さよならすること
それは少し死ぬこと
それは愛するものへの死
────認めてたまるか、ざまあみろ
四皇の手が去った港町。歓声と声援に湧く他の土地とは違い、そこは緊迫した空気に包まれていた。
風が吹き、男二人の頬を撫でる。
一拍おいて撃ち抜かれる鉄の拳。豪腕の一撃をよろけながらも受けきり、伊達男が地へ潜った。
一瞬の静寂の後、鉄人の足下より飛び出した男は巨躯を担いで立ち上がる。自身と鉄人双方に回転をかけ地へと倒れ込めば、上がる地響きと土煙。
背から投げ出された鉄人が軋みを上げ、眼光を光らせながら起き上がる。
数多の技を互いにぶつけ合い、避けることなく全段受け止め続けた二人。服も身体も襤褸同然と化し既に満身創痍ながら、揺るぎなく彼らは立つ。
男二人の周囲では国民はおろか、拘束を受けた海賊らまでが涙を流して戦いの行く末を見守っていた。
「このままじゃ埒があかねェなァ」
「違いない。次で決めよう」
「互いの技を受け切る。最後に立ってた方が勝ちだ」
身体に付いた埃を払い、背筋を伸ばす。逆光を背に輝く鋼鉄の身体と、影にて艶めく洒落たスーツ。不敵に笑む無頼にあてられ、観客らがふらふらとへたり込んだ。
先攻はセニョール・ピンク。
伊達男が飛沫をあげて大地を泳ぐ。魚雷もかくやの勢いに誰もが息を呑む中、対する鉄人は腕を広げ、友を迎え入れるかのように口の端を上げた。
鉄人の胴に飛び込んだセニョールは鋼鉄の偉丈夫を抱え込んだまま塔を泳ぎ登る。
高く、高く、何処までも高く。
早く、早く、決して見失わないように。
体勢を組み替え、鉄人の背を抱えた。
始まった自由落下、迫る大地を前に胸の内で思いは巡る。
愛する妻子、出会いと別れ、続く縁。
失われたもの、遺されたもの、変わらないもの、変えるべきもの。
立場も役割も、身一つで抱えられるものなどそう多くはない。選べなかった道を切り捨て振り払いながら、男は進む。
されど、愛は。
愛だけは、全て抱えて泳ぎ切るのだ。
そうでなければ彼に合わせる顔がない。
この思い、この願い。決して嘘にはしないと、愛しき人々に誓う。
「“ニャンニャンスープレックス”」
トラファルガー・ローは嵐だ。
嵐とは雨を引き連れ吹き荒れるもの。瓦礫と嘆きを残し、虚空へ消える天の猛威。
しかし、ひとたび空を見上げれば、生ける者は知るだろう。
嵐とは青空を呼ぶもの。
晴天を遺し、去るものなのだと。
だが、土砂降りの雨の中でも人は生きていける。愛しき者と出会い、時に泣き別れながら、雨と共に歩んでいける。
晴れ間など来なくていい。
だから、嵐になどならなくていい。
「────“ストームバスター”‼︎」
大地を揺らがす一撃が決まった。
轟音と共に石畳を突き破り、土を抉り、なおも止まらぬ破壊の嵐が鉄人を襲う。
おさまらぬ土煙の帷。その内側より水音が響き、伊達男が姿を現した。
丹念に整えられていた髪は崩れ、スーツもタイも捻れ曲がり、それでもなお立つ背に芯がある。
彼は唇を引き結び、緊張の面持ちで土煙の奥を睨み付けた。
セニョール、ドレスローザの民、トンタッタ族、海兵、海賊、賞金稼ぎ。立場も目的も違う人々が固唾をのんで見守る中、突如、赤い光が灯る。
ぎりりと鳴るは鋼鉄か、魂か。
薄れゆく土煙の中、立ち上がる影。
「約束通り、次はおれの番だな」
不敵に笑む男が拳を構えた。
セニョールは肩を竦める。そして、誓いを深めるようにカフスボタンに口付けと愛を贈り、腕を組み顔を上げた。
砂塵を突き抜け向い来る鉄の男、その拳を受け止めるために。
「“フランキーアイアン
降り注ぐ礫の拳。
一撃一撃が必殺の雨霰、並大抵の男であれば初撃で吹き飛ぶであろうその拳を余すことなく全身で受け止める。
痛みが熱を呼び、熱が記憶を呼び覚まし、記憶が信念を強固にした。
しかし、肉体は既に限界を迎え、流れ落ちる血で視界が歪む。
走っても走っても追いつけない背中がまた遠ざかる。掴めない手が空を彷徨う。
一際強く、引き絞られた拳が頬を撃った。
傾ぐ身体。足の裏が地を離れる。
身体はぴくりとも動かない。
気付けば、空を見上げていた。
荒い息を抑えることもせず、鋼鉄の男が太陽を背に立っている。
今日も空は青く、遠いまま。
本当に止めたいものは遥か遠くに走り去り、目の前の青き息吹一つ押し留めることすらできない。
「……参ったよ」
ここに勝敗は決した。
誓いは破れ、嵐は去る。
サングラスの吹き飛んだ視界、滲む青。
フランキーが問う。
「なァ、あんた。どうしておれを止めたんだ?」
「……うちのボスは悪党だ。生きてるだけで世界を壊しに行っちまうような、どうしようもねェ悪党なんだ。だがな、それでもおれは、おれァよ」
どんな背景があろうと、どこかで人を救うことがあろうとも、トラファルガー・ローが成すは世界を切り崩す大悪事。
彼が死んで喜ぶ者は山といるのだろう。
だが、己は。己にとっては。
「あいつに生きててほしくてよォ……」
主は自らの曖昧な願いのままに死んでしまう。それがひどく悲しかった。
こうなると分かっていて、だからこそ、彼は早く離れろと言い続けたのだろう。
だが、分かっていても離れがたかった。離れたくなかった。失いたくない。
ルシアンもギムレットも、ローも、己にとっては皆、家族だった。
己が腕に抱えるべきものなのだ。
だが腕は上がらず、溢れる涙を拭くことすらできない。何とも情けない話だった。
恥も外聞もなく咽ぶセニョールのその隣、鉄人は静かに腰を下ろした。まるで友に語らうような軽い口調で彼は言う。
「生きてるだけとあんたは言うが、ただそこに存在するだけで悪党になれるわけがねェ。なにも嵐や雷じゃねェんだ。あんたの大事なボスにゃここがあんだろ、違うか?」
彼はそう嘯いて振り返り、自らの胸をこつこつと叩いてみせた。
継ぎ接ぎ歩んできたその身体の奥、揺れては傷付き折れながらも再起するもの。
主が雪の中に置き去りにしたもの。
「確かにアニキってのはカッコつけてなんぼだ。だがよ、時にゃ情けねェ背中を晒して胸の開き方を教えてやるのもおれ達の仕事じゃねェのか」
トラファルガー・ローは強大な悪である。技術も能力も遥か高みにあり、もう教えることなど何もないと思っていた。
虚飾と礼節。強かに生きる方法。生き抜くための偽りと、嘘から自らを守る方法。
だが、どうだろう。
弱音の吐き方を、教えただろうか。
「……まァ、なんだ」
涙を垂れ流し空を見つめるセニョールの耳に小さな呟きが届く。
「みっともねェくらいの泣きっ面に引き留められることだって、あるんだしよ」
そう言って、フランキーはどこか遠くを眺め、耳を澄ませるように目を細めた。
視線が向かうは西。
天災と共に生き、決して沈まぬ
聞こえくる忘れじの槌の音。
「さて、あんたはどうしたい────なんてのは野暮だよな」
そんなことは決まっている。
動かぬ身体を震わせ、何とかうつ伏せに移行。肘と膝を踏ん張り胴を持ち上げるが、ここからが難しい。
呻きを上げるセニョールの腕をとり、フランキーが笑う。
「肩貸すぜ、兄弟」
感涙に咽び見送る人々を背に、二人の男は歩き出した。
向かうは王宮。
それぞれの信念を胸に、歩みは続く。
セニョールと対峙したフランキー……の兄弟子であるアイスバーグさん。彼も親のような師匠を政府のあれこれで喪い、かつ死んだと思ってた弟分が生きて目の前に現れ、スパイに出し抜かれつつも政府の目を欺いてやり通してる人ですよね。ifだとローとの類似性があるなと思い、セニョール戦をこねこねしました。
ちなみに、このifだとルシアンは生存、ギムレットもすくすく成長しているため、技名を改変しています。
これは全くの余談なのですが、チャンドラー縛りだとタイトル選びがきついので、マーロウ縛りに緩めました。