ONE PIECE novel.DD “怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴ   作:ladybug

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Face the music

 

 晴れ渡るウタワールド、エレジアの旧市街地。

 廃墟立ち並ぶ町の一画に、荒くれ者達が集結していた。

 ヘルメッポ少佐、そして麦わらのルフィと人喰いのバルトロメオがエレジアを駆け回り集めた戦力達である。

 

 海賊に賞金稼ぎ、そして海兵。立場も矜持もそれぞれだ。有事の協力といっても、常が常であるからして衝突は絶えない。

 今もまた事が起きているようで、ビッグマム海賊団の手勢がルフィと遭遇するやいなや離脱を宣言。幻の共同戦線は一瞬にして瓦解し、ヘルメッポが唖然としていた。

 多大な苦労の上でやっと連れてきたのであろうに哀れなことである。

 

 ドンキホーテ・ドフラミンゴは憐憫を気取られぬようにとサングラスを押し上げ、臨時共同体の悲喜交々を観察していた。

 もっとも、目はともかく心は別事を追っていたのだが。

 

 ゴードンから聴いたエレジア崩壊の裏側。

 魔王と呼ばれたトットムジカの存在。

 真実と嘘。

 

 どれもこれも頭の痛い問題だった。

 ニコ・ロビンが情報収集にあたっている以上、トットムジカについてはどのみち存在が知れる。その攻略法の模索についても麦わらの一味に任せておけば問題ないだろう。

 ただ、可能なかぎり十二年前の真実は伏せておきたい。エレジアの崩壊はトットムジカと無関係という体を保ちたかった。

 ウタや赤髪海賊団はともかく、ゴードンに対しては義理がある。無理矢理に真実を暴いた身として責任も感じていた。

 真実は隠しておいてやりたいのだ。

 ゴードンの歩む道が険しいものとならないよう。せめて、彼自身の言葉でウタと話せるように。

 

 分かっている。

 これは同情とも言えないただのエゴだ。

 ドフラミンゴ自身の過去の経験からくる、身勝手な憂慮と痛みがそう思わせているだけなのだろう。

 

 それでも、無下にしたくなかった。

 十二年もの間、偽りと共に生きたゴードンの弱さ。

 そして真実の痛みに耐え続けた彼の強さを。

 

 理由は分からないが、同じく事実を知ったヴェルゴは沈黙を保っている。先程それとなく様子を窺ってみたところ、森の入り口で休息をとっているようだった。

 ロー至上主義と言っても過言でない彼のことだ。他の海賊らと馴れ合うつもりもなければ、かつての職場仲間と旧交を温める気もないらしい。

 彼の性質からいって、わざわざ人前に出て事実を吹聴することもないだろう。

 ヴェルゴは放置しておいて構わない。

 他の面々が真実に辿り着きそうになった時、どうするかが問題だ。

 

 聡く情報の扱いにも長けたニコ・ロビンについては誤魔化すのもとりわけ困難だろう。また、海兵やサイファーポールも警戒しなければ。

 最悪の場合、無理矢理にでも個々人を言いくるめるしかない。不実に加担させる形になるが共犯の申し出を────

 

 そこまで考えて、ドフラミンゴはため息を吐いた。

 望みの薄さに気が遠くなる。麦わらの一味はともかく、他を説き伏せるには足りないものが多すぎた。

 

 “衛星糸(サテライト)”と“影騎糸(ブラックナイト)”により集積した情報、ドフラミンゴ自らの手で暴いた真実。

 その重さと自身のエゴ、そして他人に自身とベポの命を握られているという危機的状況に精神が擦り減り、思考が濁っていく。

 知らずのうちに考え込んでしまい、ドフラミンゴの眉間には深い皺が刻まれようとしていた。

 

 その時である。

 

「アチョー!」

「いっ⁉︎」

 

 脇腹にめり込む強烈なカンフーキック。

 裂帛の気合いで放たれた一撃がドフラミンゴの思考全てを吹き飛ばす。

 

 鋭い痛覚と驚愕に支配され、ドフラミンゴは慌てて辺りを見回した。

 蹴りを入れてきたのはもちろんベポ。愛すべき幼馴染にして有能な航海士である。

 小さなミンク族は呆れ顔で腰に手を当てて、己が船長を見上げていた。

 

「なんだ? どうしたんだ、ベポ」

「!?」

 

 ベポが全身全霊のリアクションで驚愕を表す。

 何故分からないのかと言わんばかりだ。

 首を捻るばかりのドフラミンゴの目の前で、ベポが小さく跳ね回りながら周囲を指し示す。

 そんなに慌てて何が起きたというのだろうか。

 ドフラミンゴは眉間の皺を親指で押し伸ばし、辺りへと視線を巡らせた。

 

 ところで、である。

 

 ドンキホーテ・ドフラミンゴという男はなかなかに名の通った海賊だ。

 身の丈三メートルを超える偉丈夫。智略謀略もお手のもの、海戦・情報戦では右に出るものがいない策士。

 元王下七武海であり、現四皇の元同盟相手。単独ではないとは言え四皇を一人引き摺り下ろした若き大海賊。

 ついでにいえば、全力のごっこ遊びという高等すぎる趣味に生きている強者でもある────

 そんな男が渋面で集団のど真ん中に立っていたらば、どうなるだろうか。

 

 

 潮が引くように遠ざかる人々の群れ。

 周囲の空気は完全に凪いでおり、もはや呼吸音すら聞こえてこない。

 

 気付けばドフラミンゴは静かなる空白地帯(ばくしんち)に仁王立ちしている状態だった。

 

 

 ベポの他はただ一人、急作りの車椅子が原因で独力回避が出来ないゴードンだけがぽつねんと取り残されている。

 目が合った瞬間、老国王は慌てたように笑みを浮かべた。

 

「何度か声をかけたのだが、考え込んでいたようだから……大丈夫かね?」

「あ、いや、これはだな。つまり、おぐっ⁉︎」

 

 咄嗟に取り繕おうとしたところ、再び襲撃を受ける。一度目と同じ箇所へピンポイントに蹴り込まれ、ドフラミンゴはたまらず呻きを上げた。

 

「アイー! アイアイ?」

 

 ドフラミンゴの凶相を無視して見事二蹴りをかましたベポが飛び上がって何かを主張している。小さくなっても航海士、只人では舵取り困難な場の空気などなんのそのだ。

 しゃがみ込み掌にのせてやれば、彼は短い手足を懸命に動かして身振り手振りを繰り返した。ウタウタの能力下で制限された言葉を補うためか、数々のジェスチャーや肉体言語を駆使しての語りかけである。

 ただ、悲しいかな、普段と体格が異なることもあってイマイチ伝わってこない。

 

 周囲への配慮が欠けていたことを叱責されているのだろうか。それとも、ドフラミンゴの思考に気付き、エレジアについて考えること自体、的外れな独善だと非難されているのだろうか。

 

 己がクルーの意見すらまともに受け取れず、ドフラミンゴの眉尻は情けなく下がっていく。

 ついには口までへの字になり醜態を晒していたところ、遠慮がちな咳払いが聞こえた。

 

「あー……二人とも、少しいいかね」

 

 片手を上げて注意を引いたゴードンが生真面そのものの声音で語りかけてくる。

 動きを止めた海賊二名を前にして、老国王は遠慮がちに、しかし確信した様子で続けた。

 

「いらぬお節介かもしれないが……クマ君、もしかするとキミはドフラミンゴ君のことを心配して声をかけたのではないかな?」

「アイ! アイアイ!」

 

 老国王の問いかけにベポが目を輝かせる。ドフラミンゴの掌の上で飛び跳ねた彼は、老国王へと駈け寄り感謝を示した。全身全霊のボディーランゲージ、まさかのガルチュー付きである。

 

「はは、これはくすぐったいな」

「アイアイ!」

 

 仲睦まじきは良きかな。とはいえ、和やかな二人を見つめるドフラミンゴの胸中は複雑だった。

 

「…………」

 

 出会って数時間のゴードンですらベポの心を汲み取れるというのに、己ときたらどうだろう。長年の付き合いはどうした。

 しかも心配とは。てっきり教育的指導かと思っていた。

 というか、二人、仲が良すぎないだろうか。確かに同じ強面でもゴードンの方が優しそうではあるが……。

 

 ショックと困惑、そして微かな嫉妬。

 心を覆う霧を振り払うように、ドフラミンゴは目を細めた。

 ベポに置き去りにされたまま半開きになっていた口を無理やり閉じ、なんとか笑おうとする。しかしそう上手くいかず、再び口角が下がってしまった。

 眉は八の字、口もへの字。

 なんとも情けない船長である。

 

 そんなドフラミンゴを見ていたベポが肩を竦め、大仰に首を振った。『仕方ない』と物語る表情のまま、彼は脅威の脚力で跳躍し、ドフラミンゴの肩へと乗り上げる。

 つぶらな瞳がドフラミンゴを見つめていた。

 

「キャプテン」

 

 ベポが小さな両腕を広げて抱きついてくる。

 普段と比べればあまりに頼りない、しかし確かな感触。ふわふわと擦り付けられる毛並の柔らかさに導かれ、ドフラミンゴはゆっくりと息を整えた。

 

「……すまねェ、悪かった。苦労をかける」

「アイー、アイアイ?」

「うん? あァ、そうだったな。ありがとう、ベポ。もう降りていいぞ」

「アイアイ、キャプテン!」

 

 幼馴染が満面の笑みを浮かべる。愛らしいフォルムに反して鋭い牙がチャームポイントだ。

 飛び降りて転びそうになるベポを足で支え、ドフラミンゴは嘆息した。

 

 情けない。

 他人の手助けにと苦心した結果がこのザマだ。

 いまだに幼馴染達の教導が手放せないのだから、この道のりは険しく遠い。遠すぎる。

 

 注意喚起に実力行使、そして心配と仲直りの抱擁まで。本日不在の旗揚組他二名分まで一手に担うベポと比べると、成長のない己のなんと不甲斐ないことか。

 

 肩を落としていたところ、二人の様子を見守っていたらしいゴードンが朗らかに語りかけてきた。

 

「ドフラミンゴ君、キミの友人は逞しく思慮深い上に愛らしい。本当に素晴らしいクマだ」

「フッフッフ、その通りだ。厳密にはクマじゃねェけどな」

 

 ドフラミンゴはペンダントチェーンを指で辿り、一呼吸おいて肩の力を抜いた。

 何はさておき、ひとまず笑顔だ。

 それがなければ始まらない。

 凝り固まった両頬に親指を押し当てて揉み込み、最後の仕上げにと口の端を引っ張り持ち上げる。

 

「キャ、キャプテン?」

 

 ベポが一歩遠ざかった。

 例えるならば無手で海王類と対峙しているかのような顔つき。

 とどのつまり、怯えている。

 

「待て。怖がるなんてひでェじゃねぇか。ほら、笑顔だ。ベポ、お前も笑えよ」

「アィ……」

 

 差し伸ばされた手を避けるベポ。幼馴染の浮かべる愛らしくも引き攣った笑顔にドフラミンゴはやや傷付いた。

 しかし、気合いの笑顔が怖いのはどうしようもない。顔の造りの問題である。

 心根だけは上向きに矯正せねば。意気込みも新たに笑みを深めたドフラミンゴであった。

 

 

 ────とまあ、この場は何の問題もなく、事態解決のために一同邁進したわけだが。

 

 ウタワールドに関する諸問題が解決し、穏やかさを取り戻した頃のこと。

 この一件が遠因となり、ドフラミンゴはある噂を耳にすることになる。

 

 曰く、

 ドンキホーテ・ドフラミンゴは可愛いもの好きの寂しがり屋で船員を抱き枕にしないと眠れない、とか。

 意外に繊細かつ乙女趣味、怪盗業時のコートは安心毛布の代わりで、これがないと実力を発揮できない、など。

 

 根も葉もあるにはあるが、珍妙な花の咲いた噂だ。

 ドフラミンゴは思った。

 またか、と。

 怪盗の件はともかく、今回は突発的な噂だ。無視しておけば直に忘れられる。

 そう考えて口を閉ざしたのが悪かったのだろう。

 噂は海を渡って尾鰭背鰭を搭載し、大海賊時代の荒波の果てで奇跡的に合流。最終的には奇々怪々な捏造報道を流布されるに至った。

 

 曰く、ドンキホーテ・ドフラミンゴには友であった大型鳥類を(物理的な意味で)抱き潰してしまった悲しい過去がある。

 悲嘆に暮れた彼は、かつて憧れた男の縁を辿ってとある本に出会い、深い悲しみを癒してくれる物語の沼に嵌まり込んでしまった。

 彼は今もなお亡き友鳥の羽を編み込んだ手製のコートを纏って夜を舞っている────

 

 地方新聞の片隅に載った三文記事『“怪盗”ドンキホーテ・ドフラミンゴのルーツを探る』はドフラミンゴの額に青筋山脈を築き、クルー全員の腹筋を叩き割った。

 さらにはパンキッシュな元一時同盟相手から散々煽られ、噂を信じた昔馴染みの人妻(ベビー5)が電伝虫の向こうで大号泣。

 最終的に某革命家からお悔やみ兼謝罪の高級毛布セットが届くに至り、ドフラミンゴの胃には穴が空いたとかなんとか。

 

 目立つ人間は辛い。

 色々な意味で。

 

 そんなわけで、今はまだ過酷な未来を知らない怪盗は、事態解決に向けて決意も新たに動き出すのであった。

 

 

 

 

 

 

 現実世界はあいもかわらず曇天で、海兵に囲まれたエレジアでは世界講座が続いていた。

 

「おれが思うに、お前のウタワールドにもある程度の秩序が必要だ」

「難しいルールなんていらないよ。ごちそうと楽しいことがあれば幸せでしょ」

 

 にこやかに断言するウタに対し、ローは淡々と問うてくる。

 

「争いがあった場合はどうするんだ。肩がぶつかっただけで喧嘩する馬鹿もいるぞ」

「簡単だよ。喧嘩は両成敗!」

「そうか。誰が成敗する? いつ介入してどんな罰を与えるかは誰が何を基準に決めるんだ」

「もー、ごちゃごちゃうるさいな……そんなの適当だよ、適当」

「その適当に納得できない奴がいたらどうする。納得できないまま従うのは自由か? それでも幸せと言えるか?」

 

 易しい言葉ながら手加減なく畳み掛けてくるローに対し、言葉が追いつかなくなったウタは頬を膨らませる。

 じたばたと手足を小刻みに動かして不満を訴えれば、講師は少し間を空けてさらに言葉を重ねてきた。

 

「わかりやすいルールがあった方が安心できる奴もいる。これまでがそうだったからだ」

「そんなものなくても、あっちは自由なのに……」

「最初は皆、不安になる。わかるだろ」

 

 確かに一理はある。

 実際、今のウタワールドには不安が溢れていた。また、突然世界が大きく変わってしまう戸惑いと苦しみならば、ウタ自身、身を以て知っている。

 苛立ちを抑えて座り直すウタの手にマグカップが押し付けられた。先程のお手製ジュースらしい。

 

「これ、ローさんの飲み残しじゃないよね?」

「違う。回し飲みは不衛生だろ。新しいボトルを持ってきたから安心していい」

 

 なんとも悪党らしくない台詞である。

 大人しくジュースを飲んでいると、少しずつ気分が落ち着いてきた。やはり、温かい飲み物は心地良いものだ。

 

 落ち着きついでに先程のローの言葉を振り返る。秩序、ルール、つまり決まり事を決める何かがあった方がよいという話だ。

 現実世界の秩序といえば、言わずと知れた世界政府である。ウタでも名前は知っているわけで、世の人々に浸透した概念とも言えた。

 

「秩序って、こっちでいう世界政府とか?」

「別に国家でも法律でもなんでもいいが……組織で言えばそうだな」

 

 秩序についてはローから提起したくせに、なんとも気のない返事だ。ウタは身を乗り出して尋ねる。

 

「そもそもさ、世界政府って加盟してる方がいいの?」

「できる限りはな。加盟すれば世界の一員として認められ、海軍の守りも得られる」

 

 いまいち分からない。わざわざ誰かに認められずとも、生きていれば誰しも世界の一員なのではなかろうか。

 

 ウタの眉間に皺が寄っていることに気付いたのか、ローが空いた手で地図の一点を指した。

 先程も話に出ていたドーン島とゴア王国である。

 

「多少乱暴な論だが、ドーン島を世界全体に例えるならば、塀の内側のみが世界政府加盟国だ。外側は非加盟、あるいは未加盟国」

「でも、同じ島……同じ世界なのは変わらないよね」

「違う。塀の外──世界政府未加盟国に人間はいない。人間の形をしていても、それらは人間として認められていない」

 

 難解な謎掛けのような言い回しだ。

 ウタは頭を捻り呟いた。

 

「なにそれ? 人間だけど人間じゃないって、トンチじゃあるまいし」

「言葉のままだ。奴らは人間じゃない。だから守る必要がない。見捨てていい。なんなら奪ってもいいし、殺してもいい」

「……は?」

「世界に認められねェってのはそういうことだ」

 

 理屈は理解できた。言葉の意味をそのまま受け取るだけならば簡単だ。

 だが、納得はできなかった。

 ウタの心が拒絶している。

 笑えない冗談だ。そう思いたがる唇が身勝手に歪み、笑いの形で固まった。

 動揺して黙り込んだウタを他所にローは続ける。

 

「ところで、世界政府に加盟するには金がいる。国民一人あたまいくらかを支払う形だ。もちろん適正な額ではあるぞ」

 

 ロー曰く、人口により納める額が変わるらしい。世界政府の運営や海軍の派遣にかかる税金であり、人口や国の規模で額が変動するのは当然とのことだった。

 

「つまるところ、加盟国は世界政府から人権を買っている。そのためには金が必要だ」

「…………」

「言っただろ? 金は大事だって」

 

 色々承服しかねる。ただ、ローが嘘を吐く理由もないため、これもまたウタの知らない世界の事実なのだろう。

 頭のどこかが麻痺したような感覚を引きずったまま、ウタはこれまでの授業と雑談を思い返す。何か、今の話題と似た内容を話した気がしたのだ。

 ドーン島を指すローの指を見ていて思い出す。

 そう、ゴア王国だ。

 

『むしろ負債』

『国にとってはそいつらが生きてるだけでマイナスになる』

 

 ゴア王国の塀の外側で生きる人々に対し、ローはそう評していた。

 

「さっき、ローさんは言ったよね。塀の外の人は負債でマイナスにしかならないって」

「そうだな。よく覚えてるじゃねェか」

「もしかして、塀の外の人達も国民に換算しちゃうと世界政府に払うお金が増えるって意味なの?」

 

 ローが頷く。

 

 赤子や老人、病人など産業に寄与できない者も頭数として換算されてしまうため、税の面では負担となってしまうようだ。

 だが、実際、守られるべき人がいるのだから、個々人の代わりに国が負担すべきという方針は何ら不思議ではない。

 

『要らない人間が犇めくゴミ捨て場』

『国の資源として期待できない奴ら』

 

 そう表現したローの言葉。言い方は悪し様なれど、あれはただ事実を表していたらしい。ウタは眉間に皺を寄せながら考え込んだ。

 悩むウタの傍ら、ローが続ける。

 

「国民一人あたまで金を計上させることは、世界政府にとっても意味がある。たかが一国家の国民が増えすぎると困るんだ」

「どうして? よく分からないけど、たくさんお金を支払ってもらえるんじゃないの?」

「大国に育てば育つほど、反旗を翻された時に面倒だろ。いつでも抑え込めるよう統制と管理が必要だ」

 

 胸が悪い。まるで家畜のような表現だ。

 ウタの鼻頭に皺が寄る。

 

「嫌な言い方をするんだね。ローさんは世界政府のことが嫌いなの? そのわりにはやり方を認めてるようにも聞こえるけど」

「いや? 特に世界政府だけを嫌ってるわけじゃねェ。強いて言えば、世界そのものが嫌いだ」

 

 革命家は凪いだ声で答えた。子どもの我儘のような言葉。そこから彼の感情を窺うことはできない。

 しかし、それまでとは違う微かな違和感を覚え、ウタは首を傾げる。

 

「世界そのものって?」

「言葉の通り、全部だ」

 

 地図上では何もない海のどこかを革命家の指が叩く。勘違いでなければ、その指には微かな苛立ちがこめられていた。

 

「世界政府は絶対だ。決まり事の根本を握って、絶対の正義を遣わし世界を管理している。あいつらに『間違っている』と言える奴はいない」

「でも、悪いことをしてるわけじゃないんでしょ?」

「当然だ。あいつらがすることに悪いことなんてありえない、絶対に」

「やっぱり正義の味方なんだよね」

「逆だ。あいつらの為すことを正義と呼ぶ。それが正しいと思い込まされているんだ」

 

 思い込まされているも何も事実だろうに。

 ローの言い分がわからない。ウタは眉間に皺を寄せた。

 “英雄”と呼ばれ、人々に慕われる青年を見た。力及ばず後手に回ることはあっても海軍は人々を守っている。海軍の大元は世界政府であり、彼らは彼らの下に集った人々を見放さないのではないのか。

 海賊から民衆を守り、国を守る。天竜人への天上金とやらはともかく、世界政府が悪行を裁く側であるのは間違いないはずなのだ。

 

 ウタが頭を捻っているとローが続けた。

 

「虚飾も嘘も、いまさらだ。どうだっていい。どちらもいつの日か暴かれる。だが、あいつらの齎すそれはいつまでも残るんだ。世界中がそれを是とする。それが許せねェ」

 

 正しさを嫌っているわけではない。

 悪を讃えるわけでもない。

 彼の眼はただ、絶望に揺れていた。

 

「誰も彼もが疑わない。疑う力を持つことすら許されない。知ること、伝え報せることや信じることも、考えることすらだ。おれ達は何もかも制限されている。この海に、世界に」  

 

 まるで譫語のようにざらついた言葉が溢れ出して揺れている。

 これまで感じられなかった怒りや落胆、恐れが端々に滲んだ声。そのくせ表情は変わらず能面のようで、だからこそ強烈な違和感を放っていた。

 

 まるで噴火寸前の火山だ。

 どろりと赤い憎悪が脈打つ、災禍の心臓。

 

 不穏さに思わず腰を浮かせたウタに見向きもせずに、抑揚を殺し切った声でローが告げる。

 

「おれが嫌っているのは奴らの仕組みを信じきって疑わない世界のあり方だ」

 

 独り言のように溢し、ローが拳を握りしめる。力が込められた手からは血の気が引き、指先は色を失い白く冷たくなっていた。

 

「人は歴史を捻じ曲げる。秩序を守るために黙っている。あいつらは知っていたくせに事実を伏せた。事実に気付いた人間ごと黙殺して、なかったことにする。それは、それは────」

「ローさん!」

 

 声は凪いだまま。

 表情とて変わらない。

 それでも、彼が苦しんでいるのが分かった。

 

 ウタはローの言葉を遮り、強張った黒衣の肩を揺らす。

 どこか遠くを見ていた金の瞳がウタを射た。

 深い光を放っていたそれがゆっくりと瞬き、穏やかに霞み凪いでいく様をじっと見守る。

 

「……悪い。どうかしてた」

「いいよ。ネズキノコのせいだって。そういうことにしておこうよ」

 

 ウタはわざと明るく言い放った。しかし、ローは両手で掌を覆い俯いてしまう。

 恥じているのではなく悔いているのだろう。丸まってしまった背中は小さく、どうにも気まずく感じた。

 

「ローさんは色々気に入らないんだね。その気持ち、少しは分かるよ。みんな色々考えてるから、何から対処したらいいのかわからないもの」

「適当にまとめやがる」

 

 小さくぼやく声は平静さを取り戻している。内心安堵したウタだ。

 

「適当だよ。だってね、もっとシンプルでいいと思うんだ」

 

 歌うように告げれば物憂げな瞳と目が合う。どことなく憔悴している彼が哀れに思え、ウタはゆっくりと微笑んでみせた。

 

「もし私が王様なら簡単なルールを決めるの」

「たとえば?」

「みんな一緒、上下なんてなし。悪いことをしたらおしおきをして、困ってる人を見たら助ける。ごちそうと楽しいことは山分け」

 

 両腕を広げる。この手に抱えられるものだけで良い。目の前にいる皆のためにだけ歌って、彼らの望む世界を作れるならばそれでよかった。

 確かに歌の届かない場所はある。

 それでも声を届けられる場所で誰かが困っているならば、ウタは最期まで歌を届けたい。歌を聞いた誰かが涙を拭いて、いつか笑ってくれたのならきっと嬉しい。

 本当は、至極単純な話なのだ。

 

「ね、シンプルでしょ?」

 

 ウタはにやりと笑ってみせる。

 ローもまた、俯いたまま吐息だけで笑った。

 

「そりゃいい。疑う余地もねェな」

 

 ローにとっての世界とは常に疑うべきものなのだろうか。そうしないと生きてこれなかったのかもしれない。

 ウタ自身も体験しているから分かることだが、疑いや探り合いは疲労を招くものだ。これまでとは違って疲弊した様子のローを見つめ、ウタは眉根を寄せる。

 

「あのさ、さっきから言ってる秩序って本当にいる? ローさんは今の世界政府のやり方に納得してないし、むしろ嫌ってるよね」

「まァ、そうだな」

「じゃあどうして新時代にも秩序がいるなんていうの? むしろ、その秩序の縛りがあるから苦しんでる人だっているのに」

 

 ウタが思うに、人は本来優しいものだ。

 ゴードンやシャンクスの姿を見ていればわかる。人は己が誇りを汚し自らの生き方に逆らってまで、誰かの未来を願える生き物なのだ。

 わざわざルールなど作る必要はない。生きている限りは皆、世界の一員で仲間。心と心で繋がっているはずではないか。

 秩序が敷いた垣根が人の優しさを曇らせるならば、そんな垣根など取り払ってしまう方がいいに決まっている。

 人知れず苦しみ秩序を厭いながらもまだその必要を説く、そんなローの考えがウタには分からない。

 

 ローは視線を落とし、ウタの問いに対して考え込んでいるようだった。

 

「……たとえばだ。侵略が起きた場合、世界政府加盟国と未加盟国とでは被害に差が出る。加盟国ならまず侵略されにくいし、海軍の助けもくる。復興だって早い」

「────……」

「だが、未加盟国は違う。侵略されれば国民の七割が死に、残るのは力の弱い奴らと子供ばかり。そして、そいつらは奴隷にされる」

 

 言葉を選んでいるのだろう。革命家の眉間には僅かな皺が刻まれている。

 

「徹底抗戦しなければ全て奪われる。死ぬか、奪われるかなんだ。だから、勝ち目がなくとも全滅するまで戦うしかない。世界政府のような大きなルールがなければ、人は簡単に他人を殺して奪い合う」

「そんな……」

「奪われた恨みは世代を渡って争いの火種になり、顔も知らねェ先祖のために戦う羽目になる。だが、大きな秩序は世代も国の枠組みも飛び越えるからな。戦いをやめるための言い訳ができる」

 

 語られたのはロー自身が見てきたのであろう世界の一面。ウタの知らない場所で、ウタと繋がることなく消えていった国や人々のことだった。

 

「変だよ。戦いをやめるのに理由はいらないでしょ。悪いことをした人たちが反省すればいいだけで、言い訳なんかしなくてもやめられるはずじゃない」

「たとえ悪い奴がいなくとも、事故や悲劇は起きる。勘違いで生じる恨みだってあるよな。争い事が起きないよう、もし起きても長続きしないように、人間は大きな秩序を作る」

 

 まるで全く違う世界の話を聞いているようだ。何を話し、どんな言葉をかけていいのか分からない。ウタは引き攣ってしまった喉に手を押し当てる。

 そんなウタを見つめ、ローが苦笑した。

 

「簡単な話だ。秩序(ルール)のせいで困る人間より、秩序(ルール)の不在が原因で死ぬ人間の方が多い」

 

 束の間の沈黙が落ち、静けさに惹かれるように霧雨が降り始めた。

 ウタは眉間に皺を寄せ、灰色の空を見つめる。

 二人のいる舞台裏には屋根があり、雨に濡れる心配はない。しかし、観客達は野晒しの場所で寝ていた。

 気にはなる。

 だが、どうしようもない。

 雨風に晒された人全てを匿える大きな傘など、この世界には存在しないのだ。

 

 しばし黙り込んでいたローが徐に口を開く。

 

「さっきの、お前のファンの男が住んでいた国の話だが」

 

 急に話を戻して、何事だろうか。

 ウタが曖昧に頷くと、ローは陰鬱さを増した声音で問いかけてくる。

 

「略奪は悪いことだ。だが、奪わなきゃ死ぬ。この場合も悪と呼ぶか?」

「どんな理由があっても悪いことは悪いことだよ。それは間違いないと思う。でも……」

 

 ウタは言い淀んだ。

 生きるための抵抗を否定するということは、黙って死を待てと言っているようなものだ。

 いくら世間知らずのウタとて知っている。

 倫理や道徳は火事場を過ぎてからでなければ意味をなさず、命に関わる問題に外野の人間が安全な場所から軽々しく意見していいわけがない。

 

「ローさんは?」

「うん?」

「ローさんはどう思うの?」

「お前も言った通り、悪事は悪事だ。それ以上でもそれ以下でもない」

 

 革命家の答えは明瞭だった。

 何故か自身が切り捨てられたような気になってしまう。ウタは口を噤んで視線を逸らした。

 ウタの反応を待たず、ローが新聞を放り投げる。

 

「あの国についてはおれも思うところがあった。元々話の出ていた隣国の支援を受けていれば、状況も変わっていただろうがな」

「助け合えるから? それとも、隣の国に恩ができて略奪なんか起きないってこと?」

 

 ローの表情から推測が外れたことを知る。しかし、彼は答えを言ってくれもしなかった。

 だから、ウタは自身の考えを述べるしかない。それが考えと呼べる程のものではなく、単なる希望だとしても。

 

「辛い時に助け合えたら生き残った人達で新しい国を作れたかも。それが難しくても、別の国とか海軍に助けを求めたり……」

 

 ふと、疑問に思った。

 求めれば、助けてもらえたのだろうか。

 

 ウタのファンの多くは力なき人々だ。海賊に怯え戦いに追われ、病や災害に憔悴し貧困に喘ぐばかり。いわば大海賊時代の被害者なのだ。

 彼らの多くはただ踠きながら生きている。

 怖くて、不安で、寂しい。そんな思いを抱いて生きるのは辛いはずだ。

 彼らは今まで救いを求めたことがなかったのだろうか。そんなはずはない。そう思いたいのだが────

 

 ウタが初めてだ。

 自分達を救ってくれるのはウタだけだ。

 

 そう、ファンの皆は語っていた。

 

「さっきの国だけじゃなくて、世界中で同じようなことが起きてたんだよね?」

「ああ、そうだな。珍しくもねェ話だ」

「どうしてみんなは助けてほしいって言わなかったのかな。世界政府加盟国なら海軍だっているでしょ。そうじゃなくても近くの人が助けてくれるかもしれないのに」

 

 自分で言いながら何とも芯のない考えだと気付く。何せ、ウタ自身も悩みを抱え、誰かに助けを求めることなど考えずに過ごしていたのだ。

 世界中の皆のことは分からない。分かったふりもできないほどだ。

 だが、ローが言っていたように、自身の経験を通して状況を噛み砕き、理由を推察することはできる。

 眉間に皺を寄せて思案し、ウタはぽつりと呟いた。

 

「ああ、そっか。言わないんじゃなくて、言えないんだ」

 

 自身で声に出せば、理由はすとんと腑に落ちるる。

 

「何が起こるかわからないのに、弱い自分を晒すのは怖いよね。他の人だってギリギリの生活で、自分でもどうしていいかわからないのに他の人を頼れるわけがない」

 

 教師役の革命家が僅かに目を見張った。

 また世間知らずを披露してしまったのだろうか。

 ローが蔑んだりしないことはもう分かっているものの、恥ずかしさは変わらず、じわりと頬が熱を持つ。

 羞恥を紛らわそうとして、ウタは手を振り上げ主張した。

 

「黙ってないで何か言ってよ! 何? 的外れすぎて笑える?」

「何を言ってる。お前が真剣に考えて出した答えだ。笑う理由はないだろ」

 

 応える声があまりに穏やかなものだから、振り上げた拳も持って行きどころを失ってしまう。ウタはそろりと両手を下ろした。

 

「結局、今のままじゃ正解なんてないんだね」

「そうだな」

 

 頷いたローがごろりと床に寝転がる。

 

「さっきの滅んだ海と山の国だが、過去に遡れば二つの国は元々同胞だったんだ」

 

 革命家は足を投げ出して横たわり、滔々と歴史を紐解いていった。

 

 ローの話によると、大海賊時代以前、ウタのファンだった青年のいた国と隣国は、元々一つの国だったという。

 沿岸部。

 そして、内陸部。

 世界政府に加盟するか否かをめぐって国内勢力が分断され、最終的に二つの国に分かれたらしい。

 

「沿岸部では時折現れる海賊に手を焼いていた。世界政府に助力を請う案がでるも、内陸部の理解を得られなかった」

「どうして? 同じ国だったんだよね? 世界政府に守ってもらえるなら嬉しいんじゃないの?」

「内陸部の奴らには何の利益もないからな」

 

 もともと内陸部には海賊の被害が及ばない。険しい火山が海賊らの侵攻を堰き止める形となっていたのだ。

 また、温泉産業を基盤に湯治や医療が発展していたこともあって、経済的にも安定していたという。

 内陸部の人々は世界政府の加盟を渋り、代わりにと沿岸部の放棄を提案した。移住の支援もするので、沿岸での暮らしを捨て内陸に移り住めばいいと勧めたわけだ。

 

「今度は沿岸部の奴らが移住に難色を示した」

「どうして? あぶない場所から逃げられるんでしょ?」

「そもそも逃げられる人間は既に移住している。沿岸部に残っているのは動けない事情があるからだ」

 

 病人、老人、乳飲み子を抱えた女、あるいは彼らを家族にもつ者達。支援や助力があろうとも、海へ出ることも険しい火山を越えることも出来ない人々だ。

 彼らは生まれ故郷を守り、そして大切な家族と生きるために、必死に抵抗し続けていたのである。

 

「話は物別れになった。最終的には国を二つに割ることにして、沿岸部は世界政府に加盟。海軍の守りを得たことで、しばらくは安定していたが……」

 

 時は流れ、大海賊時代の影響、そして火山の噴火により安寧は脆くも崩れて、両国は滅びるに至った。

 最後まで語らず口を閉ざしたローを見下ろし、ウタは膝を抱える。

 

「……恨んでたのかな」

「うん?」

「海沿いの国の人達はお隣の国のこと、恨んでたのかなって。だから、援助の話を断ったのかも」

 

 沿岸部の人々にしてみれば、本当に必要な時に見捨てておいて今更だと思ったのではないだろうか。

 だが、内陸部の人々からみれば、差し伸べた手を幾度も振り払ったのは沿岸部の住人達の方なのだ。

 人々の希望は互い違いに食い違い、諍いが起きた。そして、過去の諍いがあったからこそ、災害時の略奪に繋がったのかもしれない。

 ウタの憂慮を遮るように、ローがゆらゆらと手を振る。

 

「国が分裂したのは随分前だ。当時のことを知ってる奴はとうの昔に死んでる。ただまァ……」

 

 言葉選びに窮したのか、革命家は僅かに言い淀んだ。

 ぼんやりと天井を眺める金色に陰が差す。

 

「被害が続いている以上、恨みは世代を渡るもんだ。血よりも濃く深く、口伝えに増殖しながら刻み付けられていく」

 

 ローの静かな語りを聞きながら、ウタはファンの声を思い出していた。

 

 子や親を海賊に殺された人。

 宝を奪われた人。

 自身だけでなく親世代もまた、海賊の被害にあってきたと嘆いている人がいた。

 代々続く王家の圧政で長年苦しんでいる人もいる。

 

 一つ一つ、解決していけば助かる者もいるのだろう。だが、そうやって時間をかけている間に多くの人が苦しみ続け、誰の助けも得られずに死んでいく。

 死んだ仲間の恨みを抱いて、また別の誰かが苦しみ始める。

 この連鎖を断ち切らなければ、人々の痛みは消えないのではないだろうか。

 

「やっぱり、そうだよね」

 

 ウタはぽつりと呟く。

 

「一度、全部を終わらせなきゃ駄目だと思ったの」

 

 外では霧雨が降っては止み、止んでは降ってた。土も人も渇く暇はなく、じっとりとした冷たさがライブ会場を包み込んでいる。

 寒さも、飢えも、痛みも、恨みも。

 たとえ一つの問題が解決しても、別の問題が顔を出す。奪われ見捨てられて、誰も信じられずに憎しみを漱げず疑い続け、そんな連鎖の内で人々の心は疲弊していったのだろう。

 だからこそ、今、全てを終わらせる必要があった。

 

「全部終わらせて、新しく始めようって。世界ごと生まれ変わらなきゃ、みんなの苦しみは終わらないと思ったから」

 

 ウタワールドによる変革は時代を変える。

 苦しかった過去を忘れ、虐げられる今を捨て、誰もが自由になれる未来を作り上げる。

 

 世界と身体に縛り付けられた心を自由にする。

 それこそがウタの新時代。

 

 悲鳴を飲み込み孤独に震えていた人々。ファンの皆が助けを求めてくれたから、ウタはここにいる。

 皆が怯え続けなければいけない世界を変えたかった。

 だが、ウタには世界の変え方など分からない。

 知っているのは逃げ方だけ。だから、皆が逃げ込める場所を作り、そこで新しい世界を始めればいいと思ったのだ。

 

 ウタは唾を飲み込み、顔を上げる。

 

「ローさんはどう思う?」

 

 拙い問いだ。

 今度こそ馬鹿にされるかもしれない。

 そう身構えたウタの予想を裏切り、革命家は一切の感情をみせなかった。

 聖句を読み上げるように、ただ静かに言葉を紡ぐ。

 

「過去は消えない。記憶も記録も誰かが生きている限り残り続けるもんだ」

「結局、全部終わらせることなんてできないってこと?」

「普通にやればな」

 

 ただの否定ではない。

 含みのある言い方がウタの心をざわつかせた。

 不安と期待。頼るもののない波間に灯台の光を幻視したような心地がする。

 縋る先を探して視線を彷徨わせた。

 見えたのは鏡のように鈍く光る金の目。

 渇きに引き攣る喉を押さえ、ウタは囁く。

 

「普通じゃない方法なら?」

 

 答えはない。

 沈黙に誘われ、ウタは問うた。

 

「私の新時代ならできる。そうだよね?」

 

 今、ウタの前にいるのは星月夜を丸ごと溶かしたような黒。ウタが彼を見つめているのと同じく、彼もまたウタを見ている。

 

 ふと金の瞳が瞬いた。

 唇がゆるく弧を描く。

 

「その答えはお前が一番よく知ってるはずだ」

 

 ウタは目を閉じて思考に沈んだ。

 

 始めてしまった。今更、止まることなどできるはずもない。何もわからなくてもやらなければ。

 そう思っていたのだが、今ならば分かる。

 そうだ。やはり、そうなのだ。

 この方法だけがウタに出来る唯一最善。

 他の道はどこにもない。

 

 目を開けて微笑み、ウタは頷く。

 

「ローさん、ありがとう。よく分かったよ」

「どういたしまして、だ」

 

 ローが軽く応え、身体を起こした。一つ伸びをした彼は港へと視線を傾けて目を眇める。

 

「頃合いだな」

 

 金の瞳には何が映っているのだろうか。ウタには全く理解できなかった。

 だが、それでいいのだ。

 彼とウタは違う。いや、人はそれぞれ違う。

 それが当然なのに、ずっと忘れていた。

 そうだ。

 皆が皆違うからこそ、人は不安で寂しい。このままでは争いや不幸をなくすことはできない。皆、自分を抱きしめるのに精一杯で、世界の端で泣いている人に伸ばされる手などどこにもない。

 だからこそ、ウタがいる。

 全て終わらせて、新しく始めるのだ。

 ウタならば出来る。

 ウタにしかできない。

 

 だからこれは当然の結果だと思えた。

 

 懐に手をやったローが何かを取り出す。またジュースかと見やれば違った。

 

「なにそれ」

「見た通り、ナイフだ」

 

 それは分かる。

 鞘も柄も刃も特段装飾的ではなく簡素。見るからに実用的なナイフだ。

 ウタは首を傾げた。

 モノそのものは理解できる。だが、今この場で何のために取り出されたものかが全くわからないのだ。

 訝しむウタをよそに、ローが囁く。

 

「手を」

 

 導かれるように両手を差し出した。掌の上にそっと置かれたナイフはずしりと重く硬い。

 異物感に、そして何よりその冷たさにウタの鼓動が跳ね上がる。

 

「な、に。何、これ。私にどうしろっていうの」

 

 笑おうとして失敗した。みっともなく声が上擦り掠れる。縋る相手ではないと重々理解していながら、ウタはローへとにじり寄った。

 黒衣の男は表情も変えずに答える。

 

「貸してやる。お守りだ」

 

 言葉を失ったウタから視線を逸らし、ローが立ち上がる。

 

「悪いが、少しの間ここを離れる」

「なんで!? どうして? 最後まで付き合ってくれるっていったじゃない!」

 

 焦燥がせり上がり言葉が転び出た。

 ウタはナイフを取り落とし、両手で自身の口を押さえる。

 

「──あ、ち、違う。違うの。今のは……」

 

 自分が放った言葉に愕然とした。

 理解していたはずなのに、期待などしてはいけなかったのに、心がウタ自身を裏切るのだ。

 最期は一人だと分かっていたはずなのに。

 

 動揺、寂寞、諦念、怒り。様々な感情の嵐が吹き荒れ、胸を切り裂いていく。

 知らず滲む視界にさえ怯え、ウタは勢いよく立ち上がった。

 

「大丈夫。これ以上期待しない。私は大丈夫」

 

 口早に呟く。

 背を向けてフードを被り直し、唇をぎっと噛んだ。

 

「そうだよね。ローさん、悪党だもん。約束なんて守らないよね」

 

 返答はなかった。

 ただ衣擦れの音だけが響く。

 背後の気配からローがナイフを拾ったことだけが分かった。

 

「行っていいよ。気にしないで。元々一人でやるつもりだったし、むしろここまで付き合ってくれたことに感謝してる」

 

 本当だ。

 だが、それでも、急に手を離すくらいなら最初から関わらないでほしかった。何も知らなければ寂しさなど感じず済んだのに。

 

 みんな、そうだ。

 みんな、突然どこかへ行ってしまう。

 ウタを置いて、去っていく。

 

 震えが止まらない。これは怒りだろうか。それともまた別の何かなのだろうか。

 名伏しがたい澱んだ感情が胸の奥に降り積もり、ウタの喉から音を奪っていく。

 

 常ならば歌って逃げていただろう。ウタはここ数ヶ月、鉛のような感情達から逃げるために何度も歌い、夢の中に入り浸っていた。

 だが、今はその歌や眠りですらそばにはないのだ。

 

 次第に息が浅くなり、くぐもった呻きが溢れそうになる。

 これ以上、誤魔化せないだろう。

 ローのことも、ウタ自身ですら。

 息もできずきつく目を閉ざせば、小さなため息が聞こえた。

 

「勘違いをさせたな」

 

 声は相変わらず凪いでいた。申し訳なさの欠片も感じられない、平坦な声。

 衣擦れの音がする。ローが歩いているのだろう。気配と音は影の様に揺らぎながらウタの正面へと移動した。

 ローは立ち止まり、するりとウタの手に触れた。人肌というにはやけに熱い指の感触にウタの肩が跳ねる。

 

「驚かせて悪かった。少しの間離れるが、すぐ戻ってくると伝えたかったんだ」

「戻ってくる……?」

「そうだ。約束は守る。ただ、おれは雇い主を迎えに行かなきゃならねェ」

 

 乾いた指がウタの手を柔く叩く。左手の掌の横、甲の小指と薬指の間、人差し指の爪の横。一定のリズムで繰り返される刺激につられ、ウタの浅くなった呼吸が整い始めた。

 ローの言葉とこれまでの記憶が頭の中で繋がる。

 

「雇い主って、オモチャの子?」

「よく覚えてたな。そう、オモチャの姫様方だ」

 

 ローの指が離れる。

 ウタは一度深く息を吸い、恐る恐る瞼を開けた。

 目の前にいるのは当然ロー。先程までと変わらず表情は薄く、何を考えているのかわからない。その変わらなさに何故か安堵してしまい、ウタは大きく息を吐いた。

 

「落ち着いたか」

 

 ウタが頷けば、ローは僅かに金の目を細める。

 

「事情を伝えても?」

「うん、大丈夫だよ」

「海兵共がエレジアの城に侵入した。情報でも探してるんだろう。それはいい。ただ、一つ問題があってな」

「……オモチャの子達、もしかしてお城にいるの?」

「そうだ。おれの能力でここに飛ばしてもいいが、いきなり移動させてばかりじゃ姫様方の不況を買うだろ」

 

 それはもう、今更だと思うのだが。

 ヒツジはともかく、フクロウに関しては一度ミスで飛ばされているわけで、どう考えても既に手遅れである。

 思わず笑ってしまったウタを見つめ、ローもまた口の端を上げた。

 

「迎えに行ってやるつもりだ。いいか?」

「仕方ないから許してあげる」

「不安ならお前も一緒に連れていってもいいぞ」

「いいよ。すぐ帰ってきてくれるんでしょ?」

 

 軽く聞こえるように応えてから、ウタはふと気付く。

 

「そうだ。一つお願いがあるんだけど、いい?」

「なんだ?」

「お城に行くなら、上階にいるゴードンも連れてきてほしいんだ。駄目かな?」

「ゴードンってのはなんだ。ぬいぐるみか」

「なんでそうなるの。エレジアの主、私の育て親だってば。ライブ、最上階で見てるって言ってたから、きっとそこで寝てると思うんだ」

 

 海軍がゴードンに手出しをするとは思わない。ただ、不測の事態ということもある。

 現実でも夢の中でも思いは同じ。ゴードンには新時代が来るまで安全な場所にいてほしかった。

 ゴードンの人相を伝える。ローは軽く頷いて了承してくれた。

 

「城で海軍と鉢合わせるかもしれねェ。そうなったら少し時間がかかる。待たせることになるが……」

「大丈夫だって。どっちみち、現実世界の人達には私をどうにかするなんてできないんだから」

 

 心配しすぎだと伝える。それでも案じてくれているのか、ローはナイフを拾い上げ、ウタの手に押し付けてきた。

 

「持ってろ」

 

 再び手にしたナイフはやはり重たく、何より冷たい。困惑しながらも受け取ったウタに、革命家は告げる。

 

「貸してやる。いざとなったら使え」

「使えって言われてもさ。ナイフなんて子どもの頃に遊んだくらいで、もう持ち方も思い出せないのに」

 

 大体、ナイフ一本で何ができるというのだ。それなら能力を使って眠らせる方がはやい。

 ぶつぶつと文句を言っていると、ローが島の奥へと視線を傾けた。エレジア城の方面だ。

 ローの言う通り、海兵達が入り込んでいるのだろうか。エレジア城にはトットムジカの記録が保管された書庫、そしてウタの部屋がある。ライブ計画実行に際して大方片付けたつもりだ。何が見つかるわけでもないだろう。

 ただ、少し。

 エレジアで過ごしたこの十二年を思うと、だ。

 何も知らない海兵達に思い出を荒らされるようで、少しだけ不愉快だった。

 城の主であるゴードンを傷付けた張本人が、こんな感情を抱えていいわけもないのだが。

 

 それはともかく、今はオモチャの二人だ。

 感傷を振り払い、ウタは顔を上げる。

 

「早く行ってあげて。きっと心細い思いをしてるだろうから」

 

 ローが軽く頷き左手を振るった。一瞬で消えた黒に驚く。どうにも見慣れない。

 

「色んな能力があるんだな」

 

 これまた今更な発見だ。

 

「色んな人が、いたんだよね」

 

 本当に、今更。

 

 ウタはため息を吐き、手にしたナイフに視線を落とす。

 鞘から刀身をゆっくりと引き抜き、曇り空へと翳した。鈍い光が反射し、溢れたプリズムに目を奪われる。

 

「きれい」

 

 小さな呟きを聞く者はいない。

 歌姫は柔く笑み、大切なものを仕舞い込むようにナイフを鞘へと戻した。

 可愛いもの好きの彼女が持つにはやや無骨で大きく、飾り気のない小刀。まるでプレゼントを抱くように柄と鞘を撫でながら、歌姫は鼻歌を歌い始める。

 

 このナイフは約束の形。

 ローは戻ってくる。お守りを貸してくれたのだから、必ず取り返しにくる。

 悪党が、自分の武器を預けたままにするわけなどないのだから。

 

 そう思いながら、ウタは舞台の片隅に座わり、ローの帰りを待っていた。

 心は穏やかで、ネズキノコの毒など全く感じない。もうすぐ訪れる死すら怖くなくなってくる。

 不思議だ。

 こんな気持ちで最後を迎えられるなど、考えてもいなかったのに。

 

 微かにウタが笑んだ。

 その瞬間。

 

 

 ぐらり、と。

 地面が揺れた気がした。

 

 

 遅れて轟音が響き、島全体を撓ませるほどの衝撃が走る。吹き荒れた爆風が島を下り、海面を揺らした。

 

「何……?」

 

 ライブ会場を覆う海王類の骨が軋み、鯨の鳴き声のような音を奏でる。

 舞台に降り注ぐ細かな埃の匂い。黴にも似たその香りに混じり、島から嫌な臭い流れてきた。

 土煙。

 そして、何かが燃えるような不吉な臭気。

 

 ウタはよろけながら立ち上がった。

 

「……待って」

 

 壁を伝い、舞台裏を抜ける。触れた柱がまだ揺れているように感じるのは激しい衝撃の名残か、それともウタの指が震えているだけなのか。

 頼りない足を引きずり、ウタは進む。

 

「待ってよ」

 

 舞台裏から出て、つんのめりながらも坂を下った。苔むす草むらをかき分け、開けた場所を目指す。

 

 違う。そんなわけはない。

 そう思いながらも、音楽に人生を捧げてきたウタの身体は、寸分の狂いもなく音源の方角を捉えてしまった。

 

 町へとつながる一本道。

 そこに到達したウタは、ただ呆然と呟く。

 

「ローさん……?」

 

 ライブ会場から離れた旧居住区の中央、島全体を臨む高台にあったエレジアの古城。

 その影が、ひしゃげていた。

 

「あ、ああああ!!」

 

 言葉にならない叫びを上げ、ウタは走り出す。人の手の入っていない細い抜け道を駆け上り、ライブ島と本島を渡す水道橋を走り抜けた。

 

 エレジア城には大切なものが眠っている。

 小さな頃に着ていた服。何度も調律したピアノ。年々増えていったぬいぐるみ。ファンの皆からもらった手紙達。壊れた古いヘッドホン。書きかけの曲。渡せなかった手紙。

 そして、何より。

 何より、誰より優しい王様が眠っている。

 

「ゴードン!」

 

 優しい優しい、亡国の王様。

 エレジアという彼の宝箱をウタは二度も壊してしまった。彼の愛する者を奪い、願いを踏み躙り、慣れない嘘を吐かせた。

 それなのに、ゴードンは。

 

 十二年間、共にいた。

 

 互いに引け目があったのは確かだ。

 嘘も欺瞞も誤魔化しも、正しい対話の有り様とはいえない。

 本当はもっと正しい在り方があったのだろう。

 だからといって、十二年の全てが間違っていたはずもない。

 

「だめ、だめだよ! まって、いやだ!」

 

 ゴードンはウタに向き合ってくれていた。

 言葉は少なくとも、音楽を通じてウタの心に触れ、寄り添い続けてくれていた。

 

 覚えている。

 鍵盤に並んだ無骨な指。譜面に走る几帳面な字。調律する時の静けさ。眼鏡の奥の真摯な目。

 

 一緒に譜面を覗きこんでは歌った。真正面から向き合うのではなく隣に並び、ぴたりと重なる二つの歌声。

 彼の声域は低く、手本を歌ってくれる時はどうしてもユニゾンになってしまっていた。

 

 ゴードンが教えてくれたのは、心の音を綴る方法。

 だからウタは知っている。

 

 彼の痛みを知っている。

 彼の喜びを知っている。

 彼の心を知っている。

 

 彼は孤独だった。

 ウタと同じ孤独を分け合ってくれた、たった一人の先生だった。

 

「置いていかないで!」

 

 焦燥に追いつけない身体は宙を掻いて土に惑い、乱れる息は確実にウタの心を追い詰めていく。

 何度も転びかけ、その度に無理やり身体を前へと押しやりながら走る。しかし、限界を超えた身体は言うことを聞かず、捲れ上がった煉瓦に足を取られた。

 

 一瞬の浮遊感。

 何が起きたか理解する間もなく地面に叩きつけられて呻く。それでもなお前に進もうと踠くウタを嘲笑うように、一際激しく地面が揺れた。

 

 咄嗟に顔を上げたウタが見たのは崩れゆくエレジア城。見る影もなく崩壊し、炎へと飲まれていく音楽の在処。

 

「……いや、いやだよ」

 

 ウタは何も考えられないまま、ただ手を伸ばす。

 届くはずがないことすら受け止められずに。

 

「ゴードン、ゴードンさん!」

 

 辛い記憶もあった。

 大切な思い出もある。

 そして何より、誰よりも優しく気高い王様がいた城が壊れていく。

 

「私、まだあなたに────!」

 

 ウタの悲鳴を圧し潰すように、エレジア城は跡形もなく崩れ落ちた。

 

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