって普通な女性の姿に…。
「いやいや、白おばちゃんそれはムリムリ。」
「婆ちゃん寝起きでガッツリ油断してたろ?」
「面目ない…。しかしその、客人にはどう説明したものか…。」
「大丈夫大丈夫。この子達とっても良い子だから。いざとなったら私が食べちゃう♪」
「待て待て、記憶消して麓に帰してやれ。」
「あのあの…これはいったい…。」
何も言わなければ訳も分からず置いて行かれるので、説明を求める。白おばちゃんはあわあわと慌てて視線をチラつかせている。一方、伊吹とバーンが示し合わせたように頷くと2人に変化が現れる。伊吹は肌が薄い紫に変色し、鞭のような尻尾と大きな角が生える。バーンは手足に鎧のような甲殻が包み、尻尾と角は伊吹より太く無骨。2人とも身体が先ほどの白と変わらぬ程に大きくなった。人型の怪物…いや神秘を宿すかのような雰囲気は恐らく…。
「私み〜んな神様なの♪」
あっけらかんと答える伊吹だが、口調では誤魔化せない威圧感がある。普段は落ち着いてみせる凛音もこれには堪らず腰を抜かし、息が詰まる。いつもなら倒れる彼女を支えようと動くヨトゥンも足が踏み出せなかった。機械であるエレクトリアであっても、その魂が神の前で不用意に動く事を拒んでしまったのだ。
「あら大変!ゆっくり深呼吸して……よーしよーし。」
伊吹の巨体に抱き上げられた凛音は子どものように頭を撫でられ、背中も擦られている。こんな風に扱われるのは幼少期ぶりになるか。柔らかな抱擁によって徐々に呼吸は整い、思考力も戻って来たが、それによってこの摩訶不思議な状況に向き合わなくてはならない。
「あの、伊吹様…。」
「友達なんだから伊吹で大丈夫。伊吹ちゃんでもいいわよ?」
「伊吹…さん。的外れなら申し訳ないのですが、もしや伊吹山の…。」
「凛音ちゃん賢い!伊吹大明神とか八岐大蛇とかで聞いたことあるかもね。」
自分のことを知っていたことで機嫌をよくした伊吹は凛音の頭をワシャワシャと撫で回す。もはや局所的な地震でも受けたかのような揺れ具合だ。
「伊吹姉、それ以上やったら頭取れるぞ。俺は西…今で言うとヨーロッパの方で暴れ回ってたから、悪龍とかで伝承されてるらしいな。」
「白おばちゃんは超大昔から生きてる龍神様なの。位は高いけど、さっきみたいにうっかりしちゃうほど可愛いから大丈夫!」
「人から見れば畏れ多い存在だろうが、賢まる必要はない。婆さん程度の扱いで構わんよ、凛音殿。因みに呼び方はシロでもハクでも好きな方に任せる。」
常識を吹き飛ばす超常的存在を前に圧倒されっぱなしの一同。御伽噺では妖怪などの家に招かれて食べられてしまう物もいくつかあるが、彼女らの陽気さを信じてそうならないことを祈るしか無い。
「正体も明かしたところで、聞きたいんだけど、お前らって今すぐ闘えたりするか?エレクトリアバトルって競技あんだろ?」
「お姉様とクロヒメは街の施設でバトルをしますが、私とスルトは規格外なので…」
「でも元々は戦闘用なんだろ?現代の最新兵器って響き良いなぁ!」
バーンのキラキラと輝く興味が瞳を飛び出す勢いで煌めいている。活発なのは言動だけでなく趣味もらしい。それを聞いた伊吹も口元に三日月を浮かべて微笑んでいる。どうやら完璧に目をつけられたようだ。
「頼むって、いつもバトる面子固定だからお前らとやるの絶対新鮮で楽しそうなんだよ〜。」
「あ!もしかしてボディとかが壊れるのを気にしてる?大丈夫大丈夫、そこは加減するし、壊れた物を戻す術もあるから♪」
二柱の押しにグイグイ圧倒されるヨトゥンとスルト。弱々しい瞳が小さな姉に助けを求めている。
「別にいいんじゃない?2人だってメビウスとエア以外に全力出せる相手いないし、神様の胸を借りるなんて普通できないしさ。」
「流石華麟お姉ちゃん、話が分かる〜。そうだ、うちにも翡翠ちゃんっていうエレクトリアがいるから華麟ちゃんとクロヒメちゃんの相手になってもらいましょ。翡翠ちゃーーん!」
伊吹の大声が響いてから数十秒。入り口の襖が開くとロンユウと共に鮮やかな緑髪のエレクトリアがあらわれた。
「失礼します。皆様、お茶と菓子を用意いたしました。バーン様、お客様との距離感はもう少し離された方が良いかと。伊吹様は台所を通り越して山全体に声が響いています。」
「仕方ねぇだろ、こんな珍しい奴に出会ったら興奮するだろ!?」
「程々にして下さい。皆様、こちらが翡翠です。」
ロンユウの肩にちょこんと乗る緑髪のエレクトリア。これまで巨大な存在に囲まれていたこともあり、この小ささが逆に際立って見える。ロンユウと同じくメイド服で髪色に合わせた竜の尻尾と翼が生えている。こちらは正真正銘エレクトリア用のパーツである。
「私と同じ緑髪…。ちょっと親近感あるわね。」
「ありがとうございます。華麟様も綺麗な色ですよ。改めまして、翡翠です。この山に迷い込んだ所を拾われ、今はロンユウ様と共に給仕を行っています。ご要件は何でしょうか?」
「これからちょっと運動するんだけど翡翠ちゃんもやらない?あまり山を降りないからバトルもしてないでしょ?」
「調理は一段落しましたので、翡翠がいなくても大丈夫です。凛音様は大浴場の準備が出来ましたので、夕飯までそちらで体を休めてはいかがでしょう?」
「なら私も凛音殿とご一緒しよう。」
「え〜、白おばちゃんはやらないの〜?」
「相手は足りとるだろう?まさか、山歩きで疲れた凛音殿に鞭打つつもりか?」
「うーん、それもそうね。それじゃあ私達は演武場にレッツゴー!」
こうして凛音と別れた一行は屋敷の隣にある演武場に向かった。星空が広がる夜空の下。バーンが指を鳴らすと灯籠に炎が灯り、辺りを照らす。石畳が敷き詰められた空間は野球やサッカーができそうな程に広大だ。
「こんだけ広ければ思いっきり動けるだろ。そうだ、お前等武器は持ってるのか?何か欲しいものがあれば俺等が魔法で持ってきてやるぜ?」
「それって私達の家にある奴でも良いの?」
「勿論さ。呼び出したい物を頭に浮かべな?」
「ちょっと時間ちょうだい。皆は直ぐだけど、私はアセンブリ考えるから…。」
「華麟ちゃんってそんなに色々武器あるの?」
「お姉様は気分や状況に合わせて近接射撃を切り替えるので、装備も多彩なんです。」
「すご~い!それじゃあ先にヨトゥンちゃん達のを出そっか?」
ヨトゥンとスルトは専用の槍と大剣、クロヒメはバトルドレスを思い浮かべる。伊吹が何か力を込めると光が集まり、まるで手品の様にぽんぽんと取り出してみせた。
「おぉ!!メカメカしててカッケェなこれ!!」
「接続確認…。ホンモノの、スルトの剣。」
「保管庫から急に消えて、博士やメビウスは驚いているかもしれませんね…。」
「クロヒメちゃんのドレス可愛いわね。もしかしてドラゴンモチーフなの?あたしたちとお揃いね!」
「(*´ω`*)」
「華麟お姉ちゃんは準備できた?」
「─────よし、大丈夫よ。」
展開された華麟の武装は竜の頭部を模した巨大な腕甲、装甲に覆われた脚は獣のように爪が付いている。腰辺りからは機械の尻尾が長く伸び、まるで機械の竜だ。
「そんなにまじまじ見ないでよ、ちょっと恥ずかしい…。」
「でっけぇ腕だな…。飾っときたい位カッケェ…。つーか複製して翡翠にも着せていいか?」
「全部市販パーツだから大丈夫よ。因みにこれ、エネルギー弾も撃てるの。」
「……翡翠ちゃんのも神通力で魔改造してでっかいビーム撃てるようしちゃう…?」
「街に降りた時に使えないので控えていただけると…。」
「それじゃあ準備もできたし始めるか!さてと。せっかくの機会だし暴れるぞ〜」
「ふふふ、遠慮せずかかって来なさーい!」
龍とエレクトリアの激しい戦いが行われている頃、凛音と白は身体を洗い終えて、ゆったりと湯船に浸かっていた。
「ふむ、凛音殿の髪は良い艶だ。魂も良い色をしている」
「魂の色、ですか?」
「神ともなれば、瞳は色んな物を見通す。先ほど言った色はその人の気質によって色の種類や量が変わる。さまざまな色が重なり合っているから具体的な色は言えんが、凛音殿は勤勉で慈愛に満ちている。それでいて様々なことに立ち向かう勇敢さを持ち合わせている。」
「神様にそう言われると、少し恥ずかしくなりますね。」
「本質を見ているのだから謙遜は不要。エレクトリア達との絆もとても強固な様だ。凛音殿からあの子達へ紐が伸びていると思ってくれればいい。面白いのはその紐の一つ一つが5人の縁を束ねた縄の様になっている事。エレクトリアは強い感情から力を引き出すと聞く。これ程の繋がりとなれば、互いをより高みへ引き上げるに違いない。ここまで来ると、感覚や思考の同調なども可能では?」
「その気になれば可能です。交流のある研究者の方に聞くと、そういった例は極めて少数らしいですが…。」
「以心伝心という言葉はあるが、それを真に体現するのはとても困難だ。しかし凛音殿とエレクトリア達は魂で繋がっているのだな。」
「魂ですか。質問なのですが、神々の目線からエレクトリアはどの様に映っているのですか?」
「ふむ、なるほど…。」
機械の身体に宿された新しい命。感情を持つように振る舞うがそれが魂によるものか、プログラムによる再現なのかは開発者だけにしか分からない。
「ここにいる皆はエレクトリアに魂は確かに宿っていると認めている。翡翠の事もいつも見ているから尚更だ。」
嬉しそうに語る白。まるで子の成長を見守る親の様な微笑みだ。そのまま抱き寄せられると胡座の上に乗せられて、撫でられ愛される。
「もしや凛音殿は人が命を生み出すのは罪だ。と言われると思っていたかな?」
思わず身体が硬くなる。どうやら心の内がしっかり見られていたらしい。事実として、エレクトリアをどう扱っていくかの議論は行われており、RoMを始めとする反対派もいる。人工の身体に人と変わらぬ心。機械と生命の間にいるかのようなエレクトリアは神々から見ると異質なのではないかという懸念は凛音の中に確かにある。
「プログラム、AI…だったか?機械的に再現したというのも間違いではないのだろう。しかし凛音殿は彼女達を一つの心ある存在として扱い絆を紡いだ。一方的ではなくお互いに思い合うその形が解答だと思う。故にこれまで通り自立した個人として扱ってやるのが良いと言っておこう。凛音殿のありのままで触れ合ってあげなさい。」
「神様の神託、ありがたく頂戴します。」
「さて、もう少しゆっくりと話そう。直に皆がこちらに向かって来るだろう。」
そうして様々な話に花を咲かせていると、水面の波紋が少し多くなる。屋敷の屋根越しに見る空には戦闘で発生した光がちらちらと見え始めた事から、激しさを増しているらしい。どんな様子か気になるが、心配無用と撫でる白の手に身体を預けることになった。そこからもう少し経つと静寂が訪れる。どうやら決着が付いたらしいと考えたのもつかの間、再び振動がおこる。しかもその規模や大きさはどんどん大きくなっていく。
「ヤッホ~。元気してる?」
「こっちは終わったぜ?」
顕現するは2人の巨人。風呂場の壁の遥か上から見下ろす巨躯は一歩踏み出すだけで万物を破壊するだろう。口調こそ変わらないが、大気はビリビリと震え、コンサート会場の大音響にも匹敵する。
「どうやら楽しんだらしい。皆はどうした?」
「ちょっと楽しすぎて、あの子達みーんな食べちゃった♪」
「さぁ、凛音はどっちに食われたい?」
「お前達ぃ!?」
突きつけられた信じ難い言葉。告げた2人はご馳走を味わったかのように、舌舐めずりしながら腹部をゆっくり擦っている。確かにこれほどの巨体であれば、丸呑みにしたと言われてもおかしくはない。返答を待つ2人は最後のデザートも是非食ってしまいたいと舌舐めずりをしている。
「────。伊吹さんもバーンさんも御冗談が好きなのですね。」
これに対して凛音は姿の見えない娘達に全く焦る様子もなく、いつも通りの微笑みを見せる。矮小な存在を吐息だけで吹き飛ばせそうな神々を前にして全く怖気付く事なく向き合い、意識を集中させる。
「ヨトゥンは伊吹さん、スルトはバーンさんのお腹の中で横になっています。疲れているようですが、破損などは無いようで、安心しています。華麟とクロヒメは…谷間の中に入っていますね。大きなクッションに包まれて意外と楽しんでいるようです。」
凛音の言葉を受けた2人は目を丸くして向き合っていた。瞬きを何度も繰り返し、首も横へ下へと傾くばかり。それをひとしきり繰り返した後、這いつくばる様に顔を近づけて、凛音をまじまじと見る。少し荒い鼻息が突風のように吹き荒れ、巨大な眼球がつま先から頭頂まで行ったり来たりしている。
「どっかの英雄とか賢者の子孫じゃねぇな…。変な能力がある感じもねぇし…。」
「私、お芝居下手なのかしら?」
「いやいや、迫力十分だったぜ?どこぞの英雄様は同じ手で崩れ落ちてた事あるし…。」
「じゃあなんでバレたの?以心伝心マジ?」
「直ぐ側の家族の事なら分かります。それにお二人のことを信頼していますので。」
「あらやだ、私惚れちゃう…♥」
「惚気てる場合じゃねぇぞ、伊吹姉。俺達この信頼を現在進行形で腹の中に入れてんだぞ?」
「あらやだ大変!直ぐに吐き出してみんな綺麗に洗ってくるわねー!」
「婆ちゃんともう少し繕いでてくれよな!」
地響きと共に去っていく2人。嵐どころか天変地異の化身が去った後、白はより一層優しく凛音を撫でた。
「凛音殿は凄い。あれを前にして毅然と振る舞うとは。」
「華麟達が大丈夫と教えてくれたからです。それがなければ取り乱していました。因みに先程の質問ですが、私は白さんに食べられたいです。」
「───。困った、本心らしい。興味本位と言ってくれれば笑って終いなのに。さて、待っててくれと言われたが流石に長風呂だ。上がってから飲み物でも口にしながらロンユウの料理を待とうか?」
洗い場にいる伊吹達に声をかけてから、浴場を後にする2人。髪を乾かし、貸し出された浴衣に袖を通すと見計らった様に来たロンユウに広間に案内される。大きな机に十数点もの料理がズラリと並び、高級料亭のそれに引けを取らない。屋敷に訪れてから2時間ほどでこれを準備したロンユウの手際は見事としか言いようがない。
「伊吹達が来る前にゆるりと食べ始めてしまおうか?身体を動かした後の2人の箸は速い。きっと客人に遠慮せず食い尽くしてしまう。」
「ではお言葉に甘えて……。───!」
白の言葉を受けて一つ口にすれば、また一つ、次はこちらと食指が止まらない。香りが広がる物、優しい口当たりの物、他の料理の味を引き出すもの。複数の品を出す場合、バランスが大事とよく言うが、この料理はそれを体現しているだろう。
夢中で食べ進めているといつの間にか皆が食卓を囲んでいた。伊吹に関しては大鍋と見紛う盃を煽っている。
「一言も喋らずに食べ進めてる…。いやニッコニコだから美味しいのは分かるけど。」
「凛音殿の口にあったようで何より。エレクトリアの皆にも食べて欲しいが、流石に難しいな。」
「いえ、私達は香りだけでも十分です。」
「分かるぞ〜、美味しい匂いで茶碗一杯行けるからな。俺も腹減って仕方ねぇ!」
「バーン。それお茶碗、じゃない…丼ぶり。」
「かなりの量の料理が並んでいると思いましたが、もしかして皆さん大食いなのですか?」
「お客様を丸呑みにする程度にはいつも大食です。」
「いやー、その件はすまんかった!テンション上がってついな!凛音も脅して悪かった!」
「いえ、構いません。それより手合わせはどうでしたか?満足いただけたなら幸いなのですが…。」
「ならたっぷりお話してあげないとね。神様に立ち向かったエレクトリア達の勇姿を!」
そうして始まった噺家・伊吹とバーンの演目。全く怯むこと無く立ち向かったヨトゥンとバーンは神々から見ても時代の英雄の様にだったらしい。素手で相手していた伊吹とバーンもいつの間にか刀と大剣を手に剣劇を繰り広げていたそうだ。小さなエレクトリア達もそれに負けず劣らずの大立ち回り。華麟とクロヒメのタッグを華麗に迎え撃つ翡翠はこれまでにない強敵だったらしい。遠目に見ていたバーン曰く、あんなに楽しそうに戦う翡翠は始めてだったとのこと。その後もヒートアップしていくと共に伊吹とバーンもサイズアップし、最終的にバクンと食べてしまったとのこと。
「あれって、何?神隠しってお腹の中に隠しちゃうってこと?」
「いやぁその……大昔のヤンチャしてた時は何でもかんでもバクバク食べてましたぁ…。重ね重ねすまんかった!」
「いえいえ、話を聞くだけでも楽しそうな様子が見えて嬉しいです。私もそこに立ってみたかったですね。」
「あらやだ、凛音ちゃん武闘派なの?」
「趣味程度に嗜んでいるそうだ。普段は音楽活動もしている正に武芸者。」
「凛音ちゃん凛音ちゃん、今から神様に演奏を捧げてみない?倉庫に和楽器ある筈よ。」
「コラ、凛音殿はまだ食事の途中だぞ?」
「じゃあ暇してる私達で演奏しよっか?私以外は和楽器初体験だけど、まぁ何とかなるでしょ。」
「では私が案内致します。どうぞこちらへ。」
そうして倉庫に向かってからわずか10分ほどで帰ってきた一同。ヨトゥンは尺八、スルトとクロヒメは三味線。華麟は普段から持ち歩いているキーボードだ。いざ演奏が始まると練習無しとは思えない心地の良い旋律が広がる。
「素敵な演奏…お酒がすすんじゃう♪」
「もっと機械っぽい感じかと思ったけどそうでもねぇんだな。俺たち演奏なんてしないから、楽器達も喜んでるだろうさ。」
「ところで凛音殿。ピアノはともかく、他の楽器はジャズでは使わないのではないか?」
「実のところジャズは幅の広いジャンルですから、マイナー寄りですが和楽器を使う方もいます。今は華麟が音の出し方と演奏する曲だけを教えて、後は即興で合わせているはずです。ここでは技術データへの接続も出来ませんから。」
「はぁ!?ってことはほぼ素人!?お前ら天才か!?」
「バーン様、今はあまり褒めすぎないで……あ、音が外れましたね。クロヒメが照れてます。」
「(⁄(⁄ ⁄•⁄-⁄•⁄ ⁄)⁄)」
「ごめーーん!褒めてやりたい感情が止まらんかったぁ…。でも何かご褒美はやらねぇとな…。よし!俺たちと一晩添い寝する権利をやるぜ!」
「神様と一緒のお布団なんて太っ腹〜!」
「お前達がやりたいだけだろうに…。凛音殿はどうするかな?」
「白さんとご一緒させていただけますか?隣にいるととても心が落ち着くのです。」
「駄目よ凛音ちゃん!白おばちゃんにバリバリ食べられちゃうかも!」
「そうだぞ!婆ちゃんは純潔の女を怪物の様に貪っちまう盛んな奴だ!」
「そんな節操無しはお前達くらいだ…。お客様の意思はちゃんと尊重すべきだから、お前達は邪魔しないように。」
「んーー仕方ないわね。ならエレクトリア達は私達でギューッとしちゃう♪」
「私達はお任せでいいから、神様達で決めてくれます?」
「お、マジか!なら分け方は公平にコイントスで行こうぜ…。勝った方から引き抜きだ。」
「あら?じゃんけんだと思った。」
「俺等の動体視力だと読み合いが発生するからな!」
そうして伊吹が華麟とスルト、バーンがクロヒメとヨトゥンと添い寝することになった。大好きな華麟と離れたクロヒメだけはムスッとしたが、お願い一つで忠犬の様に大人しくなる。それぞれ一つの布団に収まるが、華麟とクロヒメの大きさ的に川の字と言うより州の字になっていた。
「良いな〜。私も凛音ちゃんと添い寝したかったな〜。」
「なんか妥協されたみたいで、しょんぼりするわよねスルト?」
「うん、しょんぼり…」
「ごめんごめん、華麟ちゃんとスルトちゃんも抱き心地良くて素敵だけど、やっぱり夜の営みってあるでしょ?凛音ちゃんはその辺りどうなの?」
「うわぁ、神様節操無いぃ…。んー、男の気配全然無し、寧ろ今の環境が良すぎて独身のままでもおかしくない。」
「えー、凛音ちゃん美人でいい子なのに…。私たちが嫁に貰っちゃうのはあり?」
「んんーー…、まぁそれもまた良しとか考えてそう…。」
「もしかして白おばちゃん指定したのは……。今頃凛音ちゃん押し倒されて…。」
「人と神の交わりとかなんか物語みたいねーーって無い無い。でも凛音って抱きついて寝るのが好きだから、抱き心地とか雰囲気で選んだだけかも。」
「カッコいい凛音ちゃんに可愛い一面!ところで体位の好みは?」
「体位言わないで…。まぁ気分次第で抱き着いたり抱かれたり、上も下も両方…。」
「つまり……白おばちゃんを押し倒してる可能性が…。」
「あの体格差だと押し倒すより、乗せられてる感じだけどね?」
「あらやだ神様を敷布団にするって背徳MAXね!この後か朝早起きして覗きに行かなくっちゃ!そう言えば白おばちゃんって朝イチで瞑想したり、軽く運動するんだけど、凛音ちゃんはどう?さっきやる気満々だったでしょ?」
「もしかしたら珍しく早起きするかも。神様と手合わせとか、あいつの興味が刺激されないわけ無い。」
「白おばちゃんお願いされたらちゃんと応えるはずよ。よし、なら私達も早起きしなくちゃね。」
「私が目覚ましやるから、伊吹様はぐっすりしてて。」
翌朝未明。予想通り早くに動き出した凛音を察知して、伊吹達はこっそりと後を付けていく。行き先は演舞場で、2人は道着に袖を通して、腰には木刀を携えている。
「あらやだ袴姿も素敵。凛音ちゃん巫女としてスカウトしちゃ駄目?」
「駄目ですー。二本持ってるということはかなりマジね。」
御前試合ならぬ神前試合。神を前に臆すること無く立ち向かう凛音の姿は凛々しく、勇ましく、煌々と輝く人の強さをみせる。それを受ける白は微笑みながら見守り、捌き切る様子は戯れる子どもを相手にしていると見ても間違いではない。
「凛音ちゃん寝起きであんなに動けるのね。華麟ちゃん的に見て調子はどう?」
「ノリノリなんだけど…全然当たる気配無いわね…。神様ほんとに強い…。」
『華麟。いけますか?』
「おっと、バレてる。じゃあ行きますか。」
「行くってどこに?」
「私も闘うってこと。」
伊吹から離れ、凛音の肩に立った瞬間、剣を持つ腕、身体を支える脚、前を見据える瞳、その全てが重みを増す。人がエレクトリアの力を引き出し、エレクトリアもまた人を引き上げる。正に人機一体。可能性の一つの極致がそこにあった。
「これが人とエレクトリアの絆。宜しい、この白龍之神が見定めよう!」
力強く踏み出すと、星の軌跡を残して駆け出す。振るう剣はこれまでより速く、更に重く、最も鋭い。山に木霊する音は先ほどの倍はあり、更に増えている。しかしどれだけ加速しても全て弾き落とされ、帰ってくる刀も更に速くなる。何処まで辿り着けるのか?ここまで来てくれるのか?願望と希望が入り混じる中、いつ現れるかもしれない機会を待って、先の見えない剣戟のトンネルを行く。普段の試合でも時間いっぱい打ち合うことはない。それでも腕を止めず、脚は駆け、頭は思考する。
「「────────────────────!」」
ここで始めての音が響き、静寂を迎える。音の正体は折損。遂に見つけた隙に攻勢に出た凛音の二振りの木刀両方が衝突と同時に真っ二つに折れたのだ。神が数歩後ずさるのを見て凛音も後退した後、頭が下がる。
「────ぁ。」
下げたのでは無く下がる。崩れた身体は柔らかな抱擁を受けるまで止まらなかった。
「流石の凛音殿も精魂尽きたらしい。見事な剣舞だった。華麟殿も良い働きだ。」
「ありがとうございます。」
「必死で演算してるのに全然ダメだったぁ…。」
「そんな事無いわ、ほんとに凄かった〜。私も混ざっちゃおうかなって思ったんだけど、スルトちゃんに引き止められちゃってね?」
「真剣勝負、邪魔はダメ。」
「我慢できた褒美に、お前が凛音殿を朝風呂に連れて行ってあげなさい。変なことはしないように。…………伊吹?」
返事が無いので横を見ると、残っていたのはスルトだけ。ご機嫌な笑い声が聞こえたと思えば、屋敷の屋根を伝って露天風呂に飛び込む姿が見えた。気を良くした余り、この状況を見過ごした10秒前の己を叱りつけたいが、その怒りを溜め息と共に吐き捨てて、屋敷へ戻っていく。
「さてさて、凛音ちゃんと裸の付き合いだぞ〜♪」
「お手柔らかにお願いします、伊吹さん。」
「大丈夫大丈夫、お触りと書いてマッサージって読むから。上から下まで、あんな所からそんなところまで解してあげる♡」
伊吹達が風呂場に向かってから暫くした頃、居間では凛音達の稽古を見損ねたバーンが机に突っ伏しており、ヨトゥンとクロヒメに慰められていた。背中を擦られても、頭を撫でられても反応無く、腰から伸びる太い尻尾が何度も床を叩きつけている。試しに受け止めに入ろうとすると、危ないぞと言うように尻尾で押し退けてくれるので、最悪ではないように見える。
「ほら元気を出せ。凛音殿が今のお前を見たら困り果ててしまうぞ?」
「いっその事困らせてやろっかなぁ…。でもあんなにいい奴だしなぁ…。あー、俺もバトりたかったなぁ……。」
「早くシャッキリせい。ほら直に凛音殿……が来ているな…。」
居間の入口には風呂上がりの凛音と伊吹が覗き込んでいた。伊吹の施術で疲労は取れたようで、顔も肌も艶がでている。
「やっべー…俺恥ずかしくて顔上げらんねぇよ……。」
「じゃあそのままでいいから凛音ちゃんのお話聞いてあげてくれる?」
「お話ぃ?」
「はい。バーンさんにお願いがあるのですが。」
凛音の呼びかけでようやく顔を上げたバーンは誰が見ても分かる元気の無い表情。今にもまた俯きそうなほどに気怠げだが、尻尾は止まったので、ちゃんと聞いてくれているように見える。
「私を乗せて、空を飛んでくれませんか?」
問と同時に響く轟音。先程までとは桁違いの破壊力を持った尻尾が床を叩き割ったのだ。腑抜けた様子は立ち消え、活気どころか闘気に満ち満ちている。
「今……何て言った?」
「バーン様の背に乗って、空を飛んでみたいと…。背中に乗って飛ぶのはとても心地が良いと伊吹さんから聞いたもので。」
「────────────そっか〜〜~!俺に乗りたいのか〜〜!」
重い静寂から花開くバーンの顔は花火のように輝き出した。機嫌が最高潮に達したのか羽根は部屋のスペースギリギリ…いや、押し退ける勢いで広げている。機嫌が治ったのもつかの間、凛音とエレクトリア達を纏めて抱き上げて中庭に疾走。縁側に座らせるとストレッチをしながら台所に目を向ける。
「ロンユウ!朝メシまでどのくらいだ!」
「後30分ほどです。凛音様は激しい運動をされたので栄養と休息に向けたものを作っております。」
「それまでに帰るぜ!ちょっと離れてな、凄いの見せてやる!」
渦巻く焔がバーンを覆う。その紅蓮の竜巻は次第に大きくなり、昨晩の巨大化した姿を思わせるほどに見上げる。それを突き破って現れたのは深紅のドラゴン。風を巻き起こす雄大な翼、全てを切り裂く爪、巨体を支える柱の様な脚、そして白く煌めく牙を持つ口からは炎が溢れている。威風堂々とした仁王立ちから放たれる貫禄は瞳を放すことを許さない。
「どーよ、俺の真の姿!これぞドラゴンって感じだろ!」
「は、はい…!」
「お、ようやく狼狽えたな?だが俺は更に格好良くなるぜ?」
バーンが吐き出した炎が身体を覆うと、堅牢な鎧が纏われる。合わせて作られた黒鉄の大剣はバーンの巨躯と比較しても巨大で、山をも容易く吹き飛ばす破壊力を思わせる。
「おっと、ついつい剣も出しちまった…。でもカッコいいだろ?スルトにもこの剣やろうか?」
「うん……カッコいい。」
「そうだろう、そうだろう!機械剣と魔剣の二刀流とかロマンの塊だな!おっと、それもいいけど…背中の鞍に乗れ。とっておきのツアーにご招待だ!」
皆を背中に乗せたバーンが大地を蹴り飛ばした瞬間、初速で山が眼下に収まり、雲がみるみる近づいたと思えばあっという間に突き抜けていく。しかし驚くべきはこの速度でも旋回力でもなく乗り心地。戦闘機を赤子扱い出来る別次元の運動性能にも関わらず、背中の凛音達は新幹線程度の僅かな揺れしか感じていない。バーンの魔法によって温度や気圧といった環境も整えられているため、とても快適だ。山を離れたと思えば各国を巡り、自然を見渡し、海の中にも飛び込み、海の生命と共に回遊しながら、サンゴ礁や深海に浸る。旅の最後は大気圏を突き抜けて遥か宇宙から地球を見下ろす。己自身の瞳から見る景色にはフレームは存在しない。誰にも切り取られていない情景の奔流に乗客達は心奪われていた。約束の時間が迫ると日本列島に直滑降し、出発点の屋敷に降下。出発の時は速すぎて見えなかったが霧はすっかり消え去り、露をつけた木々が煌めいている。
「弾丸ツアーで悪かったな。こうやって人を乗せて飛ぶのはホントに久しぶりで楽しくて楽しくて。」
「いえ、こちらこそ世界中を見せてくれてありがとうございます。良い曲が書けそうです。」
「マジか!形にできたら俺に聴かせてくれよな!」
「お帰りなさいませ、皆様。朝の支度が出来ましたので中にお入りください。」
居間に入ると昨晩と変わらぬ多数の料理が並べられていた。しかしこの量もバーンと伊吹にかかればあっさりと胃袋に収まるのだろうと昨晩を思い返す。これを済ませれば別れと言うこともあり、話は大いに盛り上がりをみせる。もし白が会話を遮らなければこのままもう一泊しそうな勢いだ。
「皆様、この度は盛大な饗しをしていただきありがとうございました。」
「こちらこそ、これほどに心地の良い時を共に出来た客人は久しぶりだった。」
「凛音ちゃん、華麟ちゃん、ヨトゥンちゃんもスルトちゃんもクロヒメちゃんもみ~んな良い子で大好きよ♪」
「何かあったら大声で呼びな。俺達がばっちり解決してやるからよ!」
「麓までは私と翡翠がお供致します。神職の皆様が行方不明者で慌てているといけませんので。」
神達の見送りを背に神社に戻るとロンユウの推測通りに行方不明なのでは?と言う話が持ち上がっており、もう少し遅ければ騒ぎが大きくなっていたかもしれない。その後駐車場に向かう道で最後のお別れを告げ、それぞれの道に分かれていった。帰ってきた我が家はいつもの変わらず出迎えてくれ、荷物を降ろしてソファに腰掛けると思わず溜息一つ。非日常と平穏の落差でいえば、後にも先にももう来ないであろう。
「何だか夢みたいな一時でしたね。」
「何時でも呼べ〜みたいなこと言ってたし、呼んだら今すぐやってきたりして?」
「いやいや、流石にそれはないのでは…。」
「伊吹様ー、いるー?」
「はいはーい♪」
「おう!呼んだか?」
「ゐっ…!?」
「( ゚д゚)……?」
聞こえてきた2人の元気な声。ゆっくり視線を向けると、間違いなく伊吹とバーンの2人が満面の笑みで顕現していた。2人の後ろには歪んだ空間があり、おそらく扉のような物だろう。幸いこの家の天井は高めなので、2人が屈んだりする必要は無いが、いつかドアをぶち抜くことがあるかもしれない。
「ここが凛音ちゃんの家?とってもオシャレね!」
「リビング広いし、天井も高くて良いな。俺達も寛げる。」
「うそ……ホントに来ちゃった……。」
「ようこそおいで下さいました。こちら麦茶です。」
「なんでアンタは一瞬で流せるのよ!は…マジ?なんでいるの?いつの間にかGPSでも仕込まれてた!?」
「神出、鬼没……。」
「その通り!神様は神出鬼没なのよ?そうそう、スルトちゃんだけだとずるいから、ヨトゥンちゃんにあたしの剣のレプリカ持ってきたの♪」
「えぁ…ありがとうございます…。」
「ぶっちゃけお前ら全員マーキング済みだしなぁ…。スマホで天気調べるぐらい簡単だぜ?」
「伊吹様〜?私達の感動の別れ返してくれます?」
「ごめんなさいね?でも、私達の好感度を荒稼ぎした凛音ちゃん達が悪いと思わない?」
「そうだよな〜、こんな上物確保しないバカはいねぇよな〜?」
「どう転んでもお前たち二人が阿呆だ、馬鹿者!勝手に人様の家に押しかけるとは…!」
話を聞いてみると、気に入った客人がいるとそのまま屋敷に迎え入れたり、元の住居に押し掛けた事が何度かあったらしい。そんな例にならって、この度も気に入った凛音達をしっかり囲いにかかってきた様だ。ペコペコと頭を下げている白の気苦労は計り知れない。
「申し訳無い凛音殿。この阿呆共は責任をもって回収して…。」
「いいえ、その様な事をする必要はありません白さん。龍神の皆様、ようこそおいで下さいました。皆様をお招きするのは身に余る誉れで御座います。」
滑らかな動きで正座をしたかと思えば、丁寧な所作でお辞儀する。まるで旅館に来た客を迎え入れる女将。もはや着物を幻視するほどだ。
「凛音殿ぉ!?頭を下げてはいけない。この家の主は貴女なのだから、不法侵入を赦しては…。」
「いえ、神様を準備も無く迎え入れるだけで不敬ですので、精一杯の対応を…。」
「おうおう、神様の扱いわかってんじゃね〜か?そうだ、俺とも手合わせしてくれよ!」
「こんなに丁寧にされたら、何でもしちゃう♪あ、お酒ある?安いのでも全然okよ?」
「やめんか!」
その後もあれこれあったが相談の結果、訪問は休日限定となった。凛音達は何時でも歓迎、伊吹とバーンも毎日行きたいと言うのを白がどうにかこうにか説得してここまで抑えた形だ。とは言えそんな約束で縛れる筈もなく、別の街へ行くためのワープポイント代わりになり、正体を隠した神々が辺りを闊歩する様になった。神々の寵愛を受けた結果、この凛音の家は人知れず真に神聖なるパワースポットである。