ONE PIECE novel.DD “怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ 作:ladybug
冷たい焦燥の中、モネは羽ばたく。
主から記憶を奪う
記憶さえ消してしまえば、主は雪原を抜けて自由になれる
彼女はそう信じていた
だが、記憶が消えても罪は残る
その手に、身体に、なにより心に
今度は彼女が罪を清算する番だ
夢だと思った。
白銀の景色の中、突如現れた黒い影。
夢でなければ死神だ。
昏い金の眼が瞬き、死の刻まれた指が踊る。
かみさま。
許されるなら、妹だけでも安らかに。
そう思い、少女は目を閉じた。
雪原より助け出された少女の手足は、雪に焼かれて腫れ上がり、激しく痛んだ。
視線を落とせば目に入る黒ずんだ手足。少女にとっては妹を守った勲章であり、熱に魘される今でもなお誇らしかった。
妹には痕一つ残らなかった。
それだけで十分だった。
もし、手足が崩れ落ちていたとしても、きっとそう思えただろう。
これで良い。彼女は心からそう思っていた。
妹が泣きじゃくるまでは。
自分のせいで姉が手足の自由を、これからの自由を失ったと泣く幼い妹。
解放運動を真似た賊が告げた『これからは自由だ』という虚実は、呪いとなってしまったのだ。
自由など心底どうでもよかった。妹が生きてくれれば、それで。もし、妹がいなかったら、自由どころか自身の命も早々に諦めていたに違いないのに。
何度諭しても妹は泣き続ける。彼女はひどく錯乱し、泣き疲れては深く眠った。
病室を訪れた医師が妹を抱き上げ、独り言のように呟く。
「自由ってのはそこまで大事なもんか?」
神のような彼にも分からないことがあるのか。そう考えつつ、少女自身も『自由』が何なのか思い出せなくなっていることに気付く。
「自由ってどういうものでしょうか」
「聞いた話によると、『自分の力でしっかりと歩んで、どこへだって飛んでいける』のが自由らしい」
「それなら、私、もうどこへだって行けると思いますけど」
「回復すれば、だ」
「元に戻らなくたって、鎖に繋がれていなければどこにだって行けるもの」
「お前は強いな」
泣き疲れて眠る幼い少女を見つめ、救い主は目を伏せる。
「ただ、こいつは……」
「え?」
「こいつ、『自分のせいだ』って思っちまってるだろ。お前がどんなに否定しても、お前を見るたび思い出す。記憶の傷は根深い。消してやれれば良かったんだが」
彼は小さく呟いて、かぶりを振った。
「悪ィ。何言ってんだ、おれは。お前は偉いよ。こいつを守った」
「あなたに助けてもらったんです」
「いや、お前がいなけりゃこいつは死んでた。それにおれが来なくても命を賭して守るつもりだっただろ」
「それは……姉妹ですから」
沈黙が落ちた。
妹の寝息だけがかすかに響く。誰よりも大切で、何よりも尊い命。守るべきもの。
妹は彼女にとって拠り所であった。
医師の腕に抱かれる少女を見つめ、彼女は微笑む。
「この子が無事で良かった」
妹を撫でてやりたかった。よく頑張ってくれたと褒めてあげたかった。だが、腕は動かず、彷徨う妹の手を取ることすらできない。
むずかる妹に指を掴まれ、医師が目を細めた。
「あたたかいな」
絶望の中、嵐のように現れて二人を救った医師。そのくせ、自身は凍えた瞳をしている。
彼は随分と大人のはずなのに。神様のように何でもできる人なのに、泣きじゃくる妹と似た目をしていた。不思議な人だ。
「先生。私、手足なんてどうでもいいと思っていたのだけど、この子が悲しむかもしれないんですよね」
黒ずんだ手足を見下ろす。実のところ、動くか動かないかは五分五分だという。
「腕と足、切り取れるって聞きました」
「ああ。代わりに、別の奴の手足や義肢も用意できる。リハビリは必要だが動けるようになるまではここにいていい」
きっとそうだと思っていた。もし、手足が回復しなかった場合、彼ならば別の手段を用意してくれそうな気がしていたのだ。
彼の仲間はどこか誇らしげに、時折呆れたように彼について語る。皆、何かしら彼に救われたのだと話していた。だから、期待してしまったのかもしれない。
おかしな話だ。
見ず知らずの他人を信じるだなんて。
だが、本当におかしいのは救い主だ。
死にかけの奴隷を拾って甲斐甲斐しく世話をした挙句、義肢まで用意するなど実に馬鹿げている。
まるで、御伽話の神様だ。
そう。
神様に願うならば、とびきりおかしなことを言ってみせなければ。
少女は救い主の提案に注文をつける。
「ただの義肢では駄目。それじゃあ、私、自由じゃないわ。飛べないもの」
「そりゃ人はなかなか飛べねェよ」
「私、翼が欲しい。妹を温かく包むの。それで、何かあった時は空を飛んで助けに行く。物騒な世の中だもの、きっと戦うこともあるでしょう? 足は鉤爪がいいかしら」
呆気に取られ、動きを止めた神様。
その様子が面白くてモネは笑った。
「先生。私ね、生まれ変わったら鳥になりたかったの!」
王宮の一室で目覚めたモネは自身に施された手当の痕跡を見下ろす。既に立ち去ったのだろう、主はそこにいなかった。
懐かしく揺れる美しい記憶。
手足の動かないモネに代わり図鑑を広げる主と図鑑を覗き込むシュガー。
どんな鳥になりたいか意見を突き合わせるうちに笑顔を取り戻したシュガー。
主を裏切った妹。
彼女は心から主を慕っていた。害するなどありえない。それなのに、何故。
何故、相談してくれなかったのだろう。
かぶりを振り、身を起こす。翼を震わせ大きく広げた。
開け放たれた窓から流れ込む喧騒と争いの気配。
モネは大空へと身を踊らせる。
たった一人の妹。彼女が何を考えているのか知りたい。主を害そうとするのは何故か。知った上で、止めなければならない。
シュガーの居場所には予想がついている。彼女が主から任されていた『眠りの家』、そのそばにある管理小屋。そこが彼女の居場所だった。
大鐘楼を横切り、セビオの教会裏に降り立つ。監視の目はない。そもそも人がいない。敵も味方も、市民ですら。
管理小屋の扉が開いている。
嫌な予感がした。
「シュガー様、しっかりするんだ! 目を開けて!」
少年の叫び。少女の泣き声。小屋の扉から見える小さな手。赤く染まったナイフ。
いつだって一緒にいた。
今回のことだって話せば分かりあえると根拠なく思っていた。事情さえ聞けば、姉妹で協力して何とかできるはずだと考えていた。
人が鳥になれるのだ。何だってできるはずではないか。そう信じていた。いや、信じたかった。
だから、こんなことになるとは思っていなかった。
「シュガー?」
声が震えていることを自覚する。
覗き込んだ小屋の中、シュガーが倒れていた。
腹部に滲む血。傷を押さえる少年の手が真っ赤に染まり、床を汚すほどの出血量。
小屋の奥、返り血で服を汚した少女が泣いている。
「ごめんなさい、私、あなたたちを許せなかった。助けてくれたのに、でも」
少女の周りには数人の子どもたちが集まり、皆一様に青い顔で狼狽えていた。
だが、どうでもいい。見ず知らずの少女の嘆きなど今はどうでもいいのだ。
シュガー。
大切な妹。
ふらふらと近付いたモネに気付き、少年が顔を上げた。血の気が引いたその顔にもやはり見覚えはない。奥で震えている少女もそうだ。
彼らはシュガーがオモチャに変えて匿った子どもなのだろう。主が潰した国から連れ帰った、事情持ちの孤児達。
彼らが人間に戻っている。
ならば、シュガーは。
「モネ様、落ち着いて。大丈夫、気を失っただけだ。まだ生きてる」
そう言う少年の声もシュガーの身体も、どうしようもなくか細く震えていた。
シュガーの小さな身体から大量の血が流れ出ていく。モネがどんなに自分を誤魔化し信じようとしても、赤い血溜まりの形した現実は広がっていく。
きっと助からない。
町を飛ぶ間に気付いた。今、主は何らかの理由で能力を封じられている。
シュガーが呻いた。
痛むのだろう。苦しませたくない。
神様がいないなら、神様から授かった力で。姉である自分がやるべきだ。
奇跡は二度も起こらないのだから。
せめて、安らかな眠りを。
ふわふわと頼りない雪を踏むような心地のまま、モネは囁いた。
「退いて」
少年の肩を翼で押し除ける。
「あなたたち、危ないからここを出なさい」
「モネ様、諦めちゃ駄目だ。誰か、きっと誰か連れてくるから、だから」
「ありがとう。でも、いいの」
「……だけど!」
「もう助からないわ」
少年の目を見つめる。
聡明で真摯。利発そうな子どもだ。あるいは、オモチャにされていた時間が長く、外見よりも歳を重ねているのかもしれない。
状況が分からないはずもないだろうに、それでも彼は激しくかぶりを振った。
「ぼくらが諦めちゃ駄目なんだ。駄目なんだよ!」
優しい子だ。
彼もまた、ファミリーの犠牲になった子どものはずだというのに。
モネは小さく笑い、吐息を零す。
「もう、いいのよ」
「待ってくれ、駄目だ……こんなことは」
「出て。ここを離れるのよ。巻き込みたくないの」
「モネ様!」
「お願い。二人にして」
少年とモネの視線が絡み合う。
モネの心はもう決まっているのだと、少年にも分かったのだろう。
彼は唇を噛み締めて俯き、僅かな逡巡の後、子どもらの手をひき小屋の入り口へと走りだした。
それでいい。
主の行いで救われる者もいれば、大切な何かを失くす者もいる。報いは主だけが受けるものではなく、ファミリー全体が受けるべきものなのだ。
主の願いは、ファミリー皆の願いなのだから。
奪えば、奪い返される。
それは神のいない世界の摂理。
だからこれは、この世界にありふれた、ごく当たり前の結末だった。
雪が積もり始める。視界を白く染めるほどの吹雪の中、時を経て姉妹は再び二人だけになった。
「大丈夫よ、シュガー」
シュガーを抱きかかえる。
幼いままの妹。変わらない姿。
壊死した腕では抱きしめられず、互いに能力を得てからは触れることすら難しくなった。こんな時だと言うのに少し嬉しくて、モネは小さく笑う。
「一人にはさせないわ」
一瞬で体温を奪われ、深い眠りに落ちていく妹。その傷口を翼で覆った。赤く染まる羽根すらもすぐに凍り付く。
モネはもう雪では死ねない。無意識に転がっていたナイフを引き寄せた。
本当は。
本当は全部夢だったのかもしれない。
二人はまだあの雪原にいて、黒い影はやはり死神だったのだ。最期に幸せな夢をみせてくれる、恐ろしくて優しい神様。
ああ、でも。きっと、彼はまだ一人で。
雪の砦の中、シュガーを抱き締め目を閉じる。恩人よりも裏切り者の妹を選んでしまった。その罪ごと抱く温もりはあたたかく、焼けるように胸が痛む。
「ごめんなさい、若様」
呟くモネの頬を涙が伝った。