ONE PIECE novel.DD “怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ   作:ladybug

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 ラミの言葉が今、二人に届く。


 ありがとう
 私の言葉を嘘にしないでくれて
 二人とも、今ならきっと聞こえるよね

 ────愛してるよ!



the most wonderful fairy tale

 

 

 妹と再会した翌日。

 ファミリーの面々に酔い潰されるまで飲まされた彼女を部屋に運んだ。規則的に上下するその胸に手を翳し、能力を展開する。

 

「“メス”」

 

 手にしたのは心臓。

 大昔、珀鉛の影響による高熱に侵され弱り切っていた妹の心臓と自身の心臓を入れ替えた。珀鉛の摘出だけでは当時弱り切っていた彼女の身体を保たせることができなかったのだ。通常では考えられない無理を重ねた移植手術は悪魔の実の力により運良く成功し、結果今に至る。

 

 自身の心臓もくり抜き、妹のそれと入れ替えた。

 適切に処置を施し、知らず詰めていた息を落とす。

 これで元通り。

 

 夢でも見ているのだろうか。

 妹は相好を崩し、ぼそぼそと何かを呟いている。

 耳を寄せてみれば彼女は父母を呼び、祭りに出かける相談をしているようだった。

 

 

 ローも時折、夢を見る。

 幸せな夢だ。

 

 

 汚れなき白亜の町を駆け出しの医師が進む。往診のついで、道ゆく人々の姿を見て平穏を知る。

 若先生などと呼ばれた彼は慣れない笑顔を返し、子ども達に笑われていた。父親のような穏やかさを醸し出すにはどうにも年季が足りないらしい。髭の一つでもはやしてみるかと一人ごち、彼は街を進む。

 教会前を通り過ぎる彼の姿をみとめ、神職に就いた友人が手を振っていた。亡きシスターの遺志は今も皆の中に息づき、人々の安寧を見守っている。

 

 そうだ。

 絶望などない。

 救いの手は必ず差し伸べられる。

 誰の前にも、平等に。

 

 真昼の月に並び、花火が上がった。

 今日もこの国は栄えている。

 悲劇を乗り越え、白い町は美しさを取り戻した。

 

 華やかなパレードを抜け、医師は家路につく。

 

 家では家族が、戦火に立ち向かい滅私の志で治療法を確立した偉大な父母と、不器用ながら患者に笑顔を届ける妹が彼の帰りを待っているのだ。

 若き医師の顔には笑みが浮かぶ。

 

 本物の幸福がそこにはあって。

 絶望などどこにもない。

 

 

 全部、嘘だ。

 

 

 ローの見る夢は悲鳴と怨嗟に満ちている。

 血と泥、悪意と鉛に冒された夢だ。

 違う。

 夢ではない。

 ただの真実だ。

 

 

 妹は知っているのだろうか。

 フレバンスの真実を。

 彼女の夢はまだ美しいままのようだが、実は真実に辿り着いてしまっているのだろうか。

 分からない。

 

 問うことはできなかった。

 

 ベッド脇のスツールに腰掛け、能力で引き寄せた資料を捲る。いくつか修正をかける必要があった。

 ふと思い立ち、リストを更新する。破壊すべき拠点を数ヶ所増やし資料を閉じた。

 トレーボルあたりが不満を訴えるだろうが、ファミリーが動かないのであれば自ら出向けば良いだけの話。何も問題はない。

 やり遂げてみせる。

 

 嘘は、徹底的に。

 百年続いた嘘に加担するだけだ。

 

 妹の中に残る故郷の記憶。

 嘘の上に成り立っていた白亜の幸福。

 童話めいた美しい思い出を盤石に書き換える。

 

 ()()()()致死性の伝染病が拡大する最中、周辺国との()()を発端とする戦争で滅んだ国。

 彼らはただ不運に見舞われただけ。

 フレバンスは真に幸せな国だった。

 

 真実を知るものは皆殺してしまえばいい。

 人は殺せば終わりだ。

 知識も歴史も真実さえも、知る者を殺せば全部なかったことになる。

 

 トラファルガー・ローはその方法の有用性を誰よりもよく知っていた。

 

 資料を片付けようと立ち上がった時、妹が寝返りを打つ。寝相が悪いのか、酒精で体温が上がって暑いのか、シーツを跳ね除ける彼女に苦笑が漏れた。

 額にかかった髪がくすぐったいらしく、眉間に皺が寄っている。ずり下がった白のシーツを引き上げたついで、指で髪を梳き整えてやれば、安らかな寝言が零れた。

 

「おにいさまも、いっしょに……」

 

 彼女は頬を緩ませ、幸せそうに囁く。

 他愛もない寝言だと分かっていながら、男は震えるほどの喜びを感じてしまった。

 

 

 妹が生きている。

 

 

 胸の鼓動から伝わる実感がじわりじわりと男の内を満たしていく。堪らず顔を覆い、呻きを上げた。

 

 駄目だ。

 

 満たされた反動で何もかもを投げ捨てて縋りつきたくなる。子どもの頃のように泣き喚いて全部を吐き出してしまいたい。

 違う。

 違うのだ。

 そんなことはしたくない。

 全てを知って寄り添ってくれた友を裏切るような真似はしたくない。深入りせず導いてくれた師に背きたくない。何も言わずに付き従ってくれる仲間を置いて自分だけ助かりたくない。

 妹の世界を壊すようなことは決してしたくない。

 

 

 ただ。

 

 ただ、そばにいたい。

 

 

「ごめんな、ラミ」

 

 

 己が願いが叶わないと知りながら、トラファルガー・ローは優しく囁く。

 

 

 何故ならば彼は幸せだった。

 きっともう、どこまでも堕ちていける。

 そう思えてしまうほどに幸せだった。

 

 

「兄様は行けないんだ」

 

 

 今。

 そう、たった今。

 トラファルガー・ローは救われてしまったのだ。

 

 

 幸福は海に似ている。

 果てしなく広がる水面を潜り、上も下もなく溺れた先、一縷の光すら消え失せた深海の光景を分かち合える者など誰もいない。

 

 それは彼だけの知る海。

 彼だけの幸せ。

 

 息も出来ないほどの幸福に溺れ、男は微笑み目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 白百合やクローバーに赤の飛沫が飛び散り、墓所を穢す。

 主人なき安息の地は凄惨に彩られ、置き去りにされた心臓が動きを止めた。

 

 ドフラミンゴは声もなく放心する。

 黒衣の背を支え続ける腕は震えるばかりで、その顔を見ることすら出来ない。

 

 間違った。

 間違ってしまった。

 また、この手は何も掴めなかった。

 こんなにも近くにいたのに。

 

 黒衣の胸に沈む己の手。そこに重ねられたトラファルガーの手に力が篭る。

 死に至るまでの反射だろうか。どんな痛みでも何でもないことのように受け流していたこの男でも、さすがに不随意の痙攣は止められないのかもしれない。

 

 麻痺した頭で無為をなぞり、目を閉じそうになる。

 

 怖かったのだ。

 死にゆく彼の姿を見るのが。

 

 だが、最期を看取るくらいはせねばなるまい。

 その程度はしなければ。

 

 

 ドフラミンゴは恐怖に溺れかける心を叱咤し、目を見開いた。

 

 

 遠くばかり見ていた瞳。

 そこに宿る意志。

 消えゆく星の光を見るために。

 

 

「……どういうことだ」

 

 

 凪いだ声が呟く。

 

 はっきりとドフラミンゴを映す金。

 そこには未だ訪れない死への疑問が浮かんでいた。

 

 

 刹那、空が翳る。

 舞い降りるのは小さな影。

 

 

『探し物はこれだえ?』

 

 

 雲を伝い空を駆ける少年。

 金の髪に派手な色のサングラス、簡素なシャツとズボンを纏った姿には見覚えがある。

 青い小鳥のオモチャを肩に乗せた“衛星糸(サテライト)”の分体が得意気に片手を掲げた。

 

 

 そこにあったのは脈打つ心臓。

 

 

 呆然とする大人達の視界、凶悪な笑顔で空を飛ぶ少年の足に一本の糸が絡みつく。

 

『あ』

 

 何が悪かったのか、少年は自身の操る糸に絡まり、瞬く間に繭玉と化した。肩にとまっていた小鳥が慌てふためいて飛び去り、繭玉を突き破り足掻く小さな手から心臓がぽろりと落ちる。

 

「おま、何やってんだ!」

 

 ほぼ悲鳴に近い叫びを上げ、ドフラミンゴが糸を放った。同時に黒衣の男もまた空へと手を伸ばす。

 

 ドフラミンゴが心臓を手にするとほぼ同時、トラファルガーの腕が繭玉を抱き止め自由落下を阻止した。

 

 

 暫しの沈黙。

 

 

 黙り込む大人二人の間、蠢く繭玉に穴が空き、羽化もさながら少年が顔を出す。

 暴れたせいか、髪型も服装も乱れに乱れ、サングラスなど些か間抜けな角度に傾いていた。

 

 羞恥に耳まで赤くした彼はさらに暴れ、どさくさに紛れてドフラミンゴの手から心臓を奪う。

 

『ボス、これお前のだろ。大切なものはちゃんと仕舞っとくんだえ!』

 

 言うや否や、少年は何の断りもなく黒衣の襟元をがばりと開いた。

 

 唐突な暴挙に身を強張らせたトラファルガーと、その胸にのぞく虚に息を飲むドフラミンゴ。動揺する大人を置き去りに、少年は手にした心臓を胸の穴へと無理矢理叩き込もうとする。

 しかし、位置が悪いのかどうにもうまく嵌まらない。さらに力技で捩じ込もうとするものだから、トラファルガーの顔に苦悶が浮かんでいた。

 小さな呻きを耳にしてやっと我に返ったドフラミンゴは、触れることに躊躇う指先で心臓の位置を正し、“衛星糸(サテライト)”の手の上からそっと押し込む。

 

 掌の下、一定の拍を刻む鼓動。

 そのあたたかなリズムに安堵を覚えた。

 

『まったく兄妹揃って手のかかる奴らだえ』

 

 “衛星糸(サテライト)”のドフラミンゴは口を尖らせた。

 その背をあやすように両腕で抱え、トラファルガーが天を仰ぎみる。

 

「……おれの敗けか」

「そうなるな」

「予想外の展開だ」

「おれだってそうだ」

 

 鼻で笑うドフラミンゴを見つめ、黒衣の男はため息を吐いた。

 

「どうやって誤魔化した。他人の心臓をくり抜いてすり替えるにしても、お前の能力じゃおれと同じことは出来ねェだろ」

「あー……恐らくだが、サイファーポールが潰したのは偽物だ。糸で作った、な」

 

 “衛星糸(サテライト)”の分体は大した能力が使えない。

 しかし、模造程度であれば然程リソースを割かずに実行可能だ。

 ドフラミンゴは自身の指先で糸を紡ぐ。編み上げられる偽物の心臓。しっかりと脈打つそれ摘み上げ、この技の名を告げた。

 

「“贋作糸(イミテート)”。要は模造品の作成だ。怪盗業には必須だからな」

『ば、馬鹿! こいつの前で怪盗の話はやめろ!』

「何でだ? 今更、恥ずかしがることでもねェだろうに」

『本体、お前いつか後悔するえ!』

 

 首を傾げるドフラミンゴを睨みつけて叫び、“衛星糸(サテライト)”の分体が暴れる。

 

『ボス! 違った、トラファルガー! お前も離せ! いつまで背中を撫でてるつもりだ!』

「ああ、すまねェ。妙に手頃だったもんで、思わず。しかし、すげェな。殺しのプロの目も欺けるとは」

『フッフッフ、それほどでもないえ』

「そもそも、眠りの家におれの心臓があるといつ気付いた? あそこに招き入れたのは小鳥のオモチャだろうが、実物を見たところであれがおれのものだとは分からねェだろ」

『気付いたんじゃねェ。この国の王女から聞いたんだえ。あの女が気付いて、そばにいた別の分体に伝えた。おれ達“衛星糸(サテライト)”は離れていても情報共有ができるんだえ』

「成程、糸による音の伝播から着想を得たんだな? なかなか考えたじゃねェか」

『べ、別に? 誰でも思いつくことだえ』

「謙遜するな。確かに能力は解釈次第だと伝えたが、ここまで定義を広げられる奴はなかなかいねェ。大したもんだ」

 

 トラファルガーからもはや誉め殺しの勢いで素直に感嘆され、小さなドフラミンゴは顔を赤くした。途端に大人しくなる少年を見つめ、トラファルガーが再びその背を撫でる。

 

 本家本元のドフラミンゴはといえば、自身が何とか抑えてる感情表現を明からさまに見せつけられ、低い呻きを上げていた。

 

 やめてほしい。

 編み上げた心臓を解けば、トラファルガーが心なしか残念そうな顔をする。

 本当にやめてほしい。

 どうせ、この男は『便利だな』『臓器損傷に使えそうだ』くらいにしか思っていないのだ。一喜一憂して後で虚しくなるのは自分なのである。

 

 そもそも、だ。

 

 散々振り回されたものの勝負は勝負、トラファルガーとて自殺じみた方法は避けるようになるだろうが、世界の破壊については辞める気が毛頭ない。そうなれば、止めるのはドフラミンゴの仕事になる。

 今後のことを考えると、この男に手の内を開示するのは悪手だ。

 

 

 今後のこと。

 そう自然に考えた自身に気付き、不覚にも薄く涙が滲んだ。

 

 

 生きている。

 トラファルガー・ローが生きている。

 

 

 慌てて“贋作糸(イミテート)”を使用。壊れたサングラスを編み直す。しかし、己の顔を隠しても、感情丸出しの分体がいたのでは意味がない。大人しくなってしまっていた分体を摘み上げ、空へと放り投げた。

 文句を言いながら飛び去っていく小さな背中を見送り、ドフラミンゴは自身の身体ごと黒衣の男を引き上げる。

 

 大鐘楼の鐘の下へと戻った二人はどちらともなく再び縁に腰掛けた。

 

「改めて、この勝負おれの勝ちだ。従ってもらうぞ」

「構わねェがお前と一緒に前に進むってのは何だ? 具体的にはどうすればいい。お前の傘下に下ればいいのか?」

「やめろ、ちょっと心くすぐられちまうだろうが……そういうことじゃねェ。あんたはただ、おれの言葉を信じてくれればそれでいい」

 

 首を傾げたトラファルガーへと向き直り、ドフラミンゴは口を開く。

 

「コラさんはあんたを愛してた。それだけ信じてくれればいい」

 

 黒衣の男はぼんやりとした顔で視線を落とした。

 

「あんなにも怖がってたじゃねェか」

「怖がってたのに会いに来たんだろ」

「それは、海兵として……」

「海兵としてなら、わざわざ一対一で会う必要なんかねェ。あの場にお前を陥れる罠はなかった。それくらい分かるだろう」

「だが、おれが……バケモノがあいつに愛される理由がない」

「何がバケモノだ。往生際の悪い」

 

 淡々と否定の言葉を重ねられ、苛立ちが募る。ドフラミンゴは鼻頭に皺を寄せた。

 

「いいから信じろ。コラさんは乱暴で強引な人だった。あの人の愛に理由も理屈もありゃしねェよ。怖がって散々逃げ回ったあの人が会って話すって言ったんなら、それはもう愛だ」

「…………」

「そもそも、あの人はバケモノでも愛せる人だ。おれを見ろ。生粋のバケモノが随分とまあ可愛らしくなっちまった」

 

 大仰に肩を竦めてみせる。

 どうにも納得していない節のあるトラファルガーだったが、渋々といった様子で頷いた。

 

 しかし、彼はぼそりと言葉を溢す。

 

「おれがラミに愛されてたとして、だからなんだっていうんだ」

「コラさんを大事にするなら、コラさんが大事にしてたてめェも大事にしろ。あんたはあの人の宝物なんだから」

「それはお前のことだろ」

「あんたもだ」

 

 言い切るドフラミンゴを見つめ、黒衣の男はため息を吐いた。

 ゆるくかぶりを振った彼は困ったように呟く。

 

「そう言われてもな。信じる信じない以前に、やり方がわからねェ」

「馬鹿言え。あんたの周りにゃあんたを後生大事に囲い込む気全開の奴らが山といるだろうが。あいつらの話をちゃんと聞いて一緒に考えろ。まずはそれでいい」

「お前は? お前と一緒に進むってのはどうする。別行動なのか?」

「…………」

 

 いちいち微妙に心くすぐる発言をしてくる辺り、実は揶揄われているのかと勘繰ってしまう。あるいは、万に一もないがドフラミンゴに有用性を見出したという可能性もあるかもしれない。

 眉間に皺を寄せ睨みつけてはみるが、当のトラファルガーは首を傾げるばかり。

 恐らく彼は特段何も考えておらず、純粋に問うているだけだ。そのくせこの求心力。さすが“宗教家”などと揶揄されるだけはあった。

 幼い頃自分もころりと転がされそうになったな、などと懐かしむことで何とか意識を切り替える。

 

「おれとお前が同じ船に乗れるわけねェだろ。船長同士だぞ。ともかく、おれはコラさんと進む。変わり続ける」

「そりゃお前の勝手だが……」

「あんたもコラさんと進むんだ。あの人の心を抱えて進め。おれ達はコラさんで繋がってる。だから、一緒だ」

「…………」

「立ち止まるな、進め」

 

 声を深めたドフラミンゴを見返し、トラファルガーは胸に手を当てた。恐らく意識してのことではない。戸惑いの残る金の瞳を見返し、言葉を継ぐ。

 

「考えてもみろ。繋がってるってことは、あんたが立ち止まってるとおれもうまく進めない。足を引っ張られるのはごめんだ」

「おれは関係ねェだろ」

「あるんだよ。このおれがそう言ってるんだから」

「無茶苦茶言いやがる」

「これがコラさん直伝、世界の変え方だ。文句があるならコラさんに言え」

 

 ペンダントを外す。

 一枚のコインとクローバーのチャームをチェーンから外し、指先で編んだ糸に通した。

 

「こっちがコラさんのペンダントだよな? あんたの幸運はおれが預かっててやる。だから、あんたはおれに託された幸せを預かってくれ」

「何で、おれが」

「おれがそうしたいからだ。きっと、あの人もそれを望んでる」

 

 即席のペンダントをトラファルガーの首にかける。今回は拒まれずにすんだ。

 安堵のため息を喉奥で誤魔化し、笑ってみせる。

 

「どうだ。信じられるか?」

 

 ペンダントヘッドを指でなぞり、黒衣の男は目を伏せた。沈黙の後、凪いだ声が囁く。

 

「信じる。約束だからな」

 

 そう言って、男は立ち上がった。

 

「ドフラミンゴ。お前、これからどうするんだ?」

「どうもしねェ。仲間と馬鹿やって、コラさんの真似をしてそこそこ善い奴ごっこも続けつつ、自由に生きるさ。まァ、七武海は引退だろうが……」

「七武海脱退については悪くねェタイミングだ。ここらで手を引いておくのが賢い」

「また何か企んでやがるのか」

「どうだかな」

 

 トラファルガーは唇を歪める。未だ温度のない笑みは、しかし奥底に芽吹きを秘めて色付き始めていた。

 

 見えぬ冷たい雪の下、恒星の光を宿した男の目。

 その煌きがドフラミンゴを射抜く。

 

「お前の言うことを聞いて別の方法を考えてやる。だが、計画そのものを止めはしねェぞ?」

「フッフッフ、勝手にしろ。おれも勝手にてめェを止める」

 

 ドフラミンゴもまた、立ち上がった。嘲るように見下ろし、口の端を引き上げる。

 

 浮かべたのは笑み。

 

 見る者の殆どが凶悪と評する悪魔じみた笑顔をみせつけ、ドフラミンゴは男へ言い放った。

 

「せいぜい足掻け、三下悪党」

 

 鐘が鳴る。

 超至近距離で響き渡った大音響に、ドフラミンゴは両手で耳を塞いだ。

 

 目を眇めた視界、トラファルガーが口を開く。

 

 

「────、────」

 

 

 声は聞こえない。

 鐘の音にかき消され、何も届かない。

 

 

 だが、構わない。

 いつか、聞けばいいのだ。

 お互い生きているのだから。

 

 

「何笑ってんだ、馬鹿。聞こえねェんだよ」

 

 

 笑い混じりに毒付いたドフラミンゴはふと頭上を見上げる。

 

 

 空が翳った。

 

 

 何かと思えば、巨大な鉄の塊が空に浮かんでいる。それは船に似た構造で、どう言う原理かプロペラもなしに空を飛んでいた。

 所謂飛行艇なのだろうが規模がおかしい。

 

 船の横っ腹で見慣れたマークが笑っている。

 

 それは表情の薄い自称バケモノに全く似つかわしくない、陽気な笑顔のジョリーロジャー。

 

 呆気に取られたドフラミンゴを他所に、トラファルガーが空中に身を投げた。咄嗟に伸ばした手は届かず、目前でその姿が掻き消える。

 

 鳴り止まぬ鐘の音、消えたトラファルガー。混乱するドフラミンゴがただ空を見上げているとさらに状況は悪化。地を揺るがすような音を立て襲来した隕石が飛行艇を襲った。

 

 上空で起きた爆発は嵐の如き烈風を呼び、船と隕石が入り混じった破壊の雨がドレスローザに降り注ぐ。

 

 すわ大災害と目を見開いた瞬間、響くのは慣れ親しんだ凪の声。

 

 

「“シャンブルズ”」

 

 

 刹那、全ての瓦礫が花弁と雪にかわった。

 それらは吹き荒れる風に巻き上げられ、空の彼方へと飛んでいく。

 

「……なんだ、今のは?」

 

 思わず呟くドフラミンゴは大鐘楼から身を乗り出し、辺りを見回した。何事もなかったかのように青空が広がり、国民達は一様に空を見上げて口を開けている。

 

「あの野郎、どこに行きやがった」

 

 先の爆発は、まさか逃走のパフォーマンスだろうか。船一隻を消し飛ばすとはいくらなんでも派手にすぎるが、確かに爆発の余波で人々の動きが読みづらく、今誰がどこにいるのか気配すら追えない。

 さすがトラファルガー・ロー。

 あの男、投獄すら逃れる気である。

 某砂漠の王ですら一度は大人しくお縄についていたというのにいくらなんでも自由すぎでは。

 もういっそのこと、あの奔放さを見習うべきだろうか。正直、性格的に向いていない気がしてならないのだが。

 

 ため息をつき、再び空を仰ぐ。

 嵐とは程遠い晴天が広がり、良い昼寝日和と言っても過言ではない。

 今、猛烈に休みたい気分だ。

 ドフラミンゴは一つ大きく伸びをした。

 

 もちろん、恩人への報告はする。するが、しかし今すぐには身体が動かない。十三年も全速力で駆け抜けたのだ。当然の結果である。

 この状況で即座に逃げの一手に集中できるトラファルガーが異常なだけで、ドフラミンゴが怠惰なわけではない。断じてない。

 

 ドンキホーテ・ドフラミンゴに停滞はないが、時に休息は必要なのだ。

 

 ふと見下ろせば、盛大にイビキをかく麦わらの姿が目に入った。そして気付く。

 あの青年、全力で挑み結果も出したにも関わらず、結局トラファルガーに礼を言えていない。

 目覚めたらやいのやいのと文句を言われると確信してしまい、ドフラミンゴは顔を顰めた。

 

「まァ……なるようになる、か」

 

 半笑いで呟く視界、謎に空気を含んで膨らむ麦わらの腹が上下する。

 もはや意味もなく笑えてきたドフラミンゴは、さらに身を乗り出してドレスローザの町並みを見渡した。

 

 自然豊かで飾り気なく、民に活気がある。

 確かにいい国だ。

 見ていて気分がいい。

 

 ただ、おかしなことに、その風景が少しずつ傾いているような。

 

 

 まさか。

 

 

 恐る恐る、大鐘楼の根本を見下ろした。トラファルガーと麦わらの戦いで入ったダメージに、先の爆発が追い打ちをかけたのだろう。無情にも拡がっていく大きな亀裂に気付き、ドフラミンゴは青褪める。

 

 傾きゆく大鐘楼。倒壊を免れることは叶わず脱出は必至だが、そんなことより、大鐘楼の下敷きになる位置にセビオの教会がある。覗き込めば、いまだに寝こけている麦わらの姿が確認できた。

 

 

 まずい。

 まずいまずいまずい。

 

 

 “鳥カゴ”を再顕現させるほどの余力はない。“蜘蛛の巣がき”では守れる範囲が限られる。

 

「麦わら! 起きろ、おい!」

 

 慌てて飛び降り、麦わらの頬を張るが一向に目を覚さない。当然である。死闘の直後だ。

 しかし、仮にも同盟相手の船長を大鐘楼の下敷きにさせるわけにもいかない。仕方なく青年の身体を担ぎ上げようとするが、脱力したゴムの持ちにくいことと言ったら最低最悪の極みだ。

 

 額に青筋を浮かべ、全力でゴムの身体を引っ張る。間の悪いことにどこぞかが挟まっているのか、呑気に眠り続ける青年の身体は縦横に伸びるばかりで動かすことができなかった。

 

 そうこうしているうちに、本格的な倒壊が始まる。

 

 降り注ぐ瓦礫を見上げ、諦めの境地を迎えたドフラミンゴは、自身とルフィの頭上へと蜘蛛の巣状の防御盾を張った。

 

 死にはしない。

 死にはしないがどう考えても埋もれる。

 

 最低だ。

 少し休んでから恩人に報告をしようと思っていたのに。ここにきて生き埋めとはまったく締まらない。

 

 

 思わず半笑いで座り込むとほぼ同時。

 瓦礫と二人の間に割り込むように何かが飛来した。

 

 

 今度は何だともはや諦念と共に見上げたドフラミンゴの視界一面を緑が埋め尽くす。爆発的に成長する植物が倒壊する大鐘楼を押し退け、ものの見事に弾き飛ばした。

 

「海藻……?」

 

 唖然とするドフラミンゴは飛来物が飛んできた方向を見遣る。歓声と共に胴上げをされているウソップの姿が確認できた。

 どうやら、遠隔狙撃で援護してくれたらしい。

 

 

 まさにヒーロー。

 さすが世界政府の旗を撃ち抜いた男は違う。

 

 

「まったく、どいつもこいつも見習うべきことが多すぎる」

 

 

 一人ごち、ドフラミンゴは地面に寝そべった。

 




 エピローグに続きます。
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