ONE PIECE novel.DD “怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ 作:ladybug
元王子はいつものように妹のもとへ向かう。
身体が人であれオモチャであれ、それが彼の願いだった。
しってるわ
ぜんぶ、しってるの
ずっと見守ってくれていた
あなたの名前は──
王宮にしては簡素な部屋の片隅。
能力者の少女の手の上で動けなくなったまま、少年は状況を観察していた。
視界の端に映る造りの粗い嘴と青の翼。仰向けに転がろうとすれば背中の突起が邪魔をする。形状からして恐らくねじだ。
信じがたいが、今、少年は作り物の青い鳥に姿を変えている。
混乱の中、視界が翳った。死神が覗き込んでいたのだ。彼は引き寄せたゆりかごに赤子を戻し、少年へと手を伸ばす。
「若様だめ。危ない。私の手に当たる」
「大丈夫だ。お前も制御が上手くなった。この間みたいなことにはならねェよ」
「でも、万が一があったら困る。怖い」
「あの時は悪かったな」
「謝らないで、若様は悪くない。私が」
能力者の少女が泣きそうな声で言い募る。俯いてしまった彼女の頭を柔く撫で、死神が囁いた。
「あれはおれの不注意だ。お前が気に病む必要はどこにもない。それに、あれはあれで面白い体験だった」
「皆、怒ってた」
「何でだろうな」
「何でって……分からないの?」
「ああ、さっぱりだ」
「若様にも分からないことがあるのね」
「分かることの方が少ない。今も分からねェことばかりだ。だから、いつも適当に動いてるだろ」
くすりと笑う少女を無表情に見返し、死神は首を傾げる。そして、再び右手を伸ばし、少年の羽を指先で撫でた。
「お前は誰だったんだろうな」
謎めいた言葉だ。
クーデターの最中にあって、王族である少年の名すら知らないなどあり得ない。
この男が人外で、例えば本当の死神ならまだしもだ。纏う濃い血の匂いは彼が生身の人間であり、恐ろしい人殺しであることを物語っている。
「ぼくはこの国の王子だ」
やっと声が出た。聞き慣れた自分の声だ。作り物の身体から自分の声がする違和感に吐き気がする。そんな機能もなくなっているだろうに、と半ば自棄になりながら思考を回した。
「キミは死神か? それとも民を虐げる圧政者に罰を下す英雄?」
「どちらでもねェな。強いて言えば、火事場泥棒だ」
「キミ、泥棒向いてないよ」
「何故そう思う」
「だって、その赤ん坊、ただの侍女の子どもだもの。どうせ王族の誰かだと思ったんだろ? 残念、父王の血を引く者はぼくだけだ。鼻が効かない上に調べも甘いんだね」
さらに言い募ろうとすると、嘴を指で摘まれた。
死神の指ではない。能力者の少女だ。
「若様を馬鹿にしないで」
精一杯凄んでみせているのだろうが怖くない。そもそも、もはや何も怖くはない。
もう自分は手遅れだ。
妹だけでも守らねば。
その思いだけが頭を占める。他事に割く時間もエネルギーもないのだ。
軋む翼で指を払い除けた。鼻頭に皺を寄せた少女の肩を叩き、死神が囁く。
「王子様。お前は嘘吐きだな」
心臓が凍った。
今や少年の身体に心臓はない。それでも、身体を動かす全てが壊れてしまったかのように錯覚する。
凍えたように固まる少年を見つめ、死神は淡々と語った。
「オモチャの身体だと心拍も呼気も把握出来ないが、目の動き程度は分かる。お前は嘘を吐いている」
こともなげに断定した死神は少年を摘み上げ、自身の掌に乗せた。指が触れるのは少年の背中、巻きの足らないネジ。それをきりきりと回し、彼は続ける。
「お前は確かに王子なんだろう。そしてこの赤ん坊は侍女の子、それも嘘じゃねェ。嘘じゃねェが、何か誤魔化そうとしてる」
「……王宮に出入りする人間の顔なんていちいち覚えてないからね。その子の母親が侍女か、遊びにきた貴族か、自信がないってだけの話さ」
「いいや、違うな。正直者の王子様、先程のお前はこの子の母親が侍女だと確信していた。侍女だったが立場が変わったんだな。豪商にでも見初められたか? それとも、王が手を出しちまったのか」
「────────」
「当たりか。つまり、この赤ん坊は王の血を引いている。おれの見立てはどうだ。ああ、答えなくていい。見えている」
瞼を閉じようとして愕然とする。この身体には瞼がない。慌てて翼で目を覆うが既に遅かった。
「お前を潰してこの子を殺せば、直系の血は絶える。そうだな?」
芯まで冷えた声は確信に満ちている。異論を挟み込む余地がないことは明らかで、この身体では身を挺して妹を守ることすら出来ない。
涙すら出ない作り物の身体では、出来ることなど何もない。
そう分かっていて、全て理解していながら、少年は声を張り上げる他なかった。
「やめてくれ!」
死神がぜんまいを巻いたおかげで自由に動くようになった羽根。慣れぬ動作に戸惑いながらも両翼で死神の手に縋りつき懇願する。
「やめてくれ、お願いだ! その子は関係ないし誰もその子を知らない、こんな愚か者の血なんて彼女には何の関係もない! だからその子は逃してくれ、頼む!」
「誰も認知していないなんてことはありえねェ。この子を産んだ元侍女は? 育てるのに協力した奴は? 王宮に勤めていた奴らは逃げ出したが生きているよな。出入りしていた商人は? あいつらは耳聡く、愚物となれば口も軽いぞ」
「それは! それ、は……」
「数日前、宰相が捕まったよな。あいつも生きてる。分かるか? 関係者が生きている限りどこかで秘密は露呈する」
「だったら、どうすればいいんだよ!」
紡がれる抑揚のない機械的な言葉。正論で畳み掛けられ、思わず叫び返した。そんな少年を片手に乗せたまま、死神は言う。
「簡単だ。皆殺しにすればいい」
「────え?」
「反乱軍にも王宮の生き残りにもこの子のことを知ってる奴はいるだろう。だから国ごと潰せばいい。宰相も、海兵に手を回せば対処できる。商人も、となると辿るのは面倒だが出来ないことはない。ともかく、全員殺せばいい」
「な、何を言ってるんだ。そんな虐殺みたいな真似、誰が」
「王子様、お前が望むならおれがやってやってもいい。なに、国なんてのは結局権力者のオモチャだ。そして、お前はまだ権利者の端くれだろう。好きにすればいい」
何を言っているのか、全く理解できなかった。
この男がただの火事場泥棒でないことは明らかだ。どう考えても反乱軍に与していた、或いは主導していた人間に違いない。何らかの狙いがあるはずなのだ。反乱軍ごと国を潰すなどと、訳の分からないことを言うのだから。
少年は恐怖と混乱に背中を押されるようにして、ただ男を見つめる。
昏い目だ。
深い穴の底に似た昏い瞳。
「虐殺なんて、できるわけが……」
「出来る。おれはそれを知っている」
引き摺り込まれるように言葉をなくした少年が意味もなく嘴を開く、その間際。
火のついたような泣き声が上がる。
黒衣の男は少年をゆりかごへと下ろし、代わりに泣き喚く赤子を抱き上げた。そして、両腕で輪を作り、彼女を抱えてゆっくりと身体を揺らす。
低く穏やかな声が紡ぐのは異国の子守唄。やさしく普遍的な祈りの音色。
クーデターの喧騒の中にあってあまりに異質なその歌声は、死神が発するにはどこか愛おしげでそのくせ空虚なものだから、かえって恐ろしさを増している。
だが、妹にとっては違って聞こえるのか。死神の腕に抱かれた彼女は再び眠りに落ちていった。
しばらく緩やかに身体を揺らしていた男は小さな声で歌を紡いだまま、眠る赤子をゆりかごへと戻す。間近で見る彼女は安らかに寝息を立てていた。
「若様」
成り行きを見守っていた能力者の少女が声を上げる。緊張に掠れた声だ。
無表情ながらも視線を傾ける死神を見上げ、彼女は言った。
「私が触って、その赤ん坊もオモチャにする。それじゃダメ?」
「駄目だな。おれ達もそうだが、何より王子様がこの子のことを認識できない。意味がねェ。それに、乳児の段階でオモチャにするのは生育上のリスクが高すぎる」
「でも、全員殺すのは良くない」
「手間ではあるな。だが」
「違う。若様が嫌なことをするのは私も嫌。私に出来ることなら何でもするから、皆殺しはやめて」
自身の服の裾を皺になるほどきつく握りしめ、少女が真っ直ぐに死神を見る。
「おねがい」
沈黙が落ちる。
静まり返る室内とは対照的に、突然、王宮の外が騒がしくなった。
轟く怒号と悲鳴から、拘束されていた父王と母が民衆の前に引き摺り出されたのだと気付く。
激しい銃撃音。
遅れて響く、割れんばかりの喝采。
少年は窓辺へと羽ばたいた。
見下ろす先は、見る影もなく踏み荒らされた王の庭。人の形も保てていない、肉塊が二つ。
国を貶めた悪。その死の、なんと呆気ないことか。
あれだけの集中砲火だ。意外なことに、然程辱められず、長く続く苦しみも与えられず、両親は死ねたのだろう。
両親のことは好きではなかった。最低な人間だとすら思っていた。
それでも苦しまなかったのは良かった。
幸いなことだ。
そう思えたら、どれだけ良かったか。
涙を流す機能もなく、瞼すらない硝子玉の目。或いは、本物の鳥であったなら、夜の帷が全てを隠してくれただろうに。
死と喝采を見つめる少年の眼を、夜に似た大きな手が覆った。
冷たく凪いだ声が問う。
「王子様、名前は」
「さっきも思ったけど、キミは自分が害する王家の者の名も知らないのかい? 本当に?」
「さあな。それで、名前は」
「エドアルド。家名はいいだろ」
「そうか。歴史のある良い名だ」
「中身のない名前さ。もう、守るべきものなど何も残されていないのだから」
富や財の守り手という意味を持つその名は王族に多い名だった。しかし、時を経て風化し形骸化した名など何の価値もない。
吐き捨てる青い小鳥を見つめ、男はゆっくりと首を傾げた。
「何故?」
「何故って。直接とは言わずとも、ぼくが守るべきものは全部キミが壊したんだろう。父も母も、国も、全部」
「お前にはまだ妹がいるだろう」
当然のことのように宣う男はゆりかごから赤子を抱き上げる。その手付きがあまりに自然で優しいものだから、何もかもわからなくなった。
死神は言う。
「お前はおれの命令に従わなければならない。そういう契約だ」
「意味がわからないけど、どうやらそのようだね。これもあの女の子の能力かな。それで、命令は?」
「お前の妹をある国に預ける。心配するな、あてがあるんだ。ここから随分離れるが、悪くねェ国だぞ。お前はそこでこの子の成長を見守れ」
「それは……命令とは言えないんじゃないかな」
困惑する少年を見つめ、男は頷いた。
「勿論それだけじゃねェ。もう一つ仕事を与える」
「仕事?」
「ああ。仕事さえきっちりこなしてくれれば、他は何でも好きにしていい」
「例えば、キミを告発するとか」
「出来るならな」
男は生真面目に応え、自らの肩に少年を乗せる。そして何事かを呟けば、一瞬で視界が変わった。
炎のせいで明るかった世界が消え失せ、代わりに月の光が降り注ぐ閑かな暗闇へと降り立つ。
「キミは移動系の能力者かい?」
「早速情報収集か。将来有望だな」
「……若様を裏切る奴は処刑よ」
少年を睨みつけ不快そうに呟く少女だったが、その顔はどこか嬉しそうだった。
「若様、ありがとう」
「何がだ」
「お願い聞いてくれたから」
「あれはお願いとやらには入らねェだろう。おれにだって一応、配下の進言くらい聞く耳はある」
微笑んだ少女から視線を逸らし、男は目を伏せる。
穏やかな月光の下で見る瞳は、どこか傷付いたような、悲しげな金色をしていた。
ドフラミンゴと別れ、教会を離れた後。シュガーとモネは子ども達と共に地下に潜り、セビオからの脱出を計っていた。
戦闘の影響で崩れた地表を子どもの足で踏破するのは難しい。地下も危険ではあるが、いざとなればファミリーのみが知る通路を回避に使うことができる。
アートと爆発の痕跡が残る地下を皆で進んだ。現在地は闘技場地下。何故か崩壊した闘技場から光と水が降り注ぎ、眩しさに目を細める。
最前列を進む姉の背を見つめ、シュガーはため息をついた。
「どうしたのさ」
「変な感じ。敵に助けられるなんて」
「キミがぼくにそれを言うの?」
軽く笑った少年を睨みつける。
「私はあんたを助けてなんかいない。あんたを助けたのは若様よ。私はただ命令に従っただけ」
「ぼくはそう思わない。受け取り方なんて他人の勝手じゃないかな」
「うるさい。黙って」
「ごめんね。だけど、ずっと小鳥さんなんてやってると、少しばかりおしゃべりになってしまうのも仕方ないと思うんだ」
「あんた、昔はもう少し可愛げがあった」
「何を言ってるのさ。キミもぼくも、彼だって少しも変わっていないじゃないか」
嘯く少年だったがその目は真面目そのものだ。彼の言葉の意味を受け止め、胸が重く沈む。
そう、変わっていない。
取り残されたように変われない。
「若様はずっと、冬の冷たい雪の中に閉じ込められている。あの人のそばから離れられない」
モネとシュガーを絶望から救い上げてくれた主。雪の中、抱き上げてくれたあの温もりを、シュガーは一生忘れることなどないだろう。
あの時、そして今日まで。
彼は何を思っていたのだろうか。
シュガーの身体は時を止め、モネは姿を変えた。それでも心は時を刻む。
だが、当の主はシュガーの知らない過去の中に縫い止められたまま。
気のせいかもしれない。
幻かもしれない。
だが、夢うつつの内に見た彼は、ひどく虚な、それでいて泣き出す寸前の子どものような顔をしていた。
彼は今も、涙を胸の内に隠しているのだろうか。雪に凍え、一人きりで。
「本当の若様はきっと、私達とは違う世界の人。この国みたいな場所で自然に笑っていられる人だったんだと思う」
「そうかもね」
「でも、今の若様は、ここにいると辛い。ずっと苦しんでる」
「こんなことを言うとキミは怒るだろうけれど、彼は怖がっているように見えたよ」
「……怒らない。きっとそうだから」
ドレスローザは良い国だ。シュガー個人としても本当はこの国のことが嫌いではない。だが、一方で、主の姿を見ていると早くこの国を出なければという焦燥にかられた。
主は幸せを恐れている。自身の指針が揺らぐのが不安なのか、もっと他の理由があるのかは分からない。だが、彼はこの国で過ごしながら、何かに怯え続け、苦しんでいるように見えた。
主は強い。自ら道を切り拓いて走っていけるし、どこにだって飛んでいける。
それでも、この国を去らないのは、ここに楔があるから。
そして、シュガーの進むべき道は決まった。
「あの人の記憶を奪おうと思った。生き物なら遺体でもオモチャにできる。そうなれるように努力した。それなのに、いざ覚醒したら出来なかったの」
シュガーが能力の覚醒を告げ、コラソンの記憶を消そうと秘密裏に持ちかけた時、トレーボルはあろうことか鼻で笑った。
覚悟もない小娘が能力だけ育てたところで何が出来る、と。サングラスの奥に隠された鋭い目は如実に物語っていた。
堕落の権化たる男、トレーボル。その目に浮かぶ、嘲りの色に隠された煮えたぎる決意を、シュガーは今でも思い出せる。
そう。シュガーにはなかった。
主から宝を奪う、その覚悟が。
オモチャは忘れられる。
時が立ち、子どもが大人になるにつれ、その存在価値をなくしていく。
子ども達をオモチャに変えた時とて罪悪感がなかったわけではない。ただ、命を守るためという大義名分があった。戦乱を引き起こしたのがファミリーである以上、思い上がりも甚だしい偽善だが、それでもまだ自身を納得させられる理由があった。
だが、コラソンは違う。
彼女は既に死んでいるのだから。
恩人にとってたった一人の妹。その命の痕跡を跡形も残らず消すことが、どうしても出来ずにいた。
主にとってコラソンの最期は辛い記憶だ。だから、コラソンの存在、その記憶ごと全てを奪ってしまえば、彼は動き出せるのではないかと考えていたのに。
亡骸に触れる。
それだけのことが出来なかった。
唇を噛むシュガーを見つめ、少年が目を細める。
「彼女は彼の宝物だから」
「……うん」
「キミは何度も迷って今日初めて手を出した。キミ自身の大切なものを守るためだ。たとえ、全てが明るみに出て彼に憎まれてでも、そうしなければと思ったんだろ」
「結局、若様を傷付けただけだった」
「確かにね。でも、彼は案外怒らないんじゃないかな。むしろ、キミの新しい一歩を褒めるかも」
「私もそう思う。だから苦しい。若様は若様自身のことを大事に出来ないから」
「だから、キミ達がいるんだよね。違ったかい?」
少年がシュガーの肩を柔く叩く。覗き込む瞳の柔らかさに胸が詰まった。
「ナマイキ。黙って」
「キミが望むならそうするよ」
「……うそ。そんなの望んでない」
「知っているとも」
にこりと笑み、少年は足を止める。
視線の先にあるのは分岐。先頭のモネが子ども達に左の道を示していた。分岐を左へ少し進んだ先にある階段はアカシアの教会へと続いている。
「お別れね」
「ああ。これまで世話になったね」
「私は何もしてない。世話をしていたのはむしろあんた達」
「世話らしいお世話はしていないよ」
『眠りの家』は管理小屋より地下に進んだ先、数枚の扉と一つの小部屋を隔てた場所にある。そこへ続く最後の扉は、子ども一人がやっと通り抜けられるような小さな、しかし重々しい鉄製の扉だ。
日に一度、決められた時間帯。コラソンの眠るその地に立ち入り、彼女の亡骸に変化、否、劣化がないかを確認する。それがオモチャに課せられた唯一の仕事だった。
少年と子ども達はコラソンの遺体を調べ、それ以外の時間を自由に過ごしている。彼らの多くは『眠りの家』と管理小屋の間にある小部屋で暮らしていた。
そこには彼らのための教材や遊具が備えられており、教師役となる人間が時折そこへ顔を出す。主の能力でファミリーの協力者と精神を入れ替え、人間の感覚を忘れないように技能を習わせることもあった。
ナイフの使い方もそこで覚えたのだろう。なかなかの突きだったとシュガーは乾いた笑いを浮かべる。
「行って。若様が手を回してる。危険な情報は潰したし、年月だって随分過ぎた。だから外は安全。あんた達は自由よ」
「彼女の管理はもういいのかい?」
「契約はオモチャのあんたと交わしたの。あんたは人だからあそこに入っちゃダメ」
「たまにトンタッタ族が入っているじゃないか。彼らは人ではないとでも?」
「ごちゃごちゃうるさい。行って」
「ごめんごめん。じゃあね、シュガー様。キミの祈りが届くことを祈ってるよ」
口の悪さに苦笑した少年が他の子ども達と共に左の道へと進む。
遠ざかる背を見送り、シュガーは目を細めた。
「バイバイ、エディ」
小さな呟きは近付いてくる喧騒に掻き消される。デリンジャーが叫ぶ声とマッハ・バイスの足音が反響してひどく煩い。
モネがシュガーを庇うように前に出る。だが、どんな理由があろうと己は離反者。主を傷付けた大罪人だ。モネの翼から一歩前に踏み出し、シュガーは顔を上げた。
口を引き結んだシュガーに向かってデリンジャーが飛び込んでくる。能力の誤作動を防ぐため両手を腕にあげたシュガーに抱きつき、少年は涙声で叫んだ。
「もう、シュガー! バカ! 何で一人で思い詰めるのさ!」
「────え?」
「ダメじゃん、若様のためにはみんなで力を合わせないと! 一人なんかじゃ駄目なんだから!」
困惑に視線を巡らせれば、セニョールがどこか見覚えのある容姿の子どもを抱えていた。シュガーの視線に気付いたその子どもはサングラスを押し上げ、ぱちりとウインクをしてみせる。
「不快。消えて」
「なんだとちんちくりん! このおれが気を利かせてやったのに不敬だえ!」
思わず素に戻って罵倒すると、子どもはセニョールの腕の中で暴れて直球の悪口を放った。シュガーが眉を顰めるその横で、興味を持ったらしいモネが子どもの鼻先へと翼を伸ばす。
「ドフラミンゴに似てるけど、彼の子どもにしては大きいわね。ぼく、どこの子?」
「こ、子ども扱いするな……ハネ、トリ、そうだ鳥女、あっち行け……獣臭がうつるんだえ!」
「あら、かわいい。照れてるのね」
妖艶に笑うモネに対し、急にたじたじとなるミニドフラミンゴ。彼を抱え直したセニョールが苦笑した。
「年上の女に弱いとはな。まったく、お前らしいじゃねェか」
「ううう、うるさいえ。弱くないえ」
セニョールにしがみつき、ミニドフラミンゴが毒付いている。だが、頬は赤く染まっており全く誤魔化せていない。
マッハ・バイスはこの手のことに興味がないのか、或いはドフラミンゴが気に食わないのかそっぽを向いている。セニョールは既にボロボロの様子ながら無駄にニヒルを決め込んでいた。
自身はと言うと、両手を上げてデリンジャーに抱きつかれたままのいまいち気の抜ける体勢。シュガーはため息を吐く。
「説明して。私達に何ができるか」
「ああ。進みながらになるが」
頷いたシュガーは、ファミリーの皆と共に歩き始めた。
今度こそ、主を救うために。
日の傾き始めたアカシア。町外れの教会には孤児院の子ども達と数人のシスターが集まっていた。
階段を上りきり地上の眩しさに目を細めた少年は、共に地下を抜けてきた仲間の手を引き彼らに合流する。
庭先でたどたどしく包帯を扱う少女が一人。そのそばに見慣れた少女の横顔があった。
自身も涙ぐんでいるにも関わらず、怪我人を慰めている優しき少女。その姿を見た瞬間、思わず駆け寄りそうになり、すんでのところで踏み止まる。
今の自分は青い小鳥のオモチャではない。彼女にとっては見知らぬ他人なのだから。
「あなた達、その血はどうしたの⁉︎」
子ども達の姿をみとめ、駆け寄ってきたシスターが血相を変えた。それもそのはず。シュガーを刺した者だけでなく、手術の補佐を務めた子ども達の服には血がこびりついたままなのだ。
怯えて後退る年少者を後ろに庇い、年嵩の子ども達がシスターを睨みつける。
「……怖い目にあったのね。もう大丈夫、安心して。こっちにいらっしゃい。手当をしましょう」
しゃがみ込んだシスターが涙を浮かべ、子ども達に微笑みかける。伸ばされた手と仲間を交互に見て、子ども達は顔を歪めた。動かない子ども達に対し、シスターらは辛抱強く待ち続けている。
不安に揺れるいくつもの瞳が、オモチャのリーダー格であった自身に向けられるのを感じ、少年は彼らへと向き直った。
オモチャの身体で自己を表現するために散々言葉を弄してきた少年だったが、今は人の身。
身体も顔も、心も。
良くも悪くも、全てが自由だ。
思い出すのは無理矢理口の端を上げ姉妹を勇気付けようとしていた男の凶悪な顔。残念かつ優しい彼の笑顔を思い出しながら、少年は頬を緩めてみせた。
「大丈夫。行きな」
子ども達がシスターの元へとおずおずと進み、柔らかな腕に抱き止められる。
人の熱に戸惑う者、自身の身体に不慣れな者、溢れる涙の止め方を忘れてしまった者。いくら命を守るためとは言え、やはりオモチャとなっていたことで失われたものは少なくない。
『眠りの家』の子ども達の多くは命を救われたことに感謝の念を抱きながら、ファミリーへ恨みを募らせていた。
複雑に絡まった心の糸が解けゆくのを感じ、少年は深く息を吐く。
自由。
シュガーはそう言ったが、なかなか難しいものなのだろう。
ついいつもの癖で、教会から孤児院へと続く庭、そこにあるベンチへと進んだ。普段は飛んでいたものだから、すぐに目的地に到着できない足に戸惑った。
腰掛けてみれば、日差しで温まった椅子がなんとも心地よいぬくもりを分けてくれる。こんな眠気が来そうな場所で勉強をしていた彼女は実に大層な努力家なのでは、などど身内贔屓に浸っていると、強い視線を感じた。
視線の先は、見ずとも分かる。
ゆっくりと近付いてくる少女を見つめ、少年は自然と微笑んでいた。
大きくなったな。
立派になった。
ベンチのそばに立つ少女を見上げ、少年は胸を押さえる。
ああ、嬉しい時。
胸はこんな風に痛むものだったか。
「あなた、そこで何をしてるの?」
「ああ、ごめんね。ここ、キミの特等席なのかな? ちょっと疲れてしまって借りていたんだ。今退くよ」
「疲れているなら座っていていいのよ?」
「いや、大丈夫だ」
立ち上がり、少女を見下ろす。
彼女は父王の血を引いているが、容姿はカケラも似ていない。
いや、今となっては父王の記憶も大方薄れてしまっているのだが、それでも似ていないと感じた。
元気に育ってくれた。
しかも、優しくて良い子だ。
そう思い、嬉しくなってしまう。
「あなた、へんなお顔でどうしたの?」
「変って。失礼しちゃうな」
「だって、あなたったら、笑っているけれど泣きそうなんだもの」
少女の伸ばした手が頬に触れる。
陽射しの匂いのする指はあたたかい。心地良さに頬を寄せ、目を閉じた。
瞼に押し出され溢れた涙が少女の指を濡らす。
「泣いているの?」
「そうみたいだね」
「転んだの?」
「いいや」
「迷子になっちゃった?」
「いいや、違うよ。ぼくは迷子になんかならないんだ。道なき道を行けるからね」
「へんなの」
少年が笑えば、少女も小さく笑い返した。一頻り笑い合った二人の間に、柔らかく薄い布のような沈黙が降りる。
「ねえ、小鳥さん」
「…………」
「小鳥さんよね? 私が小鳥さんの声を聞き間違うはずがないもの」
少女が言う。
否定も肯定もしない少年を見上げ、彼女は泣きそうな声で囁いた。
「シスターが言っていたの。死んだ人の魂は神様の魔法で鳥になるんだって。だから、あなたもそうなんだと思っていた」
「御伽話かい? 初めて聞いたよ」
「鳥になった本人に話してはいけないの。誰かに秘密を知られたら、神様の下に帰らなければならないから」
「おや。じゃあ、ぼくは帰らなければならないのかな?」
「小鳥さんは生きてるじゃない。こんなにあたたかくて涙もでる」
そう言いながらも、少女は少年の服の裾を掴んで離さない。まるで彼の魂がどこかに飛び去ってしまうのを恐れるように、指に力を入れたまま、彼女は俯いた。
「あともう一つ、してはいけないことがあるの。鳥になった人の名前を呼んではいけないんですって。名前を呼んでしまうと、魔法が解けてしまうから」
「神様のくせに注文が多いんだね。でも、大丈夫。だって、ぼくは名無しの小鳥だもの。キミも知ってるだろ?」
「……知っているわ」
妙に確信に満ちた様子で少女が呟く。
「あなたの名前はエドアルド。やさしい、私のお兄さま」
思わず言葉を失った少年に抱きつき、彼女は涙をこぼした。
「小鳥さんはお兄さまなのよね? どうして? 生きてらっしゃったこと、どうして今まで教えてくださらなかったの? 私、我慢してずっとだまっていたのよ! 小鳥さんが、お兄さまがいなくなってしまうなんていやだから、ずっと!」
小さな拳で少年の胸を叩き、顔をぐしゃぐしゃに歪めて泣き喚く少女。糾弾というには思いに溢れた言葉の雨が降り注ぐ。
「お兄さまのばか! ばかばかばか!」
「……こら、キミは王女さまなんだから言葉遣いには」
「そんなの知らない! 私は王女さまなんかじゃないし、私をだましたお兄さまが悪いんだもの!」
「ああ……そうだ。そうだったね。お兄様が悪かった。ごめんよ。本当にごめん」
少女を抱きしめる。
本当に大きくなった。
あんなに小さくて何もできなかった赤子が、身勝手な大人達に命すら擲たれていた無力な子どもが、自らの力で立って真実に辿り着いた。
賢くてかわいい、大事な妹。
この世界で一番大切な命。
確かな温もりを抱きしめ、少年は頬を寄せる。
「どこでぼくのことを知ったんだい?」
「あの、ごめんなさい。本当はお兄さまのことを知っていたわけではないの」
泣き疲れて掠れた声で謝り、彼女は真相を語った。
一年程前のこと、シュガーがペンダントを持ってきたのだそうだ。ペンダントの中には小さな肖像画が収められており、裏に名前が綴られていた。
名前しか分からない、どこか懐かしい肖像画の人物。シュガーにその人物について聞いてみれば、少女の名付け親だという答えが返ってきたのだ。
彼女のように赤ん坊の頃から孤児院にいる子ども達の多くは、孤児院のシスター達によって名前をつけられている。だが、彼女は珍しく名前持ちだった。
『あなたの名前はあなたのお兄さんがつけてくれたそうよ。赤ちゃんだったあなたを連れてきた時、若様が教えてくださったわ』
歳を重ね、目尻に皺を寄せたシスターが優しく微笑んで教えてくれた。
『幸せになってほしい。そんな祈りが込められた素敵な贈り物ね』
少女の名はフェリス。
その名は幸せを意味する。
ぐずぐずと鼻を鳴らしながら、妹は話し続けた。
「シュガー様にお兄さまとお会いしたことがあるのか聞いたら、顔は知らないとおっしゃるのよ。でも、『若様のメモに資料が挟まっていたから』って。私、意味は分からなかったけれど」
二人でベンチに座り、肩を寄せ合う。
言葉が散漫な上、舌足らずで聞き取りづらい涙声。それでも聞き漏らしたくなどないものだから自然と耳を寄せた。
時に頷き、時に首を傾げ、時に笑い。
オモチャだった頃からずっとそうしていたように。
「ペンダントの絵はね、ジョーラ様が書いてくれたの。資料を見て写したから完成度が低いんですって。私にはすごい絵にみえるしうれしいってお礼を言ったらジョーラ様はなんだか困っていらしたけど……本当は画風がいつもと違っているから描きにくかったのかしら」
泣き疲れたのだろう。うとうとと舟をこぎ始めた妹をベンチに横たえる。毛布代わりに上着をかけてやり立ちあがろうとすると、服の裾を引かれた。
「お兄さま、どこへ行くの?」
「お兄様はどこにも行かないさ」
「どこにも行かない?」
「ああ。いつでもキミのそばにいる」
笑ってみせる。
祖国では名前すら与えられなかった妹。
彼女が健やかに育ったこと。彼女の成長を見守ることが出来たこと。
少年にとってそれは望外の奇跡だった。
だが、夢などではない。
少女の手を握る。
初めて己が手で感じた妹の温もり。この温もりと共にあるためならば、何だってできる。
この時が忘れられようと、何だって。
「ただね、お兄様には外せない仕事があるんだ。もしかしたら、時間がかかるかもしれない。だけど終わったら、必ずキミの元に飛んで帰るよ。約束だ」
「本当?」
「ああ、本当だよ」
「……うん、分かった。私、信じる」
あたたかな指が離れる。
寝入りかける妹の頬に唇を寄せた。
「かわいいフェリス。ぼくが帰ってくるまで、元気でお過ごし」
耳元で囁く少年を見つめ、フェリスはくすぐったそうに笑った。
「お兄さま。私、お兄さまにお会いしたら、どうしても伝えたいことがあったの」
「なんだい?」
「あのね、お兄さま」
小さな手が少年の耳元へと伸ばされる。そして、二人だけの秘密のように囁かれた言葉は少年の胸を優しく満たした。
「ぼくもだよ」
囁きを返し、少年は走り出す。
制止をかける声は複数。ドレスローザでの長きを共に暮らしたオモチャの子ども達、そしてシスター達。
だが、妹は笑っていた。
トラファルガー・ローの計画。世界をひっくり返す悪の策略。そばを飛び回っていたこの数年、その全貌を知ることは叶わなかったが、彼が自身を贄に地獄を編み出そうとしていることだけは分かっていた。
恐らくだが、この国は大丈夫だろう。フェリスらも何とか大人になり、強く生きていける。そう思う。
だが、寝覚めが悪いではないか。
間接的には親の仇であれど、命と心を守ってくれた恩人。彼が世界に絶望したまま死ぬなど。
そんな犠牲の上に成り立つ世界で、妹が幸せになれるわけがない。
エドアルドは宝守る者の名。
妹のため、共に過ごした仲間のため、出来ることがまだあるのだ。
だが、人の足ではきっと間に合わない。
今、必要なのは翼だ。
自由に空を駆け、幸せを守る翼だ。
まだ近くにいるだろうシュガーを目指し、少年は駆ける。
「シュガー様ったら駄目じゃないか。彼の意図を外れて肖像画なんか作ったら。裏切り者は処刑と言ったのはキミなのにさ!」
戦場に突っ込む、そんな恐怖を吹き飛ばすため、少年は一人笑う。
全く、とんだおしゃべりになってしまったものだ。
そして、青い鳥は飛ぶ。
大切な人々の幸せを守るために。
オリキャラのエドアルドという名前は「幸福・富の守り手」といった意味を持つ古き良きお名前。ドレスローザの元ネタ的にスペイン風に寄せてドゥアルテとかエドゥアルドとかが良いのかもと悩みつつ、あまり語感が他と離れてもなと考えての選択でした。
発音を変えれば、みなさまご存知エドワード。ONE PIECEにはファミリーネームがエドワードの偉大なる海賊がいらっしゃいましたね。彼の名前は史実の海賊である黒髭からつけられたわけですが、それはそれとしてよくお似合いのお名前だと思います。