ONE PIECE novel.DD “怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ   作:ladybug

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FILM RED出張編② Face the cost
星は光りぬ


 

 凪いだ海に船が一隻。

 島と島の間を航行中、風が途絶えたほんのひと時の暇を縫い、高く伸びやかな指笛の音が吹き抜けていく。

 

「もう一回、もう一回やって!」

 

 欄干で羽根を休めるかもめ達のそば、少女が目を輝かせてせがんだ。

 

「ねえ、もう一回だけ!」

 

 禿頭(とくとう)の男が闊達に笑い、指を咥えて音を鳴らす。鳥の囀りに似た音色に抑揚がつき、跳ねるように響いた。

 マストから滑り降りてきた猿が男の肩に飛び乗り、リズミカルに手を叩いて身体を揺らす。楽しげな彼らにつられ、海賊達の笑声が甲板に広がった。

 

「私もやる!」

 

 勇んで指を咥えた少女だが、思うように音は鳴らない。息の抜ける音がこぼれるばかりだ。

 少女は頬を膨らませた。

 

「んー……むずかしいね、これ」

「お? 諦めるのか?」

「まだ諦めないよ! シャンクスのバカ!」

 

 麦わら帽子の男に煽られた少女は反撃とばかりに男へ飛びかかる。

 少女を受け止めた男は顔の横で両手を蠢かせてさらに挑発、鼻歌混じりに応戦した。

 

「バカっていう方がバカなんだぞー」

 

 子供じみた反論をする男。

 しかし、余裕の態度もそこまでだった。

 ふと視線を落とした彼は己がシャツを掴む少女の手が濡れていることに気付き、さらに一拍遅れて事態を理解。果ては船長にあるまじき情けない悲鳴を上げる。

 

「ちょ、よだれ!」

「よだれ⁉︎ オトメになんてこと言うのよ!」

「いやだってお前、その手、口に突っ込んでたじゃねェか! ばっちいだろ!」

「ばっちい⁉︎ バカバカ、シャンクスのバカ!」

 

 抱え上げられた、もとい引き剥がされた少女が空中で抵抗する。

 幼い手足は当然ながら男に届かず、勢い余って空を蹴る足から靴がすっぽ抜けた。 

 

「「あ」」

 

 宙を舞う赤い靴。それは見事な放物線を描いて舞い、酒樽にもたれ一服していた黒髪の男の後頭部へと飛んでいく。

 あわや惨事のその間際、振り返った黒髪の男が靴を受け止めた。深いため息をついた彼は煙草を揉み消し、よく通る低い声でただ一言を放つ。

 

「お頭」

「ええ、おれか? 今のはウタが」

()()

 

 声音が一段低くなった。基本は何を咎めることもないが締めるところは締める。副船長である彼の流儀だ。

 効果は覿面で、麦わら帽子の男は一瞬で反論を止めた。あらぬ方向を向いて口笛を吹き始める姿は実に子供っぽい。これで船長なのだからまったく世も末だった。

 

 再び嘆息する副船長の下に、気まずげな様子で少女が近付いてくる。

 副船長は少女を軽々と抱え上げて酒樽に腰掛けさせ、翻ったワンピースの裾を整えた。そして、自身の掌に小さな足をのせ、慣れた手つきで靴を履かせる。

 

「確かにお頭が無礼だった。だがな、霰もない格好で暴れるもんじゃねェ。分かるな?」

「うん……ごめんなさい」

「よし、良い子だ」

「もう子どもじゃないのに」

 

 不満気に少女が唇を尖らせると、副船長は静かに口の端を上げた。いつのまにか取り出したハンカチで少女の手を拭い、彼は囁く。

 

「そういうな。大人になるにはまだ早い」

「私、みんなが好きなイイオンナってやつにはやくなりたいのに」

「焦る必要はねェさ。お前ならすぐだ」

「本当?」

「ああ、本当だ。急がなくていい。もう少しの間だけ良い子のウタでいてくれ」

 

 強面の海賊には似合わない、慈しみの光が男の瞳に浮かんでいた。

 自身に向けられた柔らかな視線の理由が分からず、少女は辺りを見渡す。

 色や形は違えど、甲板の皆、誰も彼もが同じように少女を見つめていた。

 

「変なの」

 

 何故か気恥ずかしくなり、少女はわざと語気を荒くしてそっぽを向いた。

 

「そうだ! 私、指笛の練習しなきゃ!」

 

 禿頭の男の下に戻った彼女は指南を受けながら音の鳴らない指笛を吹く。

 彼女の周りに集まった男達もまた、指笛を鳴らしてはああではないこうではないと言い合っていた。極論指と唇の隙間から息を吹くだけではあるのだが、手法は様々であり感覚的な部分も多い。

 

 音につられ飛ぶかもめ達を見て皆が気付く。

 凪の時間は終わり、風が吹き始めたのだ。

 

 それぞれの仕事に戻る男達をよそに少女は練習を続けていた。指の角度や舌の角度を変え、頬を窄めては果敢に挑戦している。そんな彼女を膝に乗せ、麦わら帽子の男が尋ねた。

 

「なんでまた急に指笛なんだ」

「指笛って遠くまで響くでしょ。だから」

「んん? どういうことだ?」

「ルフィにね、帰ってきたよってはやく知らせてあげるの。あいつ、ずっと港で待ってるから」

 

 ゆらゆらと足を揺らしながら少女は答えた。

 彼女の答えを聞き、麦わら帽子の男が口元に淡い笑みを滲ませる。

 

「友達のためか」

「別に! ルフィのためじゃなくて私が嫌なの。待ちぼうけになったら、あいつ泣くんだもん」

「そうか。友達を泣かせるのは嫌だよな」

「そんなんじゃないったら」

 

 少女は前髪をいじり表情を隠した。頬が赤いのは指笛の練習で息を切らしたからだけではないのだろう。

 大きな掌が頭を撫でる。少女が頭上を振り仰げば目が合った。彼女を見守る光はただひたすらに柔らかく、優しい目が眩しげに細められている。

 

「さすがはおれ達の娘だ」

 

 零れた囁きは心底誇らしげで、その声もまた、かけがえのない宝物を自慢するようだった。

 

「変なシャンクス」

 

 当然のことだというのに何を喜んでいるだろうか。理由が分からない少女は首を傾げ、そして僅かに遅れてにやりと笑った。

 

「どう? 私、イイオンナ?」

「んー、どうだかなァ」

「シャンクスってば、答えてよ!」

「さてな。未来はわからねェが、いまのところはただの可愛い小娘だ」

 

 笑う男が両手を伸ばす。一切の遠慮なく髪をかき回され、少女は悲鳴混じりの笑声を上げた。

 身を捩り逃げようとしたところを抱き上げられる。肩車をされ、ぐんと高くなった視界が新鮮で、少女の声は一段と高くなった。

 脱いだ麦わら帽子を膝に乗せ、男もまた笑う。

 

「こらこら、暴れるな。落ちるぞ」

「落としたらベックに言いつけるよ!」

「勘弁してくれ」

 

 少女が落ちないようにと男が腕の力を強めた。少女も男の頭を掴んでしがみつく。

 

「シャンクスの髪、ふわふわだ」

「強く握るな。抜けちまう!」

 

 男の髪は潮風でややごわついていた。それでも指に絡む赤色は柔らかく、その感触が少女期特有の悪戯心を刺激する。先程の仕返しとばかりに髪を弄る少女に苦笑を溢し、赤髪の男が遠くの空を指し示した。

 

「見ろ、ウタ。一番星だ」

「えー、見えない。どんな目してるの」

「残念。あれが見えないんじゃイイオンナへの道はまだまだだなァ」

「む、見え……やっぱり見えないよ。嘘ついてるんじゃないの?」

「なんだ。疑うのか?」

「そうじゃないけどさ」

 

 同じ空を見ているはずなのに見えるものが違うのか。些細な隔たりを嫌う幼心が少女の頬を膨らませる。

 寂しげに俯く少女の膝を軽く叩き、男は静かに言った。

 

「夜が来て空が暗くなればお前にも見えるさ。そしたら一緒に星見酒でもしようじゃねェか」

「ダメだよ。私、お酒はまだダメだってホンゴウさんに言われてるもん」

「それもそうだ。じゃあ、もっと大人になってからだな」

「約束?」

「ああ、約束だ」

 

 二人でにたりと笑い合う。

 少女は機嫌を直し、溌剌と伸びをした。

 

「港に着いたらルフィに自慢しようっと。シャンクスと宴の約束したって」

「おいおい、あまり揶揄ってやるな。いい加減ルフィの奴も怒るぞ」

「大丈夫! あいつだっていつかは船に乗るでしょ? しょうがないからまぜてあげるんだ」

 

 あっけらかんと告げる少女の声を聞き、男が苦笑に身体を揺らした。赤髪が夕陽をあびて燃え煌めく。陽に透けるその髪を容赦なく引っ張り、少女は自身の主張を続けた。

 

「そんなことよりただいまの合図! 私はまだ練習中だから、指笛はシャンクス達が吹いてよね」

「そりゃかまわねェが、指笛なんてどこの船でも使うぞ。おれ達の船だってルフィに分かるかね」

「じゃあ、指笛の後に続けて他の合図をするのはどう? 歌とか花火とか」

「だったら歌と花火だけで事足りてねェか?」

「もう、シャンクスごちゃごちゃうるさい! いいわよ、他のみんなと考えるから!」

 

 拗ねてしまった少女は男の鎖骨を蹴り付けて飛び降りる。鋭い一撃に呻く男を背にして少女は駆け出した。

 

 日の沈みかけた柔らかな光の中、彼女は甲板を一目散に走る。

 やんやと揶揄い囃し立てる男達に応えながら、少女は跳ねるように駆け抜け、生き生きと笑っていた。

 

 

 遠い黄昏、もう戻らない日のひとこまだ。

 

 

 

 

 

 頭がぼうっとする。

 そのくせ鼓動は早鐘を打ち、背中を殴りつけてくる焦燥感のせいで居ても立っても居られない心地がした。

 

「待ってよ、ローさん」

 

 前方を歩く黒衣の背中をウタは追う。

 何の意図もないであろう行動に難癖をつければ、ローは都度立ち止まり律儀に答えてくれた。彼の声は抑揚が薄く、それを腹立たしく感じる自分と逆に落ち着いていく自分がいる。

 不思議だ。

 最後は一人。一人でなければ決心が揺らぐ。そう思ってすらいた。

 だが、実際はどうだ。夢であれ現であれ、思わぬ再会をした幼馴染や乱入する革命家にペースを乱され、結果的に決心云々を考えずに済んでしまっている。

 ウタにとってルフィやローの介入は迷惑でもあり、反面救いでもあったのだ。

 

 もちろん新時代への決意が揺らいだわけではない。ただ、悩み、不安を抱えはじめていたのも事実である。

 

 ウタワールドで“英雄”を見た。

 海軍の若き英雄だ。

 間近でみた彼はひたすらに真摯で、ただ立つ姿さえも凛としていた。彼を慕う人々の気持ちがわかる気がする一方、同時に驚き、絶望したのだ。

 

 あれほどの決意と覚悟を持った人間ですら、世界を変えられないのか、と。

 

 今、現実世界のウタの前には自称革命家がいる。革命家といえば、世界を変えることにおいてはいわば専門職だ。

 だが、彼が本当に革命を志しているのかどうかは正直なところ疑わしい。

 ウタと話している時も海軍と対峙している時も、彼はひどく冷めた眼で場を眺めていただけ。抵抗なく会話に応じて必要とあらば戦闘もこなすものの気迫は皆無。確固たる意志をもってこの場に臨んでいるわけでないのは明らかだった。

 何のために世界を変えようとしているのか。彼の望む世界はウタの作る新時代と相反するものか、そうでないのか。何一つわからない。

 そもそも見ず知らずの他人で初対面、さらに言えば意味もなく服毒している奇人ときた。

 思惑など理解できるはずもないだろう。

 

 そんな彼、トラファルガー・ローが突如始めたのは、世界を知るための講義だった。

 

「教えてやる。知りたいこと、何でも」

 

 そう言って微笑んだローに戸惑う。

 突然何を言い出すのだろう。理解できない。

 ただ彼がひどく穏やかに笑うものだから、ウタもつられて笑みを浮かべた。

 だが、次の瞬間には胸が嫌な音を立てるのだ。

 

 ウタは頭を抱え、唇を噛む。

 

 ただ怖かった。

 責められる。何も知らない小娘だと非難される。誰の願いも理解していないくせに新時代などと夢想を語った罪を暴かれる。

 想像の中、名も知らぬ犠牲者達が口々に糾弾していた。

 

 

 罪人のくせに。バケモノが何を。

 お前さえいなければ平和だったのに。

 

 

 それはウタ自身の罪悪感とネズキノコが生み出す幻覚。排斥を確信し恐慌に飲まれかけたウタの指へ、軽く触れるものがあった。

 

 ローだ。

 彼は何でもないことのように言う。

 

「怖がる必要はない。知らないことは罪じゃねェからな」

 

 恐る恐る視線を上げれば、ローはウタの言葉を待つように小さく頷いた。

 

「いまさら」

 

 声が裏返ってしまい喉を押さえる。再び目を固く瞑り、それでも溢れる言葉を絞り出した。

 

「いまさら何をって思わない?」

「思わねェ」

 

 先程までの笑みはどこへやったのか、革命家は真顔で大真面目に即答する。

 

「知識は無駄にならない。一夜漬けどころの話じゃねェが、それでもお前の新時代の参考程度にはなるだろう」

 

 ローは訥々と学習の意義を語る。その言葉に揶揄いの色はなく、嘘の気配もない。

 どうにも捉え所のない男だ。

 だが、何故だろう。揺蕩う金の瞳がゆるりと瞬く度、激しく波打っていた心が均されていくように思え、ウタは張り詰めていた息を吐き出した。

 

「……ありがとう」

 

 ウタのか細い声を受け止め、ローはただ静かに目を細める。

 

「私の知りたいことは──」

 

 遅ればせながら考える。

 何を学び、何を知るべきなのか。

 思い出したのはこれまでのファンとの交流。本で得た知識に、今日目の当たりにした世界。

 新時代を望む声とウタを非難する声。

 それらに触れて理解したのは、世界はウタの想像を遥かに超えて混沌としているということだけだった。

 

 何から手をつけていいのかさえ分からない。しばらく考え込み、ウタは唇を噛む。

 

「知りたいことが何かも分からないや。たとえば、どんなことを聞けばいいのかな」

 

 途方に暮れるばかりの自分が心底恥ずかしい。

 もはや消え入るような声しか出ず、ウタは膝を抱えて顔を伏せた。

 ウタ自身ですら愚かだと思える質問に対し、ローはそれまで通りの淡白な調子で応える。

 

「そう身構えるな。焦らずとも、お前の年頃なら関心事なんていくらでも湧いてくる」

「そんなこと言われても……難しい」

「なら、まずは雑談程度に身近な地域の話題から入るのはどうだ?」

「身近って、エレジアのこととか?」

「さすがにこの島のことはお前の方が知ってる」

 

 揶揄われたと思い眉間に皺を寄せれば、ローは真面目くさった顔で宣った。

 

「まァ待て。教材を用意しよう」

「用意するってどこからよ」

「いいから手を出せ。ほら」

 

 ウタは訝しみながらも両手を椀の形にして差し出す。

 ローが取り出したのは1本のネズキノコだった。彼はそれをウタの掌の上へと転がし入れる。

 

 意図が分からない。ネズキノコの毒性を軽く凌駕するほどの眠たい授業になるという脅しだとしたらどうしてくれよう。

 

 不審に思いつつもネズキノコを齧ろうとすれば、呆れ混じりに制止された。

 

「待て。誰が食えと言った」

「言われてないけど渡されたからさ」

「渡されたからじゃねェよ。さてはお前、食いしん坊か」

「違いますー。食べるにしたってホイップましましのパンケーキの方がいいもん」

「やっぱり食いしん坊じゃねェか」

 

 律儀に突っ込んだ後、ローは自身の胃のあたりを摩って眉を顰める。どうやら生クリームの山を想像して胸焼けを起こしたらしい。

 

「とにかく食うな。教材だって言っただろ」

「悪いけど、ネズキノコのことくらいは知ってるよ。新時代の要になるものだもの。一生懸命資料も読んだんだから」

「努力家だな。褒めてやる」

 

 言葉に反し淡々と言った革命家は、何気ない動作で左腕を振るう。その瞬間、ウタの手の中からネズキノコがかき消えた。

 キノコに代わってふわりと柔らかな感触が指に伝わり、ウタは首を傾げる。

 

「あれ、この子」

 

 そこに現れたのは見覚えのあるオモチャ。大輪の薔薇をあしらったフクロウのぬいぐるみだ。

 

「さっきぶりだね。ウタだよ、また会えたね、なんちゃって」

『…………?』

「どうしよう。固まっちゃった」

 

 ロー曰く某国の姫君というフクロウだ。唐突に呼び出されて面食らったのか、彼女はただ作り物の翼を震わせている。フェルトと綿で作られた嘴もまた、ぽかりと開いてしまっていた。

 

「あ、だめ。あぶないよ」

 

 ぬいぐるみゆえ硬直するとバランスがとれないのだろう。フクロウはウタの掌でこてりと横に倒れ、寝入るルフィの上へと落ちる。

 規則的に上下するゴムの胸でバウンドした彼女は、慌てて羽ばたこうとし失敗した。ローが受け止めなければ海に落ちていたかもしれない。

 フクロウ本人はと言えば、首を大きく回してローとルフィを見比べ、何故か慌て出して忙しなく羽やら足やらを動かしている。

 

 ところでフクロウの彼女が教材なのだろうか。

 臨時講師の様子を窺えば、彼は不思議そうに顎へ手をやった。さらにしばし悩んだ後、重々しく一人で頷く。

 

「間違えた」

 

 雑にすぎる呟きが落ちたその時、フクロウの動きが止まった。

 

『────……?』

「呼び出すつもりはなかった。バカンスの邪魔をして悪かったな。わざとじゃねェんだ」

『────!』

「怒るな。元の場所に戻してやるから蹴るのはやめろ」

 

 違う、そうじゃない。

 ウタはフクロウへ同情の目を向けてしまう。

 哀れだ。

 

「ローさんさ、さすがにひどくない?」

「何がだ」

 

 何がときた。ローときたら彼女の心情を全く理解していない。なんと鈍感で薄情な男だろう。

 考えてもみてほしい。

 親愛の情を裏切られ、相談もなくどこぞへと飛ばされ、挙げ句の果てに唐突に呼び戻されたと思ったらばそれすら手違いだと言われたのだ。

 元よりフクロウはローの服毒行為にも憤っているのである。抗議して当然ではないか。

 

 フクロウが異常な速度で蹴たぐりを繰り返す。

 ところがローときたら、反省するどころかさらなる煽りをかましていた。

 

「お前、あの国の王女にしては乱暴だな。記録が間違ってんのか? それとも反抗期で父王に迷惑をかけてるクチか」

『────⁉︎ ────‼︎』

 

 怒りが頂点に達したのだろう。硝子ボタンの目が標的を捉えギラリと光る。

 止める間もなく大空へと羽ばたいたフクロウは、流星もかくやの勢いで急降下し黒衣の男へと襲い掛かった。

 しかし、相手も手だれの元海賊。黒衣の男はフクロウ渾身の強襲を何なく回避。勢いを殺し片手で受け止めた上で空へと放り投げ、表情一つ変えずに能力を展開する。

 

「“シャンブルズ”」

『────⁉︎』

 

 哀れフクロウは再び消えた。

 代わりに現れた紙束がぽたりと地に落ちる。

 

 一連の攻防に呆然としていたウタを置き去りにローはのんびりとしゃがみ込んだ。

 

「よっと、これだ」

 

 この男、フクロウの彼女のことなど気にも留めていない。なんなら悪びれた風ですらなかった。

 

「よかったの? フクロウさん、怒ってたよ」

「仕方ねェだろ。これの近くにいたから取り違えただけでわざとじゃない」

 

 拾い上げた紙束──新聞を振ってもっともらしく主張するロー。しかし、述べているのはただの屁理屈だ。

 振り回されるフクロウが気の毒に思え、ウタは顔を顰めた。

 

「わざとかどうかじゃなくてさ、びっくりするでしょ。それに、心配して怒ってくれてる人を適当にあしらうなんて可哀想じゃない」

「適当じゃない。丁重に元の場所へ戻した。しかも安全な場所にだ。それでよくないか?」

 

 薄情、それ以上に大雑把が過ぎる。

 能力の制御にしても、某国の姫君であるというフクロウの扱いにしても、繊細さというものがまるでない。

 

「ローさんって雑だよね」

 

 ため息を溢せば小さな舌打ちが返ってきた。

 気分を害したのかと思ったがそもそもローはウタを見ておらず、苦言などどこ吹く風で新聞と格闘している。

 湿気た紙同士が張り付いているのか、はたまた大雑把さが悪い方に作用しているのか、思うように紙を捲れず苛ついているらしい。

 

「焦ったいな。代わって、私が捲ってあげる」

「頼む」

 

 ローに代わり手に取ったそれは世界経済新聞だった。

 

「どこのページを開けばいいの?」

「次の次。そう、そこだ」

 

 言われた通りに頁を開いていると、ローが軽い調子で問いかけてくる。

 

「普段、新聞は読むか?」

 

 ウタはかぶりを振った。絵物語に街角コレクション、その他珍しいニュース程度なら流し見したこともある。だが、『読んだ』と言えるほど中身を吟味したことはない。

 赤髪海賊団もゴードンも新聞を取ってはいたが、詳しく見せてはくれなかったのだ。

 

「覗き見たことはあるよ。嘘も多いし、あまり真面目に読むものでもなさそうだった」

「嘘か。どうしてそう思う」

「昔、私のことが記事になったとき、面白おかしく話を盛られてたんだ。ファンのみんなの話とズレてる内容も多いし、事実と違うのかなって」

「成程。良い観点だ」

 

 何故褒められたのだろう。まるで教師のように振る舞うローを見返せば、彼は鷹揚に頷き話を続けた。

 

「新聞ってのは記し手の視点が編み込まれちまう。記者の見立てが歪んでねェとは言い切れないだろ」

「本来新聞って正しいものだと思ってたけど疑った方がいいの? 記者さんにも悪い人がいるってこと?」

「悪気がなくとも間違うことはある」

 

 確かに、善意や悪意とは関係なくミスは存在する。憶測であったり、伝言ゲーム式に変化していたり、人が関わるほどに情報は曖昧になり、あるいは誇張されるようだ。

 

「真偽を見極めるために、読み手自身の経験を照らし合わせて考えるのは悪くない手だぞ」

「経験とか言われてもさ。私の場合、本当に音楽のことくらいしかわからないんだよね」

「そう言わずに、この地図を見てみろ」

 

 歌姫と革命家、二人の間に広げられたのは世界地図だ。地図には注釈とマークが点在している。近年多発している未加盟国の滅亡、そして各国の新王朝について記された記事のようだった。

 潮風に頁が煽られる。

 胡座をかいたローが膝で新聞の端を押さえつけた。無造作に置かれた手は見出しを踏みつけている。どうやら用があるのは地図の方であって記事そのものには興味がないらしい。

 ローが地図を指で示し問いかけてきた。

 

「エレジアはここだ。知ってるよな。他に行ったことのある国や場所は?」

「子どもの頃は色々行ったよ。シャンクス達と一緒に色んな国を旅してたから」

「楽しかったか」

「小さかったからよく覚えてない」

 

 ウタは短く答えた。赤髪海賊団との過去には触れられたくない。

 声が固くなったことに気付いたのか、ローが首を傾げる。

 

「じゃあ、麦わらとはどこで会った。幼馴染なんだろ」

東の海(イーストブルー)のフーシャ村ってところ。地図だと、確かこの辺り」

 

 すぐに話題が代わり安心した。ウタの動揺を察して別の話へ切り替えてくれたのかもしれない。地図上の一点を指し示せば、興味深そうな声が返ってくる。

 

「どんな村だった?」

「いいところだよ。風車が沢山あるんだ。丘に登って、海とか山を見てると気持ちいい風が吹くの。村のみんなも優しくて……」

「いい村なんだな」

「そう! 特別なものがあるわけじゃないけど、すごく素敵な村なんだ」

 

 思いの外肯定的な反応が返ってきて嬉しくなり、ウタは勢いよく立ち上がって両腕を広げた。そうしているとフーシャ村の心地良い風を思い出せる気がして自然と笑みが溢れる。

 高揚のままにその場でくるりと回ってみせれば、片膝を抱えたローが問いを投げかけてきた。

 

「どんな風に過ごしてたんだ?」

「ぼんやりしてるだけでも気持ちよかったな。ルフィといるときは、かけっことか釣りとか。かくれんぼもしたし、ナイフ投げに腕相撲……そうだ、チキンレースも!」

 

 はたと我に返る。はしゃぎ過ぎた。

 恐る恐るローの様子を窺う。

 

「つまり、普通に遊んでただけというか、ね?」

「昔からお転婆なんだな」

 

 金の瞳が柔く細められているのに気付き、急に恥ずかしくなった。

 ウタは勢いよくしゃがみ込む。

 

「……そういうローさんはどうなのよ」

 

 突然水を向けられたからか、ローが虚をつかれたように瞬く。表情の薄い、ともすれば不気味な男だが、彼にも子ども時代はあるわけで、俄然気になってしまうウタだ。

 

「子どもの頃、どんな遊びをしたの?」

「おれは……まァ、普通だ」

「普通じゃ分からないってば。外で駆け回ってるイメージがわかないけどインドア派? 子どもの頃は意外にやんちゃだったりして」

「どうだろうな。友達と外遊びをすることもあったが、家で勉強してる時間も長かった」

「えー、勉強なんてつまらないでしょ」

「そんなことはねェ。新しい知識を得ると興奮するし、解剖なんかは今でも楽しい」

 

 何か変な単語が混じっていたような気がする。

 思考が回らず、ウタは動きを止めた。

 

「かいぼう?」

 

 冗談かと思い愛想笑いを浮かべてみせれば、ローは不思議そうに首を傾げる。

 

「解剖。楽しいぞ」

 

 その目は底抜けに澄んでいた。

 なんなら少し輝いている。

 

 これは本気だ。

 幼い頃から一風変わった子どもだったに違いない。友達と遊んでもいたようだが浮かなかったのだろうか。馴染んでいたとすれば、彼の故郷は相当大らかな気風の国だったのかもしれない。

 自分のことを棚に上げたウタは、仕切り直しとばかり咳払いをした。

 

「ところで、ローさんの故郷は────あ」

 

 途中まで言葉にしてしまい、血の気が引くのを感じた。

 子守唄をと願った際のローを思い出したのだ。

 

 

 そうだ。

 ローの故郷は、きっともう。

 

 

 そろりと顔を上げて様子を伺う。

 ウタの視線に気付き、彼は肩を竦めてみせた。

 

「随分前の話だ。気にするな」

 

 表情一つ変えずに流されてしまい、焦燥が胸を迫り上がる。焦りのままに身を乗り出して彼の手を掴めば、その指はやけに冷たく強張っていた。

 

「ごめ──っ」

 

 衝動的に口をつきかけた謝罪を必死に飲み込む。不用意な弁明こそむしろ傷を抉るのではないかと思ったのだ。

 

 咄嗟に俯いてしまったせいで、ローの表情は窺えない。

 ただ、握り込んだままの指の強張りが彼の傷が未だ癒えていないことを物語っていた。

 凪いだ声が静かに告げる。

 

「気にするなと言った」

「そんなの無理だよ。私、加害者だもの」

「お前がおれの故郷を滅ぼしたわけでもなし、大袈裟な奴だな」

「今、あなたを傷付けたじゃない」

 

 引き下がらないウタに困惑したのか、ローは小さく呟いた。

 

「いいんだぞ。謝って楽になるなら、それでも」

 

 ウタは口を引き結びかぶりを振る。

 楽になっていいわけがない。楽になりたいと思う自分をウタ自身が許せないのだ。

 ローのことだけではない。

 エレジア崩壊から十二年、特にここ二年はずっと同じ思いを抱え続けてきた。

 ゴードンに、死んでしまったエレジアの人達に、ファンの皆に、そして赤髪海賊団の皆に謝りたい。

 誰かに罰してほしかった。

 

 なんて身勝手なのだろう。

 

「ダメだよ。償えもしないのに、謝る資格なんてあるわけない」

 

 激しくかぶりを振るウタを見つめ、ローがため息を吐く。

 

「じゃあ、こうしよう。講義は一旦中断。諸々の罰として雑談に付き合え」

「雑談なんて罰にならないよ」

「いいや、なる。お前の貴重な時間を浪費させてやろう。しかも、知らない中年の昔語り付きだ。若者には苦行だろ」

 

 困惑も顕に顔を上げれば、ローが胸元のペンダントを軽く持ち上げてみせた。

 古びたコインとクローバーの小さなチャームが揺れる。

 

「これな、お守りなんだ。祭りの日、父様と母様にねだって買ってもらった」

 

 真新しい飾り紐と燻んだ金の鎖で結ばれたそれは、よく見れば大人の男性が身につけるには些か子どもっぽいデザインだった。

 コインの縁を指でなぞり、ローが薄く笑う。

 

「おれの故郷は裕福で、年中祭りを開いてるような国だった」

 

 ふるさとの話だ。

 ウタは息を呑む。

 

 傷付けた相手に気を遣わせたことが心苦しい。申し訳なさで胸が一杯になる一方、同時にどうしようもなく安堵してしまう自分を感じ、ウタは唇を引き結んだ。

 応えなければいけない。罰などと戯けてみせた彼の気遣いを無駄にしてはいけない。

 切り替えなければ。

 強く自分に言い聞かせ、一つ息をついてから無理矢理声を弾ませる。

 

「お祭りってパーティみたいなものだよね。そんなに沢山のお祝い事があったの?」

「季節毎の慣わしにカーニバル、収穫感謝と酒の祭り……パーティというよりはパレードやマーケットの方が近いかもな」

 

 マーケットと聞き、ウタの肩が小さく揺れた。

 

「マーケットって屋台とかが沢山出てる?」

「そうだ。行ったことがあるのか?」

 

 ウタは頷く。

 

 うんと小さな頃、シャンクスの気まぐれで陸に出かけた夜のことだ。ランタン揺れるナイトマーケットを冷やかして服を買ってもらった。

 フリルやレースがふんだんにあしらわれたワンピース、飾りつきのポンチョ。あいにくその服は祭りの喧騒で失くしてしまい、後日似たような服を山ほど買い与えられた記憶がある。

 

 女の子らしさのイメージが『ひらひらふわふわしたもの』一本調の男共には呆れたものだった。ウタとしては『女の子らしい格好をさせたい』という男親の気持ちを組んであげただけで、本音を言えば動きにくいデザインの服は趣味ではない。

 だが、それでもウタはどんな服でも着こなしてみせた。

 そうすると皆が喜んでくれる。

 喜ぶ皆をみて、ウタも満更ではなかった。

 

 今でも思い出せる。

 シャンクスの満足そうな顔。祭りの夜の特別な思い出。ランタンの灯りをうつして煌めくシャボン玉と舌で蕩けた綿飴の甘さ。

 内緒話を抱える小さな非日常と、当たり前に皆の待つ船へ帰る日常。

 そして、船で皆と歌う楽しさ。

 赤髪海賊団の音楽家を目指すきっかけともなった、忘れじの────

 

「おい、どうした」

「──え? 何? どうかした?」

「こっちの台詞だ。急に黙り込むから何かあったのかと」

「ごめんね。なんでもないんだ」

 

 訝しげに告げられ、ウタは誤魔化すように笑ってみせる。懐古に耽ってしまっていたらしい。

 溢れる思い出に飲まれてしまいそうだった。それでも優しい記憶に触れていたくて、ウタは話を続けてしまう。

 

「ナイトマーケットなら行ったことがあるよ。シャンクスにわたあめを買ってもらったんだ」

「へえ、さすが海賊だな。不良だ」

「不良って。今の話のどの辺が不良なのよ」

「子ども連れでナイトマーケットへくりだして夜に甘味だろ。充分不良じゃねェか」

 

 見るからにカタギでない黒衣の男が妙に真面目な顔で力説する。なんだか面白くなってしまい、ウタは咄嗟に顔を背けた。本人の目の前で吹き出すのはさすがに失礼と思ったのだ。

 笑いを堪え震える口元を袖で隠す。すると、何を勘違いしたのか、ローは困ったように囁いた。

 

「怒ったか?」

 

 やや侘しげな声音が笑いを誘う。やめてほしい。こちらは必死に耐えているというのに。

 

「怒ってない」

「本当に? 我慢してるんじゃねェのか」

 

 咳払いで誤魔化してすまし顔を披露すれば、訝しげな金の瞳と出会う。疑うというより案じているのだろう。思わしげに瞬くその光を見返し、ウタはつんとすまして顎を上げた。

 

「嘘なんてついてない。私、嘘は嫌いだし、怒る理由なんてないもの」

「あるだろ。お前の父様を貶したんだから」

「貶してはないでしょ。きっとローさんから見たら不良だろうしね」

 

 比較対象が少ないのでどうともいえないが、ウタの体感として、ローの印象は赤髪海賊団よりもゴードンに近い。

 両親への敬称、滲む道徳観念。所作の端々に幼少期の教育の気配が感じられる。

 先程リクエストされた歌もそうだ。他にも複数の子守唄がある中で、迷わず自身の知る歌を選び出していた。つまり彼は楽譜が読めるのだ。それも、当たり前のように。

 

「ローさん、良いところのお坊ちゃんってやつでしょ。夜のお祭りなんて経験なさそう」

 

 揶揄うように言えばローは眉を顰めた。どうやら癇に障ったらしい。

 怒っているというよりいじけているようで、彼はややムキになった様子で反論する。

 

「夜だから特別ってことはないだろ。昼のフェストだって同じものを売ってる」

「えー? やっぱり雰囲気も大事じゃない?」

「昼には昼の良さがあるんだよ。明るいから迷子にもなりにくいし、酔っ払いも少ない。移動遊園地も華やかで、昼でも花火だって上がって──」

 

 何が彼をそこまで熱くさせるのかわからないが、身振り手振りを加えてそこまで言って、ローははたと動きを止めた。

 ウタを恨みがましく睨む様ときたらもう笑えてきてしまう。

 

「ごめんごめん。からかいすぎたね」

「大の男を揶揄うなんてお前も不良だな」

「ローさんがおぼっちゃまなだけじゃない?」

「確かに家は裕福だったが……」

「もしかして、屋台のごはんとか甘いものも禁止だった? わたあめは? 食べたことある?」

 

 畳み掛けるウタを呆れ顔で眺めた後、ローはため息をついて左腕を振るった。

 落ちていた海軍の防音機器が消え、代わりに現れたのはボトルとマグカップ。無言で渡されたマグを受け取れば、そこに赤い液体が注がれる。

 ボトルに保温機能がついていたのか、湯気があがり香気が鼻をくすぐった。

 

「なに、これ」

「喋りすぎて喉が渇いた。お前も付き合え」

 

 意趣返しのつもりか、ローがぼそりと呟く。

 

「真水は値が張る。お前みたいなお子様は甘い飲み物が好きだからちょうどいいだろ」

「失礼ね。でも、好きだから見逃してあげる」

 

 反射的に言い返したものの、ウタはマグカップを抱えて口を噤んだ。

 

 指先から温かさが伝わって心地がいい。

 だが、警戒もしてしまうのだ。

 

 香りを確かめる。アルコールではない。

 使われているのは果実とスパイスだろうか。甘やかながら複雑な香りがした。

 例えばの話、ここにネズキノコの解毒薬が含まれていたとしても、味や香りに誤魔化されて気付けないだろう。

 

「甘いものは好きなんだけどさ」

 

 今更とも思いつつ疑い躊躇うウタをよそに、ローは飄々としていた。

 マグは一つしかないし、どうするのかと見ていれば、直にボトルをあおり始めるではないか。

 冷ましもせずに飲んで火傷しないのか、やや気になるが、とりあえず毒──ではなく、解毒薬が含まれていないことは理解できる。

 ウタは安堵を誤魔化すように口を尖らせた。

 

「もう、行儀悪いよ」

「どうだ、おぼっちゃまはこんなことしねェだろ」

「うーん、直飲み程度で悪いことしてるって認めちゃう時点でさあ」

 

 何にショックを受けたのやら硬直するローを放置し、ウタはマグを覗き込む。恐る恐る口をつけてみればなるほど甘い。ベリーに似た酸味もあり、スパイスのおかげか奥行きのある味だ。

 

「おいしい。ほっとする味だ。温まるね」

「そうだろ。ガキの頃よく飲んでたんだ」

 

 つまり、故郷の味らしい。

 曰く、祭りで供されることが多いホットドリンクだとのこと。手軽にお祭り気分を味わえる飲み物として、家庭それぞれにレシピが伝わっていたようだ。

 

「コンサートじゃなくて祭りだって聞いて懐かしくなってな。昨日仕込んでおいた」

「いや、お祭りでもないんだけど」

「フェスなんだろ? 何も起きなけりゃ帰り際にでも知り合いと一杯やろうとしてた」

「うん? それはごめんなさい……?」

 

 残念がられるものだから思わず謝ってしまったが、別にこちらが悪いわけでもない気がする。ウタは首を捻った。

 そもそもライブであって祭りの意味のフェスティバルではない。この男、勘違いしているのではないだろうか。

 ウタの胡乱げな視線に何を思ったか、ローがさらなる抗議を重ねてきた。

 

「これでも結構改良を重ねてるんだからな。昔と同じ材料は使えねェし、地道に研究してるんだ」

「うんうん、大丈夫。すごくおいしいよ。披露する機会を奪っちゃってごめんね」

 

 物事にのめり込みやすい性質なのだろうか。淡々とした声音ながら憤然と訴えてこられても困る。ローを宥めつつ、ウタはマグを傾けた。喉から下へ甘い香りと温かさが広がり心地よい。

 

「昔と同じ材料は使えないって、果物とかスパイスの話?」

「……まァ、そんなところだ。故郷の特産品で今じゃ市場に出回ってねェ」

「そうなんだ。ベースは果実のジュースだよね? ぶどうとオレンジ、りんごとか?」

「ニワトコの花と実、黒すぐりに紅茶を少し。スパイスは企業秘密だな」

 

 黒衣の男は研究者の顔付きで語る。思いの外、味へのこだわりが強い様子だ。

 話ぶりからして今は亡き故郷の味であろうし拘るのも不思議ではないのだが、大の男と甘い果実ジュースの組み合わせがどうにも飲み込めない。ウタは苦笑いを浮かべた。

 

「ローさんもしかして酔ってる? これ、お酒とか入ってない?」

「酔ってないし酒は入れてねェよ。子ども用なんだ。大人はジュースの代わりにワインを使う」

「ローさんも普段はワインにしてるんだ?」

「おれは酒は嫌いだ。酔う暇がねェし、肝心な時に手元が狂うのも避けたい」

 

 すまし顔で答えたローはボトルを片手に目を細める。

 

「おれの両親も、仕事に差し支えるからと酒は控えてこれを飲んでたな」

「仕事熱心なご両親だったんだね」

「ああ。いつも忙しく働いて、それでもおれ達と過ごす時間をとってくれた」

 

 “おれ達”という言葉にウタは首を傾げた。複数形で語るということはローの他に誰かいたということなのだろう。

 大人しく続きを待っていると、彼は再びコインのペンダントを揺らした。

 

「家族で祭りに行った時、妹が駄々を捏ねてな。最初は豆粒みてェな鉱石のペンダントを欲しがってたんだが、子どもは誤嚥が怖いだろ?」

「あー、分かった。ご両親に反対されちゃったんでしょ」

「そうだ。おれもコインが欲しくて便乗した。妹も粘りだして……結局、あいつが勝ち取ったようなもんか」

 

 妹がいたのか。道理で子どもっぽいわりに面倒見がいいわけだ。

 妙に納得して笑ってしまう。

 

「妹さん、おねだり上手なんだ?」

「あれはおねだりなんて可愛いもんじゃねェ。最終的には母様のスカーフと父様のもみあげが犠牲になった」

 

 どんな怪獣だ。

 とは言え、子どもの力は侮れない。ウタ自身、勢いあまってヤソップの髪束を引き抜きかけたことがあった。

 少女とは皆、己が願いに忠実かつ手加減知らずの猛獣なのである。

 

「あいつときたら、家族で揃いの何かを身に付けたいと聞かねェ。泣き喚いて噴水の縁にしがみついたまま梃子でも動かねェもんだから、最後はもう家族全員笑っちまってた」

 

 ウタはありし日のトラファルガー家を想像する。

 

 誤嚥を気にして渋る両親、誤嚥対策の折衷案にと自身の欲するコイン型のペンダントへ誘導するロー、そして根気よく粘り最後は泣き喚いて全てを欲しいままにする妹。思いの外、賑やかな家族であったようだ。

 

「仲、良かったんだね」

「そうだな。家族揃いでモチーフ違いのお守りを選ぶのも……まァ悪くはなかった」

 

 語る声は相変わらず凪いだまま。だが、言葉や仕草の端々に滲む熱が彼の頬を仄かに緩ませる。

 恐らく彼自身は気付いていないであろう愛情と懐古。その自覚のなさがむしろ切なく思えた。

 

 引き摺られるように生じた自身の感傷を飲み込み、ウタはにやりと笑う。

 

「ローさんもお守りとか欲しがるんだ。しかも、可愛いデザインだし。ちょっと意外」

「可愛さ云々より他所の金貨が珍しくてな。クローバーも、あと天道虫もか」

「そんなに珍しい? どこでも見れそうなのに」

「そうでもない。外の物はどれも色鮮やかで、何もかもが珍しかった」

 

 コインのペンダントは験担ぎとして定番の意匠になっており、様々な種類があるらしい。金貨は富、クローバーや天道虫などのチャームは幸せを表すのだとローは教えてくれた。

 

「煙突掃除夫、豚、馬蹄、あとは毒キノコもあったか」

「へー、キノコにはどんなご利益があるの?」

「安心のお守りだな。ついでに金運アップ」

「なにそれ、おかしいの」

 

 ウタは手元にネズキノコを引き寄せてひとかじりし首を傾げる。

 

「おいしくないのにね」

「まずいのにな」

 

 したり顔で頷くローが妙に面白く、ウタは膝を叩いて笑ってしまった。

 笑うウタを見つめ、ローが声を落とす。

 

「最近、思うところがあってな。周りの奴らに故郷の話をするようになった」

「そうなんだ? 結構昔の話なら思い出すのも大変だったんじゃないの」

「そうでもない。随分と昔のことだってのに、意外に覚えてるもんだ」

 

 分かる気がする。ウタは言葉もなく頷いた。

 毎日が初めての経験ばかりで、子どもの小さな身体には抱え切れなかったはずの思い出達。結局のところ、それらは今なおウタの身体を動かしている。

 

「昔のことって、どうして忘れられないんだろ。家族の顔とか、仕草とか、声とか。きっかけがあるとすぐ思い出しちゃう」

「赤髪達のことか?」

「うん。いい思い出も、辛い記憶も消えてくれない……赤髪海賊団の皆は私を育ててくれたけど、結局捨てた。エレジアに置いていったんだ」

 

 事実ではない。分かっていた。

 他人事のように語る自分自身を嫌悪しながら、それでも言葉を止められない。あの夜に閉じ込められた心が今なお叫び続けている。

 

 ウタが自嘲に沈んでいると、ローが口の端を歪めた。

 

「何がおかしいの」

「何も。捨てられたにしちゃ立派に育ったじゃねェか」

「拾ってくれた人がびっくりするくらいの善人だったからね」

「へえ、そりゃあ運が良い」

 

 話を逸らした上に適当に返してくるロー。だが不思議と怒りは湧かない。短い付き合いながら、これが彼なりの気遣いであり、虚勢でもあることに気付いたからだ。

 

「ローさんは? 家族と離れた時はもう大人だったの?」

「いや、おれもガキのうちに拾われたクチだ。お前と違っておれを拾った奴は善人じゃねェし、育ててくれた奴も場末のゴロツキだったがな」

「ふーん、それはお気の毒」

「そうでもない。理由や下心があったにせよ、厄介者を匿って必要なことを教えてくれた」

 

 目を伏せたまま、ローが呟いた。

 

「あいつらには返しきれねェ恩がある」

 

 これまでのどこか投げやりな態度とは一線を画す深い声。

 柔らかな熱を帯びた瞳が瞬く。

 その目は遠い海境を見つめていた。

 つられて視線を向ければ、細波の音と潮の香りがウタに届く。

 

 懐かしい海の気配。

 

 波の音、潮の香り、遠い灯台の光、星の輝き。

 エレジアに残されてすぐの頃、風に乗って伝わる海の匂いや音が煩わしかった。

 あの暗い海のどこかにシャンクス達がいる。そう思う度、どうしようもなく心がざわめいた。

 だからといって、耳目を塞いでも意味はない。どんなに遠ざけても、心は彼らとの思い出を眼裏に映し出し、唇は恋しさに震えて歌を紡ぐ。

 

「恩人さん達と暮らしてる時さ、ローさんは故郷や家族のことを思い出さなかった?」

「いや。余裕がなかった」

「そっか。私は思い出してたな」

 

 ウタはふるりと頭を振り、膝を抱えた。

 

「すごく悪いことをしてるみたいでいやだった」

「どうしてだ」

「だって、私の家族はエレジアを滅ぼしたとんでもない悪党だって聞かされたんだもの」

 

 事情を知らないであろうローが黙り込む。確かに反応に困るかと思い直し、ウタはおちゃらけてみせた。

 

「馬鹿だよね。私ったら、未だに赤髪海賊団の夢をみるんだ」

 

 夢は表裏一体だ。赤髪海賊団での楽しい思い出をなぞり、いずれエレジア崩壊の夜に辿り着く。

 見当違いの怒りを燻らせ、憎しみを背負い、悲しさを叫び散らして。そうして、取り返しのつかない過ちを犯し続ける自分を夢にみて、我ながら恐ろしく思った。

 確かに真実は恐ろしい。知らずにいられたら良かったと何度も後悔し、そんな自分をただただ嫌悪した。

 一方で、安堵する自分もいたのだ。

 

 

 ああ、そうか。

 シャンクスを憎まなくてよかったのだ、と。

 

 

「呆れちゃうでしょ。特別でもなんでもないのに、船で過ごしてた頃のことばかり夢にみるの」

 

 二律背反の感情に吐き気を催しながら、ウタは束の間の夢を求めた。

 夢はぼやけることなくいつまでも鮮明なままで、だからこそ縋りついてしまう。

 

「私は“海賊嫌い”のウタ。シャンクス達との幸せな思い出なんて振り返っちゃダメな立場なのに。本当、馬鹿みたい」

 

 意味が分からないだろうに、ローは瞼を伏せて考え込んでいた。特に返答を待つつもりもなかったのだが、彼はやおら視線を上げて口を開く。

 

「赤髪達はお前を捨てたんだよな? しかも、それまで酷い扱いをするでもなく、ある日突然」

「────うん」

「なら、むしろ逆じゃねェか? 馬鹿はお前じゃなくて赤髪達の方だ」

 

 理屈が分からない。

 ウタは眉を顰めた。

 

「どういう意味?」

「いずれは切り捨てるガキを丁寧に扱ってたわけだろ。無駄だと思わねェか」

「丁寧? 結構雑に扱われてた気がするけど」

 

 納得いかず口を曲げるウタを眺め、ローが気のない様子で続ける。

 

「人間の子どもと言っても所詮は動物だ。極論、船の端に転がして飯と寝床さえ与えてやれば、それなりには育つ」

 

 大雑把な人間が言うと説得力が違う。至極当然のことのように宣うものだから、ウタは口を半開きにしたまま反論できずじまいだった。

 

「だが、お前は人間扱いされて生きてきた。失敗であれ成功であれ、親の目の届くところで安全に、少しでも良い経験をと育てられている」

「何よ。お説教でもしたいわけ?」

「いや、ただの推察だ」

 

 ローがかぶりを振る。確かに本人が否定している通り、咎めるような口調ではなかった。

 説教と感じてしまうのはウタ自身の問題だ。

 

「見てきたことのように言うんだね」

「夢に見るほど記憶が鮮明で、しかも悪い思い出でもない。お前が話したんだろ?」

「…………」

「共に過ごした時間は濃密で、お前も赤髪達を信頼していた。違うか?」

 

 確かに間違ってはいない。だが、素直に頷くのも癪だ。ウタは膝を抱えてそっぽを向く。

 

「赤髪達は荷物にしかならねェガキをなおざりにせず、それどころか真剣に向き合って育てていたわけだ」

「……そうかもしれないけどさ」

「お前の父様達はたいそう不良だが、子育てについちゃ熱心だったようだな」

 

 言いたいことは分かる。赤髪海賊団の皆は日々を共に過ごしてくれた。

 ゴードンも同じだ。閉じこもるウタを見守り、支えてくれた。きっと自身の苦しみまでも欺いて、それでも、ウタにさみしい思いをさせないように。

 だからこそ苦しいのだ。

 真実は隠されたまま。互いを思う嘘のために、ありがとうやごめんなさいの言葉でさえも伝えることすら許されないのだから。

 

 まるで胸に穴が空いたようだ。少しの風が吹いても鋭く痛むそこを押さえつけ、ウタは歯を噛み締めた。

 

「あなたに何がわかるの……?」

 

 苛立ちのままに立ち上がる。

 視界が揺れ、気持ちが悪い。全部が全部許せないような気がして、何もかも吐き出して打ち明けてしまいたかった。

 だが、真実の代わりに溢れるのは益体もない言葉ばかり。

 本当に責められるべき相手はウタ自身の内にしかいないものだから、言葉は彷徨って向き合う相手を傷付けようとする。

 

 ローが悪いわけではない。

 だが、どうしようもなく腹が立っていた。

 

「ローさんには分からないよ! シャンクスのことも、私のことも、何も知らないくせに!」

 

 空虚な叫びを叩きつけ、ウタは踵を返す。

 最初は少し離れようと思っただけだった。だが衝動はおさまらず、ついには濡れた地面を蹴って走り出す。

 追いかけてくる様子はない。

 

 舞台から飛び降り、スタンドに向かった。息が乱れるのも構わずがむしゃらに走り、めいめいに眠る人々の間を抜ける。

 そして、水平線が見える桟橋まで辿り着いてしまった。

 

 曇天の下、灰色の海が揺れている。

 見えるのは海軍の軍艦だけ。

 十年ずっと探してきた船影などどこにもない。

 

「なんで」

 

 もう立ってもいられず、ウタは膝から崩れ落ちる。何にも縋れず一人きり、自身を抱きかかえるように蹲った。

 あの夜のように、懐かしい名を叫ぼうとする。だが、歌姫の喉は引き攣ったまま、ただひしゃげた呻きだけが零れ落ちた。

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