ONE PIECE novel.DD “怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ   作:ladybug

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 主に切り捨てられ、ファミリーは内側から崩れ始める。


 あなたの声が聞こえない



導きは消え

 

 

 ワンピースの内に隠した電伝虫が鳴く。

 ベビー5はその音を無視した。

 千々に乱れ元に戻らない感情のままに技を振るう。戦闘に集中できれば幾分ましだろうに、随分前から彼女の意識はここではない何処かを彷徨い続けていた。

 

 思い出すのは震える声と冷たい指。

 

 ベビー5にとって、人生の命題といえるものが一つある。

 それは他者の役に立つ事。

 より核心に近い表現をすれば、必要とされるよう生きる事。

 

 少女は大人達から褒められる度に嬉しく思う反面、不安にかられた。

 褒められたいわけではない。しかし、そう言い切ってしまえば今度は嫌われるような気もして、否定できないのだ。

 不安は焦燥を呼び、少女の行動は徐々に過激なものへと変化し、さらに範囲を拡大していく。

 見目麗しい少女が度を越した献身を見せるのだ。悪意を以て接する者も現れる。

 彼女とて馬鹿ではなく、どこかでは間違いに気付いていた。しかし、信じる事をやめられず、騙されては捨てられ捨てられては騙されの日々。

 勿論、ファミリーの皆が助けてくれた時もあった。ただ、彼らは破壊の申し子を長に戴く組織であり、自然と周りも巻き込んでの被害拡大が問題となる。

 

 それでも、ベビー5は生き方を変えることができなかった。それは病というよりは生存本能。少女は誰かの願いに依存する他、生き方を知らない。

 相手を甚振るのにも飽きたディアマンテが組織長を呼び出すのに、そう時間はかからなかった。

 

 

 ある日の午後、ベビー5はソファに座らされ俯いていた。主は顔面蒼白となった少女を見つめ、卓を挟んで斜め前に掛ける。

 

「何故、自分の身を削ってまで他の誰かに尽くそうとする」

 

 詰問というには淡々と、ただ確認するように主は問う。しかし、ベビー5は何も考えられず、答えるのもままならないほど震えていた。主の手を煩わせる恐怖と不安。何とか顔だけ上げるが声が出ない。

 そんなベビー5と対峙し、当の主は何を考えているのか分からない無表情のまま小さく呟く。

 

「根深いな」

 

 ああ、もう駄目だ。

 役に立たないどころか邪魔をした。

 

 絶望に涙ぐむベビー5を見つめ、男は訊ねた。

 

「例えば、お前はおれに尽くしてくれるが、おれに何を望んでいる」

「若様に何かしてほしいわけじゃないんです。ただ、お役に立ちたくて。若様の、ううん、誰かの役に立ちたいのかも」

「何故、他人の役に立ちたい?」

「何故って、それは……あれ? 違うの、私、役に立ちたいわけじゃなくて……」

「役に立ちたいわけじゃない。それで?」

「役に立たないと、だめなんです」

「お前はそう思うんだな」

 

 彼は何を否定するわけでもなく、ゆっくりとベビー5の言葉を繰り返し確認する。頷いた彼女から視線を外し、主は再び質問を始めた。

 

「他の皆もそうか? バッファローやおれでもいい。他の誰かも、他人の役に立たねェと駄目か」

「違う。そんなことないです」

「じゃあ、お前だけなんだな」

「……はい。もちろん」

 

 思案するように目を伏せた主は、僅かな沈黙の後、首を傾げた。

 

「ベビー5。それはお前の言葉か?」

「え」

「『役に立たないと駄目』ってのはお前の言葉かと聞いた。お前がそう考えるのか、それとも誰かに言われたのか」

 

 答えたくない。だが答えなければ、主に応えなければ。涙が溢れそうになり、唇を噛み締める。

 

「……ママが」

 

 主はベビー5が山に捨てられていたことを知っている。彼がベビー5を拾ったのだから当然だ。

 ベビー5は目を閉じる。ついに零れ落ちた涙が握る拳の上で弾けた。ワンピースに皺が寄るほどきつく握った指は白く、冷たくなっていく。

 

 知られてしまった。役立たずだから捨てられたことを知られてしまった。

 役立たずだと思われる。

 もう終わりだ。

 捨てられてしまう。

 

 そう思う一方どこかで諦めていて、そんな自分があまりに無力なものだから、捨てられて当たり前なのだと気付いてしまった。

 仕方のないことなのだ。

 役立たずは、いらないのだから。

 

 しかし、主はさらに問いを重ねる。

 

「いつ」

「え?」

 

 顔を上げれば、主は普段と変わらぬ様子で答えを待っていた。

 

「ずっと言われていたのか。それとも一度か。いつその言葉を聞いた」

「……捨てられた時、その時だけ」

「別れた時だな。その時、お前の母様はどう仰った。覚えているか」

「ついてくるなって。役に立たないお前は必要のない人間なんだからって」

「お前はその時、どうしてた。立っていた? 座っていたのか?」

「立って、ママに手を伸ばそうとしてた」

「母様の背中にか?」

「ううん。ママは私の方を向いてた」

 

 問いは始終静かで、感情の波が殆ど感じられない。つられて辿々しく答えるベビー5に頷き、彼は自身の手を持ち上げる。

 

「手はどこにあった? 母様の手だ」

 

 言われて思い返す。もう顔も思い出せない母のこと。思い出すと苦しくなる、仕舞い込んでいた最後の思い出。

 

「手は、私の頬を触ってた」

「目は」

「ママは私を見てた」

 

 男は席を立ち、卓を押し退けた。そしてベビー5の前でしゃがみ込み、視線を合わせる。そして、僅かに躊躇いながらその頬を撫でた。

 

「こんな風にか」

「……うん」

「声は?」

「思い出せない」

「そうか」

 

 小さく頷いた男は、真っ直ぐにベビー5を見つめたまま、淡々と言葉を紡ぐ。

 

「これからおれが話すのはただの想像、恵まれて育った男の空想だ。聞き流してくれていい」

 

 彼はゆっくりと、物語を語るような声音で続けた。

 

「ベビー5。人間は所詮、肉の塊だ」

 

 語る言葉は物騒だ。しかし、事実でもある。例えば、飢えるあまり死体を喰らうなど別段珍しい話ではない。殺してまでとなると数は少ないが、それは単に殺人を犯す体力がないというだけの話。

 ベビー5は常々思っていた。

 

 捨てるくらいなら、食べてくれて良かったのに。

 

 ふわふわと揺れる思考を引き戻すように、主の指が頬を撫でた。

 

「捨てなければ飢え死に、或いはより酷い事が起こるとお前の母様は知っていた」

 

 まるで御伽話を紡ぐような、どこか無責任なほどに柔い声で、主は語り続ける。

 

「山には実りなど残っていない。だが、村より望みはあった。山の深く、村人の手の及ばぬ場所。そこがいい。お前の手をひき、母様は山へ向かう。その手は痛いほど握られていた。違うか?」

 

 主の言葉に導かれ、ベビー5は自分の手を見つめた。その手を主が握り込む。感じる痛み。

 

 確かに、そうだった。

 

 飢えで骨張り、力も入らなかったはずの母の手。それが、ベビー5の指が折れそうなほどに強く握られていたのを思い出す。

 

「出産は命懸けだ。母様が危険を犯してまで生み、苦しい中でぎりぎりまで手放さずに育てた子ども、それがお前だ。ずっとそばにいた。それが当たり前だった。だから、お前も母様のそばを離れない」

 

 主は手を離し、立ち上がった。

 握られていた手が離れ、ひどく動揺する。追い縋るように手を伸ばしても届かない。頭上の照明でその顔は陰になり、表情を窺えなかった。

 

「突き放さなければお前は村に戻ってきてしまう。必死に考えたお前の母様は嘘をつく事にした。ひどい嘘だ。きっとお前を傷付ける。だが、仕方がない。そうしなければ、お前は確実に死ぬ」

 

 再びしゃがみこんだ主がベビー5の頬を撫でる。冷たい指に揺さぶられ、記憶の蓋が僅かにずれた。

 そこにあったのは、少女が『ベビー5』になる前、最後に受け取ったおくりもの(いのり)。愛しさと悲しさが絡まったまま仕舞い込まれたたからもの(のろい)

 主の声と重なるように、忘れていたはずの細い声が蘇る。

 

『ついて来るんじゃないよ』

『役に立たないお前は必要のない人間なんだから』

 

 母の声は震えていた。

 目は真っ直ぐにベビー5を見つめ、冷たい手が頬を撫でる。その指もまた震えていた。

 

「ベビー5。お前が本当に役立たずで不必要な人間であれば、お前の母様はわざわざしゃがみ込んだりしなかっただろう。そして、それはお前のためだけではなかった」

 

 金の瞳が瞬く。

 

「母様はお前をその目に焼き付けたかったのかもしれない。最後に、触れたかったのかもしれない」

 

 冷たい指。躊躇いながら撫でるその仕草。母と良く似た優しい手。

 

「ごめんな。全部嘘だ」

 

 何が嘘かを主は語らなかった。

 ただ、涙を流すベビー5を軽く抱きしめ、その背を摩ってくれる。

 

 嘘を吐き、背を撫でる主にしがみつきながら、ベビー5は過去に差し伸べられた手を思い出していた。

 それはベビー5が望んでも決して与えられず取り戻せない光を持った、コラソンの手だった。

 

 

 自分の怪我を隠して主に茶を淹れるベビー5に対し、彼女は苦く微笑みしゃがみ込んで言ったのだ。

 

「そんなに急がなくてもお兄様は逃げないし、怒らないわ。お茶は置いて、怪我の手当を先にしましょう」

 

 コラソンの言葉はひどく優しく、真っ直ぐで、あまりに熱い。

 水平に合う瞳、それは陽光のようで。

 

「ね、ベビー5。自分を大事にしてもいいのよ。もし、方法が分からないなら一緒に考えるから」

 

 その眩しさに息苦しさを覚えた。

 まるで火傷だ。

 深海の魚は光と相容れず、冷たい海の底で人の手はひどく熱い。他者から注がれる心からの労りは痛みを生むだけだった。

 

 だから怖くて。怖くて、彼女を避けた。

 

 逃げるように主の下へ紅茶を届ければ、彼は無言でベビー5の手当をした。いつだって彼はベビー5の行いを咎めず、ただ小さな声で礼を言う。

 暗い部屋で瞬く冷たい光が好きだった。

 

 悪の道を歩む主と違い、コラソンは正しく優しい人間だった。それは紛れもない真実だ。

 彼女はベビー5の負傷にすぐ気付き、自身が避けられ拒まれていることを知りながらも、兄へ傷の手当を頼んでいた。

 ベビー5は彼女の優しさを知っていたし、それが形だけの正義だなどとは思えない。事実、彼女の正しさはドフラミンゴを救ったのだ。

 もし生きていれば、主をも救えたかもしれない。彼女と共にいる主の瞳は微かな光を宿していた。

 コラソンは悪い事に怒り、悲しい事に泣き、楽しい事に笑える。他人も自分も大事に出来る真っ当な人間だったのだ。

 

 彼女は正しかった。優しい人だった。

 しかし、ベビー5は知っている。

 

 

 正しさでは救われぬ者がいることを。

 

 

 結局のところ、ベビー5は母に捨てられた。母の行いはきっと悪いことなのだろう。だが、そのおかげでベビー5は今ここに生きている。

 主の述べる仮定とて本当に嘘なのだ。嘘はどう取り繕っても悪だ。母は口減しのためにベビー5を捨て、主はベビー5の奇行を止めるために嘘をついた。それは動かぬ事実だった。

 

 それでも、ベビー5は二人の声と冷たい指の温もりを胸に抱いて生きていける。

 

 母の最後の言葉も主の嘘も、彼女を生かすための悪行だと彼女は信じていた。

 

 ああ、だが。

 もし、彼に捨てられたら。

 その時、自分は。

 

 常にその不安は付き纏っていた。

 

 今、その時が来たのだ。

 

 主とは連絡がつかない。うすうす気付いてはいた。彼がもう目的の最終段階に入っていることに。そうなれば彼は必ずその優しさで以て弱者を切り捨てる。

 結局、役に立てなかった。

 

 ベビー5は捨てられたのだ。

 

 もう、手を引いてくれる者はいない。主がいなければ、優しかった嘘は本当にただの嘘になってしまう。

 

「何して欲しい? 何でも言って」

「何でもだ?」

「ええ、何でも。あなたの望むことなら何だってかまわないの」

「じゃあ、頼もうか。死んでくれ‼︎」

 

 相対する敵の言葉が彼女を揺らす。呵呵と笑いながら投げられたそれは、戦闘中の煽り文句だ。悪意など一欠片もなく、心など一筋も含まれていない。

 

 そうと分かっていながら彼女は微笑む。

 

 誰かが求めてくれるなら。

 それがたとえ、死だとしても。

 

「死ねば、あなたの役に立てるのね?」

 

 冷たい熱に置き去られ、彼女は自らのこめかみへ銃口を押し当てた。

 

 

 引鉄が絞られる。

 

 

 

 

 遠く響いたのは馴染みの銃声。能力で組み上げられた武器は他のどれとも違い、特徴的な音を放つ。無論、それとわかるのはごく一部の者だけなのだが。

 聞き慣れたはずの音に混じる迷い。それに気付き、男は不快げに眉を顰めた。

 今、彼は誰に命ざれるでもなく、主へ繋がる道を愚直に塞いでいる。

 

 

 彼が生まれた島国は世界政府下の加盟国。土地と密着した宗教国家だった。

 

 信ずるは魂の回帰。

 肉体の死は神によって予め定められた魂の救済。人の悪心を以て殺された者は神の計画を外れ、その魂は永劫の地獄を彷徨うと教えは説いた。

 殺人は勿論、身体を開く医療行為も悪鬼の所業とされ、中絶などもってのほか。遥か昔から、その土地の民は多産多死の歴史と共に歩んできた。

 

 

 ある時代、その土地で希少な鉱物が見つかった。

 彼らにとっては意味をなさない土塊も世界各国より見れば宝となる。外敵に狙われるのは明らか。しかし、抗う力がない。

 そう気付いたのはときの権力者。

 後の開祖だ。

 彼は私財全てを擲ち、加盟国入りを成し遂げた。世界政府の下に安寧は守られ、資源外交により繁栄が訪れる。

 

 恐らく、開祖は神の実存など信じていなかった。ただ、外敵の脅威に対抗するには人々をまとめ上げる必要がある。唯一絶対の戒律、つまり『正義』を提言する信仰は都合が良かったのだろう。

 賢しき一人の男が親しい者を守りたい一心で始めた信仰心の確立。

 それは彼の死後も子孫らの手によって受け継がれた。信心と善良さを育みながら国と信仰は続いてきたのだ。

 

 だが資源は枯渇し、また、天災は人心の善悪を解さない。

 

 戒律上中絶や口減しが許されないため若年層が増え続ける一方、彼らの成長を支えるはずの年長者が病で死んでいく。経済状況は悪化し技術や知識は受け継がれず、国力は失われた。

 果てに天上金が滞れば世界政府の守りは途絶え、非加盟国堕ちした彼らを待つのは略奪。

 初代国主が全霊を以て避けた悪夢が遂に現実となる。狙われるのはとうに枯れ果てた資源ではなく国民。人間そのものだった。

 しかし、年若き国主は略奪を許さない。

 彼が最後に示した政策は集団自決。略奪という悪意による死は罪となるが、正しき信仰による自死は罪とはならない。

 魂だけは守らねばならないのだ。

 

 奇しくも、役目を終えた採掘場には毒性の強いガスが溶け込んだ地下水が大量に残されていた。

 

 滅亡が決まる頃、生まれ育った孤児院で一人の少年が働いていた。

 彼はどこか捻くれた悪童ではあったが、その実、信仰を胸に抱き、魂を磨かんと奔走する善良な国民である。それ故に、国主の方針に疑問を抱くことなどなく、訪れる救いにどこか安堵を覚えていた。

 

 心は豊かでも暮らしは苦しかったのだ。

 

 孤児院にも自決用の毒水は配られる。こぞって毒を啜り、息絶えていく同胞。

 しかし、その日運悪く熱病に罹患した少年は夢現を彷徨い、それを口にすることができなかった。

 

 殺人は魂を穢す罪業。他者の手によって殺された者もまた然り。

 戒律を守りたい者、或いは少年の魂を守りたかった者。信仰と善意によって、少年は救済の時を逃してしまったのだ。

 病から回復した彼はすぐに同胞へ続こうとした。孤児院には毒が残っておらず、少年は折り重なる遺体の山を越え、救いを求めて街を彷徨う。

 

 死という救いに包まれた大地。そこには時折、死に損なった同胞が横たわっていた。そして、彼らの多くは少年に解放を求めて縋り付くのだ。

 

 くるしい。

 たすけて。

 ころして。

 

 教義を守れば同胞は苦しみ抜き呪詛を吐いて死ぬ。だが、教義を破ればその魂は永劫の苦痛に包まれる。

 

 見渡せば転がる、異臭を漂わせた同胞達の骸。苦痛のあまり土を抉り泥の詰まった爪。開いた口から溢れる青い舌。恨みがましく開いたまま濁る眼球。

 目を背けても救いを求める呻きが耳を打つ。耳を塞いでも叫びはやまない。

 恐怖に敗れ同じ年頃の少女を手にかけて、彼は気付いてしまった。

 

 

 こんなものが、救いであるはずがない。

 

 

 毒の苦しみは肉体より先に心を殺した。心と共に信仰は潰え同胞の魂は地獄を彷徨う。彼らの、否、少年の内においても神は死んだのだ。

 だから、この国には地獄しかない。そして死の先にあるのもまた地獄なのだ。苦しんでもどちらにせよ行き着く先は同じ。

 

 己がやらねば。

 そう思ったはずなのに、少年の身体は動かなくなってしまった。

 

 朝が来ても呻きは絶えず、死を懇願する同胞達の呪いの声ばかりが響く。

 薄曇りの陽光が差す道端。

 そこで蹲りただ震える少年の目の前を、白い影が過ぎった。

 

 

 影が腕を振るう。

 

 声が、途絶えた。

 

 

 顔を上げた少年が見たのは一本の刀を携えた男。

 彼の足元には夥しい数の臓腑と湖のような血溜まりがあった。半分に断ち切られ脈打つ臓腑は暫くして動きを止める。

 男はそれを無感動に見下ろしていた。

 白かったのであろう衣は見る影もなく、濡れそぼった髪から血の雫が垂れている。

 

 目が合った。

 

「望むなら殺してやる」

 

 男は静かに告げる。

 気付けば、少年は土に額を擦り付け懇願していた。

 

 どうか。

 どうか、同胞を救ってほしい。

 

 男は遠くを見つめ、ふらりと歩き出す。全ての声が聞こえるかのように、男の行く先々では同胞が悶え苦しんでいた。

 その声一つ一つを拾い上げ刀を振るう彼の背を少年は追いかける。

 救いを求める者が這いずり出で死を乞えば、彼は拒むことなく応えた。そして、表情すら変えることなく死を齎す。

 教えによればそれは悪鬼の所業であったが、地獄にて人を救うのは神ではなく悪鬼なのかもしれない。

 

 全ての声が絶える。訪れた静謐の中、男は噴水の縁に腰掛け、目を閉じた。

 

「少し休む。お前は好きにするといい」

「好きに……?」

「この街の主は水路に地下水を引き込んだ。この噴水なら凡そ手のひら一杯分で致死量に達する。やるなら一息に飲み下せ。ひどく甘いだろうが躊躇うな」

「…………」

「それでももし死にきれなかったら、おれを起こせばいい」

 

 ごく簡単な説明を残し、男は寝息を立て始めた。

 

 例えばここで、この男を毒の水に突き飛ばしたとして、彼は抵抗するだろうか。それとも、一緒に沈んでくれるだろうか。

 どこに行っても地獄なら、今ここで。

 

 

 ああ、だが。

 死すら救いにはならない。

 

 

 少年は男の横に立ち、噴水を覗き込む。水面に映る己の顔が涙と泥で汚れているのに気付き、袖を引き上げて拭った。拭っても拭っても溢れるものだから、ひたすらに顔を拭い続ける。

 しかし、その穢れは罪と同じく決して拭い去ることは出来ない。

 

 何故なら、彼は同胞の死と共に神を捨て、悪鬼と歩む生を選ぶのだから。

 

 

 時が立ち、夕凪の静寂が広場を包んでいた。

 泣き疲れて微睡む少年。

 死を模った指がその背を撫でる。

 

「すまねェな」

 

 血と罪を濯ぐには微かな、にわか雨のような声だ。しかし、その響きはひどく優しかった。

 

「おれが来なければ、お前は神様を信じていられたろうに」

 

 男は血濡れた手で少年の背を撫で続けていた。

 

 

 あの日、グラディウスは神を殺した。

 愚かにも時を逃し神の敷く道を外れた彼は、今度こそ間違わぬように揺れる鬼火を追い続ける。

 その光が見えなくなったとしても、主の示した計画は変わらず続くのだ。

 だからこそ、グラディウスは迷わない。

 

 土塊を弾けさせる。求められておらずとも、主の下へは誰も通さない。

 それが彼の忠誠だった。

 

 

 

 

 弾け飛ぶ大地を眼下に空を飛ぶ影。それは風を抱き、勢いを増しながら海を渡る。

 バッファローは戦場を捨て、空を駆けていた。

 眼下を逃げ惑う人々の姿に、懐かしい言葉が脳裏を過ぎる。

 

『お前は弱く、愚かだ』

 

 それは物心つくより前から言い聞かされ続けた呪い。語る家族の顔には諦念と怯えが刻みついていた。

 

 

 バッファローが生まれ育ったのは世界政府傘下の一国。建国の祖は一人の武人、そして彼の友であった賢者である。

 建国後、武人は人の上に立つことを拒み、賢者のみが政に携わった。念願の加盟国入りを果たし賞賛される友の姿を辺境の庵より眺め、己がことのように武人は喜んだ。賢者もまた、武人の献身に感謝し、生涯を国に捧げ生きたと言う。

 バッファローは建国の武人、その子孫にあたる。

 血族は代々体格に恵まれ、皆一様に膂力に優れていた。かつて英雄と呼ばれた武人、建国の護り手、その血のなせる業だ。

 しかし、その末裔であるバッファローの家族は痩せ細り、考えることすら許されず飼い殺されていた。

 

 長き時を経れば国は変わる。

 国主たる賢者の末裔は堕落し、国は独裁国家へと成り果てていた。

 

 権力に固執し閉ざされた思考の内、最も警戒するは国内の反乱。同じく建国の祖である武人の家系は、国主にとって不安要素以外の何物でもなかったのだ。

 歴史を書き換えられ『凡愚』と貶められた武人の子孫達は、寒村へと住処を追いやられ冷遇された。

 

 弱く、愚かであれ。

 

 後に考えればそれは呪いの言葉ではなく、祈りの言葉であったのだろう。両親も祖父母も、村に住まう誰も彼もが互いに囁き合っていた。自らの弱さと愚かさを確かめ、安寧を祈り続けることだけが彼らの救いだったのだ。

 

 だが、悲しいかなバッファローは英雄の血を濃く受け継いでしまった。

 幼い内から木を薙ぎ倒せる腕力があり、ともすれば栄養失調となりそうな食事でも筋肉がつく。満足に食事を与えられず、教育の機会も奪われ、それでもなお少年はすくすくと成長していく。

 彼を育んだのは先祖の血が成す天性の力だ。

 迫害を受ける血の力だ。

 祈り虚しく両親の目が悲哀に染まる頃、バッファローは国主の命ずるまま山へ捨てられた。

 

 口減し政策として国全土へ轟いた命令は、若き命を奪い反抗の意志を根絶やしにせんがための策だったのだろう。バッファローが訳もわからず山を彷徨っている内に、故郷の寒村は焼き討ちにあい滅んでいた。

 火を放ったのは国主ではない。口減し政策を受け反旗を翻した国民らが国主を討ち取ったのだ。

 解放と勝利の興奮冷めやらぬままの民衆は寒村を訪れ、『力ある者でありながら悪王を見逃した』武人の末裔を皆殺しにした。

 

 ろくに学びの場を与えられず思考を奪われていた少年は、村が滅ぼうと誰を憎むべきか何をすべきかすら分からず彷徨い続ける。

 身を隠すことなど思いつかなかったバッファローだったが、悪王の死に沸く町では然程目立たない。

 ふらふらと歩む少年がふと目を向けた路地にその男は佇んでいた。

 

 手には氷菓子。どことなく困った様子で菓子を見つめていた男は、バッファローの視線に気付き手招く。

 

「おい、お前。これいるか」

 

 一も二もなく頷いたバッファローに氷菓子を押し付け、男は立ち去ろうとした。

 咄嗟にその白いシャツの裾を掴めば、男は振り返るでもなくその場に留まる。

 氷菓子を食べ終わっても手を離さないバッファローを見下ろし、男は植え込みへと腰掛けた。何となく真似をして隣に腰掛けると男の手が背中を柔く叩く。

 

 男に迎えが来るまでの暫くの間、二人は並んで新たな国の誕生を眺め、飽きた頃に国を去った。

 

 こうして、バッファローはファミリーの一員となったのだ。

 

 

 今、彼は空を飛ぶ。

 主とは連絡がつかない。何かあったことはわかるが、何があったのかまでは分からなかった。

 忠実であれど頭脳労働には向かない。それは血族に受け継がれた特性である、と彼は常々誤魔化していた。一応、勉学にも励んでいるのだが、ファミリーの他の面々と比べれば結果は散々である。

 それでも、弱く愚かであるように望まれていた幼子は今や大きく成長し、自ら戦い考えるようになった。

 その上でバッファローは理解している。

 今、主に必要なのは、バッファローの力ではない。

 

 まだ届かぬ領域があり、自身の手のみではどうしようもない時にこそ、彼は空を駆けるのだ。

 それは彼が己が身体と主より授かった能力を最大限に活かした戦い方である。

 

 

 向かうは海の先、伏して眠る鬼。

 必ず主を助けるだろう彼の元へ。

 

 

 

 

 誰彼の区別などなく別離は唐突に訪れ、而して優しき時は去る。

 死者は黙して語らず、生者は呻きと共に歩き出すしかない。時の流れに逆らい、揺らぎ、揺れ、いくら立ち止まろうとも、過去を取り戻すことなど出来ないのだから。

 

 

 だからこそ彼らは惑い、進む。

 細く、だが未だ繋がる糸を辿り、遥か遠ざかる背中を追って。

 




 ベビー5はともかく、バッファローとグラディウスの過去は完全に捏造です。
 原作で過去を明かされなかった組はどのような経緯でファミリー入りしたのでしょうか。
 気になる……。
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