日が沈み──暗闇に包まれ人の気配が消えたとき。影を纏う女が現れる。森でも街でも、雑踏の中でも関係ない。それに魅入られた瞬間、空間には二人だけ。知恵があるなら逃げ道を探せ。武力があるならそれを過信せず捨てて去れ。お前は怪異の掌から逃れなければならない───。
「って…、八重さん聞いてます?」
「大声を出すでない。ちゃんと聞いておる。」
拠点で武器の手入れをしている八重は仲間のエレクトリアからの報告を聞いていた。内容は最近話題になってる怪談話。怪談と言うが実際にそれと出会った話は幾つかあり、気づいたら見知らぬ場所にいたり、知人がはぐれたとSNSに投稿されているのだ。中には怪我をした報告もあった。
「どこぞの阿呆の与太話ではないのか?」
「それが、人だけでなくエレクトリアも出会っているのです。特にエレクトリアは全員が戦闘を挑まれて倒されています。」
「ならばログが残るはずであろう?」
「その筈ですが、何故か映像データがポッカリと空いているんです。一部の記憶データは残っているのですが、模写を依頼しても参照不可能。なんだかまるで……魔法やら妖術のようで…。」
「ふむ…。」
にわかには信じられないが事実として被害報告が出ている。自警活動をしている八重とその仲間達としては、日常パトロールに加えて調査を進める必要がある。普段なら機動重視の軽めな武装で素早く見回るのだが、戦闘の危険性が高まっているのなら、調整しなければならない。八重は刀しか持ち歩かないので影響はないが、仲間達には負担が大きくなる。
「大丈夫っすよ!うちらが誰に鍛えられたか知ってます?」
「ヨトゥンみたいな規格外が来ない限りヨユーだし。」
「あんたあの時、真っ先に捕まったのによく言うよ…。とにかく、準備も警戒も念入りにするのでご安心下さい。」
「そうだな。だが決して無理をしてはならぬぞ?通信回線も常に開き、直ちに報告・救援出せるようにしておくのだ。」
『『了解!』』
そうして警戒を高めて調査するが、なかなか怪異の尻尾はつかめず、時間だけが過ぎていく。一応怪異に出会ったエレクトリアの保護も何度かあったがやはりログは無く、人通りの多さや時間帯にも規則性がないため目星が付かない。しかし唯一の共通点として、被害エレクトリアの大半が武器パーツを装備していたという結論に辿り着いた。マスターと交流しやすいように普段は武装を外すエレクトリアも多い。もし被害者を誘拐してからバトルを挑むと仮定すれば、武装している相手を選びやすいだろう。そうなると武装を多めにしている八重の一行がターゲットになるのは時間の問題となる。その後も夜な夜な出掛けたある日のこと。公園近くの森を巡回していた八重の通信回線が突然切れる。再接続を数回試みるが効果は無い。
「ふむ。これは当たりを引いたと見るべきか?」
馴染みある森で、夜にも慣れているにも関わらず鬱蒼として見える。虫や動物も今夜はだんまりで、揺れる枝葉だけが響く。怪談が苦手な仲間ならば泣き叫んでいたに違いない。その仲間達は回線が切れたことに気付いておそらく八重を探しに向かってくるだろうが、待つ時間も惜しいため一人歩き続ける。
「──────む?」
しばらく歩いた頃、前方に月光で照らされた小さな人影が見えた。白と金を基調とした着物を纏い、風貌は面布のため窺うことが出来ないが、頭には狐の耳があり、艷やかな金色の髪は腰まで伸びる。その腰からは九尾を模した尻尾。装備はみたところ腰に差した身の丈を越える太刀だけ。どれもエレクトリアとしては珍しく無いが、八重には違和感があった。剣士として相手の実力を感じ取ったのも確かではあるが、それだけではない。何か根本的、根源的な違いがあるのではないかと。注意深く観察しているとクスクスという笑い声が耳元から響く。すぐさま抜刀し、気配が無かった空間に剣を振るうと何かにぶつかって動きを止める。そこには目の前にいた筈の狐の姿と抜き身の太刀。先程狐がいた場所を見ると鞘だけが地面に突き立てられていた。
「お主、何者じゃ…?」
「────。」
返答はない。代わりに刀にかかる圧力が増す。戦闘の意思ありと判断した八重は刀を払って一度距離を取る。どうぞとばかりに待ち構える狐に距離を詰めて横薙ぎ一閃。難なく受け止められてしまうが問題はそこでは無い。
(重い……!)
それが八重が刀を通じて感じた狐の印象である。上手く受け止められたとか質量、体積といった次元ではなく、自分が足をつけているこの土地そのものが相手かのよう。もはや疑う余地はない。目の前にいるのが騒ぎの怪異に連なる者だ。しかしそうだとしてこれに対処出来るかは別。目の前の狐が振るう大太刀はまるで鞭かのように変幻自在の太刀筋を見せ、狐本体も演舞の様に重さと軽さを併せ持つ身のこなし。下手な受け方をすれば吹き飛ばされてしまう。これに対して果敢に攻めるが、手応えのなさは暖簾やら、糠なり、霞をなんとやらの様な慣用句を並べても表現し難く、不気味。八重がエレクトリアの剣士として最高峰の実力を持つのは間違い無いが、その練度を持ってしても攻勢に出ることが出来ない。1手2手と攻めると、狐はその倍を返してくる。並のエレクトリアならワンセットの打ち合いで5回は斬り伏せられている。これほどの差を見せられているにも関わらず、童をあしらう程度の力しか入っていないように思える。これはどうか?このくらいなら耐えられるか?と徐々に強度を上げている辺り、彼女にとっては遊戯なのだろう。布の端から時折覗く口元にも笑みが見える。
(全く底が見えぬ…。)
対照的に八重には全く余裕がない。様子見する間もなく全身全霊で打ち込んでいるにも関わらず、全く歯が立たない。全ての手札を片っ端から切り捨てられ、徐々に追い詰められていく。しかし、この一件の事件の解決への使命感、そして強者との戦いと言う高揚感によって、心はまだ前向きで居られる。
そうして剣戟を続ける中、狐が不意に距離を取ると、遠くから何かが近付いてくる音が聞こえた。土を踏み、枝を折り、葉を掻き分ける。狐の殺気が逸れたため、八重もそちらを注視する。
「ようやく見つけたぜ…覚悟しやがれ八重ぇ!!」
十機程のオートエレクトリアを連れて来た男達は以前八重が自警活動の中で撃退した集団。八重にとってこの様な復讐をされるのは時折あることであるが、なんとも間が悪い。
「はて……顔は忘れたが、近衛に突き出した無法者だったか?」
「ふざけやがって…。俺の計画を台無しにしたくせに…!こちとらその礼のためにわざわざお前を探し回ったんだよぉ!」
「犯罪の芽を摘んだだけじゃ。どうやらまた牢に突き返すことになりそうじゃの…。」
余裕を含んで話しているが戦闘で消耗しているため、正直面倒な相手だ。願わくば連れているオートエレクトリアの練度が低いと助かるところ。そして一番の懸念は狐がどの様に動くかが予想出来ない点。いや、確かなのは不機嫌だろうということ。気分良く遊んでいるのを邪魔されてそうならない者はいない。
「ところでその狐野郎はお前の連れか?ならまとめて潰してやるぜ!行けぇ!」
狐に話をする間も無く、先頭に立っていたエレクトリアが突撃してくる。迎撃しようと前に進むが、敵のエレクトリアが突然発火した。何事かと驚いている間に、その隣はプレス機に潰されたかのようにぺしゃんこにされ、また別のエレクトリアは細切れにされる。誰の仕業かなんて考える必要はない。肩を落とし、溜息をついた狐が不機嫌であると判断するのは容易かった。その姿が霞のように消えたのも束の間、月明かりが消える。ズシン、ズシンと巨大な振動が迫る。振り向いた先にいた妖狐は森を眼科に見下ろす桁違いの巨躯へと変貌し、大蛇の様に蠢く九つの尾は天を覆うようだ。その足元は土地が畏敬を表すかのように木々が不自然に避けている。自然がそうなっているのであれば、矮小な生命は重圧に耐えきれるわけがない。何も言われていないが、許可なく動けば消されると頭は認識している。身動きだけではない──瞬きも、呼吸も。男達は自らの手によって窒息寸前に陥っていた。しかし狐は何もしていない。ただそこにいるだけでこの被害だ。狐がもう一歩進んだだけで残りのエレクトリア達は踏み潰され呆気なく全滅。妖狐が指先を指揮棒のように振り上げると、男の一人が見えない何かによって空に打ち上げられた。保護具なんて無い逆バンジーを味わう男の行き先では布を捲った狐が大口を開けていた。
「うわああああああ!!!、────。」
口内に落ちた悲鳴は口を閉じればどこにも届かない。矮小な小人には固唾を呑んで見守ることしか出来ない──。
『ペッ……。』
数回顎が動いた後で吐き捨てられた塊は地面に落下するやいなや発火し、塵と消えた。どうやら口に合わなかったらしく、蠢く尾に苛立ちが見える。常識からかけ離れた光景を前にした時、人はどう反応するだろうか?出力される結果に差異はあれど、そこに論理的な思考は介在しないだろう。だがこの巨大な妖狐の前ではそれは些細なこと。残された物も逃げられる筈もなく、存在を消し去られた。被害者が痕跡も無く消えるその様子はまさに神隠し。咎人達はこうして処刑されたのだ。邪魔者を排除した妖狐は最後に残った八重に手を伸ばす───が、押し潰す直前で停止する。先程まで空間に張り付けにされていた狐巫女だが、今は巨腕に刀を突き立てていた。妖狐にすれば爪楊枝どころか蚊に刺される程にもならない刃では押し止めるなんて不可能。掌を避けた妖狐が見たのは泰然に振る舞う小さな剣士の眼差しだった。
「妾達の勝負はまだ終わってはおらぬぞ?お主も然るべき形で決着をつけたいであろう?」
「───。」
その時、八重には顔布に隠された笑顔が見て取れた。狐はならば良しと元の大きさまで小さくなり刀を構える。いや、あの巨体こそ元の大きさなのだとしたら、極小なこちらに合わせていることになる。この妖狐は剣の戦いに対して意外と律儀なのかもしれない。八重に残された余力はまだあるが、それを引き伸ばしても勝ち目はない。ならば最も信頼と実績のある手段を最大出力で実行するに限る。斬る手段は勿論いつも頼りにしている決め手の抜刀術。最期となる時に向けた極限の集中により、木々の音は響きを止め、瞳は敵の姿を森から切り取る。
「──」
「──」
もしここに観客がいたならば、その人は紙芝居を見た気分になっただろう。いつぞやの剣術大会やクロヒメとの戦いとは比にならない程の速度は音と光を置き去りにして事象を開始した後、認識が追いつく頃には全て終了していた。
天を仰いだのは八重。刀はポッキリと折れ、体は腰から真っ二つ。力無く天を仰ぐ八重に狐は跨る。刀を突き刺してトドメでも刺すのかと見ていると、その腕は顔布に手をかけて外していた。瞬間辺りが暗くなる錯覚に陥る。月光を背景にしても劣らぬ輝きを持つ、傾国の美女と称するべき美しい顔に瞳が支配された。その顔は八重の健闘を讃えているのか、はたまた出来の良い玩具に満足したのか微笑んでいる。
「──美しい。」
そう呟いた後、狐の顔が近づいたところで視界が闇に包まれた。
次に瞳が写したのは見慣れた天井。八重の部屋。時刻は早朝。だが日付はあの日から2日経っている。ぼんやりとする頭でゆっくり思考し始めると、部屋の外から慌ただしい足音が響く。
「八重さん!目覚めましたか!?」
起動信号をキャッチしたのか、扉から仲間達がぞろぞろと入ってくる。心配した、恐かった、安心したと言葉が雨あられのように投げ掛けられる。我ながら良き仲間を得たと感心するが、この空白の時間について聞きたいことがある。手を2回打ち静かにさせて事情聴取に入る。話によると八重が倒れた後、誰かによってこの家に運ばれたらしい。呼び鈴を鳴らされ確認すると八重一人で玄関先で倒れていたそうだ。奇妙なことに八重の体や武装などに破損は無く、誰かに襲われた様に見えなかったそうだ。自分自身でも確認するが、確かに下半身がちゃんとあり、腹部も斬られた形跡がない。刀も重量、握り心地に変化無し。となれば目覚めなかったのは精神的負荷によるものだろう。報告を受けた八重は経験した全てを語った。にわかには信じられない荒唐無稽な物語だが、ほかならぬ八重の口がその信憑性を示していた。そしてそんな怪物がいるなら最近の怪談報告も納得ができる。
「昨日そんな地震あった?」
「無いから困ってるのよ…。」
「もしかしなくても、ヨトゥンスルト姉妹よりヤバくね?」
「きっと全員まとめて踏み潰されてペラペラのぺしゃんこよ。」
「かもしれぬな。みんな心配をかけた。妾は大事を取ってもう少し休む。調査は細心の注意を払うよう頼むぞ?」
八重の言葉に礼を返して、部屋は再び静かになる。耳を澄ますと今後の動きを相談しながら準備をしており、数分もすれば調査に出発した。自分には勿体ないほど優秀な仲間達だと再三認識する。このまま眠りたいところだが、やることがある。
「人は払った。顔を見せても構わぬ。」
視線の先には始めからいたかのように件の妖狐が佇んでいた。顔布は着けておらず、妖艶な笑みを浮かべている。
「まずは礼を言う。もしあのまま捨て置かれれば今こうして会えなかったかもしれぬ。そしてそのような恩人を疑うことを許してほしい。近頃の怪談騒ぎは汝の仕業か?」
問われた妖狐は変わらず笑みを浮かべる。貴女はどう思う?とでも言いたげな顔だ。答える気が無いのか、もしくは八重の意見を聞いてから話すのか。ともかく言葉を続ける。
「あれは汝の戯れであろう?ただ散歩をするように、ただ遊戯を楽しむように。」
八重の剣士としての感覚、そして勝負を無碍に扱わなかった事が判断の基準だ。戦いを楽しむ余裕を持ったあの剣戟は文字通り遊んでいたのだろう。エレクトリアが片っ端から勝負を仕掛けられたのも、より強い相手を求めてのことだったのかもしれない。怪我をした人間も同じとすれば説明はつく。戦えない相手は転移や一時的な神隠しで遊んでいたのだろう。まるで人形で遊ぶかのように。
「これが妾の考えじゃ。それでどうじゃ?九尾の妖狐殿?」
九尾の妖狐。伝承に伝わるのは強大な力を持つ大妖怪で、人の世を脅かす大災害。人に化ければ傾国の美女として描かれている。そんな存在が目の前に居るとは思いたくないが昨晩の光景は根拠に他ならない。その名を受けた狐の口元はゆっくりと釣り上がり、三日月の様になる。
「───っ♪」
瞳を細めて、吐息1つ。否定しないところをみるに、正真正銘の大妖怪がここにいるらしく、あまつさえ自分に興味を持っているらしい。熱い視線を向ける妖狐はこちらに近づくと、寝台横の椅子に腰掛ける。
「玉藻。我の名や。」
たまも。九尾の狐の別名、玉藻の前を縮めたものだろう。そうなると次の問題はなぜそんな大妖怪が大人しく佇んでいるのかだ。本当に気に入られたのなら厄介この上ない。興味を持たれたうえで機嫌を損ねては何が起こるか分からない。もしあの巨体で暴れれば一分保たずに街が消える。
「さっきの剣舞は見事やったわぁ。長い眠りから覚めてから弱く脆くつまらん相手ばーっかり。でもその剣は太古の剣豪、武人と遜色無いし、暇を潰すには丁度ええ。一尺足らずの人形いうのも愛でるに良し。まぁ口に入れて歯ごたえはあっても、味気無いんはつまらへんけど。紛れた下衆よりはマシやね。」
「味気…?何を…。」
「真っ二つも粉々も直す手間は変わへんから味見ついでに喰うて、腹の中で溶かしただけよ?ごちそうさん♪」
見えていない所で好き勝手されているが
もはや玉藻が何をしても納得せざるを得ない。この存在は人の尺度で測れるものではなく、そういうモノなのだと受け入れる。
「そんな小難しく考えへんでええよ。気に入った相手を贔屓にしとるだけやさかい。せや、友好の印として刀の一本くらいあげよか?飾るも使うも好きにし。」
玉藻の手に光が集まって刀が現れる。八重の持つ刀と同じ丈で、白を基調として金細工が施されている。白銀の刀身は鏡のように煌めく。一見美術品の様に絢爛だが、神器や妖刀といった類だと八重は直感した。
「我の腹に溶け落ちるまで、退屈させんといてな?いや、退屈せん限りは何度でも喰うて溶かして、なんべんも直したる♪ ほな、またねぇ。」
笑い声を響かせながら霞のように消えていった玉藻。どうやら大妖怪の贄となる未来が決定したらしい。
時と場所を移してショッピングモール併設のアリーナにて、対戦後に談笑をしている八重と華麟の姿があった。
「最近ぱたっと怪異騒ぎ聞かなくなったと思ったらそんな面白い事あったのねー。」
「笑い事ではないぞ。よもや大妖怪に目をつけられ、玩具として贔屓にされるとは…。而してその結末は腹の中…。」
「まぁまぁ、守護神だか守護妖怪が付いたと思えば良いんじゃない?こっちも龍神のお気に入りになったし。」
「なに?少し会わぬ間にお互い妙な縁を持ったものだ…。そちらの龍に何とかしてもらえぬだろうか?」
「んーー。話すのは良いけど、顔見知りの友達だったってオチだと思うけど?」
「流石華麟ちゃん。察しが良いわね〜。」
「ゑ…?」
振り返ると件の龍神の一柱・伊吹とその隣にはまさかの玉藻の姿。小さな2人は顎のネジが外れた様に口を開き、エラーを吐いている。特に考えなしで口にした妄言がそのまま現実になると処理能力を超えていくらしい。
「え?こんなナチュラルに人里に降りてくるもんなの?」
「その言い方は熊や鹿と変わらぬぞ?」
「ほなら今度山のヌシやっとる子でも呼んでこよか?」
「勘弁してください、人脈ならぬ神脈フル活用とかめっちゃ怖い…。」
「確認じゃが、みな揃って人間を食い物にするなんてことはあるまいな?」
「( ╹▽╹ )」
「( ╹ω╹ )」
「……安心して八重。せめて2人一緒に食べてもらいましょ。それに天使様が慈悲深くて、私達を守護ってくれるかも。」
「うむ……むぅ……。」
「せやね。みーんな仲良く腹の中に入れたるさかい、安心しとき。」
「今度何人か揃いそうな時に呼ぶから楽しみにしててね〜♪」