ONE PIECE novel.DD “怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ   作:ladybug

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Come,sweet death.

 

 

 夢をみた。

 

 潮風と笑声、他愛もない野次に指笛の音。

 風をはらんでマストがはためき、海猫の鳴く声と共に船は進む。

 ウタはあくびを噛み殺し、伸びをした。

 男達の騒ぐ様を眺め、欄干に背を預けたまま柔く頬を緩ませる。

 

 まったく、年甲斐もない。

 

 そう思い苦笑はすれど、彼らの生き様が格好悪いなどと感じたことはなかった。

 ウタがうんと幼い頃から変わらない、呑気で自由な海賊達の戯れ。

 何ということもない日常風景。

 

 だが、何故だろう。

 この騒がしさが今、殊更大切に思えるのは。

 

 まるで────

 

 思考に沈みかけたウタはふと顔を上げた。

 呼び声が聞こえたのだ。

 

 懐かしい。

 懐かしい?

 

 いつも耳にしているはずの声が酷く朧げに聞こえ、ウタは首を傾げる。

 

 とにかく返事をしなければ。

 喜びに語尾が跳ねてしまわないよう胸を押さえ、声をあげようとして、そこで気付いた。

 

 

 これは、夢だ。

 

 

 いつの間にか風景は変わり、ウタは燃え盛る町を見下ろしていた。

 世にも悍ましいバケモノが暴れ回っている。人々を、その暮らしを、全ての命を蹴散らして。

 もはや悲鳴など聞こえはしない。

 皆、殺された。

 皆を殺したのは、他の誰でもない────

 

 

 ああ、それでも声が聞こえる。

 バケモノと化したウタを呼び戻そうと、声を枯らしてその名を叫び続ける彼らの声が。

 

 

 惨憺たる情景を他人事のように眺め、ウタは膝を抱え背中を丸めた。

 

 どんなに願っても現実は変わらない。

 夢から醒めたとて違う悪夢が続くだけ。過去が消えるはずもなく、未来まで侵食されて崩れていく。

 

 もう見たくない。何も知りたくない。

 何も考えたくない。

 いっそ全てを捨てることができたなら良かった。

 だが、それもできはしないのだ。

 

 世界の歌姫。

 “海賊嫌い”のウタ。

 

 愛されていた。

 愛されている。

 思いの全てがあまりに重く、苦しい。

 

 眠るたびに追い詰められ、夢の中でさえ逃げこめる場所を求め続けた。

 歌以外の方法を知らないウタは、耳目を塞ぎ嗚咽を堪えながら、震える唇に唄をのせる。

 

 

 そして、彼女は夢をみる。

 

 

 

 

 

 

 ドフラミンゴがヴェルゴと一戦交えていたその頃、戦力集めに奔走する面々はさらに二手に分かれて行動を続けていた。

 海賊や賞金稼ぎらは渋々ながら協力に同意し始めている。未だ対策は見つからず、漫然と時を過ごせば死が待つのみとあっては反駁しようもないらしい。

 

『大佐殿、ライブが再開するようだぞ』

 

 島全体の情報を把握・統括している“衛星糸(サテライト)”のドフラミンゴ、コビーの肩に乗る小さな彼が囁いた。

 

『ステージ脇に数名、ニンゲンがいる』

「ぼくら以外にもまだ、ウタを止めようとしている人がいるんですね」

『残念ながら違う。タチの悪い闖入者だ』

 

 糸が擦れる音を耳にし、コビーは自身の肩口へと視線を向ける。その奇妙な音は布が編まれる音だった。

 “衛星糸(サテライト)”が自身用の帽子や服を作成しているのだ。

 

「どうかしましたか?」

『どうもしねェさ。気分だよ。“怪盗”は変装するもんだろう?』

「──成程。闖入者の正体が分かった」

「ブルーノさん、お知り合いですか? 協力を仰げるといいんですが……」

 

 苦虫を噛み潰したような顔をする“衛星糸(サテライト)”と諦念を浮かべかぶりを振るブルーノ。二人の反応の意味が分からず、コビーは首を捻った。

 

「とにかく、ライブを止めましょう。ウタの消耗は避けなければ」

『どうするんだ?』

「まずは説得を。彼女の意思で能力を解除できるならそれが一番です」

『難しいとは思うがやるしかねェか。どうする? ステージまで走るか?』

「時間がない。能力を使う」

 

 ブルーノがドアドアの実の能力を展開する。

 ブルーノの肩へ飛び移る“衛星糸(サテライト)”の背中を追い、コビーもまた、空中に開いた穴へと身を投じた。

 

 ドアの開いた先、ステージ端へとひと足先に飛び降りる。コビーの眼前に広がったのは、平伏する人々の姿だった。

 

「これは……」

 

 ステージ中央に立つのはウタ、そして数名の海兵と“天竜人”チャルロス聖だ。『闖入者』が誰なのか、コビーは一瞬で理解する。

 

 刹那、銃声が上がった。

 

「なんてことするの⁉︎」

 

 ウタの悲鳴が悲鳴を上げる。

 撃たれたのはウタではなく黒服二名。“天竜人”の護衛だろう。

 

「大丈夫だよ。こんな傷、私が治してあげるから」

 

 膝をつき二人を治療するウタへ罵声が浴びせ掛けられた。

 

「こいつら全員もういらないえ! 海兵共、見てないで殺すんだえ!」

 

 “天竜人(神の末裔)”の言葉は絶対だ。それでも、この場において道理はウタにあった。

 命令と正義、そのどちらも足枷になるばかりで指針とはなりえない。たたらを踏んだ海兵達に痺れを切らし、チャルロス聖が再び銃を構える。

 狙う先はウタ。彼女は黒服二名の治療を優先し、逃げる素振りすらみせない。

 

「危ない!」

 

 コビーは海兵達の傍を駆け抜け、ウタの身体へと覆い被さった。武装色の覇気を纏い、衝撃に備え歯を食いしばる。

 直後、銃声が響き、誰のものかも分からない悲鳴が上がった。

 

「……あれ?」

 

 痛みがこない。

 顔を上げたコビーが見たのは銃を振り上げ怒鳴り散らす天竜人の姿。

 否、チャルロス聖自らの意志で弾を外したわけではない。不可視の糸で腕ごと吊り上げられているのだ。

 

『フッフッフ、“神”ってのは銃の扱い方も知らねェらしい』

 

 ブルーノの肩に腰掛けた“衛星糸(サテライト)”が笑っている。どうやら糸で援護してくれたらしい。

 ひらひらと手を振る少年に頭を下げ、コビーは安堵のため息を吐いた。

 

「ウタさん、大丈夫ですか?」

 

 答えはない。

 ウタの肩を支えて共に立ちあがろうとする。しかし、彼女はかぶりを振って俯いてしまった。

 

 コビーが滑り込む直前、黒服の治療は完了していた。また、ウタの能力を考えると、銃弾など脅威になり得なかったのかもしれない。

 余計なことをして機嫌を損ねたのだろうか。

 俯く歌姫の顔を覗き込み、再度声をかける。

 

「ウタさん、立てますか?」

「なんで助けたの」

「え?」

「危ないじゃない。私なら大丈夫なのに、なんで」

「なんでと言われても、身体が動いたとしか。ぼくは海兵なので、皆さんを守るのは当然のことです」

 

 コビーの背で遮られ、ウタの姿は観客に見えない。

 優しい薄暗がりの中、顔を上げた彼女は信じられないものをみるように目を見開いていた。

 

 

 声が聞こえる。

 

 

 コビーとウタを呼ぶ、割れんばかりの歓声。

 海軍大佐と歌姫、“民衆の英雄”と“救世主”。その存在への絶大な信頼の音。

 罵詈雑言を浴びせ続ける天竜人の喚き声。

 民衆の勢いにたじろぐ海兵と護衛の呻き。

 

 数多の人々が織りなす声の海で聞こえたのは、溺れ消えかけた小さな音。

 ウタの心、その奥底に隠れた内声だった。

 

 見聞色の覇気で捉えた彼女の心は、ひどく弱々しく悲しげで、今にも途絶えてしまいそうな孤独の音を溢していた。

 不安と罪悪感に削られ形を失いかけているウタの心の声。コビーはその痛みをしかと受け止め、努めて穏やかに話しかける。

 

「ウタさん、計画を止めませんか」

「計画って……そっか、あなたも知ってるんだね」

 

 歌姫は苦く笑い、かぶりを振った。

 

「だめ、できない。みんなが幸せな世界を望んでる。怖くてさみしい世界にいたくないってみんなが願ってるから」

「だからって、こんな無茶なやり方はダメだ」

「無茶じゃないよ。私なら出来るの。ううん、私にしかできない」

 

 瞳孔の開いた紫の瞳を見返し、コビーは拳をきつく握った。

 

 時間がない。

 ウタの声がひどく揺れている。音となって空気を震わせる言葉も、内心から溢れ出る弱々しい嘆きも、瞳に滲む罪悪感も、その全てが狂気と不安に歪み始めている。

 ネズキノコの影響か、あるいは体力の限界が近いのか。どちらにせよ、彼女はそう長くない。

 

 止めなければ。

 だが、どうやって?

 

 悩むコビーの額に冷や汗が浮かんだ、その時だ。

 

 

「どうしたの、ウタ! どこか痛いの?」

 

 

 観客の少女が叫ぶ。

 

 

「ウタ! 大丈夫? ねえ、ウタ!」

 

 

 座ったまま話し込んでいたからだろう。少女は心配そうに声を張り上げる。

 

 少女の声に導かれるようにウタがゆらりと立ち上がった。項垂れていた紅白の結い髪が跳ね、数瞬前まで震えていた唇は無理矢理に弧を描く。

 

「心配かけてごめん。大丈夫だよ! ちょっとびっくりしちゃっただけだから」

 

 コビーから離れ、ステージを進むウタ。その肩が僅かに震えているのに気付き、コビーは眉を顰めた。

 

 安堵の声が広がる中、ウタは観客達へと呼びかける。

 

「ねえ、みんな。もうすぐ新時代が始まる。みんなの望んだ、平和で自由な時代がやってくるんだよ。嬉しいよね?」

 

 笑顔のまま問いかけるウタを肯定するかのように大歓声が上がった。

 一頻り声援に応えた後、駆け戻ってきた彼女はコビーへと手を差し伸べる。

 

「コビーさんだっけ。あなたが来てくれてよかった。みんな安心したみたい」

「いえ、ぼくは……」

「謙遜しないの。さあ、立って。立って笑おう。みんなの英雄が膝をついてちゃダメでしょ?」

 

 差し伸べられた手を取れずにいるコビーを見下ろし、ウタは目を伏せた。

 

「そっか。“民衆の英雄”、そんな人がいたんだ。ごめんね、私、世間知らずで」

 

 まるで他人事のように呟き、彼女は歓声に湧く観客席を眺める。

 

「ねえ、コビーさんは知ってるんだよね。怖くて辛い世界でみんなが苦しんでること。あなたはその目で見てきたんでしょう?」

「それは……」

「きっと、あなたも辛かったよね。これまでみんなを守ってくれてありがとう。今度は私が頑張るよ」

 

 ウタの心から零れ続けていた弱い音。その小さな音が急激に遠くなる。目の前に立っているというのに掻き消えていく。

 自身の悲鳴を圧し潰し、歌姫は笑った。

 

「大丈夫。全部、私に任せて」

 

 コビーは知っている。彼自身、海兵として、そして一市民として多くの悲劇を見てきた。

 

 人々を救い皆を幸福にするという、いっそ単純なほどの願いがどれほど荒唐無稽か。

 

 しかし、ウタはその荒唐無稽な願いを叶えることができる。

 彼女の計画が潰えれば嘆く人は必ずいるだろう。得られるはずだった幸せな世界を失い、憤る者は絶えないのだろう。

 

 それでも、彼女の導く新時代を認めるわけにはいかない。

 今の時代が人々を傷付けるものであり、彼女がどんなに人々を思っていても。

 だからこそ、この手を取ってはいけない。

 

 コビーは膝をついたまま、静かに告げた。

 

「ウタさん、あなたが人々の幸せのために歌っていることは知っています。それなら尚更、こんな方法をとってはいけない」

 

 明確な拒絶に歌姫が動揺をみせる。唇を噛んで数歩後退した彼女は、苛立ちをぶつけるように踵を床に叩きつけた。

 

「どうして止めるの? 理由を教えて。悪いところがあるなら反省してやり直すから」

「皆が望む世界を作るのがウタさんの願いですよね?」

「そうだよ。大海賊時代を終わらせて、みんなが幸せになれる世界を作るの」

「なら、人々を騙すようなことはしちゃダメだ。それじゃあ皆が望む世界とは言えない」

「騙してなんか……」

「分かっています。あなたにそんなつもりはない。それでも、黙って事を成してはいけないんです」

 

 流れを見守っていたブルーノと“衛星糸(サテライト)”へ目配せし、コビーはゆっくりと立ち上がる。

 観客達の視線が集中し、背筋が痺れるようなプレッシャーを感じた。

 

「ウタさん、お願いがあります。少しだけ、観客の皆さんとお話をさせてもらえませんか」

「もちろんいいよ。でも、大丈夫? すごく緊張してるみたいだけど」

「ありがとうございます。大丈夫ですよ」

 

 不思議そうに首を傾げたウタから離れ、コビーは舞台の中央を歩む。海へ続く花道を進む海軍大佐の姿に再び歓声が上がった。

 

「皆さん、落ち着いて聞いてください! この世界は────」

 

 ここが架空の世界であること。

 人々はウタの能力でこの世界に招かれたこと。

 このままでは現実世界に戻れなくなること。

 

 コビーは凛と声を張り、ウタワールドの秘密を暴いていく。

 細波のように動揺が広がり、人々は困惑も露わにざわつき始めた。

 

 語れば語るほど、ウタの能力と計画は強大にすぎ、俄かには信じがたい。

 もし、この説明が他の誰かからなされたものであれば、人々は皆鼻で笑い、或いは罵っていただろう。

 だが、コビーの背負う“民衆の英雄”という名声と信頼が人々を押し留めていた。

 

 騒めく民衆を他所に一際大きな怒声が上がる。

 

「わちしを下々民共と同じ場所に閉じ込めるだと⁉︎ 汚らわしい! 早くわちしを解放するんだえ!」

 

 喚き散らしたのは舞台に縫い止められていたチャルロス聖だった。

 

「処刑だえ! 誰かこの糸を解くんだえ! わちしがこの手で処刑してやるんだえ!」

 

 民衆の目に恐怖と嫌悪が浮かぶ。再び平伏し天竜人の怒りをやり過ごそうとする人々に気付き、ウタが顔を顰めた。

 

「うるさいな。今はコビーさんが話してるの。あんたは黙ってて」

「わちしを誰だと思ってるんだえ!」

「“天竜人”でしょ。何でもかんでも欲しがって他人のことなんか何一つ考えない、世界一の嫌われ者」

「き、嫌われ者ォ⁉︎ おい、誰か! 誰かこの女を殺すんだえ!」

「ここでは誰もあんたの命令なんか聞かない。身分なんて関係ないの。みんな一緒に仲良く過ごすんだよ」

 

 毅然と言ってのけたウタが指を振るう。

 音符の波がチャルロス聖に殺到し、制止に入った護衛や海兵ごと空高く打ち上げた。

 五線譜に縫い止められ磔となったチャルロス聖の姿を見上げ、人々が青褪める。

 

「ウタ、やめて。天竜人に手を出したら海軍や世界政府が襲ってくる!」

「あんたまでいなくなったら、おれ達はどうやって生きていけばいいんだ!」

 

 悲鳴を上げる観客達を安心させるように、ウタが笑った。

 

「大丈夫だってば。誰も手出しできないし、させない。だってここはそういう世界だから」

 

 両腕を突き上げ、楽しげに笑うウタ。“神”を軽視し、世の理を無視するその異様さに人々の心が揺らいでいく。

 

「ウタ、どういうこと?」

「閉じ込めたって本当なの?」

「架空の世界って何?」

「まさか、帰れなくなるって……」

 

 人々の疑念を一身に受け、歌姫は微笑んだ。

 

「不安にさせてごめん。でも、心配いらないよ。確かに今はまだただの夢だけど、もうすぐ本当の新時代がやってくるから。ほら!」

 

 ウタが手を叩けば柔らかな光と花々が溢れ、人々の元へ彼らの望む幸いを届けんと輝く。

 食べ物や花束、楽器にオモチャ。具現化される幸福の数々と溢れかえる願いの形。

 

「ここに病気や飢えはない。怖い人だっていない。みんな一緒だから寂しくない。幸せで満ち足りた、みんなの望む世界がここにあるんだよ!」

 

 朗らかに告げられるウタの言葉に、しかし、人々の困惑は深まっていた。

 当然だ。

 皆それぞれに生活があり、苦しく辛い中でも前に進んでいる。

 心が折れてしまいそうな日々の中、世界の片隅でウタの歌声に救われたことは幾度もあった。

 それでも、これまで生き抜いて得た全てを捨て、夢の世界に生きたいのかと問われれば素直に頷けないのだ。

 

 一方で現実を生きることに限界を感じている人々もいる。彼らは既に生きる気力を無くし、夢に縋ることしかできなくなっていた。

 

 不穏に騒めく観客席を見上げ、ウタが首を傾げる。彼女は理解不能とでも言うように眉根を寄せ、舞台の近くにいた少年へと声をかけた。

 

「ねえ、みんなどうしたのかな。ここにいればずっと幸せなんだから悩むことなんてないのにね」

「ウタ……ありがとう。ライブ楽しかったよ。でも、ぼく帰らなきゃ」

「え?」

「羊の世話があるんだ。おばさんに頼まれててさ。だから、ずっとここにはいられない」

「どうして? わざわざ苦しい場所に戻らなくてもいいんだよ」

「…………」

「ああ、そっか。本当は羊が好きなんだ。わかるよ。もこもこで可愛いもんね。大丈夫、羊が必要ならここにだって────」

 

 困ったように俯く少年を見つめ、ウタが一歩後退る。

 

「ここには何でもある! 食べ物も楽しいこともなんでも! ここはみんなの望んだ場所だよね?」

 

 焦燥に歪む声でウタが呼びかけた。しかし、返ってくる答えはまばらでまとまりがない。

 ウタワールドを望む声、帰りたいという叫び、罵声、意見の合わない隣人と諍う音。

 

 決して一つになりえない、人々の望み。

 

「皆さん、落ち着いて! 落ち着いてください!」

 

 混乱するウタに代わり、コビーは声を張り上げた。

 しかし、響めきは広がるばかりで次第に収拾がつかなくなっていく。

 

「嘘吐き! 助けてくれるって信じてたのに!」

「何言ってるの! ウタは助けてくれたんだよ!」

「そうだ! ここにいれば安全なんだ!」

「やだ! 帰りたい! おうちに帰して!」

「海賊もウタも変わらねェ! これ以上おかしなことに巻き込まれるのはごめんだ!」

 

 民衆は口々に新時代を否定し始め、ついにはウタを罵る者も現れた。

 

「どうして?」

 

 ウタが呆然と呟く。

 

 まずい。

 動揺し青褪めたウタの視線が彷徨っている。

 神経質に床を叩く踵、ベッドホンを耳に押し当て震える手、苦しげに寄せられる眉。

 人々の望みという導を失い、ぎりぎりで保たれていた精神が大きく揺らぎ始めたのだ。

 

「だって、みんな言ったじゃない。毎日苦しい怖いって、海賊に怯えて暮らすのはもう嫌だって。自由になりたいって」

 

 ウタの呟きは人々に届かない。

 悲鳴じみたその声を聞くことができたのは、彼女を落ち着かせるべく傍に並び立ったコビーだけだ。

 

 元はと言えば、ウタの秘密を暴いたのはコビーだ。コビーの言葉が人々の心を理想郷から連れ戻し、ウタから救世主の仮面を引き剥がした。

 それを理解していてなお、彼女はコビーを害そうとしない。

 むしろ、教えを乞うかのように問いかけるのだ。

 

「私が間違ってるの? 本当は私なんかいなくてもみんな幸せだったのかな」

「ウタさんの思いは間違っていません。だけど、このやり方では駄目なんです」

「でも、私、歌以外知らないんだ。あなた達海軍みたいに悪い人を捕まえられるわけじゃないし、みんなの生活を楽にできるわけでもない」

 

 虚な目で呟き、ウタは観客を振り仰いだ。

 そこに幸福はない。

 騒動の中心であったはずのウタとコビー。二人を置き去りにして、人々は諍いを続けている。

 

「どうして? なんで喧嘩してるの? 何が足りないの? どうすれば喜んでくれるの? 分からない分からない分からない!」

 

 人々の争いに呼応するが如くウタが叫び出した。

 頭を抱え蹲ってしまった彼女を支えようと、コビーもまた膝をつく。

 

「落ち着いて。皆、今は驚いて混乱しているだけだ」

 

 言葉もなく、ウタが顔を上げる。

 揺れる紫の瞳がコビーを見つめていた。

 

 迷子のような表情のまま、ウタが唇を開く。

 

「コビーさん、私────」

 

 しかし、彼女の言葉は形にならない。

 いや、形になる前に潰された。

 

 

 かつり、と。

 小さく、硬い音が鳴る。

 

 

 何が起きたか理解できず一瞬動作の止まったコビーとウタ。二人は音の鳴った方向へと視線を向ける。

 

 足下に転がる小石を二人が視認した瞬間、怒鳴り声が響いた。

 

「コビー大佐! あんた、英雄なんだろ! 早くウタを捕まえろ!」

「そいつはもう私達のウタじゃない! ただのバケモノよ!」

 

 言葉と石。

 

 確かに自身へと向けられた罵声と暴力に驚き、ウタが硬直する。

 

「バケモノ……?」

 

 呆然と呟くウタを目掛け、次から次に物が投げ込まれた。

 花に石、オモチャにお菓子。人々の怒りと混乱、そしてウタが生み出した幸福の全てが雨あられと彼女の頭上に降り注ぐ。

 否、物だけではない。そこら中で怒声と悲鳴が響き、世界が散り散りに割れていく。

 ウタに罵声を浴びせる者、ウタを守ろうと隣人を殴る者、恐怖で蹲り助けを求める者。誰も彼もが混乱の海へと飲み込まれていた。

 人々の感情は激しいうねりとなり、舞台の中心でへたり込んだウタを襲う。

 

 反応の遅れたコビーに代わり、“衛星糸(サテライト)”が糸を振るった。しかし、ドフラミンゴ本人であればまだしも、一端末でしかない彼では投げつけられる全てに対応できない。

 

 瞬く間に物で溢れかえった舞台上。

 透明な糸の繭で辛うじて守られたウタが茫洋と空を見上げる。

 コビーもまた、かける言葉を失い、彼女の横顔をただ見つめていた。

 

 

「ああ、そっか」

 

 

 ウタが呟く。

 その顔に浮かんだのは、迷いが晴れたような、糸の切れてしまったような、それは不思議な表情だった。

 

「そう、そうだよ。みんなのこと、分からなくて当然なんだ。バケモノなんだから」

 

 自身を守る糸繭を引き千切り、ウタが立ち上がる。彼女はよろけながらも数歩進み、足元に転がる花束へと手を伸ばした。

 土に汚れた花束を抱え、彼女は観客席を見渡す。

 

 いまだ口汚く罵り、嘆き、奪い合う人々。

 惨憺たる様子を眺め、ウタが囁く。

 

「大丈夫。みんなが納得できない理由なんて知らなくてもいいの。簡単だよね」

 

 

 花束で口元を隠し、彼女は嗤った。

 

 

「幸せじゃないなら、もっと幸せにすればいいんだ」

 

 

 突如、凪いでいたはずの海が急激に水位を増す。

 波すら立てず上昇した海面は音もなく舞台を飲み込み、瞬く間に観客席へと到達した。

 声を上げることすら許されず、人々はなすすべもなく海へ沈んでゆく。

 

「これでもう怖いことなんてない。楽しいことだけ考えていられる。みんな一緒、みんな安全。とっても幸せでしょ?」

 

 手にしていた花束を振り回し、ウタが水面を駆け抜ける。

 舞いでも踊るかのように彼女が飛び跳ねる度に光が迸り、星屑となって水面に波紋を広げた。

 

 舞台の屋根へ跳躍し難を逃れたコビーは眼下に広がる惨状に瞠目する。

 

 海に沈みゆくライブ会場、ウタの力によって姿を変えられた人々がそこにいた。

 オモチャや綿菓子、リボンに花束。元は人であったのだろう彼らはただ海を漂うことしか出来ない。

 人々の混乱と恐怖を感じ取ってしまい、コビーは唇を噛み締める。

 

 説得は失敗した。

 それも、最悪の形で。

 

 だが、悔いていても何も変えられない。ここは逃げる他ないだろう。

 ブルーノが展開した空間へと転がり込めば、背後で低い呻きが聞こえた。

 

 ブルーノの足下、不穏な光が明滅する。苦鳴を押し殺し扉を閉じようと全霊の力を投じるブルーノ、その姿がぶれ始めた。

 

 まずい。

 ウタの能力に侵されているのだ。

 

「ブルーノさん!」

 

 手を伸ばし彼を支えようとしたコビーだったが、それよりも早く、小さな影が扉の外へと飛び出した。

 

 ブルーノの肩を離れ扉を抜けた“衛星糸(サテライト)”の身体が光る。彼もまた、ウタの能力により姿を変えられようとしていた。

 崩れゆく自身の姿を見つめ、“衛星糸(サテライト)”が苦笑する。

 

『またな、優しい海兵さん』

 

 直後、小人と見紛う身体から繰り出されたのは強烈な回転蹴り。

 凄まじい勢いで閉じた扉の向こうは既に海に沈んでいる。

 きっと無事ではいられないだろう。

 

 元よりドフラミンゴの能力で生成された分身体だ。意志ある姿ではあれど、一つの命としてみるべきではないのかもしれない。

 それでも、彼が自らを擲ち、次の一手へと繋ぐために全力を投じたことに変わりはなかった。

 

 諦めない。

 諦めるわけにはいかない。

 

 コビーは固く拳を握る。

 ブルーノの能力ももう長くは保たない。

 前方に生み出された扉へと駆け出し、コビーはその身を踊らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 はやく。

 もっと、はやく。

 

 水没したライブ会場に人影一つ。

 凪いだ水面に寝そべり、ウタは幼子のような笑みを浮かべる。

 

「おやすみ 赤ちゃん しずかにね」

 

 唇が紡ぐのは遠い日の子守唄。

 星月夜に紡がれた調べ。

 

 本当のところ、少し前まではもうシャンクス達の声も思い出せなかったのだ。

 何も不思議なことではない。皆と過ごした日々は遠い昔。随分と時が過ぎてしまっていた。

 

 人はどんなに大切な思い出でも忘れていく。

 生きるため、前に進むためにと言い訳をしながら少しずつ何かを取りこぼしてしまう。

 ましてやウタはシャンクスと過ごした日々の記憶を抱えているわけにはいかなかった。

 悪い海賊との思い出を大切に思ってはいけないと、そう考えていたのだから。

 

 

 だが、今のウタは彼らの声をはっきりと思い出せる。皮肉にも、エレジア滅亡の夜に残された映像電伝虫のおかけだ。

 

 真実を知り打ちひしがれたウタは、あの夜の映像を一晩の間、齧り付くように見続けた。

 吐き気と震えを堪えながら、何度も、何度も。

 

 ウタは一晩中聞いていた。

 人々の怨嗟、苦鳴。暴虐の限りを尽しエレジアを蹂躙するバケモノが放つ破壊の音。

 

 

 ウタの名を叫ぶ、シャンクス達の声を。

 

 

 それから、ウタは悪夢をみるようになった。

 船上の何気ない日々から始まり必ずエレジアの夜に繋がる、幸福と絶望に彩られた悪夢を。

 

 

 本当は。

 

 本当はどんな形であれ、彼らに再び会えることが嬉しかった。

 逃げたくて逃げたくて、どうしようもなく恐ろしくて、夢から覚める度、罪悪感で潰れそうになりながら、それでも何度も夢を求めて眠った。

 そんな自分がひどく悍ましかった。

 

 

 だが、そんな日々ももうおしまいだ。

 

 もうすぐ夜が来る。

 待ち望んだ、永遠の夜が。

 

 ウタはもう眠れない。

 夢をみることはできない。 

 

 それでいい。

 そう思った。

 

 バケモノには夢をみる資格などないのだから。

 

 

 流れ星が空から滑り落ち、海中へと消えていく。

 降り注ぐ光の中、ウタは目を閉じた。

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