ONE PIECE novel.DD “怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ   作:ladybug

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 ドフラミンゴは過去を思い、苦笑した。


 砕けた欠片を寄せ集めても、あの日の光は戻らない
 分かっている
 それでも、この手は拾うのだ
 散らばったままの願いの粒を

 願いが願いのままであるように
 心の底から願い続ける



ドレスローザ編④ ファミリー
From the bottom of my heart


 

 

 あれはそう。

 恩人に連れ出されて、というより連れ去られて後、数日経った頃のことだ。

 

 

 散々暴れてやったというのに諦めずドフラミンゴを連れ回した彼女は、ある日小さな宿屋の一室で盛大なため息をついた。

 

「あのさ。いきなり連れ出したのは悪かったけどそんなに嫌がることないでしょ?」

「……かえりたい」

 

 思わず呟いたドフラミンゴを見つめ、コラソンが眉を顰める。

 

「だめよ。あそこはあなたにとって良くない場所なの。子どものあなたを騙して何かひどいことをしようとしているのよ。孤児院の子達だって妙に従順で不自然だわ」

 

 決め付けられたこと、子どもと侮られていること、それとも。何に怒っているのか自分でも分からないまま、ドフラミンゴはコラソンを睨みつけた。

 

「お前、何見てたんだ。あいまいなことばかり言って、あいつらのこと何も知らないくせに」

 

 反論されるとは思っていなかったのか、虚を突かれたようにコラソンが目を見開く。その生温い考えに苛立ち、ドフラミンゴは怒鳴るように言葉を繋いだ。

 

「何が『騙して』だ! お前こそ、『優しい子』だとか『良い子』だとか適当なこと言って、おれを騙す気だな⁉︎ おれはそんなんじゃない!」

 

 そもそも、ドフラミンゴはコラソンを嫌っていた。甘く燻るような煙草の匂いがする手、陽の光のような目、熱を持った背中。全部が煩わしくて大嫌いだった。彼女がそばにいると胸が騒めく。それがたまらなく嫌だったのだ。

 それに、コラソンはドフラミンゴを見ているようでその実、別の誰かのことを考えている。

 ボスは違った。大体が無関心で放置されるのだが、ごくたまに視線や耳を傾けてくれる時は確実にドフラミンゴのことだけをみてくれた。意見を取り入れるか否かは別として、最後まで話を聞いてくれるのだ。

 

 血を共連れに先を行く背中。数えるほどではあるが、その背に背負われて見上げた星空を思い出す。

 

「あいつはおれを助けてくれた。他にも役立たずを拾って育てて好きにさせてる。変な奴だけど、優しいってああいうのを言うんだろ。ベビー5が言ってた」

「お兄様が優しい? そんなわけない。お兄様は、だって、悪いことばかりしてたわ。人助けにも何か裏があるのよ」

「お前、本当に何見てたんだ」

 

 コラソンは狼狽を隠しもせず、一拍おいて眉根を寄せた。そしてじわりと涙を浮かべ、ドフラミンゴを睨みつける。

 まるで、ドフラミンゴが悪いかのように決め付けてくるその目。

 大人のくせにずるい。

 そう思い、負けじと睨み返した。

 

「何を見たのか答えてみろよ!」

「何って、決まってるじゃない。人殺しに武器の売買、嘘をばら撒いて戦争を起こして。あんな、あんなひどいこと……」

「ひどい? そんなこと皆やってるだろ。だって、殺されるんだぞ」

「え?」

「誰も守ってくれない。皆殺しにくる」

「え……?」

「先に壊さなきゃこっちが死ぬ」

「そんなこと、誰に教えられたのよ!」

「────お前ら人間だえ!」

 

 机を叩く。

 びくりと肩を揺らしたコラソンが信じられないものを見るような目でドフラミンゴを見つめた。

 

 何も知らない馬鹿。

 何も知らないくせに。

 

「お前らがおれ達を殺すんだ」

 

 声が震えないように歯を噛み締める。

 

 息子を殺された。奴隷にされた娘が使えなくなったからと返されて自殺した。友が連れ去られた。故郷が焼かれた。

 そう喚くただの村人の手によって投げつけられた石が頭にあたった。そんなくだらないことでドフラミンゴの弟は死んだ。喚く村人共の家族や仲間を殺したのは別の天竜人だ。ロシナンテ自身は何もしていないのに殺された。

 ファミリーの面々とて似たようなものだ。たまたま生き残っただけで、他の仲間とやらは人間に殺されて死んでいた。

 先にやらねば殺される。常識ではないか。

 そこまで考え、ふと思い出した。

 

 そういえば、ボスは違った。

 

「お前の兄上はおかしな奴だ。死にかけの女のそばでずっと手を握ってた。そいつ、あいつを殺そうとしたのに」

「誰かがお兄様を、殺そうとした?」

「そうだ。ピーカが止めたけど。病気だって言ってた。国の偉い奴に命令されて、爆弾代わりに無理やり特攻させられたって」

「そんな、ひどい。どうして……」

「そりゃ懸賞金狙いだろ。アジトには宝もあるし。女のことだってどうせ死ぬなら最後まで使う。でも、あいつはおかしいから最期まで面倒みてた」

 

 船に潜り込もうとした女。その女は長い間、王の妾であったと言う。妊娠したふりをして腹に爆弾を抱えた、美しいが痩せ細った女だ。ピーカに取り押さえられ、ボスの能力で腹から爆弾を抜き取られた彼女は数日の後、眠るように息を引き取った。

 暇だからと痛みを取り除くための処置を施し、女の最期を看取ったその晩。ボスは予定を繰り上げて一夜のうちに彼女の祖国を滅ぼし、何事もなかったかのように朝の食事に顔を出した。

 あの時のボスの行動が理解できない。暇も何も、女は放置して先に打って出るべきではないか。次の手に出られたり逃げ出されたらどうするのだ。

 

「なァ、コラソン」

「何よ」

「何であいつは自分を殺そうとした奴の面倒を見たんだ? 寝返らせて使えるならともかく、数日で死ぬような奴なのに」

「それ、は。情報を聞き出したりとか」

「捨てられた妾なんかが何を知ってるんだ。王の生活とかか? そんなの、あいつなら知らなくてもどうだってできるだろ」

「……だって、お兄様は」

 

 青褪めたコラソンが口許を抑え目を伏せる。指先が震えているのを見て、そばにいたくせに本当に何を見てきたのだろうと不思議に思った。

 

「本物の家族はお前だけなのに何も知らないのか。家族なのにちゃんと見てないんだな、あいつのこと」

 

 家族であるコラソンに聞けばボスの行動の意味がわかると考えたが、当てが外れたようだ。

 当初の苛立ちも忘れて口を尖らせたドフラミンゴとは対照的に、コラソンは泣き出す寸前の顔で呆然としている。

 

「もしかして、お兄様は……いえ、そんなわけない。そんなわけないけど、このままあの計画を進めたらいつかお兄様は殺される……ああ、でも、私だって」

 

 支離滅裂とはこのこと。悪様に語るそばから心配し、それをまた否定する言葉を延々と呟く。

 どうも様子がおかしい。距離を開けようと思い、そっと椅子を引いた。しかし、コラソンはドフラミンゴの手を掴んでそれを制止し、低い声で囁く。

 

「ドフィ。あなたはあの人のそばにいてはだめよ。()()()()()()()()

「なんでだよ。おれだけって、なんで」

「それは……そう。そうよ、あなただって一生隠れて生きるわけにもいかないんだから、真っ当に暮らす方法を────」

「うるさい!」

 

 コラソンの言葉を最後まで聞かず、ドフラミンゴは腕を振り払い、椅子を蹴ってベッドに潜り込んだ。

 あの女は何も分かっていない。

 

 天にも地にも属せない逸れ者。世界を憎み破壊を望む元天竜人という特大の厄介者を、何か企むでもなく、それどころか躊躇うことすらなく受け入れてくれたのはあの男だけだった。

 両親に連れられ野に降りたときを思い出す。あの時と同じだ。望んでもいないのに世界が一変して、火に炙られ石を投げられ、汚泥を啜り、それから。

 

 それから。

 

 心臓が嫌な音を立てて騒ぐ。頭から毛布を被って耳を塞いだ。鼓動がかえって大きく聞こえ、身体を丸めて堪える。

 

 ファミリーで暮らすようになってからは息がしやすくなった。何か問題を起こせば普通に拳が飛んでくるような場所。だが、逃げ回る必要はなく、夜も少しは眠れる。侮られ揶揄われ、時に呆れられるという再三の侮辱は我慢ならない。ただ、代わりに誰かが必ずそばにいた。

 

 ひとりはこわい。

 もう、他に生きていける場所なんてないのに。こんな、誰もいないところに連れてこられて、また。

 

 

 また、夜が来る。炎の揺れる夜が。

 

 

 薄い毛布越し、衣擦れの音がした。

 得体の知れない女。甘やかされ、大切にされていたくせにボスを捨てた人間。

 

「……ごめんね」

 

 吐き気がする。

 甦るのは忘れたはずの父の声。銃の重み。反動、肩の痛み。血、匂い。首の重み、蔑みの目。

 

 炎。追ってくる。迫る。赤。

 黒。

 ヒールの音。

 

 帰りたい。

 

 少年は涙を堪え、固く目を瞑った。

 

 

 

 

 

 俯いたシュガーを見下ろし、ドフラミンゴは恩人との旅を振り返っていた。

 正直なところ、シュガーが引き起こした事態については欠片も許していない。ただ、涙ながらに彼女を抱きしめ、うっかり辺りを凍らせるモネのせいで糾弾どころではなくなってしまったのだ。

 溜飲は全くもって下がらない。しかし、何か言う前に彼女が涙ながらの謝罪をいれたものだから、振りかざす拳の先などなくなってしまった。

 そもそも、直前まで死にかけており、涙を溢す子どもを大の大人が懲らしめるというのもどうか、という話である。

 

 子ども。

 シュガーは決して子どもではない。一人前のレディだ。しかし、ドフラミンゴはその事実に気付いていなかった。

 

 ドレスローザに突入してからというもの、完全に後手に回っているドフラミンゴ。しかし、本来、彼は周到に事前調査を行った上綿密に計画を立てさらに得意の俯瞰視点で粗を潰す性質の人間だ。当然、ファミリーの幹部については調べをつけており、シュガーについても存在程度は認識していた。

 既存幹部モネの歳の離れた妹。ファミリー入りはここ一年内だが、いきなり幹部となったわりに殆ど表に出る事はなく、能力者なのかどうかすら分からない隠し玉。一種秘匿された存在であることから、或いは彼女がトラファルガーの計画における鍵なのではと疑っていたほどだ。

 確かに彼女の能力は恐ろしい。()()()()()とは、如何にも世界を混沌に陥れる蛇が好みそうな力である。ただ、蛇本人が能力の毒牙にかかっては元も子もないのだが。

 

 呆れるドフラミンゴであったが、彼もまた冷静さを欠いていた。

 ドレスローザ到着直後にトラファルガーによって気絶させられた上、海上の拠点まで護送されて遠ざけられ、復帰後慌てふためき情報収集することなく文字通り飛んで戻り、そうと思えば誰と情報共有をする間もなく銃弾を喰らって再び失神。回復後に合流した麦わらは報連相など眼中にないタイプで、得られた情報は虫食いどころか重要なポイントが抜け落ちている。頼みの綱であったベビー5は途中まで連絡不通となっていた上、今や浮かれて会話が薄らぼんやりする始末。

 誤解を解こうにもタイミングがなかった。

 

 ちなみに、シュガーはモネと同時期にファミリー入りしており活動もしている。だが、彼女が能力を使う機会は限られ、その際は必ずトラファルガーが同行する上、移動も彼がサポートし人目に触れることなく仕事を終えればすぐ帰還。能力の性質上、あまり外に出るわけにもいかなかった彼女はここ十年近く管理小屋に引きこもっていた。正確には、()()()()()()外に出る事を避けていたのである。

 彼女は時折、トラファルガーの能力によってファミリーの協力者と精神を入れ替えて孤児院訪問など表の活動にも参加し、何なら休日も満喫していた。彗星の如く現れファミリー入りと幹部入りを果たしたようにみえたが、その実ここ一年で顔出しを解禁しただけという話である。

 

 何にせよ、諸々の要因が重なった結果、ドフラミンゴはシュガーの能力の全貌を掴めず、誤解を深めるばかりであった。

 

 自身の血に塗れた服の裾を掴み、鼻を啜りながら頭を下げる()()を見下ろし、ドフラミンゴは全身全霊をかけて冷静さを装う。

 

「もういい。頭を上げろ」

「あんたの大切な思い出を奪った。ごめんなさい」

「謝罪は受け入れてやる。トラファルガーにも後で謝るんだろうな」

「それが許されるなら。あんた、若様を殺しに来たんじゃないの? 後って……」

「後は後だ」

 

 目的まで答える義理などないだろう。言葉を短く切れば、シュガーは目を閉じた。祈るように胸の前で組んだ手に力が入る。

 

「私達は若様に雪の中から助け出してもらった。それなのに、若様はずっと雪の中にいる。変わらない。ずっと」

 

 確かに、再びあの男に相見えた時はあまりの変化のなさに驚いた。

 まるで時を止めたような、いや心身の一部がどこか壊れて動かなくなってしまったような不変の有様。そのくせ、濁り切った瞳だけが記憶とずれていく。

 表情も大きく動かない。あんな人間ではなかった。時折ではあるが自然に笑い、ごくたまに不機嫌そうな顔も晒していた。

 

 歩く小綺麗な死体。人間の真似事をしているナニモノか。そんな様相でありながら、或いは異質であるからこそ崇拝され、トラファルガー・ローはここまで来てしまったのだろう。

 

「あの人と若様の日々を見ていないのは私とお姉ちゃんだけ。だから、私がやらないと。そう思ったの」

 

 指先が白くなるほどの感情を小さな身体で抑え込み、彼女は震える声で囁いた。

 

「今度は私が若様を救いたかった」

 

 シュガーとドフラミンゴの目的は遠いようで近い。手段は気に入らないものの、その心情は理解できた。

 たとえその行為が恩人を傷付けるものであり、トレーボルに与し裏切り者と誹られることとなってでも、トラファルガーを一種の呪縛から解き放つ。恩人に報いたい。その一心で、彼女は凶行に出たのだろう。

 だが、一方で誰かに止めて欲しかった。恩人を傷付ける己を罰して欲しかった。だからこそ、何の抵抗もせず凶刃を受けたのかもしれない。

 そして、シュガーの計画は幕を下ろされ、世界は元通り。トラファルガーは『彼女』を失った、正常で冷たい雪の中へと瞬く間に引き戻されてしまった。

 

 変わっていく。皆が進んでいく。

 あの日、宝箱の中にいた己ですら、ひたすら走り続けてここまで来たというのに。

 

 自らの手で葬った宝の傍。

 この十三年、トラファルガー・ローは雪の中に留まり続けているのだろう。

 

 だからこそ、ドフラミンゴは為すべきことを為さねばならない。

 

 遺された己がやらなければ。

 そう、強く思う。

 

「おれはトラファルガーを助けたいわけじゃねェ。だが、あの男が立ち止まったままじゃ、おれが前に進めねェんだ」

 

 シュガーが濡れた瞳を瞬かせ、ドフラミンゴを見つめる。

 不安に見え隠れする微かな期待。夜空に霞む暗い星のようなその弱々しい光を引き出すように、ドフラミンゴは堂々と胸を張り王宮を指した。

 

「まァ、黙って見てろ。とりあえず動けるようにしてやってから────」

 

 刹那、ドフラミンゴは言葉を飲み込み、空を振り仰ぐ。感じた総毛立つほどの視線。内臓まで見透かされているような違和感。

 何より覚えのある感覚。

 

 凪と雪の気配。

 

「────は?」

 

 全てを覆い尽くす青い被膜が広がり、各地で歓声が上がった。

 

「な、んだと……?」

 

 王宮を指したまま硬直するドフラミンゴ。驚き瞠目するシュガー。

 並ぶ二人が呆然とする中、モネと子ども達、そしてトンタッタ族が手を取り合って喜んでいる。

 沈黙の後、シュガーがおずおずと呟いた。

 

「若様、もう動けるみたい」

「…………」

「鍵、まだいる?」

 

 額に青筋を浮かせ歯を軋ませたドフラミンゴを見上げ、シュガーが訊ねる。

 心なしか申し訳なさそうな彼女に対し、表情筋を総動員。持ち得る全ての精神力と意地を振り絞って笑みを返し、“怪盗”は己が手にした小さな鍵を揺らしてみせた。

 

「フッフッフ! 悪ィがもう盗ってる」

「…………」

「────何か言いたいことがあるなら言ってみろ」

「あの。若様が、ごめんなさい」

「…………」

 

 無言で肩を落とすドフラミンゴと頭を下げるシュガー。二人の間には微妙な空気が流れていた。

 互いの恩人同士の縁で顔を合わせた二人。ともすれば、殺し合うしかなかったであろう二人。それがいまや謎の共感を抱き合って並んでいる。

 もしや、恩人というものは人を振り回すのが世の常だったりするのだろうか。それとも、あの兄妹が特殊なのか。

 

 姉妹と子ども達に見送られ、半笑いで歩き出したドフラミンゴは己が恩人の姿を脳裏に描く。

 

 思い返せば、旅が始まった当初は恩人も己も互いに最低最悪の態度だった。始まりが誘拐同然であったことも手伝い、ことあるごとに衝突したものだ。

 また、タチの悪いことに恩人は他人の地雷の上で踊り狂うタイプの人間である。この性質が生来の善性と悪い方向に噛み合うものだからドフラミンゴの歯軋りは留まるところを知らなかった。

 

『ふーん? 外ではあの変な訛りを抑えてるんだね。えらいえらい』

『お肉焼けたよ。そんな遠くにいないでこっち来たらどう?』

『お兄様みたいに? やめなよ、無理だって。糸でそんなの無理だってば』

 

 正直、今思い出しても若干腹が立つ。ましてや当時、己は子どもだったのだ。それはもう掴み合いの喧嘩をするほどに歪み合い、彼女から逃れようと躍起になった。

 

 隙を見ては逃走しようとする子どもとやたらに腕力が強く子どもっぽい大人。明らかに不審者であったように思う。

 

 ドフラミンゴとて世間を知っていたわけではない。だが、恩人も大概だった。よく言えば純粋、ドフラミンゴに言わせてみれば単純馬鹿。何度危ない目にあったか分からないし、当然、奇異の目で見られた。

 うっかりドフラミンゴの出自が露見した時など這々の体で逃げ出した挙句、ドフラミンゴ以上に涙を流し傷付いた様子で世の無情を嘆き、心の底から怒る。

 無防備で明け透けな彼女の涙。それは思わずこちらが慰めてしまうほどに激しく、結果的にドフラミンゴ自身が抱く嘆きや憎しみをも雪いだ。

 

 恩人の方法では何も解決などしない。そんなことで世界は変わらない。ただ、それでも、ドフラミンゴ自身は確かに変わった。迫害を無意識に受け流して諦め、憎しみを募らせるばかりだったドフラミンゴの世界に、恩人は『しっかり嘆いて正しく怒る』という方法を提示したのだ。

 それは世の中そのものを変える力ではなく、自身の在り方と視点を変える力。

 自らが変わることにより、身近な世界の風景が一変することを彼女は教えてくれた。薄汚い路地裏、暖炉の火、人々の笑い声。ドフラミンゴを脅かしていた全てが違って見えるようになった。

 

 彼女といれば、世界は変わる。

 息が出来る。

 

 だが、それだけではなかった。

 ただ離れがたかった。

 

 彼女はすぐ泣き、すぐ笑う。怒ると手がつけられない上に酔うと最悪だ。しかし、いつしか、彼女は自身の全てをドフラミンゴに傾けてくれるようになっていた。

 時折兄のことを考え、不安から逃れるようにドフラミンゴに構う。逃避の一種なのだと薄々気付いていても、どうしても嬉しくて同時に怖くなっていった。

 己は彼女の望むような人間ではない。どう転んでもそうはなれない。 

 

 彼女の兄の代わりにはなれないから。

 何かのはずみで、()()を打ち明けた。

 

 そして、恩人は────

“コラさん”は、ドフラミンゴにとってかけがえのない人になったのだ。

 

 初めて、彼女をそう呼んだ時。

 驚いて椅子から転がり落ちた彼女が泣きながら浮かべた、無様でこの上なく愛しい笑みを思い出す。

 

 

 あの日から、今までずっと。

 ドフラミンゴは己が一人だと感じたことがない。彼女を喪った今も、ずっと。

 

 

 怒りや憎しみは絶えない。寂しさとてある。胸に穴が空いたような苦しみも。クルーと共にいる間は格段に薄くなるその痛みは、どこか寒気に似ていた。

 他人から温もりを奪いたくなる、喚き散らしたくなる、そんな寒さ。

 

 それでも、一人ではない。彼女がいる。ずっと己の前で笑ってくれている。

 目を閉じればそこにいるのだ。

 

 あの男はきっと、この光を失った。

 

 ドレスローザ全土に轟くほどの強大な気配。冷たい熱は一度地下に移動して影騎糸を下した後、再び王宮へと戻っている。

 まるで焦がれるように、ただ待っている。

 

「待ってろよ」

 

 トラファルガー・ロー。

 彼に届けるべき想いがある

 

 意味を失った鍵を握りしめ、ドフラミンゴは向かう先を睨みつけた。

 

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