ONE PIECE novel.DD “怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ   作:ladybug

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 夢から醒めたドフラミンゴは遠い過去を思い出す。


 甘い匂い
 微かな歌声
 遠い残響
 目覚めた後は、雪だけ残して



When the golden age is over

 

 

 眠れぬ夜は火を思い出す。

 名を呼ぶ途切れた声。迫り来る手。弟の死体を置き去りに逃げた夜。

 

 

 少年は起き上がった。

 よくちょっかいをかけてくる少女が隣で寝返りを打つ。起こすと面倒だと思いながらも、そのまま静かに過ごすことができず、少年はそろりと抜け出した。

 

 寝ずの番をする者の所に行こうかとも思ったが、今日は特に気に入らない女が担当だった。陰気な嫌われ者だ。そばにいても良いことがない。彼女と鉢合わせないように進路を変える。

 

 当て所なく歩いていると、まだ起きている者を見つけた。扉の下の隙間から明かりが漏れている。ボスの自室だ。

 耳を澄ますが何の音も聞こえない。さらに様子を窺おうと部屋へ近付くと、突然扉が開いた。

 出てきたのは当然ボス。ラフな白シャツに身を包んだ彼は無言で腕を伸ばした。

 驚き、反射的に飛び退こうとするドフラミンゴの襟首を掴み、部屋の主は呟く。

 

「何してんだ」

「こっちの台詞だえ! 掴むな!」

 

 彼は暴れるドフラミンゴを抱え上げ部屋へと戻る。他の構成員と比べ細い腕は意外にも力強く、まったく歯が立たなかった。

 

「うろつかれると気が散る。ここにいろ」

 

 有無を言わせずソファに座らされる。叱られると思いきや、彼は卓の上に資料を広げた。その眼は真剣さを帯び、もはやドフラミンゴの存在など気にしてすらいない。

 どうにも気に入らなくて声を上げる。

 

「それ、何の計画だえ?」

「計画? これはカルテだ」

「悪の組織のボスのくせに」

「ボスだからだ。配下が優秀でな。おれは遊んでいられる。羨ましいか」

「嘘つくな。目の下真っ黒だえ」

 

 指摘を無視した男はどこからかカップを二脚取り出した。部屋の隅でアルコールランプに火をつけ、小鍋を設置する。

 

 炎。

 

 色は違えど紛れもないそのゆらめき。逃れるよう、咄嗟に俯き目を背けた。しかし、そうするまでもなく男の背で火は見えなくなり、安堵のため息をつく。

 

 しばらくすると甘い香りが漂いはじめる。蜂蜜とミルク。二脚のカップに注がれたそれを卓に置き、男は肘をついた。

 

「気休めだが飲め。夜は寝た方が良い」

「余計なお世話だえ」

「大きくなれねェぞ」

「……眠れないから出てきたんだえ」

「分かってる」

 

 そう言って男は自らもカップを傾ける。仕方なく真似をすると甘く温かな香りが鼻を擽った。

 

「飲み終わったら横になれ。ここのベッドでいい。眠れなくても構わない。目だけ閉じてろ」

 

 そう言った男は再び資料に目を通し始める。頁を捲る規則的な音が続いた。

 ミルクを飲み干した後、反抗する気も起きずベッドへと身を横たえる。眠気は来ない。目を閉じると嫌な光景がちらつくのだが、堪えるように瞼を下ろした。

 頁を捲る音が微かにリズムを崩す。衣擦れの音と共に近付く気配はベッド脇のスツールで止まり、聞こえるのは再び頁を捲る軽い響き。

 

 どれくらいそうしていたかわからない。

 

 瞼を重く感じ、音が遠くなった頃。

 扉が微かに開いた。

 

 誰が入ってきたのかは分からない。頁を捲る手が止まり、部屋に入ってきた者が覗き込む気配を感じる。

 

「ここにいたのね。良かった」

「静かに」

「ごめんなさい。でも、安心したわ」

 

 優しい声だ。

 その声はやがて柔らかなメロディを紡ぎ始める。子守唄だろうか。聞き慣れない響きだった。

 

「懐かしいな」

「ふふふ。お兄様も歌ってあげれば?」

 

 躊躇うような間とため息。そして、低く穏やかな声が同じ旋律を繰り返す。それを追うように柔らかな音が連なり、二つの声が重なった。

 途切れそうな、ごくごく小さな、遠い星の瞬きのような唄。火を隠す薄墨色の帷。

 

 その響きはもう、思い出せなかった。

 

 

 

 

 

「何がどうなったらこうなるんだよ……」

 

 壊れた玉座。そこに眠る、というよりは拘束されている黒衣の男を見下ろし、ドフラミンゴは困惑を露わにした。

 呼びかけても反応はない。肩を掴んでも抵抗はなく揺さぶられるまま。

 ただ、その身体が熱を持ち、冷たい汗に濡れていることがわかった。

 

「トラ男、寝てんのか?」

「この状況で寝るような男じゃねェ」

 

 後ろから覗き込んだルフィへ食い気味に答える。

 王宮に駆けて来た麦わらと合流し、いざと思えばこの状況である。意味がわからない。

 だが、分からないなりにこのままではいけないと感じ、トラファルガーの頬を張った。

 

 返ってくるのは鈍い反応。薄く開いた瞼から金の瞳が覗くが再び隠れてしまう。そこに意思の光はない。

 能力の負荷と、拘束に使われた海楼石の影響だろう。弛緩した身体にはまるで力が入っておらず、今なら子どもでも殺せそうな有様だった。

 

 青ざめた唇が微かに開く。

 しかし、零れる声はひどく掠れていて言葉の形をなしていなかった。

 

 背後から身を乗り出し耳を寄せるルフィと、彼に押され近付くドフラミンゴ。

 聞こえたのはたった三文字の言葉。

 

 

 さむい。

 

 

 途切れ途切れ何度も繰り返されるそれは、聞き違いかと疑うほどに状況と環境にそぐわない。何せ季節は夏。大一番でなければ開襟シャツに丈を詰めたボトムスで挑みたいくらいの熱気である。

 

 

 だが、ドフラミンゴは知っていた。

 

 身を灼く寒さ。

 宝箱の中、恩人のコート。

 

 雪の。

 

 

 一瞬、トラファルガーの心情に土足で入り込んでいるような気まずさを感じ、かぶりを振って思考を切り替える。

 高熱のせいで感覚が狂っているに違いない。そう己に言い聞かせ、何となく、肩からずり落ちていた黒の外套を引き上げてやろうとした。

 しかし、それよりも早くルフィが動く。

 

「借りるぞ」

 

 言うが早いか彼はドフラミンゴのファーコートを引き剥がし、迷いなくトラファルガーへと掛けた。

 視界一杯に広がる薄紅に唖然とする。

 

「てめェ、いきなり何すんだ!」

「え? 寒いって言ってっから」

「だからっておれのコートをかけるな! せめて自分の服を使え!」

「見ろ、おれの服は一枚しかねェ。お前は着込んでるんだしいいだろ」

「馬鹿言え、このスタイルはコートありきで完成なんだよ!」

 

 言い合う二人だったが、未だ震える黒衣の男を前に顔を見合わせる。

 

「ミンゴ、お前、どうすんだ?」

「は?」

「おれはトラ男に礼を言いに来たって言ったろ。寝てたら言えねェ。お前は?」

 

 ドフラミンゴは返答に迷い、おもむろに視線を巡らせた。

 開いた窓から聞こえる喧騒。背中の痛み。『寒い』という言葉。海楼石。何もかもが理解不能な状況。 

 

 魘されている黒衣の男。

 恩人の願い。

 

「おれは……おれも、こいつに一言言ってやりたいことがある」

「よし。じゃあ、決まりだな。行くぞ!」

「いや何も決まってねェよ。何で分かり合ってるみたいに言うんだ」

 

 思わず素で突っ込んでしまった。

 そもそも、ルフィにしてもトラファルガーにしても、何を考えているのか全く分からない。他の人間はある程度予測がつくのだが、この二人は完全に埒外だ。もはや、何も考えていないと言われる方がまだ納得できるほど。

 額に青筋を浮かべるドフラミンゴを見返し、ルフィは海楼石の枷を指差す。

 

「まずはこれ外そう。誰かが鍵持ってんだろ。誰だ? あのベトベトした奴か?」

「トレーボルのことか。あいつが主犯だろうが、鍵は持ってねェだろうな」

「何でだよ。お前が空から降りて来た時、あいつ、トラ男と喧嘩してたぞ」

「……あいつは、自分で切り札を持ち歩くようなタマじゃねェ。一本はその辺に隠して、もう一本を誰かに任せるような奴だ」

 

 トレーボル。恩人を死に追いやった男。

 怒りと暴力的な衝動が背筋を駆け抜け、視界が赤く染まっていく。

 ドフラミンゴは全力で歯を食いしばり、胸のコインを握りしめ感情をやり過ごした。再び呑まれぬよう素早く思考を巡らせる。

 

 トレーボルがこの拘束を行ったとすればその意図は幾分読みやすい。トラファルガーが能力を使えない間にこの国を堕とすつもりだろう。より的確に行動するならば市民でなく王族を狙う。手取り早く、確実だからだ。

 しかし、トレーボルは麦わら達と会っているため既に警戒されているはず。ならば、自身ではなく配下や雇われた者を使って事を為そうとする。その間、奴自身は潜伏しているだけでいい。仲間からも狙われているはずのトレーボルが隠れるとすればこの王宮だ。

 

「トレーボルは王宮にいる。鍵は別の場所にあって、あいつはトラファルガーにこれ以上の危害を加える気はねェ。今一番危険なのはこの国の王族だ」

 

 端的に告げたドフラミンゴは窓の外の喧騒へと意識を向ける。この騒ぎだ。戦力が港やこの高台に集中している今、王族に近付く伝令兵や逃げ惑う市民を使えば弑逆は容易かもしれない。

 トラファルガーに心酔している兵や市民は山といるだろう。彼らを唆すことなどトレーボルにとっては容易いことだ。組織にいた頃、その様子を何度も見たのだから間違いない。

 

「とりあえず安全ならトラ男は置いて戻った方がいいのか」

「おれはトラファルガーの仲間に連絡を取ってみる。あいつは信用できるからな」

「あっ電伝虫! ちょっと貸してくれ」

「仲間に繋ぐのか?」

「いや、あいつらなら自分がやることは分かってる。問題ねェ。今はレベッカに連絡とりてェんだ。近くにいるかもしれねェ」

「レベッカ? 誰だそりゃ」

「王のおっさんの孫だって言ってたな。闘技場で会った。腹減って困ってたら弁当くれてよ、元気で良い奴なんだ」

「……何がどうなったらそうなるんだよ」

 

 王の孫に連絡を取る、目標『海賊王』の青年。時折会話に横入りし注釈をいれて状況を整理しながら、ドフラミンゴは眉間の皺を揉みほぐした。

 

 理解し難い。海賊に襲われ、海賊に裏切られた国の王族が、海賊を信用している。

 

 悪意よりもなお読みづらい善心が飛び交う会話から思考を引き剥がしているとルフィの通話が終わった。

 

「よし。おれは王のおっさんのところに行く。ちょうどレベッカもそっち向かってるみたいだしな」

「後ろで喚いてる奴がいなかったか?」

「トラ男の仲間だ。あいつを助けたいんだってよ。連絡取ろうとしてるやつか?」

「おれが言ってんのは最初に連絡取った女だ。あんなクソガキじゃねェ」

 

 眠るトラファルガーを一瞥し、ドフラミンゴは踵を返した。その足は次第に早く、強く床を蹴り、どんどんと速度を上げていく。

 

 ルフィと走り出しながらベビー5へと電伝虫を繋ぐ。コールが重なるだけで出る気配はない。

 彼女がトラファルガーを裏切るとは思えないが、何かあったのだろうか。

 

 

 考えるべきことは多いが、立ち止まっていて何かが変わることはない。背中の痛みを堪えつつ、ドンキホーテ・ドフラミンゴは走り続けた。

 

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