ONE PIECE novel.DD “怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ 作:ladybug
長い冬は終わり、春告の熱が花を育む
眠りから目覚めた萌芽
もはや目を剥くほどの成長を見せていた
色々ありはするけれど、
────それはまた別のお話
むかしむかし、あるところに、ひとりぼっちのようせいがすんでいました。
ようせいはひねくれもののまっくろくろすけ。じぶんのことがだいきらい。
なかまからはなれ、ひとりでくらしていました。
あるひ、ようせいはふらりとまちにでかけます。
いろんないろにつかれはて、めをまわしてしまったようせいは、ひとりのしょうねんにたすけられました。
だけれどようせいはひねくれもの。すなおにおれいをいえません。
こまったようせいは、つきのないよるにまちへでかけしろいはなをあつめました。
いっぽん、またいっぽん。
ようせいはまほうのちからではなをこおらせ、しょうねんのねむるまどべへとどけます。
あついなつのひ、つきのないよるにしょうねんがめざめると、はなをとどけにきたようせいがまどをあけるところでした。
あわててにげだすようせいのなまえをよび、しょうねんはおれいをいいます。
ありがとう、きみのおかげでよくねむれたよ。
もし、よければすこしはなしていかないかい?
つきのないよる、ようせいはひとりぼっちではなくなりました。
もし、まどべにしろいはながおいてあったら、ようせいがあなたにあいにきたのかもしれません。
そんなときはなまえをよんであげましょう。
ようせいのなまえは────
旧王城跡地に突如現れた黒衣の男を前に、リク王とヴィオラは何とも言えない顔で押し黙っていた。
沈黙を呼び込んだ当の本人、トラファルガーはといえば何も言わずに二人の前で佇んでいる。
護衛についていた自衛軍から槍を向けられながらも泰然とした様子は変わらない。消え失せた表情を晒したまま、彼は微動だにせず立ち尽くしていた。
もはや、風が吹いていなければ置物と見紛うばかりの有り様だ。
「ロー……?」
沈黙に耐え切れず、おずおずと呼びかけた王女に対し、男は首を傾げてみせる。
「はい。どうかなさいましたか、姫様」
普段と変わらぬ柔らかな声音で応えた男に、ヴィオラはため息を禁じ得ない。
まさか、また猫を被る気なのだろうか。いくらなんでも無理がある。
何よりその顔。これまで見せていた笑みの仮面は消え失せており、無味乾燥もいいところだ。
「ロー。あなた、何を考えているの?」
「申し訳ありません。いくら姫様の願いとて、お答えしかねます」
「その喋り方、やめてくださらない? 馬鹿にして」
憤然と抗議するヴィオラを見つめ、トラファルガー・ローは口の端を歪めた。
こうしてみるとなかなかに悪どい顔をしている。
「馬鹿になんてしてねェ。あんたらを見てると自然にこうなるんだ」
「それが馬鹿にしてるって言ってるのよ」
「敬意の表れだって言っただろ?」
「とんだ嘘吐きね」
「嘘じゃねェ。心、見てみるか?」
「結構よ。また騙されるのはごめんだわ」
拒絶しながらも、ヴィオラは俯いた。
実のところ、トラファルガーが出現した時点で心を覗いていたのだ。どこぞの海賊のおかげで鍛え上げられた能力は時に予備動作なく発動が可能なのである。
トラファルガーは変わらない。
憎悪に嫌悪、悲嘆に空虚。
相も変わらず渦巻く暗い感情に当の本人が気付いていない。
そして、その澱の奥底、光り続ける柔らかな善心も何一つ変わってはいなかった。
ドレスローザとリク王に向ける敬意、ヴィオラを見守る穏やかな親愛も、何一つ。
「行くのね」
「そろそろな。長いこと世話になった」
「理由も言わずに国をめちゃくちゃにして。トラファルガー、あなたみたいな悪党には二度とこの地を踏ませないんだから」
「そうするといい。用心しろよ」
囁く声は凪いだまま。
しかし、どこかあたたかな響きに、ヴィオラは顔を上げた。
男は遠くの町並みを眺めている。瞳に映る景色を焼き付けようと瞬きすら惜しむ、柔らかな視線。
きっと、彼は気付いていないのだろう。彼が願い続けていた、穏やかな未来に。
ヴィオラは口を開きかけ、躊躇いながら唇を閉ざした。それを告げれば、彼は傷付くと知っていたのだ。
言葉を飲み込み俯いた王女の肩を叩き、父王が前に出る。
「海賊トラファルガー・ロー。私は国王としてキミの為す道を許すことはできない」
黒衣の男を見下ろし、リク王は続けた。
「しかし、以前伝えたな。罪はいつか暴かれ、誤解は必ず解けるものだ」
「…………」
「そして、贖いの扉は誰の前にも開かれ、嘘も吐き続ければ真実となる」
「……そう、ですね」
昏く揺れる金の瞳。その光が何を見据えているのか、リク王もヴィオラも知らない。十年もの間、彼は全てをひた隠しにして微笑み続けたのだから。
「キミが何を抱え、何を秘め続けていたのか。最後に教えてはくれないか?」
「申し訳ありません」
「そうか。残念だ」
深く首を垂れた海賊の肩を叩き、リク王は告げる。
「だがな、ロー。ドレスローザを甘く見てもらっては困るぞ?」
「どういうことですか?」
訝しげに目を眇めるトラファルガーから離れ、リク王は眼下に広がる町並みへと足を向けた。既に復興へと動き始めた民らが忙しなく行き来するそこには活気が溢れ、笑顔すら見受けられる。
無意識にだろう、口の端を緩めたトラファルガーの手を引き、ヴィオラもまた町並みへと視線を向けた。
戸惑いながらも付いてくる男の足取りはどこか懐かしく、ヴィオラとリク王は密かに笑い合う。
「ロー、キミが頑固であるように私達もまた頑固だ。キミが話してくれなくても、いつか我々は真実に辿り着く」
「私がそれを望まずとも、ですか」
「ああ」
「やめてほしいと頼んでも?」
「何故? 何故、止める」
「それは……」
言い淀むトラファルガーは、何を告げるでもなく、結局口を閉ざした。
困ったように伏せられた目を覗き込み、ヴィオラは尋ねる。
「私達が心配なのね?」
トラファルガーは答えなかった。
沈黙こそが何よりも雄弁な答えであると分かっていながら、彼はただ黙り込んでいる。
「ロー、私達は知らねばならない」
旧王城跡の崖の端。ドレスローザの町が見渡せるそこに立ち、リク王は告げた。
「キミが何故、世界を壊したいのか。キミをそこまで追い詰めたものが何だったのか。キミを理解し、共に歩むため、我らドレスローザは真実に手を伸ばす」
王族二名とトラファルガーの姿に気付いた国民らが手を振る。一部は無邪気に、一部は怒りながら、それでもトラファルガーを見つめている。
「これは罰よ、ロー」
「罰?」
「私達を騙し続けた罰。あなたが何も話してくれないから、私達は勝手に動くの。意志の示し方ならあなたに教わったし、止めようがないわね」
わざと意地の悪い伝え方をしたヴィオラの手を振り払い、トラファルガーは掌で自身の顔を覆った。深いため息が漏れる。
「まったく、関わる国を間違えた」
「あら、随分な言い草じゃない」
笑うヴィオラを指の隙間から睨みつけ、トラファルガーは吐き捨てた。
「勝手にしろ。だが」
「大丈夫。困った時は助けを求めるわ」
「誰がお前らなんか助けてくれるんだ」
「誰って。あなたに決まってるじゃない」
子どものように丸くなった海賊の瞳を見返し、ヴィオラは繰り返す。
「あなたよ。ドレスローザの良き隣人、トラファルガー・ロー」
「おれみたいな悪党にはこの地を踏ませないんじゃなかったのか」
「そうね。だから、手始めにと言ってはなんだけど、やめましょう」
「やめる? 何を?」
「ロー。あなた、海賊辞めなさい」
眉を顰めた男の手を再び掴み、ドレスローザの姫は問いかけた。
「ロー、あなたのしていることは海賊でないと出来ないことなの? そもそもあなたって海賊らしいことをしてる?」
「元々、おれの意志で海賊になると宣言したわけじゃねェ。必要があったから略奪に殺しにと動いてる内に勝手にそう呼ばれてるようになっただけで、辞めるも何もないんじゃねェか?」
「あら、意外にちゃんと海賊らしいこともしていたのね。それは今も続けてるの?」
「手法は変えた。直接動くのは非効率だからな」
「じゃあ辞めても問題ないわね」
「問題しかねェだろ」
無表情のまま否定する黒衣の男を無視し、ヴィオラは続ける。
「どうせあなた、七武海はクビでしょ? ついでに海賊も辞めて、やり方も考え直したらいいじゃない」
「無茶を言うんじゃねェ」
「誤解しないで。急に全てを変えろなんて言わないわ。だけど、少しずつでいいから、あなた自身が変わらなきゃ」
刺青と傷が目立つ男の手。最後にその甲を柔く摩り、手を離した。指に残る熱は名残惜しく、ヴィオラの視界を滲ませる。
「ねえ、ロー。どうか見ていてね。世界とあなたを変える私達を」
男は応えなかった。
ただ首を傾げ、瞬きのみを返す。
思えば、ドレスローザで過ごしてきたこの十年、彼はよくこんな表情をしていた。
結局のところ、彼は他人の善意より悪意を信じている。今はまだ、ヴィオラの言うことなど理解できないのだろう。
それでも、伝えるべきだ。
伝えたいと思うのだ。
「ロー。走り続けるあなたに届くように、私達も声を上げ続ける。私達はここであなたの訪れを待っているわ。あなたの宝物と共に」
声が震えそうになるのを堪え、前を向く。父王が気遣わしげに肩を抱いてくれた。
十年前、失われるはずだったこの温もりを繋いだのは、他でもないトラファルガー・ローだった。
彼は確かに、ヴィオラの世界を守り、変えた。
今度はこちらの番である。
「お別れね、ロー」
トラファルガーは顔に困惑を浮かべたまま、静かに膝をつく。呆れるほど流麗で洗練された跪拝はもはや見慣れたものだった。
「リク王様、姫様。どうか、末長くご健勝であらせられますよう」
「ロー、いちいち跪くのをやめなさいと何度も言ったであろうに」
「お許しください。これが最後ですから」
「ふむ、最後か。では、私からも一つ、ドレスローザ流の別れの挨拶を教えよう」
王と姫が同時にしゃがみ込む。
事態が飲み込めず跪拝の状態から顔だけ上げたローを二人の王族が抱きしめた。
強張るその肩を抱き、リク王が言う。
「ロー、我らが友よ」
「…………」
「達者でな。キミに幸運があるよう、願っている」
「この後に及んで友ときたか。いい加減目を覚ませ。愚かな王に愚かな国と誹られたくねェならな」
「愚かで結構だ。私は生涯をかけて、キミを友と呼び続ける。私達の嘘が真実となるまで、いつまでも」
崩壊した大鐘楼、その瓦礫が空へと浮き上がりぶつかり合って音を奏でる。“藤虎”の能力だろう。大将にも色々立場や矜持があるようで、復興支援ついでに、集めた瓦礫を出航する麦わらの一味へ向けて落とすつもりらしい。
国中の瓦礫が空を埋め尽くす中、偽りの友誼は終わりを告げた。
鐘が鳴る。
別れと約束の鐘が鳴る。
されるがままに肩を抱かれていた黒衣の男は、僅かに身体を引いて二人の王族を交互に見比べ、ふと微笑んだ。
「本当に、馬鹿な奴らだ」
見慣れた春霞の笑みに一筋の光が差し、金の瞳が微かな熱を帯びて甘く蕩ける。
初めて本当の微笑みをみたような気がして、ヴィオラは思わず苦笑した。
瞬きの内に姿を消した黒衣の男。
彼の代わり、リク王とヴィオラの手に残されたのは何の変哲もない三つ葉のクローバーだった。
三つ葉のクローバーが示すのは幸運の祈りではなく信頼。四つ葉でない辺り、捻くれた彼らしい。
愛と希望を乗せ、緑の葉は風に揺れる。
「またね、ロー」
見上げれば、空を埋め尽くす一面の瓦礫。
人命被害を抑え切っているとはいえ、ドレスローザは再出発を余儀なくされた。
まして、トラファルガー・ローという強固な盾を失った今、時代の波は容赦なく国と民を襲うだろう。
為すべきことは山とある。
しかし、目下解決すべきは麦わら及びドフラミンゴの脱出だ。
何せ、彼らはドレスローザの友の大恩人。無事に国を出てもらわねばなるまい。
とはいえ、相手は“藤虎”。正面を切って海軍大将の邪魔をするわけにもいかず、父王も渋面を晒している。
まずは状況をと思い能力を使えば、ルフィ達を取り囲むように東の港へ走る国民達の姿が眼に映った。国民達は皆笑顔で、海兵らの制止を振り切って喝采を上げている。どうやら知らぬ存ぜぬのていで“藤虎”の邪魔をしているらしい。
そう。
ドレスローザの民もまた、自らの意志を示す方法を知っている。
もとより、親愛を示すのは大得意であるからして。
微笑んで伸びをしたヴィオラは空を見上げた。
出航する船を追いかけ、空を舞う薄紅が目に入る。
ドンキホーテ・ドフラミンゴはこの国に御伽話を一つ残していった。
時間は少し遡り、戦闘終結直後のことである。
本人も預かり知らぬ二つ名の背景。
ドレスローザにて絵本となっていた原案本のせいで、ほぼ全国民に自身の恥を開示共有された上、悶える“
『そういえばあの男に頼まれたことがある。世にも美しい嘘を語るようにとのご依頼だ』
控えめに言って凶悪な笑顔を浮かべた彼が語るのは物語。真実と祈りを織り交ぜた、他愛もない御伽話である。
同じことを思い浮かべていたのか、リク王がぼそりと呟いた。
「ドフラミンゴくんには物語作りの才能があるな。しかし、なにやら怒っていたようだが」
「あれは怒っているというより恥ずかしがっているのではないかしら」
笑うヴィオラの視線の先、列を成した海賊船が港を発つ。
てんで外れた方向に降る瓦礫の雨。
派手に上がる水飛沫のアーチを潜り抜け、新たな絆が産声を上げた。
同時刻、ドレスローザ西の町プリムラを抜けた港。悠々と出港する船影があった。
周囲に聳え立つは真っ二つに切断された海軍艦隊、積み上げられた生ける人体のオブジェ。誰の仕業か一目瞭然の芸術作品を背に船は行く。
船上では陰気な顔をした船長が、何とも眠たげな目で船の進む先を見つめていた。
「べへへ、これからどうするんだァ〜?」
トレーボルが問う。
古参の新入りという意味不明な立ち位置の大男は、たんこぶやら何やらで腫れ上がった頭部を揺らした。海軍式の新人扱きが効いているのかいないのか、微妙なところだ。
振り返った船長は物資の箱に腰掛けたまま、ぶらぶらと足を遊ばせていた。子どもじみた仕草と死滅した表情が釣り合わず、どことなく不気味である。
「おれが死ねば世界は動く。そう仕掛けた。状況はあと一押しといったところか」
「でもォ? でもでもォ〜? 負け犬のお前はドフィの言う事を聞くんだよなァ〜?」
「別に、あいつに言われたからじゃねェ」
「んねー、海賊も辞めるんだろ? そっちは誰に頼まれた? もうちょっと自分で考えて動けねェの? 悪党として恥ずかしくねェのォ〜?」
「偉そうに。師匠面すんな」
「べへへへ、賭けはお前の敗けだ。よって、免許皆伝はなし。半人前の万年敗者が偉そうな口を叩くんじゃねェ」
笑う大男の背後からレンチが飛んできた。ピーカの仕業である。
真面目な性質の彼はトレーボルの裏切りに関して一定の理解を示しつつも日々制裁に勤しんでいた。ここが地上なら数日間に渡り無音の石室に放置するくらいのことはしているだろう。
大男の頭に痛打を与えバウンドしたレンチを受け止め、船長はぼそりと呟く。
「ガキ共にしこたま殴られて思ったことがあるんだが」
「んんー? なんだァ?」
「世界を壊すにしても、どうせならてめェの手で壊した方が面白いに決まってる」
レンチを弄びながら言うその顔は相も変わらずの鉄仮面。とは言え、古参の面子の眼を通せばどこか愉しげに見える程度には変化があった。
「しかし、そうなると海賊を辞めるのは悪手ではないか?」
いつの間にか傍に立っていたヴェルゴが思わしげに尋ねる。その手はしかとトレーボルの頭を鷲掴み、万力の如く締め上げていた。
延々上がる汚い悲鳴を無視して、黒衣の男が首を傾げる。
「そうか? おれが『海賊を辞める』と宣言するのも、混乱を招く一手としては悪くねェと思うが」
「まァな。お前、トラファルガー・ローだもんなァ」
「どう言う意味だ」
背後で様子を眺めていたディアマンテが理屈も何もない台詞を吐いた。船長は不服そうに反論するが、どうもこうもない。そのままの意味である。
「ところでよォ。おれの剣、折れちまったんだが替えは?」
「闘技場の稼ぎを全部打ち遣ったのはどこのどいつだ。当分爪楊枝でも使ってろ」
「えぇ……」
「待て、ロー。念の為、ディアマンテには万全の状態を維持させたい。海上じゃおれは役に立てねェ」
しょぼくれた剣士を見兼ねたのか、或いは単に慎重なだけか。レンチを回収に来たピーカが言った。
途端、目を輝かせたディアマンテが身体を乗り出して尻馬に乗る。
「なァ、ピーカもこう言ってんだ。替えの剣をだな」
「いい。ヴェルゴがいれば十分だ」
「ロー! そりゃねェだろ!」
天を降り仰ぎ後ろに倒れた剣士を横目に、船長は小さなため息を吐いた。
「ここまでお前らを巻き込むつもりじゃなかったんだがな」
呟きはひどく物憂げで、それ故に本心からの言葉だと分かる。自然、不快げに顔を顰める最高幹部達だ。
トレーボルだけがしたり顔で頷いている。しかし、サングラスに隠れた眼光の鋭さは増し、どうにも気に入らないと物語っていた。
「ほら見ろ、躾が足りてねェんだ。お前らが甘やかすからこんな馬……んねー黙る黙る。おれァ何の事情も知らねェぴかぴかの新人だもんねー?」
「一番甘やかしてるのはトレーボル、お前だぞ。何せ、おれが死ぬのが嫌で事を起こすくらいだしな」
「……分かってんならそのズタズタの臓器さっさと整えろ。不出来な弟子がさぼってるとおれがさぼれねェだろうが」
「どこぞの師匠のサボり癖を継いだんだ。それもこれも師匠が悪い」
「うるせェ減らず口を叩くなクソガキ」
ついにせせら笑いの仮面をかなぐり捨てたトレーボル。一方、身勝手な船長は身体を反らしてその不機嫌そうな顔を見上げ、緩く口の端を上げる。
「そんなこと言っていいのか? お前が四皇相手に稼いだ武器と麻薬、実は船に乗せちゃいるが、態度によってはおれの総取りにするぞ」
「べへ⁉︎ 捨ててねェのか、どこだ?」
「船底。ついでに国の金も少しばかり拝借してきた」
「お前なァ……」
「なんだよ。後でちゃんと返すよ。大体、毛並みの良さを利用しろって言ったのはお前だろ」
「べへへ、今のお前は毛並みもクソも顔色が死体なんねー」
一気に機嫌を回復させていそいそと船底に向かう大男を見送り、黒衣の男は視線を巡らせた。
「お前ら、船降りねェのか?」
返事はない。
「ピーカ」
「聞かねェ。おれの方が兄貴分だからな」
「ディアマンテ」
「今のところ、お前の周りほど戦いに溢れてる場所はねェ。良い餌場を手放す馬鹿がどこにいる?」
「……お前ら、まったく話を聞かねェな」
「ロー、流石にそれは無理がある」
頼みの綱のヴェルゴにまで否定され、男は空を仰いだ。
「まァ、いい」
声に熱が通い、金の瞳が煌めく。
雪解けは今。
「付いてくると決めたからには、ゴチャゴチャ言わずにおれに従えよ? なに、心配するな。取るべきイスは必ず奪う」
トラファルガー・ローは立ち上がり、不敵に笑む。
「────ここからが本番だ」
時は流れ、場所は万国中心地であるホールケーキアイランド首都スイートシティに聳え立つ城。ホールケーキ城は祝賀ムードに包まれていた。
何せ今日はロイヤル・ウェディング・デー。
中でも最も煌びやかにして愉快な場所、城の屋上に設えられたるは本日のお茶会ならびに結婚式会場である。
隙間から甘い香りを漂わせる会場の扉を前にして、能面のような顔で立つのはドンキホーテ・ドフラミンゴ。仕立ての良い白のスーツは長い四肢に映え、隙のないオールバックもまたよく似合っていた。
隣には繊細なレースを惜しげなくあしらったコクーンシルエットの白いドレスを纏う愛らしい少女、シャーロット・フランぺが並ぶ。
既にゴンドラに乗り込んでいるもう一組、にやけ面が止まらないヴィンスモーク・サンジと淑やかに寄り添うシャーロット・プリンとは対照的に、ドフラミンゴとフランぺの機嫌は急降下していた。
「何故おれがこんなちんちくりんと」
「何ですって⁉︎ この私をつかまえてちんちくりんと言ったの⁉︎」
ゴンドラに乗ったはいいが、互いにそっぽを向く新郎新婦。はらはらと見守るスタッフを他所に、開式の鐘が鳴る。
高らかに響くトランペットの音と共にゴンドラが動きだし、不機嫌に他所を向いていたフランぺの身体が傾いだ。あわや転がり落ちる寸前、腕を伸ばしたドフラミンゴがその細腰を引き寄せる。
「危ねェな。掴まってろ」
「は? 助けて頂かなくても結構よ! 今は式の最中だから我慢してるけど、私は飛べるんだから!」
「そりゃあ悪かった。だが、お嬢ちゃん、式の最中にゴンドラから転がり落ちる花嫁ってのはどうにもしまらねェだろ?」
「私が落ちたらおにー様達が助けてくださるもの! ぽっと出の珍獣風情が偉そうに指図しないでちょうだい!」
ぷくりと頬を膨らませそっぽを向くフランぺの耳を小さな呟きが擽った。
「そうだな。誰だってお前みたいなかわいい花嫁を助けたいと思うに違いない」
「ふん、分かってるじゃない」
「だがな。今日、その栄華を享受するのはこのおれだ。それだけは譲れねェ」
「……え?」
思わずと言った様子で向き直った花嫁と視線を合わせ、ドフラミンゴは抑えた声で囁いてみせる。
「そのドレスもよく似合ってる……ところで、大事なアクセサリを一つ、忘れちゃいねェか?」
「アクセサリですって?」
「フッフッフ、笑顔だ。お前のお兄様方を蕩した、一等甘い笑顔をみせてくれ」
「あまい……」
「せっかくめかし込んだんだ。会場の奴らにも完璧なお前を見せつけてやりてェじゃねェか、な?」
「か、完璧?」
式、ひいては計画を円滑に運ぶべく、フランぺを抱き寄せたままの体勢でぼそぼそと説得を続けていたドフラミンゴは、ふと会場を見下ろした。
海運王に闇金王、歓楽街の女王に大手葬儀屋、倉庫業老舗、さらには世経の社長。裏社会の名だたる帝王達がつくテーブルに一人、見慣れぬ男が掛けている。
列席者の並びからして世界を動かす勢力の一人であるのは間違いないのだが、全く見覚えがない。
全ての要は情報と心得るドフラミンゴは、フランぺの肩越しに首を伸ばし、男の様子を確認した。
青みがかった黒髪に血の気の薄い肌、鼻の下には明らかな付け髭。緑色の丸い偏光グラスからのぞく金の光が眠たげに瞬いている。
他の客と並ぶと小柄な体躯を包むクラシカルなマントと大きな柄の入ったフリルシャツ。やたらにゴツい黒のグローブが繊細であろう指先まで覆い隠していた。
無駄に開いた胸元で、柔らかに編まれた飾り紐と子どもじみたペンダントヘッドが揺れる。
「────目が散る‼︎」
唐突に絶叫した花婿と心身共に引く花嫁を見上げ、男が唇を歪めた。
「結婚おめ──……」
「ロー、おま、それまさか罰ゲームか⁉︎ 何をやらかしたらそんな珍妙な組み合わせになるんだ!」
「え? おかしいのか? 正装と聞いて自分で選んだんだが……」
「正装⁉︎ お前のそれは仮装だ! 素材からデザインまで全部が全部喧嘩してんだよ! 脱げ! 今すぐ脱いでおれの言う通りに着替えろ!」
喚き散らす花婿という、式進行を絶妙に遮るアクシデントにあい、不穏な空気が漂い始める。
目を眇めたビッグ・マムが轟く声で問いを投げかけた。
「ジョーカー、これは一体どういうことだい? いつもは代役を寄越しやがるくせに、初めて本人が来たと思えば式の邪魔とはやってくれるじゃねェか」
「悪いな。だが、おれはあんたとヴィンスモーク家の縁組を祝いに来たのであって、そこの小鳥のことは知らなかった。おれにとっても想定外なんだよ」
「嘘つけ、毛程も驚いてねェくせに!」
「おめェは黙ってな!」
ビッグ・マムの一喝に口を噤んだドフラミンゴは先のやり取りを脳内で反芻する。
ジョーカー?
ジョーカーと言ったか?
ジョーカーとはローが裏で取引をする際に使っていた名だ。しかし、ビッグ・マム海賊団とトラファルガーは特段取引をしていない。恐らくは盟友で同じく四皇のカイドウに筋を通すためと思われる。
他に同名の革命家がいるにはいるが、その人物にしても正体不明かつ推定年齢も六十以上。
別人のはずだ。
そう。ジョーカーとは、苛烈に世界の変革を促す神出鬼没で神がかった謎の革命家────
「ローじゃねェか‼︎」
再び絶叫したドフラミンゴを眺めるフランぺは、もはや珍妙な動物でも見るような顔をしている。どう見ても新郎新婦のあるべき姿ではない。
黒足とヴィンスモーク家の暗殺を止めるための計画。自身の出自まで最大限に利用して潜り込み、麦わら達をフォローできるよう綿密に動いてきた。
こんな馬鹿げたアクシデントで全てを水の泡に帰するわけにはいかない。
だがしかし、ドフラミンゴがどう動こうが、あの男がいる時点で計画などあってもないようなものではないか。
まずい。
まずいまずいまずい。
胡乱気な目で睨みつけるビッグ・マムと首を傾げたローを前にして、ドフラミンゴは頭を抱えた。
「まったく、婿殿はなんだい。ジョーカーとはどんな関係なんだ? おれ達と同時期にトラファルガーのナワバリを荒らしていたようだが」
「ご存知の通り、王下七武海トラファルガー・ローを廃業に追い込んだのがこいつと麦わらだ。だが、恨んじゃいねェ。どの道もうそろそろこっちの活動に絞るつもりだったしな」
「ったく、なら邪魔するんじゃないよ。今日は晴れの日なんだ。心置きなくみんなで楽しもうじゃないか。なァ、ジョーカー?」
「無論だ、シャーロット。ドレスローザの件を別にして、おれにとってドフィはそう……甥っ子みたいなもんか? 可愛がってやってくれると嬉しい」
「甥っ子? そりゃあ初耳だ。Dの一族のジョーカーと元天竜人のドフラミンゴ、何とも面白い縁じゃないか。ヴィンスモーク家とも家族になって、その上こんなおまけまでついてくるとは、今日はなんてめでたい日なんだい!」
機嫌を取り戻したビッグ・マムが地を揺らす笑声を上げる。
一方、甥っ子発言に放心していたドフラミンゴだったが、ふいに何かが引っ掛かり首を傾げた。
D?
Dの一族と言ったか?
恐る恐るローを見る。
男はにこりともせず茶を啜り、ラズベリーフレーバーと思しきマカロンを指先で弄んでいた。グローブが邪魔くさくなったのか、ちゃっかり素手でのご賞味である。糖分摂取をラムネに頼るような男がスイーツを嗜む姿に目眩がした。
違う。思考が逸れた。
この男、秘密が多すぎる。
食い入るように革命家ジョーカーを見つめる偉丈夫から一歩離れ、頬を膨らませたフランぺが呟いた。
「何なのよ。この私がいるのに、ファザコンならぬオジコン? だっさ……」
渾身の蔑みにも気付かず、ドフラミンゴは考える。
式が終わったら着替えさせよう。
他はまだいい。せめて、あの珍妙な柄シャツとマントだけは何とかせねば。
ローが絡むと思考が爆発四散するドフラミンゴなのであった。
後日、復興に勤しむドレスローザの広場にて、国王と王女の王族二名が揃って頭を抱えていた。
二人の前には世界経済新聞、その号外が広げられている。
一面を飾るのは伝説的革命家『ジョーカー』。
三十年余り、世界各国でまことしやかに語り継がれてきた幻の人物だ。
ある時は悪政を敷く国王を討ち倒し、ある時は飢饉に喘ぐ民を救い、またある時は政府の重要拠点を完膚なきまでに叩き潰す。
活動範囲が異常に広く目撃者の証言にもばらつきがあり、その出没頻度も常軌を逸していた。さらには事が終われば煙のように消えるものだから、実存を疑われるどころか一部地域では神格化される始末。
神出鬼没、竜驤虎視。世界を掻き乱し続け、神速の変革を齎す千変万化の一個人。
もはや伝承の域に差し掛かっていた彼が、唐突に世間に顔を出したのだ。
軽くセットされた黒髪と口髭、薄い偏光グラス。
繊細な薄手のグローブに覆われた指先とは対照的なほど大胆に開いた白無地のシャツの胸元からは、禍々しい刺青と妙にアンバランスな子どもじみた意匠のペンダントがのぞく。
唇には笑み。
革張りの椅子に腰掛け優雅に微笑む姿は実に様になっており、悪人じみた外見とは裏腹にどことなく神々しさまで滲み出ていた。
しかしながら、この男。
どこをどう見てもトラファルガー・ロー、その人である。
「確かに海賊を辞めるようにとは言ったけど、いくらなんでもこれはないわ」
「やけに顔が広いとは思っていたが、成程、裏の顔があった……というより、活動頻度からして海賊が裏の顔だったのか」
思わず呻くヴィオラとリク王だ。
王下七武海の称号剥奪と同時に姿を消したトラファルガー・ローは、その足でビッグ・マム海賊団への
曰く、海賊に世界政府などもう古い
世界を変えたきゃおれに従え。
王下七武海として停止措置を施されていた懸賞金も瞬く間に跳ね上がり、四皇に迫る勢いだ。明明白白に世界転覆を宣言したのだから、当然のことではある。
インタビューの回答から鑑みるに、ロー本人はあくまで別人を装っているつもりのようだが、当たり前のように正体を看破されていた。
どうにも抜けたところのある人間なのだ。
唸る王族二人のそばを通りがかった少年もまた、手にした紙面を見つめ、苦笑を禁じ得ずにいた。
麦わらのルフィ、ならびに“怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ。二人の若き海賊が突き動かしたのは、凍り、錆びついた大きな歯車だ。
ひび割れ、自壊しかけていたその歯車は、今や世界を巻き込み激しい回転を見せ始めている。
「彼らさ、直したらまずい歯車を修理しちゃったんじゃないかな」
「どうなさったの、お兄様。急に独り言なんかおっしゃって」
「いいや、何でもないよ。さて、今日はどこを手伝いにいこうか?」
妹の手を引き、少年は歩き出した。
少年の目にうつるのは豊かな花々と賑やかな人々。瓦礫の中にあっても人の営みは連綿と続き、小さな幸せを見出しては喝采が上がる。
町を行く人々の傍ら、跳ね回り笑顔を振りまくのはトンタッタ族だ。
伝説は紐解かれ、八百年にわたる長き約束は今、形を変えて姿を現した。
人々は大きさの異なる手を取り、町を行く。
今や、彼らを隔てるものは何もないのだから。
荒波を行く旅人よ。
輝ける太陽に導かれこの国を訪れたならば、隣歩く愛らしい小人達を目にすることだろう。
だがしかし、驚くことなかれ。
彼らは親愛なる友である。
かつて妖精と呼ばれ離れ暮らしていた彼らは、今や共に歩む喜びを教えてくれる友なのだ。
長く険しい人生を渡る旅人よ。
もし、キミが憂いの波に飲まれてしまいそうならば、月のない夜に窓を少し開けておくといい。
新たなる約束の下、捻くれ者の黒き妖精がキミを訪れ、穏やかなる眠りを齎してくれるだろう。
ここは愛と情熱と妖精の国ドレスローザ。
御伽話と約束を胸に、人は歩み続ける。
最終話なのにプロローグ。これにて本編完結です。
ここまで見届けてくださってありがとうございました。
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