ONE PIECE novel.DD “怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ   作:ladybug

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World, Thy joys are a burden to me.

 

 散々だ。

 本当に散々だ。

 

 ドフラミンゴは苛立ちをぶつけるように前行く球体を蹴り付ける。

 バルトロメオの能力で構築されたバリアボールはいくら蹴り付けても傷一つつかない。理屈の上では問題ないはずだ。

 

「うっ、おえっ……ミンゴ、やめろこの!」

 

 非難の声が聞こえたようにも思ったが気のせいだろう。何せ無敵のバリアボールの中にいるのは新進気鋭の四皇様である。気遣う必要などあるはずもない。

 球体を膝で蹴り上げてさらに加速させた。

 ついに嘔吐寸前の苦鳴が漏れ始め、バルトロメオが歯を剥き出しにして怒鳴り散らす。

 

「もっと丁寧に扱え! ルフィ先輩の身に何かあったらどうするんだべ!」

「どうもこうも、まずは驚くだろうな。お前も不思議に思わねェか。バリアは無敵だってのに何がどうなって被害が起きるんだろうなァ」

「屁理屈を言うでねェ。仲間と逸れたからって当たり散らすのも大概に……あっ、覇気を込めるのはやめるんだべ!」

 

 後頭部で手を組んで聞こえないふりをし、一際強く蹴りを入れた。

 

「跳ねるんだべー!」

 

 速度を上げたまま小石に乗り上げ、もはや飛ぶ勢いでバウンドするバリアボール。もしや憧れのあまり、バリアにゴムの概念でも編み込んでいるのだろうか。

 顔面蒼白の麦わらを包み込んだまま、完全無欠の球体は空高く舞い上がる。

 無駄に神々しい。

 

「サニー!」

 

 バリアボールと共に打ち上げられた謎の生き物が楽しげに叫び、ドフラミンゴの肩に舞い降りた。

 

 そう、謎の生き物である。

 

 姿形は手乗りサイズの小さなライオン、のような何か。見た目としてはオモチャに近い。

 ルフィ曰く、この子ライオンもどきはサウザンドサニー号だと言う。言われてみれば船首そっくりの顔付きかつ雰囲気も船長に似ていた。

 これもウタの手による変化だとすれば、まったく考えるのも馬鹿らしいほど謎めいた能力だ。

 

 反面、意図については呆れるほどに明確。もはや明け透けと言って差し支えなかった。

 要はあの歌姫、寂しいのだ。

 聞けば、ライブ中、麦わらが船に帰ろうとしたことが彼女の激昂のきっかけだという。

 

 帰ってほしくない。

 だから、(アシ)を奪う。

 これほど直球のアピールが他にあるだろうか。

 

 肩の上ではしゃぐサニー号を無視し、ドフラミンゴは空を見上げた。

 

 本日は快晴。

 お日柄もよく視界良好だ。

 

 海賊狩りと称されたゲームは続行中のようで、町の至る所に観客や槍兵の影がある。今のところ何とか逃げ切ってはいるが、どうにも手詰まりだった。

 

「ミンゴ、蹴るなよ……うぅ」

「四皇が聞いて呆れるな。だがまァ、情けなさに免じてそろそろ遊びは終わりにしてやる」

 

 バリアボールに糸を巻きつけて止める。

 急制動に耐えたバルトロメオが非難の視線を向けてくるが無視。ボールの内側で助けを求めるルフィは嘔吐寸前だがこれも無視。

 思案に沈むドフラミンゴから飛び降り、サニー号がバリアボールの上に戻った。

 仔ライオンの能天気な間抜け面を眺め、ドフラミンゴはため息を吐く。

 

「おい、麦わら。お前、歌姫の能力については何か知らねェのか」

「おえ……だ、だして……ここから」

「出すのは後だ。質問に答えろ」

「あいつは、ウタは歌が得意で……う、おえっ」

 

 駄目だ。役に立たない。

 三半規管に翻弄されるとは四皇の名が泣いている。

 

「ルフィ先輩、我慢だべ。安全な場所まで出たら一度────」

 

 バルトロメオがルフィを宥めようとしたその時だ。

 

 異様な気配を感じ振り向くと同時、宙空が円形にくり抜かれた。

 瞬時に糸を紡ぎ構えれば、丸く空いた穴が扉のように開く。

 

 敵か味方か、現れたのは見知った顔だ。

 

「ルフィさん、お久しぶりです!」

 

 桃色の髪をバンダナであげたラフな姿に、精悍ながらどこかあどけなさの残る顔立ち。やや場違いなほど溌剌と挨拶をする青年、名をコビーと言う。

 これで海軍本部の将校なのだからなかなか侮れない男だ。

 続いて現れた大男、サイファーポールのブルーノとは現在協力体制にあるらしい。移動能力もブルーノによるものだ。

 

 両者から敵意は感じられない。コビーにいたっては嬉しそうですらあった。

 もっとも、再会を喜ぶべき相手は青息吐息でそれどころではない様子である。

 

「皆さんが無事でよかった」

「コビー、おれ無事じゃねェ……出して、おぇっ」

 

 世にも情けない四皇の姿に思うところでもあるのだろう。顔面蒼白のまま助けを求めるルフィを見つめ、ブルーノが何とも言えない顔をしていた。

 

 兎にも角にも顔を合わせた男達。

 四皇とその大船団に属する船長、元王下七武海、海軍大佐にサイファーポール。一堂に会するには妙な組み合わせではないか。

 ドフラミンゴは低く呟く。

 

「妙な顔ぶれが、何の用だ」

 

 警戒を感じ取ったのだろう、居住まいをただしたコビーがドフラミンゴを見上げた。

 

「ウタの件です。協力を仰ごうと皆さんを探していました」

「サイファーポールと海軍が手を組んで、その上、海賊の手まで借りようとはな。小娘一人ににご大層なおもてなしじゃねェか」

「事態は深刻です。ぼくらだけでの解決は難しい。どうか力を合わせてはくれませんか?」

「海賊が海兵に与するとでも?」

「ええ。皆さんならばと考えています」

 

 真摯に頷く青年将校からは信頼の念しか感じられない。しばらく無言で青年を睨みつけていたドフラミンゴだったが、ついに根負けし肩を竦める。

 

「まァいい。お前には借りがあるからな」

「ありがとうございます」

 

 礼を言い、コビーが柔らかく笑った。

 マリンフォードではニアミス、ロッキポートでは非公式の接触。意図したものでないにせよ、ドフラミンゴはこの青年将校の無謀極まる行動により益を得ている。肩書きを気にして無碍に扱うのは気が引けた。

 

「さて、大佐殿。まずは情報共有といこうじゃねェか。改めて状況を説明してくれ」

「はい。ウタがライブを行う前から──」

 

 雰囲気につられたコビーが報告を始める。その視線はルフィに向かっており、背を伸ばし告げる様はまるで上官を前にするかのようだ。

 

 そうこうしているうちに海賊を探す民衆の声が近付き、一同は移動を開始した。

 見聞色の覇気に長けるコビー、そして諜報方のブルーノが先行し、ドフラミンゴが殿を務める。

 辺りを警戒しつつ前進し、一行は話を続けた。

 

諜報(CP)のお前らが情報の速度で他所に劣るはずもねェ。アレを見たな?」

「ネズキノコか」

「事前にライブを止めねェ理由は何だ」

「答える義理はない」

 

 素気無いというよりは温度のない返答。しかし、事前に把握していたという推測はあながち外れていないようだ。

 世界政府の都合で歌姫への干渉に待ったがかかっていたとみて間違いない。

 顔を顰め、ドフラミンゴは鼻を鳴らした。

 自家中毒でもあるまいに、これ以上自ら気分を害するのも馬鹿馬鹿しい。詮索を中止し、コビーの説明に耳を傾ける。

 

「この世界は現実ではなく、ウタがウタウタの実の能力で作り出した架空の世界なんです」

 

 コビーが語る歌姫の能力はあまりに壮大だった。

 

 それは歌を聴いた者の心を架空の世界に拐う力。

 意識を取り込まれた人々は歌姫の作り上げた理想郷で生きているように錯覚させられる。

 争いも病もない、悲しみを排した夢の世界に。

 

 能力が万能に過ぎると思っていた。

 全てが(ゆめ)の産物ということか。

 

 飛び跳ねる仔ライオンの姿を眺め、ドフラミンゴは眉間の皺を押し伸ばす。

 

「言わば、あの女はこの世界限定の神なんだな」

「ええ、その通りです」

 

 神妙に頷くコビーのそば、バリアボールの中から間の抜けた声が漏れた。

 

「そういやあいつ、そんな能力持ってるとか言ってたな。あいつが歌うとみんないつの間にか寝ちまってたっけ」

「ご存知だったんですね……」

「ルフィ先輩、そりゃないべ!」

「わりィ、忘れてた」

 

 硬直するコビーと頭を抱えたバルトロメオを前にしながら、ルフィはあっけらかんと笑った。

 呑気にも程がある。

 同盟の悪影響なのだろうか。『麦わらはこういうもの』などと、いち早く諦めの境地に至ってしまうドフラミンゴだ。

 

「麦わらの話を加味すれば、現実世界のおれ達は仲良く昼寝中ってことでいいのか?」

「はい。ですが、おそらくぼく達の身体はウタの支配下にあるはずです。彼女は眠りに落ちた人々の身体を操れる」

「仮想世界を構築、維持しながら、さらに現実世界にも干渉し続けている、と。呆れるほどのマルチタスクじゃねェか」

 

 実に神がかった能力だ。発動要件が容易なわりに規模が桁違いである。何となくどこぞの黒衣の男を思い出し、げんなりしてしまった。

 とんでも能力持ちのカリスマときたら、やることがえげつない。崇められるのも納得の馬鹿馬鹿しさだ。

 

「現実に戻る方法は見つかったのか?」

「ウタウタの実の能力は体力消費が激しく、ウタが消耗し眠れば能力は解除されます」

 

 未だ事態の深刻さを把握しきれていないバルトロメオが問う。

 

「ウタ様が疲れて眠るまで待てばいいんだべ?」

「いや、話はそう簡単ではない」

 

 静観に徹していたブルーノが口を開いた。

 集中する視線を物ともせず、大男は続ける。

 

「あの女はライブ前にネズキノコを摂取している。食べた者は眠れなくなる毒物だ」

「毒って、ウタ様はそんなもの食べて大丈夫なんだべか?」

 

 ブルーノは背を向けたまま。答えは返ってこない。

 しかし、立ち止まるコビーの顔には憂いが浮かんでいた。

 青年将校の瞳に一瞬の迷いが過ぎる。それはルフィを思ってのことか、それとも正義を背負う者としての苦悩か。

 青年はゆっくりとかぶりを振る。

 

「眠れないまま能力を使い続ければ限界が来ます。遠からず現実のウタの体力は尽きるでしょう」

「てことは、つまり……」

「ええ、彼女は死んでしまう」

 

 コビーの言葉と同時、バリアボールが弾けた。否、バルトロメオが能力の維持に失敗したのだ。

 解放されたルフィが呟く。

 

「ウタが死ぬ?」

「はい……彼女の命は、もって数時間です」

 

 コビーが唇を噛み締めた。明瞭簡潔に答えているわりにその拳は微かに震えている。

 また、問う側の麦わらにしても彼らしくもなく呆然とした様子だ。

 どうにも痛々しくてよくない。

 眉間の皺を指で伸ばし、ドフラミンゴはため息を落とした。

 

「それで、どうする。タイムリミットは数時間後ってことでいいのか」

「んん? ウタ様を生かしたまま何とかするつもりだべ?」

 

 訝しげに首を捻るバルトロメオの傍らで、ルフィがゆっくりと拳を握る。青年の身体にじわりと広がる決意を横目に、ドフラミンゴは肩をすくめてみせた。

 

「小娘一人死んで事が済むなら殺すまでもねェ、待てばいいだけの話だ。なら何故、役人共が出張る必要がある? あの女を生かす理由があると考えるのが普通だろう」

「その推測は正しい。奴が死ねばこの世界は閉ざされる。取り込んだ人間も諸共に、だ」

 

 ブルーノにより淡々と告げられた答えから浮かび上がる歌姫の計画、その全容。

 

「民衆を理想郷に引き込んで永遠に閉じ込める。それが歌姫の計画なんだな」

 

 つくづく、救われない。

 ドフラミンゴは眉を顰める。

 

 かつて、トラファルガー・ローは自身の死を爆心に世界を地獄へ突き落とそうとした。

 歌姫が為そうとするはその真逆。自らを焚べて楽園を創り出すことこそが彼女の狙いなのだ。

 

「それで、大佐殿。対抗策は?」

「潜入して探ってはいたのですが、まだ。今はこの後に備え戦力を集めているところです」

「別動隊がいるのか」

「ええ、ヘルメッポさんが。麦わらの一味も拘束を脱して情報収集にあたってくれています」

「あいつら、無事だったんだな!」

 

 一瞬喜びに顔を上げた麦わらだったが、頭に手をやったところで触れた物がいつもの帽子ではなくサニー号の化身であったためか、目を白黒させている。

 代わりに前にでるのは麦わらの一味フリーク界における第一人者バルトロメオだ。ドフラミンゴを押し退け、熱狂者はずずいと前に出る。

 

「先輩方はどこにいるんだべ?」

「伝承にヒントがあると踏み、城に向かった。ニコ・ロビンが主導している」

「さすがだべ! 先輩方に任せておけば万事解決、間違いねェ!」

 

 回転し謎の舞を踊るバルトロメオへ白い目を向けつつ、ドフラミンゴはかぶりをふった。

 

「伝承なら書庫が目当てだろう。先に足を伸ばしたが、中々の所蔵数だった。限られた時間で手掛かりを得られるかどうか」

 

 黙り込んでしまったルフィへと視線を傾ける。

 

 唇を引き結んだルフィ、その背に麦わら帽子はない。今や四皇に名を連ねる大海賊もこうしてみると見かけは普通の青年だ。

 しかし、その胸中はどうなのだろうか。

 彼は命を賭して何かを成し遂げる者の覚悟とその重みを知っている。そして、手の届く距離で大切な者を喪う恐怖と絶望も知ってしまっている。

 ルフィにとって、歌姫は傷付けたくない相手のようだった。死ぬつもりでこの場に臨んだ幼馴染に、彼は何を思うのだろう。

 

 ドフラミンゴは静かに問う。

 

「麦わら、お前はどうしたい」

 

 俯いていた青年が顔を上げる。

 その目には迷い一つない。

 

「ウタを止めたい」

 

 揺るぎない声で告げるルフィに、ドフラミンゴは口の端を上げてみせた。

 

「フッフッフ、そりゃあ良かった。神モドキの歌姫に加えて新米四皇を相手取るのはさすがに面倒だ」

「ミンゴ、手伝ってくれるのか?」

「馬鹿を言え。お前がおれを手伝うんだ。いくら幸せだろうと狭い鳥籠で飼われるのはごめん被る」

 

 ルフィがどこか安堵したように笑った。肩から力の抜けたその背を軽く叩き、前方の廃墟を指差す。

 

「このまま進んで戦力を集めろ」

「ミンゴは? 一緒に行かねェのか?」

「おれは野暮用ついでに元国王を回収する。あの様子じゃまだ何か隠してるだろうしな」

 

 告げながら糸を紡いだ。瞬く間に編み上げられたのは“影騎糸(ブラックナイト)”の分体二体。その内の一体が更に分裂し、十数体へと分かれる。

 

「お、電伝ミンゴだ! お前ほんとに便利だなァ!」

『何度言わせる。“衛星糸(サテライト)”だ。電伝虫じゃねェ』

 

 『電伝ミンゴ』──ではなく“衛星糸(サテライト)”の分体が抗議した。額に青筋を立てる姿は糸で作られたとは思えないほどに精巧だ。

 少年サイズから手乗りのオモチャサイズまで複数体に分かれた彼らは思い思いの方角へと飛んで行く。

 

『さて大佐殿、ここからは別行動だ』

「え? ええ?」

 

 残った一体がコビーの肩へとよじ登り、足を組んで腰掛けた。踏ん反り返る小人サイズのドフラミンゴを見つめ、若き大佐が目を白黒させる。

 

「小さなドフラミンゴさん? これは一体……」

「どうせ通信手段もねェんだろう。何かあったらこいつらを伝達代わりに使え」

「コビー、電伝──チビミンゴはすげェんだぞ。一人に言ったら国中に伝わるんだ!」

「ルフィ先輩、その言い方だと噂好きのおばちゃんみたいだべ」

 

 けらけらと笑う二名の馬鹿は無視。それとなく分体を観察しているブルーノから視線を逸らし、ドフラミンゴは“衛星糸(サテライト)”の仕様を語ってみせた。もちろん詳細は濁しつつである。

 

「“衛星糸(サテライト)”は全個体で情報を共有する。城に向かった麦わらの一味や大佐殿の仲間の下にも向かわせた。こいつらの目で島全土を確認しつつ事にあたるといい」

「ありがとうございます! 助かります!」

「フッフッフ、礼には及ばねェさ。同じ民衆の希望でも大佐殿の方がいくらかマシってだけの話だ」

 

 コビーの真摯な目を見ているとどうにも腹の底がむずかゆい。

 頭をかきながら応えれば、ブルーノが平坦さを保った声音で問いかけてきた。

 

「やけに協力的だな」

「そう言うお前はいやにのんびり構えてるじゃねェか。どうした? サイファーポールともあろうものが、まさか知らねェのか?」

「何の話だ」

「“ジョーカー”が来ている」

 

 端的に告げ、ブルーノを見下ろす。僅かな変化ではあるが、緑のジャージに包まれた肩に力が入った。

 

「どうやらご存知ない様子だな」

「あの男が絡んでいるならば状況はより困難だ」

「困難とはな。笑わせてくれるじゃねェか」

「何?」

「あいつの暗殺を幾度しくじった? 両手両足の指にてめェらの首一揃え、全部足してもまだ足りねェだろうに」

「…………」

「正しい表現を教えてやる。そういう状況はな、絶望的というんだ」

 

 世界政府直下の諜報は沈黙を選び、ドフラミンゴはその姿を嘲笑う。どうにもサイファーポールとは仲良くやれる気がしない。

 父が天竜人の座を降り迫害を受けた幼少期、ファミリー時代、恩人との旅の間、旗揚げ後。何度も彼らと接触する機会があり、その記憶全てが胸の内に不愉快なしこりを残していた。

 コビーとルフィが気掛かりそうに様子を窺っている。仕方なく舌打ちをしてブルーノに背を向けた。ひらひらと手を振って促す。

 

「お役人を甚振ると後が面倒だ。準備が出来たらさっさと行け」

 

 一つ頷き、コビーが走り出した。それを追うようにブルーノとバルトロメオが進む。

 

 

 これでいい。

 巻き込むのはさすがに気が引ける。

 

 

 先程からドフラミンゴ達の後を追う気配が一つ。

 全員気付いていただろう。何せ、相手は追跡を隠そうとしていない。

 政府方の人間はともかく、麦わらはその気配が誰のものかも気付いていたはずだ。

 コビーを追いかけ少し走った先、立ち止まったルフィが振り向く。

 

「ミンゴ、野暮用って」

「お前も気付いてただろう」

 

 言葉にした瞬間、脳天が焦げ付くほどに強烈な視線が降り注ぐ。

 背筋が粟立つ感覚にうんざりしつつ、ドフラミンゴは手を振って青年を促した。

 

「いつものことだ。時間もねェし、さっさと済ませる。先に行け」

「いいのか?」

「フッフッフ、心配してくれるって?」

「心配とかそういうんじゃねェけどよ……お前、また一人だから」

 

 ルフィが頭を掻いた。

 心配は心配でも、ドフラミンゴの安否を気にかけているわけではない。

 この青年は馬鹿のように見えて本質を捉える力に長けているのだ。

 

「やりすぎんなよ」

 

 念を押すようにルフィが言う。その目を見返し、肩を竦め笑ってみせた。

 走り出す青年の背にむけ呟く。

 

「ただの遊びだ。本気になるわけねェさ」

 

 その瞬間、気配が濃く烟った。

 

 

 来る。

 

 

 咄嗟に糸の網を生み出し上空に向かって放出。コンマ数秒遅れて衝撃音が響いた。

 

 中距離からの爆撃、奇襲だ。

 

 左後方の建物から飛び降りてきた襲撃者が石塊を投擲。着弾の衝撃で足下の地面が捲れ上がり土煙が辺りを覆う。

 視界が悪い。

 

「毎度毎度小賢しい真似を!」

 

 糸の鞭を振う。土煙を霧散させ、肉薄する襲撃者へと追撃を放った。

 狙うは胴。手足を拘束しても引きちぎられるが関の山だ。それどころか、下手を打てば糸を絡め取られ逆に引き倒される危険もある。

 鋭い音を立て空を切り裂く糸の鞭。しかし、襲撃者は宙を蹴り、空中で後転することでこれを回避した。

 

 襲撃者が回避に用いた技は六式“月歩”。

 海兵時代の技を使ってくるとは盗人猛々しいと罵るべきか否か。

 何にせよ、長年潜入し中将まで上り詰めただけあって、攻防の判断は苛烈かつ実直だ。

 

 

 逆さに宙を舞うその背には正義の二文字。

 白い衣がはためき、空を覆う。

 

 

 眉間に青筋を浮かべるドフラミンゴの上空、襲撃者は覇気で全身を硬化させた。

 男は黒の巌と化した身体を捻り、足を大きく振り上げる。

 

 衝撃。

 

 全体重が乗った一撃だ。両腕を交差し受け止め、その勢いを殺しながら襲撃者を投げ飛ばす。

 しかし、相手も手だれ。こともなげに後方へ転回し、横凪に得物を振るった。

 武器はおなじみの竹竿だ。

 

 毎度ながらふざけている。

 黒く染まった竹竿を掴み、ドフラミンゴは口の端を吊り上げた。

 

「ご挨拶じゃねェか、ヴェルゴ。その格好はどうした。またいつものうっかりか?」

「これか。古巣に忘れ物を取りに行こうとしてね」

 

 サングラスを押し上げ、ヴェルゴが嗤う。筋骨隆々の四肢に纏うは純白の外套。本来海軍将校のみに許される正義の二文字だ。

 またぞろ潜入していたのだろう。しかし、いくら混乱の最中とは言え、ヴェルゴクラスの離反者が変装の一つもなしに潜れるとは、海軍のセキュリティはどうなっているのか。

 顔を顰め、ドフラミンゴは両手に力を込める。

 

「古巣ねェ。ここにいるってことは『取ってこい』は無事成功したのか。小屋に帰って飼い主に褒めてもらっちゃどうだ」

「言われずとも。ついでによく囀る小鳥でも咥えて戻れば彼も喜ぶだろうか」

 

 互いの筋肉が軋む音すら克明に聞き取れる距離で揶揄し合う。

 

 パンクハザード、ドレスローザ、ホールケーキアイランド、そしてワノ国。

 幾度となく遭遇したヴェルゴとドフラミンゴだが、二人はその都度拳を交えていた。

 大概はただの牽制で終わる。今のところドフラミンゴが一勝六引分のやや優勢だ。

 しかしながら油断は出来ない。何せ、ヴェルゴの後ろにいるのはトラファルガー・ローなのだから。

 

「ところで、ヴェルゴ」

「ヴェルゴ()()だ。ローに学んだ者なら礼儀ぐらいは弁えておけ」

 

 面倒臭い。そもそも当のローが割と礼儀を軽視する上に行儀すら悪いのは気のせいだろうか。

 思わず鼻頭に皺を寄せたが、気を取り直して腕に力を籠める。明らかに精度と威力の上がっている攻撃を強引にいなし、ドフラミンゴは首を鳴らした。

 

ヴェルゴ(・・・・)、お前は何をしにきた。ローとは別行動だと聞いたが違ったのか」

「答える義理はない。だが、隠す意味もないな。うっかりだ」

「…………?」

「元々ここに来る予定ではなかった。確かにこちらに向かってはいたがそれは別件のためであってライブに参加するためではない。気付いたらエレジアにいて失敗を悟ったわけだ」

「何を言ってるのか分からねェがお前がまたやらかしたことだけは分かる」

 

 ドフラミンゴにこき下ろされ、ヴェルゴが肩を竦める。真面目に答える気などないのだろう。いや、むしろこれで真面目なつもりかもしれない。

 ローと合流して以来どうにも抜けた様子の目立つ元潜入員だ。飼い犬は主に似ると言うが、はた迷惑なことである。

 

 それにしても、だ。

 

 ドフラミンゴは胡乱な目でヴェルゴを見つめた。

 面構えは至極どうでもいい。ただ、頬に張り付いた物が気になる。

 

 米粒からハンバーグ、はてには器に入った汁粉まで。どこぞのパンク小僧よろしく様々な物体を吸着してきた問題の頬。

 今回のお弁当は謎のガジェットであった。

 食物はギリギリ許容範囲内であったが、どんな技を使えば顔面上で機械類を保持できるのだろうか。二重の意味で気になってしまう。

 

 外観から推測するに機器の正体はおそらく遮音装置。通信機能も搭載されているかもしれない。

 歌姫への対抗策だろうか。

 

 よくよく思い返せば、ローのグローブも妙だった。ドフラミンゴの耳を塞いだあの感触。薄手のわりに遮音性の高い作りになっていた。恐らく軽く電気を通せば完全な遮音が可能となる代物だったのだろう。

 そうなると、ローが出てこないのにも納得がいく。あの男は未だ現実世界で暗躍しているのだ。

 

「ヴェルゴ」

「何だ」

「あいつは歌姫の計画に関わってねェよな?」

 

 思いの外深刻な声音を出してしまい、眉間に皺が寄る。

 何とも言えない顔、というよりは呆気に取られたような表情でヴェルゴが手を下ろした。

 サングラスのせいで視線が辿りきれず、真意が読み取れない。焦燥が喉を迫り上がり、声がまろび出てしまう。

 

「民衆の理想郷なんざお前らには関係ねェ。それでも世界と心中するなら話は別だろう。お前らと歌姫の目的は競合する。だから、違うとは思ってるんだ」

「…………」

「だが、もし、だ。お前らが歌姫と手を組んで世界転覆を成そうとしたなら。いや、むしろ今のあいつなら全部投げ出して、あの女と……」

 

 混乱と焦燥。声は上擦ったまま、まとまりのない考えが曖昧な言葉となって止めどなく溢れる。

 沈黙を保つヴェルゴに焦れ、ドフラミンゴはさらに言葉を重ねようと一歩を踏み出した。

 

「答えろ、ヴェルゴ。ローは────」

 

 返ってきたのは小さな笑声。

 咄嗟にだろう。腕で口元を覆ったヴェルゴ、その肩が震えている。

 

「何を笑ってる」

「いや、失礼。存外可愛いところもあるものだと思ってな」

 

 馬鹿にされている。

 羞恥のあまり頬が引き攣りそうになった。

 

 確かに考えなしの問いかけではある。だが、ローの思考など読めるはずもないのだから問いただす方が早い。本人不在ならば右腕にと考えることの何が可笑しいのか。

 いや、重々理解はしていた。

 ドフラミンゴは部外者、ファミリーから見れば裏切者である。どの面を下げて問いを投げかけているのかという話だ。

 

 理解していても腹は立つ。

 歯を食いしばり罵声を堪えていると、ヴェルゴが咳払いと共に笑みを消した。

 

「悪くない冗談だった。笑わせてくれた礼だ。不躾な質問に答えてやる」

 

 堂に入った、いかにも軍人といった立ち姿。潜入活動の小道具とは言え、背負う正義の文字も相まって威厳が滲む。

 唾を飲んだドフラミンゴを見上げ、トラファルガー・ローの右腕はただ一言告げた。

 

「あり得ない」

 

 迷いのない断言だった。

 

「彼が目的を見失うとでも? 馬鹿なことを考えたものだ」

「だが、歌姫の計画でも世界は崩れる。方向性は違えど結果は同じだろうが」

「違うな。方向性どころか何もかもが違う」

 

 ヴェルゴは手にした竹竿を地に叩きつけ、傲岸に言い放つ。

 

「彼が成すのは地獄。泡沫の楽園などわざわざ求めるまでもない」

 

 遠く響く歓声。民衆の声。

 救世主の進む先々で紡がれる祝福のパレード。

 ひと匙の狂気と圧倒的な幸福に満ちた音色は、されど、目の前の男には届かない。

 歌姫の編み出した世界を鼻先で否定し、地獄の番犬さながらの様相でヴェルゴは嗤った。

 

「新時代か。彼にかかれば瞬き一つで創り壊せる、子ども騙しのオモチャではないか」

「騙されていたい人間なんざ山といる。ローの信奉者共もそう違いはねェだろう」

「彼に触れ、仰ぐことを許された幸運にただ耽溺するだけの者などいない。厚顔の輩をのさばらせておく我々ではないからな」

「それを今のローが許すか? 殺しなんざ策としては下の下だろうが」

「元より死で償える罪だとは思わんよ」

 

 ヴェルゴの声は異様に低く、心胆寒からしめるほど。

 トラファルガー傘下といえば、ローを神のごとく崇めつつ狂信的なまでに高みを目指す異常集団。その最たる存在であるファミリーは通常運転のようだ。

 尤も、異常の頂点はロー本人であるからして当然といえば当然なのだが。

 

 

 だからこそ、確信できた。

 今回の件、ローは噛んでいない。

 

 

 眉間の皺を指の腹で押し伸ばし、鈍る思考に蹴りを入れる。

 

 悪行の限りを為せどその過程で救われた者も数えきれず。ローの歩みには死と救済が纏わりついてきた。

 故に、悪党でありながら救国の英雄だ救い主だと讃えられることも少なくない。

 しかし、実際のところ、あの男自身は他者を救おうなどと考えているわけではないのだ。

 国々が蹴り崩される一方で、偶々救われる者がいた。それだけの話である。

 

 何が救世主、笑わせる。

 トラファルガー・ローの目的は今も昔も世界の破壊なのだ。

 

 思考の整理がつき気が抜けた。眉間を揉むドフラミンゴを見上げ、再びヴェルゴが笑う。

 

「それにしても随分と余裕がないな。敬愛する伯父君と離れて不安か?」

「あいつはおれの伯父じゃねェだろう」

「そうだった。ローは貴様のような青二歳とは完全無欠の無関係だった。面の皮の厚い雛鳥め、恥を知れ」

「何なんだよてめェは……!」

 

 歯を剥き出しにして威嚇すれば、ヴェルゴは惚けた様子で肩を竦めた。

 

「とにかくだ。ローは歌姫の計画に噛んでいない。利用はしたがな」

「は?」

「歌姫が動けば世界が動く。隙を狙う好機だ」

 

 素直に教えてくれたのは意外ではあったが、ヴェルゴは嘘をつくような男でもない。トラファルガー・ロー御一行は各自火事場泥棒に勤しんでいたわけだ。

 自身らの暴力と煽動で世を荒らすことも出来ように相も変わらず慎重な駒運びである。

 

「ヴェルゴ、お前がこちらにいることをローも把握していると思うか?」

「恥いるばかりだが、彼が知らぬことなど何もない。おれの失敗も計画の礎として利用してくれることだろう」

「いやそれは流石に無茶振りじゃねェか」

 

 思わず突っ込んでしまう。

 ヴェルゴ本人は真面目に答えたつもりだったようで、眉間に皺を寄せ全身で不快を表明してきた。

 

 主が主なら右腕も右腕である。

 まったく付き合いきれない。

 深いため息を吐き、完全に警戒を解く。

 

「もういい。とりあえず、ローは歌姫とは無関係で、お前がここにいるのも単なるうっかり。お前らは騒ぎに便乗し、計画そっちのけでのんびり遊行をかましてる。これでいいな」

「一つ訂正しておこう。ローは遊びにも全力を投じる。のんびりという表現は当てはまらないだろう」

「……と、いうと?」

「最近の彼は主体的かつ活動的でな。舞台がつまらなければ観劇をやめて飛入参加も辞さない」

 

 他人の計画に相乗りした挙句、気に入らなければ主導権を握り好き放題というわけか。

 有り体にいって最低だ。

 

「迷惑にも程があるな」

「何を言う。彼の描くシナリオこそ至高だ。むしろ感謝されるべきだろう」

 

 したり顔で讃えられても困る。

 いくらなんでも自由がすぎるだろう。

 

 とは言え、昔からトラファルガー・ローとはそういう人間だ。

 他人と世相を操る消極的な破壊工作から、自ら暴れ説き伏せて回る積極的な世界転覆活動に方針を転じただけの話である。

 やはり迷惑極まりなかった。

 

「それで? 歌姫の計画にも口を出しそうだって話か?」

 

 渋い顔で非難の目を向けるドフラミンゴを見上げ、ヴェルゴが続けた。

 

「少なくとも制止はしまい。元より、彼はあの小娘に関心を寄せていた」

「そりゃそうだ。知名度がずば抜けてる上世間知らずとくれば、思想を流布させるにはもってこいの駒だろう」

「あるいは、現実逃避と紙一重の使命感が誰ぞを想起させるのかもしれない」

「……コラさんのことを言ってるなら見当違いだ。あの人は現実に立ち向かった」

「そうだろうとも。耳目を塞いだ挙句の思い込みを現実と呼ぶならばな」

 

 ヴェルゴは嫌悪を隠そうともせず吐き捨てる。

 しかし、それ以上は言及せず、話を切り替えるように歩き出した。

 

「さて、ドフラミンゴ。賢しい貴様なら現実のエレジアで起きる衝突を予測できるだろう。どうなると思う?」

「世界政府そのものの動きは鈍い。何か事情があるらしいな。だが、海軍は既に動いている。事が世界規模だ、大将格が事態収束に出てもおかしくはねェ」

「順当だな。大将格であれば、殺傷を避け歌姫を鹵獲できるだろう。容易い任務だ」

 

 要は歌声を聴かなければ良いのだ。歌姫の能力が及ぶ範囲は歌の世界と、その世界に心を囚われた人々の抜け殻のみ。

 先に会場入りしていた者はともかく、後から到着する海兵らは耳でも塞いで事にあたればいい。強大な能力者とて、所詮は生身の小娘なのだから。

 

 そう考えて、ドフラミンゴは首を捻った。

 

「うん……?」

「どうした」

「容易い任務にしては時間がかかりすぎちゃいねェか。もうそろそろ解決しても良い頃合いだろうに」

「海域到達に手間取っているのではないか?」

 

 ありえない。

 歌姫の暴走は元より予測できた事態だ。事実、海軍もサイファーポールも先行潜入している。

 さらに言えば、ライブ前、近域に待機する戦艦もこの目で確認していた。

 ヴェルゴも同様の思考に至ったのか、歩を進めつつ話を続ける。

 

「ライブに乗り遅れた海賊共が民衆を盾に暴動を起こしたならばどうだ。暫く海軍は動けまい」

「成程な。間の悪いことに現地には煽動のプロがいる。ローの奴、煽るだけ煽って高みの見物でもしてる頃か?」

「見物か。茶菓子が充実していればいいのだが、エレジアにも銘菓などあるものだろうか。最近、彼は食にも関心を取り戻して────」

 

 足並みの揃わなかったヴェルゴとドフラミンゴ、その靴音が同時に止まる。

 

「煽動の、プロ……」

「……彼に限って、そんな」

 

 二色の呟きは重なり、サングラス越しの視線が絡み合った。

 

 理由はない。

 ただ、嫌な予感がする。

 

 偶然が重なった結果とは言え、自ら動き出したトラファルガー・ロー。

 十三年、人知れず停滞の中にあった彼は、ここ最近どうにも奔放がすぎる。

 

 万国では混乱の最中も呑気に茶を啜り続け、事態をまるっと無視して世経の社長にアポを取り付け出立。

 ワノ国では記憶喪失のビッグ・マムに付き添って汁粉を探し求めていたかと思えば、誰の味方をするでもなく夕餉を愉しみつつ観戦。最終決戦後はニコ・ロビンと何事かを話した後、不死鳥のマルコを追いかけ何処ぞへと去って行った。

 そして、その後は────

 

 黒ひげ一派との激戦を思い出してしまい、眉間に皺が寄る。

 ローの言葉を思い出さなければ、ハートの海賊団は壊滅的な被害を受けていた。しかし、黒ひげと邂逅する羽目になったのはそもそもローのせいでもある。

 

 無秩序で衝動的。そうかと思えば目的だけはきっちり果たして利益を掻っ攫っていくのだから最悪だ。

 

 

 そんなローが、このエレジアにいる。

 狂気的な思想を掲げた歌姫のいる、この島に。

 

 

 まず間違いなく、あの男はやる。

 乗っ取りか、協力か。方向性は推測不能だが、歌姫の背を押して被害を急速に拡大させるに違いない。

 また、ローが動けば、海軍の大半を無力化することなど造作もないだろう。

 

 まずい。

 このままでは楽園に閉じ込められかねない。

 

「ヴェルゴ……ヴェルゴ?」

 

 焦りも隠さず呼びかけるも、何故だろうか。

 反応がない。

 

 肩を掴んで揺らしてみた。見れば、額に青筋が浮かんでいる。心なしか血の気も引いて見えた。

 自責の念を堪えているような、憂慮に沈んでいるような、どうにも複雑な表情だ。

 

「どうした。何か気付いたことでもあるのか」

「貴様には関係ない。先を急ぐぞ」

 

 駆け出すその背には偽りの正義。突如外套を翻し走り去る姿に呆気に取られた。

 しばし呆けていたドフラミンゴであったが、苛立ちに口元を引き攣らせつつ自身も走り出す。

 

 ヴェルゴの反応が気になるものの、今は考察を垂れ流している場合ではなかろう。まずは現状打破、それが一番の課題だ。

 何にせよ、“怪盗”には立ち止まっている暇などないのだった。

 




タイトルはバッハの作品からお借りしました。ドイツ語原題は『Was frag ich nach der Welt』で、世に知られている日本語タイトルは『世よ、汝の喜びは我が重荷なり』。
日本語タイトルは直訳ではなく意訳で、歌詞と内容を汲んだものだそうです。大元になる歌詞の芸術性が高すぎるんですよね。並列表記で文脈を損ねず使用可能な同音対義語なんてあるんだなと驚かされました。
日本語訳でも英訳でもその語感や意味合いを再現できず、今回は直訳で。
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