ONE PIECE novel.DD “怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ   作:ladybug

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 玉座に繋がれたまま、ローは思い返していた。


 我知らず走り出す
 その愚かさを正義と呼ぶ



愚か者の法

 

 

 ああ、あれはもう駄目だな。

 鬼の子が臓腑を抉られた時、思ったことはただそれだけだった。

 

 

 

 

 真面目が祟り苛烈さを極めた友人がいる。

 “最強の生物”である彼に言わせれば、鬼の子は人間と並んで生きることなどできないらしい。

 

 生きることが罪。存在が恐怖。鬼の血を引く者は一生涯を追われる運命にある。

 だからこそ強く在り、支配する側にいるべきなのだそうだ。

 

 

 トンタッタ族の手により品種改良された吟醸酒用の米。極上の商品を輸送するついで、友の下へ顔を出す。晩酌に興じていたらしい彼は実につまらなさそうな顔で出迎えてくれた。

 

 友は筋骨隆々かつ凶悪な面構えの海賊だが、神経質で抑うつ傾向の高い繊細な内面を抱えている。その性質を要因とし、浴びるように酒を呑むものだから、医者としては気になる一方だ。

 内臓への負担を説き、酒に溺れるのも大概にするよう一応の説得をするが、いつも通り鼻で笑われた。アルコール依存と神経症圏の病を併発している場合、一般的には前者を優先的に治療するものであるが、患者に治療の意志がないとなるとどうにもならない。そもそも、彼たっての望みを叶えるべく酒用の米を手配している身で考えることでもないだろう。

 とは言え、気にはなる。医者としてではなく友人として出来る事といえば、酒に代わる憂さ晴らしに付き合うこと。その程度だ。

 

 友の部下がどこか期待した様子で焼き魚と燗酒を運んできた。そそくさと給仕を終えて去る背を見送り、魚を友の前に押しやる。器用に皮だけを引き剥がし皿を戻した友は無言で錫製のちろりを持ち上げた。

 仕方なく猪口を掲げ、注がれる酒を見つめる。呑めはしない。しかし、指先に伝う熱燗の温もりは心地良かった。

 

 さっさと憂さ晴らしを始めてもいいのだが、急かすのも無粋ではある。ならばと始めた四方山話。鬼と鬼の子について持論を掲げる友へ言葉を返した。

 

「鬼ってのは、要するに世を脅かす大悪党のことだろ。鬼と人間が並べねェんじゃなく、人間にとって並んで生きることが困難だと判断した奴を鬼と呼んでるってのが正しい」

「哲学の話をしてるんじゃねェんだよ」

「いや、これは倫理の話だぞ。単純に考えて、全ての人間が強く賢くなりゃ鬼なんて生まれねェことになる。個々人の脆弱を集団で補う形も有効だ」

「絵空事だ。芯から弱ェ奴は在り方なんざ考える力もねェ。鬼だけに飽き足らず、鬼の子も恨んで祟るが弱者の法じゃねェか」

「今は、な」

 

 鼻で笑う友から視線を逸らし、この語らいの意義を考える。

 友は類稀な豪傑でありながら繊細な男だ。自らの子を暴力と拘束によって支配しようとしているが、その実、それは彼自身が学んできた経験則からくる愛情の表れでもある。

 勿論、愛情だからといって良き物とは限らない。また、事情は他にもあるようで、子の話題となると複雑そうな様子で酒を呷っていた。

 

 それでも、友は人の親だ。腹も立てるが案じもする。まるきり尊厳を無視するようでいて、子がその意志を通す時を待ち構えているようにも見えた。

 

「おれは鬼の子ってのに会ったことがある。親を心配するただのガキだった」

 

 鬼など所詮は人間でしかない。ましてや、その子など只人以外の何者でもなかろうに。

 

 生ける鬼と潜むバケモノ。視線だけを投げかけ先を促す彼との付き合いも随分と長くなった。

 予測ではあと数年。とある約束の上でもあと四年程。終わりを迎えるであろうこの関係は己の計画の歯車、その一つである。

 死者は敗者。無論、憐れみはしても弔い合戦などあり得ない。ただ、ここ数年抑止力となっていた己が消える。それだけで十分な結果が得られるだろう。

 

 悪いとは思わなかった。彼にとっては死ぬまでの暇潰し、己にとっては死んでからの隙潰し。彼とて察している。海賊らしく利用しあう関係なのだ。

 

「近々世が動く。今は細波程度でも、いずれは全てを巻き込む嵐になるだろう」

「またぞろ陰謀か? お前程の男がこそこそと面白くもねェことを」

「今回おれは噛んでねェ。おれが言いたいのは、あんた好みの時が来るってことだ」

 

 睥睨する瞳の奥、揺れる感情が波紋を呼ぶ。刹那の期待、そしてそれを打ち消す諦念。腹の傷に力が入るのを見て、友の語らぬ過去を思った。

 

 なんとも不自由な男だ。

 そう思いながら、手にした猪口を弄ぶ。呑めないと知りながらも律儀に注がれた一杯。澄んだ酒の底で蛇目が揺れていた。

 

 酒の質をはかるための蛇の目。

 しかし、上等な酒と違いこの世に見通せる未来などなく、何より、質良く澄んだ世界などあり得ない。

 

 血と煙に汚れた眼を擦り彷徨う友。彼のこれまでに捧ぐよう、猪口を掲げた。

 

「いずれ来る、あんたの死に時に」

 

 友は徳利を掲げ動作だけで乾杯の礼を返した後、自身の指先より尚頼りない猪口を奪って空ける。さらに自身の徳利を呷り、喉を鳴らした。

 空の徳利が床に叩きつけられ、重い音を立てる。

 

「いつかどこかの話なんざどうでもいい。海賊なら、まずは目の前の馳走を平らげるのが筋ってもんだ」

 

 ゆらり立つ、その身の丈は見上げる程。

 遠雷の声が臓腑を震わせる。

 

「待たせたな、ジョーカー」

 

 口の端を持ち上げ応えれば、返ってくるのは獰猛な笑み。迸る覇気は心地良く、思わず眼を細めた。

 

 

 近々、七武海総員にかけられるであろう招集。己の目的を曲げてまで鬼の子の処刑を妨げる気は毛頭ない。何せ、自身の身分は政府の賢い飼い犬。役割の利を得ないうちから首輪を捨てるつもりなどないのだ。

 だが、少しばかりうんざりはしていた。

 

 思い返すのは遠き日に見た処刑台。笑いながら逝く男。彼の遺したモノに興味はない。気になるのは、遺された者が最期を迎える時、何を遺して逝くのかということ。

 死せる鬼にその子ども。

 あるいは、友人も興味を持つかも知れない。

 

 死合いの後、互いに死に損ねていれば話してやってもいい。

 

 そう思い、黒衣の男は立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 ああ、成程。

 シュガーの能力か。

 

 目はとうに覚めていたものの、海楼石で繋がれていては暴れる気にもなれない。もとより、暴れたところで何があるでもないのだが。

 トンタッタ族の二人を送り出し、王座の男はため息を吐いた。

 遠のいていた寒気が戻り、薄紅の毛皮を引き寄せる。手触りが良いため無意識に触ったものの、ドフラミンゴの外套だと気付いて目を伏せた。

 

 宝箱の中、妹の服に包まれていた少年。

 元天竜人が随分と優しくなったものだ。

 

 

 追憶に溺れるように目を閉じる。

 

 

 妹がバケモノを殺し損ねた日。

 彼女の言葉に夢の終わりを悟った。

 

 

 火の海に消えた命。死んだはずの妹が生きていると知った時は、夢でも見ているのかと思ったものだ。

 

 生きていた。

 生きていてくれた。

 

 隣にいる。何らかの思惑があろうとそばにいてくれる。強く、美しく成長してくれた。その姿を見ることが出来た。

 それがどれほどの奇跡なのか、他の誰にも理解できないだろう。

 

 きっと、ただ単純に幸せだった。

 許されないことだと気付きながら夢の続きを願ってしまうほどに。

 

 だが、妹は違ったのだ。彼女にとって、悪党となった兄のそばに居る日々は恐怖と苦痛の連続だったのだろう。

 

『全部、夢だったら良かったのにね』

 

 彼女がそう言った時。

 改めて理解した。

 

 夢のような奇跡の日々。

 しかし、それは妹にとってただの悪夢でしかない。それを我欲のままに引き留めて、夢なら良かったと望むほどに苦しませてしまったのだ。

 

 

 分かっていた。知っていたはずなのに。何度も思い知ったはずだというのに。

 

 それでも。

 

 

 トラファルガー・ローはこの瞬間、おそらく、ひどく傷付いてしまった。

 

 

 そして、やっと。

 やっと、諦めることができた。

 

 

 幸い、夢の終わりは決めていた。いつでも終えられるように整えていたのだ。

 もう少しだけ夢をみていたかった。

 ただ、それだけだったから。

 

 夢は覚めるものだ。

 

 だからこれで良いと思ったのに、死は訪れず子守唄に溶けてしまった。

 そして、彼女は去り、雪が────

 

 

 知らず外套をかき抱き、ふと気付く。

 

 思えば、いつも彼がいた。

 ドンキホーテ・ドフラミンゴ。

 妹の遺志を継ぐ者。

 

 あの夜、バケモノを殺し損ねたナイフは彼に受け継がれているだろうか。

 そうであればいいのだが。

 

 

 しばらく夢想に耽り気怠さに身を任せていると、足音が聞こえた。それは驚くべき速さで謁見室の前を横切って何処ぞへと遠ざかり、再び駆け戻ってくる。

 目を開ければ、息を切らせた海兵が立っていた。

 獅子と見紛う毛並みは乱れ、眼鏡の位置もずり落ちている。常であれば、根っから真面目な彼にはあり得ない様相だ。しかし、彼は自身の姿など気にした節もなく、大股に近付いてきた。

 

「待ってろ、今助ける」

「少将殿、コートはどうした」

「嫌味か。私がここにいる意味、分からないはずがないだろうに」

 

 普段は眼鏡に隠れた鋭い眼光が混乱と焦燥に揺れており、思わずため息をつく。

 

「せっかくエリート街道に乗せてやったのに、泥舟に乗るとは」

「お前の息がかかっている時点で行く先々は蟻地獄も同然の道だ。泥舟と何も変わらん。それに」

「それに?」

「どうせ沈むなら信ずる者と沈みたい」

 

 そう言って、彼は小さな鍵を取り出した。

 

「よく見つけたな」

「お前には言っていなかったか。私には特技があるんだ。見聞色の応用なんだが、そうと決めれば目的までの道が見える」

 

 特殊な未来視だろうか。種族由来の発達した五感との合わせ技かもしれない。

 少将が錠を開ける。軽い金属音と共に枷が外れた。

 

「十年だ。十年、欺かれていた者の気持ちが分かるか? お前は海賊であっても腐ってはいない、志の高い人間だと信じ続けた者の気持ちが」

「悪ィが分からねェ」

「なら教えてやる」

 

 襟首を掴まれ持ち上げられる。間髪入れずに頬を抉る拳。抗わず受け入れれば、少将が顔を歪めた。

 

「────十年。十年、ずっと考えていた。正義とは何なのか。救う救わないを選別する他ないとして、その天秤は本当に正しいのか」

 

 言葉と共に玉座に降ろされる。

 少将は静かな声で続けた。

 

「覚えているか? 二年前の戦争、鬼の子と呼ばれた青年が死んだ時のことを」

 

 言われて記憶を探る。

 特段、変わったことがあったわけでもなければ、さして感慨もない。ただ七武海として武力を奮い、もののついでで怪我人を治療した。いつも通り政府の犬ごっこを全うした、それだけだ。

 少将は力なく笑った。

 

「知らないだろう。あの時、自分がどんな顔をしていたのかなど」

 

 あの時の顔などと言われても。

 さらに記憶を辿れど表情の制御が緩む理由などない。強いて言えばヴェルゴの策に驚かされた、その程度のものだ。

 

 

 赤犬の挑発に振り向く鬼の子。言い争う二人の傍、乱入者が膝をついた。海侠の助け虚しく燃える拳が乱入者に向けられる。

 そして、鬼の子が乱入者を。

 弟を庇い。

 

 ああ、あれはもう駄目だな。

 そう思って。

 

 次の瞬間、ヴェルゴの放った吹き矢による爆撃が足下に直撃。

 視界と進路を遮られ、巻き添えを喰らった海兵らを引き摺り後退している間に鬼の子は死んでいた。

 

 

 頂上戦争においては名実ともに同陣営であったはずのヴェルゴ。それまで清廉潔白で売っていた彼が、よりにもよってあの戦争の場で己を攻撃したのだ。

 『戦争の隙をついて味方諸共七武海を殺そうとした』などと悪評を立てられながらも、『海賊トラファルガー・ロー』との対立を公々然たる構造へと昇華する。その思い切った策に感心したものである。

 

 

 何度思い返しても変わらない。やはり、特別なことなど何もなかった。

 そもそも自分の顔など見えるわけでもなし、分かるはずがないではないか。

 

 不審に思い、少将を見上げた。

 正義の海兵は泣きそうな顔で一音一音を噛み締めるように言う。

 

「私はあの時、本当の善を知った」

 

 首を傾げた。

 あの場に善悪などなかった。ただ、秩序と混沌があっただけだ。

 何を見たのかと問う間もなく、少将が続ける。

 

「本当の善や正義とは形振り構わぬものなのだろう。誰かを救いたいなどという我欲を遥かに越え、我知らず走り出してしまうような愚かさをいうのだ」

「ただの考えなしじゃねェか」

「そうだ。だから愚かだと言った」

 

 開き直ったのか、少将は普段通りの生真面目な顔で頷き、手を差し伸べた。

 

「お前たちの前には愚か者が現れなかった。私はそれが悔しくてならない」

 

 何故か、タラップの上、ドレスローザへと手を引いた嫋やかな指を思い出す。

 手を取れないでいると強引に腕を引かれた。仕方なく立ち上がり、ため息をつく。

 

「あと少し夢の中にいても良かったんだがな」

「私だって、もう少し騙されていても良かった。お前にも、この世界にも」

 

 投げかけられる皮肉に俯いた。

 ああ、だが、確かに。

 

 

「おれも、ずっと騙されていたかった」

 

 

 幸福に満ちた故郷。

 ただ盲目に、ヒーローに憧れた幼年期。

 偽りの再会。

 互いを助け合うという幻想。

 

 

 夢は終わる。

 いつも己だけをのこして。

 

 

 感傷を振り払うように、手足を振り全身の感覚を確かめた。能力、覇気共に問題はなし。強制的に睡眠と休息を取らされたおかげで、むしろ調子が良いとさえ言える。

 

「────“ROOM”」

 

 こちらに駆けてくる若者二人。

 どうやらまだ少し距離がある。

 

 気になるのは地下。悪の師匠ともあろう者が何をしているのか。

 

「行ってくる」

「ああ、また後でな」

「後なんかねェ。さっさと身の振り方を考えた方が賢明だぞ」

「なに、心配無用だ。言っただろう? 私は目的までの道を間違えない」

 

 何故かすっきりした様子の少将はそう言って颯爽と走り出した。言葉通り、迷いなき足取りだ。

 

 

 左手を振るう。

 

 変わる視界。立ち込める血の匂いにどこか安堵する己を感じ、黒衣の男は人知れず笑った。

 

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