ONE PIECE novel.DD “怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ   作:ladybug

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 ディアマンテは剣を閃かせ、にたりと嗤う。


 病は癒えず、つける薬もありはしない
 あえて言わせてもらおうか
 お前を手放す気は毛頭ないのだと!



つける薬もありはしない

 

 

 十年前のことだ。

 

 惨劇の痕も痛ましい広場にて、トラファルガー・ローへの公開審問が行われた。

 事件を機に王下七武海となった彼は、裏で手を引きドレスローザを利用したのではと囁かれていたのだ。

 救国の大恩人を疑いたくはないが、ただ信じるには事件の傷が深すぎる。審問は民の心を汲んだヴィオラが提案し、国民より無作為に質問者を選ぶ形で行われた。

 

 事件当日、何故ドレスローザにいたのか。どんな意図があって助力してくれたのか。支援物資は略奪によるものか。

 

 投げかけられる質問に対し、トラファルガーは訥々と答える。

 

 暴動を予期しており、利用できると思った。しかし、意にそぐわない被害が起こり、利益を損ねたため介入した。支援物資は協力者の手によるものだが、その資金の一部は略奪によるものだ。

 

 表情も変えずに答える彼は何故か時折偽悪的に振る舞った。見かねたヴィオラが制止し事実を伝える。

 

「暴動について確かに予期はしていたのでしょう。だけど、あなたの予測は外れた」

「…………」

「当初は別の国が襲われると思っていたのよね。そして、我が国が支援に乗り出すと考え、そこに参入しようとしていた」

「────姫様、私は」

「利用しようとしていたのは事実だわ。ただ、こんな形で関わるつもりではなく、万が一予測が外れたときのために潜り込んでいた。違う?」

 

 返答に窮し口を閉ざすトラファルガーを見つめ、ヴィオラが続ける。

 

 暴動は貧困が原因で、それを見越して救援団体に資金援助や武器の融通をしていたこと。破壊に傾倒しがちだが他の国でも同じような活動をしていること。支援物資の多くは寄付で成り立っていること。

 

 詳らかにされていくトラファルガー・ローの行動と思想はどことなく覚えのあるものだった。

 規模や意図に違いはあれど、それはリク王家が守り続けたドレスローザの行動理念に良く似ている。

 

「知らないようだから教えてさしあげるけど。あなたが隠れてこそこそやっていることはね、一般的には人助けというのよ」

「人助け? あなた方善人と私とは違う。皆さんの前にいるのは浅ましい海賊です。今もまた、あなた方を利用しようと企んでいるかもしれませんよ」

 

 ヴィオラの指摘は的確かつ容赦無い。

 薄ら笑いを浮かべて嘯く黒衣の男だったが、彼を見る国民の目はどこか生暖かいものとなっていた。

 凡そ疑いも晴れて緩んだ空気の中、リク王が問う。

 

「最後に一つ、教えてほしい。経緯と認識はどうあれ、我々は君に救われた。この恩に報いるため、我々に出来ることがあれば助力したい。トラファルガー・ロー、君は何を望む?」

 

 意味合いを飲み込めなかったのか、トラファルガーは瞬きを返した。

 その顔には先程までの能面じみたものとは全く別の、ある種、子どものような表情が浮かぶ。

 何でも構わないと頷いてみせるリク王に対し、黒衣の男は理解できないというように首を傾げた。

 

 何か答えねばと思ったのか、彼はどこか苦しげに眉根を寄せ、目を伏せる。

 

「……穏やかに、眠れる場所が」

 

 零れたのはありふれた願い。しかし、その言葉のどこにも希望はない。

 何もかもを諦めている。誰が聞いてもそうと確信できるほどに、その声音は儚く弱々しかった。

 静まり返る広場の様子を見て我に返ったのだろう。黒衣の男は視線を彷徨わせた。狼狽を隠すためか、重たげな袖で口元を覆い、彼は首を垂れる。

 

「申し訳ありません。無法者の世迷言です。どうかお忘れください」

 

 それは絞り出すような、悔恨の滲む謝罪だった。

 

 

 

 

 

 未だ戦闘の続く高台四段目。

 対峙するのは闘技場の新旧チャンピオン二名。互いに満身創痍ながら戦意は未だ衰えず、撃ち合う技巧に翳りはない。

 ディアマンテは額に飛んだ血を拭い、巻き起こる喝采に笑みを浮かべた。

 

「この状況でよく盛り上がれるもんだ」

「そちらが言ったのだろう。愉しめ、と」

 

 キュロスが両刃剣を構えて応える。疾風迅雷の突きに続けて閃光の薙ぎ払い。当初は怒りに満ちていた太刀捌きも今は冷静さを取り戻し、冴え渡っていた。

 

「思えばこの十年、訓練で剣を交えることはあっても試合をしたことはなかったな。機会はいくらでもあったというのに」

「あたぼうよ。おれとお前の戦いはただで見せるにゃ勿体ねェエンタメだからな」

「今日はいいのか?」

「主の方針が変わったもんで闘技場も終いだ。これまで散々稼がせて貰った分、最後くらいは還元しねェと、な!」

 

 舞うように突きと払いを繰り返すディアマンテ。宵闇色をした鉄の外套は帷となり、その切れ間を縫うが如く剣は踊る。

 時に直線、時に揺らぎを纏う切先には迷いの一つも浮かばない。常に隙を狙う狡猾な蛇。主の在り方に似せた太刀筋だ。

 忍び寄る牙の悉くをいなし、不敗の英雄が問う。

 

「主か。彼は何を考えている?」

「答えると思うのか?」

「思わんさ。だが、問うべきことだ」

「いまさらだな」

「その通りだ。十年前に尋ねておくべきだった。彼が何を考え、何を為さんとこの国に残ったのか」

「おいおい。あれだけ質問しておきながら、まだ訊きたりねェってのか?」

 

 愉快な気分に水を差され、ディアマンテは腕を下ろした。

 

 十年前の公開審問を振り返る。

 根掘り葉掘りとまでは行かないが飛び交う質問と、心を見透かす能力者の存在。元より、本人とトレーボルを除きファミリーは審問に否定的だった。

 不満を抑え護衛として同席したディアマンテにしても、いつローの仮面が引き剥がされるかと気が気でなかったものだ。

 

 ドレスローザの民に誹られるのはいい。排斥を受けるのも慣れている。追われることも日常茶飯だ。問題はない。

 ただ、ディアマンテは直感していた。

 

 この国との繋がりを失うべきではない。

 ローにはこの国が必要なのだ、と。

 

 十三年前から数年の間、ローはどこか投げやりに思える速度で事を進めていた。生き急いでいると言うよりは死に急いでいる、それほどの勢いで。

 しかし、激流のような歩みが緩んだ。それがドレスローザの一件を迎えた頃だったのだ。

 以前の彼であれば、復興を手伝いながらも協力者を通じて自然な流れで内政干渉を行い、時に外交まで掌握していたはずだ。

 それがどうだ。王族に手を引かれて町を歩むだけ。復興もただ手を貸すだけ。

 挙げ句の果てに教会の子どもに勉強を教えるなどと意味不明な行動を取り始める。

 ディアマンテは気付いた。

 

 この国には何かがある。

 ローを引き止める何かが。

 

 その『何か』は審問最後の回答に表れていた。主が望む場所、その真の意味。

 トラファルガー・ローは自身の安寧を求めたわけではない。彼が求めたのは亡きトラファルガー・ラミの安息だ。

 この国ならばと、ローは考えたのだろう。景色も美しく、善人が手と手を取り合って生きているこの国であれば、と。

 事実、彼女の眠りを妨げる者はない。

 

 馬鹿馬鹿しいと思う。死者は何も語らない。何の権利ももたない。屍には肉と骨以上の価値などあるはずもないだろうに。

 贅沢な願いだ。スラムを出て海賊として名を上げ、並ぶ者など数える程となった今でも、叶えることの儘ならない望みだ。

 

 だからこそ、叶えてやりたくもなる。

 

 柄でもないとは理解しつつ、ディアマンテは真実を飲み下し、このひどくつまらない国に留まるローの側に在り続けた。

 

 そして今、愚かな主はドレスローザを捨てようとしている。

 否、彼が捨てようとしているのはこの国ではない。彼自身だ。

 

 ローはきっと、全てを終える気でいるのだろう。この国を出るとは言ったが、生きて出るとは言っていないのだから。

 問題など何処にもない。

 ローの企てた世界転覆のシナリオは荒唐無稽にも程があるが、その実、どう転んでも戦乱満ちる極上の世界へと繋がる。

 今はただ、卓に乗せられた極上の戦いを味わい、ローが事を終えたあとは獣のように暴れ続ければいい。

 

 そこまで考え、再び切先を持ち上げた。

 それは何故かひどく重い。

 

 高揚感に翳りがある。護れない。何も成せない。願いは叶わない。無力だ。思考にもやがかかり、手が震えた。

 馬鹿はどちらかと己を嗤う。

 確かに、ディアマンテは戦いに依存している。血に興奮を覚え、傷に歓喜し、呻きに充足を得て、それでやっと上手く呼吸ができる。

 だが、今や『それがないと生きていけない』ものは他にもあるのだ。

 死者に価値はない。死にゆく者にも価値はない。そう割り切れるのであれば、この剣はさらに研ぎ澄まされていただろうに。

 

 ディアマンテの変化に気付いたのか、キュロスが剣を下ろした。

 

「彼は変わっていない、と。そう、ヴィオラ様は仰っていた。ならば、先の行動にも害意はないのだろう」

「ウハハ! この国では蟻一匹弄ぶにも害意だなんだと宣うのか? それともまさか、我らが主殿がお前らのようなただの人間と同じ視座に立っているとでも?」

 

 分かりやすく蔑むディアマンテに対し、キュロスがかぶりを振る。

 

「揺さぶりならば無用だ。既に種は明かされている」

 

 静けさを保つ声音は嵐の最中にあって揺れぬ大樹の如く。

 ローが時間稼ぎ、ひいては戦闘から遠ざけるためにリク王を解体したと気付いたのだろう。何せ、電伝虫を通して国中に響く王の声は力強さを増しており、十年前の比ではないのだから。

 ディアマンテは鼻を鳴らし、肩を竦めて応えた。

 

「あいつは魅せ方ってものが分かっちゃいねェのよ。お粗末にすぎるペテンじゃ、お前ら程度の間抜けも騙せねェってわけだ」

「いや、騙せたさ」

 

 キュロスが王宮へと視線を向ける。

 つられて見上げれば、その先にあるのは強大な気配。王宮を中心に空気を弛ますほどの異物感が国全体へ広まっている。

 この十年、ドレスローザを支え続けた護国の英雄は今、荒ぶる神の如くそこに座していた。

 

「よくも抑えていたものだ」

 

 驚愕や感嘆とは別種の呟きを落とすキュロス。精悍な顔に浮かぶ感情が何であるか理解し、ディアマンテは戦化粧を歪める。

 

「哀れなもんだろ。ただ生きてるだけでああなんだ。しかし、あんなバケモノが友人面して潜んでたなんて、ぞっとしねェ話だよなァ?」

「バケモノか。彼にはその自覚があるんだろうな」

「ウハハハハ! 自覚、自覚ときたか! 自覚も何も好き好んでバケモノやってんだよ、あの馬鹿は!」

 

 十三年前、『バケモノらしくありたい』などとトンチキなことを言い出した主を思い出し、笑いが込み上げる。膝を打って大笑する剣鬼を睨み、英雄が尋ねた。

 

「お前はそれでいいのか?」

「────はァ?」

「友が自らバケモノとなる道を直走っている。嫌悪され排斥を受け、この世の何処にも居場所がないと信じ切り、自らに枷をかけ、檻に閉じ篭もり続けている。それでいいのか」

 

 静かに問い、両刃剣を正眼に構えた男。闘技場を引退してなお不動の戦歴は彼の歩んだ道のりでもある。

 研ぎ澄まされた剣技、鍛え抜かれた身体、揺るがぬ精神。その全てを駆使し勝利し続けた彼は獣と人の違いを知っていた。

 

「喪ってからでは遅いぞ」

 

 英傑の眼に宿る傲岸なまでの強さに苛立ち、同時に僅かな高揚を感じながら、ディアマンテは構えた。

 先攻はディアマンテ。切先は頭上高く、放たれるは大地を裂く一撃。

 キュロスは足が沈む程の踏み込みでこれを回避、悪鬼の懐に飛び入って両刃の腹を叩き込む。しかし、ディアマンテもまた打撃を難なくいなし風に舞って避け、更に両者の足元のみを対象に地を波打たせた。

 海のように荒ぶる大地。跳躍して距離を開けるキュロスへ追撃の拳が飛ぶ。能力により剣そのものを纏った拳は闘牛の猛追を見せ、英雄を翻弄した。

 回避は消耗に繋がる。そう判断したキュロスが一歩踏み込んで横凪の一撃を放てば、広がる外套が鉄の音を立てそれを弾く。飛び散る火花は両者を照らし、明暗なき闘いを克明に見せた。

 

「系統は違えど、お前と彼の剣は似ているな。生き抜く為に磨かれた剣だ」

「そりゃあそうだろうよ。おれがあいつに剣を教えたんだ。獣の作法もな」

「獣か。懐かしいな。私も身に覚えがある」

「笑わせるぜ。聞けよ、この喝采を。お前を獣だと思うような奴ァこの世の何処にもいやしねェ」

「いいや、いるとも。剣を握る度に思い出し、血を見るごとに近付く。誰が忘れようとも私が、私自身が覚えている。血濡れた手は拭えず、過去の罪も消えはしない」

「語るじゃねェか、元チャンピオン。だが、昔はどうであれ、作法はお忘れのようだな。おれ達ァ爪と牙で語らうのが筋ってもんだろうが、ええ?」

 

 激しい剣戟の合間、二人は言葉を交わす。

 闘技とは互いに向き合うもの。溝を埋める言葉など本来は必要ない。それでも血の通う語らいは愉悦と酩酊を呼び込む。

 繰り出されるは雷鳴の突き。空間を抉る刺突に半身を翻し、ディアマンテは後ろへ跳んだ。追うキュロスの足元へと銃弾を見舞い牽制する。

 

 互いの刀身が届くか届かないかの距離。コロシアムの英雄は息を荒げ、ただ睨み合った。

 

 正眼に構えるキュロス。勇猛さに未だ翳りなく、立ち姿には一分も揺らぐ隙なし。

 不遜に嗤うディアマンテ。太陽を背に立ち、悪鬼もかくやの凶相が風に揺れる。

 

 両者共に満身創痍。卓越した剣技の数々は、ともすれば凄惨とうつる様相ですら極上の絵画へと昇華し、観客を魅了してやまない。

 

 ディアマンテは柄を握る指へと意識を向ける。やはり、僅かに重い。

 呼吸を探り、視線を読み合う刹那。膨大な情報を捌き、脳が焼き切れていく感覚が生の充足を感じさせてくれるはずだった。

 だが、足りない。足下が覚束ないのだ。血と骨肉。その感触と互いの苦鳴。闘いが醸し出してくれるはずの万能感は指先まで届かず、全ての動きが鈍重にさえ思える。

 常人であれば隙ともならぬ極小の罅。だが、この場にいるのは不敗の英雄だ。

 キュロスの剣が鉄を裂き腕を抉った。

 

 轟く喝采。それは悪意や害意を含まず、両者の名を叫ぶ純粋な応援だ。

 

 時を同じくして高台最上段の王宮から覇気のぶつかり合う気配が轟いているのだが、この即席の闘技場に至っては満ち満ちる熱狂がそれを上回り、観客は欠片も動じていなかった。

 

 暢気かつ豪胆にすぎる国民性を前に違う意味で笑えてくる。

 何を食べて育てばこうなるのか、真剣に疑問だ。繊細な己は爪の垢でもいただくべきか。そんな益体もないことを考え、ディアマンテは口を歪ませた。

 

「さて、と。キュロス殿、悲しいかな楽しい時間ってのはすぐに過ぎちまうもんだ。お付き合いいただいたとこを悪ィんだが、王宮でパーティが始まるとあっちゃあ、ここらで店仕舞いとするしかねェ」

「奇遇だな。こちらもそろそろ王命を果たさねばならない」

「王命とは初耳だな。悪いバケモノを退治しろってか? 全く、恩も忘れて身勝手なこった」

 

 挑発を受けたキュロスがかぶりを振る。

 

「私に任されたのは抗議と質問。抗議は当然、今回の騒動についてだ。どう逃れようが追及はさせていただく。その上で、彼に今一度問う、それだけだ」

「ここにきてまた審問か。悠長で結構なことだ。それで? 何を問う? どちらが勝っても負けても聞けねェんじゃ気になっておちおち剣も振るえねェ。教えてくれよ」

「『何をしたいのか』だ。何を望み、何故こんなことをするのか。その根幹を問う」

「いまさら何のためにだ?」

「決まっている。共に考え、共に悩み、望まれるならば助力するためだ」

「……はァ?」

 

 呆気に取られるディアマンテを見返し、王命を背負う英雄は真面目な顔で告げた。

 

「この国にバケモノはいない。少なくとも、私達の目にはそう見えない。彼はトラファルガー・ロー、ドレスローザの良き隣人。友だ」

「────ウハハハハ! 傑作だな! 王の頭の中まで花畑か、この国はよォ!」

 

 空を仰いで哄笑する。戦闘以外でここまで笑えたのは実に久しぶりだった。それこそ、生まれて初めての病院ごっこ以来だ。あの時のローの真面目くさった顔は最高だったと振り返り、思い出し笑いまで込み上げてくるものだからどうしようもない。

 善性が先立つ人間の考えることはわからないものだ。彼らの方がよほどバケモノではないか。

 そんなことを言えば、妙に負けん気の強い主は無駄に張り合いそうだが。

 

 いつのまにか揺らぎはおさまっている。今、身体中を巡るのは戦闘の高揚感とは別の、使命感とでも言うべき感情だ。

 笑いを噛み殺し、ずれた帽子のつばを跳ね上げる。

 

「散々騙されて切り捨てられたってのに健気なもんだ。だが残念、前に進ませるわけにゃならなくなっちまった」

「何故だ?」

「何故? そりゃあお前────」

 

 ディアマンテは顎を上げ、親指で自身を示す。そして、旗ならぬ大風呂敷をはためかせ、尊大に口の端を吊り上げた。

 

「その役目はおれ達のもんだからよ!」

 

 そう、それだけは譲れない。

 いくらこの国が必要だとしても。トラファルガー・ラミの存在がどれほど代え難くとも。世界崩壊のシナリオが既に見えているとしても。

 それでも、ローと共に在るべきは善に満ちた隣人などではない。もちろん、死者でもない。

 その役目はファミリーのものだ。

 たとえ本人が求めず拒んだとしても、座を奪い取ってでも己が欲を満たすのが海賊なのだ。

 

「獣にゃ獣のやり方がある。隣人だかなんだか知らねェが、人間様風情がしゃしゃり出てんじゃねェ」

 

 担いだ剣で肩を叩き傲岸に言い放つディアマンテをキュロスが見上げた。

 堅忍質直の剣闘士は僅かに口元を緩め、幾分柔らかな声音で告げる。

 

「かつて、大恩人より教わった。元は獣とて在り方次第で変わっていける。人には自ら檻を出て変わる力がある」

「悪ィが信じられねェ。おれ達は海賊。所詮は首輪がなけりゃ殺される畜生だ。まァ、ローを縛ってるのは七武海だ懸賞金だのちっせェもんじゃねェけどな」

「そうだろうとも。彼を縛るのは彼自身なのだから」

 

 キュロスがゆるりと足を開く。両の足で大地を踏み締めるその様はかつての輝かしい戦歴を思わせた。

 幾千の試合を越え、罵倒を喝采に変えた勇姿が今、再び現れる。

 陽光を受け輝く刀身にて天を示し、キュロスは声を張り上げた。

 

「かつて我が王が示した人の道を今度はこの手で切り拓こう! 奮起するは獣に身を窶し囚われ続ける友を解き放つため! 友愛、その為ならばドレスローザは剣を取る!」

 

 同意を示す歓声が轟き大地を揺らす。

 

 身体を上下に割られてこれとは、善人共はほとほと狂気に満ちている。或いは主の演技が卓越しており、どんな危害を加えようが良い方向に勘違いされるのだろうか。

 いや、そんなわけはない。あれで抜けたところのある男だ。ただ、ドレスローザから見たその姿もまた彼の一面。当人の言うところのバケモノですら拒まれず、共に悩みたいと思わせるほどに、トラファルガー・ローは受け入れられてしまっているのだろう。

 主のペテンが残念にすぎてこれでは何をやってもしまらない。ヒール役も大変だ。

 ディアマンテは肩を竦め、剣を構える。

 

 これ以上言葉尻を追う理由などあるべくもなし。両者は剣士。やはり、語らうならば剣にてまみえるが相応しい。

 

 睨み合う剣闘士の姿に闘技場の舞台を幻視し、人々は皆息を呑んだ。

 

 静まり返る台地にて、両者の視線が交わる。開き切った瞳孔。研ぎ澄まされた耳。獣じみた鼻。空気にすら焼かれる肌の感覚。互いのみならず空間全ての情報を全身で読み合い、決戦開始の時を待っている。

 

 

 一陣の風が吹き、花びらが舞った。

 

 

 二本の剣が同時に振り抜かれる。

 甲高い音を立てて弾かれた刀身を恐るべき膂力で引き戻し切り払うキュロス。切先を避けたディアマンテはその背を狙う。

 蛇行する軌道そのものは読めずとも迫る殺気を感じたキュロスが腰を低く落として回避。返礼は腰だめに構えた直剣、全体重を乗せた突き。

 鉄の外套を掠める剣先に悪鬼が嗤った。うねる剣を引き戻して振り翳し、放つは地を破る十八番の大技。

 

「“半月(ハンゲツ)グレイブ”!」

 

 左に回避したキュロスがすぐさま踏み切り懐へと飛び込んできた。ディアマンテは地を割り剣先を下げたまま。

 素直に切り結んでは間に合わない。刃先を掬って向かい来る刀身を打ち上げ、銃を抜く。

 両者の距離は間合いが潰れるほどに近い。常人であれば当たるも必至の銃弾を、不敗の英雄はいとも容易く弾き返した。卓越した反射神経の為せる技だ。

 それを当然と読んでいた悪鬼もまた銃を捨て頭上高くへと剣を振り上げる。

 降り注ぐ斬撃を頭上に渡した刀身で受け止め、キュロスが一本前に踏み込んだ。剣の腹を返して切先の軌道をずらし、剛速の突きを放つ。ディアマンテはこれを回避することなく外套を引き寄せて弾き返し、両者は再び距離を取った。

 縦横無尽に薙ぎ払い、緩急自在に切り結ぶ二振り。刀身が軋み骨身が撓む。

 全身に走る傷から溢れる血が互いを汚し、刃こぼれを起こし始めた剣が悲鳴を上げた。

 

「おいおい、キュロス殿! てめェは全く最高じゃねェか! 引退してこれなら現役時代はどれほどだったんだ?」

「あの頃はこんな戦い方などしなかった。これは我が王に教えられ、“キミ達”と過ごした十年で鍛えた力。ただ生きるために奮う獣の力ではなく、破壊すら次に繋ぐ人の技だ」

「騙され続けても未練がましく追い縋る馬鹿の技の間違いだろ? だが、いいじゃねェか! 見せてくれ、元チャンピオン!」

 

 挑発に返礼はなく、言葉の代わりに放たれるのは千の刃。不敗の英雄が恐るべき脚力で踏み込み、風をも裂いて剣を振るう。

 至極冷静ながら極限へと昇り詰めるキュロスの技巧の数々に、ディアマンテもまた昂った。

 眼は興奮に見開かれ、喉は渇望に鳴る。

 刃が重なり鬩ぎ合い、刹那に抜ける攻撃を避けようともせず、血を振り撒きながら悪鬼は笑った。

 

 ディアマンテにとって、戦いは人生そのものでもあり、自らの影である。

 付かず離れず昏きにあって切り離すことも叶わず、そのくせ完全に溺れてしまうことすら出来ない。骨身を溶かし、心地良さと理不尽な拘束力を伴う毒物だ。

 これと共に歩むには、とびきり腕利きの医者が必要なのだ。

 

 冗談に応じずすぐに臍を曲げ、我が強くて何気に高飛車。兎にも角にも面倒臭い男だが、この世で最も信頼できる医者を一人、知っている。

 

 影のように切り離せない悪友。

 トラファルガー・ローを知っている。

 

 振り下ろした剣が地を裂く間際、左足で踏み切ったキュロスが間合いに飛び込み打ち払いで阻止される。

 弾かれた衝撃を利用し円閃へと変化させ追撃を放てば、鍛え抜かれた左足の踏み込みで距離を取られた。標的を見失った切先がキュロスのマントを掠め、千切れた赤の布が宙を舞う。

 筋肉が撓む音、跳躍の気配。

 阻止を意図して波打たせた大地をものともせず、雷兵が空高く跳び上がった。

 

 放たれるは雷霆万鈞の唐竹割。

 

「“雷の破壊剣(トゥルエノバスタード)”‼︎」

 

 回避などあり得ない。掲げた剣で全霊の斬撃を受け止め、全力で押し返す。

 拮抗する人と獣の力、互いに譲らぬ押し込み合い。刀身の削れる音が鼓膜を揺らし、飛び散る火花が脳を焼く。

 

 もはや歓声も聞こえない。

 

 獣の咆哮が轟いた。

 

 

 これは主の齎した至上の闘い。

 故に、この剣は主に捧げる獣の牙。

 

 

 僅かに。

 ほんの僅かに、ディアマンテの力が勝る。キュロスを打ち上げんがため、刀身がじりりと上がった。

 限界を超えた酷使に軋む腕。見開いた青の目に映る視界で、英雄が奥歯を噛み締め拳に力を込める様が見える。

 

 刹那、キュロスの刀身が黒く染まった。

 硬度を増した両刃剣が唸る。

 

 

 ばきり、と。

 牙が折れた。

 

 

 縦一閃。苦鳴を上げる間もなく叩き切られ、ディアマンテの視界が赤く染まる。

 

 だが、まだ。

 まだだ。

 

 後ろに倒れそうになりながらも、折れた剣を握り締め能力を発動。

 この技が冠するは戦いに生きる獣の名。戦いの先、決定付けられた死と共に歩むばかりの獣の法。

 拳に纏ったそれ剣はかつてほどの脅威を持たない。

 しかし、十分だ。

 

 限界まで背を撓ませ、バネのように拳を引いた。

 撃ち出すは手負の獣の悪足掻き。

 

 それでいい。

 獣の爪は人に届く。

 

「“闘牛(コリーダ)グレイブ”‼︎」

 

 猛りと共に放たれた拳が跳躍し宙に浮いたままのキュロスに激突。豪傑の剣ごと英雄を殴り飛ばす。

 

 二人の英雄は木っ葉のように吹き飛び、ほぼ同時に地へ倒れた。

 

 ごぼりと血を吐いてディアマンテは笑う。起き上がる力すら残っていないのだ。しかし、それはキュロスにも言えるようで、苦鳴を堪えて横たわるのみ。

 

「こりゃあどっちの勝ちだ?」

「引き分け、だろうか。初めての経験だ」

「ウハハ! そりゃ良い! こっちは骨も剣も折れて大損だ畜生が!」

 

 ドレスローザ史上最高のエキシビジョンマッチに喝采が湧く。割れんばかりの拍手の中、もはや感涙に咽ぶ者まで現れ、興奮の渦は深まるばかりだ。

 鼻で笑えば血が吹き出して溺れかける。まったく何ともしまらない。

 

「おれ達と過ごした十年で鍛えたってのは覇気か」

「そうとも言えるが、違うとも言える。覇気とは即ち意志の力。どうあるかを選ぶための力だとは、キミ達が言ったのだろう」

「まァそうか。うちの主殿ときたら、いずれ敵になる奴まで鍛えやがる。おれ達のことは基本放置のくせに。自信をなくしちまいそうだ」

 

 失血と酩酊で早鐘のように打つ心の臓。遠い過去、外傷への脆弱性を指摘してきた少年の姿を思い出し、ディアマンテは空を仰ぐ。

 

 空を覆う青い被膜。

 手を伸ばしても届かない。剣術を教えた時代は遥か遠く、いつの間にやら随分と引き離されたものだ。

 

 自嘲するディアマンテに対し、心底不思議そうにキュロスが告げる。

 

「彼がキミ達を放置している? 何を言う。キミと彼の剣は似ていると言っただろう」

「だから、おれが教えたんだっての」

「忘れたのか。十年前、キミは私の家族を守ってくれた。キミの剣はもう獣の牙などではない。守る剣だ」

 

 男臭い笑みを浮かべ、キュロスが言う。

 

「破壊に秀でながらも主を守り続け、そばにあり続けた剣だ。彼がキミから学んだようにキミも彼から学んだのだろう。互いに学び高め合ってきた。違うか?」

「は、まったく笑わせてくれる。あいつの剣術はただ世界を引っ掻き回すためにあるのよ。守ろうなんて思っちゃいねェ」

「そうか? 力は所詮力、破壊も守護も意志次第だと彼自身が言っていたが」

 

 またもやローである。舌のみ回る下手なペテンもここまでくれば立派なもの。だが、ローが真っ先に騙したのは恐らく彼自身だ。

 実のところ、ローが無理をしているのは最初も最初、出会った頃から気付いていた。いや、気付かない方がおかしい。そもそもが違いすぎる。

 今思えば、あの医者ごっことて拙いペテンだったのかもしれない。愚にもつかない出鱈目を言い、己が身を守る戦力としてディアマンテを利用しただけと言うこともあり得る。

 そう考えてはみるものの、真摯にすぎる金の眼差しを思い出してしまえば、どうにもこうにも腹の底が痒くなった。

 

 ローは馬鹿だ。

 

 誰かを育てることで破壊を推し進める。そんな迂遠で屈折した遣り方を選ぶ時点でお察しではないか。絶望を知ってなお敗走や暴発ではなく解決を狙おうとするその育ちの良さは全く愚かの極みだ。

 

 大体、何がバケモノか。

 絶望的に向いていない。

 

 誰だ、あの馬鹿を止めなかった大馬鹿は。

 

「全く、焼きが回ったもんだ」

 

 そう一人ごち、ディアマンテは口に溜まった血を吐き捨てる。

 

「そういやキュロス殿。王命で来たってんなら最初の激怒は何だったんだよ」

「愛する妻を分断されて、大切な娘を泣かされたんだ。怒らない男がいるか?」

「いやてめェおれにイカってたじゃねェか。どう見てもローの仕業だろうが」

「キミが彼を煽ったんだろう。彼は負けん気が強いから乗せられたに違いない」

「なんだ、その理解度の高さはよ」

「それはまあ、キミがいつも彼にあしらわれているから。それでいて、ここぞと言う時は反発心をくすぐって彼の疲弊を避けていただろう? 仲が良いものだと常々思っていたよ」

「ウハハハハ! 笑わせるのはやめてくれ。折れた骨に抉られて腑が出そうだ」

 

 ため息を吐き、全身の力を抜く。ヒールも何もあったものではない。そもそも、こんなボロ雑巾のような負け犬に悪役が務まるわけもないのだ。下手を打てば同情をかってしまう。それではいけない。

 さっさと主治医に診てもらわねばならないだろう。

 

 ぼたぼたと血を溢しながら起き上がる。

 

「ローはあれで医療者だ。急な人体解体ショーでも取り違えがねェように綺麗に並べる癖がある。そこに積み上がってる下半身の塔も上から順だ。間違いねェ」

「嫌な癖だな……だが、そういうことなら助かる」

 

 ふらつきながら立ち上がれば、キュロスもまた動き出す。真っ直ぐに妻の元へと向かう彼を見て、ディアマンテは大仰に両腕を広げた。

 

「おいおい、英雄殿。王命はいいのか?」

「構わない。急がずとも引き留めてくれる者達がいるようだからな」

 

 見上げれば、彗星のように突き抜けていく麦わら帽子の青年と雲を掴み空を渡る偉丈夫。後者が何か怒鳴り散らしているのは分かるのだが、いかんせん高度が高くて内容までは聞こえない。

 

「あいつら、何往復目だよ」

「四度目じゃないか?」

「考えがねェ上に懲りねェ奴らだ……まさかとは思うが、この国に来た奴は全員頭に花が咲くんじゃねェだろうな」

「そうなると、キミ達は手遅れだが」

 

 キュロスの至極冷静な突っ込みに乾いた笑いを返し、ディアマンテは歩き出した。

 

 そう。

 闘争を喰らい続けるためにもローは必要なのだ。

 

 何より、進まねばならない。如何なるバケモノとて、傍らに剣の一振りもあらねば檻の外にも出づらかろう。

 

 全く、柄でもない。

 

 そう思いつつ、折れた剣を片手に悪鬼は行く。

 覚束ずとも進む歩みは己が役目を果たすがため。

 

 止めどなく血を溢しながら、ディアマンテは次の一歩を踏み締めた。

 

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