ONE PIECE novel.DD “怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ   作:ladybug

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 決戦の時、ルフィとドフラミンゴはローに翻弄されていた。


 大丈夫
 誰かの大切なものがわかる人はね、人に優しくできる人なのよ



ドレスローザ編⑤ Run boys Run
think about you


 

 

 振り返ってみれば、恩人との旅の途中、幾度も気恥ずかしい思いをしてきた。

 

 互いが世の常識に欠けており、そして何より金がなかった。宿にかける余裕もなく、当然ながら野宿の夜もある。

 

 ドフラミンゴを後ろから抱きしめて座る恩人が歌う、いつか聞いた子守唄。寝物語や歌が必要な年齢ではないのだが、薪の爆ぜる音を消してくれるその響きに確かな安堵を感じていた。

 恩人の亜麻色の髪が帷のように炎を視界から遮り、仄暗い光と背中の温もりだけを伝えてくれる。

 石鹸の香りだろうか。焚火の煤けた匂いを隠すように花の香がふわりと香った。

 

 歌が途切れる。眠ったのかと様子を窺えば、覗き込む飴色の光と目が合った。

 

「あのね。やっぱり、ドフィもお兄様も難しく考えすぎなのよ」

「何だよ、唐突に。どう言う意味だ」

「ほら。人間、自ずと他人に良いことをしちゃうわけじゃない?」

「はァ? そんなわけねェだろ」

 

 毒付くドフラミンゴを見下ろし、恩人は柔らかに微笑む。

 

「そうかな。例えば私が転んだら、ドフィは助けてくれるでしょ」

「そりゃまァ、横を歩いてる奴に転けられたら面倒だからな」

「ほら、ね?」

 

 ね、ではない。

 

 何の説明にもなっていないし、ドフラミンゴにとって恩人は決して()()ではない。だが、それを口に出すのはどうにも気恥ずかしく、ドフラミンゴは口をへの字にして黙り込んだ。

 なかなか同意が得られないことに困惑した様子ながら、めげずに恩人は続ける。

 

「だからさ。皆、隣にいる人には優しく出来るんだから、つべこべ考えずに助け合えば良くないかなってことなんだけど」

「兄妹揃って宗教がかったこと言ってんじゃねェよ」

「違う違う。これは宗教じゃなくて正義の話だと思うのよね」

「正義? そんなもん知らねェな」

「まさか! 正義を知らないですって⁉︎」

 

 目を丸くした彼女はやや大袈裟に声を震わせながら、驚愕を全身で表した。抱きしめられている身で言うのもなんだが、頭が揺れるのでやめて欲しい。悪酔いする。

 ドフラミンゴが渋い顔をしているのにも構わず、恩人は何かを思案し始めた。

 

「ドフィ、それって由々しき事態だわ。いえ、でも待って。これは満を持して海ソラ布教チャンスなのでは……?」

「またか。だからそれ、何なんだよ」

「なんと、海ソラをご存知ない? ふっふっふー、ならば教えてしんぜよう! 北の海(ノース)っ子はヒーローから正義を学ぶのだ!」

 

 ヒーロー。正義。

 無邪気に語る美しくも遠い絵空事。

 否、彼女にとってはそれが日常なのだ。

 

 こんな時、恩人と自身の違いを思い知る。

 

 楽しげに肩を揺らす恩人から視線を切り俯いた。夜の闇が胸の内で揺れるようで、足下から冷たい何かが押し寄せてくる。

 

「コラさん、おれには正義なんて向いてねェよ。無理なんだ。だっておれは────」

 

 続く言葉を不安がかき消した。

 いつの日か、善悪の差は大きな溝になる。それを目の当たりにし理解した時、恩人はドフラミンゴの元を離れてしまうだろう。

 

 だから、もう少し。せめてあと少しだけでいい。

 

 気付いてほしくなかった。

 隣にいる子どもがただのバケモノだということに。

 

 きつく閉じた瞼を細い指が撫でる。指はドフラミンゴの額にかかる髪を優しく梳き、柔い唇が額へと落とされた。

 

「大丈夫だよ」

 

 ひどく優しく無責任で、そのくせ慈しみに満ちた声が降り注ぐ。

 恐る恐る瞼を開けば映る恩人の顔。滲む視界の中、彼女は目を細めた。

 その目はまるでたまらなく愛おしいものをみるように、どうしようもなく満ち足りている。

 

 思い出すのは幼い頃、父母の目に湛えられていたあたたかで懐かしい光。

 ドフラミンゴは今、その光の中にいた。

 

 恩人は抱きしめる腕の力を強め、繰り返し囁く。

 

「大丈夫だよ。だって、ドフィは優しい子だもの」

「嘘つけ。何を根拠に、そんな」

「ペンダント、見つけてくれたでしょ。言ったじゃない。誰かの大切なものが分かる人はね、人に優しくできる人なのよ」

「────……」

「大丈夫。ドフィならできる。今は難しくても、いつか必ず変わっていけるよ。ずっと、そばで見守ってあげるから、ね?」

 

 嘘吐き。そんなこと出来るわけがない。いつまでもそばにいられるわけがない。

 

 癇癪を起こしかけ、そう言おうとして、ドフラミンゴは言葉を飲み込んだ。

 

 ずっとそばで。

 彼女の言葉を嘘にしないために、自分に出来ることは何だろう。

 

 ややあって、ドフラミンゴは口を尖らせ、胡乱げな目で恩人を睨み上げた。

 

「ずっと見守るって言えば聞こえはいいけどな。要は監視じゃねェか」

「うわ、捻くれてる。こんな時は素直に頑張るって言ってみるのもありだって、コラさん思うな。ほらほら、何と言ってもヒーローは拳一発ストレートなんだから」

「意味わかんねェよ、コラさん」

 

 忍び笑いが漏れる。つられて恩人も笑い、互いの身体を伝う振動はゆりかごのようだった。

 

 ドフラミンゴは誓う。

 彼女の言葉を嘘にはしない。決して彼女を裏切ったりしない。

 

 更けゆく穏やかな夜を、やがて優しくそそぐ朝の光を今、懐かしく思い出す。

 

 

 

 

 

 拳に糸、迸る覇気。

 荒れ狂う暴風の如き猛攻の中にあって、未だトラファルガーは玉座に掛けたままだった。

 余裕や侮りからではなく純粋に立つ理由がないのか、彼は無味乾燥の面持ちで向かい来る全ての攻撃を捌いている。

 

 撓むゴムの腕、軋む糸の拘束。

 即席にしては上々の連携もトラファルガーにとっては児戯に等しいのだろう。覇気を纏った麦わらの腕を首を逸らすだけの動作で避け、何重にも重ねたはずの糸を容易く引き千切る。

 さらには千切れた糸を麦わらに絡ませ、糸で繋がるドフラミンゴごと背後へと放り投げた。

 

 ドフラミンゴは壁を蹴りつけ、味方同士の衝突を回避。追撃を警戒し、崩れた天井に糸をかけ着地する。

 

 壁や床に何度も叩きつけられ、全身傷だらけで息を荒げる若者二人に対し、黒衣の男はほぼ無傷。さらに言えば、男は自ら攻撃を仕掛けてくることなく、行動の全てを防御と回避に振っていた。

 つまり、ルフィとドフラミンゴは自身の攻撃の反動だけで満身創痍の状態に陥っているのだ。

 

 そもそも、トラファルガーは刀を抜いてすらいない。それでこの有様とは。

 思わず漏れそうになる呻きを奥歯で噛み殺し、再び糸を巡らせる。

 

「崩れた椅子から動きもしねェとは、いたくお気に入りのようだ。そんなに座り心地がいいならおれにも座らしちゃくれねェか?」

 

 苦し紛れに放った皮肉に対し、トラファルガーは無言のまま右腕を伸ばした。

 刺青に彩られた手の甲を上に向け、宙空で静止させる。戦闘中にみせる所作にしてはどこか典雅だ。

 

 記憶の通りであれば、類似の動作は能力場の形成を意味していた。しかし、青の被膜は既に展開されている。そして、これまでに見た能力のトリガーは全て左腕。基本的には掌を上に向けてのことが多かった。

 まだ見ぬ技に身構えたドフラミンゴだが、暫く待っても何も起きない。

 

「────……?」

「…………?」

 

 何の催促か、掲げられた右手の指が僅かに持ち上がる。しかし、全くもって意図がわからない。

 困惑に口をへの字に曲げたドフラミンゴを見上げ、トラファルガーが首を傾げた。

 

「何やってんだ、お前ら」

 

 妙に弛緩した空気を切り崩したのは青年の声。玉座の裏手に弾き飛ばされていた麦わらが通り過ぎざま、埃まみれの手で黒衣の男の右手をむんずと掴む。

 無造作に手を引かれた男もまた、抵抗することなく立ち上がった。

 

 特段何を話すでもなく、二人はそれぞれの立ち位置に戻る。トラファルガーは玉座の前、ルフィはドフラミンゴの横。

 

 再び妙な沈黙が辺りを包んだ。一連の流れについていけず、眉間に皺を寄せたところで、ふと嫌な可能性に思い当たる。

 

 違う。きっと違う。そう思いたい。

 

 ドフラミンゴは唇を戦慄かせ、声も低く尋ねた。

 

「まさかとは思うが一応訊いてやる。今のは『立たせろ』って意味じゃねェだろうな」

「それ以外に何がある」

「てめェ、いい年してどこの姫君だ! 麦わらも諾々と従ってんじゃねェ!」

 

 思わず喚き散らせば、麦わらは耳を塞いで顔を背け、黒衣の男は嘯く。

 

「結構悦ばれるんだがな。お気に召さなかったか」

 

 相変わらず表情の死滅した顔で言うものだから、冗談なのか本気なのか見当もつかない。

 確かにこの男の手によって陥落させられた者は多数。当然喜んで堕ちる者とて山といただろう。

 だが、腐ってもここは戦場だ。何が悲しくて敵の大将をエスコートせねばならないのか。

 あまりの緊張感の無さに苛立ちが募った。もはや笑えてくる始末だ。半笑いで口元を引き上げる。勿論、額に青筋の浮かんだ世にも凶悪な半笑いだ。

 そんな心境を知ってか知らずか、黒衣の男は無機質に微笑み返し一歩脇に逸れた。

 

 恭しく腰を折り、指し示すは空の玉座。

 

「さあ、望み通り座るといい。ドンキホーテ・ドフラミンゴ、この場所は()()()()、お前に相応しい」

 

 意味深長に囁かれる言葉に対し、血の気が下がり瞬く間に沸騰する。

 

 この男は知っているのだ。

 ドレスローザとドンキホーテの過去は当然、ドフラミンゴが王座など望むはずもないと諸々理解した上で挑発している。

 悪意などない。面白がっているわけでもない。ただドフラミンゴの精神が揺らぐであろう言葉を適切かつ自動的に出力しているだけだ。

 

 揺らいではいけない。揺らぐことがあってもそれを表に出してはいけない。そうなればトラファルガーの思うつぼなのだから。分かってはいても、煮える頭は冷えてくれず、喉が引き攣る。

 

 意味が分からないのだろう。ルフィは頭を捻っていたが、同盟相手のただならぬ様子に気付いたらしい。

 やにわにドフラミンゴの前へと庇い立ち、高らかに声を張り上げた。

 

「こらやめろ、トラ男! ミンゴをいじめんな! そりゃ確かにこいつおもしれェけど、わりと傷付きやすいんだ!」

「麦わら、それはフォローのつもりか。敵に弱点を教えるなんて、ダチなのにひどいことするんだな」

「え、そうなのか? ごめんな、ミンゴ」

「……気にするな。お前は悪くねェ」

 

 確かにフォローにはなっていない。何なら馬鹿にされている気すらする。

 だが、絶妙に気の抜ける抗議のおかげで毒蛇の呪言からは解放された。

 笑みを消したトラファルガーを睨め付け、勢いのまま吐き捨てる。

 

「おれはドレスローザの王になったりはしねェし、そもそもこの国はてめェの一存で好きに出来るものでもないだろうが」

「そうだぞ。王のおっさんに謝れ!」

「さらに言えばこの馬鹿とは友達じゃねェ。可及的速やかに全面訂正しろ」

「何だとこんにゃろ!」

 

 脇腹を突かれるが無視。顎を上げて見下ろす先、黒衣の男は関心がない様子で視線を逸らした。立ち上がった際にずり落ちた外套を肩まで引き上げかけ、ふと思い出したように顔を上げる。

 

「ところで麦わら。礼を言いに来たと言ったな。おれ達はほぼ初対面だと思うんだが、何の礼だ」

「何言ってんだ。二年前、トラ男も助けてくれたってミンゴから聞いてるぞ」

「…………」

 

 無言で圧をかけてくるトラファルガーから視線を外す。

 

 二年前、関与を伏せろと言われたにも関わらず、煩わしさのあまり即座に情報を開示した。ルフィが礼を言いに行く以上遅かれ早かれ露呈することではあったが、いざ本人を前にすると気が引ける。有り体に言えばバツが悪い。

 対するトラファルガーはと言えば、やたらに圧のある視線を切り、いつの間にやら口元を袖で隠し目を伏せていた。

 その仕草はまるでいたく傷付いたかのようであり、青褪めた顔はどことなく憔悴した様子ですらある。

 

「ドフラミンゴ、おれを裏切ったのか」

 

 ぽつりと溢す姿など完全に被害者の様相だ。白々しいにも程がある。

 しかし、各国の王族や有力者、一部海兵、果てにはどこぞの高地の民(天竜人)まで堕天させたと噂の仮面には一分の隙もない。何を布教しているわけでもないのに“宗教家”などと呼ばれるだけはあった。

 その精度ときたら、ドフラミンゴをして、感じる必要もない罪悪感に囚われ戦意が削がれる程だ。

 

 どうせ期待もしていなかったくせに。ペテン師め、元々悪い顔色はともかくそのか細い声はどこから出している。大体、世界最強生物とサシで渡り合う強者がしおらしい素振りを見せるな。

 

 この男のペースに乗せられてはたまらない。脳内で散々悪態を吐きながらも、ドフラミンゴは無理矢理に口の端を上げる。

 

「フッフッフ、そう嘆くこともねェさ。おれもお前も海賊。裏切りは礼儀みてェなもんだ。違うか?」

「いや、悲しむべきだろう。『裏切り者には死を』、ファミリーの掟だ。もう忘れたのか」

 

 淡々と紡がれるのは毒の言葉。男自身をも焼くであろう業火の毒だ。

 思わず息を詰めたドフラミンゴは首元へ手をやり、声を振り絞る。

 

「忘れられるわけがねェだろう」

 

 まずいと分かっていながら声の震えを抑えられない。対するトラファルガーはただ小さく笑った。

 全く熱の灯らない空虚な笑みだ。

 気押されたドフラミンゴの腰を叩き、ルフィが一歩前に進み出る。

 

「トラ男。お前、何がしてェんだ。自分で守った国を混乱させて、仲間を切り捨てて、ミンゴをいじめて、本当に何がしてェんだよ」

 

 麦わらが示す先、ドレスローザの街並みが見えた。至る所で上がっていた悲鳴の数は減り、代わりに歓声が広がっている。

 黒衣の男は気のない様子で町を眺め、小さなため息を吐いた。

 

「国盗りならその場のノリだ。別にこんな国、欲しいとも思っちゃいねェ。この国も、お前の言う仲間ってのも、もう全部どうだっていいんだ」

「何わけのわかんねェこと言ってんだ。お前の仲間、今もこの国を守ってんじゃねェか。それってお前のためだろ。船長なのにいいのか」

「海賊団の船長だからな。むしろ、好きにしていいんじゃねェか?」

「嘘つけ。お前、好きになんかしてねェだろう。あいつら、お前がこの国好きだから守るって言ってた。だったら、トラ男はこの国がなくなるのが嫌なんだろ。どうして嫌な思いしてまで壊そうとするんだ」

「どうして? どうして、か。深く考えたことはなかったな。面倒くせェから、お前らの良いように決めてくれ」

 

 そう言って、黒衣の男は両腕を広げた。頬には作り物めいた笑みが浮かび、鈍い金の瞳が細められる。

 

「お前らから見て、おれがこの国を壊す理由は何だ。適当でいいぞ。お前らが決めた理由に合わせてやる。ほら、早く言え」

「いやだよ! 何でおれ達がそんなこと決めなきゃなんねェんだ!」

「そうか。そうだよな。残念だが、嫌なら構わねェ。気にするな。理由は後で誰かが適当に考えればいい」

 

 麦わらの拒絶を受けても笑みは崩れなかった。

 それはそうだろう。徹頭徹尾、男は笑ってなどいないのだ。

 

 目の前で嘆き、笑い、顔を歪ませてみせているにも関わらず、男からは温度というものが一切感じられない。もはや生きているようにすら見えなかった。

 例えるならば過去の映像。破れたスクリーンに映し出される、音が飛び絵の歪んだ過去の記録。そんな不気味さを伴ってトラファルガーは微笑う。

 先程から交わされる会話とて、成立しているようでいて、その実全く噛み合っていない。まともに話す気がないのだ。

 不毛な話を止めようとしたドフラミンゴを押し退け、ルフィが言葉を重ねた。

 

「理由もねェのに暴れる意味なんかねェだろ。王のおっさんだってトラ男が本気じゃねェのに気付いてる。バレバレなのにまだ続けるのか?」

「本気じゃない? おかしなことを言う。それはお前らの方だろう」

 

 黒衣の男は首を傾げた。

 

「何たって、おれに傷一つつけもしねェ。お前らまで猿芝居に付き合う必要はねェんだぞ」

 

 侮っているわけでもなく、当然ながら互いの実力を見極め損なっているはずもない。単純に理解出来ないといった様子で男は囁く。

 

 確かに、無意識ながら、麦わらもドフラミンゴも致命傷となるような派手な攻撃を避けている。それは二人の目的が戦闘そのものではないからなのだが、彼にしてみれば理由がわからないのだろう。

 勿論、ドフラミンゴもルフィも何度も伝えていた。

 話をしたい、だから止めに来た。それだけだと、何度も何度も。

 ただ、彼我には実力差以上に大きな断絶がある。

 

 トラファルガーにとって止まることは死だ。止めに来たということは殺しに来たということ。彼は若き海賊二人の行動をそうとしか受け止めておらず、むしろ、都合が良いとさえ思っている。

 彼にとって、自らを含め世界の全ては計画の駒なのだ。駒の意志など彼には理解できない。その必要もないから、理解しようともしない。

 

 どうしたものかと顔を見合わせる若者二人。彼らの様子をぼんやりと眺めていた黒衣の男は勝手な推察を広げ始めた。

 

「成程、わかった。カイドウまで力を温存するつもりで手を抜いてるんだな?」

「違う。麦わらもおれも、お前相手に手を抜けるほど自惚れちゃいねェ」

「なら、暇つぶしにおれと遊びたいのか? それなら遠慮なくもっと乱暴に、おれを壊すつもりでやってくれても構わねェんだぞ」

 

 男の纏う空気が変わる。

 

「────ああ、そうだ」

 

 緊張に唾を飲む若者二人を見つめ、男は唐突に偽の笑みを消した。

 刀の柄に手を掛け鯉口を切れば、冷ややかな刀身が僅かに覗く。

 

「海賊の遊び方、教えてやろうか?」

 

 

 

 

 

 謁見室から離れ、崩れた屋上に影三つ。

 

 縦横無尽に駆け回る二人の若者に対し、男は刀を振う。不可視の斬撃に刈り取られた糸が舞い、足をバネにして飛び込む麦わらを円閃が襲った。

 そうはさせるものかと、男の背後から伸ばした糸で妖刀を捉え軌道を捻じ曲げる。単純な膂力のみでは押し負けるが滑車を通じて引き上げた力が僅かに男を上回った。

 

 刀を袈裟懸けに振り上げる形で体勢を崩された男。そのガラ空きの胴へとルフィの拳が迫る。

 

「ちゃんと勉強してるじゃねェか」

 

 男が呟いた。

 同時に刀を放棄。放たれた弾丸の拳を腰を低く落として回避、倒れ込むような動作で体軸を移動させ地面すれすれの位置から烈風の蹴りを放つ。

 ヒールの踵が振子の軌道を描いてルフィの顎先を掠め、さらに超高速で変化した体軸から虎趾による突きが放たれた。

 

「あぶねェ──と、うわっ!」

「油断は禁物だぞ?」

 

 辛くも攻防を制し連撃を躱したルフィだったが、追撃にと引き絞った拳へ手を添えられ大きく前へ体勢を崩されてしまう。男はルフィの勢いをも利用して旋回。その背後に回り込み、無防備となった背中へと肘を叩き込んだ。

 

「麦わら!」

 

 たまらず吹き飛ばされたルフィへと蜘蛛の巣を放ち、衝撃を殺す。数々の防壁を潜ってもなお運動エネルギーを殺しきれず、網を引く手首がみしりと音を立てた。

 

「わりィ! 助かった!」

 

 遠くから聞こえるルフィの声を聞きながら歯を食いしばって衝撃を逃す。

 

「気にすんな。それより────ッ⁉︎」

 

 ドフラミンゴの背筋に急激な悪寒。

 しかし、視界に黒は映らない。

 

 刹那、足元から怖気が走った。

 

「低……⁉︎」

 

 糸を張り巡らせた防御盾に躊躇いなく飛び込んできた男は地を滑るようにドフラミンゴの足下へと到達。

 ほぼ地に伏せた体勢からドフラミンゴの下腿を自身の両脚で捕え、蛇の如く絡み付いたまま捻るようにして引き倒す。

 

 無理に抵抗すれば膝関節を外されると判断。ドフラミンゴは自ら進んで身体を倒し、男の顔面を掴んだ。

 そのまま体重をかけるも手首を腕で押し上げられ、いとも容易く拘束を外される。

 

 地面に叩きつけられる間際、苦し紛れに放った糸の弾丸が男の額を掠めた。

 

「今の対処は悪くねぇ」

「ミンゴ!」

 

 カバーのために飛び込んできたルフィへと掌底を放ち牽制、黒衣の男は素早く後転して間合いをとった。

 距離を取られるとまずい。この男、徒手空拳も強いが、それ以上に変幻自在のオペオペの能力は厄介だ。

 

「させるか!」

 

 足下を狙って放った糸束を跳躍の連続で振り切り、男は逆さに宙を舞う。

 

 はためく黒衣はさながら翼。異常な脚力が生み出す長い滞空の中、男は能力で刀を引き寄せ、息つく暇も与えずに高速の突きを放った。

 

 空から堕つ雷霆の猛威。刀そのものが放つ刺突、能力による衝撃波、どちらも喰らえば必殺の間合いだ。

 たまらず左右に飛び退き回避したルフィとドフラミンゴに水平一閃、地へ降り立つ男による追撃が襲いかかった。

 ルフィはゴムの推進力、ドフラミンゴは糸による転回でこれを掻い潜る。

 

 巻き込まれた糸がはらはらと舞い散る中、男は息も乱さず刀を納めた。

 冷えた金の光が二人を射抜く。

 

「なァ、お前ら。おれが言うのもなんだが、その程度でおれを殺せるのか」

「だからよ! お前のことはそういうんじゃねェって何度も言ってんだろ⁉︎」

「おれの後にカイドウもやるつもりなんだよな。無謀だとは思わねェのか」

「聞けよ! 人の話を!」

 

 言葉と共に放たれたゴムの乱打が男の頬を掠める。

 流石に全てを避けることは難しいのか、或いは避ける必要もないと判断しているのか、細かく走る傷からは薄く赤が滲んでいた。

 額から流れた血が瞼を渡る。頬を汚すそれを拭い、男は眉根を寄せた。

 

「まだ本気を出さねェつもりか……仕方がねェ。先に裏切り者の始末をつけよう」

 

 空を覆っていた青い被膜が消える。代わりに現れたのは小さな球体。抜いた刀身にその光を這わせ、男は物憂げに呟いた。

 

「なるべく気をつけるが、痛みを感じたらすぐに言えよ。加減を間違えたくない」

 

 これまでにない挙動だ。資料にも残されていない。秘匿された、或いは対峙した者を尽く滅したが故に情報が漏れることのなかった技か。

 何れにせよ、事前の対処は不可能だ。

 背中に冷たい汗が伝うのを感じ、警戒レベルを最大へと引き上げた。

 

 糸を張り巡らせたドフラミンゴを見つめ、男が静かに囁く。

 

 

「気を楽にしろ」

 

 

 来る。

 そう思った瞬間には貫かれていた。

 

 

 呆気に取られる。

 男は一歩も動いていない。伸びた刀身がドフラミンゴの腹から背を貫通していた。

 燐光を纏う刀身には血の一滴も伝っておらず、痛みどころか感触も一切ない。

 それがかえって不気味だった。

 

「────あァ? なんだ、これ」

 

 思わず腹に手をやり呟く。こけおどしの技かと思い視線を上げようとして、身体の自由が効かないことに気付いた。

 

 視界を埋め尽くしていたはずの糸が、意志に反して解けていく。

 否。

 全ての糸を巻き込むほどのエネルギーがドフラミンゴへと収束しているのだ。

 

 

 ごぼり、と。

 熱い塊が喉をせり上がる。

 

 

「ミンゴ!」

 

 麦わらの叫ぶ声が聞こえた。しかし、全く反応できない。溢れ出た大量の血が顎を汚し、地面に黒い模様を描いていく。

 痛みはない。だからこそ意識が遠のきかけていると気付き、無我夢中で糸を振るった。己の足を糸の刃で貫き、倒れ込みそうになるのを何とか堪える。しかし、立っていることは叶わず膝をついた。

 血が止まらない。

 

「“ゴムゴムの”────!」

 

 助けに入ろうとルフィが飛翔し、超高度から拳を振り下ろした。

 覇気の鎧をして受け止めきれない衝撃がトラファルガーの身体を抜け地面を破る。

 しかし、彼自身には何ら響かず、刺青の浮かぶ手が無造作に鞘を振り上げた。

 

 轟音。

 

 鞘で背を撃ち抜かれ、地に叩き落とされたルフィが呻く。彼の真下、屋上の床に走る亀裂がその威力を物語っていた。

 土煙に沈む麦わら帽子を一瞥し、トラファルガーは刀を引く。涼やかな納刀の音が耳を打った。

 

 そして、近付いてくる靴音。

 

 言葉もなく膝をつき血を溢し続けるドフラミンゴの傍に立ち、黒衣の男は淡々と語りかけた。

 

「痛みはねェよな。いや、いい。無理に話すな。気管に血が流れると辛いぞ」

 

 軽く肩を押される。それだけで倒れ込んでしまった。指一本動かすことも叶わず喘ぐドフラミンゴを金の瞳が覗き込む。

 黒衣の裾が頬を撫でた。

 

 

 視界が暗い。

 

 聞こえるのは細い息。自身のものとは思えないほど弱い呼吸。溢れる血に溺れ、あぶくを吐き出すだけの音。

 己の首元へと伸ばされる手をただ見つめる。肌に触れる指は異様に熱い。

 

「無駄に苦しませたくねェ。分かるな?」

 

 囁く凪の声。

 その声を聞き、ふと思い出した。

 

 

 あの日。

 雪原の中、死にゆく彼女の名を呼んだ静かな声。

 

 子どもの頃から何度も繰り返し夢の中で聞いていた、冷たく昏い声。

 

 

 その声は完全に凪いでなどいない。

 微かに、だが確かに震えていた。

 

 今も、また。

 

 

 全身を襲う麻痺を意志の力で捩じ伏せ、空へと手を伸ばす。

 

 もう子どもではない。

 守られるだけの、動けない子どもなどではない。

 あの日開けられなかった蓋を抉じ開け、間に合わなかった手を伸ばす力が今の自分にはあるはずだ。

 

 

 ドフラミンゴに乗り上げ、覆い被さるように喉元へと手を伸ばしていたトラファルガー。殆ど縋り付くような無様極まりない形ではあったが、その黒衣の背中へと掌が触れた。

 

 確かに届いた。

 

「────“降無頼糸(フルブライト)”!」

 

 指先から放たれた五本の糸。

 糸は瞠目するトラファルガーを突き抜け、ドフラミンゴをも貫通し、二人を地面へと縫い止めた。

 

 トラファルガーの唇から血がこぼれ落ち、ドフラミンゴの頬を濡らす。

 ドフラミンゴもまた、血を吐き出しながら声を張り上げた。

 

「麦わらァ!」

「まかせろ!」

 

 土煙を纏い飛び出したルフィが親指を噛む。黒く染まり、巨人族の如く膨れ上がり撓んだ拳が横殴りにトラファルガーへ激突、その身体を弾き飛ばした。

 同時にドフラミンゴをも縫い止めていた糸が引き千切れる。

 身体が裂ける痛みを堪えて跳ね起き、血反吐を吐きながら放つ追撃。

 

「“超過鞭糸(オーバーヒート)”!」

 

 束ねた糸の鞭を振り上げ、トラファルガーへと叩きつけた。

 宙空では耐え得る術などないだろう。黒衣に包まれた身体は城壁を遥か越え、市街に墜落する。

 

「大丈夫か、ミンゴ」

 

 息を荒げて様子を伺うドフラミンゴへとルフィが駆け寄った。

 

「これが大丈夫なように見えるか? 思い切りやりやがって、おれまで吹き飛ばす気か」

「そんだけ文句言えるなら問題ねェな」

「フッフッフ、後で覚えてろ。加減の仕方を叩き込んでやる」

 

 失血からくる眩暈を堪え、崩れるように座り込む。

 痛みを紛らわせるために口を開けば、キレのない悪態が零れた。

 

「最悪だ、お前は」

「お前も()()()()だろ?」

 

 口の端を引き上げて宣う麦わらを見上げて負けじと笑い、同時に自身の体内へと糸を潜らせる。

 

 痛みに脂汗を浮かべ修復を進めるうち、妙な点に気付いた。出血量に対して損傷の度合いが低いのだ。

 さらに探れば、破損した跡の残る血管が見つかる。それらは既に焼き切られ、或いは閉じていた。否、処置されていたのだ。

 

 そう。元よりトラファルガーには殺意などない。適当に傷をつけ、失血ないし窒息により失神させようとしていたのだろう。

 

 苦い思いを抱えたまま自己修復を終え、屋上から身を乗り出す。見聞色の覇気を使い相手の位置を感知。

 その姿はセビオにあった。

 

 教会の庭で膝をつく男と目が合う。

 

 骨でも折れたのか、トラファルガーはだらりと垂れた右腕を押さえていた。顔も右半分は血に塗れ、目もろくに開いていない。元より高熱に冒されていた身体だ。一度崩れれば脆いのも頷ける。

 

 だが、それでも、違和感が残るのだ。

 

「どういうことだ」

 

 そう。

 おかしいのはトラファルガーの状態ではない。

 行動だ。

 

 ドフラミンゴは空を見上げた。

 再び展開された青の被膜、その下にはセビオの大鐘楼が聳え立つ。トラファルガーが飛ばされた辺りだ。

 

 麦わらの技は勿論、ドフラミンゴの放った追撃とて本来であれば辺り一帯の風景を変える高威力の技。だが、今目前に広がる景色は先程と何ら変わらない。

 対してトラファルガーは満身創痍の有様。つまり、彼は自身の損傷を度外視し、身を挺してまでセビオの破壊を防いだということになる。

 

 教会にシュガーや子ども達が残っているのかと思いきや、教会はおろか町の全域を探っても人の気配などどこにもなかった。

 避難が済んでいるというなら、ますます理由が見つからない。

 

 まさかと思い、再び糸の鞭を振り上げる。狙うはトラファルガーではなく大鐘楼及び教会。わざと狙いを外してみえるよう振るった鞭を不可視の斬撃が切り裂いた。

 

「何してんだ」

 

 身体を乗り出したルフィの襟首を掴み、屋上の縁へと引き戻す。

 途端、飛んできた斬撃が石壁を刈り取った。

 攻撃。否、牽制だ。

 

 斬撃に巻き込まれた外套。切り取られ宙を舞う薄紅の羽を見上げ、ドフラミンゴは確信した。

 

 

 あの男は何かを守っている。

 

 

 元より、トラファルガー・ローは自身の死すらも計画の駒としていた。ドフラミンゴとルフィに本気になれと再三促してきたのは自身を殺させるためだ。

 下手な芝居を打ってまで麦わらを焚き付け、自身をも貫く毒の言葉でドフラミンゴを挑発し続けた。

 それも皆、自然な流れで死ぬためなのだろう。

 

 極端なことを言えば、この戦いは、トラファルガー・ローにとって迂遠な自殺でしかない。

 そして、あの男は本来、自死を躊躇うような人間ではないはずだ。

 

 そんな男が、死の機会を擲ってまでセビオを守っている。

 

 脳裏を過ぎるのは扉。

 シュガー達がいた教会近くの小屋、そのさらに奥へと続いていた木製のドア。トンタッタ族の二人が出てきたドアの先、階段らしきものが見えていた。

 その先にあったのはさらなる扉。子ども一人がやっと潜れるような、御伽話にでも出てきそうな小さな扉である。

 教会に集められていた、事情持ちと見受けられる子ども達。ファミリーの幹部であるシュガーは彼らを統率して()()を管理しており、結果、恨みを買って刺された。

 

 薄暗い地下からは、太陽輝くドレスローザには似つかわしくない冷気が昇っていたことを思い出す。

 

 

 何かは分からない。

 だが、確実にある。

 

 トラファルガーにとって重要な何かがあの扉の先にあるのだ。

 失われれば、計画を狂わせるもの。

 要となる何かが。

 

 それを奪えば、或いは壊してしまえば、トラファルガーの計画は崩れる。

 

 

 止められる。

 トラファルガー・ローを繋ぎ止めることが出来る。

 

 

 ごくりと喉が鳴った。

 

 

 そうだ。

 

 昔から、得意だった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「……麦わら、作戦がある」

 

 無意識にペンダントを握り締め、ドフラミンゴは囁いた。

 





 ローの足技描写。趣味1000%のため、ものすごく分かりづらいと思います。
 武道なので厳密には全然違うのですが、躰道をイメージしてまして、分類としては旋技全般、技としては半月当てや変体旋状蹴りあたりも参考にしました。
 ちなみに、ドフラミンゴへの膝関節破壊攻撃は捻体足絡みを下地にしています。
 ファミリーの面子がやたらにデカいためヒールを装備しているものの、多分、このロー、裸足の方が攻撃の威力は強いです。

 当然ながら、武道はこのお話のローと違い、破壊を意図しないおそろしく健全なジャンルです。
 ちなみに、躰道はN先生がお美しくて動画とか何時間でも見ていられるのでおすすめです。
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