ONE PIECE novel.DD “怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ   作:ladybug

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 めでたしめでたし。
 それだけですまさないのが“怪盗”である。


 飛べ
 自由に、高く飛んでいけ
 彼女の生きた証を抱いてどこまでも
 望むがままに、どこへでも



epilogue

 

 

 男は悩んでいた。

 

 日も落ちかけた夕まぐれ、男は長い足を樽の上に放り出して椅子にもたれ、悶々と考え続けている。意識して吊り上げている口角は下がり、常はサングラスで隠れている目も今日に限っては妙な絵本によって顔ごと覆われていた。

 

 絵本の表紙には、有機物以上ゆるキャラ未満の動物らしき何かとぎりぎり人の形を保っているごわついた何某かが踊る。否、意外にも真面目な内容からすると恐らく踊っているわけではなく走っているのだろう。表紙の両者は追う者と追われる者の関係らしい。ただ、線があまりにへなちょこすぎて踊っているように見えるだけなのだ。

 

 絵本の題名は『怪盗“D”と白い盃』。

 

 百歩譲っても味わい深いとしか表現できないホラーに片足を突っ込んだ線画に子どもらの着色した柔らかな色味が合わさって、奇跡的に絵本の体裁を成しているこの本。実は巷で人気のとある絵本の最古の原案らしい。

 全編手書きの大作であるが、しかしこの作者名、どうにもこうにも見たような筆跡である。

 みみずが這ったような、千切れた糸屑のような、有り体に言って無惨極まりない文字。

 

 男は悩む。

 

 越えなければならない。

 何としてもこの壁を越え、ドレスローザ一帯を巻き込むムーブメントを起こさねば。

 

 そう、嫌がらせだ。絶対に後悔させる。

 今こそ雪辱を晴らす時なのだ。

 

 違う。

 本音が出た。

 

 目的は嫌がらせではない。

 むしろ、支援が主であるはずだった。

 どこぞの三下悪党が夜の闇に紛れて妹に会いに行く。そのチャンスを作ってやるために頭を悩ませていたはずなのだ。

 

 しかし、考え始めると際限なく不満が湧いて出る。

 

 何がオタクか。何がファンか。

 別に好きで怪盗を名乗っているわけではない。勿論、二つ名がついて以来、“怪盗”の名を利用したことはある。それはそれとして、預かり知らぬ間に自身の行動がごっこ遊びと見做されていたという事実が男を追い詰めていた。

 

 あのペテン師め。

 自身とて十年もの間オモチャや小人らと戯れて日々を過ごしていたくせに。

 物語の住人はむしろあの男の方ではないか。

 

 男はぎりりと歯噛みする。

 もはや完全なる逆恨みだ。

 

「小人……?」

 

 夕下がりの暗がりの中、男はかっと目を見開いた。

 顔に乗せていた絵本を膝の上に移動させ、いそいそと筆を取る。

 

 小人。

 いや、妖精だ。

 妖精がいい。

 

 流行の浸透には土着文化を絡めるのが定石というもの。求められるのは絶妙なローカライズだ。

 共感を呼び生活に馴染む設定こそが、あの男の生き様を表す物語に相応しい。

 

「フッフッフ! 見てろ、おれが必ず……」

 

 ペンを走らせる男は他人には決して見せられない悪どさを湛えた顔で呟く。

 

 勘違いしてはいけない。

 どれほど凶悪な面で事に挑んでいたとしても、彼が行うのは人助けであって決して嫌がらせなどではないのだ。

 彼は善たろうとする海賊なのだから。

 

 ゆえに、その指が紡ぐのは世にも美しい御伽話。

 神なき夜に寄り添う、新たな約束の物語である。

 

 

 

 

 

 

 ドレスローザ全土を巻き込んだ大規模な騒乱、その最後の戦いの後。

 失踪したと思われていたトラファルガーだったが、蓋を開ければ国中で目撃報告が上がっていた。

 

 今、黒衣の男の姿は高台四段目にある。休暇中の侍医と話し込んでいるのだ。二人が覗き込んでいるのはリク王のカルテである。どうにも悪筆が邪魔をするようで侍医の表情は苦い。

 実のところ彼らの関係は師弟に近いのだが、いつまで経っても解読困難な筆致に侍医が悪戦苦闘している様はもはや様式美と化している。

 

 気の毒そうに二人の様子を見守るキュロスの耳に、盛大に鼻を啜る音が届いた。見れば、港から戻ってきた愛娘が大粒の涙を零し泣いている。

 彼女は幼馴染の手を握り、声を震わせた。

 

「お別れなの? もう会えない?」

「ちょっとやめてよね。子どもじゃないんだから、そんなに泣かないでよ」

 

 相変わらず煩わしそうに応える少年の声もまたくぐもっている。

 彼はたまたま主に着いてきた……わけではなく、ファミリーの派遣する監視要員としてトラファルガーに同行していたようだ。ちらちらと黒衣の男の動向を確認する少年はこれ見よがしにため息を吐く。

 

「あーやだやだ。湿っぽいのって苦手なんだよね。知ってる? 涙って感染るんだから。本当迷惑」

「ひどい! どうしてそんなこというの?」

「そっちこそひどいでしょ。ぼくらが死んだみたいに泣いちゃってさ。別に一生の別れでもなし……」

「え?」

「簡単でしょ。ぼくは忙しいからあんたに会いに来たりはしないけど、あんたがぼくに会いにくればいいじゃん」

「いいの? 私が会いに行っても」

「激甘のドレスローザ流とやらで、新世界の荒波を乗り越えられるならね」

 

 そっぽを向いてぼそぼそと言うデリンジャーを見つめ、レベッカが目を丸くした。驚きのあまり涙も引っ込んだ様子である。ポケットから取り出したハンカチを押し付ける少年に抱きつき、少女は破顔した。

 

「デリンジャー!」

「うわ、ちょ、転ける! ていうか、あんた鼻水! きったな!」

「ごめんごめん。ねえ、知ってる? 笑顔も感染るんだよ」

「いい話風に誤魔化すのやめてよ! もう最後まであんたはさあ!」

 

 喚くデリンジャーと、頬を押し付けるレベッカ。

 本来交わるはずのなかった二人の道は今日ここで分たれる。

 しかし、彼らが望めばその道は再び交わるのだろう。

 父親としては複雑な心境である。

 デリンジャーの親代わりたるトラファルガーはと言えば、ぼんやりとした目で子ども達の戯れを見つめていた。どうやら侍医との相談は終わったようだ。

 

 人垣をかき分け、夫婦二人で彼の下へと向かう。途中、キュロスとスカーレットに気付いたトラファルガーが黒衣の袖で口元を隠した。何か伏せたいことがあったのだろうが、それでも彼は逃げずその場に留まっている。

 

「トラファルガー」

 

 声を掛ければ、彼は軽い会釈で応えた。常はきっちりと着込んでいる黒衣の襟が開いており、首元の肌が覗く。これまで隠されていた肩口や胸元の古傷に目がいってしまい、視線に気付いたトラファルガーが襟元を押さえつけた。

 

「奥方に見苦しいものを見せた。悪い」

「キミで見苦しいのなら、私の身体など見るに耐えないのではないか?」

「闘士の傷は勲章だ。おれとは違う」

「ロー先生、卑下は駄目よ? お父様なら、生き抜くために受けた傷に卑賤などない……と言うのではないかしら」

 

 黒衣の男は応えず視線を逸らす。無意識なのか、その目は旧王城跡へと向かっていた。

 

 ため息をついたトラファルガーは、子ども達へと視線を戻す。理解し難いものをみるような、それでいて懐かしい光景を思い出しているような、複雑な光が金の瞳を過ぎった。

 

「無邪気なもんだ」

「悪いことではないでしょう?」

「そうか? これから先、呑気なままではいられねェ。そもそも、海賊と善人が交わるなんざありえねェだろうが」

「キミはどうにも悲観的だな」

「お前らが楽観的にすぎるんだろ」

 

 言葉だけ聞けば喧嘩腰の反論。しかし、当の本人はただ淡々と意見を述べているだけだ。この十年、特にコミュニケーションに難儀した記憶はなく、着込んだ猫が如何に分厚かったのかが窺い知れる。

 

 暫く子ども達の姿を眺めていたトラファルガーは最後に小さく笑い、左腕を振るった。

 デリンジャーが目を剥いて叫ぶが時すでに遅し。黒衣の姿はかき消えあとには小さな花が残るのみだ。

 

「もう、あんたのせいで置いていかれちゃったじゃん!」

「ロー先生はお祖父様に会いに行ったんでしょ、大丈夫だよ。もうちょっとお話ししてよう?」

「あんた、若様がどれだけ適当か分かってるの⁉︎ 下手したら忘れて置いていかれるんだからね!」

「ええ? それはさすがにちゃんと注意した方がいいんじゃない?」

「若様はいいの! 船が出てもぼくなら最悪泳いで追いかけられるし!」

「そっか。じゃあ、まだお話ししてても大丈夫だね」

「……大丈夫じゃないけど。もう少しくらいならいいかも。少しだけね」

 

 花園の中、少年少女が語り合う。

 名残を惜しみながらも希望を滲ませる笑声を聞き、キュロスは頰を緩ませた。

 

 

 

 

 

 ドレスローザの地中奥深く、ぽかりと空いた空間にその船はあった。

 

 船の側面には陽気な笑顔のジョリーロジャー。“藤虎”の隕石によって木っ端微塵に砕かれた飛行艇と同型の大型船だ。

 さきの飛行艇はブラフ。マッハ・バイスの尽力によって宙に浮かせ、バッファローの巻き起こす風で進んでいるように見せかけていた。中の作りは杜撰で航海にも飛行にも適さない、要は張りぼてである。

 

 ピーカによって誂えられた地下空間に真の船は眠る。

 

 否、正確を記すならば、船など今の今まで影も形もなかった。マッハ・バイスが重量を変化させた船をディアマンテが紙状に変形させ、懐に仕舞い込んでいたのだ。

 平たく変化させてもサイズがサイズだけに嵩張るものだから、もはやさらしのように身体に巻き付け誤魔化していた。僅かではあるがキュロスの刃をも防いでおり、ある意味勝敗に寄与した代物である。

 

「準備はどうだ?」

 

 剛力で地に穴を開け飛び降りてきたヴェルゴが引き摺るのはトレーボル。さらにトレーボルの粘液に絡まったジョーラもまた、諦めたような顔で船を見上げていた。

 

「こんなところに隠していたざますか」

「なんだ、知っていたのか?」

「船の存在程度は。逃げることにかけてあたくしの右に出る者はいないのざます。逃走の極意は一に情報二に情報、三四がなくて五に気合いざますからね」

「べへへへ、それで捕まってりゃ世話ないんねー」

「時に潔く逃走を諦めるのも成功の秘訣ざますよ」

 

 乾いた声で笑うジョーラから視線を逸らし、ピーカが口を曲げる。

 

「ローは」

「彼はまだ地上だ」

「どうせ間抜けの王族に会いに行ったんだろう。まったく、仕様のない……」

「おいおい、そうイカってやるな。あいつはどうせおれ達の下に戻ってくるんだ。寄り道くらい許してやろうじゃねェか」

「誰が迎えに行くと思っているんだ」

「ウハハハハ! だが、それも悪かねェと顔に描いてあるぞ!」

「うるせェ」

 

 数日前の戦闘の昂りが抜けきらないのか、ディアマンテは妙に高揚したままだ。背後をうろうろと彷徨い絡んでくる剣士を押し退け、ピーカが眉根を寄せる。

 

「他の奴らは」

「ここに来る途中、何人かは地下で見かけた。船に乗る意志のある奴らはセニョールが連れてくる算段になっている」

「どうせ全員来る。ローより先に到達すれば連れて行こう」

「んねー、どいつもこいつも馬鹿じゃねェのォ〜? さっさと逃げればいいのにねー」

 

 嘲笑うトレーボルの顔面をヴェルゴが蹴り付けるが、さして堪えた様子もない。

 互いに本気のやり取りでないとは言え、いまいち緊迫感に欠けるやり取りだ。

 

 

 久しぶりに集った最高幹部達の戯れあいを見つめる目があった。獅子の如き金褐色の毛並みを持つミンク族の元海兵である。

 実に居心地が悪そうに部屋の隅で佇んでいた彼はヴェルゴをじとりと睨み付け、小さな唸り声を上げた。

 

「ヴェルゴさん、私に何か言うことは?」

「ないな」

「あんた、『昔から神に仕えている』だか『正義のためならば鬼になろう』だか抜かしていたが、よくもまあ騙し続けてくれたものだ」

「嘘は言っていないだろう? キミ達が勝手に勘違いしただけだ」

「ああ、そうだろうとも。おかげで私もこのざまだ」

「後悔しているのか? キミが?」

「していないから言っている。さっさと種明かしをしてくれれば良かったものを」

 

 ぼやく元海兵だったが、その顔に嫌悪や怒りはない。ただ単に『早く力になりたかった』と物語る眼鏡越しの視線を見返し、ヴェルゴが口の端をあげた。

 

「彼は元々キミを買っていた。本当のところは、何も知らず正義を背負う海兵であり続けてほしかったのかもしれないな」

「……嫌な言い方をしてくれる」

 

 鼻頭に皺を寄せた元海兵がふと上を見上げる。

 ミンク族らしく鼻の効く彼に見えるものは彼の辿るべき道。視線の向かう先はおそらく旧王城跡の辺り、王族の前に姿を現した逆賊トラファルガー・ローなのだろう。

 

「彼は何がしたいんだ?」

「さて。もし、気が向けば話してくれるだろうとも。気が向けばな」

 

 歌うように告げるヴェルゴを見つめ、元海兵がため息を吐いた。

 

「あんた、海軍本部で彼と何度も対峙しながら、よくその顔を隠しておけたな」

「どの顔だ?」

「その顔だ。妙にご機嫌が麗しいじゃないか、ヴェルゴ“中将”殿」

「あるべき場所に戻ったんだ。嬉しくないわけがないだろう?」

「皮肉の一つも言わんとは……海軍本部でみせた毒舌はどこに落としてきたんだ」

「何を言う。私は世にも珍しき清廉潔白な海軍将校だったろうに。毒舌などとてもとても」

 

 白々しく宣う元中将を睨みつけ、ミンク族の新米海賊が獣の唸りをあげる。

 もっとも、相手はどこ吹く風で聞いていないのだが。

 

「さて、もうそろそろだな。どれ、ローを迎えに行かねば……おや、護送艦はどこだ?」

「あんたは元々海兵ではないし、彼ももう七武海ではないだろうが。さらにいえば護送は私の仕事だ」

 

 律儀な突っ込みに忍び笑いを返し、ヴェルゴは口を閉ざした。

 どうやら冗談らしい。

 

 再会に浮かれる幼馴染をピーカが白い目で眺めていると、その肩にディアマンテがのしかかっていく。

 

「おいおい、ヴェルゴ! 新人いびりか? おれも混ぜてくれよォ」

「ディアマンテ、退け。戯れは後にしろ。セニョールが地下に潜った。他の奴らも一緒だな。ローが着き次第、船を出すぞ」

「へいへい。でもよォ、こんな地下でどうやって船なんざ出すんだ? ローの能力で飛ぶにしても、あいつも大概消耗してるだろうが」

「第二プランならある。セニョールの能力で船ごと地下を進み、海に出る」

「……またセニョール? いくらなんでも扱き使いすぎじゃねェか?」

 

 思わず素に戻るディアマンテにトレーボルが返した。

 

「べへへ、セニョール・ピンクは元々ローの付き人だ。扱き使ってやらねェとむしろ可哀想だろうが」

 

 再びヴェルゴの蹴りを喰らったトレーボルだが、気味の悪い笑みは変わらない。地に寝そべったまま笑声をあげる姿はまさに怠惰の一言。裏切者の筆頭のくせに太々しいことこの上ない。

 

 ピーカが深いため息を吐くと同時に、地下空間の上部が騒がしくなる。ぼこぼこと泡立つそこから飛び降りてくるのは、セニョールと数珠繋ぎになったファミリーの面々だ。

 地中を泳がされる羽目になった彼らは真っ青になって咳き込んでいた。水でないにしろ中々の恐怖だったのだろう。シュガーなど泡を吹いて気絶している。

 そもそも能力者は泳げない。潜水ならぬ潜地などもってのほかだ。闘魚の血を引くデリンジャーだけが元気に跳ね回り、他の面々の背を摩っていた。

 

 なんとも姦しい。

 

 誰ともなしに気の抜けた笑いをこぼした最高幹部達は揃って上を見上げる。

 

 我儘で他人の話を聞かない船長は今、何をしているのだろうか。どうにも気になるが、当の本人は彼らのことなど気にしていないのだろう。

 傲慢で勝手な男だ。

 

 しかし、トラファルガー・ローはそれでいい。

 

 結局のところ、彼が望めば何だって叶えたくなってしまうのがファミリーのファミリーたる所以なのである。

 

 

 

 

 

 王宮の離れにある一室。元は貴賓室であったその部屋に、二人の男が佇んでいた。

 

 一人はドンキホーテ・ドフラミンゴ。埃と血に塗れた薄紅のコートを腕にかけ、トレードマークであるはずのサングラスを外している。

 壁に凭れ目を伏せていた偉丈夫は、もう一人の男のこぼした震える吐息に気付き、視線を上げた。

 

「あんた、老けたな」

「知り合いでもあるまいに、おかしなことを言う」

 

 低く嗄れた声が応える。

 アロハ調のシャツとハーフパンツ、足下は簡素な靴。そして、気の抜けたような印象を覆す一際輝く白のコート。背に掲げる正義には一片の曇りもなく、編み込まれた白の髭と鋭い眼光からは威厳が滲む。

 

 男の名はセンゴク。頂上戦争終結後に一線を退き、今は大目付として後進の育成に力を注ぐ仁義の男だ。

 

 ドレスローザを襲った未曾有の人災。捕えられた海賊の数は凶事を物語るに余りあり、結果、護送援護に中将と大目付があたる異常事態となった。

 逃走、というよりは消失と再出現を繰り返す『元』七武海トラファルガー・ローの拿捕も視野に入れた面子なのだろうが、当のセンゴク本人はさした気負いもない様子で王宮に現れた。

 普段手にしているおかきの袋はそこになく、代わりに彼が携えていたのは小さなメモだ。

 

 老眼か、はたまたメモに綴られる文字の悪筆具合が常軌を逸していたか。眼鏡のつるを持ちメモを矯めつ眇めつしていた大目付を発見し、この部屋に案内したのは他でもないドフラミンゴである。

 

 寝台に横たえられた亡骸を見つめるセンゴクの顔からは感情が窺えなかった。

 全力で隠さねばならないほどの激情が湧き上がっているのか、或いは身体が心に追いついていないか。どちらにせよ、彼の受けた衝撃は計り知れない。

 

 寝台脇の小さな椅子に腰掛ける背中は曲がり、正義の文字は項垂れてしまっている。

 その背は今なお海兵らに義を伝え続けるが、それでも時代は彼を置いて進んでいくのだろう。

 

 再び目を伏せ、ドフラミンゴは告げた。

 

「確かに『元帥』のあんたについては知らねェさ。せいぜい頂上戦争でお見かけした程度か」

「含みのある言い方だな」

「含みなんかねェ。ただ、おれが知ってるのは父親のあんただってだけの話だ」

 

 言葉はない。

 多くの海兵を導き平和を守ってきた大きな掌が、小さくなる程に強く握りしめられた。

 

 ドフラミンゴは目を伏せ、思い返しながら続ける。

 

「旅の途中でな、新聞を見てたんだ」

 

 コラソンが潜入捜査員である以上、家族写真など持ち歩けない。時折、彼女は紙面に載る養父の姿を眺めていた。それはファミリーにいた頃からのことで、当時は海軍の動向を探っていると説明していたようだ。

 

 旅に出てからは、堂々とドフラミンゴに自慢していたものである。

 

「家庭では少し抜けたところもある……優しくて剽軽で、何より頼りになる人だと、よく話してくれた」

 

 旅を進める内、本来の強さを取り戻していったコラソン。彼女は自身の思い出をなぞる様に柔らかく笑んで言った。

 

『だから、きっとドフィも受け入れてくれるよ。だって、お養父様は人の義を大事にする方だから』

 

 指先でペンダントに触れ、いつもと違う感触に戸惑う。一枚になったコイン、そしてとまる四葉を失った天道虫が寂しく揺れた。

 自ら手渡しておいて名残惜しく感じるとは、なんとも女々しいことだ。

 

 思わず苦笑すると、センゴクが低く問う。

 

「何がおかしい」

「いやな、場合によりゃおれも海兵なんて未来もあったのかと思っただけだ。あんたの下で大先輩にしごかれて、しまいにゃ正義の文字なんか背負っちまう、そんな未来も」

「ほざけ。当然のように将校に上がる気でいる傲慢な()()なぞ海軍に必要ない」

 

 センゴクは一言の下にありえない仮想を切り捨てた。しかし、暫く黙り込んだ後、口を開く。

 

「仮定は仮定。意味のない思考だ。だが、私にも覚えはある」

 

 男は目を閉じ、煮えるような昏い声で呟いた。

 

「もし、あの時。あの夜、私がラミだけでなく……」

 

 追憶の中、彼が見るのは誰の姿か。

 歳を重ねた愛娘の笑顔。

 あるいは決して救い得ぬ少年の背。

 何度も自身の中を過ったのであろう空想を再び押し殺し、老海兵はため息を吐く。

 

 為し得なかった未来を振り払うように、センゴクは軽く咳払いをした。

 

「ラミは素直で人一倍正義に篤く、誰からも信頼される立派な海兵になった。正直、自慢の娘だったよ」

 

 重ねた年月を感じさせる嗄れた声。センゴクは亡き娘の骸を見下ろし、深いため息を吐く。

 

「だが、私は……この子の肩にかかった重圧を分かち合ってやることができなんだ」

 

 トラファルガー・ラミは養父であるセンゴク元帥の反対をおし、潜入捜査員となった。彼女本人からは最終的に着任を認めてもらえたと聞いていたが、この様子を見るに許可も本意ではなかったのだろう。

 

 ドフラミンゴは目を細め、センゴクの表情を窺った。

 

 眉間に寄った皺からは長年抱え続けた苦悩が滲み、固く組まれた両掌からは無念が漂う。

 皺の刻まれた大目付の手を見つめ、ドフラミンゴもまた拳を握りしめた。

 

 恐らくではあるが、フレバンスの真実についても、この男は知っているのだろう。そして、未だ全貌の見えぬ真実をひた隠しにし続けた。

 それは娘を思ってのことであり、また元帥としての義務でもあったのではないだろうか。

 

 もし。

 

 もし、センゴクが真実を開示していれば、兄妹はすれ違わずに済んだ。その上で道を違え、訣別し敵対することとなったとしても、あのような形の別離は訪れなかったかもしれない。

 

 だが、センゴクを、彼の父としての憂慮を誰が責められようか。

 

 ドフラミンゴが考える以上に、センゴク自身が己の決断を悔いているというのに。

 

 胸に澱む苛立ちや怒り、そして何故か脳裏をチラつく自身の父の最期の声と罪悪感。その全てを飲み込み、ドフラミンゴは歯を食いしばる。

 

「そんなことはねェ。確かに最初は圧し潰されそうだったが……あの人、最後は立ち上がったんだ」

「それは任務を離れ、自分を取り戻したからだろう。この子自身の力だ。そして、そのきっかけを与えたのはお前だ」

「馬鹿言え。おれはあの人に救われこそすれ、助けることなんかできなかった」

 

 コラソンとドフラミンゴはある意味、対極に位置する存在だ。

 

 家族に守られた彼女と家族を殺したドフラミンゴ。コラソンはこの途轍もなく縁遠く離れた存在に手を伸ばし、全力で抱き寄せてくれた。

 ドフラミンゴはただその温もりを享受しただけだ。

 歩み寄ってくれた、というよりは無理矢理連れ出してくれた彼女の笑顔を思い出しながら、偉丈夫は壁際を離れる。

 

「コラさんはおれに心を与えてくれたがおれは彼女に何一つ報いることができなかった。むしろおれは……おれなんかと旅しなけりゃ、コラさんは今でも」

「…………」

「本当にコラさんが助けたかったのは、おれじゃねェのにな」

 

 吐き出すように告げ、ドフラミンゴはセンゴクの傍らに立った。

 

「あんたから愛娘を奪ったのはおれだ。すまない」

「……貴様らは、同じことを言うのだな」

「貴様ら?」

「いや、こちらの話だ」

 

 センゴクは苦く唇を歪め、首を振る。

 

「ラミはなかなか頑固でな。そうと決めたら頑として譲らない子だった」

「…………」

「お前を助けることも、兄と対峙することも、ラミ自身が決めて選んだことだ。結果がどうあれ、この子の選択と想いを否定してやってくれるな」

 

 祈りの形に組まれた手に力が篭り音を立てた。

 ドフラミンゴを見つめ、センゴクが言う。

 

「後悔に逃げるな。お前だけがラミの生き様を知っている。もしも、などというありもしない色硝子で、この子の意志を曇らせてくれるな」

「────────」

「お前の受けた愛が真実だ」

 

 唇をきつく噛み黙り込むドフラミンゴから視線を逸らし、幾分柔らかな声音でセンゴクは続けた。

 

「それでも、この子に報いる事ができなかったと悔いているのなら、どうかこの子を覚えていてくれ」

「……忘れられるわけがねェ。コラさんはいつだっておれの中にいてくれる。あんたの中にもいるんだろ」

「ああ、そうだ。ラミはちゃんと私の下にも帰ってきてくれた。随分と時間はかかったがな」

「…………」

「互いにこの子を忘れずにいよう。それでいい」

 

 きしりと椅子を軋ませ、センゴクが立ち上がる。

 

「さて、王下七武海、“怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ。聞けば、同盟の真偽は未だ明らかにされていないようだな」

 

 グリーンビットで“藤虎”と対峙した際、どこぞの王下七武海仲間が妨害したことにより、麦わらとの同盟に関する回答は保留となっていた。

 トラファルガーとしては新たな墓守の立場を守ろうとしただけなのだろうが、おかげでセンゴクと話す時間が出来たのも事実である。

 

 まあ、この時間稼ぎとてもうそろそろ限界なのだろうが。

 

 

 ぐらりと大地が揺れる。

 

 

 窓からのぞく青いはずの空一面に犇くは瓦礫の群れ。“藤虎”が動き出したのだ。

 

「あいつが何からコラさんを守っていたのか。何があいつを歪めたのか。あんた、何か知ってるんだろ」

「…………ああ」

「そうだよな。あんたもきっとあいつと同じで、コラさんを守ろうとしてた」

 

 窓を開け放ち、枠に足を掛ける。

 

 

「センゴク。おれは真実を知りたい」

 

 

 高台に吹く風はドフラミンゴを引き上げるかのように強く、そして清々しい。

 

「行くのか」

「ああ、場所を変えなきゃ見えねェ景色もある。それに今日この日ときたら、前に進むにゃうってつけの日じゃねェか」

「抜かせ。海軍大将を敵に回して、貴様のような小鳥に何が出来る」

「何でも出来るさ。おれはどこへだって飛んでいける。コラさんがそう教えてくれた」

「…………」

「コラさんのことはドレスローザに頼んだ。あの人はこういう国、好きだからな。そうだろ、センゴク」

「違いない」

 

 静かな肯定に滲む情は時を経ても褪せることない愛を伝える。

 

 自然と笑んだドフラミンゴはサングラスを掛け直し、空へと飛び出した。

 宙に浮かぶ瓦礫に糸をかけ、空を蹴る。薄紅のコートが風になびき、羽撃きに似た音が響いた。

 

 不安気に見上げる王族や国民を眼下に偉丈夫は駆ける。

 

 

 その様は空を飛ぶ鳥の如く自由。

 そして、流れる星のように輝きを放っていた。

 

 

 遠ざかる若き海賊の背を眺め、センゴクが呟く。

 

 

「そうだ。お前は自由に生きればいい。あの子ならばきっとそう言うだろう……」

 

 囁きは柔らかく、門出の空へ溶けていく。

 

 

 寝台に眠る彼女はただ微笑みを浮かべ、彼らの行く末を見守っていた。

 





 エピローグと言いつつ、もう一話続きます。
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