ONE PIECE novel.DD “怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ   作:ladybug

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 オリキャラ視点です。

 ミンク族の海兵は目を凝らして探していた。


 お前を知るたびに見えなくなる
 はたして、正義とは何なのか


 




盲目の正義

 

 

 男は騒乱の中を走っていた。

 全身を覆う獅子の如き金褐色の毛並みは風に乱れ、唯一黒に染まる顔は本来の柔和さを欠いて険しい。

 人の波をかき分け駆け抜けるその背中からは、あるべき(文字)が消えていた。

 

 海軍大将と革命軍の参謀総長が激突する戦場。吹き荒れる超常現象の嵐を背に男は走る。

 

 信じられない。そんなはずがない。

 彼がそんなことをするはずがない。

 

 荒れる胸の内、思い出されるのは、十年ほど前の出会いと忠告だった。

 

 

 

 

 

 ドレスローザ侵攻に関与した部下の汚職。引責の形で左遷の決まったヴェルゴ大佐は、別れの際、思わしげに語った。

 

「すまない。キミたちに後を押し付けることとなり、恥じ入るばかりだ」

 

 大佐の視線の先、ドレスローザは順調に復興の道を辿っている。

 それを支えたのは世界政府や海軍ではなく、一海賊の厚意による支援だった。

 

 トラファルガー・ロー。救国の英雄。

 

 かの男を取り逃した、いや見逃したのは他ならぬヴェルゴ大佐であった。しかし、その選択はドレスローザの意志を尊重しただけのことであり、彼自身は海賊が国に関与することを良しとはしていない。

 

「砂漠の王が英雄などと騒がれている。こちらも警戒して然るべきだろう」

「トラファルガー・ローは身を削ってまで防衛に寄与した男です。大丈夫ですよ」

「だが、奴とて海賊。これまで犯してきた罪は変わらない。私は、私の未熟ゆえにあれを逃したが、キミたちには真っ当な正義の道を歩んでほしい」

 

 祈るように囁く大佐の姿に胸を打たれた。同時に苦々しい思いが込み上げる。

 海兵が国を陥れ海賊が国を守る。賊はどちらで、真の正義とは何なのだろうか。

 挙句、これ程までに清廉な海兵が掃き溜めと呼ばれる地区へ飛ばされるなど、上部は何を考えているのか。

 

 悩める男を見下ろし、大佐は再三の忠告を投げかける。

 

「トラファルガー・ローには気をつけろ。騙されるな。海賊は海賊だ」

 

 人々に囲まれ柔く笑む海賊の姿を背に、大佐は去って行った。

 

 

 

 

 大佐の左遷後、男自身も配置替えを喰らった。階級は変わらず中佐。孤児院育ちで家族がいるわけでもなく、帰る家があるわけでもない男にとっては異動などわけはない。

 

 新しい職場に馴染んだ頃、男に下されたのは海賊の『護送』──つまり、七武海関連の業務であった。

 

「海賊犇く非加盟国のそばを通る? 砲撃喰らって御陀仏じゃ洒落にならねェぞ」

「一つ訂正する。非加盟国ではない。この一帯は()加盟国だ。違えるな」

「言葉遊びか? お前たちにとってはどちらも同じ虫けらだろうが」

 

 静かに、しかし明確に毒付く男の名はトラファルガー・ロー。今回の護送対象である。

 

 上部によれば、ドレスローザの一件で七武海への任命が決まったらしい。通常、秘密裏の打診から始まる七武海加入だが、この男の場合はいきなり召集がかかった。

 何らかの事情があるのだろう。トラファルガーは特段疑うことなく召集を聞き入れ、さらには拒否するだろうと思っていた枷も受け入れた。

 

 進路の説明を続ける。黒衣の男は白い海楼石の手枷を鳴らしながら眠たげに瞬きを繰り返していた。

 

「怠いか」

「え?」

「海楼石が怠いかと聞いた。一段階軽い枷がある。替えることも出来るがどうする」

 

 変な虫でも見たような顔で見つめてくるトラファルガーに対し、再度問いかける。

 

「海楼石が」

「何度も訊くな。能力と覇気が使えねェだけで、これくらい問題ない」

 

 顔を逸らした海賊は、暫くしてふるりと身体を震わせた。

 

「なァ、中佐殿」

「何だ」

「ここは寒い。毛布とかねェのか」

 

 思い返せば、灼熱のドレスローザで黒衣を着込んでいる程だ。確かに海上は冷えるだろう。毛布を渡せば、小さな礼が返ってきた。

 聞こえないふりをしていると男は毛布に包まり寝息を立て始める。舐められているのは確かなのだが、どうにも解せない。

 

 ドレスローザで働くのは善行のみ、召集にしても枷にしても素直に受け入れ、礼すら言う。

 これが海賊か?

 

 確かに口も態度も良くはないが、海の荒くれ者に囲まれて育った男から見ればそれも常識の範囲内だ。

 

 何か、事情があって海賊をしている。少なからずそういう人間を見てきた。しかし、得てして彼らは悪に身を窶してまで命を守ってきた気概を醸し出すものであり、目の前の男にはそう言った覇気がない。

 ただ、自然とそうなっただけ。何かを為す、または進む過程で、悪を為しているだけに見える。

 恐らく、別の何かのために動いている。つまり、何と言うか、己が命への執着が薄いのだ。

 

 考え込む内、何やら艦内が騒がしくなってきた。艦内連絡回路を使って状況を把握する。未加盟国で暴れていた海賊が、この護送艦をも襲撃しているらしい。

 苦虫を噛み潰したような顔で受話器を下ろした男に、胡乱げな声が投げかけられる。

 

「な、言っただろ? 非加盟国のそばは危ねェって」

「未加盟国だ」

 

 言い直せば、おかしな海賊は小さく笑った。

 

 

 

 

 危なげなく危機を退けた護送艦は、しかし進路を変え、海賊に取り囲まれる未加盟国へと寄港していた。

 

 タラップから飛び降りたトラファルガーが腕にかけられた枷を大きく振りかぶる。衝撃音と共に弾き飛ばされた海賊が血反吐を吐いて転がった。

 

「待て、独断先行までは許していない!」

 

 制止すればトラファルガーは気怠げに立ち止まり、男へと振り返る。

 

「分かってる。我儘は一回きり。あんたの言うことには従う。それが条件だろ」

「その通りだ」

 

 今回の召集には妙な条件が付いていた。

『船員の命に危険が及ばぬ限り一度のみ、被護送者の要求を承諾せよ』、トラファルガーはその特権を使用したのだ。

 彼の望みはごく単純なものだった。

 

 七武海入りの土産を調達したい。あの国に寄れ。

 

 何を言い出すのかと呆れたが、約定は約定。枷はつけたまま、他の海兵は船に残して中佐のみが付き添う。その形で納得したトラファルガーは寄港直後から獅子奮迅の勢いで群がる海賊共を制圧していた。

 純度を低くしてあるとは言え、海楼石を身につけてこの機動力。能力を抜きにしても、七武海にと目される実力は伊達ではないのだろう。

 トラファルガーが倒した海賊共を捕縛して船へと運びつつ、その背を見守る。

 よく観察すれば、彼は無作為に賊を襲撃しているわけではなく、無辜の人々を襲う輩を優先的に排除していた。そして、その傍ら、倒れている市民らを安全圏へと移動させ、治療鞄を開いて治療を施す。

 

「中佐殿、手が足りない。船医は」

「申し訳ないが、海軍は未加盟国への介入を許されていない」

 

 トラファルガーは何かを言いかけ、結局何も言わずに治療を再開する。

 咎めるような、それでいて諦めたような目が印象的だった。

 

 やがてぽつぽつと雨が降り始める。

 

 寒さを訴えていたはずの海賊は、文句の一つも言わずに治療を続けていた。

 

 

 

 

 制圧と治療があらかた済んだ頃、事は起きた。

 トラファルガーが突然、止める間もなく走り出したのだ。彼は入り組んだ街の道をすり抜け、奥へ奥へと駆けていく。

 

 早い。

 

 泥水を跳ね上げ走る男の背に覚えるのは義憤と見当違いの失望だ。

 

 何かあれば躊躇いなく昏倒させろと言われていたにも関わらず逃走を許した。

 己が間違っていたのだ。

 やはり海賊は海賊。かつて繰り返された大佐の言葉を思い出す。あの忠告は正しかったのだと、男は己の未熟を呪った。

 

「トラファルガー・ロー! 止まれ! それ以上進めば貴様を撃つ!」

 

 トラファルガーが足を止め、振り向いた。雨に濡れそぼり、息を切らせる彼の顔を見て男は息を呑む。

 

「これを外せ」

 

 枷を突き出した彼は、苛立ちを隠そうともせずに言い放った。当初見せていた陰鬱さは消え去り、真摯さだけが浮かぶ金の瞳が男を睨みつけている。

 

「頼む。まだ間に合うかもしれない」

 

 声に懇願が滲む。

 

 何だ。

 何が彼をここまで動かす?

 

 訝しみながらもかぶりを振った。

 

「枷は外せない。召集に応じた以上、決まりには従ってもらう」

「……分かった。もう、いい。海兵(あんた)に期待したおれが馬鹿だった」

 

 トラファルガーは諦めたように言って、再び走り出す。何か目的があるらしい。

 背は瞬く間に遠ざかり見えなくなるが、見聞色の覇気で所在を確認し追跡した。

 

 

「大丈夫だ、気をしっかり持て。必ず助けるから目を閉じるな」

 

 

 トラファルガーの声が聞こえた。

 座り込んだ彼の傍、一人の女性が瓦礫の下敷きになっている。正確には何人もの人間が犠牲になっていたのだが、息があったのは彼女だけだった。

 

 無理に瓦礫を退かしたのだろう。トラファルガーの手は血に塗れ爪が剥がれかけていた。

 

 羞恥心が込み上げる。

 

「退け。私がやる」

 

 肩を押し退ける際、トラファルガーの横顔が見えた。噛み締めた唇にうっすらと血が滲む、無力を嘆く人の顔。

 驚きと儚い期待に揺れる瞳。

 

「なんで」

「命を目の前にして国の垣根など気にする馬鹿はいない。ついでに教えてやるが、私の腰にある鍵束がお前の求めるものだ」

 

 トラファルガーは無言で鍵束に手を伸ばした。傷付いた手で鍵を探りながら、彼は呼びかけを続ける。

 

「今、海兵さんが助けてくれるから。大丈夫だ。きっと助かる。安心しろ」

 

 死に瀕した女性は震える声で呟いた。

 

「海兵? 嘘ばかり」

「嘘じゃねェよ。未加盟国でも助けてくれる、本物の、正義の海兵だ。すごいぞ」

「御伽話みたい。あなたも、そのひとも」

 

 トラファルガーが枷を外し、彼女の手を握るのを見る。同時に彼女の頭部周辺の瓦礫を退かし終わり、男はひどく後悔した。

 

 助からない。

 

 頭蓋が崩れていた。破裂した右目から粘液と血が溢れ、涙と混じって頬を流れる。

 

「キミは……」

「いいの。わたしはいい」

 

 男はトラファルガーを見た。最初から分かっていたのだろう。彼の表情は変わらない。

 思えば、この女性は身を丸めていた。頭ではなく腹を守ったのだ。

 

 彼女は臨月間近の妊婦だった。

 

「あかちゃん、たすけて」

「ああ、必ず助ける」

 

 トラファルガーが能力を展開する。青い被膜の中、大きく膨れた内臓がくり抜かれ、その内側の赤子が取り出された。

 

 泣き声。

 

 甲高く劈くような産声を聞き、彼女は嬉しそうに口元を緩める。

 

「ありが」

 

 唐突に声が途切れた。トラファルガーの握る手から力が抜ける。

 次第に細くなる呼吸。

 

「中佐殿、この子を頼む」

 

 男が外套を脱ぎ赤子を包んでいる間、トラファルガーは彼女の手を摩っていた。

 

「よく頑張ったな」

 

 トラファルガーが囁く。

 死を刻む手が彼女の瞼をゆっくりとおろした。

 

「中佐殿。はやく、その子を船医に」

「分かった」

「今更だが、海兵のあんたが未加盟国の子どもを助けて大丈夫なのか」

「生まれたばかりの子どもに国も何もない。海に落ちていたとでも言うさ」

「人は皆、海から生まれるようなもんだからな。間違っちゃいねェだろう」

 

 そう嘯いた彼は自ら枷を付け直し、死者を抱き上げた。女性の崩れた頭蓋を支えるように身を屈め、手を添える。

 

「少し移動させる。ここだと雨に濡れちまうから」

 

 トラファルガーは庇の下に遺体を横たえ、自身の外套をかけた。そして目を閉じ、祈りの形に手を組む。握り込んだ指は白く血の気を失い、指の重なった先、刺青が引き攣れ歪んだ。

 

「待たせた。もどろう」

 

 僅かにくぐもった声から色々察してしまい、思わずため息を吐く。

 お互い男だ。ましてや、海賊と海兵。見られたくない顔など幾らでもあるだろう。せめてもと背を向け、声をかけた。

 

「雨、酷くなってきたな」

「ああ」

「眼鏡が曇ってかなわん」

「…………」

「この子、元気だな。よく泣くいい子だ」

「…………」

「抱いているとお前の足音まで聞こえない。いちいち確認はしないが、しっかり着いてこいよ」

 

 震える吐息を押し殺す気配。

 走り出せば、トラファルガーも着いてくる。足取りはしっかりしており、海楼石は本当にほぼ能力にしか影響していないのだろうと今更になって理解した。

 

 早く信じてやれば良かった。

 

 信じたところで彼女は助からなかっただろう。二人がたどり着いた時、既に彼女は虫の息だった。結末は変わらず、母親は腹の中の赤子を守り命を落としたのだろう。

 

 それでも、信じてやるべきだった。

 そうすれば、トラファルガーの指が土と血に塗れることもなかったのだから。

 

 彼は死者の瞼を閉じる際、汚れないようにと掌の側面をそっと添わせていた。

 その手は限りなく、優しかった。

 

 

 正義とは、何なのか。

 分からない。

 

 

 軍服に包まれた赤子が泣く。

 赤く染まる白の外套。その背に背負う正義の文字。それを真実にする力が、己にあるだろうか。

 

 悩める海兵は雨の中を進む。

 

 

 

 

 無事航路は続き、海軍本部。

 定刻を過ぎて到着したトラファルガーを見つめ、元帥が呟いた。

 

「時間も守れんのか」

「土産にクビを獲ってきてやったんじゃねェか。感謝してくれてもいいんだぞ」

 

 護送艦の中でがくがくと震え、シャワーを借りてやっとのこと濡れ鼠状態から脱したばかりのくせに、トラファルガーは大仰な仕草で煽ってみせる。

 内心呆れていると元帥が眉を吊り上げた。

 

「中佐。拘束のレベルを上げろ」

 

 舌打ちをするトラファルガーを睨め付け、センゴクが卓を指で叩く。珍しく苛立ちを隠せていない様子と滲み出る威圧に背が凍る心地がした。

 

「中佐。聞こえなかったか」

「は……ですが、しかし、これ以上は……彼は怪我をしておりますし……」

「中佐」

 

 声の温度が下がる。

 冷や汗が額に滲んだ。何とか頷き、トラファルガーの首に輪を掛ける。手の震えが伝わったのか、トラファルガーが微かに口を開いた。

 

『悪ィな』

 

 ごく小さな、それこそ自分にしか聞こえないほどの囁き。それがひどく優しく響くものだから、余計に胸が痛む。

 

「それで? あんたみたいな重鎮がしがない海賊風情に何の用だ」

「御託はいい。通達への返答を」

「世界政府のお下知だ。返答も何も、おれに選択肢があるのか、なァ?」

「あるとも。死か、恭順か。私としてはどちらでも構わない」

「素直になれ。ストレスは万病の元だぞ」

 

 鎖を鳴らし、トラファルガーが首元に手をやった。

 新たに増えた拘束に剥がれかけた爪を立て、彼は囁く。

 

「センゴク。お前になら殺されてもいい」

「────ふざけるな!」

 

 部屋そのものを揺らがす程の大音声と破壊音。元帥が両手で叩いた机にはひびが入り、転がり落ちた湯呑みが円を描いて床を汚した。

 荒げた呼吸を整え、元帥が吐き捨てる。

 

「言葉遊びは終いだ。返答を」

「……首輪、有り難く頂戴する」

 

 トラファルガーは冷えた声で答えた。打って変わって静かな応酬が始まるが、そのどれもが殺意に満ち満ちている。

 生きた心地がしない。

 

「トラファルガー。貴様によって前途有望な海兵が道を閉ざされた。覚えているか」

「ドレスローザの大佐殿か? 間抜けが、部下の汚職に気付かなかったようだ」

「分かって言っているな。だが、これだけは言わせてくれ。私は貴様を許さない」

 

 立ち上がったセンゴク元帥はトラファルガーを見下ろし、歯を食いしばり告げた。

 

「……しかし、お前は苦しみを長引かせなかった。その選択に感謝する」

 

 謎めいた言葉だ。

 トラファルガーの反応を待たず、元帥は扉の向こうへと去る。

 

 大きな背を見送り、男は知らず潜めていた息を吐き出した。

 中佐風情の己が元帥に対面する機会などない。全く格が違う。そう一人ごちていると、トラファルガーも何事かを呟いた。

 

「どうして、あんたが」

 

 声に釣られ顔を覗き見てぎょっとする。

 

「お前、それ」

「中佐殿、どうした?」

「お前こそどうした。何を泣いている」

「……なんだ、これ。ああいや、すまねェ。これは違う。気にするな」

 

 本人も気付いていなかったのか、トラファルガーは指摘を受けて初めて頬に手をやった。

 大の男が呻き一つ上げずに涙を流している姿は心臓に悪い。無表情のまま涙を拭う男を背に隠し、ため息をつく。

 

「意外と涙脆いな、お前」

「違うって言ってんだろ。これは生理現象だ。センゴクの野郎が眠てェ話ばっかしやがるから欠伸が」

「嘘も下手だ。お前のような人間が何故海賊なんかやってる。望めば、医者でもなんでもなれたろうに」

 

 トラファルガーの動きが止まった。

 

「何でだろうな」

 

 ぼんやりと呟く声には熱が籠っておらず、溢れる涙だけが床を濡らしていく。

 

「なんで」

 

 無意識なのだろう。がりがりと首輪に爪を立て始めたトラファルガーの手を掴む。殆ど剥がれかけた爪からは血が垂れ、その首を濡らしていた。

 

「手当を」

「おれに触るな。汚れる」

 

 静かに述べたトラファルガーはやんわりと男の手を押し除ける。

 

「手当はいい。別に痛くない」

「良くない。触られるのが嫌なら、とりあえず首輪を外してやるから引っ掻くな」

「触られるのが嫌だなんて言ってねェ」

「言っただろう。『触るな、汚れる』と。そりゃ拘束を増やされれば文句の一つも言いたくなるだろうがな。それともミンク族は苦手か? どちらにせよ、悪かったよ」

「違う。そうじゃない。おれじゃなくてあんたが汚れると言ったんだ」

 

 どことなく困った様子で言う彼の首から拘束具を外す。応急処置用のキットから消毒液を取り出し、爪の周辺を押さえた。

 痛みに強いのか単に鈍いのか判別はつかないが、トラファルガーは特段顔色も変えず呟く。

 

「手当してくれるなんていい奴だな」

「それを言ったらお前も『いい奴』だ」

「おれは医者だ。治療するのは当然のことだろう」

「私の知る医者は滅私奉公などせんし、海賊も人助けはせん」

「奇遇だな。おれの知る海兵だって海賊を気遣ったりしねェ」

 

 何故か張り合ってくるトラファルガーに苦笑し、男は何となく思った。

 この付き合いは長くなる。それは確信に満ちた、ただの予感であった。

 

 

 

 

 時が立ち、予感通り、トラファルガーとの付き合いも長くなった。自身の階級は少将。出世は望んでいないが、七武海の護送を担当する立場としてある程度の階級は必要だろうと言われた。

 そもそも担当したいなどと望んだ記憶はない。一方的にトラファルガーが指名してくるのであって、男の意志など反映されようがないのだ。

 

 そう、反映されようがない。

 毎度いざこざが起ころうが、男にはどうしようもないのだ。

 

「トラファルガー・ロー。七武海の顔触れも随分変わった。貴様はいつまで居座り続けるつもりだ」

「さてな」

 

 開口一番威嚇するは、左遷後、時を経て海賊嫌いに磨きがかかったと噂のヴェルゴ中将。彼は取り逃した責任を感じてか、トラファルガーへの当たりが強い。もはや名を呼ぶ第一声目からして剣呑なのだ。

 対するトラファルガーは短く答えをはぐらかし、壁に凭れ掛かった。

 

「飽きもせず毎度挨拶に来てくださるが……ところで、管轄はどちらだったか」

「そんなことを訊いて何になる」

「一度観光にでもと思ってな。中将クラスが暇してんだ、さぞ平和な地域だろう」

「七武海様のご要望なら基地の最深部に招待してやる。居心地は悪くないと囚人共に評判だ。貴様も気に入るだろう」

「ヴェルゴ中将殿、あんたが案内してくれるならそれもいい。楽しそうだ」

「……手出ししてみろ。殺すぞ」

 

 心胆寒からしめる声音で放たれる牽制。言葉を投げかけられた当の本人は窓の外を眺めてぼんやりとしていた。

 豪胆さと無神経さが強さの秘訣なのかもしれない、などと思考を逸らすことで背筋に走る怖気を追いやる。

 暫く無言で睨め付けていた中将だったが話題を変えることにしたのか、手にしていた新聞をトラファルガーへと投げつけた。

 

 表紙には七武海新規参入者が載っている。ドンキホーテ・ドフラミンゴ、如何にも曰くありげな名をした若き海賊だ。面構えもまた如何にもといった風情なのだが、何故かやっていることは義賊めいた略奪に反物商売といまいち憎めない。

 とはいえ、海賊は絶対の悪。そう述べる中将にしてみれば、怪盗も外科医も唾棄すべき毒虫そのものなのだろう。苦い顔で吐き捨てる。

 

「新入りの“怪盗”とやらも何か狙いがあるのだろうが、愚かなことだ。海賊の浅はかな企みなど、正義の前では児戯に等しい」

「ヒーローごっことはツラのわりに随分と愛らしい趣味だな」

 

 視線すら合わせず、興味がなさそうにトラファルガーが呟いた。

 海軍の正義を『ヒーローごっこ』などと揶揄され、中将の眉間に皺が寄る。

 

 何故自ら印象を悪くするようなことを言うのか。黙っていればいいものを。

 

 心中悪態を吐きながらも介入すべく、中将の背後から声をかける。

 

「ヴェルゴ中将。申し訳ありません。後で言って聞かせますので、ここは穏便に」

 

 鈍い音がした。

 横薙ぎの殴打。黒く染まった拳が壁に穴を開ける。前髪を掠めた猛威にも動じず、トラファルガーが首を傾げた。

 

「何を怒っている」

「口を慎め、宗教家。貴様からの発言を許した覚えはない」

 

 襟首を掴まれ壁に背を押し付けられてもなお態度を崩さないトラファルガー。対する鬼の中将は地の底を這うほどの低い唸りを上げる。

 

「貴様によって葬られ、闇に誘われた同胞がどれほどいたことか。私は決して許さない」

「身に覚えがねェな」

 

 額がぶつかる程の距離で中将の圧を感じているはずの男はさらりと応える。中将もまた男の反応を予測していたのか、乱暴に男を突き飛ばした。

 

「そうだろうとも。己が手を汚すことなく君臨し続ける悪神め」

「神か。何もしてねェつもりだが」

「確かに神は何もしない。だが貴様は邪神だ。穢れた舌で誑かし人を堕とす」

 

 トラファルガーは吐き捨てられた言葉に返すように、べろりと舌を晒してみせる。

 彼はそこで初めて薄い笑みを浮かべた。

 

「よく見るがいい、ヴェルゴ()()。お前が見逃した悪い神様だ。大きく育って良かったな?」

 

 今度こそ顔面に拳が入り、トラファルガーがよろける。どこか切れたのか、口の端に血がついていた。実力は大将クラスと名高い中将の殴打を喰らい、その程度で済むのがおかしいのだが。

 これ以上はまずい。なおも拳を振り被る中将の腕に飛びつき制止する。

 

「ヴェルゴ中将、抑えてください! これ以上は軍規に背くことになります!」

「なに、それでこの男をどうにかできるのであればかまわんよ」

「なァ、少将殿。血を拭うから枷を外してくれ。ハンカチとれねェ」

「ばかもん、外すわけがあるか! 何がハンカチだ! いい年して深窓のお嬢さんみたいなことを言うんじゃない!」

「心配せずとも血を拭く必要などない。じきに枷からも、この世からも解放してやる」

「ヴェルゴ中将⁉︎」

「人殺しは地獄行きの罪だって知らねェのか、不信心者め」

「貴様を落とせるのであれば地獄もいい」

「一緒に地獄に落ちてくれるなんて、実にお優しくて立派な海兵さんだな」

「トラファルガーお前いい加減に黙れ! ヴェルゴさんも本当にやめてください! 七武海を殺したら流石のあんたも軍にいられなくなる! あんたみたいな人がいなくなったら海軍は終わりだ!」

 

 二人の間に割入り手を振り回していると、凄まじい音と共に灼熱が吹き抜けた。

 

「何を騒いぢょる!」

 

 大音声と共に扉を開けた赤犬が拳を放ったのだ。男は運悪く射線上にいた。トラファルガーが引き倒し伏せさせてくれなければ、頭が吹っ飛んでいただろう。

 心臓が縮み上がって戻らない。

 

「大丈夫か?」

 

 小声で尋ねてくるトラファルガーだが、元はと言えばこの男が中将を煽るからこんな目に合うのだ。

 恨みがましく睨め付けるが意図は伝わらず、膝をついたまま首を傾げられた。

 

 赤犬の登場で落ち着いたのか。トラファルガーを見下ろした中将は、やや声を落とし吐き捨てる。

 

「薄暗い穴倉でしか息も出来ぬ毒蛇が。いつか牙を圧し折り、その腑を白日の下に晒してやる」

「────それは楽しみだ」

 

 まだ煽るか。

 

 今日一番の蕩けるような笑みで中将を見上げるトラファルガー。

 その面を引っ叩きたい衝動を押さえつけ、男は立ち上がった。

 

「少将。キミには何度も忠告したはずだぞ。海賊と馴れ合うな。どれほど美しく見えようとこの男は毒蛾だ。惑わされるなよ」

 

 通り過ぎ様、中将が囁く。

 

 正直、もう遅いと思った。

 むしろ、中将がやたらに忠告をしてくるおかげでかえってトラファルガーを注視してしまう。

 それでも何とか視線を外し、部屋を見渡せば、そこにいるのは海軍の錚々たる面子。そして、僅かながら顔を出している七武海の豪傑共。

 

 何故、こんな場所に己が。

 

 他の七武海は護送担当者を引き連れて歩いたりしないのだ。何なら会話もないと聞く。冷え切った関係だ。当然である。

 正義の海軍と悪の海賊。

 本来、二者は相容れぬものなのだから。

 

 ただ、正義とは何か。

 トラファルガー・ローを見るたび、自身が揺らぐのを男は感じていた。

 

 それはそれとして、今は殴りたいが。

 

 ため息をつき、椅子を引く。当然の如く掛けるトラファルガーは、周りに聞こえぬよう小声で言った。

 

「ありがとな」

 

 これだから、この男は。

 

 

 

 

 会議が終わり、護送艦へと戻る。勝手知ったる軍の船、トラファルガーは割り当てられた部屋でソファに掛けた。

 写真立ての中、笑う少女を見て、彼は微かに唇を綻ばせる。

 

「もうこんなに大きくなったのか」

「お前は驚く程変わらないな」

「あんたはさすがに老けたか? 苦労の絶えねェ職場だもんな」

「そう思うならば少しは気を使ってくれ。せめて毎度ヴェルゴ中将に突っかかるのをやめろ。寿命が縮む」

「突っかかってない。おれから話しかけたことなんてないだろ」

「屁理屈を捏ねるな。そんなにあの人が嫌いか」

 

 トラファルガーは真顔のままかぶりを振った。

 

「嫌いじゃない。絵に描いたような正義の海兵だ。嫌うわけがない」

「ならば何故……」

「海賊は嫌われて然るべきだ。違うか?」

 

 ため息をつく。

 長年護送を担当したせいか、彼の表情が少し読めるようになってしまった。

 

 嬉しそうだなどと。

 

「あんたも嫌いじゃない。未加盟国でも助けてくれる正義の海兵だからな」

「嫌っていてくれ……何と言うか、お前に正義と言われるたびに自信を失くす」

 

 護送艦の中で彼がすることと言えば、軍医との情報交換と海兵らとの雑談。いかんせん表情筋が死んでいるので分かりづらいが冗談も解し、ごくたまにだがぎこちなく笑んで見せる。

 他の七武海担当者は毎度戦々恐々の体であるのに対し、部下共も楽しみにしている始末。

 

 だが、トラファルガーと一番話しているのは自身なのだと男は気付いていた。

 

 初対面で説教したことを根に持たれているのか、毎度会うたびに地図やリストを指して『ここは未加盟、あそこは非加盟』などとやられる。

 

「ここは加盟国」

「違う。数ヶ月前に除名された」

 

 非加盟国落ちした国を加盟国と思っているため指摘した。すると一瞬顔が曇る。まったく困ったものだ。

 

「飢饉で天上金が払えないそうだ」

「……成程。様子を見に行く」

 

 関わり始めた当初は警戒もあった。だが、未だ確固たる正義を見つけられずいる男にとって、トラファルガーの姿勢は良い指針となっている。

 

 眩しい。

 眼鏡の位置を直し、誤魔化すように問いかけた。

 

「そういえば、良い酒が手に入ったらしい。一杯付き合うか?」

「酒は苦手だ。茶になら付き合う」

「海賊にあるまじき注文だな。茶と言えば……」

「コーヒーは駄目だぞ。お前ら海軍のコーヒーは泥水だ。コーヒーならコーヒー抜きで頼む」

「素直に水と言え」

 

 トラファルガーが笑う。

 

 こんな関係が続くものだと思っていた。

 

 

 

 

 何事かを考え込むイッショウと次々舞い込む非情な伝達。

 ドレスローザを陥れたのはトラファルガー・ローだと伝令は述べる。

 

 脳が痺れるような、何かが崩れ去るような心地がして、男は震えた。

 

 そんなはずがない。

 そんなはずがないのだ。

 

「王宮に向かいます。彼はそこにいる」

 

 呟く男の肩をイッショウが掴む。静かな声が投げかけられた。

 

「見誤っちゃあならねェ」

 

 見誤る?

 

「見誤ってなどいるものか……!」

 

 正義など常に頼りなく揺れている。瞬きの内に翻り、人は翻弄されてばかりではないか。

 

 大将の手を振り払い、男は叫んだ。

 

「あなたが彼の何を見たと言うのだ! 自ら目を閉じたあなたが!」

 

 コートを投げ捨てる。

 叩きつけられた正義の文字が土に汚れ、見えなくなった。

 

「私はこの目で見たものしか信じない! この目でしかと確かめる! それが私の正義だ!」

 

 それは盲目の正義。

 己の愚かさを理解しながらも、彼はその道を選択せずにはいられなかった。

 

 

 そして、男は走り出す。

 





 ローとヴェルゴはスパイ活動のために不仲営業(?)をしている、という概念をお借りして書いた番外編でした。
 二人はギスギスした会話を装って情報交換をしていた模様。

 以下はヴェルゴ中将と七武海トラファルガー・ローのやりとり部分解説です。
 『』内が意訳部分となります。



「トラファルガー・ロー。七武海の顔触れも随分変わった。貴様はいつまで居座り続けるつもりだ」
「さてな」



『七武海も長くなったが、進捗いかが?』
『うーん、まだなんとも』


「飽きもせず毎度挨拶に来てくださるが……ところで、管轄はどちらだったか」
「そんなことを訊いて何になる」
「一度観光にでもと思ってな。中将クラスが暇してんだ、さぞ平和な地域だろう」
「七武海様のご要望なら基地の最深部に招待してやる。居心地は悪くないと囚人共に評判だ。貴様も気に入るだろう」
「ヴェルゴ中将殿、あんたが案内してくれるならそれもいい。楽しそうだ」
「……手出ししてみろ。殺すぞ」



『そちらの状況は?』
『問題なし。G-5は深部まで掌握した』
『基地内外共に、ということでいい?』
『勿論。囚人まで掌握済みだ』
『ふーん、今度遊びに行っていい?』
『冗談はやめてくれ』


「新入りの“怪盗”とやらも何か狙いがあるのだろうが、愚かなことだ。海賊の浅はかな企みなど、正義の前では児戯に等しい」
「ヒーローごっことはツラのわりに随分と愛らしい趣味だな」



『ドフラミンゴが何か企んでいるようだが、こちらで探るか?』
『(怪盗? 誰、新聞新聞……麦わらの友達がこんなやつだったような……)海賊のくせに怪盗とかヒーローの真似事か? あと、こいつ人相悪くない?』
『(あっこれ分かってないやつ)』


※以下、壁ズドンから自然に距離詰め+まばたきなり指なりでモールス信号的な手法で数字のやり取り追加


「何を怒っている」
「口を慎め、宗教家。貴様からの発言を許した覚えはない」



『内緒話か?』
『静かに。こちらから陥落状況の報告を続ける』


「貴様によって葬られ、闇に誘われた同胞がどれほどいたことか。私は決して許さない」
「身に覚えがねェな」



『こちらで把握している陥落者の割合は二割四分。そちらは』
『二割。四分って何。おかしい……また勝手に増えてる……』


「そうだろうとも。己が手を汚すことなく君臨し続ける悪神め」
「神か。何もしてねェつもりだが」
「確かに神は何もしない。だが貴様は邪神だ。穢れた舌で誑かし人を堕とす」



『仕方ない。信仰は侮れないものだ』
『何もしてないのに』
『縋りたい奴は縋らせてやれ』


※舌ぺろりで対話終了


「よく見るがいい、ヴェルゴ大佐。お前が見逃した悪い神様だ。大きく育って良かったな?」



『この辺でいいだろ。助かった。適当に煽るからそちらから手を出してもらって後は流れで随時終了ということで』
『(ぐぬぬ仕方ない)』


「何、血を拭く必要などない。じきに枷からも、この世からも解放してやる」
「人殺しは地獄行きの罪だって知らねェのか、不信心者め」
「貴様を落とせるのであれば地獄もいい」
「一緒に地獄に落ちてくれるなんて、実にお優しくて立派な海兵さんだな」



『すぐ自由にしてみせる』
『よっ、海の裏切り者!』
『地獄巡りは約束通り』
『了解』


「薄暗い穴倉でしか息も出来ぬ毒蛇が。いつか牙を圧し折り、その腑を白日の下に晒してやる」
「────それは楽しみだ」



『本当に、いつか外で自由に動けるようにしてみせる。待ってろ』
『楽しみだ』


 ……と、言うイメージでした。


 少将を陥落させようと提案したのはヴェルゴです。少将は手堅く実力もあり疑問を抱くタイプで優しく適度に柔和。実は涙に弱いらしいよというヴェルゴの垂れ込みがあったため、ローは意識的に涙を見せているだけというオチでした。
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