“怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ   作:ladybug

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その言葉を聞いたとき
知らず、足は動き出していた



序章 “怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ
Run boy Run


 

 今も夢に見る。

 幾重にも重なる銃声。振動に揺れる箱。

 暗闇。

 箱の蓋に空いた僅かな隙間。

 眼前にあるその穴から見えるもの。

 

 見たくない。

 見たくないのに、身体が動かない。

 

 滴り落ちる鮮血が頬を濡らす。

 その赤が、滂沱となって溢れる己の涙と混じり、恩人のコートを汚していく。

 

 聞こえるのは、消えゆく恩人の鼓動。

 落ちる、凪いだ囁き。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 剣戟と銃声の応酬を潜り抜ければ、目と鼻の先であがる爆炎。

 吹き飛ぶ海賊達を頭上に眺める暇もなく、大地の割れ目へと海兵達が吸い込まれて消える。

 どこを見ても目につくのは折り重なる屍の山。

 地獄と化したマリンフォード。

 

 その只中を駆け抜けるのは“超新星”が一人、“怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴだ。

 

 

 まずい。

 まずいまずいまずい!

 

 

 心の中で喚きながら、ドフラミンゴは糸を振るった。

 立ちはだかる海兵を薙ぎ倒しては絡め取り、足を馬車馬のように動かし、時に糸を駆使した跳躍を挟み込んで全力疾走する。

 深紅のスーツは見る影もなく土煙に汚れ、サングラスは斜めに歪み、タイなどあらぬ方向を向いて風に靡いていた。

 もはやなりふり構わぬ様相で彼は走り続ける。

 

 追手は数多、逃げど走れど敵ばかり。

 元よりドフラミンゴは海賊だ。ついでにいえば三メートルを超える体躯で、深紅のスーツに洒落たサングラスと出立ちも派手。さらには海軍にとって頭痛の種の“超新星”ときている。まったく恰好の的だろう。

 

 ただし、今、この場に限ってはそれも些事。この頂上戦争において、海軍がドフラミンゴを追う理由は、もっと重大かつ根源的なものであった。

 

 地割れ、氷結、マグマ、砂塵。轟々と吹き荒れる天変地異のごとき大嵐の、その中心。

 先刻処刑された“火拳”のエースの義弟。海軍に狙われ、白ひげ海賊団の面々がまさに文字通り自らを壁として守り抜こうとしている一つの命。致命的な心身の損傷により、心も命ももはや吹けば飛ぶような有様の男。

 麦わらのルフィ。

 

 ドフラミンゴはそのルフィを担いで逃げ回り、彼の命運を繋ぐ一助となってしまっているのだ。

 死に体のルフィを肩に担ぎ直し、ドフラミンゴは天を仰いで絶叫した。

 

「くそ! 何をやってるんだ、おれは!」

 

 今、この場所は世界の爆心地に他ならない。

 白ひげ海賊団。インペルダウンから逃れ出た脱獄囚達に、新旧王下七武海。大将格から英雄共まで雁首揃えた海軍と、脱獄囚の参入により格が跳ね上がる黒ひげ海賊団。

 多種多様な勢力が激突し、互いの行手を阻んではまた激突する。

 

 死ぬ。

 こんな中にいたら、いくらなんでも死ぬ。

 

 鉄火場ならば幾度も経験してきた。奪取とて慣れたものだ。

 海賊として旗揚げしてはや八年、紆余曲折を経てついた懸賞金は2億ベリー。伊達に“超新星”(スーパールーキー)などと呼ばれているわけではない。

 そんなドフラミンゴにしてみても、ここは次元が違う。

 

 だが、一度手を出した戦いを途中で投げ出すわけにはいかない。

 そうと決めたら必ずやり遂げる、それが恩人から譲り受けた生き様だ。

 

 

 麦わらのルフィ。

 その命を繋ぐため、ドフラミンゴは走る。

 

 

 しかし、そうはいっても、周りはほぼ海兵に埋め尽くされた敵地だ。雑魚を相手などしようものなら迫る将校格から一撃死も必至の攻撃が飛んでくる。並走する元七武海、海侠のジンベエですら既にボロボロの有様だった。

 

 ボコボコと地が沸き立つ音がする。

 近い。

 

「させるか!」

 

 ジンベエに糸を掛けて引き寄せた後、前方の海兵数十人を軸にし跳躍。まとめて引き倒された海兵らを眼下に足元から噴出したマグマを回避する。

 合わせたジンベエが後ろ手に海流を噴射しマグマを相殺。ドフラミンゴもまた水圧を利用し、高度を保ちながら滑空した。

 立ち上る煙に糸をかけて急速転回し、追撃を弾きながら着陸。衝撃が全身を襲うがともかく走る。

 

「おい、ジンベエ! 死んでねェだろうな!」

 

 口やら鰓やら全身やら、もはやどこから出ているのか分からない血のあぶくを吐き出しつつ、ジンベエが頷いた。

 

「すまん。世話をかけた」

「悪いと思うなら痩せろ! 今すぐにだ!」

「……随分と削れたように思うがのォ」

「真面目な奴のジョークってのはまったく笑えやしねェ! いいから走れ!」

 

 腕が千切れそうだ。

 多少の分散は出来ても倍力とまではいかない。そんな余裕がない。

 額に青筋を浮かべ、口の端を無理矢理に上げながら怒鳴り、ドフラミンゴは己を叱咤する。

 

 苦労して運んでいる麦わらのルフィはといえば、ほぼ反応がなかった。

 とりあえず振動が身体に響かないように糸で固定はしたが、決して十分ではないだろう。

 

 ここを逃げ切ったとて、その後は?

 冷静な思考が水を差す。それでも、ドフラミンゴは走り続けた。

 

 混乱の中、思い返すのはこの状況へ至った経緯だ。

 

 

『愛してくれてありがとう』

 

 

 死に瀕した“火拳”のエースが遺した言葉。

 その言葉を聞いた時、胸に去来した感情を何と呼ぼう。

 

 それはかつて自身が言いたかった言葉。

 そして言えなかった言葉。

 眼前に繰り広げられる光景と過去の記憶が、ドフラミンゴの中で繋がっていく。

 

 幼い頃、目の前で失われた命。民衆から石を投げうたれ、死んだ弟。子だけは助けれてくれと叫ぶ父親の声。

 ふいに抱き締められた夜のぬくもり。

 兄と弟。恩人と子供。命をかけてでも守るべきもの。

 子のため、奮起する大海賊の背中。

 荒れ狂う迫害の嵐にあってなお、家族のために笑顔で逝った火拳の声。

 

「エース! エース!!」

 

 全てをかき消すように喝采と怒号が轟き、消えぬ嘆きが空を揺らしていた。

 

「あ、ああああ!!」

 

 ルフィが叫ぶ。

 かつての自分には許されなかった慟哭を耳にし、ドンキホーテ・ドフラミンゴは────

 

 

 気付けば、赤犬の前に躍り出ていた。

 

 

 蜘蛛の巣状に張り巡らせた糸をルフィとジンベエに投擲し、無我夢中で引き寄せる。急襲し赤犬と激突する不死鳥を背に、ドフラミンゴは走り出した。

 何をしているのか自分でも理解できない。

 

「くそ! どうする? どうすりゃいい!?」

 

 ドフラミンゴは怒鳴りながら糸を伸ばした。

 元々無策に飛び込んだのだ。

 ただ闇雲に逃げ回り、吐きそうでも走り続けるしかない。

 何度も追い詰められ、その度に削れていく。

 ルフィを抱えていたジンベエがマグマに貫かれ、もうダメだと思いながら絶命寸前の二人を引き寄せたその時だった。

 

 突如、砂嵐が吹き荒れ、上空高くへ放り出される。

 

「クロコダイル!?」

「若造が、今更狼狽えるな! 首を突っ込んだなら最後まで足掻いてみせろ!」

 

 赤犬とクロコダイルの姿が砂嵐の向こうに消えた。

 慌てて雲を伝って跳躍すれば、白ひげ海賊団の海賊達が命を賭して道を拓き、怒号をあげる。

 

「行け! エースの“命”はおれ達が繋ぐ!」

 

 そう、今はただ走るしかない。

 あとはもう、戦場を駆け巡り、船を目指すばかりだった。

 

 そういえば、と。

 ドフラミンゴは気付く。能力による数多の災害が荒れ狂う中、自分は未だ致命的な損傷を負っていない。

 さらには、時折何もしていないのに一般海兵が泡を吹いて倒れていく。類似するのはいつぞやの冥王から感じた威圧。

 なるほど、これが覇気の活用法か。

 

 たとえそうだとしても、道を拓き背を守る名だたる海賊達の苛烈な迎撃がなければ、どうなっていたか分からないが。

 

 本能が研ぎ澄まされ、己に飛んでくる敵意と害意を的確に拾い、処理していく。覇気の使い方も身体に馴染み始めた。

 一方で、疾走による酸欠はドフラミンゴの思考力を確実に奪い取っていき、故に記憶はさらに遡る。

 

 思い返すのは、つい一週間ほど前にみた青年の拳。

 天竜人を殴り倒したあの一撃。

 

 

 ────そうだ。そうだった。

 

 

 そもそも、シャボンディで麦わらのルフィを見た時から予感はあった。

 人間屋(ヒューマンショップ)で繰り広げられる人を人とも思わぬ商売。謂れなき非難と肯定される差別。銃声。悲鳴と笑声。

 ドフラミンゴが臍を噛みながら機を狙うその眼前、ぶちかまされたルフィの拳。

 

 なんとも痛快だと思ったのだ。

 

 あまりに小気味が良かったので、どこぞのパンク小僧に煽られても気分良く許してしまったほどである。

 ついでに海軍相手に暴れた上、うっかり手が滑って商売人が保管する鍵束に糸を引っ掛け、ついうっかりそれを解析して鍵を改造し、軛を逃れた奴隷の元船長(ジャンバール)をこれまたうっかり勧誘してしまった。

 おかげで予定外の潜伏を余儀なくされたが、収穫が大きいので良しとしている。

 

 何にせよ、麦わらのルフィに対して初対面から思うところはあったのだ。

 

 だからだろうか。

 潜伏中、彼が義兄を救うためにマリンフォードへ乗り込んだと聞き、何となく成り行きを見守ってしまった。

 

 そうだ。今日のドフラミンゴはそもそも夢見が悪かった。

 寝惚けて頭が痛むものだから、ついうっかり、またあの拳を見てやるのもいいか、などと思ってしまったのだ。

 

 

「キャプテーン!」

 

 

 海境より声がする。耳慣れたクルーの声だ。

 しかし、まだ遠い。糸で雲を掴むにも、ジンベエやルフィと共に船まで到達するには難がある。無策に飛び続ければ撃ち落とされるが関の山だ。

 何かないかと辺りを見回したその時、場違いな浮遊物が上空を過ぎった。

 

 ハデにきめた道化。バギーだ。

 

 ピエロメイクには無条件で好感を抱くドフラミンゴをしても、派手な見た目で戦場を飛ぶ攻めた姿勢には驚嘆しかないが、今重要なのはそこではない。

 

 

 空に浮び、逃げる道化。

 つまりは自動で進み、回避機能までついた最高の風船が飛んでいるのだ。

 

 

「そこのピエロ、避けるなよ!」

 

 バギーへ向け、遠心力を加えてジンベエとルフィを投擲。音を立てて腕が軋むも、それを堪えてさらに糸を伸ばす。

 

「ジンベエに麦わら、と誰だお前はよォ! 何だこりゃ糸ォ⁉︎」

 

 目を剥きながらも反応したバギーへ追いつき、ドフラミンゴは喚き散らした。

 

「話は後だ! あの船に向かえ!」

「だからハデメガネのお前は誰だってギャーッ! マグマァ⁉︎」

 

 バギーが絶叫し、赤犬の拳を避ける。本来、宙空で機動力を保つことは容易ではない。ドフラミンゴの糸とて然り、素晴らしい技量といえよう。

 

「フッフッフ! すげェな、さすが道化だ! 曲芸はお手のもんか」

「だからァ! 無駄にゴキゲンなてめェは誰だってんだよ小僧、何度も言わせんな! ジンベエ、てめェもなんてザマだ! くたばる前にこいつが何か教えやがれ!」

「……すまん、“赤鼻”のォ……助かった。彼は、彼は……うん? 誰じゃったか」

「てめェも知らねェのかよ……って、だれが赤っ鼻じゃクラァ!」

 

 息も絶え絶えの様相のジンベエと騒ぎ立てるバギーが何事かを話しているが、船はまだ遠い。

 

 そうこうしている内に大砲が撃ち鳴らされ、何発もの砲丸が一向を襲った。

 地上では海軍が二手に分かれ、黒ひげ海賊団、白ひげ海賊団と激しい戦闘を繰り広げている。

 海上とてそれは変わらない。襲いくる軍艦の砲撃。黒ひげの能力の余波で海が揺れる。さらには遥か上空から光線まで降り注いでくるではないか。

 海軍大将“黄猿”の攻撃だ。

 

 いくら快適航空バギー便でも光の速さには敵うまい。このままでは全員まとめて蒸発してしまう。

 焦ったドフラミンゴはバギーの背を叩き、眼下の船を指差した。

 

「もういい、降ろせ! ここからなら船に届く!」

「よしっ!」

 

 判断と逃げ足の早いバギーが三人を放り投げる。ベポの指示を受けたジャンバールがジンベエとルフィを受け止めるのを見届け、ドフラミンゴはメインマストに糸をかけて急降下した。

 

「キャプテン、どうするの? これ、うちの医療設備じゃ厳しいよ!」

「そんなこたァ分かってる! だが、今はとりあえず逃げるしかねェ!」

 

 船室へと走るベポとジャンバールの背後、纏う光量を増した黄猿が迫る。

 

 

 刹那、一海兵による全霊の制止が轟いた。

 

 

 叫ぶ内容までは聞こえない。

 しかし、その一声が呼水となり、最大の抑止力が割り込む隙を生む。

 

「何だ!?」

 

 ドフラミンゴが叫んだ直後、海そのものを薙ぐような波動が走った。

 遅れて、神速の一撃が戦場に叩きつけられる。

 

 激突。

 

 その余波は海上のドフラミンゴにも届いた。

 一歩よろめいて唖然とする彼の視線の先、黄猿と睨み合う船が掲げるは、この海にあれば知らぬ者などいない旗印。

 

 左眼に三本傷のジョリーロジャー。

 

「赤髪……」

 

 思わず呟くドフラミンゴを乗せ、船が緊急出航した。

 しかし、海軍とてただ見送ってくれるはずもない。

 

 迫る海軍大将格の二名。

 氷結、さらに数多の光線が船を襲う。

 

 間に合わない。

 ドフラミンゴは咄嗟に糸を張り巡らせ、空を見上げた。

 

 

 混乱の最中、誰が投げたか、宙を舞う麦わら帽子。

 

 

「───“シャンブルズ”」

 

 

 凪いだ囁きが耳を打つ。

 

 

 突如、斬り崩されたマリンフォードの大城壁が上空に現れる。

 城壁は一瞬で瓦礫と化し、凍結した海面を砕いた。異物を飲み込んだ海の生む高波が、“黄猿”の光線を遮って歪ませる。

 水蒸気によって視界を奪われた者達が唖然とする中、海の猛威が大瀑布となって戦場へ降り注いだ。

 

 

 混乱の最中、麦わらのルフィが担ぎ込まれたはずの海賊船もまた、波に飲まれてその姿を消している。

 

 風に揺られ、金糸のストラが舞い落ちた。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 場所は変わり、とある軍艦。

 軍艦に並走する形で突如出現した海賊船を、二人の王下七武海が見下ろしていた。

 そのうちの一人、海賊女帝ボア・ハンコックは麗しの顔を歪め、同乗の男を睨みつける。

 

 彼は幾重にも重ねた黒衣を身に纏い、静かに船上で佇んでいた。

 敬虔な宗教家のごとく常に羽織っていた金のストラは、今、その肩から姿を消している。彼が自ら海上へと放り投げたのだ。

 

 ストラと入れ替わり現れた小さな海賊船。

 それこそが、ハンコックの求める船だった。

 

「貴様、何を企んでおる」

 

 海賊女帝の問いに黒衣の男が薄く嗤う。

 

「さあな」

 

 眼下、二人の眼に映るのは突然の座標移動に慌てふためく船員達。

 しかし、ただ一人、見下ろす視線に気付く者がいた。

 

 ボロボロのスーツにフレームの歪んだサングラス。色濃いガラス越しですら窺えるほどの強い眼光。

 己を睨みつける若き海賊を眺め、黒衣の男はぽつりと呟いた。

 

「誰だ、あいつ」

 

 




 
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