ONE PIECE novel.DD “怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ   作:ladybug

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 立ち上がれなくなりそうな失意の底。
 ドフラミンゴは託されたものを数え始める。


 届かなかった
 間に合わなかった
 喪った
 彼らはもう二度と戻らない
 知っている
 全部知っている
 それでも、おれ達は



Run boys Run

 

 

 思い出すのは寒さ。

 灼けるような冷たさ。

 

 

 暗い宝箱の中、やっと動くようになった身体。血と涙を吸って重くなった恩人のコートを置き去りに島を彷徨い歩いた。

 遠く、去り行く船の灯り。賑やかな音。

 追ってはいけないと分かっていながら足が港へ向かうのを止められず、雪に埋もれかけた血の赤を辿る。

 

 あの男が憎い。殺したい。

 

 そう思う一方で、一人になるのがひどく恐ろしくて、無意識に暗い光を探した。

 

 何がしたいのか、もう自分でもわからない。寒くて、どうしようもなく寒くて、あんなに恐ろしかった火ですら恋しくて。

 雪に足を取られ何度も転ぶ。凍えて感覚を失った指でペンダントを握った。痛みすら覚えるほど冷たいコインを、それでも握りしめて進む。

 港に辿り着いた時、既に船は離れており、膝をついて涙した。

 

 

 コラさん。自由なんていらない。

 そんなものいらない。

 

 

 だって、自由はこんなにも暗い。

 

 

 泣き疲れ、もうどうにもならないのだと心底思い知り、やっと少年は理解する。

 

 

 もう、誰も手を引いてはくれない。

 一人で歩いて行かなければならない。

 

 また、一人で。

 

 

 港に背を向け、少年は歩き出した。

 頼りなく淋しい足音は雪にのまれ、ただ静かに夜が更けていく。

 

 

 

 

 

 

 革命軍のサボ、そしてトラファルガーファミリーのデリンジャー。地下に飛び込んできた二名がバージェスを打ちのめした。

 地へ沈むバージェスを飛び越え、乱入者達は地下道へと降り立つ。

 敵を牽制し麦わらを守るサボ、そして本体に近付き困り果てている“衛星糸”のドフラミンゴを置き去りにして、デリンジャーは主の下へと走った。

 

「若様! 若様、どうしてこんなひどいお怪我を⁉︎」

「デリンジャー……?」

 

 ヴェルゴに支えられ、黒衣の男が身を起こす。

 霞がかった金の瞳が彷徨い、デリンジャーへと向けられた。

 

「デリンジャー、何故ここに来た」

「ぼくだけじゃない。セニョールもマッハ・バイスも、モネもシュガーも来てます。みんな、若様といたいからここにいるんです」

 

 笑ってみせようとして失敗した。

 涙が止まらない。主に憧れ、強く冷静な人間であろうとしてきたが、未成熟の心はいざという時に激しく揺れ動いてしまう。

 瞳の動きなどから感情の揺れを察知は出来ても、その中身までは分からないのだろう。主は困惑の色を浮かべ、ヴェルゴを見た。そして、全く理解できないというようにかぶりを振り、左腕を持ち上げる。

 

 まずい。能力を使ってデリンジャーをどこか別の場所に飛ばすつもりだ。

 

 咄嗟に主の手を掴む。それは燃えるように熱く、驚きのあまり指を離しそうになった。衝動を堪え手を握り込めば、主は振り払おうとしてくる。

 しかし、その無慈悲な拒絶を制止するものがあった。ヴェルゴだ。

 彼は主の手首を掴み、静かな声で言う。

 

「ロー、聞いてやれ」

「悠長に話してる場合か? 四皇の幹部までいるんだ。ここにいると危ねェだろ」

「そうだな。だが、少しだけでいい。今は聞いてやってくれ。頼む」

 

 不思議そうではあったが頷いた主。

 傷付いた身体に響かぬよう恐る恐る抱きついた。分からないながらも応えようとしたのか、主の左腕がデリンジャーの背中へと回される。

 

「若様、一人で頑張らないでください。ぼくら、悪いことでも良いことでも何でも手伝うから。世界を壊すのも誰かを守るのも、全部若様の好きにしていいから、一人でいってしまわないで」

「…………」

 

 応えはない。

 声の代わり、駄々をこねる子どもをあやすように背中を柔く叩く手。

 その手の感触に、幼い日の記憶が呼び覚まされる。

 

 名前を呼ぶ声。抱き上げられた視界の高さ。血と消毒液の匂い。頬に触れるざらついた髭の感触。

 どこか遠くを見る眼差し。

 

 主と過ごした記憶、その全てがデリンジャーの宝物だった。

 

「ね、若様、みんなで行こう。ぼくら、強くなるよ。置いていかれないようもっと頑張る。だから、ずっとずっと、みんなで行こうよ」

「お前らは……難しいことばかり言う」

 

 小さく呟いた主はデリンジャーを引き剥がした。

 無理矢理というには遠慮がちで、優しいというには強引な、主らしい接し方。

 

「若様、どうか忘れないで。ぼくらは若様のことが大好きだよ」

 

 涙を堪えて笑顔を浮かべた。

 

 少しだけでもいい。

 どうか、皆の思いが伝わるようにと願いながら。

 

 首を傾げた主が曖昧に笑む。

 それは無理解と断絶の証左。

 

 悔しさに涙を零すデリンジャーの頭を撫で、主は左腕を振るった。

 

 瞬きの間に世界が変わる。 

 目に映るのは治療に飛び回るトンタッタ族とサポートに回る麦わらの一味、そしてドレスローザの王族。

 

 旧王城跡地に飛ばされたのだ。

 

 共に主の下へ向かった者達は皆、この場所へ強制移動させられていた。

 

 涙が止まらない。もう声も抑えられず、デリンジャーはその場に座り込み、身体を丸める。

 

「デリンジャー?」

 

 名前を呼ばれ、顔を上げた。驚いた様子のベビー5が覗き込んでいる。

 

「デリンジャー、どうしたの? 我慢強いあなたが泣くなんて、いつ以来かしら」

 

 いつも当たり前に聞いていたはずの声がひどく懐かしく思え、余計に涙が溢れ出す。デリンジャーが手を伸ばせば、ベビー5はしっかりとその身体ごと抱きとめてくれた。

 

「ベビー5、ぼく、ダメだった。若様に置いていかれちゃった」

「若様に会えたの?」

「うん。でも、ここに飛ばされた。一緒に行きたいって言ったけど、おそばに置いてもらえなかった」

 

 震える声が、涙が、ベビー5の胸に染み込み消えていく。背を撫でる指は子どもの頃と変わらず優しく、デリンジャーの弱さを浮き彫りにした。

 ベビー5の囁きが耳を打つ。

 

「デリンジャー、えらいわ。ちゃんと伝えたのね」

「ううん。話はできたけど、若様には伝わってないと思う」

「若様って頑固だもの。一度で伝わらなくても仕方ないと思うわ」

 

 ベビー5が自身の頬に手をあて、少し呆れたような声で言った。

 驚いて顔を上げる。

 

 彼女はこれまで、主を批判するようなことなど決して言わない人間だった。

 優しく従順、優柔不断でどこか芯のないところが玉に瑕。そんな彼女が今、主の性格にケチをつけた。

 

 目を丸くしたデリンジャーを見つめ、ベビー5がゆっくりと微笑む。

 

「デリンジャー、私も若様に話しに行こうと思うの。絶対にお伝えしなくてはならないことと、どうしてもお話ししたいことがあるのよ」

「ベビー5が……? だ、大丈夫なの?」

「全然。ちっとも大丈夫じゃない。怖くてたまらないもの。見てちょうだい、この手。馬鹿みたいに震えてるわ」

 

 ベビー5が苦笑と共に広げた手は確かに震えていた。緊張のためだろう、指先が白くなっている。

 ひやりと冷えたその手でデリンジャーの手を握り、彼女は祈るように呟いた。

 

「まだ怖いの。だから、デリンジャー、私と一緒に行ってくれる?」

「……うん、ぼくももう一度行くよ」

「どんな風に言葉を伝えるか教えてね。ほら、私ってこういうの初めてだから」

「いいよ、教えてあげる。ぼくら、家族だもんね」

 

 泣き顔のまま、笑い合い立ち上がる。

 目的地はセビオ。

 

 頑固な主がいるその場所を目指し、二人は走り出した。

 

 

 

 

 

 駆けていく二人の背を見送り、グラディウスが深いため息を吐く。

 バッファローは彼の横に並んだ。肩にはミニサイズのドフラミンゴが乗っている。

 

「お前はここに残るのか?」

「若の傍にはあの人がいる。十分だろう」

 

 嫉妬と羨望の入り混じった声。人一倍忠義心の篤いグラディウスにとって、ヴェルゴ(初代コラソン)という存在は複雑な心境を呼び覚ますものなのだろう。

 バッファローから見るとファミリーにはそれぞれに役割があり、特段コラソンだけが特別とも思えない。

 欠けてはならないピースはただ一つ、主その人だけである。

 主から見たファミリーは特別ではない。だが、ファミリーから見た主は特別。王と国民のようなものだとバッファローは受け止めていた。

 

 ところで、このドレスローザで十年を過ごし、バッファローの抱く『国』のイメージには変化が生まれている。

 何せ、王族が海賊の手を引いて町を連れ回し、国民が気軽に声をかけてくるのだ。カルチャーショックもいいところである。

 

 そこで考え直すのは主と自分達の関係。

 もう少し。もう少しだけ、主に歩みよるべきだったのではないか。

 

 二代目コラソンの死後、主は危うさを増し、目を離せばどこかへ消えてしまいそうな雰囲気を纏うようになった。

 蜃気楼、あるいは霧のように、繋ぎ止めようと伸ばした手が主を突き崩してしまう。別れを恐れる余り、ファミリーの面々は主の内面に触れず過ごすようになったのだ。

 

 だが、考えてもみれば、だ。

 

 主はあれで世界最強と渡り合う猛者である。さらに言えば、バッファローが物心つく以前から数々の試行錯誤を繰り返して世界転覆を狙い、自暴自棄に傾いているとは言え二代目コラソンの死後も計画を推し進める強靭な精神を有していた。

 ファミリーが手を伸ばす、そんな小さな衝撃で主が崩れるものだろうか。

 

 主の様はまるで一突きで壊れる薄氷のようだが、実のところ、極限の寒さに感覚を失ってしまっただけのようにも思えた。

 勿論、脆い面はある。だが、そこを突きさえしなければ、多少強引に行く方が理に適っているのでは。

 

「グラディウス。お前、本音で言えば行きたいだすやん?」

「当然だろう。だが、おれの存在は若の計画に含まれていない。ならば、おれはこれ以上、若のおそばにはいない方がいい。何事もノイズは少ない方が……」

「おめー、実はバカだすやん」

「何だと?」

 

 バッファローが鼻で笑えば、グラディウスは半眼を向けてくる。若干膨張しているあたり、既に怒りの導火線に火がついている状態だ。気の短い男である。

 

「計画外の問題が起きても、ファミリーの誰が傍にいても、若はこれまでやってきた。何を今更尻込みしてるだすやん」

「それは、そうだが。しかし」

「若が途中で計画を変えてお前が必要になったらどうするだすやん。まさか、お待たせして若の貴重な時間を奪う気か?」

「うっ、ぐ⁉︎」

 

 バッファローは顔を白黒させるグラディウスから視線を外し、肩の上に鎮座する小人族サイズの少年へと小声で話しかけた。

 

「これでええだすやん?」

「あァ、上出来だ。よくやった。あとでアイス奢ってやる」

「おめー、昔そう言ったままどこか行っちまっただすやん。この裏切り者め」

「フッフッフ、寂しかったか?」

「ベビー5が泣いて大変だっただすやん。迷惑料込みで考えて三段アイス五回分はあるぞ」

「まかせろ……悪かったな、勝手に居なくなって」

「お前が素直だと気持ち悪い。無駄に偉そうなままで腹も立つ。黙ってろだすやん」

 

 鼻に皺を寄せたバッファローの肩を叩き、少年ドフラミンゴが飛び降りる。

 

「じゃあな、バッファロー。頼んだぞ」

 

 裏切り者が、偉そうに。

 そう思う一方で懐かしさも感じるのだから不思議なことだ。

 

 ドンキホーテ・ドフラミンゴは元々鼻持ちならない性格な上、紛れもなく離反者で、さらには主を害そうとする悪漢である。

 しかし、彼が必死で主の後を追い続けていたのも事実だ。今やその手は主の背に届いていた。

 主の傍にありながら距離を取っていたファミリーと、距離を置かれていたコラソン。皆を尻目に自分だけ突き進む様は、ある意味ドフラミンゴらしいと言える。

 

 苛立ち半分懐古半分で小さな背中を見送った。バッファローの傍ら、落ち着きを取り戻したグラディウスが並ぶ。

 

「実を言うとな。昔、お前達が若からアイスクリームやらカステラやら賜っているのがほんの少しだけ羨ましかった」

「藪から棒になんだすやん。あと、その顔はほんの少しとか羨ましいとかのレベルか?」

「おれが不甲斐ないばかりに機会を頂くことすらできなかった。若から頂戴するのであれば、毒でも秘密でも何でも飲み干せると思っていたのだが」

「いちいち重い言い方をするな。大体、若が毒なんぞ飲ませるわけないだすやん」

「そうでもない。一度だけ猛毒を賜ったことがある。あれは実に甘露だった……死を忘れる程にな」

 

 グラディウスが喉に手を当て目を閉じる。思い出に浸っている様子なのだが、内容が内容だけに共感しづらい。

 心身共に一歩引いたバッファローを見上げ、グラディウスは笑う。

 

「これ以上を望むなど烏滸がましい。そう思って控えていたが、お前達を見ていると馬鹿らしくなる」

「おめーには素直さと賢さと愛らしさが足りないだすやん。他を見習え」

「精進するとしよう」

 

 生真面目に頷く彼の背後、ファミリーの面々が駆け寄ってくるのが見えた。揃いも揃って奥ゆかしさを投げ捨てた必死の形相である。

 

「ところでバッファロー。お前の背中、何人乗る?」

「お前達くらいなら全員いける。ただ、飛べる奴は自分で飛べだすやん」

「道理だな。行くぞ」

 

 歩き出すグラディウスを追い、バッファローは進む。

 

 考えることは大事だ。考えなければ弱いまま何も得られずに命を終える。しかし、思考に注力するあまり足が鈍るのはいただけない。

 ファミリーの面々にはそれぞれ役割があるものだ。バッファローの役割は足を止めたものすら運ぶ風。己が飛んで運べば、ファミリーはその間別のことに注力できる。

 

 時に何も考えず空を飛び、渦中に飛び込むこと。

 あるいは、ただそばにいること。

 それが最も正しい在り方なのだと、バッファローは知っていた。

 

 

 

 

 

 バージェスとヴェルゴ、そして革命軍の男が戦いを繰り広げる中、ドフラミンゴは俯いたまま座り込んでいた。

 

 思考がまとまらない。

 

 地下道に仕掛けた崩壊の一手、その糸は手放してしまった。

 たとえば今、形振り構わず技を放てば『鍵』を壊せるかもしれない。だが、それでトラファルガーを止めたとして、そこからどうしていいのかわからない。

 

 こんな自分が彼に何を伝えられるというのか。

 本物のバケモノが、何を。

 

 一人俯くドフラミンゴの視界が翳った。

 

「ドフラミンゴ」

 

 凪いだ声。

 見上げれば、トラファルガーが立っている。背には麦わら。意識はあるが殆ど力が入っていない。

 脱力してまさにゴムと化した青年を降ろし、男はドフラミンゴの前でしゃがみ込んだ。そして、視線を合わせ淡々と語る。

 

「面倒を見てやれ。本人の話じゃあと数分もすれば覇気が戻るらしい」

「何でおれが」

「お前が助けた男だ。違うか?」

 

 違う。

 そう答えようとしたドフラミンゴを見つめ、トラファルガーは目を細めた。

 

 鈍く霞む眼によぎる微かな光。

 それはひどく懐かしい。

 まるで、尊く愛おしいものをみるような瞳。何もかもを擲ち信じ切っている、蕩けそうな光。

 

 その眼はドフラミンゴを通し、妹の面影を追っている。

 

 改めて識った。

 

 

 ああ、この男は。

 この男は、今も。

 

 

「何であんたはあの人を守れなかったんだ。そんなに愛してたなら、どうして」

 

 脈絡なく零れ落ちた言葉はあまりに鋭利で、言い放ったドフラミンゴですら息を飲んだ。

 

 分かっていた。この男が最後まで足掻こうとしていたことなど。

 病、戦火、迫害、悪意、組織、世界。この男はその全てから彼女を守ろうとしていた。ただの銃弾が全てを台無しにしたその後も、痛みと苦しみから彼女を守ろうと手を下した。

 

 

 分かっていたはずなのに。

 

 

 後悔に胸が焼けるようだ。

 だが、時は戻らず、吐いた言葉は返らない。傷もまた、消えたりはしない。

 

 顔を上げることすら出来なかった。己の言葉がどれだけ目の前の男を傷付けたか、その様を見るのが恐ろしかったのだ。

 

「ラミは」

 

 落ちる声は変わらず凪いだまま。

 黒衣の男がぽつりと答える。

 

「ラミはこんなバケモノに守られたくなかったんじゃねェかな」

 

 呟きは深く静かで、確信に満ちていた。

 トラファルガーがふらりと立ち上がる。自身の肩に垂れ下がった糸の残滓に指で触れ、彼は目を伏せた。

 

「ドフラミンゴ、お前がここを守ってくれたんだな。ありがとう」

 

 違う。

 守ってなどいない。むしろ、壊そうとしていた。

 知っているはずだ。トラファルガー・ローともあろうものが、見通せていないはずがないではないか。

 そう言おうとしたドフラミンゴを遮るように男は続ける。

 

「ラミは正しかった。お前は本当に変われたんだな。海賊なんてやってると聞いたから少し疑っちまったんだ。悪かった」

 

 ドフラミンゴとここにはいない彼女、二人に謝るような囁き。

 彷徨う視線が何かを見い出し、一点で留まった。視線の先にいたのはドフラミンゴの分体。

 

 幼く、何も分かっていなかった頃の姿。

 

「ああ……そうか。おれは駄目だったけど、ラミは守りたいものを守れたんだな」

 

 扉に寄り添うように座る少年を見つめ、トラファルガーは呟いた。

 その呟きが寂しそうであれば、あるいはどこか沈んだものであれば良かった。

 

 それならば、まだ理解できたのに。

 

 

「良かった」

 

 

 ほんの一瞬、黒衣の男が浮かべたのは、優しく、どこか誇らしげな微笑み。

 

 

 記憶の中の恩人とよく似た、どこまでも人間らしい笑顔だった。

 

 

 言葉を失ったドフラミンゴを置き去りにして、黒衣の背中は去っていく。

 

「麦わら、回復したら教会に戻って来い。続きをやろう。あまり待たせるなよ」

 

 言葉の終わりと同時に左腕を振るえば、ヴェルゴとトラファルガーの姿がかき消えた。

 突然置き去りにされ、バージェスと革命軍の男が目を剥く。

 

「な、急に────『火炎』“竜王”‼︎」

 

 連携を崩された革命軍の男が大技を放ち、螺旋となった炎が地上へ吹き荒れる。

 

 途端、上空で上がる野太い悲鳴。バッファローだ。たまたま地下を覗き込んでおり、顔を炙られたらしい。

 巨体の周りでファミリーの他の面々が慌てている。モネが吹雪を作り上げているが、どうもやりすぎたのかさらなる悲鳴が上がっていた。

 

 つい数瞬前までここにいたはずの主を探すファミリーの面々。バージェスと革命軍の男がぶつかる騒音。さらにはバッファローの呻きが重なり、セビオの教会付近は混沌としている。

 座り込んだままのドフラミンゴを見上げ、麦わらがぽつりと言った。

 

「トラ男、逃げたな」

「……あァ」

「他人どころか仲間の話も聞かねェし、何なら聞きたくねェからって逃げるし、一人納得してどっか行くし、勝手な奴だ」

「そうだな」

「戦ってる最中だってのに、心臓だか寿命だかリスクだか言って覇気の使い方に文句つけてくるし」

「あいつは教え癖がある上に医者だ。無茶する元患者が心配なんだろう」

「チョッパーに二年前のカルテ送るからちゃんと相談しろとか言ってくるしよ」

「もはやただの医者じゃねェか」

 

 喘鳴を漏らし話し続けるルフィを肩に担ぎ、ドフラミンゴは立ち上がった。

 

 バージェスと革命軍の男の戦いは拮抗している。だが、どうにも雲行きが怪しい。セビオの教会を目掛け海兵らが集団で移動しているのだ。

 バージェスに対抗するためとしても、その他の海賊、つまり麦わらとて捕縛対象には違いない。

 

 そもそもだ。トラファルガーにしてもドフラミンゴ自身にしても、現状、七武海としての立場がどうなっているのかすらわからないのである。

 何にせよ、ここに留まるのはまずい。

 バージェスらの様子を確認しながら走り出す。次第に速度を上げて地下を進む中、麦わらが呟いた。

 

「トラ男は本当に勝手な奴だけど、それでも礼は言いたい。おれ、あいつのおかげでサボとまた会えたんだ」

「サボ? ああ、革命軍の男か。弟とか言ってたが、とんでもねェ三兄弟がいたもんだな」

 

 そう言えば、あの男は火炎を纏っていた。闘技場の賞品であったメラメラの実、それを口にしたのだろう。亡き兄弟の能力を受け継ぐなどまるで御伽話のようだ。

 こちらは亡き恩人の願い一つも伝えられないままだというのに。

 

 自嘲に口元を歪める。

 

「確かに、トラファルガーがメラメラの実を使ってお前ら二人を呼び寄せたようなものか。もちろん、偶然だとは思うが」

「何言ってんだ。ミンゴのおかげでもあるんだぞ」

「戦いに巻き込んだことへの嫌味か?」

「違うって! 何でそうなるんだよ! 二年前、お前らがおれを助けてくれたんじゃねェか!」

 

 麦わらが叫んだ。覇気も弱まり呼吸もままならないくせに大声をあげるものだから、脱力して肩からずり落ちていく。

 慌てて担ぎ直すドフラミンゴにルフィは笑いかけた。

 

「ミンゴ、ありがとうな。お前のおかげで仲間やサボとまた会えた」

「確かにあの時は借りを返せとか言ったが、今更礼なんていらねェ。あれは気の迷いだ」

「いいんだよ、気の迷いでも偶然でも。お前が助けてくれたのに変わりはねェんだから」

 

 二年前の頂上戦争で、絶望の内に消えかけていた命。それが今や世界を巻き込む嵐となり、ドフラミンゴの隣に立っている。

 いや、今この時に限って言えば、二年前と同じく己が肩に担いでいるのだが。

 考えてみればどこか状況も似ていた。

 同じことを思ったのか、麦わらが吐息だけで笑う。

 

「おれ達、いつも走ってんな」

「走ってるのはおれだ。麦わら、お前は担がれてるだけだろうが」

「ししし、悪ィ! あと五分もありゃ覇気が戻る。そしたら、今度こそおれがトラ男を止めるよ」

 

 地下から出る。陽光に晒され目を細めながらルフィが言った。

 どこまでも真っ直ぐな在り方。その光がドフラミンゴの内に影を呼ぶ。

 

「麦わら、別にいいんだぞ。礼ってのを言ってお前らだけここを出ても……と言っても船も出ちまってるな。どうしたもんか」

「え? なんだよ、いきなり」

「トラファルガーとのことはおれの問題だ。お前は関係ない。同盟のことも、海賊同盟なんてのは裏切りがつきもんだ。見込みのない策に乗って仲間を危険に晒す必要なんてどこにもねェ」

「…………」

「そもそも、ほぼ誤解で進んでたんだ。裏切りも何もない。巻き込んで悪かった」

 

 返答はない。

 当たり前だと思う一方、眼の奥が重苦しくなるような感覚を覚えた。

 

 謝ったところで何になる。

 何も成せないくせに。

 変われなかったくせに。

 

 コラソンの思いを伝える。トラファルガーを止める。約束を守る。そう自分に言い聞かせてきた。

 数多の手を借り、善悪の判断基準すら歪んでいた頃からすれば随分と変われたように思い込んでいた。

 だが、何も変わってなどいない。

 バケモノはバケモノのまま。

 人のふりをしようとした挙句、肝心な場面で何もかも駄目にする。

 

 地下で見たトラファルガーの眼。麦わらの窮地を憂う、底抜けた愚かさ。それを目の当たりにして気付いてしまった。

 

 

 ドンキホーテ・ドフラミンゴは人間になれない(バケモノのまま)

 

 

 きっとまた間違えてしまう。傷付け、壊して、殺してしまう。全部駄目にする。

 その前に手放すべきだと分かっているのに、この手は繋がりを求めて糸を掴んだままなのだ。

 

 自ら糸を切ることが出来ず、ただ相手が去ることを望んでいる。己の浅ましさと醜さに眩暈がした。

 

「ミンゴ。お前、変わったな」

 

 肩に担がれたまま、ルフィが呟く。

 

「お前がおれの何を知ってるってんだ」

「そりゃそうなんだけどよ。ほら、二年前、シャボンディで会った頃はもっと感じ悪かったじゃねェか」

「喧嘩売ってんのか」

「違う。急に出てきて海兵操り出すし、ギザ男のこと投げ飛ばすし、にやにや笑ってるし、そりゃもう不気味でよ」

「喧嘩売ってんだな⁉︎」

「だから違うって! 変に自信のある奴だと思ったって言いてェんだ!」

 

 またもやずり落ちかけるルフィの手を掴み、強引に引き上げた。軟体の動物のような感触が純粋に気味が悪い。

 とは言え、二年前と比べれば幾らかましだった。

 死体の類似品を担ぐよりは余程いい。

 

 鼻頭に皺を寄せるドフラミンゴを見て、ルフィは続ける。

 

「ミンゴ、淋しいんだろ」

「淋しい?」

「知ってるか? 淋しかったり腹減ったりすると調子がでねェんだ」

「そりゃお前だけだ。別におれは一人でも……やってはいけねェが。お前のそれとおれのそれは違う」

「じゃあ、ゾロみたいなもんか。あいつは多分一人でも生きていけるけど、一人だとわけわかんねェ所に行っちまうんだよな」

「人智を超えた迷子癖と一緒にするんじゃねェ。何が言いたいんだ、てめェは」

「だからよ。二年前は仲間もいたけど、お前、今一人だろ。仲間がいてこそのミンゴなんだろうなって思っただけだ」

 

 一人だと言われ、ふと気付いた。

 この感覚は過去にも経験している。

 

 

 そうだ。

 そうだった。

 

 ドフラミンゴの脳裏を過ぎるのは過去。

 忘れられない淋しさと、いつまでも残るぬくもりの記憶だ。

 

 

 雪の夜、彷徨い歩いたあの日。冷たいばかりで刺すような痛みを齎すペンダントを握りしめ、わけもわからず進んだ。

 どうすればいいかわからない。何をしたいのか色々浮かぶのに、そのどれもが悍ましくて、何もかもが恐ろしくて仕方なかった。

 言われてみれば、迷子のようなものだったのかもしれない。

 

 彷徨い歩いた先、出会ったのは小さな白クマと、彼に当たり散らす子ども二人。何を考えたわけでもなく、ただ惰性で暴行を止めた。

 白クマに礼を言われる一方、子どもらには怯えられる。出会い頭に蜘蛛の捕食さながら糸で雁字搦めにされたのだ。当たり前の反応だろう。

 しかし、近くの洞窟で白クマの身の上を聞いている内に繭玉二つはすっかりしおらしくなって謝罪を述べ始め、終いにはドフラミンゴへ礼を言う始末。

 彼らもまたここに至るには経緯があったそうで、事情と共に胸の澱みを吐き出したペンギン帽の子どもが頭を下げる。

 

『あんたがいなかったら、おれ達は最低なことをし続けてた。自分達に行き場がないからって、八つ当たりして……でも、でもさ』

 

 そう言って、ペンギン帽の子どもは涙ぐんだ。

 

『おれ達もう、どこに行ったってまともには生きていけねェんだ。家族もいない。奴隷みたいにこき使われて、人間扱いもされねェ』

『……こんなんじゃ、生きてても』

 

 キャスケット帽の子どもがぼんやりと呟く。

 

『ごめんな、白クマ。お前、頑張ってたのに』

『おれ達なんかが邪魔してごめん。ごめんな』

『えっ、ええ? 大丈夫だよ。こんなの痛くもないし、助けてもらったから大丈夫! だから泣かないで、ね?』

 

 力のない声で謝り続ける子ども二人を前にして、白クマがオロオロと手を振り回した。

 つぶらなその目には涙が浮かびんでいる。

 

『おい白クマ、何でお前が泣いてんだ』

『こいつらにも色々あったんだなって思ったら、なんか……それにさ、こいつら、おれに話しかけてくれたんだ』

『そりゃインネンつけるためだろ。お前を傷付けようとして近付いてきたんだ。どんな事情があろうとかわいそうだろうと、こいつらは悪い奴だ』

『違うよ! 確かに、こいつら、おれをいじめたけど

ちゃんと謝ってくれた。話したらわかるやつらだ。だから、だから、きっと』

 

 ぼろぼろと泣いてえずき、言葉に詰まりながらも、白クマが言った。

 

『おれ達、ともだちになれるよ!』

『ともだち?』

『うん、ともだち』

『……なんだ、それ』

『え? ともだち、知らないの?』

 

 流石に意味くらいは知っている。馬鹿にされたのかと思い、口をへの字に曲げると、白クマは何を誤解したのか抱きついてきた。

 

『一緒に笑って、泣いて、ケンカもして、でも困ったときはたすけるんだ。それがともだち』

 

 頬を擦り寄せてくる白クマに困惑する。

 ふわふわとあたたかな感触が不思議で、思わず声が溢れた。

 

『なんだ、これ。何の意味があるんだ』

『ガルチューだよ。助けてくれてありがとう』

『ガルチュー……?』

『あいさつみたいなものかな。大好きって意味。大人は確か、あいしてるとかいってた』

 

 白クマのたどたどしい言葉から思い出す。

 もういなくなってしまった彼女の言葉を。

 

 

 愛してる。

 

 

 彼女の声。

 彼女の言葉。

 

 彼女の『愛してる』はもう二度と聞けない。

 

 もう、二度と。

 

 

 そう気付いた瞬間、耐えられなくなってしまった。

 

『えっ、ど、どうしたの? 痛かった? ごめん! おれ力が強いから、ごめんね』

『あれ、糸が解けた……? えっと、大丈夫か?』

『本当は怪我とかしてる? 痛いのずっと我慢してたのか?』

 

 白クマも帽子の子ども達もドフラミンゴの肩を撫でたり背を摩ったり、よくわからないことをしてくる。彼らの行動が意味するものをドフラミンゴはもう知っていたし、理解したつもりでいたのに、溢れる涙が思考をとかしていく。

 止まらない涙をそれでもなんとか堪えようとして、胸を押さえた。

 手のひらに伝わる硬い感触でまた思い出す。

 ペンダント。幸せを祈る言葉。 

 

 

 コラさん。

 

 

 大好きだった。

 本当に、大好きだった。

 

 それなのに、もういない。

 どこにもいない。

 

 

『泣かないでよ。大丈夫だから。ぜったい一人にしないから、ね?』

『うそだ。みんなうそつきだ。おれを置いて、どっか行っちまうんだろ』

『嘘じゃねェよ。おれ達、あんたのおかげで、こいつへのひどいことを止められたんだ。ここで恩返ししなきゃ、本当に人間じゃなくなっちまう』

『そうだ。おれ達、あんたのおかげで変われそうな気がするんだよ。一緒に見ててくれよ』

 

 つられて泣き出した三人に抱きしめられ、重たい頭でぼんやりと考える。

 

 どうして助けようなどと思ったんだったか。

 

 ああ、きっとそれは。

 きっと、コラさんなら、そうするから。

 コラさんは、良いことをすると喜んでくれる。

 だから。

 

 ドフラミンゴは教えてもらった。

 

 正義とは、悪を退治する力ではない。

 困っている誰かを助けるための力だ。

 

 やり方だって教えてくれた。

 子どもっぽい絵物語を二人で並んで覗き込んで。

 一緒に笑って、泣いて、怒って、そばにいて。

 

 それで。

 

 約束。

 そう、約束をした。

 

 変わる。変わっていく。変わり続ける。

 ずっとそばにいてくれる。

 

 

 浮かぶのは笑顔。

 

 コラさんは、ここにいる。

 ドフラミンゴの中にいる。

 

 

 ペンダントを握りしめた。ドフラミンゴも白クマも帽子の子ども達も体温が高い。四人の温もりから伝う熱が冷たく凍えたペンダントをあたたかく輝かせる。

 

 ドフラミンゴとベポ、ペンギンとシャチ。

 洞窟の中、泣き疲れた四人でだんごになって眠った。どこにも居場所などない、ただそこにいるしかできない子ども達四人で。

 

 冷え込みが激しくなってきた夜中、偏屈だが気の良い老発明家に拾われ、どやされながらも数年を過ごして、旅に出て────……

 

 

 あれから、ずっとそばにいてくれた。

 恩人も。

 仲間達も。

 

 

 そうだ。

 彼らのおかげでここまで来れた。

 ドフラミンゴは今なお胸元に揺れる二枚のコインを確かめるよう、大きくなった片手で握る。

 

 あたたかい。

 

 自分の体温が移っただけの温もりに安堵し、肌を擦る鎖を指で辿った。

 この鎖も十三代目だ。スワロー島時代から毎年クルーが贈ってくれるため千切れたことは一度もない。

 

『じゃじゃーん! この一年、良い子だったドフィにプレゼントだ! じいさんの手も借りて特別頑丈に作ったんだぞ!』

『うーん、良い子だったかな……ものすごく甘く評価して、ギリギリ良い子でいようとしてた、くらいじゃない?』

『まあまあ。良い子でいようとする時点で既に良い子ってことでここは一つ。進呈係はベポね』

 

 意外に辛辣なベポが文句を言いつつも初めて首にかけてくれた鈍い金の鎖。

 二代目となるそれを含め、過去のチェーンは全てドフラミンゴの自室にある小さな宝箱に仕舞われている。たまに見返し磨いているのは秘密だ。

 

 それはドフラミンゴが努力してきた証。変わり続けようとするドフラミンゴを、時に導き共に歩み、そして見守ってくれる仲間。彼らとの絆の証なのだ。

 

 ドフラミンゴが彼らのキャプテンたろうとする限り、鎖は決して切れないだろう。

 

 今はそばにない騒がしさを思い返すように耳を澄ました。

 あいにくと、聞こえるのは海兵の叫びに戦闘音。ある意味日常的で落ち着く環境音だ。

 

 思わず苦笑いを零せば、萎れた風船のような有り様で麦わらが大口を叩く。

 

「おれはお前の仲間にはなってやれねェけど、友達だからな。淋しいなら言えよ」

「……フッフッフ、上手に言えたらどんなご褒美がもらえるんだ? ハグでもしてくれんのか」

「やだよ、なんかお前、変な匂いするし」

「香水だ。振り落とすぞ、クソガキ」

 

 飛んでくる砲弾の全てを糸で両断し、爆炎を追い風にしてさらに加速した。

 

 前方に海兵の集団。面倒だと思いつつも口の端を引き上げる。二年前ならいざ知らず、今更十把一絡げの一般兵など相手にするドフラミンゴではない。

 溢れ出す覇王色の覇気になす術もなく倒れる海兵の隙間を縫い跳躍。辛うじて気絶を免れた将校らを纏めて薙ぎ倒す。

 

 なおも湧いて出る海兵を眼下に眺め、ドフラミンゴは己の身なりを確認した。

 

 タイは歪み、スーツは埃まみれ。ファーコートは血に染まり、サングラスにはヒビが入って割れている。

 まったく、二年前から何の進歩もない。

 

 それまで考えていた策を全て投げ出してわけもわからず駆けずり回り、どう考えても叶わない相手に立ち向かって、敵陣のど真ん中で海兵と海賊に追い回されている。

 今の状況と頂上戦争はどこか似通っていた。

 

 

 違うのは走る理由。

 二年前はただ逃げるために駆け抜けた。

 今は違う。

 十三年越しの声を届けるため走るのだ。

 

 

 そうと決めたらやり通す。

 それがドンキホーテ・ドフラミンゴの生き様だ。

 敵陣に乗り込んで何の成果も得られないのでは、信じて帰りを待つクルーに申し訳が立たない。

 

 

 タイを締め直し、サングラスの位置を正した。

 背筋を伸ばし、浮かべるは凶悪な笑み。多少引き攣ってはいるが、窮地にしょぼくれた顔を晒すのはナンセンスだ。

 何せドフラミンゴはキャプテン。

 同盟相手に弱さばかり見せてしまっては、ハートの海賊団の沽券に関わる。

 

「麦わら、もうそろそろいいか?」

「ああ、充分だ」

 

 ルフィが頷く。

 元よりこの逃走劇の目的は単なる時間稼ぎ。麦わらの覇気が戻るまで海兵を引きつけ、さらに言えば戦場となるセビオの教会から人を引き離すことにある。

 

 地下に地上にと随分駆け回ったおかげで、今は高台付近まで戻ってきていた。もう充分だ。

 

 大鐘楼目掛けて糸を放つ。

 一気に跳躍すれば眼下にドレスローザの景色が広がった。

 どうやら防衛戦はうまく行ったようで、瓦礫の間、即興で作られた屋台から湯気や煙が立ち昇っている。

 なんとも逞しいことだ。

 

 大鐘楼へ降り立ち、鐘を背にして空を見上げた。

 突き抜けるような快晴の蒼、それに重なる能力場の薄い青。

 見渡す限り広がる二色の青と、町のそこここで一人でに浮かぶ瓦礫を見つめ、思わず笑いがこみ上げる。

 とんだバケモノがいたことだ。

 あの男には本物のバケモノが何たるかを教えてやらねばならないだろう。その過程で己のどす黒い部分が露呈したとしても、彼を引っ張り上げられるのであればそれで構わない。

 

 所詮、力は使い様だ。

 

 真のバケモノが持っていたのは豊かすぎる悪事の才能と残念すぎる善の技術。

 仲間達による四苦八苦の魔改造を経て、それなりの『良い子』を作り上げてきたドフラミンゴが言うのだから間違いはない。

 

 ドフラミンゴが調子を取り戻しつつあることに気付いたのだろう。並び立つ麦わらが大きく伸びをする。

 

「なァ、ミンゴ。この国はいい国だよ。メシもうまいし、国の奴らも楽しそうだしな。来てよかった」

「おいおい、観光気分か」

「それもいいな! あとでトラ男に楽しそうな場所でも聞こう! あいつ、なんだかんだで詳しそうだ」

「そりゃな、甲斐甲斐しくも十年守って暮らした国だ。さぞお詳しいだろうよ」

 

 大口を開けて笑った後、麦わらはドフラミンゴの背を叩き、自身を指した。

 

「ミンゴ、忘れるなよ。二年前、あの場所にいたのがお前だったからおれは今ここにいるんだ」

「────分かってる」

「そっか。分かってんならいいんだ」

「だが、さっき言いそびれちまった分、改めて言っておく。友達じゃねェ、同盟だ」

「しつこいなァ、お前!」

 

 二年前と比べ精悍さを増した麦わら。浮かぶ表情も随分と大人びたように見える。

 

 彼を指し、ドフラミンゴが助けた男だとトラファルガーは言ったが、少し違う。

 麦わらを救ったのは彼の兄。そして彼らを取り巻く人々の意志。

 その大きな渦の中に、ドフラミンゴが恩人二人と過ごした記憶があり、そして、仲間が共に作り上げてくれた虚像があった。

 その虚像こそ、途切れてしまった絆を繋ぐために、ただひたすら走り続ける男。

 

 即ち、“()()”ドンキホーテ・ドフラミンゴなのだ。

 

 大鐘楼から見下ろす先、教会の庭先。黒衣の男は何事もなかったかのように佇んでいた。

 この短時間で自身と相棒の手当てを終え、さらには着替えてきたらしい。

 憎たらしいほどの余裕だ。

 

 だが、それでこそトラファルガー・ローである。

 

「おい、麦わら」

「何だ?」

「結局、計画の『鍵』は壊し損ねた。体力も気力も浪費して、新しい策を考える時間もねェ。しかも、相手はあのトラファルガー・ローだ。若造が一人でかかるにゃ荷が重い」

「ああ、分かってる。トラ男は強ェよ」

「そこで提案なんだが」

 

 首を傾げた麦わらを見返し、口の端をつり上げる。あまりに凶悪な笑みに顔を引き攣らせたルフィの肩を抱き、眼下に佇む黒を指差した。

 そして、悪戯を囁くように策を告げる。

 

「二人仲良くあいつを止めねェか?」

「────よし、のった!」

 

 二人同時に飛び降りた先、トラファルガーが顔を上げた。

 

 男は落ちてくる二人の若者を見上げ、歓迎を表すように左腕を掲げる。

 

 無に等しいその表情。冷えた目。

 人を拒む重苦しい装飾。

 彼自ら被り続けてきた分厚いバケモノの皮を引き剥がし、恩人の愛した兄へ、今こそ言葉を届けるのだ。

 

 ついでに殴る。拳による言語も歴としたコミュニケーションだからして。

 

 ドンキホーテ・ドフラミンゴは空を飛び、凶悪な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 走り続けた者達が交差するここは、愛と情熱の国ドレスローザ。

 それぞれの抱える思いの丈をぶつけ合うべく、運命の戦いが今、始まる。

 




 頂上戦争編を書いた時点で、「DR終盤にこのタイトル入れたいな」とか思っていたわけですが、ここまでくるのに40万字近く費やすとは夢にも思っていませんでした。ライブ感こわい。
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